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序章Ⅶ~ちょっと不器用な女騎士~

 今度の相手は女騎士

 急を救って知り合った

 少し不出来なとこあれど

 芯は真面目な騎士娘

 またもされるは頼み事

 手助けするのも常のこと

 友達思いでお調子者の

 我らがサムトー、今日も行く

 時に神聖帝国歴五九七年三月十四日。

 腰には短剣とポーチ。やや長身の背には長剣と荷物。ざんばら髪を春の風に揺らせながら、一人のんびり街道を行く。

 サムトーは、先だって出発したミルトニア伯爵領に隣接する、サルトーリ伯爵領のアマティ城下町に来ていた。城壁に囲まれた都市で、人口はおよそ八万、領内全域で十五万程度。隣接する同格の伯爵領と同規模だった。

 西の城門をくぐると、遠目に内城が見える。街路図を確認すると、他の街と同様、南半分が住宅や商店、工房などで、北半分が騎士や富豪の邸宅、軍事施設などとなっていた。

 日が傾き始めた頃だった。他の街の時と同じように商店街へと向かい、今晩の宿を確保しようと思っていた。街道を東に進み、やがて東側にある商店街へと到着する。人通りは結構あって、それなりに賑わっている街だった。

 そして、トラブルが目の前で起こるのも、よくあることだった。

 体格のいい男が二人、互いに道を譲らずににらみ合ったのである。

「どけよ。お前は横を通りな」

 片方の男が、もう一方の男を押した。押された側も黙ってはいない。

「ふざけるんじゃねえ。お前がどけよ」

 そう言って、押してきた男を突いた。

「何すんだ、てめえ」

「お前こそ、生意気なんだよ」

 殴り合いに発展しそうな雰囲気だった。そうなると野次馬が寄ってくる。サムトーもその中の一人だった。

 そこへ制止の声が飛んだ。

「待ちなさい」

 人波をかき分けて、騎士服を着た人物が現れた。サムトーと同年代のまだ若い女性だった。女性の騎士は多くないが、それほど珍しくはない。騎士全体で見れば、三割弱は女性なのである。

「このような場所での乱暴狼藉は、捕縛対象です。牢屋で頭を冷やしたくなければ、お止めなさい」

 騎士服を見ても、相手が若い女性と知って、男達は気にも留めた様子がなかった。

「うるせえな、姉ちゃんは引っ込んでろ」

「そうだ。騎士様には関係ないだろ」

 そう言って、結局殴り合いを始めてしまった。本当に始めやがったと、野次馬も妙な盛り上がりを見せる。

 女性の騎士が警棒を抜いた。さすがに剣は帯びていない。その警棒を男の片方に思い切り振り下ろす。左の肩口に見事に命中はしたが、威力が足りなくて相手は痛がっただけだった。

「おい、いくら騎士様とは言え、いきなり殴ってくるのはいいのかよ」

 頭に血が上った男が女性騎士に向き直る。騎士相手に狼藉を働いたら重罰が下ることなど、頭の中から追い出されたようだった。拳を振り上げて、一撃見舞おうと構える。

 それを見て、サムトーが動いた。例え騎士でも、弱い者を守る手助けするのが流儀だ。殴ってきた腕を横合いから叩いて軌道をそらす。見事に拳が空振りした。

 そして腰の剣を鞘ごと抜くと、目にも止まらぬ早業で、二人の男のみぞおちを強く突いた。男二人があっさりと気絶し、地に倒れた。

「あ、いけね、やっちまった」

 本当は乱暴な相手から、女性騎士を守るだけのつもりだった。乱暴を止めるにしても別の方法もあったはずなのだが、一番手っ取り早い方法を自然と取ってしまっていた。

 その女性騎士の方に向き直る。栗色の髪の毛は肩までの長さで、容貌はごく普通と言ったところだろう。騎士らしさはあまり感じない。それでも騎士だから、後は任せて大丈夫だろう。

「えーと、騎士様、こういうことになりましたので、後の始末はお任せ致しますぞ」

 そう言って、サムトーは立ち去っていく。

「あ、お待ちなさい」

 騎士から声が掛かったが、サムトーは聞かなかったことにした。歩を速めて、現場から遠ざかる。

「礼を言い損ねてしまいました」

 呆然と女騎士が取り残される。そこに、野次馬達をかき分けて、警備隊が到着したのだった。


 サムトーは、元奴隷剣闘士である。

 昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は一部例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。

 逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。

 十二月、北にある城塞都市グロスターで、事件に自ら首を突っ込み、その解決のために奔走。結局、新年祭までその街の雑貨屋で世話になった。二月には、テラモの町で町中から疎外されていた少女を助け、二週間ほど旅の相棒にしていた。この三月の上旬は伯爵令嬢の手助けをして過ごした。

 そして、今も当てのない旅の途中である。

 とりあえず、今夜の宿を探す。先程の騒ぎで、思わぬ時間を取ってしまったので、空も赤く染まりつつあった。

 適当に見比べてみて、銀蘭亭という宿に決めた。中に入ると、どこの居酒屋兼宿屋でもそうだが、夕方軽く一杯という客が、すでに何人か酒杯をあおっていた。

「いらっしゃい。飲みに来たのかい?」

 恰幅のいい中年の女将がカウンターにいた。とても元気そうで、若い頃はさぞ人気があったのではないかと思われた。

「いえ、泊りで。一人一泊お願いします」

「あいよ。じゃあ、記帳よろしく」

 サムトーは前金で一泊二食分の銀貨一枚を支払うと、宿帳に記名した。

「へえ、サムトーって名前かい。あたしは女将のモニカ。背中と腰に剣を差した剣士が、殴り合いしてた男二人をのしたって、あんただろ」

「何で知ってんの?」

「そこで飲んでる客が、さっき話してたよ」

 もう噂されてたのかと、さすがにげんなりしたが、だからと言って行動を改める気のないサムトーだった。

「こりゃ参った。まあ、一晩よろしく」

 適当なことを言うと、部屋の鍵をもらって、荷物を置きに行った。


 宿を取ったら、まずは公衆浴場へ。

 そして宿に戻ったら、まずはエールを一杯。

 風呂上がりの一杯が体に染み渡る。一人旅を始めて四月と少し。毎日の定番となっている。

 すると、見覚えのある騎士服を着た栗色の髪の女性が、カウンターに姿を見せた。確か先程の一件で出会った女騎士だよな、と思っていると、女将と何かやり取りをして、こちらを見た。そして近づいてくる。何か既視感のある光景だった。

「あなたがサムトーさんですね。私はセリーヌ、当サルトーリ伯爵領にお仕えしている騎士です。先程は礼もせずに失礼致しました。助けて頂き、ありがとうございました」

「いえいえ、わざわざ訪ねて頂いて、こちらこそ恐縮です」

 その気になれば、サムトーも一応は丁寧な返答ができる。というか、厄介事に巻き込まれそうな予感がして、つい丁寧語になっていたのだった。

 案の定、セリーヌが切り出してきた。

「その腕前を見込んで、お願いがあるのです。ここ最近、この商店街で、スリの被害が何件か報告されています。どうやら同一犯らしく、騎士隊も警備隊も、巡回を強化していますが、まだ犯人の特定さえできていない状況なのです。もしよろしければ、二、三日でも結構ですので、お力添え頂けませんか」

 やっぱりそうくるか。何となく分かっていたが、またしても頼み事である。とりあえず、一応は断っておく。

「こんな初対面の旅の剣士に手伝いを頼むというのは、いかがなものかと思いますよ。俺が悪人だったらどうするんです」

 すると、女騎士は意表を突いた行動に出た。

「エール一杯お願いします」

 何と、騎士服で酒? これはマズいのでは? 一応指摘してみる。

「えっと、お仕事中に、酒はどうかと思うんだけど」

「いえ、着替えてないだけで、今日の任務は終わってますから」

 若い女性の給仕がエールを持ってきた。

 セリーヌは、それを一気に飲み干すと、お代わりを頼んだ。

「ちょ、ちょっと、せめて落ち着いて飲もうよ」

 サムトーの方が焦ってしまった。このまま酔い潰れられても困る。

「今日も結局、暴力沙汰一つ取り押さえられないのかと、小言を言われてしまいました。あなたの助けがなかったら一体どうなっていたことかと、心配までされてしまいました。ですが、私も頑張っているのですよ。訓練だって欠かしませんし、事務仕事も遅いけど手は抜いてませんし、警備任務もきちんと地道にやっていますし」

 何かいきなり愚痴が始まった。そこへエールのお代わりが来た。遠慮もなくそれをあおる。

「確かに武芸の腕は上達しないですし、業務も遅いからって、いつもみんなに頼ってばかりですけど。ギリギリ役に立つからって言ってもらえますが、それってあまり役には立たないって言うことですよね。どうせ私はダメな騎士ですよ」

 いや、こんなところで酒をあおってる段階でダメだろ、そう言って突っ込みたいが、さすがにはばかられた。

「スリの一人や二人捕まえて、できるところもあるって見せたいのです。仲間は仲間で頑張ってますから、手伝ってとか言えないですし。お願いですから手伝って下さい」

 二杯目ももう半分位しかない。とんでもない絡み酒だった。

「分かった。手伝うから。詳しい話は、また明日聞くよ。今日はもうこの辺にしておこうよ。な」

 その言葉を聞いて、セリーヌがうなずいた。

「良かった。ありがとうございます。えっと、サムトーさん」

 残るエールを一気にあおると、おもむろに立ち上がって言った。

「では、また明日来ますから、その時はよろしくお願いしますね」

 目が少し据わっているが、足元はまだ大丈夫なようだった。エール二杯の代金を支払い、店から出て行った。

 また断れなかった。俺って女性の押しには弱いなあ。そんなことを考えながら、サムトーもエールをあおった。

 そこへ給仕の若い女性が近づいてきた。くすんだ銀髪で、細面のきれいな女性だった。

「サムトーさんでしたね。私はミーシャと言います。一応セリーヌとは知り合いなんですど、今日は荒れてましたね。彼女に代わって謝ります。巻き込んでしまってごめんなさい」

「いや、ミーシャのせいじゃないから。気にしなくていいよ。それより、セリーヌって騎士様、いつもあんななのか」

「普段はあんなことはないです。ごくたまに、ですね。昼間の乱暴者の件で何か言われたとか言ってたので、それが原因でしょう」

 実際サムトーは簡単に倒したわけだが、騎士でも女性の細腕では、よほど修練を重ねていないと、一撃で倒すのは難しいだろう。しかし、それが出来てこその騎士とでも言われたら、反論できなかったに違いない。

「なるほどねえ。しかも酔った勢いでまた明日、とか言ってたけど、本当に来るのかねえ」

「来ると思いますよ。あの人、エール二杯くらいじゃ潰れませんから」

 だとすると、どのくらい飲んだら潰れるんだろう。ちょっと考えるのも怖くなってきた。

「分かった。ありがとね。じゃあ、夕食もらえるかな」

「はい、ただいま」

 結局、巻き込まれたのは確定のようだった。そうなるとまた連泊になる。面倒事ではあるが、どの道、当てのない旅の途中である。今度は何日かかるかな。そんなことを考えると、逆に楽しくなってきたのだった。


 翌朝、日の出の少し前に起き出す。

 井戸端で水を一杯飲み、剣を鞘に差したまま、基本の型の素振りをする。六種類左右の腕で百本ずつ。腕が鈍らないよう必要最低限の鍛錬だった。素振りを終えると、また水分を補給する。

 それから朝食を取る。ここまでは宿代に含まれている。チーズトーストとベーコンエッグ、野菜スープ。定番だがうまい。

 そう言えば、セリーヌとか言う女騎士、明日とか言ってたけど、時間の指定がなかったなあと思い出した。

 部屋で待機かな、と思っていたら、ちょうどそこへ慌ただしく昨日の女騎士が姿を見せた。

「昨日はごめんなさい。無茶なお願いをしてしまって。あの件はもういいですから、気にしないで下さい。本当にごめんなさい」

 酔いが醒めて冷静になったところ、急に悪かったと思ったらしい。最初にお願いしてきた時は素面だったから、本当は手伝って欲しいのが、ありありと分かった。

 そんな時は、相手が誰でも調子に乗るのがサムトーだった。

「ふーん、騎士様って、自分で言ったことを、そんな簡単にナシにしちゃうんだ」

「そ、それは……」

「せっかく方法考えてたのになあ。そっかあ、ナシかあ」

「え、何かいい方法があるんですか!」

 過剰な食い付き方だった。そのくらい、普段役に立たないと思われているのを、何とかしたいと思っているようだった。

「やっぱ手伝って欲しいみたいだねえ」

「う、そ、それは、もしできるなら、お願いしたいかな、とは、思っていたりするんですけど……」

 もじもじしながら歯切れの悪い言葉を言う。本心が簡単に透けて見えてしまうのだが、騎士としてそれは大丈夫なのかな、と心配にもなる。

「ところで、時間は大丈夫?」

「はい。午前中の巡回の途中ですが、今なら多少の時間は大丈夫です。午後は訓練があるので無理ですけど」

 それを聞いて、今さらのようにサムトーが尋ねた。

「あと、言葉遣い。俺、偉そうな言い方してて、騎士様の方が丁寧語っていうのはどうなんだろ」

「気にしないで下さい。私のはこれが習慣ですから。あと、騎士身分の方が上ということになっていますが、公的な場以外では、みな対等だと思っています。それに、私は騎士として人に尽くす仕事を選んだ身です。相手がどんな言葉遣いでも気にしないことにしています」

