序章Ⅵ~貴族のお嬢様のお手伝い~
四か月になる一人旅
伯爵領へとやってきた
若い領主のご令嬢
街を巡って視察する
若い騎士達練り歩き
威嚇するのは何ゆえか
身分気にせぬお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
時に神聖帝国歴五九七年三月一日。
やや長身の背に荷物、腰に剣とポーチ。茶色のざんばら髪を揺らして、のんびりと街道をゆく。
城塞都市グレーベンから東に進んできたサムトーは、帝国直轄領からここミルトニア伯爵領へと足を踏み入れていた。
領地のほぼ中央にトリーゼン城という伯爵の居城があり、城壁に囲まれたトリーゼン城下町の人口はおよそ八万人。領地全体では十五万ほど。神聖帝国の法に触れない限り、貴族が自治を認められた土地である。税収も一部を帝国に献納する以外は自由に貴族が使うことができる。貴族領というのは小さな独立国のような存在だった。
城壁に囲まれた、城塞都市よりやや広い土地の中が、トリーゼンの市街地となっていた。北に居城がそびえ立ち、その周囲に騎士達の施設や住居、そのさらに周囲が高級住宅街となっていて、南半分が庶民の区画なのは、他の街と似た感じだった。
日が傾き始めた頃、到着したサムトーは、とりあえず今夜の宿を物色しようと商店街へと向かった。
そこそこ賑わってはいるが、何か疲れたような表情の人が多く見受けられた。もっと活気があっても良さそうだが、などと思っていると、トラブルが向こう側からやってきた。体格のいい派手な服装をした五人の若い男達が、肩で風を切りながら近づいてきた。
「ヴェルフ達だ」
「また厄介事を起こさなければいいけど」
小声で話しながら、近くの人々が道の端に寄って彼らを避けていた。サムトーも周囲の人々のまねをして、彼らを観察した。
この平和な時代、金と暇を持て余した連中が、こんな風に派手な服装をしていることが多かった。自分の強さを誇示することをカッコイイと勘違いしている、ただの迷惑な存在である。大都市などでは時々見かける存在だった。ただ、どうやら武芸の心得があるらしく、姿勢や身ごなしが普通の人とは異なっていた。下手すると騎士の身分かもしれない。
そんなことを考えている間に、トラブルの火種が近づいていた。こちらも華美な衣服を着た十代半ばほどの、長い金髪の少女が一人、立ち塞がったのである。使用人の服装をした、いわゆるメイド服を着た栗毛の十代後半の女性が背後に控えている。
少女は男たちの目の前に立ち塞がると、きっぱりとした口調で言った。
「またですか、ヴェルフ。街の人達が怯えているでしょう」
ヴェルフと呼ばれた男が返答する。男達のリーダー格のようだった。
「それはこちらのセリフだ、エリザベート様。よほど暇なようで。俺達はただ歩いてるだけだ」
「あなた方のは、歩く、ではなく、威嚇すると言うのです」
エリザベートと呼ばれた少女は、怯むことなく男達と対峙していた。逆に背後の女性の方が怯えている。
「そんなの俺達の知ったことじゃない。ここを通っているだけだ」
さすがの男達も少女達に手出しをするつもりはないらしい。わざとぶつかるように近づいていく。それでも少女は立ち塞がったままだ。
ぶつかる直前、男達はかすめるように通り過ぎた。本当に手出しするつもりはないようだった。
「それではまた、世間知らずのお嬢様」
「お待ちなさい。街の者に迷惑をかけるのは許しません」
男達は少女を無視して立ち去っていく。結局何事も起こらなかった。
サムトーも珍しくトラブルに手を出すことなく、周囲の人々と共に成り行きを見守ってしまった。まあ、暴力を振るったわけでもなし、手出しの口実はどこにもなかったが。
周囲の人々も、トラブルの火種が去ったことで安心したのかと思えば、今度は少女に対して怖れをなしていた。向けて小声で何やら言っている。
「エリザベート様だ、触らぬ神になんとやらだな」
「ああ、あんなお方とは関わらないに限る」
今度は少女を腫物扱いである。
(厄介者同士の一触即発だったってことか。男共はともかく、女の子が厄介ってどういうことだ?)
そんなことをサムトーが考えていると、先の少女が近づいてきた。目的はどうやら自分らしいと分かったのは、少女が目の前に立ってからだった。
「あなたは剣士ですね。なのに、なぜ彼らを止めなかったのですか?」
言いがかりもいいところだ。普通、ただの通りすがりに、そんな義務を求めるものではないだろう。それはともかく、この子誰?
「ところで、どちらさまで?」
少女がふうとため息をついた。まさか領内で自分のことを知らない人間がいるとは思わなかったらしい。
「街の者が話していたでしょう。私はエリザベート。領主ミルトニア伯爵の一人娘です。貴族相手に、ずいぶん頭が高いですね」
「そうですか。頭が高いのが取り柄なもので」
茶化した返答を返す。貴族の令嬢が供を一人連れただけで街に出るなど、普通はありえない。加えて、伯爵令嬢ほど身分の高い者が、街の者に直接声を掛けるなど、本来はありえないことだった。
「俺のことを無礼と罰しますか?」
エリザベートが首を振った。身分に関係なく、自分は誰とでも話をするのだと主張しているようだった。
「そんなことを罰していては、領内が罪人だらけになってしまいます。無礼と言うなら、いい加減名乗りなさい」
「えー? 初対面なのに、恥ずかしいなあ」
完全に遊んでいる。この娘は領内で絶大な権力を持っている。怒ればどんな罰を下すか分からない。だが、そうなったらさっさと逃げればいい。
「いいから名前を教えなさい」
口調こそ少し怒っているものの、案外忍耐心がある。サムトーもちょっとこのお嬢様を見直した。
「失礼しました。旅の剣士、サムトーです」
右腕を胸の前に当て、頭を下げて正式に一礼しながら答えた。
エリザベートも満足したようだった。
「繰り返しますが、なぜ彼らを止めなかったのですか?」
「はあ、威嚇しているだけで、誰にも手を出していないのに、何を止めろとおっしゃるので?」
事情がよく分からない。すると向こうから理由を説明してくれた。
「彼らは元々我が領地に仕える騎士なのです。素行が悪く、現在は謹慎処分となっています。謹慎中なればこそ、騎士たる者が他人を威嚇して回るなど恥ずべき行為。ですから、私は止めていたのです」
「はあ、そうでございますか。ですがそれは騎士様方の事情、俺達庶民には関係のない話でございますよ」
エリザベートが深いため息をついた。
「庶民とは薄情なものですね」
納得はしていないようだが、分かってはもらえたようだ。
と思ったら、考えが甘かった。
「どうにも私だけでは彼らを止められないようです。そこで、サムトーでしたね、あなたに命じます。明日私に同行し、彼らにあったら今度こそ止めること。手付金として金貨三枚を渡します。ロッテ」
侍女の名らしい。背後に控えていた女性が進み出て、財布から金貨三枚を取り出し、サムトーに渡そうとした。
「ちょ、ちょい待ち。引き受けるなんて、一言も言ってないぞ」
「城の者達では誰も彼らを止められないのです。あなたも剣士なら、騎士の五人くらい、止められるでしょう?」
話聞いてないよ、この人。サムトーは比喩抜きで頭を抱えた。なるほど、町の者達が厄介者扱いするわけだ。これは逃げるに如かずだ。
「あ、すみません、宿を探しているところで、忙しいので、これで失礼いたします~」
そう言い捨てて、サムトーは逃げ出したのだった。
気力をごっそり奪われたサムトーは、宿を探すのも面倒になり、たまたま目に入った鈴蘭亭という宿で厄介になることにした。
マリカという三十代半ばの女将は優しい感じで、丁寧に対応してくれた。前金で一泊二食付きの代金、銀貨一枚を支払い、二階の部屋に荷物を置いて公衆浴場へと足を運ぶ。
気が疲れた時の湯は気持ち良く、さきほどの出来事は何かの悪い夢だったと思えるようになった。
少し元気が回復できたところで、宿に戻り、エールを一杯頼む。
風呂上がりの体に染み渡り、気分もより良くなってくる。
「お邪魔致します」
そんなところに現れたのが、またしてもエリザベートだった。ロッテと呼ばれた侍女も一緒である。
「エリザベート様、このような場所に、どのようなご用事でしょうか」
女将のマリカが目を白黒させ、驚きながら応対する。
そんなことはお構いなしに、エリザベートが自分の用事を告げる。
「こちらに旅の剣士のサムトーという者が……いましたね」
目と目が合ってしまった。二人が近づいてくる。
「宿の手配は済みましたね。先程の用件、領主の娘としてあなたに命じたのです。さあ、手付金を受け取りなさい」
ロッテが金貨三枚を差し出してきた。
サムトーは心底嫌そうな顔をした。元騎士の威嚇を止めるって、そんなこと彼らが直す気にならなければ無理に決まっている。
「申し訳ないのですが、お断りさせて頂きたく……」
「ですから命令だと言っているでしょう。従いなさい」
目をつけられたのが運の尽きだったようだ。しばらく、この面倒なお嬢様にお付き合いするしかないらしい。とても嫌だったが。
金貨三枚を受け取りながら、サムトーが返答した。
「分かりましたよ。で、俺はいつ何をすればよろしいので」
「明日の昼食後、城門へ来なさい。それから一緒にヴェルフ達を待って、彼らを止めます」
「はいはい、承知致しました」
「では、また明日会いましょう」
そう言って二人は立ち去ろうとするが、サムトーが制止した。
「なあ、外も暗くなってきたけど、二人で大丈夫か?」
まあこの街の者が、この貴族のご令嬢に手を出すようなことはないと思うが、万が一ということもある。
「そうですね、確かに護衛がいると心強いでしょう。サムトー、城門まで護衛を命じます」
「承知した。では参りましょう、お嬢様」
サムトーはエールを飲み干すと、二人と一緒に宿を出たのだった。
エリザベートを先頭に、その後をロッテと一緒について行く。
「名前は知ってると思うけど、俺はサムトー。これでも十九才だ」
「お若いのですね。私は侍女のロッテ、十八になります」
いい機会だから、このお嬢様のことを侍女に聞いてみようと思った。
「エリザベート様はどんなお人なんだい?」
問いかけると、長々と返答がきた。
「はい。とても良い方です。使用人にも親切ですし、お優しいところもお持ちですし。良く学ばれていて、礼儀作法やダンス、学問なども、家庭教師の方々によくおほめ頂いてます。ただ、正義感が強くて、ヴェルフ様の件も含めて、曲がったことがお嫌いなんです。それで、時間さえあれば、城内や街中を回って、何かとご注意されているのです。正直に申し上げて、お世話が過ぎるというか、不要不急なご指摘であることも多くて。街の者の微妙な反応も、その……」
「平たく言って、余計なお世話ってことね」
「申し上げにくいのですが、その通りです」
「それに付き合う方も大変だ」
正直に感想を言うと、ロッテが苦笑いをした。他の侍女は城内の仕事で手一杯のため、いつも貧乏くじを引いているのがロッテだった。
「で、俺もこれから振り回されるわけね」
サムトーも苦笑いをした。
「それにしても、そのヴェルフとかいう男、何で謹慎処分なんて受けてるんだろ。ロッテは知ってるかい?」
「はい、何でも業務中に余計な事ばかりして、小隊長様が繰り返し注意しても聞かなかったとか。腹に据えかねた小隊長様が懲罰を加えようとして、返り討ちに遭いまして。かなりのケガだったそうで、小隊の五人全員が謹慎になったのだとか」
「なるほど。じゃあ、結構腕が立つんだな、ヴェルフってヤツ」
「そうらしいです。騎士隊長様でも勝てないという噂ですし」
「そりゃ大変だ。暴れたら止められなくなるなあ」
「はい。今のところ、無理に止めようとした男性が一人、軽いケガをしたくらいで、暴力を振るったことはありません。でも、暴れたら止めようがないので、サムトー様の腕前を見込んでおられるのかと。ご迷惑とは思いますが、ご助力頂ければ」
そんな話をしている間に、城門に到着した。エリザベートが番兵に声を掛ける。通用口が開かれ、二人は城内へと向かう。
「では、サムトー、明日は頼みましたよ」
エリザベートがそれだけ言い残して去っていった。
「頼まれちゃいましたよ、と」
何をどうすれば良いのやら。肩をすくめると、宿へと戻っていった。
サムトーは、元奴隷剣闘士である。
昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功した。サムトーはそのうちの一人だった。逃亡奴隷は一部例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。
逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。
