表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寂しさを抱いて  作者: 橘皐月
23/24

第四章 寂寞

***


 夜の公園というのは、想像以上に物寂しい。きっとそれは子供たちのにぎやかな声に包まれている昼間とのギャップがそう感じさせているのだろう。

「寒い……」

 冬を越したとはいえ、まだまだ夜に外にいるには寒い時期だ。私はブルッと体を震わせて縮こまった。こういう時、誰かと一緒にコンビニであったかい肉まんを食べられたら体も温まるんだろうな…と思いながら私は目を閉じた。

 こうしていれば、物寂しい公園で一人っきりで震えていることも分からなくなる。目を閉じれば否応なく自分だけの世界に行ってしまうのだから。

 どれほどの時間、そうしていただろう。何もない、暗闇の中で考えることもしなかった私はもはや時間の感覚すらなくなっていて、聞き慣れた声がして目を開けるまで、自分がどこにいるのかさえ忘れていた。

「美桜…!」

「…蒼衣?」

 目を開けてもなお暗闇だったその場所に立っていたのは、紛れもない親友の姿だった。私は一瞬、自分が夢でも見ているのではないかと思い、思わず何度も目を瞬かせた。

「どうして」

「美桜のお母さんから電話がかかってきたの。家の電話で、たまたま私が出たらおばさん、すっごい息切らして言うの。『美桜を探してください』って。多分おばさん、美桜のこと探し回っていっぱい走ったんでしょうね。それでも見つからないから私なら居場所が分かるかもしれないと思ったのかな。本当に、心配そうだったわ」

「そう、だったんだ……」

 さっき家で私が父とぶつかった時、母は私を庇ってくれなかった。だから母も、きっと私の夢に反対しているのだと思い込んでいたが、本当は違ったのかもしれない。

「蒼衣はどうして、私がここにいるって分かったの?」

「だって美桜、この場所が好きでしょう。それに、私は美桜の親友なんだから何でも知ってるのよ。美桜は辛い時、多分ここに来ると思ってた」

 蒼衣は私から1のことを聞いただけで、私の10を知ってしまう。だからきっと、私はずっと蒼衣には敵わないだろうと思う。

「さ、帰りましょう。美桜のお母さん、きっと気が気でない状態だわ。何があったか知らないけれど、今帰らなかったらきっと後悔するよ」

「嫌……今私が帰っても、何も変わらないよ。少なくともお父さんは」

 絶対頷かない。私の気持ちを聞いてないかくれない。あんなに頑なに否定されて、もう私には彼を説得する気力も自信もない。

「私、帰らない。ずっとここにいる。お父さんが私を認めてくれるまでここにいる。私、何か悪いこと言った?何も悪くないじゃん。ただ夢を見つけて、それを口にしただけなの」

「ええ、美桜が言いたいことは分かるわ。でも、美桜までそんな頑な態度をとってばかりで、お父さんに美桜の気持ちが伝わるわけない」

「蒼衣はっ…何とでも言えるじゃん。当事者じゃないんだから!いいよね…蒼衣のお父さんもお母さんも優しくて、蒼衣のお願いも何でも聞いてくれるんでしょう…。でも、私は違う。私の家族はそんなに優しくないもの」

 分かっていた。蒼衣は何も悪くない。むしろ私を探しに来てくれた心優しい親友で、私は彼女に感謝しなければならない。でもだからこそ、親友だからこそ、自分の夢を応援してくれる両親を持つ彼女が憎かった。

 でも彼女に八つ当たりしてしまった時、私は彼女の表情が悲し気に歪むのを見てしまった。そういえば蒼衣の家庭は複雑な事情を抱えていて…それで彼女は小学生の時いじめられもしていた。その事実を思い出した途端、私はしまった、と思った。蒼衣を傷つけてしまったと本気で思った。

「あ…ご、ごめんね…」

 上ずった声で咄嗟に謝罪の言葉を口にした私に向かって、彼女は全く予想外なことを言ったのだ。

「ばかじゃないの」

「え」

「私、美桜はもっと賢い人だと思ってたわ。優しいとか優しくないとか、そういうの、大事なの?優しければ認めてくれる?そんなわけないじゃない。伝えたいことがあるなら、ちゃんと自分の口で伝えなさいよ。そんなこともせずにただ認めてくれるのを待ってるだけなんて、そんなのおかしいと思う」