 根が真面目だなあ。何事にも真剣だからこそ、昨日は醜態を晒してしまったのだろう。

「了解。じゃあ、少し説明しようか」

「はい、お願いします!」

 表情が明るくなり、じっくりと聞く姿勢になった。生真面目だが、結構かわいいところもあるなと思った。

「で、作戦は二種類。一つは私服の張り込み。街中に溶け込むような格好で見張りをするんだ。スリって獲物を探すのに挙動が不審だから、そういうヤツを見つければいい。ただ、時間はかかるけど」

「なるほど。制服で巡回すると警戒されますよね。ただ、いつ現れるか分からない犯人を見つけ出すとなると、相当長い時間がかかりそうですね」

「その通り。だから、もう一つ囮を使う手がある。同じく街で買い物してる人のふりをして、適当に商店街をうろつくんだ。いかにも金を多く持ってる感じが出せれば、食い付いてくると思うんだよな。とは言え、これも相手がいつ現れるかわからないから、結局時間がかかるけどね」

 二つの作戦を説明され、セリーヌはよくよく考えてみたようだ。このまま普通に警備をしていても、現場に出会わなければスリを捕らえることは困難である。捕らえるために罠を張るというこの発想は、いかにも名案に思われた。問題は時間がかかることだ。とりあえず、三日ほど試してみてもいいのではなかろうか。

 そして、もう一つ思いついたことがあった。

「あの、その作戦、両方同時にできませんか? 例えば、私が囮になって、サムトーに監視役をしてもらうとか」

 サムトーはしまった、という顔になった。騎士隊か警備隊で試しにやってみなよと言うつもりが、きっちり巻き込まれている。商店街で長時間の張り込みかあ。かなり大変だよなあ。そう思いつつ、頑張ってやろうとしているのを見捨てるのも、後味が悪い。結局同意してしまった。

「分かった。それでいこう」

「本当ですか。ありがとうございます」

 セリーヌが目を輝かせた。実際に試せば大変さが分かるだろうから、そんな喜ぶことでもないことが分かるだろう。

「では、隊長に作戦の許可をもらいます。期間は、明日から三日間でどうでしょう」

「分かった。許可が出たかどうか知らせに、夕方また来てくれるかな」

「分かりました。では、これで巡回に戻ります。また夕方に」

 そう言うと、晴れ晴れとした表情で、機嫌よく立ち去って行った。

 片やサムトーは、面倒事を自分から抱える羽目になって、自分のうかつさに呆れていた。まあ、人助けにはなるかと、こじつけて自分を慰めた。

「モニカさん、三泊追加で」

 女将さんに銀貨三枚を追加で支払い、覚悟を決めたのだった。


 夕方遅く、夕食を食べ終えた頃合いに、一人の女性が現れた。

 栗色の髪の毛を二つ結わえにして、明るい色の上着を羽織り、膝くらいの丈のスカートを着ている。どこかで見た人だなあと思い、サムトーはしばらくの間考えていた。正解にたどり着くのに十秒ほど要した。

「騎士セリーヌかあ、誰かと思った」

 騎士服を脱ぐと見事に別人だった。服装も良く似合っていて、きれいな女の子という印象だった。またもや調子に乗って、そのまま言葉にしてみる。

「うん、きれいなお姉さんって感じで、良く似合ってるよ」

 言われた側は、まさかそんなことでほめられると思っておらず。ほめられ慣れてもないので、顔を赤くして照れていた。

「そんな、お、おだてても、何も出ませんよ。……それより、明日から三日間で隊長の許可が下りました。それで、囮になるのにこんな服装ではどうかと思い、着て来たのです」

「なるほど。その格好なら、誰も騎士とは思わないな、うん」

「そうでしょう。頑張って考えてきました」

 そう言って自慢げに胸を張る。思った以上に大きさのあるその部位を強調されると、目のやり場に困ってしまうが、結局しっかりと見てしまった。騎士服では着やせして見えるようだった。

 セリーヌもエールを一杯頼んだ。

 給仕のミーシャが届けに来たついでに、声を掛けた。

「セリーヌ、そんな格好して、サムトーさんとデート?」

「残念ながら違います。作戦会議なのです」

 残念なのか? いや、これは冗談に冗談で答えただけだろう。

「そうなんだ。じゃあ、お仕事頑張ってね」

 あまり深く追及することなく、ミーシャは立ち去った。

 セリーヌの方は、さすがに今日はエールを軽くあおるに止め、早速とばかり話に入った。

「それで、作戦なのですが、私はどう動けばいいのでしょう」

 酒を飲みながらだが、本当に作戦会議だった。サムトーも軽くエールを飲むと、真面目になって答えた。

「要は買い物客の振りができればいい。いろんな店に出入りして、品物をのんびり眺めて回れば大丈夫だ。その間、俺はセリーヌから距離を取って、だけど、すぐ駆け付けられる場所で監視する」

「分かりました。それなら難しくないですね」

「買い物の振りしながら、ちゃんと周囲の様子も見るんだ。怪しい奴がいたら、わざと隙を作るのもありかもな」

「なるほど、警戒しながら振りをするんですね」

 自分のすべきことが良く理解できたようで、ちょっと自信を取り戻した感じでうなずいていた。

「そういうこと。明日、店が開く九時の鐘で、作戦開始でいいのかな」

「そうですね。その前に、またここへ来ます」

「了解。合流よろしく」

「承知しました。じゃあ、二人で頑張りましょう。乾杯!」

 そう言って、酒杯を掲げてきた。サムトーが軽く酒杯を合わせる。

「良かった。サムトーみたいな頼れる人が味方で、心強いです」

 昨日もそうだったが、セリーヌは酔いが回るのが早いようだった。もう上機嫌である。

「私もですね、去年十八で騎士の叙勲を受けて、もう一年経つんです。これまで全く功績もないですし、少しは活躍して見せたいのです」

 何と、驚きの同い年だった。てっきり年上かと思ったのだが。ちなみに神聖帝国では飲酒に年齢制限がない。年齢が一桁でも、風邪をひいた時など、体を温めるために、ごく少量の酒を飲ませることがあるくらいだ。

「そっか、同い年なんだ」

 サムトーの返答に、セリーヌも驚いていた。

「これは奇遇ですね。サムトーの方が年上かと思っていました。何せ、二人の男達を、一撃で倒すほどの腕前でしたから」

「まあ、あれは相手の不意を突いただけだし」

「それでも一撃はすごいです。私、訓練方法間違っているのでしょうか。もし良かったら、コツを教えて欲しいです」

「コツねえ。強いて言えば、正確さと速さかな。こればかりは反復練習あるのみだなあ」

「そうですか。気を付けて訓練してるつもりなんですけど」

 そうこう話している間に、二人とも酒杯が空になってしまった。

「明日もあるから、今日はこの辺でお開きにしよう」

 サムトーがそう提案すると、セリーヌも大事が控えていることを思い出して、それに同意した。

「では、サムトー、明日九時前に」

 こういう確認が取れるところは騎士らしいよな。今の姿は町娘だが。

「また明日。頑張ろうな」

 二人は拳を合わせると、セリーヌは騎士寮へ、サムトーは借りている部屋へとそれぞれ戻っていくのだった。


 翌日。約束通り、九時の鐘が鳴る少し前に、セリーヌは銀蘭亭にやってきた。サムトーも私服にポーチのみ姿で待機済みである。

「今日はよろしく」

「はい。よろしくお願いします」

 挨拶を交わして宿の外へ出ると、ちょうど九時の鐘が鳴った。

 セリーヌが作戦通り、ゆっくりと商店街を歩いていく。

 時々店の前で立ち止まっては商品を見る。

 サムトーは少し離れた場所から、同じように店を物色している風を装いながら、少し離れた場所からセリーヌを追う。

 当然のことながら、作戦初日の午前中、開始直後に不審な人物は見当たらない。一日かけても空振りに終わる可能性も濃い。

(引き受けたのはいいが、本当に地道な作業だよな、これ)

 そんなことを思いながら、パン屋に入って白パンを一つ買う。

 パン屋の外にあるベンチに座って、ゆっくりとそれをかじった。

 遠目にセリーヌの具合を見ると、何か様子がおかしい。

 装飾品の店の前で立ち止まり、そのままじっと動かないのである。

 ちょっと横に動いてはまた止まる。

 その動きを繰り返して、その店の商品をじっくりと眺めていた。

(これ、もしかして、本気で商品に見とれてるのか)

 その疑念を確かめるべく、残ったパンを口の中に放り込むと、何気ない風を装って近づいていく。

 そして、確かに商品に見とれているセリーヌがそこにいた。明らかに周囲への警戒を忘れていて、サムトーが近づいたことさえ分かっていなかった。

「お客様、何かお気に入りの商品でもございましたか」

 サムトーがわざとそんな声を掛けると、我に返ったセリーヌが慌てて手を振った。

「いえ、素敵な商品ばかりで、つい見とれてしまったのです。……って、サムトーじゃないですか」

「そういうこと。じゃあ、後は頑張って」

 それだけ言って、サムトーが離れる。まあ、あれはあれで、無警戒だから囮にはなってるかな、などと思いながら。

 自分の仕事を思い出したセリーヌが、今度は雑貨屋へと入っていった。

 そして、今度は中々出てこない。

 どうやら本気で何を買おうか迷っているのだろう。

 三十分近く待っただろうか。セリーヌがようやく店を出て来た時には、髪飾りが増えていた。

 本気で買い物するのは想定外だが、まあ、囮役としてはいいのかな。そう思わなくもないが、自分の役割を忘れ過ぎではなかろうか。周囲に怪しい人物がいないか見張って欲しいなあ、と思うサムトーだった。

 昼食ももちろん別々である。

 セリーヌはパスタ屋に入ると、屋外のテラスに腰掛けた。今度は逆に周りを見回しすぎである。明らかに警戒しすぎだった。

 サムトーは、別のパン屋で買ったチーズパンをかじりながら、周囲を見渡していた。

 すると、セリーヌの不審な動きをじっと見つめている男を見つけた。その男の挙動自体も不審である。

 サムトーは、なるべくその男の方を見ないようにしながら、視界の隅に捉えるようにした。

 そして待つこと二十分ほど。セリーヌが食事を終えて、また商店街を歩き始めると、その男も動き出した。どうやら釣れたようだった。

(初日の昼間でもう怪しい奴発見か。ツキがあるな)

 そう思いながら、セリーヌの跡を付ける。

 セリーヌも、しばらくは雑貨屋や菓子屋などに出入りしながら、買い物客になりすましている感じだった。怪しげな男が距離を置いて、その跡を付けている。先程セリーヌが周囲を警戒していた様子を見て、多目に金を持っていると踏んでの行動だろう。その二人の跡をサムトーがつけている。後は犯行に及ぶかどうかだった。

 やがて、セリーヌは、さっきとは別の装飾品店の前で立ち止まった。先程と同じように、商品をじっくりと眺めている。どうやら、また役割を忘れて装飾品に見入っているようだった。

 すると、怪しい男に動きがあった。男は周囲を確かめるよう見回すと、一度セリーヌの後ろを通り過ぎた。そして急に立ち止まり、何かを思い出した風を装って逆方向へと歩き出した。サムトーはそれを見て、これはスリだと確信し、忍び寄るように二人に近づいた。

 そしてセリーヌと男がぶつかった。セリーヌがよろけて後ずさる。男は慌てた感じで謝罪してきた。

「本当にすみません。私の不注意で。お怪我などはありませんか」

 セリーヌも装飾品に見入っていて不注意だったことので、自分も悪かったと思い、謝罪する。

「いえ、大丈夫です。こちらこそ、周りを良く見ていなくて、すみませんでした」

「そうですか、無事で良かったです。本当にすみませんでした。それでは、これで」

 そう言って、男が立ち去ろうとした。そこへ足を引っかけたのがサムトーだった。見事にバランスを崩し、転びそうになる。そこへ鋭い手刀の一撃を首筋に当てた。男が気を失って倒れた。

「ちょっとサムトー、突然何ですか」

 セリーヌが驚いてサムトーを咎めようとする。

 サムトーは男の懐を漁って、財布を取り出した。もちろん、セリーヌの物である。

「あ、私の財布」

「というわけだ。お手柄だったな」

 言いながらポーチから紐を取り出し、男の後ろ手を縛り上げる。

 そして男を何度か小突いて意識を戻させた。

「あ、ちくしょう、やられた」

 地面に転がされた状態で、手を塞がれては立ち上がることもできない。

「まあ観念して、連行されるんだな」

 サムトーは男を引っ張り上げて立たせると、セリーヌに先導させて騎士隊本部へと歩かせていくのだった。


 セリーヌが、協力者の手助けを得てスリを捕えたという話は、あっという間に騎士の間に広まった。彼女が功績を上げることなど、それだけ珍しい出来事だったのである。

 犯人の男は、別の大きな街でもスリをしていて、一月ほど前に、ここアマティ城下町に流れてきたのだという。被害者は想定以上に多く、捕らえた男自身が、何件犯行に及んだか覚えていないほどだった。稼いだ金はほとんど生活費に消え、たまに賭場や競馬場で遊ぶこともあったという。

