閉ざされていく未来
それは、王都に出発する前日だった。
ティナは一昨日から休みだった。侍女は王都にも付き添うもので、そのための準備の休みはよくあることだった。だから、私は何の疑問も持っていなかった。
昨夜のうちから、
"明日は2人に聞いてほしい話がある"と
父と母には断りを入れてあった。
2人は、ティールームで待っていてくれている。
私は、緊張しながらティールームへと向かった。
例え国王陛下に拝謁するとしても、これほどには震え上がらない。
手を前に組み背筋を伸ばす。扉の前に立つと召使い達が両側から開けてくれた。私は部屋に入り、この屋敷の主人とその奥方に向けてのお辞儀をした。
「一体話というのはなんなの、セシリア?夕食の時では駄目だったの?」
母様はティーカップをスプーンでかき混ぜて言った。
「真剣に聞いて頂きたかったのです。父様、母様。──私はこのシーズンでは結婚する意思がありません。」
2人が目を見開くのが分かった。母様はあからさまに顔を歪めた。
「何ということを言うのセシリア。これからシーズンが始まると言うのに……」
「父様や母様から見たら……愚かなことかもしれません。でも、私は恋をしています。好きな方がいますから、今は夫や結婚を考えられないのです」
母は声を荒げ始めた。
「なんてことセシリア!あなたはいつの間に、そんなふしだらなことを……」
「何もふしだらなことは起こっていません。母様、私の片思いなんです。相手の方は私をなんとも思っていない」
自分で言って、少し傷ついた。だけど、事実だった。
「どこの誰なの?教えなさい」
「やめなさい。フランチェスカ」
唯一大公夫人を止められる声がした。
第24代クレイモント大公ジョージ・ドイルド・リル・マースデンは、ゆっくりと窓辺から離れて 娘へと向き直った。
「セシリア、お前は賢い娘だ。だからこの話を聞けば、全てを理解してくれると、私は信じる」
私は嫌な予感がして、身構えた。
「お前に結婚の申し込みが、すでに来ている。2ヶ月後には宮廷での婚約発表の はこびとなる」
まだシーズンが始まってもいないのに。……全くの不意打ちだった。だけど……
「メイルトン侯爵とは結婚致しません……!」
強い口調で反対した。
だが、クレイモント大公は、全く動じなかった。
「ウェアクリフの息子程度なら、お前に意向を聞いていた。申し込みが来たのは王室から。──── ヘラルド王太子
からだ」
" 王太子 !! "
目の前が真っ暗になった。何かにすがりつきたくなって、スカートを握りしめる。
「……どうしてですか?紹介されたことは私は一度もありません。2人で話したこともないのに」
父ではなく、この問いには母が答えた。
「年齢が適齢期で相応しい地位の娘に決めたのでしょう。それでいけば、マースデン家が選ばれるのは当然ですもの。みんな分かっていたことですよ」
その声が酷く大きく聞こえた。耳の中に こだまする。
「王太子は暴言や酒の飲み方の問題も聞かない。私は断る理由が見つからなかった。そしてセシリア、お前にもだ」
私は言葉を失っていた。
"断る理由が見つからなかった────セシリアお前にも"
父は、私の恋心など問題ではないと言っている。
母も分かってなどくれない。
ここはそういう世界────
王室からの申し出は、つまりは命令……勅命だ。よほど明確な理由が無い限りは、はねのけることなど許されない。
それは冷遇、反逆、大罪を意味することもある。
呆然とする私に、追い討ちをかける声が響く。
「これを機会に、下々の者と関わるのはやめた方がいい、セシリア。王太子と結婚すれば、やがて自分の子供がもてる。戦災孤児の相手は、お前が為すべきことではない」
私は驚いて父を見つめた。
「どうして……知っているんですか?子供たちのことを……」
「3日程前だ。出かけようとしたら、私の馬車をフランチェスカが使っていたから、いつもと違うものを用意させた。座っていて見つけたのだ。座席と壁の隙間に矢が一本挟まっていた」
私は血の気が引くのを感じた。
「それは……」
クレイモント大公は続けた。
「見るからに短くて、子供の使う弓用の矢だった。それで、御者に尋ねてみたのだ。御者は、自分は乗せているだけで事情が分からないから、大公令嬢か侍女に聞いてみて下さいと言ってきた」
私は事情が分かってきた。ピクニックのあの日、子供達はオオカミを恐れて馬車に乗せられて帰った。そして、矢を座席と壁の隙間に落としてしまっていたのだろう。
「何故私にすぐ聞かなかったのですか?」
「聞く必要がなかった。侍女に話を聞いたからな」
私は驚いた。
「ティナに?」
すると、母が私を見て言った。
「あなたが使用人をかばう必要などないのですよ、セシリア。あの侍女に頼まれて戦災孤児達にいろいろしてあげていたんでしょう?全く……あなたは人が良すぎるんだから。そこに つけこませては、それは弱さよ。まあ、あの侍女はもう辞めさせましたからね。ひと安心だわ」
ティナが辞めさせられていた?そんな……
「違います!彼女に頼まれたのではありません。私が……」
「セシリア」
父様は首を振った。
「ティナ・ロッドが全て認めたんだ。マナーハウスの料理人と知り合いで、可哀想な子供達に菓子や学びを与えたいからどうにかならないかと相談されたと。お前は昔から慈善事業にも勧んで取り組んでいたから、つい頼んでしまったと正直に言ったよ。……私は彼女を悪人や罪人とは思えなかった。だから、ただ辞めてもらった。お前は、使用人達と距離が近すぎる」
「でも違うんです。ティナは何もしていません。ティナはむしろ私に……」
コンコン
とノックの音が響いた。私は言葉を止めるしかなかった。
「大公閣下、間もなく銀行の方との約束時間ですが。通す場所はこちらにしましょうか?書斎でしょうか?」
ドアから執事のミスター・ラントが顔を出してきいた。
クレイモント大公は迷わなかった。
「3名で来るはずなんだ。応接室を使う。フランチェスカ、ここでお茶を楽しんでいなさい。セシリア、話は今は終わりだ」
ここでは大公の言葉が全てだった。
私はお辞儀をして下がることしかできなかった。
何もかも 全てに 納得がいかなくても。