 いつもとは違う、厳しい口調の蒼衣は、私が知ってる彼女ではなかった。でも…それでも、私のことを必死に考えてくれていることだけは真っ直ぐに伝わってきた。

 そうか、これが「伝える」ってことなんだな――。

「美桜が、教えてくれたんじゃない。あの時、私がいじめられて一人ぼっちで公園にいた時、ちゃんと口にすれば気持ちが伝わるってことを教えてくれたのは美桜なのよ」


 ――ほんとは…ほんとはずっと、誰かに助けてほしかった。


「あの時私、ちゃんと自分の心の中にある気持ち、あなたに伝えられて良かった。だってあの言葉があったからこそ、私は今でもこうして美桜と友達でいられるんだもの」

「蒼衣…」

 彼女は今度はとても優しい口調で、温かい言葉を私にくれた。

 その言葉が、私の胸に深く深く突き刺さる。

「そう、だよね……。私、自分でちゃんと分かってたんだ。何かを伝えるには、はっきり言葉にしなくちゃいけない。そんなことさえせずに認めてもらおうなんて、私が愚か者だった。私、家に帰るね。帰って二人に私の本当の気持ち言うね。ただやりたいとか、夢だとか、そんなことじゃなくて、二人に言いたいことをちゃんと伝えるね」

「うん、それでこそ本当の美桜よ。私と一緒に戻ろう」



 私の家の前に辿り着いた時、すでに近所の街灯もほとんど消えて、辺りは浜辺第一公園で感じた闇よりももっと深い闇と静寂に包まれていた。

「美桜の家に連絡入れといたから、おばさんもきっと家に帰ってるはずよ」

「うん、ありがとう蒼衣。本当に、ありがとう」

「お礼を言うのはまだ早いわ。さあ、後は美桜が頑張って前に進んで。私は応援してるから」

 彼女はそう言うと、私の背中を軽くポンと叩いた。大丈夫、きっと上手くいく。彼女の心の声が聞こえて、私は両手をぎゅっとを握りしめてから呼吸を整え、それからゆっくりと玄関の扉を開けた。

「ただいま…」

 そう呟きながら靴を脱いでそろそろとリビングまで向かった。普段なら二人は寝ている時間だったが、今日に限っては電気も付けたままで私の帰りを待ってくれているようだった。

「み、美桜!あんた、こんな時間までどこに行ってたのよ⁉お母さんがどれだけ心配したことか!おかげで山里さんのとこにまで迷惑かけちゃったじゃない!」

 帰ってきた私の姿を見るなりお叱りの言葉を述べた母の顔には、怒りというより安堵の表情が浮かんでいた。

「ごめんなさい…」

「全くもう…。でも、今回は私も悪かったわ…。美桜の気持ちを全然聞いてあげなかったんだもの。美桜、ごめんなさいね」

「ううん…私も、勝手なことばかり言ってごめんなさい。私はお母さんやお父さんを困らせたいわけじゃなかったの。ただ本当に本当に……ねえ、お父さん」

 私は先程から黙りこくって少し戸惑うように私を見ていた父の方を向いて言った。

 私の気持ちを。

 本当の心を。

「私はただ…喜んでほしかっただけなの。私は昔からやりたいことなんかなくて…ただお父さんやお母さんと平和に暮らしてきただけだったから…。将来何をやりたいかも決められなくて、二人が望むようにしようって。でもね、そんな時にやっと夢が見つかって、初めて自分から『これがやりたい!』って思えたんだ。それを二人に教えたら、きっと喜んでくれると思った。だからそんな私の気持ちを頭ごなしに否定されたことが悔しくて、伝えられないことがやるせなくて、自分に腹が立ってました。だから、あんなふうに家を飛び出してごめんなさい。そしてどうか、私の夢を応援してください」

 私は精一杯の謝罪の気持ちを言葉に乗せて、深く頭を下げた。いつになく真剣な私の様子を見た母が「まあ」と口を押える。

 そして、肝心の父はというと。

「…頭を上げなさい」

 いつもと同じ、厳格な声でそう言った。しかし、言われた通りに頭を上げた私が見た父の表情は、私が今まで見たどんな父よりも穏やかで優しい顔をしていたように思う。

「お前の気持ちはよく分かった。父さんも、母さんがお前を探しに家を出て行った後に考えたんだ。もっとお前に言うべきことがあったんじゃないかって。否定するだけじゃない、何か別のやり方があったに違いないと。確かにお前の希望は簡単には通せないものだったが……でも、お前が本当にやりたいことなら、父さんも母さんも誰も止められないよ。お前の気持ち、蔑ろにしてすまなかった。父さんを許してくれ」

 そう言って父は私がさっきそうしたように、いや、それどころかより深々と私に向かって頭を下げた。

 突然のことで、私だけでなく母もその場に固まってしまった。普段は全く感情を表に出すことのない父が、あろうことか娘に対して頭を下げるなんて。

 でも、そうだからこそ私はこの父の行為を信じることができた。父が本気で私に謝っていることを心から感じられた。

「もういいよお父さん。分かってくれたならそれでいいんだ。私、この家の娘でよかった」

 そうして私たち家族はようやく一つになった。18年も一緒に暮らしてきて、初めてお互いの心をさらけ出すことができた。

 ちゃんと口にすれば想いは伝わる。

 私の親友がそう言ってくれたように、本当に伝わる気持ちがあるのだと私はその時実感したのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