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最も善良な人間

作者: 八木 仁

 ここに私の善き友人を紹介したい。彼はごくありふれた人間である。しかし、ごくありふれているという点において、極めて稀な人物である。名前は伏せることにするが、その大まかなイメージだけは書いておこう。姓名ともによくあるものであるが、最も多いようなものではない。学級内に同じ名字の者がもう一人はいる程度の種類だ。名前についても同じである。字数は漢字で四文字、姓名それぞれ二文字ずつである。読みは六文字で、それぞれ三文字である。このバランスは重要なもので、これが少しでも違っているならば彼の人生は全く違ったものになっていたのかもしれない。標準的なものである、ということが彼そのものをよく表現しているのだ。

 彼はこれまた普通の家庭に生まれた。父は会社員で、母はパートをしながら彼と妹の育児に追われていた。両親どちらも善良な人物で、穏やかな家庭であった。経済的にはいわゆる中流家庭に属していた。そのため彼は何不自由なく育つことができたが、特別恵まれているという程でもなかった。玩具やテレビゲームなど、欲しいものは大抵買ってもらうことができたが、それ以上のものには縁のない生活だった。それゆえに、貧しい家の子供には羨望の目で見られていたが、裕福な子供にとってはせいぜい最低限の要求が満たされる程度のものであった。それでも彼は特に不満はなかった。逆にある程度手に入らないものがあるほうが丁度良いと感じていた。

 家族との仲は良好であった――この良好という言葉には時折癇癪を起こし、両親を困らせるという意味も含まれているのだが。あまりに大人しい子供は、あまりに手のかかる子供と同様に悪い兆候である。これもまた子供らしさというもので、それを見た両親もそれはそれで満足していた。妹も同様で、時折彼と喧嘩することもあったが、基本的には仲の良い関係だった。




 このようにして、中庸の徳を生まれ持ったかのような人物であったが、私が彼と初めて出会ったのは中学校へ入学したときだった。

 入学して最初の席で前の席に座っているのが彼であった。外見は標準的な体形に、丁度クラスの真ん中あたりの身長、髪型は刈り上げない程度の短髪であった。目や鼻なども特徴的な要素はなく、標準的な日本人のものとしか言いようがない。決して不細工ではないが、美男という程でもない。彼のこのスタイルは現在に至るまでほとんど変わらない。年齢により年相応の表情になっていくくらいである。私は最初の日に言葉を交わしただけで、彼に好印象を抱いた。それは私だけでなく、他の生徒も同じであった。彼の何がそんなにも人を引き付けるのかはわからないが、とにかく彼が善良な人間であるという印象を与えるのである。しかしまた、恐らくは同じ理由で、彼に対する若干の嫌悪感も存在していた。もっとも、それを含めても彼の善い部分が優位を占めていることは明らかなのである、いや、その嫌悪感もまた彼の善良さを引き立てていたのだろう。完全な善良さを持つ人間というものを想像してみよう。その言葉自体がどこか不愉快な、もしくは矛盾した印象を与えないだろうか。

 彼のその後の学校での立ち位置は何とも表現しがたいものであった。持ち前の善良さをもって目立つわけでもなく、かといって地味で影の薄い人物であるというわけでもない。少なくとも、目立たないことが理由で「いい人だった」と言われるような人物ではなかった。一度私はいたずらに彼を目立たせようと試みたことがある。あるとき学級委員を決める際に、委員長と副委員長を決める投票が行われたことがある。立候補者はいなかったため、任意の指名投票となった。私は友人と共謀し、彼が選ばれるよう仕組むこととした。それなりの人数に働きかけ、少なくとも副委員長にはなるであろうと思われた。しかし蓋をあけてみると、獲得した票数は第四位、あと一歩で届かなかったと呼べるほどでもない中途半端な位置であった。私はがっかりしたが、ある意味で彼の存在を象徴するような結果に愉快でなくもないものがあった。

 彼は小中学校を通して野球部に所属していた。なぜ野球なのか尋ねたことがあったが、何かスポーツをしなければいけないと思ったこと以外には特に理由はないらしい。思うに、日本人のスポーツといえばまず最初に出てくるのが野球であるわけで、彼は無意識のうちにこのなんとも日本人的なスポーツに魅せられたのだろう。彼は野球を観戦するのも好きであった。応援しているのは当然のごとく、かのビックチームであった。とはいえ、他のスポーツに興味がないわけではなく、例えばいつだったか、ワールドカップで日本が快進撃を見せた際には、彼は急にサッカーに熱中し始めたし、テニスやラグビーなどテレビで話題になればそれに熱中した。この熱しやすい性質は彼の欠点であるように私は思うのだが、もしそうでなければ彼の善良さに傷がつくということも確かである。それに皆と一緒に盛り上がらないことに対して、彼は負い目を感じてしまうだろう。

