黄金色のスイセンの中で
翌日、いつも通り午前10時にサー・インダムのマナーハウスに着いた。
私は、彼に玄関先で会うのではないかとビクビクしていたけれど、その心配は無用のものだった。
馬車が止まるか否かの時には玄関からもうメリーが出てきて
「皆様もうピクニックに出かけたんです。レディ・マースデンがおいでになったら、伝えるように言われました。
東にある小川の傍の、スイセンの咲いてる場所に向かって下さい。この時期は鋪道からスイセンの黄金色が見えますから、行かれたら分かりますよ」
と教えてくれたのだ。
御者は場所に思い当たりもあるようだ。大きくうなずいてすぐに馬に鞭を入れる。
私とティナはメリーに窓から手を振って、マナーハウスを後にした。
◇◆◇◆
東側に向かうと、すぐに緑の草原の中に鮮やかに彩る黄金色の群が見えだした。春のスイセンが見事なまでに咲き誇っているのだ。
私とティナは止まった馬車を降りて、スイセン畑の方向へと丘を下っていく。
キャ──という子供特有の楽しそうな声がして、私は日差しに目を細めながら その方向に視線を向けた。
降りた先には小川が流れていて、陽の光にキラキラと輝きを放っている。見たことのない小さな女の子が、元気に駆け回っていて、その後を大人の男性が追いかけていた。
サー・インダムだ。
心臓がドクンと鳴った。
次の瞬間女の子がつまずき、転びそうになった。その時長い腕が伸びてきて女の子の体が持ち上げられる。彼は小さな少女をその胸に抱えたが、自分の体勢は戻せずに、草原にゴロゴロと勢いよく転がった。
私は思わず口に手をあててしまっていた。
サー・インダムは、少しの間横たわったままだった。だが背中が小刻みに震え出し、やがて寝返りを打って仰向けなに寝そべった。コアラのように彼の胸にしがみついていた女の子は、そのまま彼のお腹の上に乗っていて、2人は笑い合っている。
彼のこの上ない笑顔を見て、どうしてか ひどく胸が締め付けられるような気がした。
とても美しくて愛らしくて尊い────絵画のような光景。
何故だか直感的に、その小さな女の子こそがシャビリエラ……" シャビー " なのだとわかった。
気になっていた相手が、サー・インダムに釣り合うような大人の女性などではないことに……ホッとする自分がいた。そして、ただただあの人の笑う姿に、切ないほどに幸せになる自分がいた。
…………ああ、気づきたくなんかなかった。
私はアレックス・インダムが好きなんだ。
その時、彼と女の子のさらに後方から、エリスやフィン、マイケル達が走って来るのが視界に入った。
「せんせーい!!」
フィンの大きな声に、サー・インダムが、ハッとするのが分かった。笑みは消える。上半身を起こして、彼がこちらを見つめているのを感じた。
…………私は瞳をそらした。
◇◇◇◇
お互いに歩み寄って、ちょうど小川の近くで挨拶を交わした。
「レディ・マースデン、今日は……来て下さって本当にありがとうございます。先日は失礼を致しました」
彼は深いお辞儀をしてくれた。とても礼儀正しく。私はこの人に " セシリア " と呼ばれることなんて────きっと一生ないのだろう。
悲しみを隠して笑みを浮かべて言葉を繋ぐ。
「どうか、気になさらないで下さい。こんな素敵な場所があるなんて知りませんでした。
ハニージンジャービスケットとスモークチーズを持って来ました。お受け取り下さい」
ティナが進み出た。サー・インダムが女の子を抱いていたので、エリスがバスケットを受け取ってくれた。子供達の視線はバスケットに釘付けだ。
前に出たエリスは、そのまま私に言った。
「先生、初めてだと思いますが、シャビリエラ・トルドーです。サー・インダムの部下のお子さんなんだそうです。その部下の方が……戦地で亡くなってしまって、今は祖父母がシャビーを育てているんです。だけど、まだ3歳だから大変みたいで。私達はよく一緒に遊んでいるんです」
そう言うことなんだ。いろいろ勘繰っていた私は少し恥ずかしい。
「出産の時に奥方も亡くなっているのです。彼の遺言が娘を見てくれだったので、つい」
サー・インダムが、まるで何かの言い訳のように言った。
「立派で、お優しいことだと思います。先程見てました。まるで本当の親子のようでした」
彼の頬がかすかにだが、赤らんだ。表情も固くなった。
怒ったのかしら?何かまたやってしまった?私ときたら……
そのとき、シャビリエラが挨拶をくれた。
「あたし しゃびるえら。".しゃびー"でいいよ。あたし いつか さー・いんだむと けっこんするの!」
小さな女の子は元気に輝く笑顔で言った。
ソフィーはブーイングの声を下から出していた。
私はみんなと笑った。
間違えても、この小さな女の子を憎んだり、妬ましく思ったりはしない。
けれど────
なんの憂いも迷いもなくその言葉を言えることが、
今日の私には、とても羨ましかった。
私にはその言葉は
あまりにも 遠すぎたから




