残された想いに
◇登場人物紹介◇(※主要人物以外を略称にしております)
◆セシリア・フィリス・リル・マースデン
……クレイモント大公令嬢
◆ジョージ・マースデン……クレイモント大公
◆フランチェスカ・マースデン……クレイモント大公夫人
◆アレックス・セイム・インダム……士爵位授与の元軍人
◆エリス・スミス……16歳になったばかりの貴族令嬢
◆マイケル・ダント……アレックスと暮らす孤児。9歳
◆ミカエル・ダント…… アレックスと暮らす孤児。9歳
◆マリー・ダント…… アレックスと暮らす孤児。6歳
◆フィン・ヴェルハイム…… アレックスと暮らす孤児。5歳
◆ソフィア・モントレー…… アレックスと暮らす孤児。4歳
◆シャビリエラ・トルドー…アレックスの部下の子供。3歳
◆カーク・ソーフォーン……ラトリッジ伯爵。元中佐。
◆ロゼッタ・マドウィック
……ダリントン子爵夫人。カークの妹。セシリアの友人
◆ヴィンセント・マドウィック……ダリントン子爵。
◆ティナ・ロッド……セシリアの側仕えの1人。
◆メリー・デニー……アレックスのマナーハウスの使用人。
────何が起こったか 分からなかった
その夜の突然の訪問。
幾晩も夢に出て来ていた女性が 突然扉の向こうに現れた。
彼女を見た時には、ただ引き寄せて抱き潰してしまいたかった。──それをかろうじて留めたのは、彼女が飛び込んで来たのは、夜更けに何かがあったからではないかという不安だった。
結局──それは外れたものの、自分にとってはそれに匹敵する最悪の展開だった。
セシリアは結婚する────王太子と。
奈落に落とされるような気持ちだった。だが、来るものが来たという気もした。
始めから手の届く女性ではなかった。
自分が手を伸ばして良い存在ですらない。
彼女は、行くべきところに向かうのだ、と……自分にひたすらに言い聞かせていた。
そんな中での、"褒賞のおでこへのキス"の申し出。
喜びと苦しみが同時に湧き上がる。パニックに近い感情で、自分は馬鹿みたいに ひざまずいていた。
彼女から もらえるものなら 何でも良かった。
ひれ伏して靴にキスしろと言われても、喜んでそうしただろう。
セシリアが たおやかにその手をこちらの肩に置いた時、自分は両手を動かさないようにすることに必死だった。
彼女をこの腕に閉じ込めて唇を奪いたかった。
────それどころか、何もかも。
この人の全てを自分のものにできたなら、この命もいらないとまで……その瞬間本気で願う自分がいた。
そんな自分の邪は、全く思いもしなかったものに打ち砕かれた────
彼女からの キス ──額にではなくて
唇が触れ合った時
何もかもが浄化されていく気がした
彼女の想いは優しくて温かくて
いたわりが こもっていた
荒々しい強欲で貪欲な感情ではなくて
ただ愛しくて 切望する 泣きたくなるような気持ちで……
この人とありたい と それだけが 残っていく
瞳を開いた時、そこに彼女の瞳があった
" 私はあなたを好きになって幸せでした。
ありがとう、アレックス"
夢のような出来事で夢のような言葉
────現実だと理解できたときには、もう彼女の姿は眼前から消えていた。
◆◆◆◆◆◆◇◇◇
一睡も出来ないまま朝になり、みっともないことにメリーに昨夜セシリアが来たことを確認してしまった。
何よりもセシリアにもう一度会いたいと思った。だが貴族の訪問の予約やら紹介やらのルールを思い出して行けずにいた。居ても立ってもいられなくて飛び出して行った時には、セシリアはもう大公夫妻と王都へと向かった後だった。
確かめられないまま、1人考える。
彼女は " 好き" と言ってくれたけれど、どんな気持ちだったのか────
好意はあったのかもしれないが、もう終わらせて結婚へと前向きに進むような口ぶりだった……。
オオカミから助けたことで、一時ただ憧れてくれた程度なのかもしれない。
…………それでも、もしも自分が何か想いを告げていたら、何かが変わっていたんだろうか。
自分達は、何かを 変えていけたんだろうか。
セシリアと過ごした時間を思い返す
隠された答えを探すかのように
威厳があって気品の漂う立ち姿
耳まで染まる恥じらいだ顔
他者のために立ち上がる勇敢さと気骨
真剣に怒った時の眼差しの強さ
周りを和ませる微笑み 泣いた涙の煌めき
自分を映す優しい茶色の瞳
あの瞳に宿っていたものは 何だったのだろう
それを 知ることができていたなら────
◆◇◆◇
午後────
子供達は完成したブランコや遊具で遊んでいる。窓からは楽しそうな声が聞こえていたが、自分は何をすることもなく、ただ書斎の椅子から外を眺めていた。
コンコン!
