四話 大学生の生活
僕は、深い深い水の中を沈む
天に淡く架かった光は僕の記憶を照らす
一つは明るいし、もう一つは暗い
輝かしく、甘酸っぱいそんな思い出
でも、沈むたびに光は弱くなっていく
後に残るのは痛ましく、暗い思い出ばかり
でもなんでだろう
そんな記憶の方が脳裏にこびりついて、離れない
僕はもう呪われてしまったのかもしれない
後悔という鎖に
………
……
…
(PPPPPP…)
朝8時ちょうど、頭元にあった携帯のアラームがけたたましく鳴り響く
「ちっ…うるさいな…」
今日は一段と頭が重い
こんなことはいつものことなんだろうが、最近は特に甚だしい
それは、『あの季節』に近づいているからかもしれない
もう忘れたと思っていることでも、深層心理の中では気にしているらしい
本当に、迷惑なことだ
カーテンを開ける
「くそ…」
呆れるくらいに眩しい
残冬も終わり、雪が完全に溶けきった景色は、漸く春の訪れを感じさせる
(ピローン♪)
「ん?」
そんな取り留めの無いことを考えてる内に、携帯の通知が鳴った
『おはようございます、小磯くん。こちらは快晴です。そちらの様子は如何でしょうか?4月から段々と雪が溶け始め、春の陽光を見せ始める頃だと思われます。こう云う季節の変わり目こそ病に罹りやすいと言いますから、お体にはどうぞ気をつけるよう…』
「…律儀だな」
携帯の通知には、そんな長ったらしくも上品な文面が綴られていた
いつも調子が悪く、寝覚めも悪い俺だが、こういうのを見てると目も醒めるというものだ
しかし…こう毎日朝に連絡されると、どう文面を返していいか分からなくなる
『おはよう。いつも言ってるけどそんな畏まった連絡なんてしなくていいんだぞ』
『むしろ、そっちが大変だろう。貴重な朝に俺なんかに時間を使わなくていいんだ』
「よし…」
さっさと身支度をして大学に行かなければ
(ピローン♪)
「返信が早いな…」
ベットからいざ立ちあがろうとしたその刹那、また「彼女」から返信が返ってくる
『お気遣いありがとうございます。しかし、安心なさってください。こちらが好きでやっていることなので』
『それに、本当に困るのは貴方の方では…?』
『朝に弱いではないですか。私が居なければ、学校にも遅刻してしまいますよ?』
「まいった…」
大した自信だが、全くその通りだった
直近9年近く、「彼女」とのやり取りはもはや日常茶飯事だった
「彼女が居ないと生きていけない」なんて、そんなことを言うつもりは無いが、事実そうなっているために反論のしようが無かった
「仕方ない…か」
『まいった、全くその通りだ』
『でも、飽きたら辞めてもいいんだからな』
そうメールを返して、携帯の充電を落とした
これ以上彼女とやり取りを続けると、何か…不用意なことを言ってしまう気がした
………
……
…
身支度と言っても至ってシンプルだ
髪型にも、服装にも気を遣っているわけでは無いので5分ほどで完了した
それに食事も牛乳とシリアルだ
俺が実家に住んでいた時は、朝早い母親の事を色々考えていろんな献立を組んでみたものだが、独り暮らしを初めてみると、どうも無頓着になってしまう
まあ仕方のない事だろう
別に、俺は料理とか家事が好きという訳では無かったし、母親もそれなりにいい加減な人間だった
今思うと、実家で曲がりなりにも家事を続けられた理由は、「朝食の時間」と言うものが、父親を介さない母親と俺の数少ないコミュニケーション手段だったのではないかと取り留めもなく考えるくらいだ
冷蔵庫から手早く目当てのものを見つけると、適当な器に注ぐ
「…いただきます」
(ピンポーン♪)
「…間が悪い」
まあどうせ新聞とか宗教勧誘か何かだろう
放っておけばいつか…
(ピンポーン♪)
ああ、無視無視
………
……
…
数十秒くらい経っただろうか
あんなに頻繁に鳴っていたチャイムが鳴らなくなる
よし、これで安心して飯が…
(ドンドンドン!}
「…」
今度は玄関ドアを執拗に叩いてくる
堪忍出来なくなったとはこの事だろうか
もうなりふり構ってない様子だ
「…!…ッ!!」
耳を澄ますと、叫び声なのか怒鳴り声なのか、はたまたその両方なのか、そんな大声が聞こえてくる
「ねエッ…!!開けてよー!」
そこで漸く、玄関の向こう側の正体が分かった
………
……
…
「もう…!ひどい!大和!」
「実の友達が来てるってのに無視するだもん」
「ごめんって若木… まさかお前が来るなんて思わなかったんだ」
俺の部屋であぐらを掻き、ソッポを向いている
そんな女っ気のかけらもない彼女の名前は、若木唯
大学入学当時ひょんなことから仲良くなった、いわば悪友みたいな存在だった
今や、お互いの家に出入りするほど仲が良くなり、こんなふうに突然訪問することも珍しくない
「いーや、私は騙されないからね!私、ちゃんと電話したもん!」
「電話?」
「そう!大和がいつまで経っても玄関を開けないから電話したのに、全然出ないんだもん!」
「ああ…」
ベットに放り投げてあった携帯を取り出し、電源を点けて見せる
そんな光景を見て、若木は目を丸くする
「大和、スマホの電源消していつも寝てるの?」
「いや、そんなことはないけど…」