十二月、北にある城塞都市グロスターで、事件に自ら首を突っ込み、その解決のために奔走。結局、新年祭までその街の雑貨屋で世話になった。二月には、テラモの町で町中から疎外されていた少女を助け、二週間ほど旅の相棒にしていた。
そんな感じで、時々トラブルに巻き込まれながら旅をしていたのだが、今回のように貴族や騎士が相手というのは初めてだった。
宿と城門の往復にも結構時間がかかった。
一階の酒場は結構混雑していて、空いている席も少なかった。
やっと空いているテーブルに座ると、給仕の一人が声を掛けてきた。十代半ばくらいの、ポニーテールをした赤毛の娘だった。
「あなたがサムトーさんでしょ? 私、カリーナ、女将のマリカの娘ね。何でも、エリザベート様に命令された旅の剣士がいたとかって、もう噂になってたわよ」
サムトーはぐったりしながら夕食とエールを一杯を頼んだ。
カリーナがすぐ持ってくると答え、厨房に一旦消えた。
「はい、お待たせ」
鶏肉のソテーに炒め野菜、シチューとパン、エールが届いた。やっと食事である。さすがに空腹で、いつもよりうまく感じる。
「で、何でもヴェルフ達が威嚇して回るのを、止めろって言われたとか。本当なの?」
「ホントもホント。明日の昼食後、城門に集合だとさ」
答えたところでエールをあおる。
「それはご苦労様。でもヴェルフって強いから、気を付けてね」
「ああ、侍女のロッテって娘から聞いた。ただ、街を威嚇して回っているだけで、ケガ人は一人だけだったって聞いたけど」
「そうなの。自分から手出しはしないって決めてるよう感じだって、もっぱらの噂なんだけど、やっぱり怖いから、誰も近づかないわね。……と、給仕に戻らなきゃ。じゃあ、また」
「ありがと。またね」
カリーナが去っていくのを見送りながら、夕食を咀嚼する。
考えてもわからないことだらけだ。とにかく明日対決してみるしかないだろう。
夕食を食べ終えると、一泊延長する分とエールの代金を払って部屋へと引き上げた。
翌朝、日の出の少し前に起き出す。
井戸端で水を一杯飲み、剣を鞘に差したまま、基本の型の素振りをする。六種類左右の腕で百本ずつ。腕が鈍らないよう必要最低限の鍛錬だった。素振りを終えると、また水分を補給する。
それから朝食を取る。ここまでは宿代に含まれている。ベーコンエッグと野菜スープ、パン、ジャム。定番だがうまい。まあ、食べ物がおいしいうちは大丈夫だろうと、自分で自分を励ました。
指定された昼食後までは、街の観光をして過ごす。
商店街を巡ってみたが、街並みこそ立派なものの、どこか生気に欠ける感じがする。活気に乏しいのである。一件の雑貨屋で話を聞いてみると、税が重くて生活が苦しい、と話していた。
何でも、エリザベートの母、つまり伯爵夫人のエルローザというのが贅沢をしていて、庶民に重税という形でその分のしわ寄せがきているらしい。伯爵家当主のハインツは、そんな妻の贅沢に限らず、領地経営に無頓着で、配下の騎士達に実務を丸投げしているらしい。
「ハインツさまもエルローザ様も、悪い方ではないのだが、我々の暮らしを見て頂けていないのが困ったところだ」
ため息とともに、そんなことを語っていた。
昼食を取った料理店でも、ついでに聞いてみたが、やはり答えは同じで、税が重くて生活が苦しい、領主様がきちんと考えてくれれば、という話だった。領主を自分達では選べないのが辛いところだと言う。
きちんと領民の実情を見て、暮らしが良くなるように政事は行われるべきだ。それができないのであれば為政者失格ではないか。エリザベートはこのことを知っているのだろうか。そんな考えが頭をよぎった。
そうこうしている間に、昼食を食べ終え、約束の時間になり、サムトーは城門へと向かった。
しばらく待っていると、通用口から二人が出てきた。午前中は習い事などで忙しかったらしい。
「今日こそ頼みますよ」
開口一番、エリザベートが言った。そのまま一人で歩き出す。サムトー達がついてくるのは当たり前だと言わんばかりだった。
放ってはおけないので、ロッテと二人で後をついて行く。
今日もまた、市街地の視察を兼ねて、ヴェルフ達を探すようだった。
大きな通り限定だが、一通り城下を見回る勢いで歩いていく。泣いている子でさえ姿を見て逃げ出すほどだった。
やがて商店街に来た。ここでも昨日と同様、街の者が皆敬遠していた。人の避けた後を、エリザベート達三人が進むのだ。
これは、やっていることがヴェルフ達と同じなのでは? そんなことを思っていると、昨日と同様に、派手な服装をした五人の若者が現れた。
「今日こそあなたを止めさせてもらいますよ、ヴェルフ」
エリザベートが胸を張って言う。
「さあ、サムトー、彼らを止めなさい」
相当の自信があるようだ、と思ったら、サムトーに丸投げだった。頭の痛い話である。
「えっと、どうも、旅の剣士、サムトーです」
一歩前に出てそう名乗ったが、今は宿に荷物も剣も置きっぱなしで丸腰である。それは相手五人も同じだったが。
「で、俺達を止めるって?」
ヴェルフが睨み付けてきた。貴族のお嬢様の腰巾着相手じゃ、機嫌も悪くなって当然である。
「そう頼まれたんでね。とりあえず、何でそんな格好で街を練り歩いているんだか、理由を聞いてもいいかな」
ほう、とヴェルフがつぶやいた。まずは話し合おうという姿勢に感心したらしい。そうして、横にいるエリザベートに向かって問いかけた。
「エリザベート様は、理由なんてお聞きになりませんでしたね。分かっておいでですか?」
昨日とは違い、丁寧な口調だった。
「理由はどうあれ、街の者を威嚇しているのは事実でしょう」
「それはあなたも同じですよ、エリザベート様。あなたを見かけると、街の者は皆あなたを避けていくでしょう? 私達はあなたと同じことをしているだけなのです」
ヴェルフが淡々と事実を述べる。サムトーも感じていたことだった。
「同じ、ですって?」
エリザベートが愕然としていた。相当にショックだったらしい。
「逆に聞きましょう。あなたはなぜ街中を歩き回っておいでなのですか」
「それは、領民の暮らしぶりを確かめて、何事かあるなら正すために」
真剣に答える。だが、それが的外れだと言わんばかりに、ヴェルフが薄く笑った。
「ですが、領民達が何に困っているかもご存じない。結局、威嚇して回っているのはあなたも同じ、ということなのですよ」
「何か困ったことが起きているのですか?」
そう、結局エリザベートには、領民達が何に困っているかなど、分かっていなかったのである。街歩きの意味などほとんどなかったのだ。
「それはご自身で確かめるとよろしい。では、エリザベート様、私達は失礼致しますよ」
立ち去る間際、ヴェルフが思い出したように言った。
「サムトーとやら、私達の足を確かに止めたな。見事だった」
ヴェルフたち五人が立ち去っていく。
エリザベートもそれを止めることができず、呆然と見送るだけだった。
「では、俺もお役御免ですね」
サムトーもそう言って立ち去ろうとしたが、そうはいかなかった。
「待ちなさい。街の者達が何に困っているのかを確かめます。最後まで手伝いなさい」
この高圧的というか強引というか、それが良くないって気付かないものなのかねえ……。
サムトーはため息をついたが、見捨てるのも後味が悪いので、手伝うことにした。すでに他の店で暮らしが苦しいという話は聞いている。
「分かりました。では、街の者に直接話を聞かれるとよいでしょう」
エリザベートとロッテの二人を連れて、近くの喫茶店を訪れる。
紅茶を三つ頼んでテーブルに座った。
「まあ、一息入れながらお話ししましょう」
しばらくして、店員が紅茶を運んできた。その店員を捕まえて、申し訳ないけど、と前置きして話しかける。
「エリザベート様が、領民のみなさんが何に困っているのか、お知りになりたいそうだ。絶対に大丈夫だから、正直に話してあげて」
はあ、と要領を得ない感じで、店員が答える。
「えっと、ここの店長もですけど、どこの店でも税が重くて生活が苦しいとおっしゃいますね。私も給金から結構税を取られるので、もう少し税が安いと助かるなあと思っています」
エリザベートがため息をついた。初めて聞いた話ではなかったのだ。
「そうでしたか。参考になる話、ありがたく思います」
「いえ、どういたしまして」
そして店員は逃げるような感じで立ち去って行った。
エリザベートがため息をついた。大事なことを見逃したことへの後悔からくるものだった。
「今の話、以前ヴェルフにも聞いたことがあります。私が街を巡っても、そんな困った様子には見えなかったので、些細な事だと聞き流してしまいましたが……実際は、相当深刻なようですね」
そう言って紅茶を口に含む。表情が意外そうなものに変わった。
「この紅茶、城で飲んでいるものに引けを取りません。かなりいい茶葉を使い、淹れ方も良いのでしょう」
そういう目利きができるなら、何が正しいかさえわかれば、このお嬢様も実は良い貴族なのではなかろうか。サムトーは少し見直した。
「ともかく、今日のうちに書簡を送って、明日正式に私からヴェルフに謝罪致しましょう」
その言葉を聞いて、サムトーはほっとした。今度こそお役御免だろうと。
だが、紅茶を飲み干すと、エリザベートがいつもの調子で言った。
「では、明日昼食後、城門の前に来なさい。ヴェルフ達への謝罪の仲介を命じます」
「いや、だって、止めたら終わりじゃないの? ヴェルフさん達だって、よく俺達を止めたって、ほめてくれてたし」
「謝罪して行動を止めるまでが、サムトーの仕事です。頼みましたよ」
それだけ言うと、ロッテを伴って勘定を支払わせ、立ち去って行った。
「最初に断れなかったのが良くなかったなあ」
次々命令が飛んでくるのには完全に参った。しかし、滅多にできない経験だと思えば、成り行き任せでもいいか。そんな風にも思ったのだった。
その後、気分転換に街中を見物して回った。
住宅街に入り込み、人々の生活を見て回る。確かに重税の影響か、衣服が古びている人が多く見られた。どことなく疲れた感じもある。そんな中でも、子供達が元気そうに遊んでいる様子が見られ、ちょっと和む。
そのまま公衆浴場へ行き、気分をほぐす。明日は明日の風が吹くということで、もう何があってもいいか、という心持ちになっていた。
宿に戻って、もう一泊の追加を女将のマリカに頼む。何事かと聞かれたので、エリザベート様のご用事が終わらなくて、と端的に答えた。
着替えて洗濯し、部屋の中に干しておく。一晩のうちには乾くはずだ。
そこまですると、ちょうど夕方だった。一杯ひっかけてもいい時間だ。
いつものようにエールを一杯。
軽くあおると、気分が疲れたところに良く染みる。
「はあ、この一件、いつ終わるんだろうなあ」
思わず口に出して言ってしまった。聞きつけた女将の娘カリーナがそばに寄ってきた。
「何サムトーさん、エリザベート様の用事、まだ終わらないの?」
苦笑いしながら答える。
「そうなんだよ。ああ、エリザベート様も、カリーナみたいに物分かりが良かったらなあ」
「あらあら、ほめても何も出ないわよ」
「そう言えば、エリザベート様って年いくつなんだろ。ちなみに俺はこれでも十九なんだけどね。小さい子によくおじさんって呼ばれる」
カリーナがクスッと笑って答えた。
「そうなんだ。エリザベート様は私と同じ十四才よ。その割にしっかりしてるわよね」
「しっかりしてるって言うより、思い込みが強そうで、何でも命令してくるからなあ。会話にならないし」
「やっぱりそうなんだ」
「そうなんです」
思わず二人で苦笑いしてしまう。
「まあ、頑張って。そのうちいいこともあるから、きっと」
そう言ってカリーナが給仕に戻る。エリザベートとも、こうやって普通に会話できるなら、どんなに楽だろうかと思ってしまうのだった。
翌日。昼食まで時間をつぶし、城門へ。
すると、通用口にはロッテが一人だけで待っていた。
「お待ちしていましたサムトー様。応接室でエリザベート様がお待ちです」
城内に入ることは予想しておらず、さすがのサムトーも焦った。
「俺なんかが、貴族様のお城に入っても平気なの?」
「はい。昨日のうちに、エリザベート様が城内に通達されてますから」
ロッテの案内で通用口をくぐる。
城と言っても、かつて立ち寄った城塞都市グレーベンほど規模は大きくはない。それでも必要最低限の軍事施設が整えられ、また貴族の邸宅としての機能も有していた。建物に入るとすぐに大きな吹き抜けがあった。騎士隊が整列するための広場である。そこから奥の方に入り、階段を上って二階にある応接室へと案内された。
ロッテが扉をノックする。
「サムトー様をお連れ致しました」
ロッテが扉を開き、中に入るよう促してきた。
それに従い室内に入ると、テーブルをはさんで、片側のソファーにはエリザベートが、反対側にはソファーと座椅子に別れてヴェルフ達が座って待っていた。
「よく来てくれました、サムトー。こちらにお掛けなさい」
エリザベートが隣のソファーを示す。