 その調書は、セリーヌと、その先輩のグレースという女騎士が作成した。それを元に、小隊長のソフィアという女騎士が判決文を作成することとなった。セリーヌの属している小隊は、この時代でも珍しい女性だけの小隊だったのである。

 夕食後、例によって宿屋の一階にある居酒屋で、エールを一杯ひっかけていたサムトーは、事の顛末をセリーヌからそう聞かされたのだった。

「無事に解決できて良かった。三日試すつもりが、まさか初日で捕まえられるとはねえ。運が良かったなあ」

 エールを飲みながら、サムトーが他人事のように論評した。

「これも全てサムトーのおかげです。本当にありがとう」

 こちらもエールを飲みながら、セリーヌが言う。

「同僚からも、まぐれかもしれないが、とにかく功績を上げたことには違いない、よくやったとほめられました」

 上機嫌でそんな報告もする。まだこんな子供っぽいところもあって、それも彼女の魅力だな、などとサムトーは内心で論評していた。

「それは良かった。手伝った甲斐があるというもんだ」

「繰り返しますが、ありがとうござました」

 と、喜んでいたのはそこまでで、不意に表情が暗くなった。

「今回、私、役に立ってませんでした。ぶつかられた後、すぐに気付いて対処すべきでした。つい宝石見るのに夢中になってしまって」

「ま、結果良ければいい全て良しって言うから、気にしない、気にしない。それに囮作戦言い出したの俺だし、セリーヌが見事な囮だったから、犯人も釣れたわけだし」

「ですが、騎士として任務を忘れていましたし」

 あまりに表情が暗いので、ちょっと強引に、サムトーは話題を逸らした。

「それより、そんなに宝石好きなのかなあと思って、そっちの方が気になったなあ」

 好きな話題だったようで、セリーヌが食い付いてきた。

「実はそうなんです。自分が身に付けたいとかじゃなくて、あの宝石の持つ輝きが好きなんですよ。キラキラしてたり、不思議な色つやだったり、見ていて飽きることがないんです」

 言葉の通り、よほど好きらしい。表情もぱっと明るくなった。

「自分で買ったりするの?」

「騎士の俸給でも買えなくはないですが、もし自分の手元にあったら大変です。暇さえあれば眺めてしまって、きっと他の事が手につかなくなります」

「そんな風に考えるほど好きなんだ。なるほどねえ」

 感心半分、呆れ半分でサムトーがうなずいた。エールも空になっている。話していると楽しいので、もう一杯頼もうかと、少し迷った。

「せっかくですから、ご一緒にもう一杯どうですか」

 セリーヌの方から誘ってきた。前回もそうだったが、かなり飲める質らしい。二杯程度は余裕なようだった。

「そうだな、じゃあもう一杯行こうか」

 エールの追加を頼む。

 すると、ミーシャが運んでくるなり、サムトーに言った。わざとセリーヌにも聞こえるようにしていた。

「セリーヌはそこそこ強いですけど、落ちるときは一瞬ですからね。度を超すと、すぐに寝落ちするんです。この一杯で止めておいた方がいいですよ」

「ご忠告、感謝するよ。そうするな」

「ミーシャは容赦ないです。でも本当のことなので、私もこの一杯で止めておきます」

「それを聞いて安心しました。では、ごゆっくりお楽しみ下さいね」

 ミーシャが立ち去る。二人は苦笑いしながらそれを見送った。

 セリーヌが一口飲んでから、思い出したように言った。

「ところで、サムトーのその強さは、どうやって身に付けたんですか」

 話が再開して、一番困る話題が来た。適当に言ってごまかす。

「いやあ、これでも剣士だから。あちこちでね」

「そうですか。私ももう少し強くなれると良いのですが」

 追及はなかった。安心してエールを口にする。武芸もいまいちだとか言ってたし、結局そこに落ち着くらしい。

「そうだねえ、全般的に強くなるなら、ひたすら実戦的に訓練するしかないけど、それにはすごく時間がかかるからなあ。とりあえず、今回みたいに相手を確保する目的なら、一撃を磨き上げるのが早道かなあ」

「一撃を磨くって、どうすればいいのですか」

「急所を正確に打つか突くかするんだよ。俺の場合、首筋かみぞおちを狙うことが多いな」

 セリーヌが、自分にもできるかもしれないという期待感で、目をを輝かせた。身を乗り出すようにして懇願してきた。

「お願いばかりで申し訳ないですが、その技、教えてはもらえませんか」

 あ、しまった。エール三杯目で、ちょっと口が滑ったかもしれない。妙にやる気を出させてしまい、これはまた巻き込まれるパターンかも。そう思った時には、すでに手遅れだったようだ。

「私とサムトーの仲じゃないですか。ぜひともお願いします」

 セリーヌもそれなりに酔っているようだった。多分本心だろうが、いつの間にか、彼女の中でサムトーが友達認定されていた。まあ共同作業もしたわけだし、赤の他人ではなくなったのは確かだろう。

「明日の午前中、騎士隊本部の訓練室でどうですか。訓練道具もいろいろありますし、小隊のみんなも知りたいと思うはずですし」

 話がどんどん進んでいく。これで断ったら傷つくだろうなあ。そう思うと引き受けざるを得ない。

「分かった、分かった。基本の型だけで良ければ、引き受けるよ」

 結局、また新たな頼みを引き受けてしまうサムトーだった。

「ありがとう、サムトーは本当に頼りになりますね。強いし、親切だし、とても素敵な人だと思います。大好きです」

 うれしさのあまり、あらぬことまで口走るセリーヌだった。言ってから、顔を赤くして、両手を振って弁明する。

「あ、友達として好きという意味ですよ」

 それも言う必要はないだろう。まあ、かわいげがあるのは良く分かった。というか、友達認定確定だったのか、と思った。そうなると、少し意地悪を言ってみたくなる。

「俺の教え方は厳しいぞお。ついてこられるかな?」

「はい、任せて下さい。しぶといのだけが取り柄ですから」

 見事に空振りだった。うれしそうにしながらエールを飲んでいる。

 サムトーは軽く肩をすくめると、同じようにエールを口にした。

「じゃあ、明日九時の鐘で、騎士隊本部に来て下さい」

「分かった、九時の鐘だな」

「ありがとうございます。では、私達の友情に」

 そう言って、酒杯を掲げるセリーヌに、サムトーも酒杯を合わせたのだった。


 翌朝、日課の鍛錬や朝食などを一通り済ませたサムトーは、九時の鐘が鳴る前に宿を出て、騎士隊本部へと向かった。

 さすがは五十人からの騎士が働く本部だけあって、広い敷地に立派な建物がいくつも並んでいる。敷地はきちんと柵で囲まれ、広場もあれば庭もあって、とてもよく整備されていた。

 門の前まで行くと、騎士服姿のセリーヌがすでに待っていた。

「来てくれてありがとう。では、案内します」

 門番に会釈をして敷地へと入る。正面の一番大きな建物が本館で、訓練場は一番端の建物だった。

「ソフィア小隊長、サムトー殿をお連れしました」

「初めまして、サムトーです」

 話は通してあるようで、セリーヌの属する小隊十人全員が集まっていた。全員訓練着を着た女性である。一番年上の小隊長でもまだ三十代前半に見える。後は二十代後半から、一番年下のセリーヌまで、みな年の若い者ばかりだった。

「朝の打ち合わせで話した通り、今日はこのサムトー殿に警棒術を教えてもらうことになっている。確実に犯人を取り押さえる方法として、急所に一撃を加えることが効果的だという話だ」

 小隊長が今日の訓練について説明する。しかし、それだけではもちろん済むはずがない。

「とは言え、実際に彼の腕前を見ないことには、教えを乞う価値があるかどうか、疑問を抱く者もいるだろう。だから、まずは腕試しといこう。誰か立ち合いを希望する者はいるか」

 すると、二十代前半と思しき女性騎士が名乗りを上げた。

「グレースか。いいだろう。では、二人とも警棒を構えてくれ」

 一番年少のセリーヌが二人に警棒を持ってきて手渡す。

 まあ、こうなるよなあ、と思いつつ、サムトーは無造作に警棒を流した。

「甘く見ると、痛い目を見ますよ」

 グレースと呼ばれた女騎士が中段に警棒を構える。確かに構えが堂に入っていて、練度の高さが垣間見れた。

「では、始め!」

 小隊長の合図で、グレースがサムトーに打ちかかる。上下左右、自由自在に警棒を操って、連続で攻撃してくる。しかし、サムトーは簡単に全てを打ち払っている。完璧な防御だった。

 グレースが打つだけでなく、攻撃に突きを織り交ぜてきた。それでもサムトーにはまだ余裕である。

 あまり長引かせて恥をかかせるのもどうかと思い、警棒を斜めに振り下ろしてきたのを打ち払わずにかわすと、その警棒を上から強く叩いた。てこの原理でグレースの手首に強い負荷がかかり、警棒が地に落ちた。

 おお、と小隊から声が上がった。見事な手際に感心していた。

「なるほど、振り下ろした瞬間は、最大の隙になるわけか。そこを強打すれば、相手の武器を取り落とせると。見事だ」

 小隊長が解説しつつ、技を評価した。小隊全員、サムトーの腕前に納得がいったようだった。

「では、急所を打つ技をご指南頂こう」

 訓練用の木の人形が運ばれてきた。結構な重さがあるようで、三人がかりだった。頭と胴体だけで手足はない。

「では、改めて、今日はまず打ち下ろしから。先程、こちらのグレースさんが繰り出したように、斜めの打ち下ろしは比較的使いやすい技です。ですから、それを正確に、相手の首筋に打ち込めれば、大抵の場合、一撃で相手は気絶します。速く正確に打ち込むことを意識して下さい。それでは、少し見本を見せます」

 そう言うと、サムトーは人形と対峙した。一歩踏み込んで右上から打ち下ろす。打った後はすぐに一歩下がる。また踏み込んで打つ。下がる。それをかなりの速さで十本繰り返した。

「打ち込んだ後、すぐに下がるのも大事です。打ち損じた場合、相手の追撃を避けられますし、攻撃方法を変える選択肢も増えますので」

 サムトーの説明に得心がいったのだろう。小隊長も含め、全員がうなずいていた。

「では、今の技を個別に練習することにしよう。では、総員、始め」

 小隊長の号令で、全員が警棒を手に取り、それぞれ空いている木の人形へと打ち込み始めた。

 やはり伊達に騎士ではない。全員動きが良く、正確で威力もあった。その中で、どうしてもセリーヌが目立ってしまう。多少動きが鈍く、打ち込みの軌道も一定でないのが、一目で分かってしまうのだ。サムトーは彼女に近づいてアドバイスをした。

「慌てないで、速度が出なくても、正確さ優先で打ってみて」

「分かりました!」

 訓練中はとても真剣で、思った以上に格好良かった。それに、人の言葉も素直に聞き入れる姿勢も良い。アドバイスを聞いて、すぐに速度が落ち、代わりに警棒の軌道がずれなくなってきた。

「その調子。慣れてきたら、少しずつ速度を上げよう」

「了解です!」

 そうやって十分ほど打ち込みの練習をしたところで、小隊長から止めの合図が入った。ここで少し休憩となる。

 一休み入れながら、互いに打ち込みの感触や姿勢、速度などの意見を交換し合う。普段は犯罪の取り締まりに警棒術が必要だ。それに、もし戦争ともなれば、最前線で戦うことになる。勝つため、いや生き残るためにも、武芸の素養は絶対に必要なのが騎士だった。そう考えると、多少だが剣闘士と似たところがあるなと、サムトーは思った。

「では、次に突き技に移る。サムトー殿、頼みます」

 再びサムトーが人形と対峙する。

「今度は、踏み込みながら突きを繰り出します。合わせて体にひねりを加えて威力を増します。一撃突いたら、すぐに下がるのも先程と同じです。少しやってみます」

 そう言って、最初はゆっくり突きを繰り出す。何度か連続で着いた後、速度を上げる。全て正確に人形の中央に当たっている。付く時の姿勢も常に一定で、ぶれることがない。

 十数本突き終えて、騎士達の方へ向き直る。

「こんな具合です。対峙した相手を一撃で倒せたとしても、すぐ次の相手に移れるよう、突いた後にすぐ下がるのを忘れずに」

 騎士達が同じようにうなずく。

「では、各自練習開始」

 小隊長が再度の号令をかけて、練習が始まった。

 今度も同じように、騎士達は皆優秀だった。突く時の安定感、突き自体の威力、突いた後俊敏に下がる動き、どれも見事だった。普段からの鍛錬が生きているようだった。

 セリーヌも、先程のアドバイス通り、速度は遅めだが、正確さを意識して突いていた。動きも滑らかで、姿勢や突く位置のぶれも少ない。

「いい感じ。そのまま続けて」

「はい、分かりました!」

 高評価を得て、セリーヌはより気合が入ったようだった。わずかだが速度と威力が増した。

 突きも十分ほど行って、止めの号令がかかった。

 ここでまた休憩となる。騎士達が技の感想や意見を交換し合う。今度も好感触を得て、皆満足そうだった。

「打ち下ろしと突きの二つだけでも、ちょっとしたことで威力も速度も増すことが分かったのは、大きな収穫だった。まずは、サムトー殿にお礼申し上げる」

 小隊長がそう挨拶した。騎士達から拍手が湧いた。身分の高い、それも年若い女性達から称賛されると、ちと照れ臭い。

「今日は打ち合いの訓練を行って終了とする。順に一人ずつ、サムトー殿と手合わせして頂こう」

 訓練熱心だなあと感心する。これだけやる気があるのだし、最後まで手伝わせてもらおうと、サムトーは覚悟を決めた。

「では、シャロンからだ」

「はい。よろしくお願いします」

「構え、始め!」

 最初のグレースという女騎士同様、最初から攻勢に出てきた。この積極さが騎士たるゆえんなのだろう。そんなことを思いながら、最初は防御に徹する。

 それでもシャロンは焦らず連打してきた。そこでわざと隙を作り、振り下ろしを誘う。それを見逃さず打ち込んできたのを軽く弾いて、振りかぶって反撃を見せる。そこへ鋭い突きが来た。サムトーは、警棒を引いてその一撃を受け止めるが、威力に押されたように一歩下がった。

