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川の対岸には

 しばらく進むと、かなりの川幅のある大きな川が見えてきた。その川幅たるやまるで巨大な湖だった。


「……ずいぶん広い川だねぇ」

 俺は感心して言った。レナはそう言った俺の顔を振り返って一瞥しただけで、特に何も言わなかった。でも、その表情から想像するに、全く死んでしまったというのにずいぶん能天気なやつだなと呆れているような様子でもあった。


 さらに進むと、これもかなり大きな船着き場のようなところがあり、そこには比較的大勢のひとが集まっていた。老人から子供まで様々な年格好をした人間が男女を問わず集まっていた。俺たちがやってくると、なかには振り返って俺の顔を見るものもいたが、特に話しかけてきたり、挨拶してくるようなものはいなかった。みんなどことなく落ち込んでいるような、暗い顔つきをしていた。まあ、それはそうだろうな、と、俺は納得した。きっとここに集まっている人間たちは俺と同じようについさっき、何らかの原因で死んでしまったものたちなのだろう。俺がそうであるように、まだまだ現世に思い残すことや、遣り残したことがあるのだろう。できれば再び現世戻って人生の続きをやりたいはずだと俺は同情を感じた。


 死者を観察していると、それぞれの死者には俺の場合と同じように、案内人のようなものがついているのがわかった。なぜそうとわかるかというと、死者に対して、死神(後にこの呼称が間違ったものであるということが、レナの説明を受けてわかることになるのだが)は非常にクールな表情を浮かべているからだ。死者は往々にしてこれからどうなるのだろう?といような心細そうな表情を浮かべているのに対して、彼等はどこふく風といった、というか、どちらかというと退屈そうな表情を浮かべていた。レナのようにみんなが西洋人の風貌しているわけではなく、アジア人風の顔立ちのものもいれば、黒人もいた。そしてみんなそれぞれ一様にレナと同じような、上品でフォーマルな装いをしていた。俺が死神にもユニフォームみたいなものがあるのかとレナに訊ねてみると、レナは特にそういったものはなく、それぞれ自分の好きな装いをしているだけだという答えが帰ってきた。ということは、今日ここにいる死神の服装の好みが、たまたまレナと一致していただけなのだろうか?


 死者と死神はついになって、船、というか、木材で作られたボートのようなものに乗るのを持っていた。結構な数の死者が待っているので、俺たちの順番が回ってくるのには時間がかかるかと思いきや、意外と早く、時間にして凡そ十分程で、俺たちの順番が回ってきた。


 船は近くで見ると、古めかしいデザインの、木材でてきたボートだった。古代ローマのガーレ船を小さくしたような。船は五六人ひとが乗るだけで精一杯で、その船にはひとりの死者と死神がセットに乗って乗船するシステムになっているようだった。俺はレナのあとに続いて船に乗り込んだ。船には船頭らしき、よくアジアなどで見かける、丸い形をした麦わら帽子のようなものを被った人間が乗り込んでいた。その帽子のせいで顔はよく見えなかったが、雰囲気としてはアジア人ふうの小柄な男性といった印象を受けた。


 俺たちが乗船するとすぐにボートは動き出した。船頭はオールのようなものを使ってこいでいたが、それにしては出るスピードがかなり早いように感じられた。俺たちの乗ったボートは音もなく滑るように対岸の川岸に向かって進んでいった。川の水は濃い青色をしていて、その底がどうなっているのはわからなかった。


「……あのさ」

 と、俺はレナの顔を見ると訊ねてみた。

「もし万が一なんだけど、このボートから川に落ちるようなことがあったらどうなるんだ?」


「やめておいた方がいいぞ」

 と、レナはあまり感情のこもらない声で言った。

「この川の下は下級霊が巣食う場所になっている。きみは死んでいるから死ぬようなことはもうないが、反面、ろくでもない想いをすることになるぞ。やつらは落ちてきたお前を楽しんで痛めつけるだろう」


 俺はそのレナの発言を聞いて、それまでなんとなく水面につけていた手の指先を慌ててもとに戻した。その瞬間、誰かが舌打ちするような音が聞こえたように思ったが、気のせいだったのかもしれない。


