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リトル・アルカディア  作者: さんずい
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第12章 合宿開始

 合宿は事務所が提携している研修センターで実施することになった。

 当日、集合場所になっていた事務所に向かうため、(かなで)は宿泊用の道具を入れたバッグを持って家を出た。早い時間に集合時間が設定されていたために、家を出たのもようやく日が出始めたくらいの時間だった。春とは言えこの時間帯はまだ肌寒く、奏は少し震えながら駅に向かって足を進めた。

 事務所の前に着いたのは集合時間の40分ほど前。さすがに少し早かったかとも思ったが、遅れるわけにもいかないので、まぁいいか、などと考えていると意外にも先客がいた。

 奏が来たのに気付いて、ふっと表情を緩めたのは、翔子(しょうこ)だった。

「おはよう」

 しばらくここに立っていたのか、頬と鼻の頭を少し赤くしながら翔子が微笑む。

「おはよ。早いね」

 奏がそう言うと、あなたもね、と少し笑いながら翔子が応える。

「中、入らないの?」

 そう言いながら奏は入口に視線を向けるが、ガラス扉の内側が真っ暗なことに気付いて状況を察する。

 二人は顔を見合わせると、翔子が苦笑いを浮かべて肩をすくめる。

「いつ着いたの?」

「ちょっと前。昨日、あんまり眠れなくて。部屋で一人悶々とするよりは早めに来た方がいいかな、って思ったんだけど」

「緊張してた?」

 そう問われて、翔子はしばらく言葉を探すように視線を下に向ける。

「そう――でもないか。不安、かな。一番近いのは」

「不安……って、どうして?」

 いぶかしげに眉を寄せながら奏は尋ねる。

「置いて行かれるんじゃないか、って。皆、この合宿で歌もダンスもぐっとうまくなるんだろうな、って思うと着いていけるのか不安になった」

「それは、多分皆大なり小なり思ってることだろうけど。でも翔子がそこまで気にしてたっていうのは、意外だな」

 奏は表情を和らげてそんな風に言う。

「意外、かな?」

「うん。私、レプランで一番伸びたのは翔子だと思ってるから」

 事実だ。初ライブのあの日から、翔子は変わった。

 それまで拭い切れていなかった彼女の迷いやためらいが影を潜め、目の色が変わった。おそらくあの時、彼女の覚悟と決意が確固とした形になったのだろう。

 それが実際に彼女の歌やダンスといったパフォーマンスにも表れるようになり、表現力が格段に増したように感じる。

 けれど、翔子は奏のそんな評価にもあいまいな表情を浮かべる。

 本人にその実感がないからだろうが、何だかひどくもどかしい気持ちにもなる。

 そんなやり取りをしていると、悠理(ゆうり)が大きなキャリーケースを転がしながらやってきた。

 すでに二人が来ていたことに驚いたのか、戸惑ったように目を丸くする。

「大丈夫、時間合ってるよ」

 くすり、と笑みをこぼしながら奏がそう声をかけると、少しほっとしたように微笑を浮かべて、悠理はケースを脇に置いた。

 その後、集合時間の15分前には沙紀(さき)玲佳(れいか)が到着し、5分前には母親が運転する車から理央(りお)が眠そうに目をこすりながら出てきた。

 そして集合時間ちょうどに羽村(はむら)たちが事務所の前に車をつけると、寒い中一番待たされた翔子と奏が思わず責めるような視線を向けてしまう。

さすがにバツが悪そうに、すまない、と羽村が軽く謝るが、その後は挨拶も早々に全員を車に乗せた。

 それから約2時間。高速を降りた後、街中を抜けて、それから山道になってしばらく進んだ先に、研修センターがあった。

 メンバーのほとんどが車中では眠っていて、車を止めた羽村たちに起こされると、目をしばたたかせながら、あるいはぐっと腕を上げて身体を伸ばしながら、車から出てきた。

 事前に手続きを済ませていた樋口(ひぐち)から鍵を渡され、それぞれに割り当てられた部屋に荷物を置いた後、さほど間を置かずにメンバーが集会室に集合した。簡単にセンター内の施設について説明された後、二泊三日のスケジュールの確認をする。

「よし、じゃあ改めて現状の確認をしようか」

 そう言って、羽村は集会室に備え付けてあったプロジェクタに、DVDをセットする。

「……もういいよ、それ。今見る必要ある?」

 理央がげんなりした表情を浮かべて愚痴っぽく文句を言い、他のメンバーも苦い表情を浮かべる。

 映像は最近のライブの映像だった。


 この映像は合宿をやることが決まった2週間前にも見せられた。これを見て、合宿中に何をどのくらいやるのか、合宿のスケジュールを自分たちで考えるように。羽村にそう言われて見始めた奏たちが、表情をこわばらせるのに時間はかからなかった。

こうして俯瞰的に見ると、控えめに言っても、ひどかった。ライブ中、ダンスが少しずれたかも、少し音程外したかも、と感じたところは、想像以上にはっきりとミスとして表れており、悪目立ちしている。全体的に表情も固い。

