軍人の会話
セシリアが伯爵邸でロゼッタに 憧れの人との出来事を正しく伝えていた頃、その憧れの人の元へは、伯爵邸の主人が訪れていた。
「クレイモント大公令嬢の尻を触ったって!?」
かつて戦場では厳しい顔しか見せなかった上官は、破顔して大爆笑した。
「大声を上げないで下さいよ、中佐。オレは詳しくありませんが、こう言うのが噂になれば、貴族間では決闘だのなんだのにもなり得るんでしょう?
オレが世の中からどれくらい貴族に見られているかは知りませんが、そんなことになったら酷く面倒になる」
ラトリッジ伯爵は笑うのをやめ、腕を組んでアレックスに真顔でうなずいた。
「お前なら銃どころか、ナイフでも、弓でも、どこの誰が来ても勝てるだろうからな。クレイモント大公は代役も立てれない」
アレックスはため息をついた。
「あなたは血に飢えてて楽しいのかもしれませんが、オレは穏便に済ませたいんです。あんなことは、多分ご令嬢の方だってそうでしょう。死ぬほど怒ってオレを処刑したいと憎んででもいなければ。
……嫌われて飛んで逃げては行きましたが、そこまでの怨念は感じませんでした。————殺気も」
「だろうな。セシリア・マースデンは質の良いお嬢様だよ。妹達と知り合いなんだ。2番目のロゼッタとはとても仲が良かった。
もしお前が伯爵位以上なら、すぐに勧めてたかもしれないな。良縁を逃さずこの機会に責任を取ってしまえ……と」
ラトリッジ伯爵の発言に、アレックスは露骨に嫌な顔をして見せた。それを見ながら、伯爵は続けた。
「安心しろ、そうは言わないし ならんよ、絶対に。
相手は落ちぶれて称号だけにすがる貴族令嬢レベルじゃない、今尚我が国を支えるほどの収益を生み出す、広大肥沃なクレイモント領のお姫様なんだ。
実際、セシリアにはデイル侯爵との婚約が囁かれてはいるものの、ヘラルド王太子も目をつけられていると言う話だ。彼女はどこでも王妃になるだろう。
お前ではクレイモント大公は首を縦に振らない。死んでもな」
話の途中から、アレックスは工具の片付け作業を再開していた。興味のない世界の話だとでも言うように。
それをまた気にもせずに、ラトリッジ伯爵も1人続ける。
「まあでも、実のところは大公は娘の幸せを望む可能性はあるかもしれない。本当に恐ろしいのは大公夫人の方さ。館の中で、とにかくセシリアを厳しく躾けてきたらしい。——伯爵や侯爵ではなくそれより上を狙っていると、彼女がほんの小さい頃からある噂だよ」
工具の入った木箱を抱え、立ち上がったアレックスは聞いた。
「謝罪に行きたいので、正式な訪問の仕方を教えて下さい」
伯爵は眉を上げた。
「本気で聞きたいのか?」
アレックスはうなずいて
「穏便に済ますために」
と言った。
「よろしい。では、まず私が部下だった君を紹介する手紙を大公に今日中に出しておこう。
君も、誰か人をやって明日の午前中のうちに、午後に訪問して謝罪したいという手紙を届けさせるんだ。
それから、午後3時以降に訪問する。"不在でございます"と執事に言われたら、訪問カードを渡して戻ってくるしかないが、自分の来た証に、カードの端を折って渡して戻ってくる。今は主流が右端だったかな?多分右だ」
伯爵の話は続く。
「会ってもらえる時は応接間か、あるいは書斎に通されるかもしれない。この時玄関を越えても、帽子やコート、手袋を外してはいけない。長居しないという意思表示なのさ。
家主やその家族に席を勧められるまでは立っていて、話は20分程度に。
帰りに、玄関ホールテーブルに訪問カードを置いてくるんだ。他のホールテーブルのカード受けは罠のようなものだし、他の廊下や部屋でも訪問カードは置いてきてはいけない」
聞きながらアレックスの顔は険しくなり、話が終わると、彼はラトリッジ伯爵に言った。
「ハッキリ言いますが中佐、そのわけの分からないルールに比べれば、軍の規律なんか可愛いもんです」
伯爵は笑顔で返した。
「その通りだ。だから私は、君達があの可愛い規律を守れない時には、鬼のように怒っただろう?」
アレックスは呆れ顔を伯爵に向けて、木箱を持ち直すとマナー・ハウスに歩きだした。その方向に気づいた時、ラトリッジ伯爵は彼の背中に声をかけた。
「正面玄関から入らないのか?何故わざわざ裏口に回る?」
「貴族風の館に入る時には、まだ裏口のほうが落ち着きます」
アレックスの答えに、伯爵は首を振った。
「もう自分の家で、君は主人だ。歩数も無駄だ。玄関から突撃せよ、インダム曹長」
彼は
「中佐、オレが主人ならあなたの命令をもう聞かなくていいのではないでしょうか?」
と言いながらも、結局向きを変えてラトリッジ伯爵と共に正面玄関へと向かう。
そして、途中で聞いた。
「クレイモント大公に正式な謝罪をすれば、娘の方には必要ありませんよね?」
「まぁ……" レディ・マースデンにもお伝え下さい" みたいに加えれば充分だろうな。だが、会いたくはないのか?」
アレックスは、伯爵にハッキリと答えた。
「会いたくないですね。完璧な貴族のお姫様なんて、心底うんざりします」