 それで当の野球の実力といえば、一応二年生の時からはレギュラー選手に選ばれていたが、特別優秀な選手というわけではなく、引退した三年生の順当な後釜という程度だった。もっとも、彼にとっては「自分も人並みにスポーツを行っている」という意識を持つことが何よりも重要だったのだろう、特に結果にこだわるような様子は一度も見たことがない。

 学力については上位二割程度の成績で落ち着いていた。これは彼の人間性を鑑みれば不当に高い水準であると思えないこともない。しかし、大多数の人間の性質を思えば、彼ほどの良識を持った人間はこのくらいの知性を持っていて当然ではないだろうか。だからといって、知的に卓越した人間というわけでもない。すべての科目をそれなりにこなすという程度で、これといった得意科目があるわけでもなかった――道徳においては彼よりも優秀な生徒など存在しなかったというのは事実であるが。学力が卓越しているということはそれだけで何かしら不道徳であるような印象を抱かせてしまう。それが一科目だけであっても同様で、危険極まりない。かといって、知性において劣っていることを見せつけてしまうのも危険である。善良な人間にはある程度の知性も必要に違いない。すべては程度の問題である……。ひょっとすると、彼はあえてこの成績を維持していたのかもしれない。彼ならばその気になれば最上位の結果を残すこともできた気もしなくもない。ただ、それには彼の良心が堪えられなかっただろう。その苦しみを味わうくらいであれば、多少人生の水準を下げることをも厭わない。

 高校もそれなりの進学校へ入学した。上位の進学校ではないが、それなりの実績を誇る、といったところだろう。そこでも彼は上位二割程度の成績を維持していた。この割合は彼の人生の縮図であるのかもしれない。彼の実力は、純粋な能力ではなく、人間的な比率によって厳密に規定されていると言っても過言ではないだろう。もっとも、この規定性が彼の卓越した能力であるのだが。そして言うまでもなく、高校でも変わりなく、それなりの生活を送って行ったのである。

 喧嘩であるとか、悪事というものは、奇妙なことにどこでも後々は讃美されるものであるが、多少の堕落を示すこともまた善良さの一つであるのだろう。彼にも当然ながらその手のエピソードが存在する。以下に紹介するのはその一つである。

 彼はときどき私にものを借りるが、それをときどき返さないことがあった。といっても、漫画本や文房具程度のもので、私も価値のあるようなものは貸さなかったし、彼も現金など借りることが負い目になるようなものは借りようとしなかった。それも数年に一度といった頻度であったため、このことによって彼に嫌悪感を抱くというわけでもない。しかし、偶然私の気が立っていた時期に、彼と言い争いになったことがあった。お互いに多少声を荒げ、罵り合っていた。その後一週間程度は口をきかなかったが、間もなくすべて元通りとなった。他にも彼は授業中に抜け出すなど、ちょっとした悪事を働くことがあったが、いずれもたいしたものではなく、それが却って彼の善良さを示しているようだった。模範的な学生ではなかったが、不良というわけでもないのであり、そのこと自体がここでもまた模範的なのである。

 また、彼は人並みに恋愛もこなしてきた。「学生時代に恋愛をしてこなかった」というのは永遠に消すことのできない負い目になる。生涯にわたる人格批判を引き起こす可能性さえある極めて危険な事態なのだ(この点は当然ながらテレビなどで厳重に警告がなされている。なんらの通知もなくこのような危険が存在するというのはあまりに不条理であろう。)。彼はこのことを誰よりも敏感に嗅ぎ付けていたのだろう。決して行き過ぎることはなかったが、彼は中高を通して二、三の交際を行ってきた。当然彼は恋愛話であるとか、性的な話題も得意であった。この手の下劣さは必要なものであろう。もっとも、彼はその点でも節度を弁えていたため、実践に移したのは大学生の頃であったようだ。「ようだ」というのは、私だって所詮は彼から聞いた程度の情報しか持たないわけで、この点はある種の自己申告制なのである。実際よりも話を軽くすることが道徳的なことであるならば、彼もそうしていたのかもしれない。




