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前編

"クマノミ"第二弾は女から男に変わった子のお話です。

前作とも微妙にリンクしています。

短め。

 ぽかぽかの春の陽気を、響子(きょうこ)は目を細めて楽しんだ。

 新緑の季節、教室の窓からは校庭に立ち並ぶ木々の葉がさやさやと揺れる様子が見て取れる。


(うん、いい日和)


 教室の隅で黄色い歓声が上がった。女生徒たちの甲高い声だった。

 ちら、とそちらを見やる。

 一人の男子生徒を取り囲むように数人の女子が集まり、楽しげに会話している。

 男子生徒が持ってきた手芸作品――かわいらしいぬいぐるみを話題にしているのだろう。

 響子は視線を窓の方へ戻した。

 少しだけ、緑が褪せた気がした。





「響子ちゃん、帰ろう」


 放課後、朝女子に囲まれていた男子生徒がとことこと響子のところまでやって来た。

 彼、日暮(ひぐらし) (あゆむ)清水(しみず) 響子の幼馴染である。

 この高校に同じ中学から進学したのは二人だけだった。というより、わざわざ実家から遠い高校を選んだので、むしろ二人もいる方が珍しいくらいだ。

 響子は親戚の家に居候している。歩も同じ屋根の下に住んでいる。

 バレると厄介な、しかしそうしなければならない事情というものがあった。

 同じ家に帰るのだから、登下校は一緒だ。

 数人の女子からの強い視線を背中に感じながら、響子は歩と一緒に帰途に着いた。


「あゆ、一緒に帰るのやめない?」

「え?」

「朝はまぁそんなに時間変わらないから無理にずらすのもあれだけど、帰りはお互いの都合もあるでしょ?」


 女子たちに誘われていたのを知っている。

 ぬいぐるみの作り方を教えて、というすばらしい口実を手に入れたのだから使わなければ損だ。

 それなのに歩は「響子ちゃんと帰るから」とすげなく断ってしまった。


(恨まれるの、私なんだから)


 幼馴染の目で見ても、歩が美少年と呼ばれる類いの人種だと分かる。

 身長は男子の平均を少し下回るぐらいだが、少し色素の薄い髪はさらさらで、肌の色は白く、あまり体毛が濃くないのかすべすべで、キャラメル色の目はとても大きい。細身の体躯は筋肉質ではないが、その分どんな服装でも似合う。

 テレビの向こうできらきら踊るアイドルのように整った容姿の歩がモテるのは当然だ。


(本当に、よく育ったもんだ)


 かつての歩を知る響子はつくづくそう思う。

 すばらしい成長ぶりだ。


「……響子ちゃん」


 ぼけっと歩の顔を眺めていた響子は、歩の呼びかけにすぐには応じられなかった。


「響子ちゃん」

「あ、うん、何?」

「一緒に帰るの、嫌?」

「嫌って言うか、寄り道したい時もあるでしょ?」

「ないよ。響子ちゃんはあるの?」

「……別にないわよ」


 歩と違って、響子にはお誘いなどかからない。

 苛められているわけではないが、たぶん自分は「ぼっち」というものなのだろうとうすうす気づいている。

 非社交的なコミュ障というわけではない。ただ単に、歩の幼馴染という立場をやっかまれているのだ。多くの女子生徒から。

 一年の時はそれほどでもなかった。歩もまだ小さくて、女の子のようだとかわいがられるだけだった。

 背が伸びて、多少なりとも男っぽさが出てきて、それでも柔和で朗らかでついでに女子力の高い歩はいつの間にかモテモテになっていた。

 ずっと一緒にいる響子には分からないような変化を、彼女たちは敏感に感じ取っていた。


「じゃあ一緒でいいじゃない」


 女子に囲まれるようになっても、歩は何かと言うと響子の名前を出し、響子を優先し、響子と一緒にいようとする。

 確かに響子がわざわざ実家を離れて生活しているのは歩のためなのだが、だからと言って無理に響子に付き合ってくれなくてもいいのに。もちろん無理をしているわけではないのならそれはそれでいいのだけれども。