突っ立っていても仕方がないので、サムトーも素直に従った。ロッテは主人の後ろに控えている。
「ヴェルフ、待たせましたね。では、サムトー、始めなさい」
「俺が何を始めるって?」
「仲介するよう命じたでしょう。頼みましたよ」
ああ、自分からは謝罪を切り出せないのか。本当に困ったお嬢様だ。そのくせ、城内の人間の反発を買うだろうに、どこの馬の骨とも分からない俺なんかを、平気で城の中に招き入れている。不思議だった。
「えーと、先日はよそ者でありながら、皆様のお邪魔を致しまして、大変失礼を致しました。本日は、こちらエリザベート様のご希望で、ヴェルフ様達に正式に謝罪を致したいとのこと、どうぞお聞きくださいますよう、お願い申し上げます」
片言の丁寧語を駆使して、取り合えず用件を切り出した。
ヴェルフ達が呆気に取られているようだが、ここは構わず進めたものだろう。
「では、エリザベート様、謝罪のお言葉を頂きたく存じます」
その本人は、謝ることに慣れていないようで、体を固くして立ち上がると、実に言い辛そうに口を開いた。
「ヴェルフ、ロスト、トリニア、バルク、ザイトス、あなた方五人の行動を敵視するばかりで、その理由を聞きもせず責め立てたことを、ここに正式に謝罪致します」
ようやくそこまで言うと、深々と頭を下げた。ロッテが主人に習って頭を下げる。
この潔さは悪くないと、サムトーは内心で論評していた。
名を呼ばれた五人の騎士も立ち上がる。胸に拳を当てて礼を示す。代表してヴェルフが返礼する。
「正式な謝罪、ありがたくお受け致します。我らミルトニアの騎士、決してエリザベート様に仇なすつもりのないこと、改めて申し上げます」
威風も礼儀もしっかりとある、いい男達だった。かつてカムファという町で槍を交えた、立派な騎士がいたことが思い出される。騎士なんて縁のない存在だが、ろくでもない騎士もいれば、こういうまともな騎士もいる。全ては人次第なのだろう。
「謝罪の受け入れ、ありがたく思います」
エリザベートがソファーに座りなおすと、ヴェルフたち五人もそれに従った。
「謝罪については以上で終わりと致します。両者とも和解されたことを喜ばしく思います」
サムトーがこれで終わりだよなあ、という表情で話を終えようとした。
しかし、本題はここからだった。
「ヴェルフ、あなたの言っていた、街の者達が何に困っているかを、このサムトーの協力で知ることができました。そこで以前、あなた方が訴えていた、税の重さが原因だということを、身をもって知りました。ついては、この件に関して、あなた方の率直な意見を聞きたいのです」
エリザベートが真剣な表情で訴えた。ロッテも話していたが、正義感が強くて曲がったことが嫌いという生来の気質が、この問題を放置することを良しとしないようだった。
ヴェルフもそれは良く知っている。この際だから全て打ち明けようと決めたようだった。
「長い話になりますが、まずは私達が謹慎となった事情からお話ししなければなりません。よろしいですか?」
「構いません。私が領主の娘である以上、領内のことは全て知っておく義務があります」
「分かりました。長くなりますが、ご容赦を」
そう前置きして、ヴェルフは話し始めた。
彼らはみな十七、十八で騎士に叙勲され、ホルストという小隊長の元で訓練や実務に当たることになった。貴族の領内では、騎士達が訴訟や犯罪に関する事のほか、税収管理等の事務も担うことになっている。最初のうちは、ホルストの指導の下、仕事をきちんとこなせるよう努力していた。
一年ほどして、ある程度実務が見えてきた頃、徴税業務を行っていると、街の者達から、減税できないかと愚痴を聞かされるようになった。そこで税の実際について、他の地方について調べた。確かにここミルトニア伯爵領では、税が重く設定されていることが分かった。しかし、税収の割には城内の整備や騎士隊の待遇、街のインフラ整備等にそれほど財貨が用いられていなかった。財貨の大半は、伯爵夫人エルローザが、宝石類を買い求めるのに使われていることが判明したのだった。
当初はその調査を元に、小隊長ホルストに報告し、改善すべきであるという意見を具申していた。しかし、小隊長は財政は伯爵の権限であり、業務の範疇を超えるとして、意見具申を聞き入れなかったのである。
そこから二年近く、粘り強く意見具申を続け、何度か騎士隊長であるグスタフに直訴もした。グスタフも現状を知っており、領主ハインツに繰り返し訴えていたのだが、何の効果もなかったという。ヴェルフたちも、領主に目通りできた時には、隊長の報告通り、街の者が重税に苦しんでいるので減税を行うべきと訴えもした。だが領主は善処すると答えるばかりで、何の対処も行わなかったのである。
そして二月ほど前。小隊長ホルストが、上官である自分を無視して領主に直訴するなど僭越であるとし、訓練中に懲罰を与えようとした。だが、ヴェルフたちは一方的なその処断に抵抗し、逆にホルストを叩きのめしてしまったのだ。そうして上官に対する暴力行為と、これまでの僭越な意見具申が素行不良とされ、謹慎処分を受けたという次第だった。
話を聞き終えたエリザベートが、悔し涙をこぼしていた。もっと自分が状況をしっかりつかんでおくべきだったという後悔だった。
「我が身の不明、我が父母の不甲斐なさ故、あなた方にそのような冤罪をかぶせることとなり、恥ずかしく思います」
ロッテが主人にハンカチを差し出した。エリザベートが涙を拭う。
「全ての原因は母上の贅沢にあるのですね。それさえなければ、税をもっと軽くすることができるのですね。街の者達も皆救われるのですね」
しっかり話を聞き、正しく考えられていたことに、他の全員が強く感心した。ただ命令ばかりする頭の固いお嬢様だと思っていたが、理解さえできれば立派なお姫様なのだと感じていた。実際、自分の目で街の者の暮らしぶりを確かめようなどと、普通の貴族の令嬢は考えない。空振りが多かったが、いずれ引き継ぐ領地に対する責任感を、普段から発揮していたのだった。
ヴェルフが一同を代表して発言した。
「その通りです。さすがは聡明なエリザベート様、ご理解いただき感謝致します。事態の根本は、伯爵夫人の宝石購入額があまりに多いことにあるのです。ですが、私共臣下の身では、いくら説いても聞き入れてはもらえませんでした。ぜひとも、姫のお力を持って、母君を説得されますようお願い申し上げます」
全員がエリザベートを注視していた。
意を決して、エリザベートが口を開いた。
「分かりました。できる限りのことは致します」
一同が安堵した。この伯爵令嬢は覚悟を決めたら必ずやり通すだろう。ならば、しっかり提言すべきとヴェルフは考えた。
「よろしくお願い致します。ですが、エリザベート様、やはり説得するには、税収と支出に関する記録が必要です。グスタフ騎士隊長が帳簿を管理されているはずなので、まずは隊長とご相談されるのがよろしいかと」
このミルトニア伯爵領には、騎士達が五個小隊五十人ほど仕官している。当主ハインツの元でその騎士隊を束ねるのが、隊長のグスタフだった。領主に税収の件を繰り返し訴えたように、職務に誠実で、しかも実務に強い人物だった。
「分かりました。グスタフとよく相談致しましょう。また、ヴェルフ達の一件、過失として改めて裁定し直し、謹慎を解かせます」
エリザベートは一度理解を示すと、実に明察な人物だった。ヴェルフ達にも、この件で活躍してもらうべきだと考えたのである。そのために必要な措置だった。
「ありがとうございます。ご配慮、感謝申し上げます。我々もできることがあれば、何でも協力致します」
ヴェルフ達が立ち上がり、頭を下げた。ヴェルフ達の問題は、これできれいに片がついたことになる。
「これでお役御免ですね。エリザベート様のご活躍に期待していますよ」
サムトーがそう言うと、エリザベートが怪訝そうな顔をした。
「一件が片付くまで、サムトーには手伝ってもらいたいのです」
「え、でも、俺必要ないですよね」
サムトーの反応は当然だ。後は領地経営の問題なのだから。
しかし、エリザベートは食い下がった。
「いいえ、街の者達の言葉を代表して、母上に直接訴える役回りの者が必要なのです。サムトーにはその役を担ってもらいたいのです」
「俺、この街の者じゃないんだけど」
「普通の者に、サムトーほどの度胸はないでしょう。何せ、私の姿を見ると避けてしまうくらいです。伯爵家当主に直に口が利けるとは思えません。あなたが適役ですから、ぜひとも引き受けて欲しいのです」
エリザベートには珍しく命令ではなかった。真剣に今後を案じて頼んできたことが伝わってきた。
「そうですか。分かりました。お引き受け致しましょう」
今度こそ断れるはずだったが、断るのも薄情と思い、引き受けることにしたのだった。
「では、話は以上とします。ヴェルフ達は謹慎が解かれるまで、行動を控えなさい。サムトーは宿で待機してもらいます。私はこれからグスタフと相談し、父上と母上を説得する方法を考えます。今日はみなご苦労でした」
こうして一同は解散となった。
ロッテの案内で、サムトーは城外へと向かった。
途中、珍しくロッテの方から話しかけてきた。
「どうして俺ばかりに頼むんだ、とか思ってらっしゃいませんか?」
事態の核心を突いた発言に、サムトーが思わず食いついた。
「それそれ。普通こんないい加減な剣士に、お貴族様は頼み事なんかしないよなあ。何でなのか不思議」
するとロッテがクスリと小さく笑った。
「絶対に内緒ですよ。約束できますか」
「もちろんするする。良かったら教えて」
廊下で二人が立ち止まる。周りに人がいないのを確かめて、ロッテが話し始めた。
「エリザベート様が言うには、貴族相手にあんないい加減な返事をして、余裕たっぷり。それでいて親切で、頼んだことはきちんとやってくれる。思った以上に優しい。それに隠しているつもりでしょうけど、相当に強いのも確かね。あんな人は初めて見たわ。だそうですよ」
誉め言葉が並んできたということは、仕官しろとでも言うのだろうか。でも、そんな素振りはなかったしなあ。訳が分からない。
「サムトー様も分からないという顔をされてますね」
ロッテがからかうように言ってきた。サムトーは両手を挙げた。
「降参。結局どういうこと?」
「一目惚れですよ」
「はあ?」
城内なのに思わず叫んでしまった。焦って周りを見回す。ロッテが確認したように、誰もいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
「エリザベート様にも、それは一目惚れですね、と申し上げましたら、そんな訳ないでしょう、下らないことを言うんじゃありません、って顔を真っ赤にしながらおっしゃってましたからね。間違いないですよ」
サムトーが思い切り脱力した。何だ、この展開。そんなに見た目は悪くないが、美男子というほどでもない俺が? 貴族のご令嬢に一目惚れされるとか、何かの冗談としか思えない。しかし、ロッテが嘘を言うはずもなく、事実なのだろう。
「なるほどねえ、それで口実を作って、少しでも接点作ろうとしていたわけかあ」
「まあ、伯爵令嬢は、政略結婚して家を継がなければなりませんからね。絶対に実らない恋なのは、エリザベート様も十分覚悟されているはずです。ですが、せっかく知り合えたのですから、なるべくお手伝いして差し上げて欲しいなあと、そう思うんですよ。一緒にいると表情では隠してますが、内心はうれしそうにしていて、見ていて応援したくなります」
「そうなんだ。そりゃ健気だねえ」
「そうなんです。健気なんですよ。ですから、しばらくの間、よろしくお願いしますね」
高慢な態度の裏にあるそんなものを見せられてしまっては、さすがに今後無下にはできないなあ。まあ、いいか。目的のない旅の途中だし、こんなことがあってもいいだろう。
「分かった。ご希望に添えるよう、頑張ってみるわ」
「ありがとうございます。くれぐれも内緒ですからね」
ロッテは最後に極上の笑みを浮かべると、サムトーを城の通用口まで送ってくれたのだった。
その日のうちから、エリザベートは精力的に動いていた。
騎士隊長グスタフに面会の手配をし、父ハインツと母エルローザにも食事の時に折り入っての相談があると持ちかけた。
翌日にはグスタフと税収と支出に関する事項の確認をして、父母と公式の会合を設ける旨を伝え、その際、繰り返しにはなるだろうが、再度進言するよう要請した。併せてヴェルフ達の謹慎解除を要請し、同意を得ると、伯爵令嬢の権限で、翌日より謹慎解除とすることを当人たちに通知した。
それが済むと、明日領地経営に関する大事な話があるので、公式の会合を開催することとして、父母の同席を了承させた。その際、ヴェルフ達若手騎士五名と、街の者を一名同席させることも併せて伝えている。
こうしてミルトニア伯爵領に関する重要会議が、開催されることとなったのであった。
その間、サムトーは待たされることとなった。