 日本の大学への進学率は丁度半分を超えるくらいであることを考えれば、彼の知能からみても彼が大学へ進むことも当然のことだろう。彼もついに実家を出て一人暮らしを始めた。もっとも、自宅から通えない距離でもなかったのであるが、経験を積みたいとかその類の理由で家を出ることにした。両親も          

その良識にかけて――そうすべきであると考えていたようで、問題なく話は進んだらしい。ここには私が思うところ、『男の道徳』なるものが存在するのであるが、彼もまたそれに従ったのだ、いつだって彼はそうだったのであるが。

 ここでは彼の善良さが一際目立っていたように思える。もちろん、この国の学生特有の堕落という視点によってでもある。彼は学業、サークル活動、アルバイトなどあらゆる活動に平均的に携わっていた。また、酒や女を覚えたのもこの頃であった。酒に至っては一年生の頃から飲んでいたのは善良さの至りとでも言うべきか、まあ標準的なものであろう。

 就職活動もそれなりに苦労した結果、中堅の企業に内定をもらった。勝ち組とまではいえないが、人生そのものはおおむね安泰であろう位置である。それでも十数社は応募し、徐々に焦りが見え始めた頃だった。彼には丁度良い規模の会社であったため、それ以上の活動は行わなかった。職種というものにはおそらくこだわりはなかったのだろう。それなりということが大切だったのだ。

 



 当然彼は善き労働者でもあった。どこの職場にも、そこ独特の道徳があるものであるが、彼はいち早くそれを理解し、その忠実さには定評があった。新入社員は有能でなければいけないが、またある種の無能ぶりも発揮しなければならない。全能なる後輩を愛することなどできはしないのだ。とはいえ、彼は基本的には仕事のよくできる男である。得意の礼儀作法も心得ている。その一方で細かい誤りを犯すことも忘れない。自分が劣っている様をも示すために。彼の代わりはいくらでもいた。代理が効く程度の仕事ぶりであったのか、その程度の仕事しか任されていなかったのかはわからないが、別に彼が何らかの事情で退職したとしても何も変わらなかったことだろう。ただ誰かが――おそらくは彼のような特性を持った人間――彼の代わりに座るだけだろう。彼は自分が代わりがいない、ユニークな人間であるということには耐えられないだろう。彼はその唯一性を憎むだろう。

 さて、彼の労働者としての生活の中で最も輝いていたのは酒の席であったに違いない。彼はあらゆるところに目を配る。周囲のグラスの減り具合、話し手を引き立てること、己の低劣さを示すこと(だが、示しすぎない程度に。)。彼はよく飲んだ――酔っている様を見せながら、だが彼の注意力と気遣いはそのままに。二次会、三次会、彼は際限なくついて行く。歌も得意だった。老若男女いずれにも抵抗のない選曲、それなりの歌唱力――しかし彼よりよい歌い手はいくらでもいるような。新しすぎず、古すぎもせず、激しすぎもせず、涙を誘いすぎるわけでもない、そんな音楽を彼はジャンル以前の好みで気に入っていた。もっとも、本当に気に入っていたのかはわからない――彼は音楽など特に興味もないのかもしれない、ただ当たり障りのない歌というのはこの国では善良な人間の要件でもあるというだけであると。

 



 三十歳を前に、彼から結婚の知らせが届いた。それまで彼の妻を見たのは数回だけだったが、彼と同様にいかにも善良そうな、ごく普通の日本人女性という風貌であった。なぜだか知らないが、友人代表のスピーチは私が行うことになった。確かに、私にとっても一番付き合いの長い友人は彼であったから、まんざらでもなかったのだが。それゆえに、文章も真剣に考えた。気の利いた一言であるとか、興味深いエピソードなどを考え出そうと必死になったのだが、どうも捗らない。彼について特筆すべき点が全く見当たらなかった。それで結局、なんとも平凡な友人代表スピーチになってしまったのだが、その無難さゆえに穏やかに終えることができたのは悪いことではなかった。その他のプログラムも標準的な形で終えた。




 その後、現在に至るまで波風たてぬ生活が続いている。子供を儲けるのも近いだろう。人数は二人程だろうか。きっと彼はその善良で幸福な人生を再生産するに違いない。これまで彼の先祖が繰り返してきたように。ここで示した他にも彼に関するエピソードは無数にあるのだが、もはや紹介するには及ばないだろう。いずれの場でも最も善良な選択をし続けていたとだけ言うならば。


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[良い点] 善良な人――それだけを描いているのに飽きさせない [一言] すっごくおもしろかったです
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