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眠り姫

作者: 甲斐飛鳥

 ……懐かしい夢を見た。

碧い海など見当たらない。

潮の香りすらない、暗褐色の世界。

モノクロの無声映画を観ているような静けさの中で。

彼女は、いつも僕に笑いかけてくれた。

僕も彼女に答えようと声を発しようとした。

しかし、いくら口を開いても声が出ない。

自分でもわかっていたことなんだ。

何度、その名を叫ぼうとも―

彼女は、戻らない。


 夢で彼女の笑顔を見るたびに、泣いて目覚めた朝。

そして今日も僕は、『彼女』のいない日常を生きた。

また彼女と一緒に笑いあえる日がくるんだろうか。


 平日の朝、小河坂秀樹は靴を履いて、少しだけ急ぐような動作で立ち上がると、傍らに置いた学生鞄を取り上げて早足で家の玄関を出た。いつもと変わらない日常を送るために。

学校に着き、下駄箱を開くと上履きと一緒にかわいらしい封筒が置いてあった。差出人は不明だが表に『小河坂くんへ』というだけの文字が書いてあった。時間がないため、俺はその手紙をポケットにしまいこんで教室に急いだ。


 ホームルームの時刻が迫っているせいか、廊下に人影はまばらだった。

「おはよう、秀樹」

席に着くと、隣の席から長身大柄の翔太が微笑みながら挨拶してきた。

「……ああ、おはよう。翔太」

この同級生の久木翔太という男は、出会った当日に隣の席で馴れ馴れしく話しかけてきて、遠慮のない男だった。そのままなし崩し的に親しくつきあっている。

その後ろに、こちらはやや小柄な男。

妙に表情の乏しい眠たげな顔。秀樹と目が合うと挨拶代わりに軽く片手を挙げて見せる。

「やあ、西野」

「ん」

秀樹の返礼に、それだけ答える。西野雅幸は翔太と小学校中学校同じで、体格も性格も正反対に近いが、いつも一緒に通学してくる友人同士だ。

「……うわ! 秀樹、何それ」

そして一息ついた翔太が真っ先に反応したのは、秀樹のポケットからはみ出していた手紙だった。

「何で手紙? おまえ、どうしたんだ」

「ああ、これ。今朝、下駄箱に置いてあったやつだけど」

「おまえ、これってもしかしてラブレターじゃねえのか」

翔太のでかい声で無用な注目を周りから集める。

「翔太、声でかいよ」

「すまん、ラブレターなんて初めて見たからついってそんなことよりもお前、この中身読んだのかよ」

「いや、まだだけど。つーか、何でラブレターって決まってるわけ」

「そりゃ、お前、普通に考えて下駄箱の中にこんなかわいい封筒が入っていたんだからラブレターにきまってるだろ。それより中身、読んでみようぜ」

「やめなよ、翔太。失礼だよ」

横から西野が口出しをしてきた。そう言った西野も手紙に釘付けになっていた。

「ああ、わかったから読めばいいんだろ、読めば。翔太たちも読みたかったら読んでもいいよ」

そう言って、俺は封を切った。中にあったのは手紙だった。かわいらしい字でこう書いてあった


『小河坂秀樹くんへ

今日、大事なお話があるので

昼休みに屋上に来てください。

待っています。

   一年二組 橘麻衣』


ただ、それだけが手紙に書いてあった。最初に声を上げたのは翔太だった。

「これって告白のお誘いなんじゃねえのか。しかも差出人は橘麻衣かよ」

「橘麻衣って、誰」

「はぁ、お前知らねえのかよ。橘麻衣って言ったら、一年でも五本の指に入る美人じゃねぇか。お前も見ただろ、テニス部のかわいい子いたじゃん。あの子だよ」

「そういえば」

入学してから部活動見学という名目で、翔太がかわいい子を探すために無理やり連れさらわれたことがあった。そのときテニス部にすごい美人の女子がいたことを思い出した。