ロッテがやってきて、二日後には会議が開催されること、その際エリザベートが言ったように、街の声を代表してサムトーに発言してもらうことが伝えられた。大急ぎで手配したのは分かるが、それでも二日間待たされる方は暇である。
「サムトー様にはご迷惑をおかけしますが、どうかエリザベート様のためご容赦頂けますよう、お願い申し上げます」
大仰にロッテが言うのを聞いて、思わずため息が出てしまった。
「いいって。今さら断れないし。それにここまで関わったら、ロッテもまあ友達みたいなもんだ。ちゃんと協力するよ」
ロッテが軽く微笑んだ。
「やはりお優しい方でしたね。エリザベート様の見る目も確かでしたね」
「おだてたって何も出ないって。でも、そうだな。ここまで一生懸命なお姫様に、手土産一つくらい、あった方がいいかなあ」
サムトーは少し考えて、言葉を続けた。
「街の声を代表するなら、実際に収入と納税の金額が分かると、どれだけ苦しいかはっきりするよな。どうせ暇なんだし、商店街回って、協力できる人からだけでも、その記録を取ってみるよ」
ロッテが目を丸くして、そして再び微笑んだ。巻き込まれただけなのに、ここまで親切なことを言ってくれたことがうれしかったのだ。
「感謝致します、サムトー様。ぜひともよろしくお願いします」
こうしてサムトーはサムトーで、この件に関して独自に動いた。
まずは泊っている鈴蘭亭から。女将のマリカに、エリザベート様が税率を下げる取り組みをしていて、その時の会議に呼ばれていること。サムトーが代表して街の様子を話すことを説明した。
そのために、月ごとの収入と納税額が分かると、説得材料が増えるので助かると伝えると、快く了承してくれた。ここ半年の額を教えてもらい、それを紙にペンで記録する。
一件記録が取れると、後は順調だった。この二日間で、二十件の店で半年分の収入と納税額を集めることができた。
その重要な記録の写しを六通作成した。一通は紛失に備えての控え。残り五通は会議で提示するためである。結構時間がかかったが、面倒がらずに丁寧に書き写した。
こうしてサムトーも会議に参加することとなったのだった。
三月五日午後、昼食を終えたサムトーは、例によって城門まで来ていた。
ここでもロッテが出迎えてくれて、城内を先導してくれた。
三階にある会議室は広く、長方形に長机が配置され、その周囲に二十名が座って会議が行えるようになっていた。机も椅子も上質の物で、長時間の会議で疲れにくいよう配慮されていた。
上座には、ミルトニア伯爵領当主ハインツと伯爵夫人エルローザが座っている。
その左手に伯爵令嬢エリザベートが座る。その隣に騎士隊長グスタフ、さらに隣に執事長のヘルマンという人物が座った。執事長は城内の雑務を取り仕切る使用人たちの長である。掃除、洗濯、給仕などを行う召使の他、庭師や厨房の料理人を配下とし、領主を支える存在だった。
反対側には若手騎士の代表ということで、ヴェルフ達五人と、街の声を直接聞くということでサムトーが座った。
議事は執事長のヘルマンが行うことになっていた。
「では私ヘルマンが、議事の進行に当たらせて頂きます。本日は、伯爵令嬢エリザベート様から重要な提案事項があり、その協議を行うこととなっております。ハインツ様、エルローザ様、よろしいでしょうか」
二人が鷹揚にうなずく。貴族の領主も様々で、自分が領内の政事を取り仕切らないと気が済まない者から、政事全般を配下に丸投げし、帝都に赴く時くらいしか公務を果たさない者までいる。ハインツは後者だった。
「それではエリザベート様、ご提案、お願い申し上げます」
エリザベートが立ち上がった。この重要提案を、何としても受け入れてもらおうと張り切っている。
「私の提案は、領内の租税に関するものです。端的に言えば、我がミルトニア伯爵領の税率は高く、領民達は生活が苦しいと本当に困っているのです。では、その実際について、グスタフ騎士隊長から報告してもらいます」
エリザベートが一旦座り、グスタフが立ち上がる。
「かねてより申し上げていた事柄ですが、改めて説明させて頂きます。お手元の資料をご覧下さい」
そう前置きして、帝国直轄領では税率が二割、他の貴族領もほぼ同等で、高くても三割以内に抑えられていること。税率の高い領地でも、控除額を設定し、負担軽減の策がなされていることを述べた。
ところが伯爵領では税率が四割と異常に高く、そのため税収はかなりの額に上っていた。
「加えまして、支出の項目をご確認下さい」
領内整備費、城内整備費、騎士隊維持費、人件費、など、どの領地でも必須の項目が並んでいる。その後、装飾品等購入費という項目があり、その額が他の項目を合計した額より大きかったのである。
「この装飾品等の購入費が、支出の大半を占めております。これを大幅に減額することで、収入に余裕ができ、税率の軽減が可能となるのです。私からは以上となります」
グスタフが座り、再びエリザベートが立ち上がる。
「税率の重さについては、街の者を代表し、サムトーという者が説明することになっています。では、サムトー、頼みます」
代わってサムトーが立ち上がる。
「資料の方をご覧下さい。この街の商店二十店に協力を頂き、作成したものです。ここ半年間の収入と納税額が記載されております」
サムトーの提示した資料では、金貨五枚の収入に対し、納税額が金貨二枚になる。頑張って稼いでも、そこから従業員の給料など必要経費を差し引けば、手元には大した額が残らない。生活必需品の購入さえ削ってやりくりしているが、暮らしが厳しいのは一目瞭然である。これが直轄領と同じ二割に減税されれば、金貨四枚が残ることになり、生活資金として金貨一枚、銀貨では二十枚分の余裕が生まれるのだ。
「聡明な伯爵様、伯爵夫人様には、領民の暮らしの苦しさをご理解頂けたことと思います。私からは以上となります」
サムトーが座ると、再びエリザベートが立ち上がった。
「伯爵並びに伯爵夫人に申し上げます。このような事情で、我がミルトニア領には減税が必要不可欠なのでございます。なにとぞご賢察をもって英断頂きますよう、このエリザベートからも強く要望致します」
エリザベートが座る。後は父が決断するのみだった。
しかし、ハインツは決断できないでいた。
「そうは申すが、これまでも領民は普通に暮らしておったのだろう? ここで慌てて決めずとも、もう少し様子を見てからでも、なあエルローザ」
妻の方は明らかに反対に回っていた。
「ええ。装飾品の購入は、領内の蓄財のため。それにエルロイ商会との大事な取引ですから、簡単に止めるわけにもいきません。領民達には苦労をかけるかもしれませんが、これも必要な出費なのですよ」
エリザベートが眉を寄せた。危うく堪忍袋を切るところだったが、押し止めて、冷静を保って言葉を紡いだ。
「伯爵夫人、事の軽重をわきまえて頂きましょう。このような無理な蓄財より、領民の暮らしの方が優先されるべきです。もし、このような事態が帝都に知れれば、当家は領地経営も満足に行えないものと、所領没収となってもおかしくはないのです」
厳しい追及だった。ありえない話ではないだけに、エルローザも言葉に詰まった。
それでも娘は母を容赦なく追い詰める。
「でなければ、私が自ら帝都に赴き、事の次第を直訴しても良いのですよ。皇帝陛下は聡明な方。事の是非を明らかにして頂けますでしょう」
「何もそこまで言わずとも良いではないか」
たまらずハインツが割って入ったが、父にも容赦がなかった。
「ここまで言わせたのも伯爵、あなたの責任なのですよ。領内を治めるのは当主たる伯爵の努めではありませんか。伯爵がそれをないがしろにして、このような事態を招いたのです」
エリザベートは追及の手を緩めない。
「私が帝都で直訴する、というのは脅しではありません。これは領地存続のかかった大問題だということを、身に染みてご理解頂きたいのです。ですから、税率を下げないという結論に達したのならば、私は帝都へと参りますことを、十分承知下さいませ」
エリザベートは本気だった。この娘はやると言ったら、必ず成し遂げるだろう。その頑固さは今は亡き祖母に似たようであった。
伯爵家の二人が揃って言葉に詰まってしまった。事はすでに伯爵の決断を待つのみである。それでも伯爵は、この提案に同意できない優柔不断な人物であった。伯爵夫人も言うべき言葉を見つけられないようだった。
エリザベートは仕方なく助け舟を出した。
「即断するのが難しいのであれば、三日待ちましょう。ですが、減税を行う以外の方策がないのは、この場にいる者全てが証人です。あとは決断するのみですから、三日の間にお覚悟を決めて頂きましょう」
そう言って父母を厳しく見据える。娘にここまで厳しく追及され、もはや言葉もないようだった。
「では、ご意見もないようですので、本日の会議はここまでと致します」
進行役のヘルマンが議事の終わりを告げ、一同は解散となった。
「サムトー、今日は助かりました。資料の用意も見事でした。遅くなりましたが、礼を申します」
城門に向かいながら、エリザベートが声を掛けてきた。
サムトーは軽く笑みを浮かべて答えた。
「ロッテから話を聞いて、時間があったから少し手伝っただけですよ。それより、エリザベート様の厳しい追及の方が、はるかに見事でしたよ」
「いえ、そんなことは……」
ほめられてエリザベートの頬が赤くなる。照れると結構かわいいところもあるなあと、サムトーは見直した。もう用済みのはずだが、これなら結末まで見届けてもいいかな、という気になっていた。
だが、素直にそう言うのも面白くないので、あえて違う言い方をした。
「ここまでくれば、もう大丈夫みたいだし、俺の役目も今度こそ終わりでいいのかな」
するとまた、エリザベートが引き止めにかかった。
「何を言うのです。あなたは証人の一人でしょう。無事に決着するまでを、証人として見届けなさい」
全く、素直じゃないなあ。こういうのを聞くと、ついからかいたくなるのが、お調子者の性分である。
「えー、そんなに俺にいて欲しいわけ? 参ったなあ」
エリザベートが頬に加え、耳の先まで真っ赤にして言い返した。
「そ、そういうんじゃありません!」
「そうかあ、違うんだあ」
ロッテがクスリと笑った。後ろで聞いていて、おかしくてたまらないという表情だった。
「まあ、冗談は置いといて。エリザベート様が証人として必要と言うなら、三日後の決着までこの街にいることにするよ」
エリザベートがほっとした表情になった。普段は固い表情ばかりだが、案外気持ちが表情に出やすいようだった。言葉には出せないのだが。
「ところで、手付金の後、残りの報酬について、何の話もしていませんでしたね」
「いや、別にいらないけど」
金貨三枚ももらっている。十分だと本気で思っていた。
すると、違う角度から攻め込んできた。
「そうも参りません。ですが、こちらが一方的に押し付けるのも、違う気がします。食事でもしながら一度相談しましょう。明日の昼食の都合は?」
なるほど、そう来たか。このお嬢様もいろいろ知恵を絞ったのだろう。要するに一緒に食事する口実が欲しかったようだ。
「特に予定はないなあ。でも、城内で頂くのは遠慮したいので、街中で食べるのでもいいかな」
「構いません。でしたら明日、十二時の鐘が鳴ったら、城門まで迎えに来てもらいたいのです」
エリザベートも城内では堅苦しくなるから、街中の方が良かったようで、少しうれしそうな表情になった。
「十二時ね。あ、ロッテも一緒に食べるんだよね」
「もちろんです」
「いいんですか、エリザベート様」
ロッテが遠慮がちに尋ねた。普段の食事では、ロッテはエリザベートの給仕に専念し、食事が終わった後、厨房で賄いを食べるのだ。貴族令嬢が召使と食事を共にすることは、城内ではありえない。
「たまの外食ですから、そのくらい構わないでしょう」
しかし、城の外なら話は別だ。エリザベートもむしろロッテと食事を共にしたかったのである。
「分かりました。ご配慮ありがとうございます」
「じゃあ三人だな。合点承知」
やがて、通用口に到着した。
「では明日、たのし……、迎えを頼みましたよ」
うっかり口が滑りかけたようだった。表情に出すと機嫌を損ねるから、サムトーもロッテも内心で笑みを浮かべていた。
「ああ。じゃあ、また明日な」
こうしてサムトーは宿へと戻っていった。
その後、エリザベートは珍しく興奮気味で、ロッテが服装やら髪型やらの件で、主人に意見を繰り返し求められたのであった。
翌日、十二時の鐘が鳴ったところで、サムトーは約束通り、城門へとエリザベートを迎えに行った。
しばらく待つと、見知った金髪と栗毛の女性が二人。ただ、いつもと違うのは、二人ともブラウス、カーディガン、スカートと普通の町娘のような服装だったことである。髪型も後ろ結わえにしており、これも町娘風だ。一瞬誰だか分からなかったほどの変身ぶりだった。
