表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1イニングのエース  作者: 冬野俊
挑戦への第一歩
48/171

大切な人 2

病院に到着すると、加奈子の母親が待っていた。


「…隅田さん」



母親はたった一言、それだけを隅田に伝えたが、その震えた声で隅田は全てを理解した。


「加奈子さんは…どこに?」



加奈子の母親は口を開く事なく、おぼつかない足取りで歩き始める。



たどり着いた先は、手術室でも、集中治療室でもなく、霊安室だった。


横たわった加奈子の亡骸は所々、擦り傷が付いており、顔も最早、生きている時のような美しさはなかった。額には痣のようなものが残っており、右の側頭部が若干、変形しているように見えた。



ここまでの現実を目の当たりにしても、隅田にはまだこの状況が理解できなかった。



そうなると、言葉が出なくなる。悲しさも感じていない。あるのは「非現実感」だった。



加奈子が居なくなった。その事実は思考回路がきちんと受け止めている。それでも、自分の感情は何の起伏もなく、まるで他人事のように呆然と加奈子の姿をただ見つめていた。



加奈子の母親が当時の状況について聞いたことを語り出した。


「警察の方が言うには、加奈子は夕暮れ時に駅前の大通りを歩いていたそうです。そして、横断歩道を渡ろうとした時、その交差点で二台の車が衝突する事故が起きて、それに巻き込まれたんだそうです」



もしそれが本当であるなら、加奈子にまったく落ち度はない。





運が悪かった。





言ってしまえば、そう言うことだろう。


だが。



「お母さん、本当に申し訳ありません」



「どうして、隅田さんが謝るんですか?」




「もし、加奈子さんが私と知りあわなければ、こんな事故に遭うことはなかったでしょう。私が加奈子さんの運命を狂わせてしまったのかもしれない」




そう言うと、加奈子の母は何も言わなかった。

ただ、涙を流しながら加奈子の遺体に顔を埋めていた。




病院のロビーに戻ると、若い青年が立っていた。かと思うと次の瞬間、隅田と加奈子の母に向かって土下座した。


「本当に!本当に!申し訳ございません!」



隅田には、すぐに分かった。この青年が事故の当事者なのだと。



この時になって初めて、隅田に感情が溢れて来た。



それは「怒り」だった。



だが、隅田は怒れなかった。


加奈子の母親もまた怒らず、その場で泣き崩れた。



目の前の青年はずっと涙声で謝罪をし続けている。「すいません」「私の、私の不注意だったんです」と頭を下げたまま動かない。



何故隅田はその青年に向かって怒りをぶつけなかったのか、それは隅田自身にも分からなかった。ここで声を荒げたところで、加奈子はもう生き返らない、そう潜在意識の中で思っていたからかもしれない。



青年はその後、30分に渡って謝罪をしていたが、隅田と加奈子の母はその様子をじっと見守ることしかできなかった。



結局、青年は最後まで謝り続けたのだが、それを被害者の遺族から無言で見られていたというのは、青年からすれば何より辛いことだったかもしれない。まだ、怒りをぶつけられた方が良かっただろう。



隅田が「もう、いいですから」と告げると、青年はようやくフラフラっと立ち上がり、力ない様子で病院を後にした。




隅田が自宅に戻ったのは午前五時。

夜明けが迫った頃だった。



いつもと変わらない景色が、その日だけはモノクロームに見え、隅田の頭の中にあったのは、ただ空虚だけ。どんな風に帰ったのかも覚えていないほどだった。



ただ、自宅の鍵を開けた時、何故かしら実感が湧いて来た。



「もう、加奈子は、居ないのか」





玄関先に置かれていた写真立ての中で、笑顔を浮かべる隅田と加奈子。


その写真を見ながら、隅田はようやく加奈子の死を受け止めた。



二人で過ごした日々を思い返すと、隅田の目からは堰を切ったように涙がこぼれ落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