できない告白
雨は完全には止んではいなかったが、小雨になりつつあった。
「もう昼過ぎだと思います。侍女の方も……御宅の方も心配なさっているでしょう。そろそろ、ここを出ないと」
彼の物言いは辛くなるほどに丁寧だったけれども、そこには強い気持ちが表れていた。
「父や母は起きるのが午後からですが、使用人達は異変に気付き出しているかもしれません。昼を食べてすぐ戻るつもりでいたので」
うなずき、アレックスは馬を呼んだ。洞窟の入り口で、彼は私を軽々と抱き上げて馬に横乗りで上げた。そして、自身もすぐに飛び乗る。大きな身体なのに、彼はまるで肉食獣のように しなやかで、無駄なく感じる。
「鞍が無いので、滑り落ちないように。しっかりつかまって」
言われた通りにしようとした時、体勢的につかまれるのは
手綱や馬の立髪ではないと気づいた。
————アレックスにつかまる?
つまりは、抱きつくような形になる。
え?そんなことして いいの?
思わぬ幸運にむしろ躊躇してしまう。
「行きますよ。————すみません」
彼の言葉と同時に、その右手に肩を抱かれて引き寄せられた。馬が走り出す。
雨の香りと、男っぽい匂いに包まれる。だけど嫌では無かった。全く。全然。その逆です。
「もう、マナーハウスではなく大公別邸の方に向かわせて下さい。侍女と御者には、私から説明するので」
「はい。その方がいい気がします」
私は答えた。多分今は何の提案でも受け入れていたような気さえした。————幸せで。
彼は一度私の身体を抑えている右手を緩めて、見下ろした。近づく顔になんだかドギマギして、思わず身を縮める。で、結局彼の胸にしっかり しがみつくという わけのわからない幸福の巡りが生じていた。
「すみません。濡れないためには速く走った方が良いと思うんです。怖かったら、教えて下さい」
「大丈夫です。そうして下さい」
ぬかるみに馬の脚を気をつけさせながら、彼は大公別邸に向けて疾走させた。
束の間————
広い胸に守るように抱きしめられて、
私は 願ってしまった。
もう永遠にどこにも着かなくていい
このままどこまでも この人と2人で行けたらいいのに
そう願ってしまった。
◇
願いは叶うわけもなく、ほどなくして私達は、大公別邸の見えるところまで来てしまった。
それでもまだかなり距離のあるところで、彼は黒馬を止めた。———–そして、彼だけが馬から降りた。
突然失った後ろ盾とぬくもりに、ひどく心細くなる自分がいた。
私はいつからこんなに弱くなったんだろう。
彼は、私の手を取って手綱を握らせた。
「ここからは1人で行くんです。私は行けない」
彼の発言は……ある意味当然の言葉だった。それなのに、どうしてか自分を衝撃と落胆が襲った。
「あなたが午前中乗馬をして、迷ったことにするんです。一度落馬してしまい、足首を怪我して鞍を落としたと」
私は……何故か聞いてしまった。確認するように。彼に。
「私達は会わなかった……?」
アレックスは私を見つめてハッキリと言った。
「そうです。会わなかったことにしましょう。救助や雨宿りのためと言っても、2人でいたことが分かれば、大変な事態になりますから」
"大変な事態"————それが、彼にとっての私との未来なんだ……
「わかりました。…………そうします」
「雨がまた強くなってきています。お屋敷にお戻り下さい
レディ・マースデン。どうかお気をつけて」
1人残る彼に背を向けて、黒馬と共に進んだ。
振り返れなかった。泣きそうだったから。
雨はまた強まってきていた。かまわなかった。
涙を隠してくれるから。
そうして私は進むしか無かった。
彼の もういない道を
◆
セシリアは振り返らなかった
それで良いと思った
それが正しいと思った
彼女は何も気づいてもいない
自分のような男といることが
どれほど危険だったことか
欲しいと思った
渇望するほどに
戦場で性欲を上回る 生 への 駆け引きが長く続いて
そんなものは 遠くにかすれていたのに
自分は簡単に彼女を好きにできたし
あの場でそうしなくても
大公令嬢の評判を失墜させれば
手に入れることはできるだろう
だが そうすることはできない 決して
強まる雨の中で、薄れていく彼女の後ろ姿をただ見送った。何もできず、微動だにもできない。
そうして、あの人の幸せを願った
あの人に ふさわしい 幸せを祈った
愛しているから————
そうすることしか できなかった




