みえなくなった夢
夜会の翌日—— に、限らず、貴族達は遅く起きる。
私もいつも通り昼近くに身体を起こした。
起床すると呼び鈴を鳴らす。たちまち、3名のメイド達がお辞儀をして部屋に来てくれる。
1人は水差しの水を洗面器に注ぎ入れる。
残りの2人は、身につけるべきストッキングや着替えを持ってきてくれる。
私が顔を洗っている間に、彼女達はすでにそれらを両腕に持ち準備し、待っていてくれるほどに有能だ。
ストッキングを受け取り、自ら足をいれて滑り止めのガーターリボンを結わう。立ち上がると、あとはステイズ(コルセット)、ポケット、ペティコート、ネックチーフと着付けられていく。
————まるで人形か何かのように。
しかもこれはまだ、モーニングドレスへの着替えだから3人で済んでいることだ。夜会や舞踏会ともなれば、他にも髪結や、万が一のサイズの合わない時のための縫製人までもが呼ばれて待機することとなる。
まだ少女になり始めだった頃、メイドの1人に無邪気に聞いたことがあった。
「あなたは着替える時に誰がつくの?2人?3人?」
若いメイドは笑って答えた。
「いいえ、お嬢様。私には誰も手伝いはいません。自分で着ますよ。後ろに手を回したりして」
私は、それに感心したのだった。器用だし、毎日1人では大変だろうから。そして、大人用の衣服も1人で着ることもできるのだと、初めて知った。
「凄いわね。私も練習しようかしら。自分で脱ぎ着ができたら、便利だもの」
すると、メイドは目を丸くして言った。
「とんでもない。あなたは大公令嬢——お姫様なのだから、そんなことは身につけなくて良いのです。それに、私の仕事がなくなってしまいます」
私はそれで、考えを改めた。
私は王家の血を引くマースデン家の娘
それに誇りを持ち、家名に恥じない振る舞いをし、恵まれた環境に感謝し、与えられたものに満足して生きていこうと。
だが、どうしてだろう
酷く 息苦しい気がする
このごろは 特に
大人になるごとに
人生の視界を狭められていくかのように
閉ざされていくかのように
誰もが言ってくれる
" 閣下の娘である あなたは 幸せだ " と
" 大公令嬢に生まれついて羨ましい " と
それを否定することはできない
でも、誰もかれもが 私を見てくれていない気がするのは 何故だろう?
"大公令嬢" "マイレディ" "レディ・セシリア・マースデン"
ただの "セシリア" はどこに行ったの?
"セシリア"とまだみんなに呼ばれていた幼い頃には、私は夢をみることができていた。
人は何にでも なれるのだ と。
私は大海原を冒険する海賊や、ユニコーンに乗って戦う戦士、力を使ってみんなを救う魔法使いになれることを真剣に夢見ていた。
馬鹿みたいな空想好きの子供だったのだ。
今は馬鹿になれない大人になった
それで正しく育ったはずだった
そして、夢も見なくなった
◇◇◇◇◇◇◇◆◆
今日は、午後からはラトリッジ邸で、伯爵の2番目の妹であるロゼッタとお茶の約束がある。ロゼッタは4歳年上だけれど、私達は親友だった。彼女は、昔のように私を名前で呼んでくれるだろう。
ほんのささやかなこと。
けれど、それだけでも私の足取りは軽くなる。
階下へ降りて、朝食の間へと入る。
「おはようございます。お嬢様」
執事が一礼をし、挨拶をしてくれた。
母様がいなかったので、私もミスター・ラントに挨拶を返した。
「おはよう。ミスター・ラント」
初老になりつつある執事はニッコリと笑った。
母様は、私が使用人に挨拶をすると怒るのだ。
" 挨拶を使用人に返す必要は無い "
それが母様の……クレイモント大公夫人の考えだった。
けれども、私はよく分からなくなるものだった。
"————では、礼儀正しいとは一体何?" と
運ばれてきた朝食を口にしながら、ふと礼儀作法とは全く別のことを思った。
ラトリッジ伯爵邸で、私はアレックス・インダムにまた会える可能性はあるのだろうか。
ううん。彼は昨夜帰ると伯爵に言っていた。伯爵邸に泊まっているわけではないようだった。
……そうして、改めて気がつく。
自分は彼について何も知らない
住んでいる所も それがどれくらい離れているのかも
当たり前のことなのに、その事実に 小さな溜め息がもれた。