表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

プロローグ

まだ試し書きの段階です。

         プロローグ



 恐らくほとんどの全てのひとが、死神と聞くと、条件反射的に、何か忌まわしい存在、たとえば、大きな鎌を持った、フードを被った骸骨の姿をした神をイメージするんじゃないだろうか?……まあ、正直、そう思われても仕方がない面はあると思うが、しかし、これからのイメージは間違っている。これらのイメージは、人間が死というものに対する恐れから生み出した、誤ったイメージ、誤解である。


 むしろ、実際は祝福された存在、天国への道案内人、背中に翼が生えた天使(というより、我々にはこれといった実体はなく、いかようにも、思いのままに姿形を変えることができるのだが)そういったイメージに近い。


 というか、人間は天使と死神を区別して考えているようだが、実際には天使と死神は同義である。果たしている役割は全く同じ、というより、そもそも死神も天使も実は存在しない。存在しているのは、ただ我々、死者を管理する者、という存在があるだけだ。


 そもそも……人間は何か大きな誤解をしているようだから、ここで声を大にして言いたいのだが……そもそも、死、は、恐れるべきものではない。むしろ、歓迎されるべきものだ。しかも、熱烈に。拍手とともに。それは何故かというと、死後の世界の方が、人間たちが暮らしている、人間たちが現世と呼んでいるこの世界よりも、数万倍、いや、数億倍も、美しくて楽しく、そして心安からな場所だからだ。そこへ行くことができるというのに、どうして、人間たちは、頑迷に、現世に固執するのか、俺にはわけがわからない。


 ……まあ、俺も、最初は人間だったから、そのことがわからなくて、死後の世界へ行く事を恐れたりしたものだが……しかし、まあ、それはともかく。だから、みなさんには安心して死んでもらいたいと思う。恐れる必要は何もない。むしろ、死がやってきてきたことを手放しで喜ぶべきだ。ラッキーだと思うべきだ。来るべきときが来て、やっと、あなたはこの現世という苦難に満ちた世界から解放されるのだから。


 多少話が前後するようだが、ここでひとつお断りをしておくと、先程も述べた通り、普段人間たちが暮らしている、この現世という世界は、基本的に修行、鍛錬の場所、苦難に満ちた世界である。こういう言い方をするとあるいはなかにはショックを受ける者もいるかしもれないが、人間、というか、その魂は、べつに幸せになるためにこの世界に生まれてきているわけではない。


 魂は、この現世という世界で様々な体験をし、その体験を通して成長するために、この世界に生まれてきている。だから、往々にしてこの世界において人々は、多くの悲しい出来事、苦しいこと、あるいは陰惨な出来事を経験する。もちろん、それだけが学びではないので、ときには喜ばしいこと、楽しいことも経験するが、しかし、俺がいちいちいうここで断りを入れるまでもなく、この世界の基本的な出来事は、上手くいかないこと、あるいは喪失の連続で成り立っている。そして死んではじめて、そういった苦しい世界から抜け出すことができるのだ。


 だから、死、は、恐怖ではなく、祝福なのだ。まあ、場合によっては、死ぬときに、ちょっとだけ、痛かったり、苦しかったりすることもあるかもしれないが、でも、まあ、それは一瞬のことだ。少しのあいだだけ、辛抱してもらえたらと思う。


 だが、ここでひとつ誤解しないでもらいたいのは、いくら死が祝福であるからといって、この世界で生きているのが辛いから、苦しいからといって、自らその命を断つことは許されないということだ。それは重大な違反となる。


 実は魂はこの世界に生まれて来る前に、あらかじめ神のような存在と対話してこの世界でどういったことを経験して何を学ぶのかといったことを決めてくる。そしてその学びのための必要最低限のルールとして、自殺はしてはならないという決まりがある。だから、これをしてしまうと重大な反則行為となり、その反則行為をしてしまうと、次に生まれ変わったとき、今世よりもよりもなお困難な環境でもう一度人生をやり直す事に成ってしまうのだ。つまり、同じような苦しみが、今よりももっと辛い状況でくり返されることになってしまう。


 さらに言いえば、多くの場合、自殺をすると、この現世に強い未練が残ってしまい、上手く死後の世界へ行けないことになる。


 するとどうなるのか?


 死後も霊体となっていつまでもこの現世を彷徨うことになってしまうのだ。ときには何百年も、あるいは悪くすると何千年も。たとえ上手く死後の世界へと行くことができたとしても、そこはある種の地獄となる。死後の世界は階層世界となっており、その魂の持っているエネルギーの高低によって行く世界も異なってくるのだが、自殺した死者の魂は特にそのエネルギーが低いので、最も低いエネルギーの魂が集まっている階層の世界へ行く事に成ってしまう。当然、その低いエネルギーの魂が集まっている世界が楽しいはずもなく、その世界で自分の過ち気がつき、自らの魂のエネルギーをあげることができなければ、また死後の世界でも苦しみが続くことになってしまう。


 と、このように自殺をすると、ろくなことにはならないので注意が必要だ。この世界が辛く、苦しいのは、俺にも理解できるが。だが、逆に言えば、自殺さえしなければオールオッケーだともいえる。たとえこの世界に生まれて来る前に決めてきた学びを達成することができなかったとしても、とりあえず自殺さえしなければ、死後、休息所のようなところで、次の生まれ変わりの時期がくるまで骨休みをすることができる。


 あと、もうひとつ付け加えておくと、一般の人間が抱いているイメージとは違って、べつに我々が死者となるべき人間を選別しているわけではない。先程も述べたように、魂があらかじめ自分の人生の大まかなシナリオのようなものを作っており、我々はその予定表に従って行動しているだけだ。死期が近づいている人間がいれば、その者の側に行き、やがてその者が死ぬと、声をかけ、その者が既に死者になっていることを気づかせる。それから、死後の世界へと案内する。それが我々の仕事、役割である。まあ、他にも雑務はあるのだが。


 と、ここまで長々と、いくぶん偉そうに述べたが、実は俺も死者管理人となってまだ日が浅い。というより、本来であれば俺も死後の世界でしばらくのあいだはゆっくりできるはずだったのだが、ちょっとした事情があって今この仕事を請負うことになった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