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1イニングのエース  作者: 冬野俊
挑戦への第一歩
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夜空

「森国さん、ちょっと良いですか?」



その時、ちょうど二軍で調整中だった森国に声をかけたのは、隅田だった。

ファームのナイターの試合が終わり、グラウンドにはもう誰もいない。森国もまさに球場を出ようとしていたところだった。


「おお、隅田か?どうした?」


隅田は依然としてスパイクを履き、さらにはグラブを手に嵌めている。


「ちょっとだけ、付き合ってもらえませんか?」


その姿から森国は隅田の言わんとしていることが想像できた。



「はぁ?もしかしてお前、今から練習するのか?」


隅田は至って真面目な顔で「はい」と答える。


「だって、お前、球場の管理人もグラウンド整備してくれたしさ、俺たちが練習したら、さらに球場閉めるのを待ってもらわないといけないんだぞ?分かってるのか?」



隅田は森国に真っ直ぐ視線を向けたまま動かさない。


「どうしても…お願いします」



森国はそう訴える隅田の姿に、揺るぎない意志の強さを感じ取った。そして、頭を掻きながら渋々返答する。


「ああ!もう!分かったよ!ちょっとそこで待ってろ!」


森国は球場の管理事務所に行き、しばらくグラウンドを使用したいという事情を職員に伝えた。帰ろうとしていた職員だったが、その職員とは森国も顔馴染みだったため、快く使わせてもらえたのだった。


グラウンドに戻った森国。


「それで、何の練習をしたいんだ?」


「ノックを打ってもらえませんか?」


隅田は依然として笑わない。その表情は、まるで敗走し追い詰められた落ち武者のように、尋常ではないほどの悲壮感に溢れていた。森国は事情を知らなかったが、その裏で何かがあったことだけは理解した。


「ああ、分かった。お前の気がすむまでノックを打ってやる」




ショートのポジションに着いた隅田。森国は容赦無く、ノックの雨を降らせた。

五十本を過ぎた頃、隅田の足がもつれ、捕球前にバランスを崩した。倒れそうになったところにボールがイレギュラーし、みぞおちにボールが食い込んだ。


「がっ…はっ…!」


呼吸が一瞬止まり、恐ろしいほどの激痛が隅田の腹部を襲う。



「どうするー?もう止めるかー?」


森国の問いかけにも隅田は答えない。ただ立ち上がり、森国に目でノックを要求する。


「はぁ…もう、全然訳わかんねえけど、しょうがねえ。こうなったら、とことん付き合ってやるよ」



森国の顔からも穏やかさが消えた。



「おらぁ、覚悟しろよおぉ!」


森国のバットからはまさに弾丸と言っていいほどの強烈な打球が打ち放たれる。


三遊間に飛んだゴロに隅田は最短距離で向かい、懸命に飛びつく。


が、惜しくも届かない。


「おらあ!しっかり取らんかー!もう一本行くぞぉ!」


最早、内野ゴロではない。その打球はレフト前に鮮やかに抜けるヒットと思われるほど、完璧なコース、恐ろしい速さで打ち抜かれた。


隅田は再びダッシュでボールに向かうが、やはり届かなかった。



倒れ込んだまま、隅田は、何故か加奈子の事を考えていた。



隅田は言ってしまえば「華がない」選手だった。それに加え、人としても特別見た目が良いわけでもなく、気がきくタイプでもない。



「何故、加奈子は俺だったんだろう」



そう考えると、やり場のない情けなさが次々に隅田の心に押し寄せてきた。



こんな、「プロ野球選手をやめろ」とまで言われている選手の何処が良かったのだろう。

ずっと頑張ってきたつもりだったが、それでも全く芽が出ず、万年二軍の自分は加奈子にとって相応しい男だったのか。






だが、その答えはもう、二度と聞くことはできない。






「おらぁ、もう終わりかあ!立て!おらぁ!」


森国は容赦ない罵声を隅田に浴びせる。



隅田の顔面は涙と泥でグチャグチャになっていた。



隅田はゆっくりと両足に力を込める。「もう、加奈子に答えを聞くことはできない。でも、今から加奈子が誇りに思えるような選手に…必ず、なってやる」。そんな思いを抱きながら、隅田は再び立ち上がった。



ノックはその夜、果てしなく続いた。森国も隅田も、もう何本打ったか、何本捕ったか、覚えていないほどだった。


とうとう、隅田が疲れ果て、グラウンドにへたり込んだ。と同時に森国も地面に座り込み、こう告げた。



「隅田ー!これで終わりだと思うな!明日もやるからな!」



加奈子を失ってから悲しみに打ちひしがれていた隅田にとって、森国のその言葉が何よりの救いとなったのは言うまでもなかった。



隅田にとって新たな目標が出来たのだ。




「はいっ!俺は加奈子のために、すげえ選手になってやります!」


事情が分かっていない森国だったが、その言葉を聞いて何処と無く安心し、微笑んでいた。



グラウンドから見上げた夜空はいつになく、星が輝いて見えた。隅田は森国に向けてだけでなく、その中でも一際、強く光る頭上の星に向かい、そう誓ったのだった。

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