 響子も歩も変わらない。小さい頃からずっと一緒で、当たり前で。

 だが周囲は変わっていく。二人を見る目も変わっていく。最近はそれが顕著で、少し煩わしい。


「一緒がいいよ」


 だから、変わらない歩にほっとして、けれど歩の外見は否応なしに変わっていくから。

 どうしたものかな、と響子は思い悩むのだ。





 二人が暮らしているのは響子の母方の祖父母の家だ。

 祖父母と叔父と従妹、そして響子と歩という六人で暮らしている。大所帯である。

 家事を祖母一人に任せっきりにするのは大変なので、響子と歩は率先して手伝いをする。居候させてもらっているのだからそれぐらいしなければ、とも思う。響子にとっては我が家にも等しいが、歩にとっては完全に他人の家だ。歩が手伝うと言うのに響子が穀潰しに甘んじるわけにもいかない。そんなことをしたら余計に歩が委縮してしまう。

 当番制ではないが、響子が料理を作るなら歩が洗濯物を畳むし、歩が風呂掃除をするなら響子が掃除機をかける。臨機応変にその時々で役割は変わるが、阿吽の呼吸で特に困ることはない。

 歩は女子力が高い。なんなら響子よりも。

 それは昔からのことなので、今更どうこう言ったりしない。響子の女子力が低いのは響子自身の問題だ。歩と比べられて相対的に過小評価されるのはまぁ仕方がない。


「ただいまー」


 奥から「おかえりなさぁい」というかわいらしい声が聞こえた。今年五歳になる響子の従妹、ひかるの声だ。


「ただいま、ひかるちゃん」

「あゆおにいちゃん、遊んで」

「いいよ。その前にプレゼント」


 教室で女子が「かわいい」と絶賛していたぬいぐるみは、ひかるへのプレゼントだ。手作りとは思えない完成度だった。もちろんひかるは歓声を上げて大喜びした。

 ひかるは歩のことが大好きだ。絵本に出てくる王子様のような外見に、かわいいぬいぐるみやおいしいお菓子を作り出す魔法の手を持っている。小さい女の子に対しては無敵だろう。


「歩くんはモテるだろうねぇ」


 キッチンで夕食の準備をしていた祖母がにやにやと響子を見た。


「モテてるよ。お祖母ちゃん、何か手伝うことある?」


 しれっと答えた響子に、祖母は残念そうな顔をした。


「響子はからかい甲斐がないなぁ」

「孫で遊ばない」


 響子の祖母は若い。

 はじめて会った時、歩は唖然としていた。聞けば、歩の母親と響子の祖母は五歳ほどしか変わらないらしい。

 響子の母も祖母も、十代で子どもを産んだ。初産の平均年齢が三十歳を超えている中で非常に珍しいことだ。

 実年齢以上に若々しく、普通に並んで歩くと親子に間違われる。

 祖母と同い年の祖父も当然若い。まだ定年まで数年を残す現役世代だ。非常に夫婦仲がよろしく、そろって若く見えるのはそのおかげなのかもしれない。


「今日のごはんは?」

「ハンバーグ」

「ひかるのリクエスト?」

「そ」


 ひかるは一家のアイドルだ。

 ひかるの父、つまり響子の叔父は数年前に離婚して実家を頼った。カフェの店長という仕事柄休みが少なく、男手一つで育てるのは大変だったのだろう。幸い祖母は専業主婦だったので、預けるには都合が良かったのだとか。

 この家ではだいたいひかるを中心に、次いで祖母、そして歩という優先順位がある。「レディファーストだよ」と言った叔父を蹴飛ばした響子は悪くないはずだ。蹴飛ばした所為で結局順位は変動しなかったのだけれども。


