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リトル・アルカディア  作者: さんずい
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第14章 橋本悠理

 翌朝、小会議室に集まったレプリック・ドゥ・ランジュのメンバーと羽村(はむら)樋口(ひぐち)の間にはピリっとした緊張感があった。

 四角形を描くように並べられたテーブルの、入口から見て一番奥の辺にあたる場所に、樋口、羽村、悠理(ゆうり)が座り、その他の場所に悠理を除くメンバー5人が座った。

「まずは、皆をだましていたことを謝ろうと思う。すまなかった」

 口火を切ったのは羽村だった。そう言った後、立ち上がって頭を下げた。

「だが、どうしても必要なことだった。それを分かって欲しい」

 続けてそう言うと、元々一番険しい表情だった翔子(しょうこ)の眉間のしわがさらに深くなった。

「それで、橋本の話だが――」

 そこまで言って、羽村は言葉に詰まってしまう。どこから説明したものか、と思考をめぐらせていると、

「羽村さん、大丈夫です。私から説明します」

 いつになく落ち着いた表情で、悠理が言った。

「改めまして、自己紹介します。橋本悠理。中学一年生で、13歳。男です」

 改めて本人からそう告げられて、メンバーの表情がかすかに強張る。

「名前は本名です。父が母方の祖父母にも覚えてもらいやすいよう、ロシアの男性名の『ユーリ』に文字を当てて日本人名にしたそうです。そのせいで、日本では昔から女の子に間違われることも多かったです」

 そう言って、少し自虐的に悠理は笑った。

「父は外交官です。ロシアに転勤になった時、当時オペラ歌手の卵だった母と出会い、愛情を育んで、結婚に至りました。その後日本での勤務となったため、母を連れて本国に戻り、私が産まれました。だけど私が5歳になる頃、父は再び海外に勤務することになりました。赴任先は治安が良くない国だったため、悩んだあげく父は単身赴任を決めました。結果的に、これが一番の原因だったのだと思います」

 悠理はきゅっと口を強く結んだ。

「父の家系は政財界の重鎮を何人も輩出した、いわゆる名家でした。事実、私の曾祖父は政治家で、当時の政府の大臣を務めたこともあったそうです」

「じゃあ悠理ちゃんは実は超名門のお嬢様――じゃないや、御曹司だったんだ」

 沙紀(さき)が目を丸くしながらそう口にすると、悠理は首を振る。

「父はその曾祖父の五男の三男でしたので、一族の中では直系ではありますが傍流といっても良いくらいの立場でした。その分かなり自由にやらせてもらっていると、そうでなければ母との結婚は認められなかっただろうと、苦笑混じりに話してくれたことがありました」

 まるで予想していなかった話を聞かされて、翔子や理央(りお)などは面食らったような表情を浮かべている。それが今の状況とどうつながるのか、そんな風に考えているのが見て取れる。

 けれども、悠理は構わずにそのまま話を続けていく。

「ただ、それでも親族の集まりに出ると、母に向けられる視線に好意的なものはまるでなかったそうです。それに母は日本での生活になかなか馴染めていませんでした。そんな状況で家を空けるのはまずいと父も思っていたようで、母と私を祖母の家に住めるよう話を通してくれました」

「ねぇ、それって」

 なかなか本題に入らないために、苛立ち混じりの声で理央が遮るが、

「理央さん、最後まで聞きましょう」

 玲佳(れいか)が少し強めに理央をたしなめる。そして悠理に視線を向けると、悠理は軽く頭を下げた。

「一緒に暮らすようになって、祖母は母に礼儀作法を一から厳しく叩きこみました。それは母をいじめていたわけではなくて、父の親族に認められるのに必要なことだったからです。祖母は態度はとても厳しかったですが、本当は優しい人でした。それは母も分かっていたようです。それでも、父の一族の中で生きていくことの重圧、馴染めない異国での生活、父がいない事の心細さ、寂しさ。色んな物が積み重なって、少しずつ母は心の平衡を失っていきました」

 ここまで話して、初めて悠理は言いよどむ様子を見せた。

 けれども、一度深く息をつくと、話を続ける。

「私たちが祖母の家で暮らし始めてから1年が経つ頃、母は私に女の子の服を着せるようになりました。そして私を抱きしめてこう言うんです。『私の可愛いユーリア』。後で知ったのですが、『ユーリア』とは母が子どもの頃から大切にしていた人形の名前だったそうです」

 沙紀は頬をぴくりとこわばらせ、玲佳は表情を陰らせてうつむく。

「私が女の子の服を着たり、ユーリアと呼ばれたりするのを嫌がると、母は激しく怒り、そしてしばらくすると泣いて謝ってきました。それが何度も繰り返されて、私も反発するのを諦めました」