「くそー、よりにもよってなんで秀樹なんだよ。確かに顔はかっこいいし、性格も悪くないけど俺のほうが―」

ぼそりと西野が言った。

「小河坂がかっこいいこと認めちゃうんだ。翔太は友達思いだね。でも気をつけたほうがいいよ、小河坂。翔太、入学してすぐに橘さんに告って振られたから」

「お前、それは秘密だって。それより、俺は振られたけど別に気にしてなんかいない。あれは、試しに告白して、付き合えたらいいなーて思っただけなんだから」

「いや、翔太の告白は本気だ。そういうことにしておけ。そうすれば翔太がより救いようのない嫌な人物だということに……」

「いやいやいや、ちょっと待て!」 

始まった翔太と西野のやり取りに、秀樹は笑う。

いつもの馬鹿馬鹿しい会話に、秀樹は心が軽くなるのを感じた。


 それから昼休みになり、屋上へ向かった。そこには、一人の女子生徒がいた。

「あ……」

屋上の開放感に浸るまもなく、橘さんの姿を確認する。

「君が橘さんだよね」

「はい」   

よほど緊張しているのか、目を合わせようとしない。

体にもガチガチに力が入り、見ていて気の毒だった。

「それで、話って言うのは……」

「あのっ」

「あ、はい」

橘さんは、ギュッと両手を握り、声を振り絞る。

「あたし、小河坂くんのことが好きですっ。よかったら、お付き合いしていただけませんかっ」

「!?」

「入試のときに道に迷っていたあたしに声をかけてくれて教室まで連れて行ってくれたときから、ずっと好きだったんですっ」

そう言えば、入試のときそんなことがあったような気がする。

「でも小河坂くんモテそうだし、我慢しようと思ってたんですけど……」

「きちんと気持ちを伝えておかないと、後悔すると思ったのでっ」

「…………」

真っ直ぐな告白。

シンプルだからこそ、素直に彼女の思いを感じられた。

男だったら、普通はうれしい場面だ。

誰が相手でも、女性に告白されて悪い気はしない。

だけど今は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「……ありがとう」

一拍をおき、言葉を続ける。

「でも、ごめん。気持ちは嬉しいけど、橘さんとは付き合えない」

「!?」

彼女の思いに応え、僕も真っ直ぐな言葉を返した。

思わせぶりな態度は、かえって彼女を傷つけるだろうから。

「俺は、人と付き合う資格がないんだ」

「…………それって、どういう意味なんですか」

「そのままの意味だよ」

「そうですか……わかりました」

「本当にごめん」

彼女が泣くのを我慢しているのがわかり、意図的に言葉を短くする。

会話を長引かせるのはよくないと判断した。

「あの、呼び出してしまってすみませんでした。あたしの話はこれだけですのでっ……」

「あ……」

校舎の中へ駈けこんでいく橘さんを目で追い、その場に立ちつくした。

「…………」

この年になって恋愛に興味がわかないのは、僕の心がまだ彼女の元にあるということだろう。

でも、彼女を忘れるために誰かを好きになるなんて考えたくもなかった。

それでたとえ自分が楽になれたとしても、幸せになれないことは目に見えている。

風がいつもより冷たかった。

 

 教室に戻ると、翔太たちが待ち伏せていた。

「秀樹、どうだったんだ。告白されたのか」

翔太は、興味本位で俺に聞いてきた。

「まあ、一応されたけど、断ってきた」

「お前、マジでいってんのか。相手は学年でベスト三に入るぐらいの子なんだぞ。さてはお前、他に好きな子がいるのか」

「翔太、しつこいよ。小河坂、困ってるじゃん。翔太はもっとデリカシーを持ったほうがいいよ。ただでさえ、自分のことを振った女の子を友達が振るのはムカつくけど、小河坂にだって、それなりに考えた結果なんだからこれ以上責めるのはよくないよ」