「待たせましたね。今日はサムトーの案内に任せます」
口調はいつもの通りだったが、内心の高揚感だが羞恥心だかが態度に現れていた。わずかだが、そわそわというかもじもじというか、そんな感じがしていた。
ここは一発、きちんとほめておくべきだろうと、サムトーは思った。感じたままを口に出した。
「今日はすごくかわいらしいなあ。いつもはきれいって感じだけど、今日のは清楚で温かみがあって、とってもいい感じ」
「そ、そうですか。ありがとう」
恥ずかしそうにエリザベートが答える。これだけ微笑ましいと堪えるのは難しい。サムトーもロッテも思わず笑ってしまった。
二人が笑ったのを見て、エリザベートが焦る。
「な、何かおかしなことがあるのですか?」
「違う違う。かわいすぎて笑っちゃっただけ」
「か、かわいすぎ……」
顔を真っ赤にして照れるエリザベート。このままだといつまでも止まっていそうだ。
「ごめん、ごめん。とりあえずお店に行こう」
サムトーが先導して歩き出す。エリザベートもロッテに促されて、その後について行く。
しばらく歩いて、商店街の外れ、高級住宅街にほど近い場所に着く。店としては中規模の料理屋だった。ただし、値段は高目で銅貨三十五枚。普通の食事は大体銅貨十枚程度である。並の飯屋の三倍以上するわけだ。その分昼食でもコース料理が出る。貴族のご令嬢を、普通の庶民が食べる店に連れて行くのもどうかと考えた結果だった。
「予約していたサムトーですが」
昨日昼食を一緒にと言われて、その日のうちに、この店に予約を入れていた。この程度の手回しは、しておくべきだろうと考えたのだ。
「伺っております。三名様ですね。ご案内致します」
窓際の丸いテーブルでテーブルクロスも敷いてあった。椅子もきちんと三脚。フォークやスプーンはすでに並べてある。
給仕が椅子を引いてくれて、三人が順番に腰掛けた。エリザベートの機嫌が目に見えて良かった。この日はロッテやサムトーとも一緒の食事で、かなり楽しみにしていたようだった。
グラスに水が注がれた。今日は酒はナシにしてもらっている。
サムトーがグラスを掲げて、音頭を取った。
「無作法だけど、三人での初めての食事に」
そして一口だけ口に含む。二人も楽しそうにそれに倣った。
早速前菜が運ばれてきた。小さく切ったパンと豆の入ったサラダだった。
「では、いただきます」
サムトーが猟師時代以来の習慣で、挨拶をした。女性二人が不思議そうな顔になった。エリザベートが尋ねた。
「サムトーはいつも、いただきます、と言うのですか」
「ああ。半年以上前だけど、猟師達に助けてもらってね。彼らに命を頂くことの感謝を忘れないよう教わって。一人の時でも言うようにしてるんだ」
「そうなのですね。では私も。いただきます」
「いただきます」
女性二人もそれぞれ挨拶した。料理を口にする。
「街中でも、このように手間のかかった料理を出すのですね。初めて知りました」
エリザベートが率直な感想を言った。好印象のようで良かったと、サムトーは思った。
「猟師というのは、山や森で獣を狩る仕事でしたね」
「そう。イノシシやシカ、時にはクマを狩ることもあったなあ」
「怖くはないのですか」
「まあ、そこは経験を積めば、大丈夫になるものだよ」
「猟師の元を離れて、一人旅に出たのですか」
「いや、その後、旅芸人の人達に世話になったんだ」
話をしている間に、第一の皿が置かれた。干しトマトとベーコンのパスタだった。普通の店と違うのは、バジルなどの香草や胡椒などの香辛料が多いことで、それだけ材料費が高くなるわけだ。
「シンプルですがおいしいですね。麺の茹で加減も見事です」
エリザベートが感想を言う。街中で食べることなど滅多にないので、よく味わっているようだった。そして問いかけを続ける。
「旅芸人ということは、芸をしながら旅をするのですね。どんな芸があるのですか」
「俺が世話になった一座では、ジャグリング、道化、踊り、犬の芸、ナイフ投げ、奇術、曲芸と種類も豊富だったよ」
食事をしながら、これまでにはなかった会話が弾む。エリザベートはサムトーの事を知りたいようで、次々と質問が出てくる。
「ジャグリングというのは何ですか」
「ああ、手の平に乗る玉を、片手に二、三個持って、空中に投げるんだ。それで落ちないように次々と投げていくんだけど、すごく上手だったな。俺は両手で三個が限界だったし」
「曲芸というのは?」
「床の上で回転したり宙返りしたり、体一つで、普通の人じゃできない動きを自在にするんだよ」
「それはすごそうです。私には無理そうですね」
「まあ、普通の人のできることじゃないから、気にしなくても。できる方がすごいってことさ」
傍らを見ると、ロッテがニコニコしながら食事をしていた。自分は会話に参加していないが、主人が話に夢中なのがうれしいようだった。
そうしている間にも食事は進む。第二の皿は鶏肉のクリーム煮で、ゆで野菜が付け合わせてあった。これも口にしたエリザベートが感想を言う。
「優しい味でほっとしますね。旨味も十分です」
「さすがお嬢様。実に的確な感想ですな」
サムトーが冗談半分に言った。それを真に受けてしまうのがエリザベートである。
「当然です。物の良し悪しが分からなくては、爵位は継げませんから」
そうして自慢げに胸を張る。年相応で微笑ましい。
「一人旅はどうです、寂しかったりはしないのですか」
まだまだエリザベートの質問攻勢は続いた。
「まあ、たまに退屈するけどね。のんびり景色を眺めながら歩くのも、案外いいものだよ」
「野宿というのはしたことあるのですか」
「あるよ。まあ、人間寝ようと思えば、どこでも寝られるものだし。とは言え、宿に泊まる方が楽だし、冬の寒い中での野宿はきついから、ここ最近はずっと宿に世話になってるなあ」
「ベッドもない所で寝るなんて、想像できませんね」
「でも猟師の所じゃ、床に毛皮敷いて寝てたし、宿も格安の所だと、床の上に布団だったなあ」
「街の中で、何かに困ったりしたことはないですか」
「そりゃまあ、結構あるなあ。今回のヴェルフの件だってそうだし」
「それを言われると耳が痛いですね」
「他にも雑貨屋の娘さんが誘拐されたり、街中の人が一人の女の子を不幸を呼ぶ子っていじめてたり、いろいろあったなあ」
「その時サムトーはどうしたのですか」
「ん、結局巻き込まれたというか、自分から首を突っ込んだというか、とにかく人助けをすることになってね。まあそれなりに頑張ったかな」
話は全く尽きることがなかった。サムトーの話はエリザベートにとってとても興味深く、一つの話から次々好奇心をそそられたらしかった。
それでも食事の時間にも終わりはやってくる。
デザートの前にチーズが出てきた。食休みの意味があるらしい。
続いてデザートにドライフルーツのケーキ。一緒に紅茶が出てきた。
「上等なお酒で香りづけをしていますね。生地の味わいもそれで増していますし、ドライフルーツにもよく合います。紅茶も良い茶葉を使い、淹れ方も丁寧です。最後まで素晴らしい料理でした」
「いや、そう言ってもらえてほっとしたよ」
料理は合格点をもらえて、店を選んだ甲斐があったというものだ。
「ただ、何か俺ばっかり話していた気がする。申し訳なかったかな」
「いえ、いいのです。話を聞きたがったのは私ですから」
エリザベートは満足そうに答えた。その言葉に偽りはないようで、表情もいつになく優しげだった。
「それより、報酬の件がまだでしたね。いろいろ話を聞いて、やはり旅の路銀をお渡しするのが良いと思うのです。いかがですか」
「分かった。なら手付と合わせて金貨五枚。あと二枚で十分だ」
欲張らず、かと言って遠慮せずとなると、このくらいの額かなとサムトーは考えたのだった。
「そうですね、適切な額かも知れません。サムトーの配慮に感謝します。渡すのは二日後、この一件が片付いた後で良いですか」
「ああ、それでいいよ」
答えながら、また口実を作りにきたのが、サムトーにも分かった。ロッテも同じようだった。こういうところがやはり微笑ましく、二人も軽く笑顔を浮かべた。
「何かおかしなことでもありましたか」
「いえ、エリザベート様はかわいらしいな、と思いまして」
珍しくロッテが入ってきた。あくまで誉め言葉なのだが、からかっているようにも聞こえる。その微妙な線を狙ったらしい。
「またロッテまでサムトーのようなことを」
少し赤くなって照れているところが、余計にかわいらしい。
サムトーがふと思いついて二人に声を掛けた。
「二人とも、少し時間はあるかい?」
エリザベートが、声を掛けてもらうのを待っていたとばかりに即答する。
「多少なら問題ありません。何か用でもあるのですか」
「せっかくだから、街の中を歩かないか。いつもと違うものが見られると思うよ」
「そうなのですか。ならぜひとも行ってみましょう」
サムトーの真意は分からない。だが、一緒にいられる時間が伸びると思うと、エリザベートはかなりうれしかった。少し表情にもそれが出ていた。
「では、店を出ようか」
サムトーが先に立ち上がる。二人もそれに続く。
勘定はエリザベート持ちなので、ロッテが主人に代わって支払った。
「何が違うのか、少し楽しみですね」
サムトーが先導して商店街を行く。いつもなら、街の住人達は、後難を怖れて避けるようにするのだが、今日はそれがない。エリザベートがすぐに気付くくらい、違いは明白だった。
「なぜでしょう。街の人々がよそよそしくないですね」
「それはそうさ。みな、あなたがエリザベート様とは気付いてないんだ。どこかの町娘だと思ってるからだよ」
考えてみれば、服装も髪型もいつもと違う。注意していなければ、それだけで素性が隠せてしまうものなのだ。
しばらく歩いていると、ふと顔見知りに出会った。宿屋の娘カリーナだった。どうやら買い出しの途中らしい。
「カリーナ、用事かい?」
サムトーが声を掛けると、ポニーテールをした赤毛の娘が振り向いた。
「ああ、サムトーさん。ちょっと買い出し中」
答えた直後に、眉根が寄った。二人の女性連れを見つけたからだ。
「何よ、二人もかわいい子連れちゃって。隅に置けないなあ。……ねえねえ、どこで知り合ったの?」
後半は後ろの二人に向けた言葉だった。興味が湧くのは年頃ゆえだろう。
エリザベートが肩をすくめて答えた。
「この前、街中で困っていた時、このサムトーに助けてもらったのです」
カリーナが、返事をしてきた自分と同年代の女の子をしばらく見つめた。どこかであった気がすると思ったのだ。しばらく考えて、答えが出た時に、横合いからサムトーが、人差し指を立てて口に当てた。静かにするようにというジェスチャーだった。
カリーナが慌てながら、それでも声を小さくして言った。
「し、失礼しました、エリザベート様。とんだご無礼を、申し訳ございません」
「いえ、今日の私はただのサムトーの連れです。気にせずとも良いですよ」
エリザベートが顔をほころばせた。自分の正体に気付かれないのが、これほど愉快なことだとは思わなかったのだ。
「というわけ。まだ俺、お手伝いしてるんだよ」
「ああ、そうだったんだね。じ、じゃあ、私、用事あるから」
カリーナが慌てて立ち去る。
エリザベートが微笑みながら言った。
「ヴェルフが、私も威嚇して回っているのは同じだ、と言っていたことが良く分かりました。こうして自然に話せるのでなければ、街を巡る意味はありませんね。今後は気を付けましょう」
そして、サムトーの目を真っ直ぐに見つめた。
「サムトーに会わなければ、いつまでも事態は改善しなかったでしょう。心から礼を申します」
いいお嬢様だな、繰り返しそう思う。頑固なところはあるが、性根は素直で優しい。見た目もきれいだし、振る舞いも優雅だ。貴族のご令嬢というのも大したものだと思う。
そうなると、やはり悪の道に誘いたくなるのが、このお調子者だった。
「せっかく正義のお心に目覚めたところ、申し訳ないのですが、ここで買い食いなどはいかがでしょう」
「そ、それは……」
エリザベートの気持ちが揺れた。貴族令嬢として、買い食いなどはしたないという気持ちと、こんな時でもなければ買い食いなど経験できないという好奇心とが、激しく葛藤した。
そして当然の如く、好奇心が勝った。
「します、買い食い、初めてです!」
こういう時は定番としたものだろう。クレープの店に行き、出始めたイチゴとクリームの物を三つ買った。それぞれエリザベートとロッテに渡す。
ロッテは最初遠慮していたが、一人だけ食べてないと不自然だからと押し切られ、食べることにしたのだった。
「ありがとうございます、サムトー様。クレープなんて、すごく久しぶりなんですよ」
受け取った後はロッテも素直に喜んでいた。
エリザベートに至っては、背徳感を覚えながら、それでも甘くておいしい物を食べることに、至福を感じていたようだった。
「良くない事なのですが、おいしいです。罪深いですが、おいしいです」
