命令
ザァ————ッ!と、雨が本降りになり、暗い空の狭間では 雷の閃光までもが走り始めた。
セシリアは、雨の様子をうかがうアレックスの背中に向かって言った。
「良かったですね。こうなる前にここに逃げ込めて。でも、よくご存知でしたね。洞窟なんて」
彼は、大きな岩に腰をかけているセシリアに振り返った。
「前に材木が足りなくて切りにきたのが、この森なんです。森の特徴を記憶する……習性みたいなものがあるんですよ。祖父がそういう人だったので」
エリスが前に言っていた 木こりで狩人だったという人のことだろう。
「では弓は おじいさんに教わったんですね。……凄かったです。本当に」
褒め言葉だったが、彼は複雑な表情だった。
「軍で銃やら剣やら爆薬やらの扱いも覚えましたが、結局自分には弓が1番しっくり来る気はします。銃の方が当てにくい。ブレるから」
「それは私も 知っています」
このセシリアの言葉には、2人共また笑った。彼女は、銃の弾は当てられなかったが、銃を当てて暴発で、リーダーとおぼしきオオカミを倒したから。
「失礼します」
笑い終えると アレックスはセシリアに歩み寄って、その足元に跪いた。
セシリアはなんだろうという顔で、彼の所作を見つめている。
「足を見せてください」
その声は、洞窟内に必要以上に響いた。
◆◆◇◇
その声は、私の心に必要以上に響いた。
彼が、足をただ心配してくれているだけだと分かっている。だけれども 女性が足首を見せるのも不適切だと言われている世界に育っては、どうしたってドギマギとしてしまう。
"どうぞ"と言って足を差し出す?
なんだか偉そうではないかしら?王都の街中で見かける靴屋の客みたい。
では、"どうぞ"とスカートを少し上げる?
いやいやいやいやいやいや、これは何か……してはいけないのでは?何というか……淑女としてしてはいけないような。多分、してはいけない……気がする。
頭の中がパニックになっていた。——わずか数秒のはずだけれど。
動かないで待っていてくれた彼が 口を開こうとしているのを見て、私は慌てて言った。
「無理には……」
「どうぞ!どうぞどうぞ !!!」
結局、それを言うだけで精一杯だった。
彼に見られるのが嫌とか、そういうことではないのだから。そう誤解されてしまったら…………一番辛い。
むしろ気遣ってもらって嬉しいのに。こうして、2人でいられて、私は楽しいのに。そう感じていることがまた問題でもあって、私は どうしたらいいか分からなくなる。
頭の中で色々と考えている間に、彼は左足の靴紐を緩めていた。私の左足から丁寧に外履を外し、右手の上に乗せてくれているのが分かる。
————頬が熱くなった。あたりが暗くて助かる。とても。
彼は左手で靴下の上から足首に触れた。
ズキッと痛みがして、思わず身体を動かしてしまった。
「すみません。痛いんですね?骨には異常が無さそうですが、捻り具合が悪かったようです。無理せず安静にしていたら、こういうのはすぐ治りますよ。あまり痛む時には、冷やすのも効果があると言われています。————ハンカチはありますか?」
私はうなずいて、ポケットからハンカチを取り出して渡した。アレックスはそれを広げてから2つ折りにして、三角形を作り、さらに追って平たい帯のようにする。足の裏からアキレス腱の方にまかれ、足首の前で交差させる。
「変わった巻き方なんですね」
私が聞くと、彼は教えてくれた。
「応急処置ってヤツです。軍で習ったんですよ」
「何年いたんですか?」
「5年……くらいですね。2年間は訓練でした。後は実践を」
5年も軍に……
「5年間も人生を捧げてくれて、この国を守っていてくれたんですね。だから、被害が少なく終戦することができた。あなたは本当に英雄です。————ありがとうございます。アレックス」
私は心から感謝を述べた。……だけど、彼からの反応は無くて、ハンカチを巻く手すら止まってしまっていた。
何か悪いことを言ってしまっただろうか?
私の視線を感じたのか、彼はハンカチを再び結び始めた。でも私を見返すことはなく、そのまま話しだす。
「私は……いや、オレは ただの"人殺し "なんです」
その衝撃の言葉に、私の表情は一変した。
「本当です。英雄なんかじゃない。あなたが思っている以上に、オレは戦場で多くの命を奪いました。そうできて、でも自分は生き残ることに、ヘドが出そうな時期もあった」
私の中で、アレックスの父親と弟達が建築現場で亡くなった話が浮かぶ。————私が彼の過去で知っているのはそれだけ。でもきっとこの人は、数多のむごく、不条理な死を目撃してしきたのだろう。
「軍にいたのは、戦場に最後まで残ったのは、それがオレに相応しい気さえしたからです。————絶賛されていたんです。オレの、人を殺す能力が。そんな狂った人間は、狂った場所にいるべきでしょう?」
彼の最後の言葉は、答えを求めた疑問では無かった。
「オレは英雄なんかじゃないんです。これっぽっちも。
————褒賞も、爵位にも、本当に……値しない人間です」
それから、彼は私の左足を外履に戻して、紐を結えてくれた。そっ……とその足を降ろしてくれて
「終わりました」
と告げられる。
彼が去ろうと立ちあがろうとした時、私は呼び止めた。
「あなたの両手を見せて下さい。アレックス・セイム・インダム」
驚きを浮かべている彼の顔を見つめて、付け加えた。
「お願いします」
しかし、それはちっとも懇願のようでは無かった。洞窟に こだまして、まるで命令のごとく響いた。
私は、それでいいと思った。————それでも