「べ、別に俺はムカついてなんかいないぜ」

「…………」

明らかに翔太は動揺している。目がちゃんと前を見ていない。

「く、くそー。こうなりゃ、やけだ。秀樹、雅幸。これからゲーセンいくぞ」

「……逃げた」

西野が翔太にばれない小さな声で呟いた。


 それから、俺たちは二時間くらい学校のそばにある繁華街で遊び続けた。太陽が落ちて、辺りが暗くなり始めた。時間が時間なのでそろそろ切りあげることにした。

「じゃあな、秀樹、また明日な」

「また、明日」

電車が来たため、俺たちは、秀樹と別れた。俺と雅幸が駅のホーム駅で反対の電車を待つことにした。ふと、違和感を覚えた。

「そう言えば、秀樹は何で徒歩通学なのに電車で帰ったのかな。しかも秀樹んちとは逆の方向で」

「これから、どこかに行くのかも」

「いくってどこへ」

「…………」

「…………」

「俺らってさ、秀樹と結構一緒にいるけど、あいつの事全然知らないよな」

「小河坂はあまり自分を語らない」

「……なんていうか、秀樹っていまいち心が読めないよな。俺たちと一緒のときは明るくいるけど、時々、あいつが何を考えてるのかわからなくなるときがあるよ」

「小河坂は、過去にいろいろと複雑なことがあったらしいけど、僕たちからしてみれば、少しばかり、感情を表すのが苦手なだけの、気のいい奴だよ」


 翔太たちと別れてから俺は、ある場所に向かった。あの日以来、毎週かかすことのできない場所。

電車で隣町の駅で降りると、俺はバスに乗り、その場所に向かった。俺の降りた先は、病院だった。ここらで一番でかい病院でもある。病院内に入り、俺は、彼女の病室を目指した。彼女の病室は何回も行っているから迷う心配もない。病室のドアを開けた。しかし、中からは何にも返答が無かった。当たり前だ。彼女はあの日以来ずっと眠ったままなのだから。しかし、俺は彼女のベットの前に椅子を持ってきて彼女のすぐそばにきた。

「今日、学校である女子生徒に告白されたよ。彼女の告白は純粋で真っ直ぐな想いだった。でも断ったよ。純粋だからこそ、自分にふさわしくないと思ったから断ったよ。例え、付き合ったとしても、彼女を心の底から愛することができないだろうから」

「…………」

彼女の反応は、全く無かった。病室に響くのは彼女につながれている点滴の液が落ちる音だけだった。

「ごめん。辛気臭い話になっちゃって。今日はね、麗華のために、花を持ってきたよ。アネモネの花。麗華、この花大好きだったね」

俺は、花瓶にその花を飾った。

「確か、アネモネは赤、白、紫の三つの色で分かれていて、一つ一つの色に花言葉があるんだったよね。赤は『君を愛す』、白は『真実、真心』、そして紫は『あなたを信じて待つ』だったよね。まるで今の俺たちみたいだな」

「…………」

「なあ、目を覚ましてくれよ。そして、麗華の笑顔を俺に見せてくれよ。眠ってる顔なんて君らしくないよ」

いままで、ずっと貯め込んでいた想いが溢れだした。彼女が眠ってから毎日思っていた想いだ。


 俺は小学校の頃から、人と距離を置くようにして過ごしてきた。他人と仲良くするのがあんまり好きじゃない。めんどくさい。でも、本当に誰とも話さないと学校じゃリスクが高すぎるし、それに……悔しいけど息が詰まる。だから、俺は適当に、浅く、『トモダチ』を作ることにした。俺は、目立つことが嫌いだったため、すべてにおいて普通をキープすることが大事だった。

そんなある日、クラスに一人の転校生が来た。見た目は、清楚でおしとやかな彼女は、俺の席の隣だった。そのとき、彼女は「隣だね、よろしく」

と声をかけられた。彼女はそんな感じで隣近所に挨拶を交わす、一見社交的なヤツに見えたのだが実は違った。俺は、昔から、人の顔色ばかりうかがっていたから、その人がどんな性格で、どんなことを思っているのか察することができた。とにかく彼女は群れたがらなかった。特定の友達は作らない。クラスメイトとは普通に喋っているため気づきにくいのだが、一人でいる時の方がずっと感情を露わにしていた。誰かと一緒にいる時は完璧に感情を制御していた。自分と近いものを感じてしまったのだと思う。少しだけ嬉しかったのを覚えている。同時に羨ましかったのかも知れない


 二学期の半ば頃、同じ委員になったため話す機会が増えた。ある日、放課後の人気のない廊下を歩きながら、訊いてみた。

今にしてみれば、あまりに直球だったと思う。

―おまえさ、仲のいいと思っている奴、いないだろう。

一瞬だけ口が「な」の形になったのを見逃さなかった。続きは「なんでわかったの?」

だと思うのだが、驚いたような表情はすぐに隠れてしまい、

「だって、友達とか、あたしわかんないんだよね」

一種達観したような表情と、当然のように話す声。どちらも素直で、しかし他人である俺に向けられたものだった。

「ねえ、君には友達と言える人がいるのかな」

答えは否だ。たしかに友達はいる。しかしそれは、本当の意味で友達とは言えなかった。そもそも、自分でも友達というのは一体どこからがトモダチと言えるのかわからなかった。そんな中で自分は普通をキープすることから、自分の中で間違った境界線を作ってしまっていたという自覚はあった。