食べている様子も年相応でかわいらしい。狙った通りになって、サムトーは内心でガッツポーズをした。それを表情に出さず、澄ました顔で言う。
「喜んでもらえて、さそった甲斐があるというものですな」
「ええ、貴重な経験になりました。礼を申します」
甘さと美味しさに表情を崩しながら、答える様子も微笑ましい。
ロッテも主人が喜んでいるのを見てうれしそうにしていた。
やがて、三人が食べ終える。
サムトーが二人を城門へと送った。
別れ際、エリザベートが心の底からの笑みを浮かべて言った。
「今日ほど楽しかった日は、記憶にもそうはありません。重ねて礼を申します。ありがとう、サムトー」
エリザベートが手を差し伸べてきた。貴族が庶民相手に握手を求めるなど、まずありえないことである。そのくらい感謝していたのだった。
「お役に立てて何より。あと二日、無事決着するまでよろしく」
二人は固く握手を交わして別れた。
見かけによらず、ごつい手をしていた。それだけ剣技が鍛えられているのだろう。こんなことでも意表をついてくるサムトーに、エリザベートは心の大半を奪われた気分になっていた。
「良かったですね、エリザベート様」
「ええ、とても。ロッテも今日はありがとう」
そうして二人は城内へと戻っていくのだった。
その翌日、三月も七日になっていた。
サムトーが鈴蘭亭に連泊するのもこの日で一週間、すっかり顔なじみになり、たまに宿の仕事を手伝うこともあったくらいだった。
暇に飽かせて、ここトリーゼンの街中もかなり隅々まで巡っていた。城壁に沿って一周したこともある。伯爵夫人の宝石買いのせいで予算が足りず、所々傷んでいる個所や、スラムのようになっている所もあった。事態が解決して改善することを願うばかりである。
この日は昼食後に、街の中央から南に外れた区画に来ていた。多くの城塞都市では市が開かれている場所だが、この街は軍隊を展開させる広場になっておらず、普通の住宅街だった。
日が傾き始め、街の中央広場の方へ戻ろうとした時だった。
焦りを隠しもせず、周囲を見渡しながら走り回る騎士がいた。きちんと騎士服を着ているので公務中のはずだが、何を慌てているのかと訝しがった。
やがて、その人物が近づいてきて、それが見知った顔だと分かった。例のヴェルフだった。約束通り、謹慎は解かれたらしい。
「よお、ヴェルフ、何かあったのか」
騎士相手に気安いが、顔見知りだからいいだろうと普通に声を掛けた。
ヴェルフがサムトーに気付き、急ぎ近寄ってくる。
「サムトー、大変だ。エリザベート様が誘拐された」
周囲を気にして、声を潜めて言った。大事件である。
サムトーも眉をしかめる。しかし、昼日中に堂々とそんなことができるのだろうか。小声で問いかける。
「どうして誘拐だと分かったんだ?」
「目撃者がいた。その者が言うには、いつものように避けて通り過ぎるのを待っていたら、逆に近づいていく四人組がいて、すれ違いざま取り囲んで気絶させたらしい。そこへすぐに荷車が来て、それに乗せてどこかへ逃げ去ったと、警備隊の詰所に通報があったそうだ。二時の鐘が鳴る少し前のことらしい」
「なるほど。それで探しているわけだ」
「ああ。騎士隊のほとんどが捜索に当たっている。城門は番兵がいるから、街の外ということはない。荷車が手がかりなんだが、やはり簡単には見つからないな」
確かにこの広い街中を探すのは、人数が多くても難しいかもしれない。誘拐犯もそう考えて、目撃者がいても構わず犯行に及んだのだろう。悪人の立場で考えるのもどうかと思うが、それにしても雑な仕事だな、というのがサムトーの感想だった。
範囲が絞りこめれば捜索も容易になる。人通りの少ない、身を隠せるような場所となると限られてくるはずだ。前の城塞都市でも、人買いはスラムの空き家を利用していた。それと同じような場所を使うのではなかろうか。
「俺も手伝おう。多分スラムだ」
「なるほど、あり得るな。一緒に来てくれ」
二人はスラムの方へと走り出した。
進んでいくうちに、人通りがだんだんと減り、住宅も古びてくる。
しばらくして、スラムへと到着した。人通りもなく、閑散として空き家ばかりである。住む場所に困った者が、空き家を勝手に使い、住んでいるような場所もあった。
足音を立てないようにして、周囲の様子を探る。誘拐から二時間ほど、犯人達も、追手に見つかる心配が薄れて気が緩む頃だろう。建物同士の隙間まで丁寧に見て回り、何か手がかりがないかを探る。
「あった。荷車だ」
一角の路地裏に、荷車が置いてあった。スラムでは見かけることの少ない道具である。この近くのどれかが隠れ家だろう。
「俺がどの家か特定するから、ヴェルフは少し待っていてくれ」
サムトーはそう言うと、通行人を装って歩き出した。荷車に近い家の気配を探る。
荷車のあった所から三軒隣の家に、複数の人の気配があった。家の窓は木製で、中を覗くことはできなかった。隙間から漏れてくる音を聞こうと、耳を澄ます。
「さて、脅迫状も届けたことだし、後は明日だな」
リーダー格の男らしい、三十代と思しき男の声がする。気配からするとこの部屋に三人。残りはさらった二人を監視しているものと思われた。
「そうですね、頭。日が暮れてしまえば、こんな場所、絶対見つかりっこありませんし」
「にしても、せっかくのうまそうな娘二人、頂いちゃってもいいんじゃないですか」
「いや、エルロイ商会さんのつてで、奴隷として売ることになってる。傷がついたら値が下がるからな。残念ながら、お手付きはなしだ」
リーダーが残念そうな口調で言った。本当なら自分も味見がしたいというところなのだろう。
「ならせめて、早く酒が飲みたいですね」
「確かに。でもまあ、日が暮れてからですかね」
「ああ、もう少しの辛抱だ」
そんな会話が漏れ聞こえてきた。
さて、場所も特定できた。
それにしてもツキがある。以前旅の相棒が話していたが、偶然を引き寄せる何かを持っているのかもしれない。ヴェルフに会わなければ、誘拐のことは分からなかった。以前、スラムで同様の事件に遭ったので、範囲を絞りこめた。目撃者が荷車を覚えていたので、それを探すことで犯人を見つけることができた。重なり合った偶然のおかげだった。後は踏み込むだけだ。
長く待つのは性分に合わなかった。第一、今の場所から監禁場所を移されては、また最初から探し直しになる。即座に突入しようと考えた。
サムトーは一度ヴェルフの所に戻った。
「何か武器を貸してくれ」
「警棒しかないぞ」
ヴェルフが左右の腰に棒を差していた。長さは六十センチほど。握りはついているが、頑丈なだけのただの棒である。二本のうち一本を借り受ける。
「突入しよう。相手は多分五人。やれるな」
「当然だ。こういう時のために鍛えてきたんだからな」
ヴェルフに声を掛けると、頼もしい返事が帰ってきた。
そっと建物の入り口に近づき、静かに扉を開こうとする。当然鍵が掛かっていて開かない。
サムトーは金属製の工具を取り出し、鍵穴に差し込んでこじ開けにかかった。しばらくして、カチリと音がして鍵が開いた。
「一階右手の部屋に三人、それは引き受ける。ヴェルフは他の部屋を頼む」
「分かった」
ヴェルフが他の部屋を開けて、中の様子を探っていく。
サムトーは誘拐犯のいる部屋に飛び込んだ。
「何だてめえ、うおっ」
一人目は奇襲で脳天を強打され、あっさりと倒れた。
残る二人がナイフを構える。
サムトーが素早く警棒を振るった。狙いは正確に二人の手首に当たる。
ナイフをとり落とした男達が、それを拾おうと手を伸ばした隙に、手加減しながら警棒で首筋を強打する。男達の意識が飛んで、床に倒れた。
ちょうど良く、誘拐した後、拘束するために用意した縄の束があった。遠慮なく使わせてもらうことにして、三人の男達を拘束していった。
それが済むと部屋から出て、周囲の様子を探る。二階から声と足音が聞こえてきた。ヴェルフがまだ戦っているようだった。
急ぎ二階へ駆け上がると、すでに一人の男は倒されていた。もう一人も防戦一方で、ヴェルフの腕が確かなことが証明されていた。
やがて、ヴェルフの鋭い突きが残る男のみぞおちに入った。気を失って男が床に倒れた。
「お見事。さすが騎士様だ」
そうほめながらも、サムトーは男達を拘束していく。
ヴェルフが二人の男が見張っていた部屋の戸を開けた。
エリザベートとロッテが猿ぐつわを噛まされ、腕と体を縄で縛られた状態で床に転がされていた。
二人はヴェルフの姿を見て、安堵の涙を流した。
それを見たヴェルフが、慌てて拘束を解きにかかった。
「お二人とも無事で何より。すぐに自由に致しますので」
猿ぐつわを外し、縄をほどくと、自由の身になった二人は、涙を拭うと、立ち上がって頭を下げた。
「ありがとう、ヴェルフ。おかげで助かりました」
「ヴェルフ様、本当にありがとうございます」
「この場所が分かったのは、サムトーのおかげです。感謝は彼に」
ヴェルフが首を振った。同時にサムトーが姿を現す。
「サムトー、本当にありがとう」
「いいって。無事で良かった。じゃあ、ヴェルフ、お二人を安全な場所へ。俺はここで見張っておくから」
サムトーはほっとしながらも、即座に次の動きを指示した。後は一刻も早く、この連中を牢に放り込むことが大事だった。
「分かった。……お二人とも、歩けますか?」
「ええ、大丈夫です。急ぎ参りましょう」
三人は建物を出て、大急ぎで城へと向かったのだった。
時間は少し遡る。
目撃情報を元に騎士隊や警備隊が城下町を走り回っていた頃。城内は大変な騒ぎになっていた。正確には、エリザベートの父母、ハインツとエルローザが、謁見の間で右往左往していたのである。
『エリザベートの身柄は預かった。無事に返して欲しくば、金貨五百枚を用意せよ。受け渡しの方法は追って知らせる』
そんな脅迫状が届いたことで、二人は動転していたのだった。
「金貨五百枚だと? ヘルマン、用意できるのか?」
「それが申し訳ございません。金庫には二百枚ほどしかございません」
「どうしてそれしかないのです。私がエルロイ商会から宝石を購入する時の貯えがあるでしょう?」
「ですから、その貯えがそれだけなのです」
「ああ、可哀想なエリザベート。騎士隊は何をしておる。警備隊は」
「現在、総員で城下町をくまなく捜索しております」
「それで見つけられそうなのですか」
「鋭意努力しておりますので、いずれは発見できるかと」
「こんな事になるなら、警備にもっと予算を使うべきだったか」
「身代金で無事に戻れるのでしょうか」
そんな調子で二人はうろうろと部屋を歩き回りながら、ヘルマンに嘆くばかり。落ち着いて指揮など取れようはずもなかった。
「こうなったら、私の宝石を売って、身代金を用意しましょう。大至急、エルロイ商会の者を呼びなさい」
エリザベートの母だけあって、エルローザには変なところで決断力があった。それだけ娘を大切にしていたのは確かだった。
それから三十分と経たないうちに、城内の使いの者がエルロイ商会の店員を連れてきた。早速とばかり、エルローザが言った。
「エリザベートが誘拐されました。身代金を用意しなければならないのですが、城の貯えでは足りません。そこで私が購入した宝石のいくつかを、商会で買い取ってもらいたいのです」
誘拐が起こったなど、外部に漏らすのは問題がありすぎである。それを構わずに言ってしまうところは、大きな欠点だった。
「かしこまりました。では品物を拝見させて頂きましょう」
店員が私室に案内され、エルローザに続いてハインツとヘルマンも室内へと入る。部屋の棚には、五十個ほどの宝石が飾られていた。
ルーペを取り出して、店員が一つ一つ確認していく。数が多いので時間がかかり、待たされた三人は少し苛立っていた。
「大丈夫ですね。みな当店からのお買い上げ品ですから、全部本物です。平均すると一つ当たり金貨十枚相当、全部でちょうど金貨五百枚ですね」
その言葉を聞いて、エルローザが逆上した。
「お待ちなさい。私はこれらの品一つ当たり、金貨五十枚は支払っているのですよ。なぜそのように安くなるのですか。おかしいではありませんか」
伯爵夫人の怒りを買っても、店員は恐れ入ることはなかった。淡々と事実を述べた。
「ええ、店の売値はその通りでございます。その中古品の引き取りとなりますと、私共も商売ですから、利益を損なわない金額に設定させて頂くことになるのですよ。そうしますと時価の五分の一程度が相場となります」
エルローザが愕然とした。資産として価値が上がるものと、エルロイ商会から聞かされて宝石類を定期的に買い漁っていたのである。それが実際は価値が減少し、総資産を減らすだけだと初めて知ったのだった。
「そ、そんな……、私はこれまで、何ということを……。商会は私に嘘をついていたのですね」
今さらのように店員を責め立てる。騙されたことが腹に据えかねるのも当然だった。
しかし、商会も決して嘘をついていたのではなかった。