「……つまり、この川の下は、地獄になってるの?」

 俺はレナの顔を見つめると、恐る恐るといった口調で訊ねてみた。


「……地獄ではないが、まあ、地獄のような場所だ」

 俺の問いに、レナは曖昧な答えを返した。俺はレナの返答にいまひとつすっきりしないものを感じたが、何も聞かなかった。何となく詳細を聞くのが躊躇われたというのもあるし、この川の下がろくな場所ではないことがわかっただけでもう十分だと思ったというのもある。


 船頭は無言でオールを漕ぎ続けていた。やがて船が川の真ん中あたりまで来たときに、それまで靄のようなものに包まれていた判然としていなかった川の対岸がくっきりと見てとれるようになった。


 川の対岸には街が広がっていた。ゴシック建築風の、古いヨーロッパの街を想起させる建物が川岸には広がり、遠くには教会だろうか?壮麗な感じのする背の高い建物も見えた。俺は対岸に見える建物群を呆気にと取られたようにじっと見つめた。


「……あれがあの世の世界?」

 と、俺はレナに訊ねてみた。レナはいちいちうるさいやつだなというような迷惑そうな目で俺の顔を一瞥した。


「あれはあの世のではない」

 と、レナは簡潔に答えた。


「というと?」

 俺は説明を求めた。


 レナはくせなのか、また例によってその形の良い瞼を閉じると、

「あれはかりそめの場所だ。死者が死者であることを認識するまで……自分が死んでいることを受け入れるための準備期間として過ごす場所だ」

 と、レナは言った。


 それから閉じていた瞳を開いて俺の顔を見ると、

「そのために人間の世界に似せて街は作られている……実際の人間の世界に比べて街が古くさい印象を受けるのは、その方が荘厳な印象が出せるからだ。死後の世界の街が現代風の高層ビルが立ち並ぶような街並みであったら、余計に混乱するだろう」

 と、レナはそんなこともわからないのかといったふうな口ぶりで続けた。


「……そ、それもそうか……なるほど」

 俺は納得しながら、死後の世界を管理している神のような存在は、いちいちそんなことに気を回してくれるんだな、変なの、と、少し違和感を感じた。


「あと、あそこには死者の慣し期間とはべつの役割もある」

 と、少しの沈黙のあとで、レナは付け加えるように言った。俺は対岸の街の方に向けていた目をレナの顔に戻した。


「あそこに大きな教会のようなものがあるだろう?」

 レナが指差したのは、ゴシック建築風の壮麗な感じのする背の高い教会のような建物だった。


「あそこは……なんといったら良いのか……そうだな、きみたちの世界で言うところの、裁判所のような役割もあり……」


「えっ、もしかして、えんま大王様に舌を引っこ抜かれたりするの?」

 と、俺は怖くなって、レナの科白を遮るように言った。すると、レナは何を言っているんだ?こいつは?といったような呆れたような眼差しで俺の顔を見た。


「エンマダイオウ?そんなやつはいない。あそこには我々死者管理人の市庁舎になっていて、そこで我々がきみたち死者の人生の簡単な査定をするんだ。魂というものにはそれぞれにおいて学び、課題があり、訪れた魂がその生前の人生でどの程度その課題を達成できたのかをチェックするのだ。この達成度において、次に生まれ変わったときにどうするのか、あるいはそもそももう生まれ変わりをせずに、次の段階へ進むのか、それをある程度決めることになる」


「魂の学び?課題?」

 俺はレナの言ったことが理解できずに反芻した。レナは俺の顔を見ると、

「魂には……」

 と、俺の質問に答えようとしたが、途中で面倒に思ったのか、

「これは説明が長くなるからまたあとでゆっくり話す」

 と、彼女はお茶を濁した。


「えー。きにーなーるぅー」

 と、俺は戯けてレナに説明の催促をしたが、レナは無言でそれを却下した。


「……とにかく、あそこには死者が自分が死んでいることを受け入れるための準備期間を過ごすのとはべつに、事務的な手続きをするところでもあるのだ」

 と、レナはいくらかの沈黙のあとで、面倒そうにいくらか早口で教えてくれた。俺は事務手続きって?となんだか死後の世界というのもあまりに人間の世界と変わらないみたいなだなと違和感を覚えた。そして俺はそのことを発言しようとしたのだけれど、それは、

「もうすぐ着くぞ」

 と、というレナの発言に遮られてしまった。見てみると、なるほど、船着き場がもうすぐそこまで近づいていた。








 



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