早朝に旅立つ
第2話をやっと書けました。
本当に遅筆です。
読んでいただけたら幸いです。
八畳の和室。
朝というには早い時間。外は暗い。
弥生は昨夜、久しぶりに湯舟で体を温めた。ひとりではない安心感の中、布団に身を沈めた瞬間に眠りに落ちた。
深く、深く、まるで壊れた身体を修復するかのような眠り。
──リリリ・・・
時計のアラームが朝四時を告げる。
手を伸ばして止めようと、ふと隣を見る。霞がいない。
驚きと不安が胸をよぎる。眠っている間に誰かに連れ去られた? まさか、もう追っ手が?
だが、机の上に置かれた小さなメモに目が留まった。
「コンビニ行ってくる。すぐ戻る。」
ほっと息を吐く。
霞が出ていくときに気づかなかった──自分がそんなにも深く眠っていたことに、弥生は驚いた。
ここまで心を許して眠れたのは、いつ以来だっただろう。
少しの時間しか眠っていないが、休めた感覚はある
身支度を始めながら、弥生はふと鏡を見る。
作業服を着ながら──昨日、脱出する際に奪った警備員の制服だ。ジャケットもズボンも身体に合っておらず、動きにくい。
靴も同じく、男物でぶかぶかだ。
下着だけはコンビニで用意できたが。
「どこかで服を……目立つわね」
ひとりごとのように、彼女は呟いた。
幸い、研究所の金庫から奪った現金が一千万円近くある。
当面の資金には困らない──だが、いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。
ドアが「カチャ」と音を立てて開いた。義姉が起きているのを見て微かに笑いながら、
「おはよう義姉さん」
と、部屋に霞が入ってくる。
手には、昨夜と同じセイコーマートの袋。何を買ってきたのかしら。
「おはよう、霞。いないからびっくりしたのよ。……起こしてくれてよかったのに。」
「よく寝てたから。少しでも休めるほうがいいよ」
「あなたも寝てないじゃない」
「僕は大丈夫だよ」
霞の声は穏やかで、何気ないその気遣いに弥生は心が温かくなる。
「ありがとう。でもこんなに安心して眠ったの、本当に久しぶり。連れてこられてから、ほとんど眠れなかったから……」
「そっか。大変だったね」
霞は短く答えながら、視線を弥生からそらした。
もっと早く助けにこれたらと、変えられない過去を後悔する。
時刻は、五時前。
弥生は窓の外をみながら、
「ねえ。あそこに見える、ドームに寄って行ってもいいかしら」
霞も弥生の視線を追いかけ、そこは半アーチの円柱が立ち並ぶ──北防波堤ドームが、早朝の暗い中に浮かび上がっていた。
「…ん。行こう。」
ふたりは、早朝の暗い中、チャックアウトする。
フロントの女性は、チェックアウトの手続きをしながら、ちらりと弥生と霞を見やる。
大きすぎる作業服を着ている美しすぎる女性と、明らかに学生の年齢の弟が早朝にチェックアウト。
言い知れぬ違和感を覚えるが、笑顔を崩さず見送る。
弥生と霞は一瞬視線を交わした二人は全てを確認しおえたように全てが凍るような寒さに身を乗り出す。
フロントの女性から早く遠ざかるように。
二人は降り積もった歩道を歩くたび、靴が「ギュッ」と小さく音を立てる。
ドームの柱は、まるで古代遺跡のように神秘的であった。
弥生は無表情に黙ってそれを見上げた。
その横顔を見つめる霞。
…本当にきれいだ義姉さん。
たなびく黒髪、少し紅潮した頬、どこまでも深い瞳。
儚いけど決意を感じさせる。
しばらくして、弥生がふと表情を和らげる。
「ありがとう。こんな風にまたこの場所を、見られると思わなかった」
「そっか、ここがポイントだったんだ」
弥生は、しばらく黙ってドームを見つめていた。
そして、少し遠い目をしながら言う。
「ここで……攫われたのよ」
霞は首を縦に振り「そうか。大変だったね」
「そうよ。大変だったの」弥生は少しおどけた表情を作る。
霞は微笑みながら
「このあと、6時半すぎのサロベツ2号に乗れば、昼前には旭川に着けるよ。そこで服も靴も揃えよう」
「そうね。そうしましょう」
ふたりは防波堤を後にして、駅へと向かう。
新雪の上に、二人の足跡が並んでいく。
寄り添うひとつの道すじ。
──二人の逃避行は、始まったばかり。
お読みいただき、本当にありがとうございます。
第2話では、第1話の翌朝、ふたりの旅立ちです。
稚内北防波堤ドームは、以前に訪れたことがあります。
「ここ本当に日本?現実?」─そんな強烈な印象の場所です。
雪と早朝の空気感が、伝わっていたらうれしいです。
第3話では、ふたりが旭川へ向かいます。
少しの日常、忍び寄る影。
物語はまた一歩、いえ半歩、進みます。
次回も、どうぞよろしくお願いいたします。