夫婦の会話
ダリントン子爵ヴィンセント・メイル・モーロ・マドウィックは、妻の実家であるラトリッジ伯爵邸に到着するやいなや、メイド達に囲まれた。
金髪に碧の瞳の彼は、独身の頃は名うての放蕩者だった。彼は一瞬その頃を思い出して逃げたい気持ちになったが、すぐさまそれは勘違いだと気づいた。
「子爵様、子爵夫人がずっと泣かれているのです」
「私達がお話を聞こうとしても、話して下さいません」
「あんなに悲しまれていては、お腹のお子に触ります」
メイド達に何故か睨まれる。ヴィンセントはまず聞いた。
「分かった。私が来る前に一体何があった?」
一斉にメイド達は話しだした。
「クレイモント大公令嬢がお茶の時間に会いに来られていました。それは よく あることで、楽しそうにお時間を過ごされていました」
「でも、大公令嬢が帰られると泣き出したのです」
「私達はすぐにラトリッジ伯爵様にご報告にいきました。
でも、あの方は『妊娠中で気が昂っているのだろう』と全く取り合って下さいませんでした」
最後に1人が付け足した。
「大奥様はお昼寝中です」
"大奥様"は妻の母親のことだ。
事態を理解したヴィンセントは、言うべき言葉を述べる。
「分かった。私が妻に聞いてみよう」
これ以外は、言うことが許されぬ空気だった。
◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆
ロゼッタは、ソファに場所を移してハンカチを握りしめ、シクシクと泣き続けていた。
傍にいた1人のメイドも、ダリントン子爵の姿を認めて姿を消した。
「マダム、数日離れていたことをそんなに悲しんでくれるのも嬉しいが、私が来たのだからもう泣き止んでくれないかな?」
ソファには座らず、妻の足元に跪いてヴィンセントは彼女の手を握った。
「ああ、ヴィンセント、悪いけれどもあなたのことで泣いているのではないの。私の親友のことなのよ。」
「レディ・マースデンか。彼女がどうした?喧嘩でもしたの?」
ロゼッタは首を大きく横に振った。
「──恋よ。彼女の憧れの人との仲を、私応援してるのよ。心から。
真面目でただ一生懸命に大公令嬢としての義務と務めに勤しんできたあの子の、初めての恋なの。いい?初めての恋 なのよ?」
身重の妻に涙目で言われて、ヴィンセントはただ同意する。
「なのに、応援していいか分からなくなるの。セシリアの憧れの人は貴族ではないから。────騎士爵なのよ。戦争功績での。つまり、未来がないの。」
(……そういうことか。)
ヴィンセントは理解しだした。ロゼッタは続ける。
「しかも、セシリアは今シーズンには嫁ぐだろうと言われているわ。王都に行ったらきっと縁談が待ち受けている。……私は止めるべきなの?彼女の恋をやめさせる?
そんなことできないのよ!セシリアが恋をして、とってもとっても楽しそうだから。だんだんと薄れていった子供の頃の笑顔が戻ってきているの。──なのに応援しても、悲しい結末しかないなんて、こんなのどうしたらいいの!?」
ヴィンセントは妻を落ち着かせようと、必死に言葉を考えた。過去の恋愛遍歴から辿って……
「結婚前の憧れなんて遊びみたいなものだよ。大丈夫だ。結婚すべき相手に気が向いて丸くおさまる」
パシッ
と、言い終わるや否やハンカチを顔に投げつけられた。
何か間違えたらしい。
そこで、今度は自分と妻に置き換える。
「……悪かった、間違えていたよ。想う人と結ばれなかったらそれは辛い。応援に悩むのも最もだ」
今度は、ロゼッタは夫に向かってうなずいている。
(良かった。正解だったようだ)
胸のうちで安堵しながらヴィンセントは続けた。
「だけれど大公令嬢の一方的な片思いなんだから、ロゼッタが応援してても大丈夫なんじゃないか?その騎士爵も身分差は分かっているわけだから、そもそも恋愛対象にしないだろうよ」
ロゼッタは夫に呆れた。
私の愛する人は本当にお馬鹿さん、と。
「セシリア・マースデンと連日会っていて、彼女を好きにならない若い男性なんて想像がつかないわ。もし私が男だったら、絶対あなたじゃなくてセシリアを好きになったもの」
ヴィンセントは、"それはそうだろう"と言わないでいられるくらいには賢かった。
彼は大切な人の手を握ってただ告げた。
「君が女性で 私は本当に幸運だ」
すると、妻は細めた目で夫を見つめて聞いた。
「あなたは私が準男爵の娘でも愛してくれたかしら?」
「それは勿論だ。私達の愛は強固だった。身分差等ものともしない。」
ロゼッタは嬉しくなって、間髪入れずに答えてくれた 愛する人に抱きついた。
ヴィンセントは妻の機嫌が良くなったと安堵して、彼女をしっかり抱擁した。
ロゼッタの涙は確かに止まっていたが、彼女はその腕の中で まだ 親友に待ち受ける高い城壁を危惧していた。
圧倒的な身分差……
そして、セシリアに噂されるあの嫁ぎ先────