「俺にも友達というのがどこまでを定義するのかわからない。そういった意味で俺は友達がいないのかもしれない」

「あたしたち、似た者同士かもね。だったらさ、あたしたちで友達っていうのがいったいどういうものなのか探してみない」

「えっ、それってどういう……」

「要するに、あたしたちが友達になってトモダチについて考えてみようよ」

それから、俺たちは友達となった。


 私は父を早くに亡くし、母と二人で暮らしていた。母は元々体が弱く病気がちでいろいろな病院を転々としていた。そのため、学校でも友達を作る機会があまりなかった。そんなある日、母の病気が悪化したため、日本でも有数な病院に長期入院することになった。そのため初めて転校する必要のない学校生活を送ることができた。転校初日、いつもの癖か社交的な態度でふるまってしまった。それからというもの、ずっと維持していたものをいきなり変えることができず、何にも変わることが無い生活を送っていた。そんなある日、一人の生徒が私にこんな質問をしてきた。

「おまえさ、仲のいいと思っている奴、いないだろう」

その一言に私はドキッとした。そんな質問をしてきた彼は、私の席の隣にいる男の子だった。特に目立っているわけでもない子が唐突にあたしの正体を見破ったのだから。生まれて、初めて自分の本質を理解してくれたことがうれしかったと思う。しかし、今ばれていいのかと思った、あたしの日常が壊れてしまうのではないのだろうか。私は、彼を試すかのようにふるまいはじめた。

「だって、友達とか、あたしわかんないんだよね」

そして、こんな質問をしてみた。

「ねえ、君には友達と言える人がいるのかな」

普通誰だってこんな質問をされたら、真っ先に友達の名前を言うのだろうが、彼は違った。私の質問に対して、真剣に悩んで、返答を言ってきた。彼の答えから、私と彼は似ている部分があるのではないかと思った。そして、私は彼に興味を持ち始めた。それから、私たちは友達となった。


 それからというもの、俺たちは朝学校に来ては、世間話をして、友達として過ごしてきた。そんな俺たちを見て、クラスのみんなは、付き合っているのではないかと思って、冷やかす者たちがいた。しかし、俺は彼女をこれまで意識したことが無く普通に友達として付き合うつもりだった。しかし、心の底では彼女を一人の女性として意識し始めていたと思う。彼女への想いに気づいたのは中学生になりたての頃であった。

 中学生になりたてで、初々しかったころ彼女の母親が亡くなった。もとから、体があまり良くなく、病院で生活を送っていた母親については、知っていたけど、彼女にとっては、たった一人の親であったため、ショックが大きかった。それ以来彼女は学校に来なくなった。最初はショックが大きいため、学校に来ないだけかとおもったけど、彼女は一カ月以上も学校に来なかった。さすがの、俺も心配になったため、彼女の家にプリントを持っていくという名目で彼女の家を訪れた。

 彼女の家の前で、インターホンを鳴らしても返答が無かった。彼女はどこかに出かけているのだと思い、一応ドアを開けてみようとドアノブを回したら、ドアが開いた。彼女の様子が心配になり、家の中に入ったら、彼女はリビングの端にいた。ほっとしたが、それは一瞬の事。彼女の体はやせほつれていて、床には涙がこぼれた跡が見られた。しかも、彼女は俺が部屋に入ったことに気づいておらず、まるで魂が抜けたかのように、ぼーとしていた。こういった場合どういった対処をすればいいのかわからなかったけど、俺は彼女に話しかけようとした。