「こちらの負けです。参りました」

 サムトーの敗北宣言に、シャロンがやったとばかり拳を握って下がる。

 次いでセリーヌの番になった。

「参ります!」

 先程教えたばかりの突き技を連続で放ってきた。突きは元々避けにくいものである。全て弾いたが、きちんと一歩下がっていて、隙が無かった。

 それでも、無理矢理突き終わりに、サムトーも突きを放つ。下がっていたセリーヌはそれを見事に避けて、再度の突きを放つ。サムトーは警棒で何とか受け止め、同じように敗北宣言をした。

「こちらの負けです。参りました」

「あ、ありがとうございました」

 礼を言いながら、セリーヌはうれしそうに下がっていった。

 そんな調子で、サムトーは、完璧な防御の後、わざと隙を作っては相手の一撃を受け止め、小隊長を除く全員に勝ちを譲ったのだった。

 そして、いよいよソフィア小隊長の番である。

 さすがに経験豊富で技が多彩だった。頭上、肩口、胴、様々な場所を狙った打ち技に加え、突きも放ってくる。足捌きも見事で、間合いを器用に出入りする。並の騎士では相手にならない強さがあった。

 サムトーはわざと強打を受けて態勢を崩し、その隙に放たれた打ち下ろしを辛うじて受け止める。

「負けました。さすが小隊長、見事な連携技でした」

 サムトーがそうほめると、悪い気はしなかったようで、小隊長が軽く笑みを浮かべた。

「いえ、サムトー殿のおかげで、実のある訓練ができました。相手の隙を見て打ち込む経験が積めたのは、今後の役に立ちましょう。ありがとうございました」

 さすがに熟練の騎士だけあって、手加減して隙を作っていたことを見抜いているようだった。だが、それはそれでいい。本来の実力を知られると、さすがに素性を探られる危険がある。

「いえ、わずかな隙を狙える確かな実力が、みなさんにあったということですよ。これも日々の鍛錬の賜物ですね」

 そう賛辞を贈ると、騎士達が皆自信のある表情を見せた。良く努力している証明だった。

「では、本日の訓練はここまでとする。一同、解散」

「ありがとうございました」

 そうして騎士達は、訓練着を着替えに更衣室へと向かっていった。


 残されたサムトーは、セリーヌが来るまで訓練棟の出入口で待っていた。さすがに騎士の案内なく、勝手に騎士団本部からの退去はできない。

「サムトー、お待たせしました」

 しばらく待っていると、セリーヌが二人の女性を伴ってやってきた。

「こちらはグレース。最初に対戦した人です。私の三つ上の先輩で、いつも親切に面倒を見てくれるんです」

「グレースです。よろしく」

 短めの金髪の女性だった。表情が柔らかく、優しい感じがした。

「こちらがシャロン。一つ上の先輩で、良く一緒に任務をするんです」

「私はシャロン、よろしく」

 こちらは肩までの銀髪の女性で、活発的な風貌をしていた。

「二人が、もし良かったら、一緒に昼食はどうかと誘ってくれまして。もちろん、サムトーも一緒だとうれしいのですが」

「分かった。せっかくのお誘いだし、ご一緒しますよ」

 サムトーは即答した。女性騎士達に囲まれて食事をするなど、滅多にない機会だ。どんな人達なのか純粋に興味があった。

「じゃあ、いつものランチの店でいいかしら」

 グレースが言う。二人もそれに同意した。サムトーもここは女性陣にお任せである。

 騎士隊本部を出て、商店街の方へ歩く。その端の方にある一軒のパスタ屋に入り、空いているテーブルに座った。

「パスタランチ、大盛りで四人分お願いします」

 さすが女性でも体が資本の騎士稼業である。問答無用で大盛りを頼むんだなあと、サムトーは変なところに感心した。

 グラスに水が注がれたところで、四人がそれを掲げる。

「今日の良き出会いに、乾杯」

 軽くグラスを合わせる。そしてそれぞれが一口飲んだところで、シャロンが切り出した。

「サムトー、あなた、それだけの腕があるのに、何で旅なんかしてるの。警備隊とか向いてそうなのに」

 嘘がないように、でも本当のことは隠しつつ答える。

「旅が好きなんで。いろんなことがあって、いろんな人がいて、何だかんだと楽しいからだな」

「でもね、もしいいなあと思う人が見つかったら、変わるんじゃない?」

 こちらはグレースだ。あ、この流れはセリーヌがらみだな、とサムトーは察した。

「乱暴者から助け、スリを捕まえる手伝いもして、これって運命的な出会いじゃないかしら」

 やっぱりそうくるかあ。騎士でも若い女性は、この手の話が好きな人が多いんだなあ。まあ、人それぞれだろうけど。

 前菜とスープが届いて、それに口をつけながら、今度はシャロンが押してきた。

「そうそう、偶然にしては出来すぎだと思うのよね」

 しかし、当のセリーヌの方には響いていなかった。

「それって、私が図々しい人間だってことよね。スリの時も無理矢理頼み込んだし、今日の訓練だって、結構無理にお願いしてるし」

「まあ、そのお願いを聞いてくれたわけだから、サムトーも何だかんだとセリーヌが気に入ったんじゃないの。どう?」

 シャロンが方向修正してきた。グレースもそれに乗る。

「だから運命的じゃないかって、私は言っているわけ。どう?」

 二人に畳みかけられても、サムトーは特に動じなかった。それはそうだ。この前友達認定受けて、そんな感じに思っていたのだし。

「まあ、旅先で知り合った友達、ってところかな。どの道、また数日で旅に出るからなあ」

 ちょうどそこへパスタが来た。お腹も空いていたところで、四人共早速とばかり取り掛かる。

 そのタイミングで、サムトーが話題を外した。

「それより、騎士って仕事大変そうだなあって思って。身分も平民より上の扱いだし、何かと苦労があるんじゃない?」

 口の中が空になったタイミングで、グレースが答えた。

「それは苦労もありますよ。緊急出動とかあると、休む間もないですし。訓練も厳しいですから。その分、やりがいはありますね。領内の平穏を守っているという誇りもあります」

「調書だの財政管理だの、そういう事務も何気に大変だけどね。セリーヌなんか、叙勲して一年経って、ようやくそれなりにできるようになったけど、慣れるまですごく苦労するわね。できるようになるとうれしいけど」

 シャロンもいろいろ苦労してきたようだった。

 なるほどなあと納得しつつ、サムトーもパスタを口に入れる。三人を見渡すと、上品さはあるものの、やはり食べっぷりが見事である。さすがは騎士である。

「三人共、騎士の家の生まれなのかい?」

「ええ、そう。両親共騎士だったわ」

 基本的に身分は世襲である。例外的に、片親が平民の場合もあるが、もう片方の親は騎士身分の場合が多い。他の例外としては、警備隊などで功績を上げ、平民が叙勲を受ける場合である。逆に、騎士身分を捨てて、平民と結婚する場合も少数だがあった。

「じゃあ、小さい頃から鍛えられてきたわけだ」

「そうね。でも、それほど厳しくなくて、ごく自然に武芸や学問を身に付けた感じね」

「セリーヌは、その点苦労したわよね」

「そうですね。父が十二の時に病気で亡くなり、母はその前に帝国直轄領の城塞都市付きに引き抜かれてたから、騎士寮で見習いとして、一人で努力してきたんです。騎士寮の仕事をしながら、先輩達に武芸や学問を教わって、やっと去年叙勲されたんですよ」

 囮役をしながら宝石に見とれてしまうようなうっかり屋だが、人並み以上の苦労をしてきたと初めて知った。だから真っ直ぐに、困ったことを話したり、人の役に立ちたがったりしていたのだと分かった。

「そうかあ、そんなに頑張ってきたんだなあ」

「そうそう。いい娘だと思わない?」

 サムトーの感想にかぶせて、シャロンがまた話題を振り戻してきた。

「そうね、旅に出る前の思い出作りに、せっかくだから二人でデートでもしてきたらどう? セリーヌ明日非番だったでしょ」

 グレースが直接攻めてきた。当のセリーヌは咀嚼していた物を、危うく吹き出しそうになって、必死でこらえていた。それにしても、この二人、いつもこうやってセリーヌをからかって遊んでいるのだろう。見事にそのダシに使われたなあと思うサムトーだった。

 そして、セリーヌはあまり冗談が通じないタイプだというのも、二人は良く知っているはずだった。狙っていた通りの反応を返してきた。

「そ、そんな、で、デートとかって、私達、そういうんじゃないです」

「あら、そうですか」

「仲が良いからてっきり」

「仲は良い……と思いますけど、協力した仲ですし」

 もじもじしながら答える様子は確かにかわいらしい。しかし男女の仲では決してなく、巻き込まれた結果、気が合う友達になりました、という関係だろう。とは言え、この騎士らしくない騎士と一緒に観光するのは、きっと楽しいだろうとは思う。

「俺は暇だし、セリーヌが良かったら、明日一緒に出かけてみるか?」

「え、サムトー、本気で言ってるんですか?」

「もちろん。一緒の方が楽しそうだし」

「そういうことなら……助けてもらったお礼もしたいですし」

 そんな感じで話がまとまってしまった。グレースとシャロンに乗せられたところはあるが、まあ旅の記念に、女騎士の友達と街巡りというのは、良いのではないかとも思った。

「あら、良かったわね」

「仲良きことは美しきかな、っていうところね」

 そんな会話をしている間にも食事は進み、あと少しで食べ終わるくらいになっていた。

「時間と場所だけ決めておこうか。行き先は合流してからで」

 サムトーの提案にセリーヌがうなずく。

「では、九時に銀蘭亭に迎えに行きます」

「分かった。手間かけて悪いな」

「いえ、こちらこそ、いろいろ助かりましたから」

 話が決まったところで、全員が食事を終えた。午後はセリーヌは巡回、グレースは事務仕事、シャロンは詰所の当番で、それぞれに仕事があるという話だった。

「それじゃあ。今日は楽しかったわ」

 店の前で、四人は別れてそれぞれの場所へと向かった。

 ちなみに、サムトーは賭場へと足を運んでいる。明日の軍資金を少し稼ごうと思ったのだった。結果、金貨五枚を稼いでいる。腕前もあるが、やはり天運を味方に付けているのかも知れなかった。


 翌日、朝九時の鐘が鳴る少し前。

 サムトーが銀蘭亭の前に出ると、ちょうど同じタイミングでセリーヌがやってきた。前回より上品な服装で、薄青の上着が良く似合っている。肩掛けの鞄一つという軽装だった。

「おはよう。今日は前回より、上品でかっこいいよ」

 開口一番、サムトーがセリーヌの服装をほめた。少し照れながらセリーヌが答える。

「せっかくのお出かけだからと、グレースとシャロンが服を貸してくれましてですね。私の服ではないんですよ」

 二人の見立て通り、栗色の髪でおっとりしたセリーヌに、良く似合っていた。騎士であっても、お洒落には結構詳しいのだろう。

 ちょうど九時の鐘が鳴った。商店街で多くの店が開店となる。

「さて、お嬢様、今日はいかがいたしましょう」

 サムトーがわざとらしく聞いてくる。すると、意外な返事が返ってきた。

「たまには城の外に出たいのですが、いいですか?」

 なるほど、騎士勤めだとあまり城外に出ないのか。確かに城下町や騎士団本部だけで仕事の大半は完結する。任務か私用でもなければ、出たりしないのだろう。

「城外のどの辺に行きたいとかは?」

「城から出て、南に一時間ほど歩くと、小さいですが湖があるんです。そこの景色がきれいなんですよ」

「分かった。じゃあ、その湖に行こう」

 サムトーが同意して、二人で南門から城外へ向かうことになった。

「ありがとう。何でも頼みを聞いてくれて、いい人ですね、サムトーは」

 歩きながらうれしそうに言う。

「その湖、近くにあるのに、ここ最近は全然行ってなくて」

「普段、非番の時は何してるんだい?」

「恥ずかしながら、自分の部屋の整理とかが多いです。あと読書も好きなので城の図書室へ行ったり。案外、一人になると外出しないんですよ、私」

「へえ、そうなんだ」

「騎士学校に通っていた頃も、屋外で遊ぶことは少なかったですね」

 何となく想像がつく。小さい頃から、基本的には穏やかで真面目な女の子だったのだろう。まあ妙なところで思い切りの良さを発揮するが。

「サムトーは、小さい時はどんなでしたか?」

「俺ねえ。養護施設の育ちだったからなあ。今と違って、わがままを言わず、調子にも乗らず、割とどこにでもいる大人しい子供だった、と思う」

 その後の環境が過酷すぎて、案外養護施設時代の記憶がない。

「ごめんなさい。答えにくいことを聞いてしまって」

「気にしなくていいよ。事実は変えられないんだから。それより読書好きって、俺からするとすごいと思う。よくそんなに字がたくさんある本が読めるなあって感心しちゃう」

 ちょっと意気消沈したセリーヌの気分をほぐそうと、サムトーが話題を変えた。

 話題がツボに入ったらしい。急に熱心にセリーヌが語り出した。

「いいですよ、本。読むだけで、自分の世界が広がりますから。経験できないことを代わりに読んで感じたり、知っていることがより深く分かったり。お話とかだと、登場人物の気持ちを追いかけて、ああそうだなって思ったり、逆にそれはないんじゃないって思ったり、こう自分の感情が刺激されて、すごく楽しい時間が過ごせるんですよ」

