背水
社長室の扉を開けると正面のソファに腰掛けていた熊谷がゆっくりと立ち上がった。もうすぐ還暦とは思えないほどにガッチリとした体格、白い顎髭を蓄えた精悍な顔つきには経営者としての風格が十分すぎるほどに漂っていた。
「森国くん、久しぶりだね」
熊谷の言葉に森国は「ご無沙汰しております」と答えながら頭を下げた。熊谷は脇のソファへ座るよう森国を手で促し、自身も再びソファへと腰を下ろす。
「熊谷社長、この度はお騒がせして申し訳ございません」
「いや、私は良いんだ。だがね、森国くん。状況はそう簡単ではないことも分かるね?」
「はい」
「レッドスターズは市民球団ではあるが、メインとして下支えをしているのはうちの会社だ。もちろん、チームが悪評に塗れればうちの会社にも少なからず影響が出るんだ」
「はい、重々承知しています」
熊谷はテーブルにあった葉巻を手に取り、それに火を点ける。
「そうか。では今日はそれを謝罪に来たということでいいのか?それであれば私も暇ではないんだ。わざわざ謝罪をされたところで問題が解決するわけでもない。これで切り上げたいんだが」
「はい、それが一つですが、もう一つお話ししたいことがあります。あともう少しだけお時間をください」
「回りくどいのは嫌いなんだ。さっさとそのもう一つを話してくれ」
森国はすっと立ち上がり、頭を下げながらある提案を口にした。
熊谷は真剣な表情で聞き入っていたが、森国が説明を終えると、天井を見上げながら思考を巡らすようにしばらくの間、動かなかった。
森国は頭を下げたまま、じっと熊谷の言葉を待っていたが、その時間が途方もなく長く感じたことだけは間違いなかった。
熊谷がようやく目線を森国に戻し、口を開く。
「本当に良いのか?」
「まだチームの誰にも話していませんが、この話を聞けば間違いなくチームは真っ二つに割れるでしょう。ですが、このままでは確実に目標には届きません。で、あれば背水の陣で行くしかないんです」
熊谷は森国の言葉を聞きながらまたも天井を見上げ、何かを考え始めたのだった。