「響子、お風呂掃除お願いしていい?」

「ん」

「あ、響子ちゃん、僕やるよ」

「いいわよ。ひかると遊んでて」


 手を上げた歩を制して、響子は二階の自室へ向かった。


「ごめんね、ひかるちゃん。お手伝いしてくるね」

「はぁい」


 その後を歩がぱたぱたと追いかけた。

 響子と歩の部屋は階段を挟んで向かい合っている。響子の隣は叔父とひかるの部屋だ。手早く着替えた響子は、階段を下りる前に歩の部屋の扉をノックした。


「あゆ、ついでに体操服――」


 ノックして、返事を待たずに扉を開けた響子の視界に、歩の白い肌が飛び込んできた。もしかしたら響子よりも細くて華奢かもしれない。


「きゃーっ!」


 咄嗟に胸を隠した歩が女の子のような悲鳴を上げた。


「きょ、響子ちゃん。ノックの意味がない!」

「ごめん。って、別にいいでしょ。あゆは男の子」

「よくないよ! し、下着替えてたらどうするの」

「そうね。その時はちゃんと下を隠してね」

「響子ちゃん!!」

「分かったってば。洗濯するから体操服出して」

「もう、びっくりした」


 胸元を隠したまま、歩は体操服の入った袋を響子に手渡した。


「今度からは僕が返事してから開けてね」

「大丈夫よ、あゆ。胸の大きさで人間は決まらないから」

「響子ちゃん!!」


 慰めのつもりが逆効果だったようだ。響子はそそくさと退散した。

 小さい頃からずっと一緒だった歩を異性として意識するのは難しい。もちろん自分で言った通り、歩は男の子だ。それはちゃんと分かっている。


(でも、あゆだもの)


 響子にとっては、それがすべてだ。

 階段を下り、洗濯機を回して風呂掃除に取り掛かる。泡を洗い流す際にうっかり自分も少しだけ水を浴びてしまった。脱衣所で濡れたシャツを脱いだところで着替えがないことに気づき、自分の部屋へ取りに行こうとして歩と鉢合わせた。


「きゃーっ!」


 今度も悲鳴を上げたのは歩だった。くるりと響子に背を向けて、両手で目まで塞ぐ念の入れようである。


「な、なななんて格好!!」

「何今更慌ててんのよ。見慣れてるでしょ?」


 濡れたシャツをもう一度着る気になれず、上半身は下着だけの状態だ。


「響子ちゃん、ちゃんと隠して!」

「ごめんってば。着替え忘れた」

「響子ちゃーん、気をつけてね。女の子なんだからね」

「分かってるわよ」


 女の子らしくしようと思っても、先に悲鳴を上げられたら逆に肝が据わるというものだ。


「僕、一応これでも男だよ」

「分かってる。でもあゆだもの」

「もう、響子ちゃんいっつもそれなんだから」


 だって、あゆだ。

 響子の幼馴染で、友人というよりも家族みたいなもの。

 たとえ()になったって、それが変わらない真実なのだ。


「ていうかあゆ遅い。もう掃除終わったよ」

「え、ごめんね。っていうか響子ちゃんが早いんだよ」

「洗濯機回してあるから」

「あ、じゃあ終わったら僕が干すね」


 響子はしばし歩の背中を見つめた。

 知らぬ間に少し広くなっている。なるほど、男の子だ――いや、男か。


「響子ちゃん?」

「なに?」

「なにって、あの、着替えないの?」

「そうね」


 響子は歩の背中に手を伸ばした。

 びくん、と歩の身体が揺れた。


「……響子ちゃん?」

「あゆは、男の子」

「う、うん?」


 肩幅は響子より広く、やわらかくもない。身長も抜かされた。

 着実に男になっているのか、歩は。


(なんだろう)


 寂しいような、なんとも言えない感情が沸く。

 変わらないものなどないのか。

 変わりたくないと思うのは、変えようとしないのは、我がままなのか。

 このままで、と望むことすら傲慢なのか。


「私は、女の子」

「……うん」


 男と女に、別れていく。

 違うものに、なっていく。


『響子ちゃーん……』

『あんたまた泣いてんの?』


 歩は引っ込み思案で泣き虫で、いつも響子にくっついていた。その手をずっと響子は引いてきた。

 そのままの関係性でずるずると高校生になってしまったけれど、いずれは違うものであることを受け入れなければならないのだろうか。そのいずれ(・・・)は、もしかしたらもうすぐそこに来ているのだろうか。否応なく変化する身体は、それを教えているのかもしれない。


「ねぇ、あゆ」

「なぁに」

「大人になるって、怖いね」

「……」


 歩の背中に自らの背中を預けて、響子は溜め息を吐いた。


 ――いつまで。


 いつ爆発するとも知れない時限爆弾を抱えて、今日爆発しなかったことを喜んで、明日爆発するかもしれないと怯えて。


「響子ちゃん」


 歩の手が、響子の手を掴んだ。


(やっぱり、私より大きい)


「ごめんね」

「……なんであゆが謝るの」

「男になって、ごめんね」

「あゆの所為じゃ、ないでしょ」


 謝るとしたら響子の方だ。

 響子の所為だ。

 響子が、歩を()にしたのだ。


「でも、それでも、僕は――私は、響子ちゃんと一緒にいたいよ」





 (あゆむ)はかつて(あゆみ)と呼ばれる少女だった。

 響子の後を雛鳥のようにくっついて回る、可憐な女の子だった。



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