 好きなことを語る姿は、かわいらしくもあり、微笑ましくもあった。武芸や事務は苦手だと言っていたが、こうした人の好さは、それを補って余りある長所ではないかと思った。

 そうこうしているうちに、城門を過ぎ、城の外へと出た。

「城壁の中にずっといると、時々世界の広さを忘れてしまうんです。こうやって外に出ると、改めて世界は広いなあって思いますね」

 のびのびとセリーヌが言う。気分が開放的になってうれしそうだった。

「サムトーは、この広い世界を一人で旅しているんですね。すごいです」

 思った以上に笑顔がいい。そう言えば、こんなに無防備な笑顔を見るのは初めてかもしれない。本当に屈託がない。

「今日は短いですけど、二人旅ですね」

「そうだな。今日だけ旅の相棒だな」

 先月、半月くらい一人の少女が旅の相棒だった。きれいで聡明な、優しい気の回る少女だった。まだ一月しか経っていないが、懐かしく感じた。

「あ、もう蝶が飛んでます。日差しも温かいし、春らしくなりましたね」

 城外の散歩を満喫しているようで、何よりだった。

 それにしても不思議な縁だ。関わるつもりもなかったのが、気が付けば頼みごとをこなして、今は二人でお出かけの最中だ。まあ、この暫定相棒が楽しそうにしているのを見ているだけでも、釣られて楽しくなる。こんなのんびりした時間も良いものだ。

「こんにちは」

 セリーヌがすれ違う荷馬車に挨拶した。

「おう、こんにちは」

 馬車からも挨拶が返ってきた。たったそれだけのことだが、セリーヌの人の好さが感じられて気分が良くなる。

「いいですね、この小さな旅。何か楽しいです」

「楽しんでもらえて何より。俺も楽しいよ」

 何をするわけでもなく、ただ二人だけで歩くのが楽しいのも久しぶりだった。

 やがて、街道からそれて森の方へと向かう。春の草花が生き生きと育つ中を歩く。

 道は森の中へと続く。木々が若芽をつけ、春を実感する。一部若葉や花を咲かせている木もあった。ユキヤナギ、モクレン、カンヒザクラだとセリーヌが教えてくれた。草木の名前まで良く知っているとは、さすがは読書家だと思った。

 森を抜けたところで、目的の湖が見えてきた。陽光を鏡のように反射させていて美しい湖面だった。道は湖に沿って続き、他の集落へと伸びているようだった。

「着きました!」

 セリーヌが子供のようにはしゃいだ声を上げる。その場でくるりと一回転して、喜びを体でも表現していた。訓練中の真剣さと今の子供っぽさ、どちらも違った魅力があった。

 湖面が向こう岸の山を映し出し、そよ風にさざ波を立てる。春の草原に浮かんでいるような光景。確かに良い景色だった。

「あそこで一息入れようか」

 サムトーが草場の一角に、岩がいくつか転がっているところを指す。座るのには具合が良さそうだった。二人でそこへ行き、腰を下ろす。

 二人はそれぞれ持参してきた水筒を取り出し、軽く一口飲んだ。

「自分が春の景色の一部になったみたいです。気持ちいい」

「詩人だなあ、良い言葉だよ、それ」

 サムトーがほめると、まんざらでもなかったようで、セリーヌが微笑を浮かべた。

「ありがとう。サムトーはほめ上手ですね。訓練の時もそうでしたし」

「セリーヌもだよ。お礼が上手でやる気出る。おかげでいろいろ手伝ったわけだけど、どれもいい経験になったよ。ありがとな」

「うわあ、ほめられました。これはうれしいです」

 言葉通りの表情を浮かべる。その笑顔がまた良かった。ついでにもう一押ししてみる。

「旅をしてるといろんな景色に出会うけど、逆に景色を見るために足を運ぶのもいいものだなって思った。それもありがとうだ」

「あ、あんまり言われると、照れてしまいます」

 予想通りの反応だった。そういう分かりやすいところも、魅力に数えていいだろう。相手のことが分かっていくと、親密さが増してくる。相手は騎士様だが、仲良くなれて良かったと思った。

「まあ、いい気分転換になれてよかったな」

「はい。こんなにのんびりして開放的な気分になったの、久しぶりです」

 そうして二人でのんびり景色を眺める。

 きれいな風景の中で、仲良くなれた二人が何をするでもなく、時間が過ぎるのをのんびりと楽しむ。それはとても気分の良い時間だった。


 適当にのんびり過ごした後、二人は城下町へと戻っていた。

 十二時の鐘も鳴り、そろそろ昼食にしようかと、いろいろな店を物色していく。

 昨日はパスタだったので、この日はオムレツの店を選んだ。スープにサラダとパンが付いてくる。そこにチキンソテーも追加した。

「湖、きれいだったなあ。さすがセリーヌのお勧めだ」

「良かったです。景色も堪能したし、午後はどうしましょうか」

 食べながらも会話が続く。

「そうだなあ、街中でどこかお勧めあるかな」

「そうですね。普段巡回してますから、どこも見慣れてしまって」

「何なら、宝石眺めるのに付き合ってもいいけど」

「そ、それはナシで。終わりがないですから」

「じゃあ、まず城でも見に行こうか。名所だし」

「分かりました。ここアマティの名所巡りで行きましょう」

 そんな調子で話は進んだ。食事の支払いは一人銅貨十二枚。ここは昨日稼いできたサムトーが出した。

「そんな、悪いですよ。自分で出しますから」

「いいの、いいの。楽しかったお礼と、この後案内してもらう分ね」

 サムトーはそう言うと、構わず支払った。

「それじゃあ、案内よろしく」

「任されました」

 まずは内城へと向かった。城下町の中にある城で、伯爵の居館と軍事施設を兼ねた建物である。外から眺めているだけでも、手間暇かけて造られた立派な建造物であることが分かる。

「せっかくだから、中に入れてもらいましょう」

 門番に挨拶して通してもらう。セリーヌが騎士だからできる芸当だ。基本的に一般人の立ち入りは禁止されている。

 城内は思いの外質素で、華美な装飾はほとんどなかった。ここの領主は質実剛健で知られていると、セリーヌから補足があった。

 城内の部屋を回るのもはばかられるので、セリーヌは見張り台へと案内してくれた。

 急な階段を回り込むように登っていく。すると、先行するセリーヌの尻が目の前に来てしまい、ちょっと目のやり場に困ることとなった。距離を少し開けて、やりすごす。

 やがて、一番上に着くと、緊急時以外使われることはないので、誰もいなかった。当然だが城壁よりも高く、街全体だけでなく、城壁の外まで見通すことができた。はるか遠くの山の稜線までもがうっすらと見えた。

「すごい眺めだねえ」

 眺望の良さにサムトーが心底感心していた。これまで高いところに登る機会は意外と少なかった。まさに絶景であった。

「本当は緊急時以外は使用してはいけないのですが、異常の有無を確認しに来たという口実で、登っている人は結構いますね。誰に害があるでもないですから、大体みな黙認しています」

 本来軍事施設なのだから禁止も当然だろう。だが、誰でもこの景色を眺めに登りたくなる時もあるだろうなと思ってしまうほど、素晴らしい光景だった。

「私もたまに登ります。煮詰まった時とかでも、気が休まりますから」

 そして、騎士隊本部がそこで、騎士寮がその二つ隣で、などと、街の地理を案内してくれた。高みから見下ろすと、建物や街並みも下から見るのとは違った味わいがあった。

「さて、そろそろ下りましょう。あまり長居すると、さすがに注意されますから」

 そうして城内に戻り、武器庫や訓練場を少しだけ覗かせてもらった。以前滞在したミルトニア伯爵領のトリーゼン城と比べても、武具の在庫も豊富だし、全く遜色のない見事な設備だった。しっかり管理されており、サルトーリ伯爵の人柄を窺わせた。

 それから城の庭園を見て回った。植木や花壇を世話する専門の使用人がいるそうで、どこもよく手入れされている。ここも息抜きには良い場所で、何人かの騎士が長椅子に座って、庭園を眺めながら休憩していた。

「さて、大広場に行って、一息入れましょうか」

 セリーヌがそう提案してきた。名所めぐりを言い出したのはサムトーだ。断る理由はなかった。

 内城の外へ出て、街道の交わるところの北西部に、大きな広場があった。騎士隊本部の敷地と同じくらいの広さがありそうだった。広場を囲むように木々が植えられ、その傍らにはいくつもの長椅子が設置されている。そこで一休みしている人々が何人も見られ、住人達の憩いの場になっていた。その一方で大勢の人が行き交っている。軽食や甘い物を売る露店もあって、そこそこ繁盛していた。

「俺達も何か買おうか」

 そう言って二人で露店に向かう。

 クリームの入ったドーナツがおいしそうだったので二人分買う。長椅子に腰掛け、食べながら広場の様子を眺める。

 食べ始めてからしばらくは、甘い物に顔をほころばせていたセリーヌだったが、しばらくして食べるのを止めてしまった。少し思い詰めたような顔になり、サムトーに問いかけてきた。

「あのですね、聞きたいことがあるのですが」

「ん、何でもどうぞ」

「真面目に答えて下さいね。あと笑わないで下さいね」

「分かった。ちゃんと聞く」

 セリーヌは息を飲むようにして覚悟を決めると、真剣な表情で尋ねた。

「あの、これって、デートなんですか」

 サムトーは危うく吹き出すところだった。だが、先ほど言われた言葉を守らなければ、セリーヌも傷つくだろう。口の中の物を焦らずに飲み込むと、ふうと一息ついて答えた。

「そうだねえ。男と女で一緒に出かけるのをデートって言うなら、多分そうなんだと思うよ。でもさ、それと好き合ってる仲かどうかは別問題だから、デートしたからって気にする必要ないと思うよ」

「そ、そうですか、デートなんですか。でも、デートしたからって、好き合ってるとは限らないと。中々奥が深いですね」

 きっとグレースやシャロンにいろいろ吹き込まれてきたのだろう。デートなんだからすることしないとダメよ、みたいな。まあ、そうやってお節介焼いてくれる存在がいるのは、セリーヌの財産だとは思うが。

「考えすぎ。俺達、知り合ってまだ五日だぞ。そんな短い間でも仲良くなって、こうして一緒に出かけてるけどさ。セリーヌも言ってくれたみたいに、友達でしょ、俺達」

「そ、そうですね」

「友達なら、一緒に遊んでも問題なし。これで解決」

「分かりました。グレースやシャロンが、えっと、その、……やっぱりいいです。友達なんだから、堂々と遊びましょう」

 どうやら吹っ切れたようだった。ドーナツの続きを口にした。咀嚼しながら、うんうんとうなずいている。今日はいろんな良い景色を眺めてきたが、この娘を見ている方が面白いかも知れないと思った。

 やがて食べ終わると、次の場所を提案してきた。

「最後に工房を見に行きましょう。ここアマティは織物で有名なんですよ」

 一月前の相棒の姿が被った。物が作られる様子を、感心しながら眺めていた姿が思い出された。

「いいね、物作り。見に行ってみよう」

 サムトーも賛成して、二人は工房区へと向かった。

 歩くこと十数分で目的地が見えてきた。

 織物の工房がいくつも並んでいる。そろそろ時刻も夕方近く、終業間際である。

 カタンカタンと音を立てて、織機が動かされている。大勢の職工たちが地道な作業に集中して取り組んでいる。出来上がった布が巻き上げられ、倉庫へと運ばれていく。

「巡回しながら様子を見るんですけど、みなさんの仕事ぶりにはいつも感心します。これを見てから、服に限らず、いろいろな物を大切にするようになりましたね」

 不器用だが、素直で優しいセリーヌの性格がそのまま出ている発言に、気持ちがほっこりする。これまでもそうだったが、旅先でこういう良い人物と出会えて、幸運に恵まれてるな、と思うのだった。

 二人は、仕事帰りの人波に巻かれる前に、工房区を立ち去った。

 行きはセリーヌが迎えに来てくれたので、帰りはサムトーは騎士寮まで送っていくことにした。

「今日は楽しかったです。巡回と違って、自由に遊んで回ってるって感じがして、気分良かったです。ありがとう、サムトー」

 帰りながら、セリーヌが笑顔で言う。

「それはこっちもだ。良い場所に案内してくれてありがとう。滅多に見られないところばかりで、すごく良かったよ」

 サムトーも笑顔で答える。

 やがて騎士寮に着いた。セリーヌが一旦別れる。

「後でまた、銀蘭亭に飲みに行きますね」

「分かった。また後で」

 セリーヌが笑顔のまま寮へと入っていくのを見送り、サムトーも宿へと戻るのだった。


 宿へと戻り、洗濯や風呂、夕食などを済ませて、サムトーはまたエールを飲んでいた。すると、約束通りセリーヌが現れた。彼女も同じように用事を済ませて来たらしい。エールを注文すると、サムトーの前に座る。