 誰もが言葉を失う重苦しい雰囲気の中、

「誰も、止めてくれなかったの?」

 翔子が尋ねると、悠理は伏し目がちになって、一度うなずいた。

「最初は、誰にも気づかれませんでした。私と母は、祖母の家の敷地内にある離れに住んでいたので、母が祖母に礼儀作法の指導を受ける時と、全員で一緒に夕食をとる時以外は、私たちは誰にも会うことがなかったんです。けれどそれから数年経って、ついに祖母が知るところになりました。……そして、母と私、お互いのために離れるべきだと、そう言いました」

 一瞬、(かなで)は悠理が泣き出すかと思った。けれど彼はわずかな沈黙の後、しっかりと言葉を続けていく。

「母は半狂乱になって嫌がりました。それでも祖母は毅然とした態度で、そしてとても辛抱強く、諭すような説得を続けました。絶対に離さないと、私にしがみつく母に向けて、祖母は『本当に、それがあなたの悠理の愛し方なのですか?』と、そう言いました。母は、それを聞いて。……顔を強張らせて……今度はきちんと私の目を見て、抱きしめてくれました」

 声が詰まりそうになるのをこらえながら、悠理は懸命に前を向く。

「1か月後、急いで日本に戻ってきた父に連れられて母はロシアの実家に戻っていきました。別れ際、母は私に『すぐに帰って来るから』と言ってくれました」

「寂しかった、よね」

 沙紀が自らの境遇と重ねたのか、同情の色濃い視線を悠理に向ける。

「寂しかったです。でも、」

 悠理は少しだけ表情を緩めて、微笑む。

「お婆様が、居てくれたから」

 儚さと健気さを湛えたその笑顔は、やはりとても魅力的な女の子のものにしか見えなかった。

「でも、その人のせいでお母さんと離れ離れになっちゃったんでしょう?」

 理央が少し心苦しそうにしながらも、そう疑問をぶつけてくる。

「そうですね。でも母が出て行った日、お婆さ……祖母は、私に謝ってくれたんです。あの厳格で立派な祖母が、当時小学生の私に、きちんと膝をついて深々と頭を下げて。その意味を、当時の私はきちんと分かっていなかったかもしれないけど、それでもこの人は本当に私たちのことを考えてくれていたんだ、ってそれだけはきちんと理解できた。だから、祖母を恨む気持ちは……少しだけあったけど、わだかまりが残るほどではありませんでした」

「悠理さんは、お婆様がお好きなのですね」

 どこかほっとしたような、優しい目をして玲佳がそう言うと、

「はい」

 少し照れくさそうな表情で悠理はうなずいた。

「母がいなくなってから、私は離れから祖母のいる母屋に住まわせてもらいました。祖母はとても忙しい人でしたけど、なるべく私と一緒に居ようとしてくれているみたいでした。二人とも話が尽きないタイプではなくて、学校は楽しいかとか、何か食べたいものはないかとか、そんなすぐに終わってしまう会話ばかりでしたけど、不思議と居心地は悪くありませんでした。母はいなかったけど、私は十分幸せだったと思います」

 なんとなく、その場の雰囲気が柔らかくなった所で。

「悠理。私、あなたがレプランに入った理由を、まだ聞いてない」

 それを拒否するように、奏が冷や水を浴びせた。

 悠理は再び神妙な面持ちに戻ると、一つうなずいて続きを話し始める。

「私が中学生になった頃、祖母の下に母から連絡がありました。もう一回、チャンスが欲しい。もう一度、私と暮らしたいと。それに対して、祖母はこう答えたそうです。『しばらく日本に一人で住んでみなさい。そして本当に、悠理に依存せずにいられる強さを身に着けたという確信ができたら、もう一度連絡をしなさい』」

 それは辛辣な言葉ではあるが、一方で、

「君たち二人の事を、とても案じているのが伝わってくるな」

 羽村が微苦笑を浮かべながら、それでも感嘆の言葉を口にする。

「そうですね。そうだと思います。だから、母もその言葉に従って、今日本に住んでいるそうです」

「どこに居るのか、知らないんだ?」

 悠理の表現から半ば察しつつも、理央が質問する。

「はい。祖母はその点については何も言いませんでした。多分、どうしてもと言えば教えてくれたと思います。でもそれは、祖母の思いも、母の頑張りも無駄にするようで、私にはできなかった。それは納得していることです。そのつもりです。でも、」