「騙したなどと人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。正規にこれらの品々をお求めの方に販売するのであれば、お買い上げ頂いた値段よりも高く売れることに間違いはございません。ただ、今回はあくまで下取りという形になりますから、値段が下がるのでございます」
しかし、それは商人の理屈であって、貴族自ら宝石販売などを行えるわけではない。捨て値で下取りに出す他はないが、それはあまりに無駄遣いが過ぎるというものだ。エルローザにもここで売ることはためらわれ、困り果ててしまった。
「エルローザ、このような事になろうとは……」
夫人の宝石購入を放置してきたのは、伯爵のハインツだ。大切にすべき税収を無駄遣いしたとあっては、配下にも領民にも合わす顔がないというものだった。
「もっと早くグスタフの言葉を聞いておれば、このような事には……」
後悔というのは先に立たないものである。今さらだが、自分の過ちに気付いたのだった。
そんな時である。城の鐘が三点打ちで三回鳴らされた。危急を知らせる打ち方だった。こんな時の危急と言えば、誘拐がらみのことしかない。
「売るのは後回しだ。一旦、謁見の間に戻るぞ」
三人が急ぎ足で元居た場所へと戻る。
しばらく待っていると、謁見の間に、伯爵夫妻にとってかけがえのない人物が、男女一名ずつの供を連れて入ってきた。エリザベートが、ヴェルフとロッテを伴って戻ってきたのだった。
「おお、よくぞ戻った。誘拐騒ぎは嘘であったのだな」
脅迫状を見て誘拐の事実を鵜呑みにしたが、こんなに早く無事な姿が見られたのだから、偽りだったと考えてしまうのも無理はない。
「いえ、誘拐されたのは事実です。こうして無事に戻れたのも、ヴェルフとサムトーのおかげです。父上、母上、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「何と、そうであったか。無事に戻れて何よりだった」
「エリザベート、心配しましたよ。何かされてはいませんか?」
いたわる表情で話しかけてきた。伯爵夫妻も、右往左往していたほど心配していたのだ。
「私もロッテもただ縛られただけで、他にはケガなどもござません。どうぞ、ご安心下さい」
伯爵夫妻が安堵の息をついた。普段は勝手気ままを許してしまうほど、娘に甘い両親なのだ。無事と分かり、一気に力が抜けたようだった。
「エルロイ商会の者よ、今日は呼び立ててすまなかった。もはや売却も不要ゆえ、店に戻られるがよい」
呆気に取られて立ち尽くす店員に、ハインツが声を掛けた。
「で、ではこれにて失礼いたします」
完全な無駄足だったが、事の推移の意外さに思考が止まってしまったようで、呆然と店員は立ち去って行った。
「して、事の次第を報告せよ」
ようやくハインツが当主らしさを取り戻して言った。
ヴェルフがそれに応じて答える。
「では私からご報告申し上げます。事の発端は、二時の鐘が鳴る少し前のこと。エリザベート様達に近づいていく四人組がいて、取り囲んで気絶させ、荷車で連れ去ったと、警備隊の詰所に通報がございました。即座に騎士隊本部へ報告され、騎士隊、警備隊の手すきの者総出で捜索に当たりました。私は途中サムトー殿に会いまして、彼と共にスラムを捜索、誘拐犯の隠れ家を突き止めて犯人達を拘束、お二人を救出できたという次第です」
報告を終えて一礼し、畏まる。
伯爵夫妻も、その働きには相当感心していた。
「よくこの短時間に救出したな。見事だった。後ほど褒賞を取らせよう」
「ありがたきお言葉ですが、褒賞とおっしゃるなら、騎士隊、警備隊の全員が尽力したこと、全員にお手当を」
ヴェルフは遠慮した。本気で自分一人の功績だとは思っていなかった。
その謙虚さにより感心しつつ、伯爵らしく鷹揚に答える。
「ふむ、一理ある。考えておこう」
「エリザベート、あなたも疲れたでしょう。まずは一休みすると良いでしょう。ロッテ、さあ私室へお連れなさい」
「ありがとうございます、母上。では下がらせて頂きます」
エリザベートも素直に従った。体はそれほどでもなかったが、恐怖と緊張から気分が相当に疲れていたのだった。
ヴェルフも退出を願い出た。
「現在、騎士隊と警備隊の一部が、犯人を投獄すべく、捕縛に向かっております。私もそちらの任務に戻らせて頂きたく存じます」
「おお、そうだな。事件解決まで、また一働き頼むぞ」
「承知いたしました。では、これにて失礼致します」
こうして城内の騒ぎも収まり、あとは事後処理だけになったのだった。
騎士隊、警備隊合計十名ほどが、ヴェルフに場所を知らされ、スラムにある犯人達の隠れ家へと急行した。
サムトーが彼らを屋内へと案内した。すると、拘束されている人数が一人増えていたのである。
「後から一人この家を訪ねてきてな。首尾はどうだと聞くから、順調だと答えたら中に入って来たんだ。で、軽く締め上げたら、エルロイ商会からの使者で、隠れ家を移すよう指示されて来たと白状したのさ」
そんな訳で、六人を騎士隊本部の頑丈な牢獄へと入れ、一人ずつ取り調べを行った。彼らは口が軽く、事件について全てを白状した。
エルロイ商会が今回の誘拐の主導者だった。エリザベートが宝石購入を止めさせるために動いていると知り、誘拐を計画したこと。賭け事でエルロイ商会に多額の借金を背負っていた五人のならず者を雇い、二人をさらわせたこと。拠点を何度か変えて目くらましをするつもりだったこと。若い女性はかなり高い値段で売れるので、最終的に二人を奴隷商に売り払うつもりだったこと。そんな企みをした商会に対しては、借りはあっても恩があるわけではないので、正直に話したということ。
七日の夜更けには、犯行の全貌が明らかとなり、騎士隊長グスタフが正式に捕縛状を作成。すでに深夜だったが、エルロイ商会店主ハーマインを連行し、投獄したのだった。
こうして三月八日を迎えた。
この日は午前中のエリザベートの習い事も中止して、早い時間から今回の誘拐事件と、減税についての会議が持たれた。伯爵家三人の他は騎士隊長グスタフ、執事長ヘルマンのみの参加で、ヴェルフもサムトーもさすがに呼ばれなかった。もちろん、決定権は伯爵家当主ハインツにある。
誘拐に関しては、貴族への犯行ということで極刑でもおかしくないが、実害がなかったことで、特別に温情をもって減刑することとした。領民からの悪評を避ける意味もあった。実行犯五人は神聖帝国直轄領での懲役五年。エルロイ商会店主は家財没収の上、最低限の私財の所持を許し、領外へ追放処分となった。刑の執行は、一番古参の騎士隊一個小隊が執り行うことに決定した。
減税に関しても、伯爵夫妻は全面的にエリザベートの意見を支持して、あっさりと決着した。
というのも、この誘拐騒ぎで起こった、宝石売却に関しての出来事で相当に懲りていたのである。
「身代金が要求された時、城の財貨が乏しくて、貯えだけでは不足していたのです。そこでエルロイ商会に宝石の売却を頼もうとしたら、中古品の下取りは五分の一になると聞かされて、激しく後悔しましたわ。私は蓄財のつもりで買い求めてきたことが、単なる無駄遣いだったと分かったのです。本当にごめんなさい、ハインツ、エリザベート」
それがエルローザの言葉だった。
ハインツも同様に後悔していた。
「私も領地経営をグスタフとヘルマンに任せきりで、何もしてこなかったからな。エルローザの宝石購入も役に立つものと思い込んで、しっかり考えてこなかった。すまなかった。今後はしっかり報告を聞き、領内の様子に心を砕こうと思う」
二人の発言を聞いたエリザベートも、同じように謝罪を口にした。
「私こそ申し訳ありません。街中を巡っていながら、税が重いという事実にここ最近まで気付きませんでした。もっと早く、父上、母上にお知らせできれば、事態はもっと早く改善し、今回の事件も起こらなかったと思います。私からもお詫び申し上げます。本当にごめんなさい」
「だが、こうして改めると決めたからには、親子三人、力を合わせてより良い領地経営を行おうではないか。頼むぞ、二人とも」
「もちろんですわ、ハインツ」
「私もお手伝いいたします、父上」
「グスタフ、ヘルマン、そなたらの力も必要だ。今後ともよろしく頼むぞ」
「微力ながら、全力を尽くします」
「この身の全てをもって、伯爵家の力となりましょう」
こうして、ミルトニア伯爵領の問題は、解決に向かうことになった。
一方、サムトーは、相変わらず暇にしていた。
朝食時間が過ぎ、鈴蘭亭が掃除や洗濯の時間になると、頼み込んでその手伝いをさせてもらっていた。
「客なんだから、こんなことしなくていいのに」
女将の娘カリーナが言う。全くその通りだが。
「仕事がしたくなる時もあるんだよ。手伝わせてくれてありがとね」
というのが、サムトーの本音だった。
「それにしても、掃除、ずいぶん手馴れてるね」
「ああ、前に雑貨屋に一月住み込んでた時、毎日手伝ってたから」
ほうきでほこりを集め、ちりとりで取る。棚や机椅子を濡れ雑巾で拭く。カリーナはその間にシーツや枕カバーを集め、新しいものと替える。それを全ての部屋で行っていく。
そして洗濯である。井戸端の大きなたらいで、洗っては絞り、干すのを繰り返す。
二時間ほどの作業で、必要な仕事は一通り終わっていた。
「終わったみたいね。休憩にしましょう」
女将のマリカが声を掛けてきた。
「サムトーさんも一緒にお茶飲むでしょ?」
「ありがとうございます。ごちそうになります」
他の雇い人達は、それぞれ自分の用事があるようだった。厨房から料理長でマリカの夫サジウスもやってきて、四人で一休みとなった。
「サムトーさんも今日泊まると八泊かあ。すっかりなじんだねえ」
カリーナの言葉に、サムトーが苦笑いする。こんな風に何かに巻き込まれて長居するのも久しぶりだった。
「で、エリザベート様の件、どうなったの?」
年頃だけに、好奇心が自制心を上回るようで、直球で聞いてきた。
「うん、何とか落ち着きそうだよ」
「そうなの? だって、昨日城の鐘が鳴ったでしょ。何か大変なことが起きたんじゃないかって、みんな心配してるのよ。だから、サムトーさんも、まだまだ大変なのかと思って」
なるほど。街の人々は昨日の事件を知らないから、危急を告げる城の鐘が鳴ったのを聞けば、驚くのも無理はなかった。
「あれは悪人捕縛の号令だったみたいだよ」
渦中にいた張本人なので、あの鐘の意味も分かっている。だが、適当に嘘のない範囲で言った。
「何で知ってるの?」
「エリザベート様の手伝いをしてたからさ」
「そっかあ。じゃあ、それももうすぐ終わるから、サムトーさんもまた旅に出るんだね。ちょっと寂しいなあ」
「ありがと。俺もちょっと寂しいなあ」
そんな会話を聞いていた夫婦は、思わず笑みを浮かべていた。いつの間にやら仲良くなって、男友達ができたみたいだ、と思ったのだった。
「昼食はどうする? うちで食べるか?」
料理長のサジウスが言う。ありがたいが、サムトーは遠慮した。
「ありがとうございます。でも、せっかくだから、街でまだ行ってない店で食べて来ようと思います」
などと答えていたら、客が来たようだった。
女将のマリカが応対に出る。
「あら、あなたはエリザベート様のところの」
「はい。使用人のロッテと申します。サムトー様はおいでですか」
「ええ。今日は宿の仕事を手伝ってくれたから。ちょっと待ってね」
マリカがサムトーを呼びに来た。ロッテが来訪したという。
「お待たせ。今日は何の用事?」
「はい。まずは昨日はありがとうございました。おかげで無事に助かりました。それから、今日エリザベート様が、サムトー様に結果をお伝えしたいから、昼食を一緒にどうかとおっしゃっております。また城門までお迎えに来て頂けませんか」
何かと口実を作っては会おうとする当たり、いじらしいと言って良いのかもしれない。それにしても、昨日の今日でよく外出の許可が出たものだ。
「ちゃんと町娘の服装で行きます。大丈夫ですよ」
考えを読み取ったように、ロッテが答えた。なるほど。
「分かった。一緒に行けばいいのかな?」
「はい。お願いします」
「だ、そうです。出かけてきますね」
「はい、いってらっしゃいませ」
伯爵令嬢の侍女が来たということで、宿の三人は興味津々、様子を覗いていた。サムトーに声を掛けられ、ばつが悪そうに答えたのだった。
サムトーは、ポーチだけ部屋に取りに行くと、ロッテの後に従って城へと向かった。
「よく来てくれました。ありがとう、サムトー」
ロッテの言葉通り、エリザベートは、またブラウス、カーディガン、スカートと町娘のような服装だった。ロッテも同様に使用人の服から着替えていた。木の葉を隠すなら森の中とはよく言ったものだ。この前、カリーナが誰だか分らなかった実績がある。
ただ、今日は料理屋の予約がない。どうしたものかと思案していると、エリザベートが言った。