「ところで、サムトーは明日出発ですか?」

 座ると同時に、セリーヌが聞いてきた。そう言えば、今日を入れてもう五泊目である。そろそろ旅に出ても良い頃合いではあった。

 だが、何となしに、一日くらい出発を延ばしてもいいかと思っていた。

「いや、明日一日は、もう少しこの街を回ってみようかと思う」

 セリーヌが安堵の息をついた。

「良かったです。もう少し、話とかしたかったですから」

 給仕のミーシャがエールを届けに来た。

「二人共、ずいぶん仲良くなりましたね。今日のデートは楽しかったようで何よりです」

 冷やかしというより、ごく平然と事実を指摘するような口調だった。銀蘭亭待ち合わせだったから、ミーシャは、二人が出かけたのを知っていたのである。

「ああ、楽しかったな」

「ええ、楽しかったですよ」

 二人が揃って言う。こちらも平然と事実を答えたという口調だった。

「息ピッタリですね。うらやましいくらいです」

 ミーシャが微笑を浮かべると、給仕に戻っていった。

 二人で酒杯を合わせ、それぞれ一口飲む。

「騎士寮に戻ったら、やっぱりグレースとシャロンが、どうだった、とか聞いてきました。楽しい一日でしたと答えたら、ため息ついて、何もなかったみたいね、とか言うんです。何もどころか、すごく仲良くなれてうれしかったと言うと、今度は呆れられてしまいました」

「何かあるのを期待してたわけね。二人共、そういう話が好きなんだろうなあ。そう言う二人の方こそ、何かありそうだけど」

「そうですね、あるみたいです。たまに同じ騎士隊の若い男の人と、一緒に出掛けるのを見かけますね」

 友人のことはよく見ているようだった。それにこの発言、裏を返せば、セリーヌにはそういうことがこれまでなかったということか。なるほど、二人からすると、サムトーとの出会いを知って、いい機会だと思ったのかもしれない。

「まあ、こういうのは人それぞれだから。俺達は俺たちなりに、楽しくやろう」

 サムトーが酒杯を軽くあおる。仲の良い相手と飲むエールは、一人で飲む時よりうまい。

「そうですね。そうしましょう」

 セリーヌも酒杯に口をつける。のんびりした飲み方だった。ふと、思い出したことを話してきた。

「人のことをだしにするようで悪いのですが、グレースもシャロンも、どうやらお相手が一人ではないみたいなんです。あの二人、気立ても良くて、何より若くてきれいですから、人気があるんですよ」

「セリーヌだって、十分きれいだし、人気ありそうだけどな」

 こういうところで平然と相手をほめるところが、お調子者の本分である。

「またまた、おだてるの上手ですね、サムトーは。私みたいに失敗ばかりだと相手にされないものですよ。それに比べて、あの二人、優秀ですからね。男の人からの人気も、小隊の中でも際立ってますね」

 今日のセリーヌは饒舌だった。肩の力を抜いて、日常の話題で思いのままに話せるのが気楽でいいらしい。

「人気もすごいですが、仕事も要領よくてすごいです。おかげでいろいろ教わったり助けてもらったり、本当にありがたい先輩達なんです」

 そんな調子で、二人から教わったいろいろな事から、日常業務の事など話が次々と続いた。果ては騎士寮で、掃除や料理など日課が当番をするとき、どうにも不器用で時間がかかってしまい、いつも寮の仲間に助けてもらっていることなど、プライベートに近い話までしていた。そのくらいサムトーを気安く感じていて、完全に友達だと考えていたのが分かる。

 エールが二杯空いたところで、翌日の業務もあることだからと、宴もお開きとなった。セリーヌはまだ話し足りないようで、少し残念がっていた。

「せっかくだから、送っていくよ」

「ありがとう。お言葉に甘えます」

 二人で連れ立って騎士隊の寮へと向かう。その間も、今日の出来事を振り返りながら、話に花が咲いた。

 やがて、騎士寮に到着する。そこで、グレースがセリーヌを待っていた。

「セリーヌ大変、強盗が出たって。五人組が街の宝石商を襲って、相当被害が出たみたい」

 二人が遊んでいる間に、物騒な事件が起きたものである。

 グレースの説明が続く。

「今日、当番だった人達が捜索に出ているけど、簡単に所在が割れそうにはなさそうなの。明日も捜索班が出ることになるけど、セリーヌも多分動員されるから。それだけ覚えておいて」

「分かりました。ゆっくり休めるのは今日だけってことになりそうですね」

 セリーヌは、酔いを残しながらも気を引き締めた。犯罪の取り締まりは、騎士の大切な任務である。しっかり果たさねばという決意があった。

「大変そうだな。うーん、邪魔にならない程度に、俺にもできることがあったら手伝うよ。明日の朝にでも、何かあったら伝えてくれ」

 せっかく仲良くなった友達だ。少しでも助力したいという気持ちが自然と湧いて出た。トラブルに首を突っ込みたがる、野次馬的なものがあるのは否定できないが。

「ありがとう、サムトー。じゃあ、また明日寄らせてもらうね」

「ああ、じゃあ、また明日な」

 そうして二人は、寮の前で手を振って別れたのだった。


 翌三月十九日、朝九時の鐘が鳴る少し前である。

 サムトーの泊っている銀蘭亭に、騎士服を着たセリーヌがやってきた。シャロンが同行している。二人一組で捜索を行うためであった。

「おはよう。わざわざありがとう。で、状況は?」

 サムトーの問いに、セリーヌが答える。

 五人組は強盗を働いた後、店から一目散に逃げ出していて、目撃者も複数いたそうだ。ただ、行き先は特定できていない。城外に逃がすと捕えようがなくなるので、警備隊が緊急動員され、各城門を厳しく警備下に置いた。現時点まで、怪しい通行者はないそうである。だから、犯人はまだ城下町に潜んでいる可能性が高い。これから空き家などを重点的に捜索する予定になっている。そんな説明だった。

 今回も、セリーヌは相当気合を入れているようで、説明も簡潔で的確だった。それくらいしっかり状況把握しているということだった。

「分かった。なら、俺も同行していいかな」

 二人が本当に犯人を発見した場合、五対二では、さすがの騎士でも荷が重いだろうと考えた。発見できるとは限らないが、城下町の中限定なら、可能性は高いと思われた。

 セリーヌがシャロンに顔を向けると、うなずきが返ってきた。

「そう言ってくれる気がしていました。よろしく頼みます」

 サムトーの腕前があれば、もし戦いになっても心強い。申し出を断る理由はなかった。

「なら、三人で回りましょう。他の捜索班も、すでに動いているはずよ」

 シャロンの言葉に、二人はうなずき返すと、住宅街へ向けて出発した。

 セリーヌが警棒を一本サムトーに手渡した。手伝ってくれることを見越して、予備を持ってきたのだった。

「用意がいいな。助かる」

「サムトーの手助けがあれば、犯人が見つかる可能性は高いかな、と思いましたので」

 セリーヌが照れたように言った。信頼されているな、とサムトーは思う。できるなら、その期待に応えたい。

 三人で住宅街を歩いていく。歩き始めてしばらくは、人が住んでなさそうな家はなかった。シャロンが回った場所を地図に記録していく。しらみつぶしに観察しながら道を行く。

 結構歩き回って、一度休憩を取った。十区画以上が候補から外れた。ここアマティ城下町にスラムはない。貧しい者でも日銭が稼げるよう、就労支援の政策が徹底しているからだ。家賃の安い住宅街の区画もあった。

 住宅街の西側に近い一角がそうだった。通りに入ると、好奇の視線に晒された。こんな場所に騎士様が何の用だと言わんばかりであった。

 この区画には空き家がいくつもあった。一つ一つ当たっていくが、どれも本当の空き家で、人の気配もない。他の区画は別の捜索班が当たっているはずなので、ここまでが担当区画である。

「見つかりませんね。他の班は見つけたのでしょうか」

 セリーヌがこぼした。ともあれ、担当箇所の捜索は済んだ。一旦騎士隊本部へと戻って、各班の情報を整理する必要があった。

 本部へ戻ると、ソフィア小隊長を始め、騎士隊五個小隊の小隊長が地図に集まった情報を記録していた。住宅街全域が捜索済みになっている。小隊長達が次の捜索範囲について話し合っていた。

「宿泊客を装っている可能性もある。宿も当たってみよう」

「工房区の空き倉庫などあれば、そこも候補に入るだろう」

「まさかと思うが、富裕層の邸宅に匿われてる可能性はないか」

「とりあえず、捜索班に昼食休憩を取らせよう。我々もしっかり食べて、頭をしっかり働かせよう」

 そうして、昼食を取ることになった。三人で相談し、手っ取り早くパンでもかじって戻ることに決めた。

 本部から商店街に行き、パン屋に入ろうとした時である。目の前を、大量のパンを買い込んだ男が、大きな袋を持って通り過ぎて行った。数人が数日食べられるだけの分量があった。

 サムトーが訝しがった。一人であの量のパンを食べるわけがない。家族のためにしても、量が多過ぎる。とすると、何人かの人間で分けて食べるのだろう。男一人が買い出しに来て、数日分買い込んだのなら、隠れる必要があるためと考えて良さそうだった。

「セリーヌ、シャロン、俺はあの男をつける。昼食は二人で行ってくれ。終わったら本部に行く」

 そう言うと、サムトーはこっそり男の跡を付け始めた。

 パンの袋を持った男は時々周囲を警戒しながら、なるべく不自然にならないように道を歩いていく。そのわずかに何かを隠した様子が、いかにも不審だった。何度か道を曲がりながら、街の北側にある、富裕層の住む高級住宅街へと進んでいく。午前中は捜索しなかった場所だった。

 やがて、一軒の屋敷の裏手へと回り込む。敷地は塀で囲まれていた。その途中にある通用口を通って、敷地へと消えた。

 サムトーは周囲を見渡し、人気がないことを確認すると、通用口からこっそり中へと入り込んだ。いくつもの建物があり、さすがにどの建物に入ったかわからない。勝手に探すわけにもいかず、一旦騎士隊本部へと戻ることにした。


 騎士団本部では、ちょうど昼食休憩を終えて、次の捜索場所を割り当てているところだった。

 そこへサムトーが怪しい男を見つけ、尾行したところ、富裕層の屋敷の一つに、その男が入っていったことを報告した。絶妙なタイミングだった。

 小隊長達は、即座に割り当てを変更し、宿を当たる小隊をその屋敷の捜索に振り向けた。工房区に二個小隊、富裕層の住宅街に一個小隊、その不審人物の入った屋敷の捜索に二個小隊を当たらせることにした。セリーヌが属するソフィアの小隊も、その屋敷捜索に組み込まれた。

 念のため、捜査令状を作成、ランベルト騎士隊長の署名ももらい、それを持って出動する。

 サムトーがその屋敷へと二個小隊の騎士を案内する。本来、逃亡奴隷剣闘士として騎士に追われる立場のサムトーが、強盗捜索のためとは言え、騎士を引き連れていくなど、考えてみればおかしな話であった。正体が知られるような出来事がなくて本当に良かったと思う。

 やがて、その屋敷につくと、ここで二手に分かれた。ソフィアの小隊は屋敷の周辺を固め、怪しい人物の出入りがないか監視する。ロイドという名の小隊長が率いる部隊が、捜査令状を示し、堂々と屋敷の中を二人一組で捜索していく。

 屋敷の本館、別館の順に部屋を当たっていく。ハワードという名の屋敷の主人が青ざめた顔をしていた。どうやら当たりらしいと、ロイド小隊長は確信し、敷地内の隅々まで捜索するよう指示を徹底した。

 本館、別館に怪しい人物はおらず、次に使用人の居住棟や倉庫、納屋へと捜索範囲が進んでいった。すると、納屋から人影が飛び出し、騎士を突き飛ばして逃走を図った。後に四人の男が続いている。

 転んだ騎士が笛を吹いた。その合図に、捜索中の騎士達が集まっていく。

 だが、それより一足早く、男達五人組は通用口から外に出ていた。

 そこで待ち構えていたのが、セリーヌとシャロン、そしてサムトーだった。

 先頭の男がナイフを抜いて、セリーヌに斬りかかる。間一髪でそれを避けると、セリーヌが打ち下ろしの一撃を放つ。男が左腕で警棒を止めた。どうやら手甲をつけているらしく、ダメージはないようだった。

 その間に、他の四人は別の方向に逃げようと向きを変えた。そこへシャロンが走って追い付き、一番後ろの男の首筋に一撃を加える。男が気絶して地に倒れた。

 サムトーも走って回り込み、逃げ出した男達の行く手を塞ぐ。残り三人が挟み撃ちの形となった。こうなると後は容易である。慌てて斬りかかってきた男達の攻撃を警棒で払い、首筋やみぞおちに一撃を加える。ほんの数分の戦いで、三人の男を倒していた。

