憧れの人
英国ヒストリカル文化をベースにしております。
制度・歴史についてはオリジナルの王国設定です。
あの方が来ている
私の胸は高鳴る
どうしても
どうしても
顔は火照り
心臓がバクバクと早鐘を打つ
他の誰にも こうはならない
私にとっての憧れの方
とても とても 遠い存在だけれど
たとえあの方が貴族とは言えなくても————
◇
◇
◇
◇
◆
◆
王族の血脈を持つクレイモント大公マースデン家の長女
セシリア・フィリス・リル・マースデンは完璧な貴族令嬢だ。
所作、立ち振る舞い、会話、ダンス、マナー、全てにおいて幼少の頃より躾けられている。
お客のもてなし、招待状の手配、料理メニューの選考、席配置等のパーティの采配、そして屋敷の切り盛り等は、言うまでもなく、そつなくこなせる。
20歳を迎え社交界デビュー3年目となる今シーズンには、婚約、そして、結婚のはこびとなるだろうと貴族社会全体が注目していた。
大公を父親に持つ彼女が嫁ぐのであれば、それは公爵か、後の公爵になることが約束されているような侯爵であろうことは皆が思っていることだった。最低でも、公爵領に匹敵するほどの優良な領地を持つ伯爵か——
それ以下では誰もが許さないであろう。
今のところの第一候補は、マースデン家と祖父の頃より懇意にしているバーグレー家。長男のメイルトン侯爵デイルは30歳という年齢、血筋として申し分無い相手だった。
彼の父親はウェアクリフ公爵だ。親子関係も良好で、ゆくゆくは必ずウェアクリフの公爵位を継ぐ見込みだ。
収まるところに収まるのが世の常——
誰もがそう思っていた。
誰もがそう 思っていたのだ。
彼女自身すらも
そう思って
諦めていた。
何もかもを
◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆
ラトリッジ伯爵邸の晩餐会は、隣国との長期に渡った戦争の終焉の話で大いに盛り上がっていた。通常は淑女達の前では、このような話は伏せられ、紳士達だけで会話がされる。
だが、2ヶ月前に戦争はこの国の勝利で終わったのだ。それで、今は国をあげての祝賀ムードだ。社交界も例外ではなく、まもなくはじまる今シーズンも、その話題こそが当然流行となるだろう。
特にラトリッジ伯爵カーク・ゼト・トルドナ・ソーフォーンは、ノブレス・オブリージュ(※社会的地位の高い者には義務があるの意味)の精神によって、自らが軍に入り陸軍騎兵連隊を率いて前線を戦った中佐だ。
彼らの攻撃は敵国の主要基地を落とした。その要となったのが工作員として1人で潜入した特務曹長の存在だった——
その特務曹長こそが、アレックス・インダムである。
◇◇◇◇
「では、お父上が王室御用達の家具装飾職人とな!?」
ディア準男爵の声は大きくて よく響く。
おかげで離れた席の私ですら、隣のドナルテ子爵の話を聞きながらでも内容が分かった。
「ええ。家具そのものも簡単なものは作りますが、本職は装飾彫刻です。紋章を馬車や扉に入れることもあります」
アレックス・インダムの男らしい低い声がテーブルの端から聞こえた。
私は、むしろ目を伏せてしまう。
いけない、ドナルテ子爵の今朝フィンガーボール(指洗い用の水桶)の水を飲み続けたお話に笑わなければいけないのに。しらけているなどと思われては、マナーに反することなのだ。
「ならば、宮殿建築でも、関わられていたのかな?」
またディア準男爵。すると彼は、
「祖父と父は。でもあれは、のべ四百人以上の職人が関わりましたから。実のところ、本人達もどの装飾が自分のやった部分か分からないようなんです」
と答えて、周りを笑わせた。
私も微笑んだ。目の前にいるのは50代の禿げた頭のドナルテ子爵だけれど。
心の中で、彼に向けて——
これが私達の現実の距離
長い長いテーブルのほぼ端と端
顔を合わせることもない
彼が私の笑顔を見ることも きっと ない
それでも
サー・アレックス・インダムは 私の憧れだ
ドナルテ子爵のフィンガーボールは空になって話が終わり、私は微笑んだままそんなことを考えていた。
大笑いをして膝を叩いたあと、一息つくと子爵は主催であるラトリッジ伯爵に視線を移した。
「なあ、ラトリッジ。端で話してる男は確かに功労者なんだろうが。実際のところインダムは何をしたんだ?本当に"英雄"に値することか?」
ラトリッジ伯爵は年上の子爵をジロリと睨んだ。
「サー・インダムは、間違いなく " 英雄" ですよ」
私はドナルテ子爵に少しだけ感謝した。
新聞記事や噂話ではなく、ラトリッジ伯爵から彼の話を聞けることは貴重だ。
胸がわくわくした。
でも、ただ口を閉じて無関心を装う。
若い未婚女性が戦場についてなど 感心を持ってはいけないのだ。
あぁ……なんて、面倒臭いんだろう……
新連載スタートいたしました。
よろしくお願い致しますm(_ _)m