「今日は、普段サムトーの行くような店にして下さい。街の皆さんが、どのような物を食べているのか知りたいのです」
貴族であっても身分を笠に着ない、この令嬢だけのことはある。庶民の食べ物で良いなどとは、そうそう言えることではないだろう。
「せっかく誰だか分からないよう変装しているのです。町娘らしく楽しく食事ができれば良いと思っています」
なるほど。そういうことなら、前回はパスタだったから、今回はシチューかな。
「確か煮込みのうまい店が、あの辺にあったよな。そこに行ってみるか」
サムトーの案内で店へと向かう。ちょうど十二時の鐘が鳴った。
しばらく歩いて、目的地に到着した。ポトフやシチューなど、煮込み料理を目玉にしている店だった。
店はそこそこ客が入っいて、人気店であることを伺わせる。この後も昼食客で賑わうのだろう。給仕に案内され、空いているテーブルに三人で座る。
そこでブラウンシチューのセットを三人分注文する。メインのシチューにパンが二つ、サラダと食後のお茶が付いて銅貨十枚。昼食にしては少しだけ贅沢である。
グラスに水が注がれ、目の前に置かれる。喉は少し乾いていたのでありがたい。三人共、軽くそれを一口飲んだ。
早速、エリザベートが話を始めた。
「まずは正式にお礼を申します。昨日は危ういところを助けて頂き、ロッテ共々、本当に感謝しています。ありがとう、サムトー」
「まあ、俺に見つかったのが運の尽き、ってヤツだ」
こういう時も、ちょっと調子に乗ってしまうのがサムトーだった。
そんな様子は気にもかけず、エリザベートが言葉を続ける。
「会議は早々に決着しました。今回の事件のおかげで、父上母上共に相当反省なさったご様子でした。減税も実施の運びとなりました」
「それは良かった。エリザベート様、頑張ったもんな」
誘拐事件が起こった時はどうなるかと思ったが、災い転じて福となったので、結果的には良かったようだ。
「それから、宝石については大変なことが分かったのです」
「というと、安値で買い叩かれたとか?」
「良く分かりますね。正確には買い叩かれそうになったそうです。何でも、中古品の下取り価格は五分の一になるとか。買値より高く売りたければ、正規に別の顧客に販売する必要があると言われたそうです。私が戻るのが遅ければ、危うく買い叩かれるところでした」
「正規の客を取るなんて、貴族の家には無理だよなあ」
「そういうことです。母上は買値より高く売れると信じ込んでいて、資産を増やす意味で定期的に買い足していたのです。それが無駄骨と知って、とても後悔されていました」
ちょうどそこに料理が運ばれてきた。お茶を除いた全部である。
「いただきます」
三人の声が唱和した。
コース料理同様、サラダから手を付ける辺りが、やはり貴族令嬢だった。サムトーとロッテもそれに倣った。
「前回もそうでしたが、街の料理屋もおいしいですね」
エリザベートが言う。
「そりゃそうさ。料理という芸でお金をもらうんだ。客が喜ばないと意味がないからな。これも料理人の努力の結晶さ」
「なるほど、良く分かる話ですね」
しばらくの間、三人は食べることに専念した。じっくり味わって食べるのも礼儀だろうと、そんな気分だった。
ある程度食べ進んだところで、話が再開された。
「それから今回の事件に、エルロイ商会が関与していたのです。実行犯は商会に雇われた者達でした。実行犯は懲役五年、商会店主は家財を一部を除いて没収の上、領外追放となりました。家財没収ですので、保釈金制度は使えません。古参の騎士小隊が刑の執行を行います」
「俺も話してると時々忘れちゃうけど、エリザベート様は伯爵令嬢で、すごく高い身分だろ? 確か、高貴な身分の人を害した場合、処刑でもおかしくないって聞いたことがあって。良く懲役と追放で済んだなあ」
「そこは特別に温情をかけるということになったのです。打算で言えば、領民にこれまで負担を掛けてきた分、温情ある処置をするところを見せておくべき、という理由もありますが」
「なるほど。いろいろ考えてるんだなあ」
そう言うと、サムトーはパンを口に入れた。領内の問題も無事決着したし、いろいろあったがそう悪くはなかったと、これまでの出来事を振り返った。この貴族のお嬢様とも、ずいぶん仲良くなったものだ。
「エリザベート様、ありがとうな。おかげさまで、滅多にできない経験ができたよ」
「そうですか。役に立てて何よりでした」
そう答えると、エリザベートもシチューを口に運んだ。この後は、きっと別れの言葉になるという予感がして、気持ちがざわついた。このお調子者で、だけど強くて優しいこの人と、まだ別れたくないと思っていた。
しかし、サムトーは、そんな気持ちには気付いていないのか、淡々と言うのだった。
「今度こそ、お役御免ですよね」
「……」
やはり切り出されてしまった。さすがのエリザベートにも、引き止める口実はもうない。しばらく無言でいたが、やがて普段通りを装って答えた。
「そうですね。サムトーは、また旅に出るのですか?」
「そうだね。風の向くまま、気の向くまま。さて、どこまで行くのやら」
「そうですか。残念です」
本心からの言葉だった。
それだけ言うと、エリザベートは食事に戻った。引き止めたいが言葉が出てこない。結果、無言で食べ続けることになる。
ロッテにはそんな主人の気持ちが手に取るように分かった。しかし、口をはさむこともできない。こちらも無言で食事を続けていた。
やがて三人とも食事を終えると、皿が下げられ、紅茶が運ばれてきた。
せっかくなので、食後の余韻を楽しもうと、黙ったまま口を付けた。花のような香りのする、すっきりとした味の紅茶だった。
まだ余韻が口に残っている時に、サムトーがポーチから小箱を取り出し、差し出してきた。
「でさ、これ、エリザベート様にお礼。この街の店で見つけたんだけど、珍しい品だから、お礼になるかと思って」
きれいに塗装がしてある、蓋のついた木製の小箱だった。エリザベートが蓋を開くと、中から音楽が流れ出てきた。オルゴールだった。
「他の街でも見かけたけど、ご覧の通り、中の機械を作るのが大変だから、珍しい品物なんだよね。それに、これなら伯爵令嬢が持ってても、別におかしくないと思ってさ」
エリザベートは小箱の蓋を閉めると、両手でやさしく包み込むように握りしめた。こういう物を贈ってくれるくらい、自分のことを大切に思ってくれたのだと分かって、とてもうれしかった。
「ありがとう、サムトー。大切にします」
ロッテが軽く涙ぐんだ。主人の気持ちは空振りではなかったのだ。思いには応えられなくとも、それを受け止めた上で、こういう形で返答をくれたサムトーに感謝した。
その時、エリザベートの頭の中で何かが閃いた。それは名案であるように思われた。
「ならば私は、サムトーに剣を贈りましょう。どうしても身を守る必要のある時、その役に立つように」
そう言うと、紅茶を飲み干す。
「城内の武器庫へ向かいましょう。中には一本くらい、ちょうど良い物があるでしょう」
サムトーが驚いた。城の武具を、こんなよそ者にあげちゃっていいのだろうか。その思いが表情に出ていた。
その意を汲んで、エリザベートが答える。
「大丈夫です。誘拐から助けてもらった褒賞としては、むしろ安くて申し訳ないくらいです」
「分かった。せっかくだから頂くことにするよ」
三人は立ち上がり、ロッテが主人に代わって勘定を支払う。
そして、再び城へと向かったのだった。
さすがは伯爵家の武器庫だった。剣、槍、弓など、五個小隊五十人が予備の武器として使える分が蓄えられていた。
「見事な品揃えだなあ。こりゃすごい」
サムトーも目を丸くしながら、それぞれの品を見て行く。長剣だけでも様々な種類があった。
「さすがに私も武器の目利きはできません。サムトーが気に入った物を選んで下さい」
エリザベートの言葉に、サムトーの思考が現実に戻る。旅を続けるからには、なるべく軽量の方がいいだろう。刀身も短めの方がいい。頑丈であればなお良い。そう考えながらじっくりと見比べた。やがて、比較的細身で、刀身九十センチと短めの長剣を一本選んだ。
「ちょっと抜いてみてもいいかな」
「ええ、もちろんです」
許可をもらって、剣を鞘から引き抜く。するりと滑らかに抜けた。鞘の造りも良い。握りもぴったりとして具合が良い。
両手で上段に構え、真っ直ぐ縦に振り抜く。重心もほど良い位置にあって、剣速がかなり出る。左手一本で持って真っ直ぐに突く。ぶれずに狙い通りに突ける。右手に持ち替え、斬り下げから斬り上げの連続技を放つ。鋭い軌跡を描いて剣が走る。文句なしである。
「うん、いい剣だ。本当にもらっていいのかな」
鞘に剣を納めながらサムトーが確認する。
エリザベートは剣の素振りの冴えに目を奪われ、しばらく呆けていた。声を掛けられ、我に返る。
「もちろんです。サムトーに使ってもらえるなら、この剣も真価を発揮することでしょう。むしろ良かったです」
それからロッテを促して、手伝いの褒賞の残り金貨二枚を渡す。
「今まで、私のわがままに付き合わせてごめんなさい」
そう言うと、サムトーに抱きついた。
「今さらですが、私、サムトーが好きでした。お調子者だけど、優しくて、強くて、気が付いたら好きになっていました。ですが、私は伯爵家の跡継ぎとして、この家を支えられる相手と結婚しなければなりません。だから、この気持ちはなかったことにしようと思っていたのです。……ですが、さっきの姿を見た時、やはり今の気持ちだけは、素直に伝えようと思ったのです。サムトーと過ごした時間はとても楽しかった。一生の宝物です。本当にありがとう」
剣を置いて、サムトーも優しく抱き返した。
「こちらこそ、ありがとう。エリザベート様と一緒に過ごしたのは、俺にとっても楽しい時間だったよ。気持ちを伝えてくれてありがとうな。本当にうれしい。一生の思い出だな」
「ああ、そう言ってもらえて、とてもうれしいです」
しばらく抱き合った後、二人は意を決したように体を離した。控えていたロッテがまた涙ぐんでいた。
「明日旅立ちですね」
「そうだね。朝一番で出発するつもり」
「なら、これでお別れですね。正直、辛いのですが、伯爵家令嬢として我慢します。それに、旅に出てこそ、サムトーの真価が発揮される気がします。良き旅が続くよう、祈っております」
「ありがとう。幸運がエリザベート様に訪れますように」
いきなり別れの挨拶を始めた二人に、ロッテが我慢できずに突っ込んだ。
「お二人とも気が早い。せめて城門まではご一緒しましょうよ」
二人とも雰囲気で始めてしまったが、確かにその通りだった。顔を見合わせて苦笑した。
三人連れ立って、城門へと向かう。
「それにしても、思いが叶って良かったですね、エリザベート様」
「そうですね。最後に勇気を出せて良かったです」
「サムトー様、私も友達と言われてうれしかったんですよ」
最後なので、ロッテも言いたいことを言えて満足気だった。
「そうかあ。俺も仲良くしてもらって、うれしかったよ」
「うれしさなら私も負けません。本当に素敵な時間でした」
三人とも笑顔だった。別れは寂しいが、今この時は一緒にいる。それはとても楽しいことだった。
やがて城門に着く。これでお別れだ。
「元気で、サムトー。良き旅を」
「サムトー様、またトリーゼン城に来た時は、ぜひ立ち寄って下さい」
「ありがとう。またいつか会おう」
サムトーは二人と固く握手を交わした。
手を振り合って別れる。そうして、それぞれの道に進むのだった。
翌朝、鈴蘭亭。
女将のマリカと娘のカリーナが見送ってくれた。
「長く泊まってくれて、ありがとうございました。サムトーさんのいた日々は楽しかったですよ」
「私も楽しかった。いい友達だったよね、私達」
「ありがとう。俺も楽しかったよ」
「ところでさあ、サムトーさん。エリザベート様と何かあったの?」
中々に鋭い。嘘のない範囲で答える。
「ご覧の通り、剣を一本もらったんだよ。お礼に、だって」
腰に剣とポーチ。だが、背には荷物の他、長剣が増えていた。
「そっかあ。お礼もらうほど仲良くなったんだ。良かったね」
そう言われると、特別な関係になれたことが、今さらのように良かったと思えた。この不思議な偶然に感謝したくなったくらいだ。
「そうだね、良かったよ。それじゃあ、俺はこれで」
「またの機会をお待ちしてまーす!」
明るい声に背中を押され、サムトーは旅立っていく。
次に待つのは何事か。それもまた旅の楽しみなのだった。
──続く。
これで事前譚も6本目になります。今回のお相手は貴族の令嬢。それでも良くも悪くもマイペースなサムトーです。私の作風として、どうしてもまったり描写が多くなりますが、そんなのどかな光景を楽しんでいただければと思います。あとツキがあるっていう描写がありますが、現実でも何年かに1回くらい、そういう時ってありますよね。偶然の重なりってすごいと思います。