 何が足りていないか。初めて映像を見た後、羽村にそう問われた奏の回答はシンプルだった。全て、だ。けれど、合宿で何をするか、と続けて問われたことには即答できなかった。他のメンバーからは、ダンスにもっとキレが欲しい、もっとリズム感が欲しい、もっと全体でそろえるようにしたい、歌はユニゾンをもっときれいに出したい、音程を安定させたい――そんな課題が次々に挙がっては、合宿のスケジュールにどう落とし込むかで頭を悩ませていた。そんな彼女たちの様子を見ながら、羽村はこう言った。

「それだけで良いのか?」

 その言葉の意味が分からず、怪訝な表情を浮かべるメンバーに向かって、羽村は言葉を続けた。

「もちろんスキルの向上は必要だ。この映像を見てそういう発想が全くなければプロ失格だよ。でもスキルだけを求めるなら、俺はそもそも君たちに声をかけていない。現時点で君たちよりもスキルがあって、伸びしろもある人間は星の数ほどいる」

 それは、間違いのない事実だ。奏たちにもそれくらいの自覚はある。

「以前、俺はレプリック・ドゥ・ランジュとしてのゴールを説明したな。『楽園をつくること』。ライブを中心に活動して、そのゴールに近づいていくこと。そこまでは俺たちで決めた。だけど、そのゴールの具体的な姿は、自分たちで考えて欲しいんだよ。君たちが楽園で担う役割は何か。そこで観客に何を与えられるのか。現場をしばらく経験して、こうしたいって感じたことはないか?」

 そんな風に問われて、それぞれがうつむいたり、手を口元に当てたりしながら、じっと考え込む。お客さんに、感動を与えたい。そう言ったのは翔子だったか。皆を笑顔にしたい。そう答えたのは多分理央だ。そして自然と視線は奏に集まった。

 奏はずっと考えていた。自分がアイドルを目指した理由。自分が与えてもらったものは何だったか。

「勇気」

 そう、それが一番奏の中でしっくり来た。

「不安や恐れ、後悔で一度足を止めてしまった人が、もう一度自分で前に進み始めるための力を、あげられたらいいな、って思う」

 そんな奏たちの答えを聞きながら、羽村はうなずきを返す。

「今、君たちが言ってくれたことはどれも間違いじゃない。あまりに方向性が違うのでなければ、答えが揃っている必要はない。それに今の答えは現時点のものであって、不変のものである必要もない。きっと本当の正解はこれから自分たちで色んな経験をしながら見つけていくんだと思う。ただ、一つ分かっていて欲しいのは、決められたことを決められた通りにやってみせるだけでは、君たちはきっと何者にもなれない。技術は必要だが、それに伴う何かがなければいけない。君たちは、それを考えないといけない職業なんだ」

 羽村の話は奏たちにも良く理解できた。合宿のスケジュールを決めるにあたり、焦ってただ闇雲にレッスンを詰め込もうとしていたが、それでは意味がない、と言いたかったのだろう。レッスンの中で目的意識を持って、量より質――いや、量も質も高めなければならない。それを奏たちはもう一度話し合って確認し、改めて合宿のスケジュール案をつくった。


 今、2度目の映像を見ながら、羽村が意図を説明する。

「最初に見たときは、できていない所ばかりが目に入ったと思うが、できている部分もあるんだ。そうでなければお客さんはわざわざライブに来てくれない」

 その言葉の意味も、あの話をした後ならなんとなく分かる。技術以外の何か。多分、熱量とか、気迫とか気持ちとか、そういう風に表現されるものがこの映像にはあるように感じられる。

「おそらく、今の君たちはこれを意識して出しているわけではないと思う。そして、意識せずにこれが出せるのは、もしかしたら今のうちかもしれない。何度もライブを繰り返す内に慣れが出てきて、これを失ってしまう人たちを俺はたくさん見てきた」

 羽村はそう言ったが、これに関してはメンバーの何人かが首を傾げた。

「お客さんがいる限り、少なくとも私は慣れることはないと思います……」

 ポジティブとは言えない言い方で、悠理が控えめに反論する。毎回ライブ前に極度の緊張に陥る悠理の言葉にはなんだか説得力があって、羽村も苦笑いを浮かべる。

「まぁ、確かに慣れるっていうのは違和感あるかも。ライブによってお客さんが多かったり、少なかったり、反応もその都度違ったりするからね」

 沙紀もそんな風に悠理に同調する。

「それならそれでいいんだけどな。でも今後色々な経験を経るごとに対応力はついていく。それは自信にもなるが油断にもなりうる。まだピンとこないかもしれないけど、気を付けていて欲しい所だ」

 羽村がそう言うと、奏たちはめいめいに首を縦に振った。

「さ、とにかくこれがベースだ。合宿を終えるまでにこれにどれだけ上乗せができるのか、イメージして取り組んでくれ」

 最後にそう言って、羽村は映像を止めた。

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