「久しぶりだね、小河坂」

声をかけてきたのは、彼女のほうだった。彼女は俺が入ってきたことに気づいてたらしい。あまり、彼女を刺激しないように彼女に合わせることにした。

「どうしてここに来たの」

「先生にプリントを届けてくれって頼まれたんだ」

「ふーん、私に会いに来てくれたんじゃないんだ」

悪戯っぽく彼女は質問してきた。

「もちろん、お前に会いたかったためにここに来たんんだ」

「ふふふ、久しぶりに小河坂の声を聞いたら元気が湧いてきたよ。ありがとう」

ふと彼女の言葉に違和感を感じた。言っていることはいつもと変わりはないけど、何かがおかしい。

「おい、お前本当に大丈夫なのか」

「え!? どうしてそんなこと想うの」

「おまえ、この前まで俺と対等に話していたけど、今のお前はずっと俺の顔を窺ってばかりだ」

彼女は一瞬俺から視線をそらしたが

「さすがに小河坂には敵わないね。今のあたし、結構参っているんだよ」

「…………」

「ちょっと、私の話に付き合ったくれる」

俺は了承した。

「お母さんが死んだと知ったとき、そこまでショックを受けなかったんだ。最近のお母さんは、毎日血を吐いていたし、医者からももう長くは無いって言われてたから、予想はしてたことなんだよね。でも、いざ死んでしまったら、結構ショックを受けたんだよ。私、昔から、お母さんのこと、あまり好きじゃなかったんだよね。病気がちでいつも遊んでくれないし、お母さんのせいで、いつも友達ができないと思ったんだよね。でも、小河坂に出会ったから、少しずつ見方が変わってきたんだよね。友達ができなかったのは、私が友達を作ることに意味がないと思っていたし、結構、昔は、毎日無理して私と遊んでくれていたことを思い出したんだよ。女一人で子供を養っていくことがどれだけ大変なことかもわかっちゃったんだよね。だから、私もこれからお母さんのために尽くしていこうと思った矢先に死んじゃったんだよね。そのとき、私はとても後悔したんだ。もっと、早くお母さんの事を理解してたならちゃんと親孝行できたのになって思っちゃったんだよ。でも、運命って残酷だよね。どう願っても、もと通りにはならないんだよね。失ったものは帰ってこないんだ」

いままでにない元気の無い様子で俺に話してくれた。

「俺もちょっといいか」

「うん」

「お前には、話したこと無かったんだけど、俺の両親は去年、交通事故で亡くなったんだよね」

「いつ? 去年、そんなことがあったふうには見えなかったけど」

さすがの彼女も驚いたらしい。

「夏ごろかな。俺、実は小河坂財閥の御曹司なんだよね。両親が亡くなった時も会社の事で頭がいっぱいで、葬式とか出ても、両親とじっくり対面することができなかったんだよね。けど後悔はしてないんだ。両親はいつも俺に経営学を教えたりして、親らしいことはしていなかったけど、いつも、俺の事を考えてくれて、少ない時間で親らしく俺にふるまってくれたんだ。

親父は、いつも言ってたんだ。『いいかい、秀樹。人間ていうのはいつ死ぬかわからない生き物だ。だからこそ、毎日の生活を大切にして、生きてほしい。例え、父さんや母さんが死んだとしても、後ろを振り向かないで、真っ直ぐ進んで生きなさい』と言っていたんだ。だから、俺は父さんの言った通り、前を向いて歩いているんだ。お前もどうだ。いつまでも縛られたまんまだと後悔するぞ。お前の母親もきっとお前にそれを望んでいると思うよ」

「……そうだね。小河坂の言う通りかも知れない」

そう言うと彼女は母の写真の前に行き、自分の想いを伝えた。「お母さん、見守っていてください。これからあなたの娘は、前を向いて後悔の少ない人生を送っていきたいと思います」

彼女の想いはきっと届いたであろう。ぼと、急に背後から何かが倒れた音が聞こえた。どうやら、安心したせいか、眠ってしまったのだろう。このままじゃ風邪を引くから、毛布をかけようとしたら、彼女の寝顔がすぐ前にあった。ドックン、ドックン、心臓が破裂しそうな勢いだった。彼女の寝顔はとても可愛く、意識してしまう自分がいた。このとき、初めて、自分が彼女に恋をしたことに気がついた。 

 次の日、彼女は一カ月前と何事も変わらない様子で登校してきた。そして、彼女は俺と目が合うと俺のそばに寄ってきた。

「ねえ、昨日私に毛布をかけたの小河坂だよね」

「そうだけど、それが何か」

「あー、昨日絶対にあたしの寝顔小河坂に見られたよ。まさかと思うけど小河坂、私にエッチなことなんてしてないでしょうね」

「す、するわけ無いだろうが」

昨日の彼女の寝顔を思い出すと、頬が赤くなってしまった。

「あー、顔が赤くなってる。絶対何かしたんでしょ、小河坂。金持ちだから、女の子の扱い知ってるみたいだし」

「金持ちだからって、女の子の扱いが上手だとか決めつけるなよ」

それから俺たちは先生が来るまでずっと言い続けた。

俺は、願った。

このままずっとこんな平穏な生活が続けばいいのに。しかし、現実はそう甘くはなかった。俺たちにとって一番の壁が立ちはだかる。


「なあ、秀樹。お前、今日、どうするの」

「どうするっていっても、今日、何かあるのか」

「何かあるかじゃねえよ、今日は、七月七日。七夕の日じゃん。七夕って言ったら、隣町でやるでっかい『七夕祭り』があるじゃねえか。お前、あの七夕祭りに行ったカップルは祭中、ずっと手を握っていれば、永遠の愛を手に入れられるっていうじゃねえか。知らねえのか」