 一方、セリーヌはまだ戦っていた。先頭を切って逃げ出したこの男が、どうやらリーダーで、五人の中で一番腕が立つようだった。

 しかし、仲間が倒されて焦ったか、早く突破して逃げようと、男がナイフを振り回してきた。

 対するセリーヌは冷静で、しっかり見切って相手の攻撃に空を切らせた。一撃目、二撃目、しっかり見切って、態勢を保って避ける。さらに焦った男が三撃目を大振りしてきた。リーチ重視のその一撃を軽く後ろに下がって空振りさせる。そこでできた隙を見逃さず、セリーヌは、ここで教わった突きの技を放った。踏み込み、突き出しとも申し分のない一撃だった。狙い違わず、見事に相手の急所を捉えて、倒すことに成功したのだった。

 その間に、ソフィアの小隊とロイドの小隊が駆け付けてきた。即座に状況を悟ると、次々に五人を後ろ手を縛り上げて拘束した。ソフィアの小隊が五人を騎士団本部へと連行し、ロイドの小隊は盗難品の捜索に移った。

 こうして無事に犯人達の捕縛に成功したのだった。


「お手柄だったな、セリーヌ。見事な戦いだったと聞いている。かなり強い相手だったが、よくぞ倒した。立派なものだ」

 騎士団本部で五人を牢に放り込んだ後、ソフィア小隊長がセリーヌを絶賛した。手助けがないと事務仕事などが滞りがちで、中々褒め所がない部下なのだが、今回は申し分なく、その活躍が誇らしかったようだった。

「ありがとうございます。みなさんの日々の指導のおかげです」

 セリーヌもこれは相当にうれしかったようだ。目じりにうれし涙が少しにじみ出ていた。

「それに、サムトーのおかげです。不審な人物を尾行してくれて、隠れ場所を発見してくれました。小隊長達の采配も見事でしたし」

「そう言えば、サムトー殿は宿に戻られたんだったな」

 サムトーは五人が騎士団本部に連行されると、自分の役目は終わったとばかりに、本部へは入らず、宿に帰っていったのだった。

「いずれ正式な礼をしなくてはな。さて、二人一組で調書作成だ。今日中に終わらせるぞ」

「了解です」

 隊員達の返事が唱和した。


 その日の夜、日が沈んでかなり時間も過ぎた頃である。

 サムトーは銀蘭亭の一階の居酒屋で、のんびりエールを飲んでいた。

 そろそろ切り上げて部屋に戻ろうかと思っていると、あろうことかセリーヌがまた現れたのだった。

「やあ、セリーヌ。昼間は大活躍だったな。あの戦いは見事だった」

 セリーヌが照れながら、サムトーの向かいに座る。そしてエールを頼んでいた。

「ありがとう。警棒の使い方、教えてもらったおかげですね」

「活躍できてよかったですね、セリーヌ」

 ミーシャがセリーヌの分のエールを運んできた。

「ありがとう、ミーシャ。頑張った甲斐がありました」

 二人のやり取りが微笑ましい。身分は違っても、友人は友人なのだと思った。

「俺も一杯付き合おうかな。エールもう一杯お願い」

「すぐお持ちしますね」

 ミーシャも軽く笑顔を浮かべている。友人の騎士が活躍できて、心から喜んでいるようだった。

 やがて、サムトーの分のエールも来た。二人で酒杯を合わせ、軽く飲む。

「いやあ、お疲れさん。あの後、調書取るの、大変だったろ」

「そうですね。結構時間かかりました。逃げられないと知って、借金があったから仕方なかったんだ、ハワードの奴に乗せられただけだ、とか必死で言い訳してましたから。聞くだけでも大変でしたね」

 そんな任務から解放されて、気分も楽になっていたのだろう。おいしそうにエールを飲んでいた。

「あの後、一緒に屋敷の捜索をしていた小隊が、盗難品を発見したんです。それで屋敷の主人、ハワードと言うそうですけど、その男も投獄されました。後は事件の全容を明らかにして、裁くだけですね」

「そうか、それは良かった。頑張った甲斐があったな」

 サムトーも笑顔で、セリーヌの努力を評価した。言われた方は、再び照れ臭そうに言った。

「これもみなサムトーのおかげですよ。繰り返しになっちゃいますけど、本当にありがとう」

「謙遜しなくていいって。これもセリーヌが日頃から頑張っていたからだって。だから、あの場面で的確な突きが出せたんだよ」

「そう言ってもらえると、何だか自信が湧いてきます。いろいろ教わって、一緒に事件が解決できて、それに楽しく一緒に過ごせて、本当にサムトーに出会えてよかったです。私、不器用だから、これまでうまくいかないことの方が多かったけど、サムトーのおかげで、変わっていける気がします」

 明るい表情でそう言えるようになって、本当に良かったとサムトーは思う。思えば最初の時は、エール一気飲みからのお願いだったなあと、つい六日前の出来事なのに、懐かしい感じさえする。

「いけない、自分の事ばかり話してしまいました。サムトーに一つお願いがあるんです。今回の謝礼、大急ぎで手続きしているんですが、それでも最速が明日で、支払いが明後日になるそうなんです。なので、もしできるなら、明日も一泊してもらって、出発を明後日の朝、謝礼を受け取ってからにはできないでしょうか」

「謝礼なんていらないけどなあ」

「そういうわけにもいきません。こちらの都合を押し付けるようで申し訳ないのですが、今回ばかりは強盗っていう、かなり悪質な犯罪に対する協力者への謝礼なので、公式にお渡しして、受取証にサインをして頂く必要があるんです」

 セリーヌはかなり必死で訴えてきた。こういうのを見ると、わざと外したくなるのがサムトーだった。

「そうだなあ、まあ急ぐ旅でもないけどなあ。でも見返りが欲しいなあ」

「見返りですか?」

「そ。セリーヌがデートしてくれるなら、もう一泊してもいい」

 セリーヌの顔が赤くなった。エールのせいも多少はあるだろう。しかし、恥ずかしさがその理由だった。急にそわそわして、明後日の方を向き、そしてエールを口にした。大きく息をつくと、覚悟を決めたように言った。

「で、で、デートですか。明日ですよね。午前中の訓練はもう外せないですから、午後半休を取ればできるかな。というか取ります、半休。こんな機会は明日で最後ですし、また楽しく一緒に過ごしましょう」

 あ、やっちまった。サムトーは思った。

 そう言えば、冗談が通じないんだったっけ。三杯目のエールで、ちょっと酔ったせいかも。でもまあ、楽しくなりそうだから、結果オーライということにしよう。滑った口を自己弁護して、サムトーは結論付けた。

「引き受けてくれてうれしいなあ。それじゃあ、明日、昼飯から一緒でいいのかな」

「はい、それでお願いします」

「分かった。十二時の鐘で、騎士団本部前だな」

 こうして二度目のデートをすることになったのだった。


 翌日、約束通り騎士団本部で待ち合わせ、二人で出かけることとなった。

 さすがに騎士服は着替えたいとのことで、一度騎士寮に寄って、セリーヌが着替えることになった。

 普通のブラウスに上着、スカートだが、サムトーにとっても、最後の見納めともなると、いつも以上にかわいらしく感じる。遠慮なく上から下まで見つめると、栗毛の一つ結わえもかわいらしかった。

「そんなに見られると、少し恥ずかしいですね」

 セリーヌはかなり照れていた。それでも、見てもらえるのがうれしいという気持ちもあった。

「そうですね、ならこうしましょう」

 セリーヌがサムトーの腕に抱き着いてきた。見た目以上に量感のある胸が、見事にひじに当たっている。その柔らかい感触に、さすがのサムトーも恥ずかしさを感じて、少し赤くなった。

「これでおあいこです。さあ、お昼ご飯に行きましょう」

 腕を組んだまま、二人は歩き出した。

「グレースやシャロンも、男性の仲の良い騎士と出かけるとき、こんな風に腕を組んだりしているのでしょうか」

 自分から腕を組んでおきながら、そんなことを聞いてくるのが、セリーヌだった。間違いなく素なので、天然としか言いようがない。

「さあ、どうだろうね。人それぞれだからなあ」

 これもそうとしか答えられない。だが、腕を組んで歩くのは、案外気分の良いものだった。セリーヌの積極的な行動に感謝した。

「今日はグラタンでも頂きましょうか」

 セリーヌの案内で一軒の料理屋に入る。

 マカロニとベーコンのホワイトソースグラタンに、サラダ、スープ、パンのセットを頼む。

「そう言えば、サムトーの話をあまり聞いてなかった気がします」

 前菜を食べながら、セリーヌが言い出した。

「旅はどうですか。やっぱり楽しいですか」

 同じように食事しながら、サムトーが答える。

「そうだなあ。楽しいことから大変なことまで、いろんな出来事があったなあ」

 弱いくせに強盗していた連中を退治したこと。城塞都市の雑貨屋で困っていた父娘を助けたこと。街の人達に嫌われていじめられていた娘を助けたこと。貴族の令嬢の手助けをしたこと。そんなことをざっくりと話した。

 その間にグラタンも届いていた。熱いのを冷ましながら、セリーヌが口に運んでいく。サムトーの話も、食べては話し、話しては食べと切れ切れだったが、セリーヌは興味深そうに聞いていた。

「そうですか。サムトー、結構いろいろな人を助けているんですね。私もそのうちの一人ですし。こんな優しくて親切なサムトーと知り合えたのは、本当に幸運なことでしたね」

 明日にはサムトーは旅立ち、別ることになる。それを自覚して、そんなことを言い出したのだろう。

「せっかくの幸運ですから、今日は一緒に楽しく過ごしたいです」

 なるほど、セリーヌはすごく前向きでいい。自分でもしぶといと言っていたくらいだったし、さすがだと思った。

 そして、ふとスリの囮をしていた時、夢中で見ていた様子を思い出し、サムトーは提案してみた。

「そっか。なら、最初に宝石見に行こう。セリーヌに宝石の種類とか教わりたいな、俺」

「いいんですか。私、長々と見てしまうから、退屈しませんか」

「その長々と見てしまうところも、せっかくだから見たい」

 セリーヌがクスリと笑った。そして、見られることに少し気恥しさを感じたのか、少し顔が赤くなった。

「変な好みですね。でも、分かりました。お付き合い下さい」

 やがて二人は食べ終えると、街一番の宝石店へと足を運んだのだった。


「ダイアモンド、サファイア、エメラルド、ルビーと、大粒でいいのが揃ってますね。さすがです」

 セリーヌが宝石についていろいろ説明してくれた。

「宝石は唯一無二なんです。一つとして同じ原石はありませんから、そこから磨き上げて輝くように仕上げた品は、世界で一つだけになるんです。それで、宝石の種類や大きさ、輝き具合などで値段が変わるんです」

 言われてみると、その通りだった。例えば、同じ瑪瑙でも模様や色つやが違う。より美しさに優れた物が高値となっていた。

「種類にもよりますが、一部の宝石は、輝きを最大限に引き出すために、こうやって平らな面をたくさん作るんです。カットと言うのですが、特殊な技術が必要なんです。特にダイアモンドは無色透明のものだと、カットの良し悪しで、結構輝きに差が出ますね」

 これもなるほどだった。どんな小さなダイアモンドでも、しっかりカットが入っていた。見る角度によって、光の反射が変わり、違った輝きを見せてくる。

「ですから、宝石の加工にはかなりの年季が必要で、その特殊な技術を持った職人はとても貴重な存在なんです。また、それぞれの宝石にどれくらいの価値があるかを鑑定する人にも、同じように長年の修行が必要です。ですから、宝石っていうのは、ただ美しいだけでなく、知識と技術の粋でもあるわけです」

 宝石店の店員が、セリーヌを見て感心していた。これほど詳しい客は滅多にいない。よほどの上客ではないかと考え、声を掛けてきた。

「お嬢様、失礼ですが、ご希望の品などあれば、お伺い致しますが」

 言われて、知識を披露し過ぎたことを恥じるように、セリーヌが赤くなった。第一、買うつもりは全くなかったのである。

 しかし、サムトーが割って入った。

「あまり高い物じゃなければ、俺が払うよ。何か欲しい物ある?」

 セリーヌが目を丸くした。安い物でも金貨一枚からだ。そんな高い額を出してもらうのは、あまりにも気が引ける。それに、下手に宝石を持つと、そればかり気にして他の事に気が回らなくなるからと、以前にも断りを入れたはずだった。

「ありがとう、サムトー。ですが、やはり私が持つには分不相応です。一人前の立派な騎士となれた暁には、購入を考えようかと思います。店員さんには申し訳ないのですが、今日は、いずれ購入する時に備えての勉強として、ご容赦頂けると幸いです」

 生来の気真面目さが前面に出ていた。ここは無理を通さず、本人の意思を尊重すべきだろう。サムトーもあっさりと引いた。

「分かった。俺も一緒に勉強させてもらっていいかな」

「承知いたしました。ごゆっくりご覧下さいませ」

 店員も、未来の客に便宜を図ってくれた。

 そして二人でいろいろな石を見る。大体色別に分けて陳列してあって、透明度の高い物から単色の物、模様の入った物など様々だった。どの色も美しく、種類も豊富で、素晴らしい品が揃っていた。