 悠理はぎゅっと拳を強く握った。

「私は伝えたかった。私がしっかり前を向いて生きていることを。そして、今頑張っている母の事を励ましたかった。私から直接伝えることができないのなら、そういう私の姿を母に見て欲しかった。それで少しでも、私が抱いている母への愛情とか感謝とかが、何分の一かでも伝わればいい。そう思いました」

 胸の奥にある激情を吐き出すように、悠理は顔を紅潮させて言葉を紡ぐ。

「そのために私にできることはなんだろう、とずっと考えていました。ふとした瞬間に母の目に触れることが起こりうるとしたら、それはどんな時だろう、と。そして気付いたんです。テレビを見ればCMにもドラマにもバラエティにも歌番組にも出ていて、街中ではポスターに写っていて、雑誌の表紙になったりする存在がいることに。だから私は、」

 悠理は視線をぶらさずに。

「アイドルになろうと思った」

 そう言い切った。

 いつもおどおどしている印象のあった悠理が、これだけしっかりと語れるのはおそらくそれが彼の芯の部分だからなのだろう。

 静かな迫力を見せる悠理を前に、しばらく沈黙が続く。

「女の子の格好をしているのは、お母さんのため?」

 その沈黙を破ったのは、沙紀だった。

「……もし、母が気付いてくれるとしたら、多分男の子の姿の私ではなくて、女の子の姿の私の方だと思ったんです。だけど、それは私にとってどうでも良かった。『私』であれば、それで良かった」

 そして悠理はバツが悪そうに微笑む。

「分かってるんです。母はそういう所をなおすために、今頑張ってくれている。でも、私はどうしても私の事に気付いて欲しかったから。だから、これは母のためではありません。むしろ母のためを思うなら、こうしてはいけなかった。私は、私のために――そう、私の我がままで、今この姿で皆さんといるんです」

「そんなの、我がままって言わないよ」

 少し悲しそうな目をして、沙紀はささやくように言った。

「なんか、そんな話されたらさぁ……」

 理央は苦い表情を浮かべて頭をかきながら、

「羽村さんはどうして悠理をレプランに入れたの?」

 一度行先を失った怒りの矛先を羽村に向ける。

「必要だと思ったからだ。皆はそう思っていないのか?」

 逆にそう問われて、メンバーも各々納得の表情を浮かべる。悠理に限らず、それぞれキャラクターや声、スタイルがばらばらで、全体でバランスが取れているので誰もが替えが利かないとも言える。

「でも、どうして最初に私たちにも言わなかったんですか?」

 それでも翔子が不満そうな色を残したまま羽村に問う。

「もし最初に言っていたら、皆が今みたいな関係を築けていたと思うか?」

「それは――」

 できる、と言いたかったが、多分それは事実ではない。

 きっと、いや間違いなく、悠理以外の全員が、悠理に対して遠慮しただろう。理由を聞いて、チームを組むことには納得できても、今みたいな信頼関係を結ぶのは難しかっただろうと想像がつく。

「でも、でもさ。私たちは良いとしても、結局どんな理由があったって、お客さんに嘘をついていることになるんだよ。それも、致命的な嘘を」

 飲み込み切れない想いを吐き出す理央に、

「その通りです」

 悠理はあっさりと、うなずきを返した。

「もし私の事がバレたら、レプリック・ドゥ・ランジュというグループにどのような迷惑がかかるのか、計り知れません。それはとても大きなリスクです」

 そう。他のメンバーは何も悪くなくても、最悪即解散というケースも考えられる。

「それは、いいよ。簡単にはいかないけど、話を全部聞いた今なら、なんとか飲み込める。受け入れられる。羽村さんが負うと決めたリスクだしね。だけど、」

 理央の言いかけた言葉を全て察しているように、悠理は目を細めた。

「そうですね。私は、私たちを応援してくれるファンの方全員を裏切っています。その罪悪感はどんな時も消えることはあり得ません。この先、レプリック・ドゥ・ランジュがどのような成功を収めたとしても、私が心の底から喜べることは、もう決してないのだと思います」

 理央は思わず目を見開いて絶句した。

 それは、あまりにも壮絶な、悠理の覚悟だった。

 奏の脳裏にいくつかの光景がフラッシュバックする。デビューライブで初めてお客さんから拍手をもらった時、ライブで初めてアンコールの声がかかった時、初めてCDが売れた時。喜びに沸くメンバーの中で、悠理はいつも控えめに、はにかんでいた。

「奏……」

 気遣わしげな表情を、翔子が浮かべてそっと奏の手を握った。

 それでもなお、奏の瞳からぼろぼろとこぼれ落ちる大粒の涙は、留まることがなかった。


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