ああ、知ってるよ。痛いほど知っているよ。当たり前だ。二年前、麗華と一緒に行ったんだから。

「ああ、祭のことね。俺は行かないよ」

「行かないっておまえ、好きな人いるんじゃねえのかよ。だから、橘さんも振ったんだろ」

「うわー、まだ根に持ってるよ」

「そういう翔太も行く人がいるのかよ」

「ああ、俺も雅幸も一緒に行く人は決まってるぜ。だから、秀樹も好きな子を誘って祭に行こうぜ」

「そうだな、俺もがんばってみるか。だから、お前たちも成功させろよ」

「任せとけ」

「うん」

二人とも、少し顔が火照っているが、気合は十分だった。友達として成功を祈っているよ。

しかし、俺は行くことが無いだろうし、行きたくもない。だって、あの日祭が終わった後、事件が起きたのだから。


 俺が朝登校すると、上履きの中に一枚の紙切れがあった。

『昼休みに屋上に来てください』という文章だった。この文面を見て何か引っかかる。一応、俺は、昼休みに行くことにした。教室に入り、席に着いた。違和感を覚えた。いつもなら真っ先に俺に話しかけてくるあいつがいないのだから。しかし、彼女はホームルーム直前に来て、俺に挨拶をして、席に着いた。ここから昼休みまではいつもと変わらない日だった。

 

 昼休みになり、俺は指定された屋上に向かった。そこにいたのは、フェンスから校庭を見つめていた麗華だった。辺りを見回しても誰もいない。まだ、来てないのだろうか。俺は、彼女の近くに寄って行った。ふと、足が止まった。何か引っかかる。何か大事なことを見逃しているような気がする。落ち着いて、今日、あったことを整理するんだ。そして、今日、ずっと感じていた違和感。それらを結ぶ答えは―

「よう、こんなところで何してるんだよ」

「小河坂こそ、何してるの」

「俺は、ある人物に呼ばれたんだ。そうだろ片瀬」

「…………」

「あの紙切れを置いたのは、片瀬なんだな。あの字には見覚えがあった。しかもいつも俺に話しかけてくるお前が、今日はほとんど話しかけてこなかった」

「やっぱり、小河坂は頭がいいね。そうだよ、それは私が書いたんだよ」

「それで、話って一体」

「私の話、聞いて」

「……ああ」

「前にも言ったと思うけど私は距離を置いて、いままで過ごしてきた。そんなのはただの演技に過ぎなかった。台本もちゃんとあって、私はそれをこなすだけでよかった。でも、一人だけこの演技が通じなかった相手がいた。そいつの前では、素直な自分でいられた。それと同時に焦りも感じた。いままで守ってきたものが壊れてしまうような気がした。でも、その人といると壊れてもいいじゃんって思い始めた。一緒にいて楽しい、ただそれだけでいいのではないかと思い始めた。その人は、友達だったけど、だんだん意識してしまう自分がいた。最初は、その人を見ているだけだった。それがだんだん、その人のしぐさのひとつひとつが気になった。そして、これが何なのかすぐにわかった。これは恋なのだと思う。いままで、恋なんてしたことが無かったけど女の子として、当たり前だと思い始めた。だから、今日決心したの。その子に自分の気持ちを素直につたえようと」