 値段は粒売りの宝石だと、金貨一枚から五枚程度。それを装飾品に加工するのに、同額以上の加工費が必要だった。ひと際目についたのは、大粒のダイアモンドをあしらったブローチで、装飾品としての加工が済んでいることもあって、驚きの金貨五十枚だった。

「いやあ、宝石というのも凄い物なんだねえ。いや眼福、眼福」

 結局小一時間は見ていただろうか。本気でサムトーが感心していた。

「私も大満足です。店員さん、今日はありがとうございました」

「いえ、いずれお買い求め頂けるのを、お待ちしております」

 丁重な礼に送り出され、二人は宝石店を後にした。

「いやあ、新鮮な体験だったなあ。それに、真剣に宝石を見ているセリーヌは、すごく格好良かったよ」

 例によって、平気でそういうことを言うのがサムトーである。ただ、今回は完全に滑った。

「騎士として格好良いならともかく、宝石眺めてるのをほめられても、さすがに残念騎士だと言われてるみたいで、ちょっとがっかりです」

 言葉通り、少し膨れているようだった。

「そっか、ごめん、ごめん。真剣な表情が良かったって意味だから」

 そこでセリーヌが少し考え込んだ。余計なことを言い過ぎたかなと、サムトーが怪訝になる。

 しばらくして、顔を上げると、思いついたことを口にした。

「なら、お詫びに、ガラス球を買って下さい」

 唐突な申し出だったが、お安い御用だった。

「でも、何でガラス玉?」

「いつか宝石を持っても恥ずかしくない、立派な騎士になれるようにです。そのガラス球を見て、サムトーが応援してくれたから頑張るんだって、そんな風に思えるかなと思ったんです。あと、出会いの記念ですね」

 微笑を浮かべながら、セリーヌが言った。

 今は町娘の姿で、その仕草がとてもかわいらしい。出会いの記念に宝石の代わりにガラス玉を欲しがるところも、まだ少女の面影を残す年代だけに、とても彼女らしく思える。だが、中身はやはり騎士だった。自分を高め、立派な騎士になりたいという望みを強くもっている。そんな風に外見と本質に落差はあるが、そのどちらもこの娘の魅力なのだと再確認していた。

「分かった。じゃあ、雑貨屋行こう」

 二人で次の店を目指す。

 雑貨屋はあちこちにあるが、とりあえず近い所に適当に入る。

 そして、親指大のガラス球を一つ、銅貨二枚で買った。

「セリーヌが立派な騎士になれますように」

 サムトーが願いの言葉を込めて、セリーヌに手渡す。

 受け取ったセリーヌは目を閉じ、決意を固めたように言った。

「必ず、お母さんのように、人の役に立つ立派な騎士になります」

 そうして大事そうに、そのガラス球をポーチへとしまい込んだ。


 それから商店街をしばらく眺めて回った。

 いろいろな人が行き交い、買い物をしている。大声で客引きをしている店もある。他の客たちに混じって、いろいろな商品を見て回った。服に靴、工具に手芸用品、野菜に肉。人の営みがそのまま凝縮された感じがする。

 そんな賑やかな通りを、二人一緒に見て回るのは楽しかった。

 巡回の警備隊員とすれ違った。セリーヌも騎士服を着ている時は、簡単な挨拶と異常の有無をやり取りするのだが、今日はただの町娘だった。相手も気付かず、通り過ぎて行った。そんないつもと違う出来事が、ちょっと楽しく感じられたようだった。

 総菜屋ではコロッケを買った。色気はないが、熱々でほくほくしていて、うまさは抜群だった。おいしい物を食べると顔がほころぶ。二人して互いの笑顔を見合っては、楽しんでいた。

 その後は、また城の庭園に行って、草花を眺めた。三月も半ばを過ぎ、色とりどりの花が咲いている。日差しも温かく、前回と同様、休憩中の騎士が何人か骨休めをしていた。それに倣って、二人も長椅子に腰掛け、のんびりとよく手入れされた花壇を眺めた。花々の間を好きに行き交う蝶を見ているだけでも、とても和んだ。

 空が赤くなり始めた頃、最後にまた見張り台に登った。

「今日は楽しかったです。ありがとう、サムトー」

「こちらこそ。こんな楽しく過ごせるのって、やっぱりいいもんだ。セリーヌと知り合えて良かった」

 遠くまで見渡せる絶景をのんびりと眺める。

 天頂の青空から次第に青みが薄まり、夕日に向けて赤へと色味を変える様子が美しい。遠い山々の稜線も、眼下に見下ろす街並みも、全てが美しく感じる。

 一日の締めくくりにふさわしい光景なのだが、まだ一日は続いていた。

「あ、今日も雑用済ませたら、飲みに行きますね」

 セリーヌらしいことだった。まあ楽しく飲めるのはいいことだろう。

「やっぱそうくるか。分かった、待ってる」

「ありがとう。……本当に良く遊びました。満足です」

 セリーヌが大きく伸びをした。充足した表情だった。

「そうだなあ。しかし、コロッケ初めてってのには驚いた」

「え、そうですか。騎士寮の食事では出ないし、総菜屋で買い食いすることもなかったですし。でも、あれは反則ですね。ジャガイモの食べ方としては最高かもしれません」

「作るのに結構手間かかるらしいよ。ジャガイモ、茹でて、潰して、衣つけて揚げるわけだし」

「それであのおいしさなんですね。納得しました」

 こんな些細な話でも楽しめる。たった六日でこれほど仲良くなれたことを互いにうれしく感じていた。

「じゃあ、そろそろ下りましょうか」

 二人は見張り台を下りると、内城を出た。

「じゃあ、また後で」

 城の出入り口で分かれて、宿と騎士寮とに戻っていった。


「あ、ミーシャ、エール一杯ね」

 銀蘭亭に入るなり、注文をするセリーヌ。

「お、来たな。俺もエール一杯」

 サムトーもセリーヌの姿を見て注文する。

 サムトーの向かいにセリーヌが座る。

 しばらくして、ミーシャがエールを二杯持ってきた。

「二人共、毎日ご利用ありがとうございます」

 思い返せば、六日連続で一緒に飲んでいた。最初の一日は、セリーヌが一気にあおってろくに話をしていなかったが、それ以外の日は、毎日飲みながら話していたのだった。

「ホントだ。毎日一緒に飲んでるなあ、俺達」

「そう言えばそうですね。ほとんど日課ですね」

 ミーシャがぷっと吹き出した。

「完全に飲み仲間ですよ、お二人は。仲がよろしくて、良いことですね」

「そっか。うん、良いことだ」

「私達、二人の仲を祝して、かんぱーい!」

 二人が酒杯を合わせる。軽くあおって、大きく息を吐きだす。

 珍しく、まだミーシャが残っていて、話しかけてきた。

「そんなに仲良しで、デートも二回したのに、本当にそれだけなんですか」

「ん? そう言われてもな。セリーヌ騎士だし、俺旅人だし」

「身分はこの際抜きにして下さい。そうですね、サムトーは強くて優しくて親切で、時々調子に乗るのも面白くて、でもやっぱり格好良くて、とてもいい人だと思いますけど」

 サムトーが少し赤くなった。面と向かってこれだけ褒められると、さすがに気恥しい。とは言え、セリーヌはセリーヌだ。

「一緒にいると楽しいし、気も合うんだけど」

「うーん、どうしてでしょう。何で何もないんでしょうね」

 本気で二人して不思議がっていた。その様子がおかしくて、ミーシャが思わず笑ってしまっていた。

「面白いお二人ですね。でも楽しいお客さんは大歓迎ですよ。今日もごゆっくりお過ごし下さいね」

 それだけ言うと、ミーシャは給仕に戻っていった。

 セリーヌがエールを飲みながら、笑顔で言った。

「思い起こせば、私がやけになってお願いしたのを、サムトーが聞いてくれたことが始まりでした。そのおかげで、事件も二つ解決するのに活躍できました。何度目か分かりませんが、ありがとう、サムトー」

 サムトーも一口あおって答える。

「あのエール一気飲みは驚いたな。今目の前にいるセリーヌ見てると、あんな暴挙をするなんて全然想像つかないぞ」

「そうですか。それ、ほめてます?」

「ほめてる、ほめてる。俺から見たセリーヌは、おっとりしてるけど生真面目で、いつも努力していて、活発なところも優しいところもあって、しかもかわいいっていう、素敵な女騎士様だよ」

 今度はセリーヌが照れる番だった。顔を赤くしながら、エールをあおって照れ隠しをする。

「私はずっと、要領が悪くて不器用で、足りないところがたくさんあるって思っていたんです。ですが、サムトーのおかげで、少しですが自信もつきました。誰からも立派な騎士と言われるように、これからも頑張りますね。あの記念のガラス球に誓って」

「あ、それちょっと格好良いな。誓いのガラス球かあ」

「一人前になったら、誓いの宝石を買いますね」

 本当に良い人物かつ良い騎士だと思う。未熟なところもあるだろうが、それを補う心の強さがある。

「なら俺も、これからもいろんなところを旅するだろうけどさ。セリーヌとの友情に誓って、力を人助けに使うと約束するよ」

 そして二人は固く握手を交わした。

「お互い、頑張りましょう」

「おう、良き旅を続けるよ」

 ちょうど、ここで二人共、エールが空になった。追加でもう一杯頼む。

「湖までの散歩、楽しかったなあ。湖もきれいだったし」

「そうですね。思い出の景色に、サムトー、良く似合ってました」

「そのセリフ、そっくり返すぜ。セリーヌがもっときれいに見えたし」

「そうやって、調子に乗っておだててくれるの、実はうれしいです」

 二杯目を飲みながら、そんな思い出話で盛り上がる。

 思い出せばいろいろなことがあった。囮と監視に分かれて張り込んだスリ事件。打ち下ろしと突き技の訓練。強盗犯の捜索と捕縛。二回のデート。そして、こうして楽しく話をしながら、酒を飲んでいる夜。

 そうして過ごす楽しい時間は、あっという間に過ぎる。

 エールを二杯開けたところで、お開きにすることとなった。セリーヌには明日の任務があるので、飲み過ぎは良くないだろう。

「今日も送るよ。最後だしな」

「ありがとう。とうとう最後ですね」

 二人で銀蘭亭を出て、騎士寮までの道を行く。

 最後を意識すると、わずかな時間が惜しくなる。

「せっかくですから、腕を組みましょう」

 セリーヌも大胆になっていて、宣言通りに腕を絡めてきた。

「こういうのに憧れる気持ち、今までは特になかったんです。早く一人前になろうと必死でしたから。ですが、こうやって自分の一部を預けてもいいって感覚、いいものですね。本当に信頼できているって感じがします」

「ああ、それ分かる。俺も前に、旅の途中、何人も信頼できる人に出会ってきたなあ。信頼し合って心の一部を預けたり預かったり、お互いに気分の良いものだったよ」

 そう言うと、サムトーはセリーヌの頭をなでた。

「セリーヌもその一人だ。俺のうれしい気持ちや楽しい気持ちを、一緒に持ち合っていた感じがした。この一週間、本当にありがとうな」

「こちらこそ。ありがとう、サムトー」

 そして、セリーヌは笑顔でサムトーを見つめてきた。

 その可憐さに、サムトーが赤くなった。

「やっぱ、セリーヌってかわいすぎじゃないか。反則だな」

「サムトーも格好良いですよ。お互い様ですね」

 最後の最後に互いをほめ合って終わるところが、この二人らしかった。

 二人で笑い合う。

 そして、しばらく歩いて騎士寮の前に到着した。

 セリーヌは腕をほどくと、事務連絡をしてきた。

「明日、九時の鐘で、騎士団本部に来て下さい。受領証にサインして、報酬を受け取って下さいね」

「ああ、分かった。明日、また会おう」

 再び固い握手を交わして、二人は別れたのだった。


 そして翌日。三月も二十一日になっていた。すっかり春である。

 サムトーは騎士団本部にいた。背に剣と荷物、腰に短剣とポーチ。完全な旅支度である。

 小隊長の采配で、強盗犯捕縛の協力者への正式な謝礼を渡す役を、セリーヌが担当することになっていた。

 セリーヌが書面を差し出す。サムトーがそれにサインする。謝礼として金貨一枚が渡されてきた。

「これで手続きは完了です」

「ありがとう」

 二人で見つめ合う。わずか一週間の付き合いだったが、最後は親友だった。別れはやはり寂しい。

 二人は連れ立って建物を出た。

 セリーヌにはまだ仕事がある。ここで本当にお別れだった。

「とうとうお別れですね、サムトー。お元気で。良き旅となりますよう」

「俺も、セリーヌが立派な騎士になれるよう、祈ってるよ」

 最後の握手を交わす。

「じゃあな、親友。セリーヌのことは一生忘れない」

「私もです。この思い出は一生の宝です」

 二人は手を振り合って別れた。

 サムトーは、まだ見知らぬ土地に向かって歩いていく。

 その姿が見えなくなるまで、セリーヌが見送っていた。

 春風が二人の別れを惜しむように、優しく流れていくのだった。


──続く。

 今回は友情の物語です。相手が女騎士ですが、キャラクターがあくまでお友達主張を崩さず、今回はラブコメがありません。話を書いた自分でも驚きなのですが。バトルシーンの一番いいところをヒロインが持っていったのも自然とこうなりました。相変わらずのんびりほっこりした話ですが、お楽しみ頂ければ幸いです。あと、評価や感想もお寄せいただけると嬉しいです。

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