被安打
ベンチに帰ろうとした早稲田を、ブレイブスの四番である上宮が呼び止めた。
「何で打てんかった?あんな何でもないボール」
上宮に言われて早稲田は首をひねる。
「分からない。コースはど真ん中だった。でも、ミートがうまくいかなかった」
「ほんなアホなことあるかい。お前もプロやろ?情けない」
早稲田はそれ以上何も言わなかった。上宮はネクストバッタースサークルで、バットに滑り止めのスプレーを吹きかけ、意気揚々と打席に向かった。
ここまでの相沢の成績は5試合に登板して防御率0.00。それに加えて打者15人に対し、被安打はゼロ。プロの中にあって、ここまでの成績は相沢自身にとっても予想外だった。少なくとも1本くらいはヒットを浴びてもおかしくないと考えていたからである。
「ボチボチかな」
相沢はそう独り言を呟くと、上宮と向かい合った。
上宮はゆったりとしたフォームで相沢の投球を待つ。
相沢はノーワインドアップで投球モーションに入ると、滑らかなスリークォーターのフォームで一球目を投げ込んだ。
ボールは左打者の上宮のインコースギリギリに進む。上宮はそのボールに反応することなく、キャッチャーミットに入るまでじっくりと球筋を追った。
「何やねん。やっぱり普通の球やないか。早稲田は何しとんねん、まったく」
一方の相沢は淡々とした表情で、すぐさま2球目のモーションに入る。次もまた同じノーワインドアップからのスリークォーター。コースは外角低めだった。
「コースは際どいが、それだけや」
上宮が鋭くバットを振り抜くと、ボールは瞬時に左中間へと到達した。
相沢が今シーズン初の安打を許した瞬間だった。
神奈川ブレイブスのファンが一斉に歓声を上げる。
上宮は悠々と二塁に到達し、塁上でニヤリと笑った。その表情に気づいた相沢は無表情のままだ。
「俺にかかればこんなもんや。無表情でも俺には分かるで、ストレートを打たれてショックなんやろ?」と上宮は思っていた。
しかし、これもまた相沢の計算であることに上宮はおろか、神奈川ブレイブスベンチすら気づいてはいなかった。