まさか、特定の人物とメールのやりとりをしたくないから無理矢理電源消したなんて言えない…
「貸してみっ」
「うわ、ちょっと」
無理矢理携帯を奪われる
「確か通知のところに…ん?」
「『いつか、気が向いたら辞めますよ』…?」
「あ、この子女の子とやりとりしてる」
「くっ、返せ!」
たまらず奪い取る
「へえ…ふーん…」
しかし、若木はこれで満足してくれないらしい
腹立たしいほどに口角を釣り上げでこっちを見てくる
「大和、女の子なんて興味ありませんみたいな顔してるくせに、なかなか隅に置けないじゃんね」
「もしかして、付き合ってる?」
「中学生かお前は」
「普通に腐れ縁だよ。ただメールのやりとりが長く続いてるだけだ」
「…まあ、そう言うことにしてあげる」
若木は終始ニマニマしたままだった
「て、て言うか、なんでこんな朝っぱらから若木が居るんだよ」
「えー約束したじゃん。今日の授業出席点があるから一緒に行こうって」
「いや、俺からは一言も言って無いぞ。若木が勝手に言い出しただろ」
「…じゃあ、一緒に行かない?」
「…」
…その上目遣いは反則だろう
正直、若木唯という女性は客観的に見ても非常に容姿に優れている
昔バレー部か何かに入っていたからなのか、服越しからでも分かる引き締まった体つき
一見粗雑そうに見える短い髪も、よく見ればしっかりと手入れされており、快活な印象をより一層引き立てている
「ここまで来てくれたんだ。行くしか無いだろ」
「やった、素直じゃ無いね。大和は」
「素直じゃ無い…か」
その言葉を言われるのは、いつぶりだろうか
………
……
…
手早く身支度を済ませると、若木の生暖かい視線から避けるように家から飛び出す
…まあ、若木も同じ学校だから意味が無いのだけど
部屋にいるより多少冷たい空気にあたったほうが何倍もマシだ
「ねえ知ってる?」
若木と一緒に大学のキャンパスに向かう道すがら、彼女がいきなり呟く
「あん?」
「駅にあった大型のモール、潰れるらしいよ」
「…まじか。ちょっと悲しくなるな」
「そうだよね。覚えてる?去年あたりに、そこのモールで『ラーメン共和国』の食い倒れ競争したよね」
「うわ、懐かしいな」
「あと、メダルゲーム一万枚稼ぐまで帰れまてん!とか」
「やったわー」
「というか、つくづく俺達はバカなことしかしてないな」
「へへへ…そうだね」
「でも、私は楽しいよ。今はほら…就活とかで中々時間が取れないけど、また時間があったら遊ぼうよ」
「なんなら社会人とかでも出来るしな」
「確かに!」
そんな会話をしていると、ふと考える
「そう言えば、潰れたモールの後は何が経つんだ?」
「んー…私も詳しくは知らないけど、新しいテナントが入ったり一部の建物は取り壊されて新しいのが経つって」
「そうか…この街も、騒がしくなるな」
「さわがしく…?どう言うこと?」
「いや、なんでもない」
………
……
…
「みんな、おはよー」
教室に入るや否や、若木は一組の男女に話しかける
「おはー」
「おはよー」
二人は、俺達の様子を見るや否や…
「「…」」
「え、なに」
なんだか、若木と俺に残念なものを見るような視線を向けている
思わず呟く
「大和、挨拶してないでしょ。親しき中にも礼儀ありだよ」
そう言って頭をポンポンと撫でてくる
背伸びして、ちょっと愛らしいと思ったのは内緒だ
「お前は俺のお母さんか何かか」
「そう。それ!まーた、夫婦漫才してるよ」
一人がそう叫ぶ
「ねぇ?西川くん?」
「お前ら、飽きないものだ…」
西川が呆れた声を出す
「ふ、夫婦漫才だなんて…そもそも私達付き合ってないし…」
さっきの勢いはどこに行ったのか、若木は顔を赤くしてモジモジし始める
そういう態度を取るから勘違いされるんだぞ…
「そう!むしろ付き合ってないってのがヤマシイ関係を想像しちゃうの」
「そんなに仲良いのに付き合ってないだなんておかしいよ。むしろ、違う『フレンド』を想像しちゃうな」
「ふ、フレンド?」
意外と純情な若木にそんなネタを…
「そこら辺でやめてやれ、岡宮。若木はこう見えて意外と純情なんだ」
「はぁい…小磯くんが言うんじゃそうなんだろうね」
この教室の端を占拠して、仲睦まじいこの2人の男女はそれぞれ西川颯、岡宮琳という
若木程ではないが、どちらも大学からの腐れ縁だった
「というか、お前らはどうなんだ」
「若木と俺はまあ疑われるのはしょうがないとしても、西川と岡宮も傍から見たら相当怪しいぞ」
「いやいや!西川くんとはそんな感じじゃないし」
「そうだ、大和。岡宮とはそういう関係じゃない。そもそも岡宮は…」
「わーわーわー、聞こえないー!」
岡宮が西川の口を無理やり手で塞ぐ
…やっぱり仲がいいのではないだろうか
「ねぇねぇ…大和」
そんなことをぼうっと思っていると、服の袖をくいくいと掴まれる
「ん?」
「『フレンド』って何?」
「ぐはぁ…!」
「私達って『フレンド(友達)』だよね?大和って私とそういう関係じゃないの…?」
寂しそうに下を俯く
その仕草こそは随分かわらしいが…その発言は今、語弊を招く!
「え?やっぱりそうだったの!?」
「西川、岡宮をシャラップさせろ」
「了解」
「もごむご~(けったいなぁ~)」