いきなり、よくわからないことを口にした彼女であったが、その想いには一切の曇りが無い純粋な言葉であったようにおぼえた。

「だから、言うね。その人物に宛てて。私は小河坂秀樹くんのことが好きです。私と付き合ってくれませんか」

彼女は俺に、手を差し伸べてきた。唐突な告白に困っている俺に対して。彼女は返答を待っている。俺もここで言うべきではないのか。自分の気持ちを。

「俺でいいのか?」

彼女はただうんと言うばかりの眼で俺を見つめていた。俺は彼女の手を取った。こういうときなんて言えばいいのかわからない俺に対して彼女は

「はははは、ああ緊張した。こういったことするの初めてだから朝からずっと緊張してたんだよね」

緊張の糸が取れたのだろうか、彼女はいきなり愚痴を言い始めた。

「ああ、すっきりした。これで、私たちも晴れてカップルっていうわけだよ」

「でもさ、恋人っていってもいままでとそんな大差ないだろう。しかも俺、恋人ってどんなことすればいいのか分かんないんだけど」

「じゃあさ、早速だけど今日、一緒に祭に行かない」

「祭?」

「知らないの、今日は七月七日、七夕の日だよ。七夕って言ったら、隣町でやるでっかい『七夕祭り』があるんだよ。今日は、そこに行こうって言ってるの」

「ああ、別にいいけど」

「なんか、行く気が感じられないな。じゃあ、五時に駅前集合だから、遅れないできてよね」

そういって、俺たちは別れた。

放課後、ほとんどの生徒が七夕祭りについてうわさしている。しかし、妙に引っかかる。たかが祭だろ、何でこんなに盛り上がっているのか。俺は席が近い男子生徒に聞いてみた。どうやら、その七夕祭りに行ったカップルは祭中、ずっと手を握っていれば、永遠の愛を手に入れられるっていわれているらしい。だから、こんなに賑わっているのか。

 

 それから、家に帰り、準備をして待ち合わせ場所へと向かった。一応、彼氏は彼女を待たせるべきではないことを知っていたから、三〇分前に到着した。

「少し、早すぎたかな」

まあ、早いに越したことはないだろうから、俺は待つことにした。それから、間もなくして、誰かが俺の目を覆い、目隠しをしてきた。

「だーれだ?」

この声の持ち主はすぐに分かった。

「片瀬だろ」

しかし、その手は離れることはなかった。しかもさっきより力が強くなっている気がした。間違えたのかな。もう一回その人はさっきと、おんなじことを言った。やはり、片瀬だ。しかし、何を彼女が望んでいるのかわからなかった。考えろ。考えろ。こういう場合、どういった行動をとるべきなのか考えた。もう一回その人はさっきと、おんなじことを言った。

「だーれだ?」

「……麗華」

そうだ。こういった場合、下の名前で呼ばれるほうが好きなはず。

「当ったり。まったく、やっとだよ。相変わらず秀樹は鈍いね」

どうやら麗華が下の名前で呼ぶのは暗黙の了解らしい。

「まったく、いたずらにもほどがある……」

俺は、言葉が止まってしまった。なぜなら、浴衣姿の麗華があまりにも綺麗すぎたからだ。

「どう、似合ってる」

「ああ、すごく綺麗だよ、麗華」

そのあと俺らは、あとに続く言葉が見当たらなかった。気まずい。こういうときは、確か彼氏がリードするべきなんだよな。

「じゃあ、行こっか」

俺は彼女の答えを待たずに手をつないで、現地に向かった。今日はたまたま運よく、近くで花火が上がっているらしい。


 さすがにこの時間でも祭は混んでいた。八割がたはカップルでいっぱいだった。祭というのは幼稚園のとき以来なのでとても懐かしく感じた。

「俺、祭とかあんまり行ったことないから、何がおもしろいのかわからないからリードしてくれるか」

「いいよ。じゃ、最初はあっち行こう。俺は麗華に誘導されるままについていき、金魚すくいや綿あめ、射的などといった遊びを楽しんでいた。その間一度も手を離すことはなかった。

