懇願
記憶にある限り 戦場で 助けを求めたことはない
助けを求められたことはある
もう楽にしてくれ と 懇願されたことも
多くの命を奪ってきた
敵も 獣も 味方さえも
この両手は血にまみれていて
穢れは浄化されることもない
血筋や 地位や 身分が
たとえ彼女に値するものだったとしても
それでも
自分にはこの人に触れる資格など きっと なかった
だけれど 今は 助けてくれと 誰かに言いたい
どうか 教えてくれと 乞いたい
この女性を
一体 どうすれば 好きにならずにいられるんだ?
頭は 近づくなといい
心も 惹かれてはいけないと分かっている
それなのに
それなのに
自分は もう この腕を離せない
彼女を抱く腕を 離せないでいる
◇
セシリアは 細くて しなやかだった。腕の中にすっぽりと収まっている彼女は、この瞬間だけは自分のものだと思えた。
————分かっている。とんでもない幻想だと。
彼女の まばゆい金の髪は いつもはキレイに後ろにまとめ上げられている。でも今日は度重なったハプニングのせいで、こぼれ、おくれ毛が垂れていた。それすら愛おしくて、その頭にそっとキスした。————決して、気づかれぬ ように。
自分の背にあった力のこもったセシリアの細い指が、緩められて少し下におりるのを感じた。
彼女は離れたいのかもしれない。
その現実に気づいて顔を上げ、上半身をわずかに引いた。
セシリアはぴったりと寄り添って離れたりはしなかったが、顔を上げた。
チョコレート色の瞳が問うように自分を見つめている。
何を問われているか、何を答えるべきかも分からないくせに、応じるかのように見つめ返した。
焦茶色の瞳孔が、自分だけを映してくれていることにこの上なく幸せを感じる。彼女の薄い桃色の唇は、わずかに開いていた。……誘うかのように。
手をセシリアの頭に回し、顔を下げ……そうになった時だった。
ポツリ
と大粒の水滴が彼女の頬にあたり、セシリアがその瞳を閉じた。彼女は同時に
「冷たい!!」
と声を上げた。
見上げると、いつの間にか空は灰色の雲に覆われていた。そして、雷まで近づいてきているのが、すぐに分かった。
ポツリポツリと雨粒はすぐに落ち始めた。
すぐにもザァザァとなる予感もする。
「このままだとずぶ濡れになります。森に入りましょう」
「はい。多分歩けると思います」
セシリアはそう言ったが、顔をしかめていた。可愛らしい眉間に皺が出来ている。痛みがあるのだろう。
それなのに彼女は踏み出して銃を投げてくれた。
————オレを助けるために
「失礼しますよ」
返事は待たずに彼女を抱き上げた。全く重くない。
セシリアは驚いてはいたが、暴れたりはしなかった。
雨はどんどんと落ちてきていた。オレは森に向かって走り出した。
後ろから公爵家の黒馬も来ているのは分かっていた。
セシリアを乗せるべきなのかもしれない。
だが、自分は この瞬間 そうしたくなかった。
「あの、ソフィーは見つかったんですか?」
顔のすぐ右下で、その声はした。
「見つけました。もうみんなと馬車で帰らせました」
少しの静寂のあと、沈んだ声がした。
「すみません。わたし……御厄介をおかけして……」
「厄介なんかじゃない。全然」
心底思っていた本音だった。そのせいか強い口調で、敬語はどこかに行ってしまっていた。
セシリアは,気分を害したかもしれない。慌てて彼女を見ると、
「はい!!」
と満面の笑みと返事がきた。
思わず、こちらも笑みが浮かぶ。
やれやれ
この愛らしい女性を、
どうすれば 愛さずにいられるのだろう?