ノックの音がして、返事をするとエリスが入って来た。
「何か用かな?エリス」
エリスは、神妙な顔をして答えた。
「今朝もらったレディ・マースデンからの私への手紙だけれど、……サー・インダムも読んだ方がいいと思うの。だから、どうぞ」
差し出されたが、正直なところ戸惑った。
「レディ・マースデンはエリス宛てに書いてくれているんだろう?」
エリスは、手紙を引っ込めず、むしろ書斎のテーブルの上に置いてしまった。
「サー・インダムも読んだらいいって私が思ったの。だから、はい!読んで下さいね!」
そうして、エリスは出て行ってしまった。────手紙を残して。
……仕方なく、手に取る。最上級の紙質の白い封筒を。
便箋を開くと、セシリアの美しい文字が並んでいる。
人への手紙なのに……。
そう思いながら、結局読み出した。
" エリスへ
短い間になってしまったけれども、あなたや
メリー、マイケルやミカエル、マリー。それから
フィンとソフィーと過ごせてとても楽しかった
です。ありがとう。
この後はダリントン子爵夫人がダンスレッスンを
引き継いで下さるので、私は何も心配していませ
ん。いつかきっと、あなたとはまた社交界で会え
ると思います。素晴らしいレディとして。
マナーのことは、もう何もアドバイスもありませ
んが、もしも、いくらか人生の先輩としてきいて
もらえるのなら……
エリス、どうか恋をして下さい。
私はある人を大好きになってとても幸せでした。
見れるだけで、声を聞けるだけで嬉しくなれる
私の憧れの人でした。
会えることが増えて、彼を知って、どんどん好き
になりました。
ささやかな事で舞い上がるくらい幸せになったり
より多くを望んでしまって苦しくなったり……
時に他の女性の影に不安になってしまったり、
毎日が様々な気持ちに振り回されてしまうけれど。
だけど 恋は素敵でした。
新しい自分も発見できたし、頑張ったことで
少しでも好きな人の傍にいけたこと、役に立てた
こと が私の誇りです。
あなたもこれから先 沢山の素敵な人に会って
恋をして下さい。
そしてどうかあなたは 自分の愛する人と結婚が
できますように。心から祈っています。
セシリア・マースデン "
最後の一文まで読んだ時、椅子から立ち上がっていた。
書斎を出て、階段を駆け降りる。廊下を抜けて玄関扉を開け、厩舎に行くために子供達の遊んでいるブランコのある敷地を通る。
自分を見つけて、フィンが駆け寄ってきた。歩む速度を落とすと、フィンは追いついて言った。
「てがみに "さようなら"ってあったけど、レディ・マースデンはもう こないの?
サー・インダム、オレあのひとがすきだった」
フィンの黒い瞳は悲しげだった。静かになった周囲を見渡すと、他の子供達も────そして、エリスも悲しそうにこちらを見ていた。
ハッキリと 言う。
「オレも好きだった。だから、戻ってきてくれるようにしてみるつもりだ。すぐには無理でも」
子供達とエリスの顔が輝いた。今はここまでしか言えない。フィンの頭を撫でて、自分は向かうべき場所に急いだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
来客の報せを受けて、ラトリッジ伯爵は不思議に思った。
約束は入っていなかった。約束しないでくる友人に心当たりは確かにあるが、その人物がここにくる理由が見当たらない。
名前を聞いて通すことを許可した。
迅速な足音がして、彼が召使い達が開けるよりも早く、自ら両扉を押し開けて入って来たのが見えた。
一体何をそんなに焦っているのか。
向かってくるアレックス・インダムに、伯爵も挨拶もお構いなしに尋ねた。
「どうした?最前線に出動するような顔だぞ」
元上官の冗談にも笑顔は浮かばない。アレックスは真剣に聞いた。
「教えて欲しいことがあります。────貴族と戦うために」