神社に向かう途中、アクセサリーを売っている店があった。

「ちょっと、寄って行こう」

その店には、さまざまな宝石類が置いてあった。その中でも麗華が手に取ったのは、ハート形の銀色の指輪だった。

「それ、欲しいのか」

彼女の反応は無かった。どうやら、欲しいけど、高くて買うことができないようなものだった。

「おじさーん、これひとつ下さい」

「え!? いいよ別に、買わなくても」

「これは、俺からのプレゼントだ。気にするな」

俺は金額を払い、彼女にプレゼントした。とてもうれしそうな素振りを見せて、その指輪を左手の薬指にはめた。

「あ、ありがとう」

その後、俺たちは神社でお参りを済まして、祭をあとにした。

祭中、俺たちの手はずっと握られたままだった

あのとき、俺たちは、永遠の愛を願っていたが、そう甘くは無かった。これから、起きる悲劇を知らずに。


 帰り道。

「今日はとっても楽しかったね。ありがとう秀樹」

「俺も久しぶりに楽しめた気がする」

「また、来年も来ようね」

俺たちは、それから今日の祭の事などの感想を言っていった。

「信号、青になったから、渡ろうぜ」

俺は交差点を渡っていた途中

「あ!?」

麗華は下駄の紐が取れたらしく座り込んでしまった。危ないから裸足で渡ろうとした矢先だった。一台の車が交差点に突っ込んできたのだ。しかも麗華は気づいていない今叫んだところでアウトだ。せっかく大事なものができたのに失いたくは無かった。俺は、最後の力を振り絞って麗華を車上に放り投げた。麗華自身何があったのか分かっていない様子だ。俺もこのまま渡れば、大丈夫なはずだった。俺の横を猫が飛び出してきたのだった。そのため対向車線の車が急ブレーキをかけ、横転した。俺に逃げ場はなくなった。その横転した車に巻き込まれるかのようにして俺は吹っ飛んだ。

「きゃっーーーーーーーーーー」

最後に聞こえたのは、麗華の悲鳴の声だった。



 それから、何日後かわからないが俺は目を覚ました。俺は、あのあと重症な状態で病院に運ばれ、手術をして良くなった。医者が言うには、命を取り留めたのは、奇跡だと言われた。

しかし、俺は目覚めたから良かったものの、麗華は目覚めることは無かった。医者が言うには傷はそんなにひどくなかったものの、俺が血まみれになったということから、気絶をしたらしい。どうやら麗華は、俺が死んだと思っているため、目を開けて過酷な現実から目を背けるかのようにして安らかに眠っている。あの事故での負傷者は俺たちだけだったみたいだが、突っ込んできた運転手は居眠り運転をしていて、罪は重いということだ。しかし、そんなことどうでもよかった。俺はただ、また麗華と楽しい毎日を送ることができればよかったのだ。


 あれから、二年。あの事故があった日からちょうど二年経った。

今日もこの町で七夕祭りが行われている。この病院は神社から近いため、祭の音がとても響きわたっている。

「麗華、聞こえるか。あれから、二年もたったんだ。俺の傷も完治して、前見たく過ごすことができるようになったんだ。後はお前だけなんだよ、麗華。いい加減、目を覚ましてくれよ。また、一緒に花火を見ようよ」

俺はずっと、麗華の手を握り締めた。それと同時に俺の眼から涙がこぼれおちる。

「うっ」

どこからか声が聞こえた。その声と同時に麗華の手が動いた。

「麗華、おいっ、麗華」

俺の声が聞こえたのか麗華は手を握り返して、ゆっくりと目を開けた。

「麗華、俺の声が聞こえるか」

「ひ…で…き」

「そうだ、秀樹だよ。俺は大丈夫だから、目を覚ませよ、麗華」

「秀樹、無事だったのね。よかった」

「ちょっと、待ってろ。今、先生を呼んでくるから」

そういって、俺は先生を連れてきた。実際は、麗華に涙を見られたくなかったである。

それから先生が来て、軽い診察を始めた。どうやら麗華自身二年の歳月がたってしまったことにたいしても、ショックはそんなになく、現実を受け入れている。彼女が目を覚ましてから、二週間。俺は、毎日、彼女の顔を見に行っている。医者ももう退院は大丈夫だっと言っていたが、麗華は身寄りがいなく、一人で暮らしていくことは、大変だという。

「なあ、麗華。俺んちで一緒に住まないか」

「え!?」

「医者も一人で暮らすのは大変だって言ってたし、俺も少しでもいいから麗華の力になりたいんだ」

俺の真っ直ぐな想いを受け止めてもらいたいんだ。

「わかったよ。どうせ住んでいたうちは契約破棄されてると思うから別にいいよ」

「まだ、お前のうちは大丈夫だぞ。一応、俺が金を振り込んでおいたし、麗華が戻ってきたときのために掃除もちゃんとしてある」

「そんなの、悪いよ」

「気にすんな。俺は御曹司だぜ」

「そうだったね。でも、少しの間だけ秀樹んちでお世話になるよ」

「そうか。わかった」

「ねえ、退院祝いに私のお願い聞いてくれる」

「まだ、お願いがあるのかよ」

「いいじゃん、別に。これが最後だから」

「しょうがないな。で、お願いってなんだ」

「キスしよう」

彼女の大胆な発言に俺は困惑した。

「いいのか」

「うん」

俺は彼女との距離をゼロにまで詰める。そして、彼女の唇にキスを交わす。


  ―俺達は、ここから、新たな生活を歩き始めた

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。良い話をありがとうございます。
2014/10/14 00:55 退会済み
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