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序章Ⅳ~雑貨屋の父娘とロクデナシ~

 寒空の下一人旅

 やってきたのは城塞都市

 またも出くわすトラブルに

 首突っ込んだのが運の尽き

 せめて役には立ちたいと

 柄にもないが人助け

 何はなくともお調子者の

 我らがサムトー、今日も行く

 時に神聖帝国歴五九六年十二月上旬。

 本格的に冬が到来しようとする季節である。

 街道を南下し続けていたサムトーは、城塞都市グロスターに来ていた。

 人口はおよそ十万人。城塞都市らしい大都市である。

「で、いきなり何だ、この状況」

 市街地に入り、例によって商店街を見て回っていた時のことだった。

 大声がしたかと思ったら、野次馬が次々と集まっていった。

 何かのトラブルらしい。一人は中年の厳つい顔をした男性。もう一人は背は高めだが、やせ気味の若い男性。若い男性は、背後に十代半ばくらいの女の子をかばっている。

「いつもなら、あの若い兄ちゃんの代わりに、俺が入っているんだがなあ」

 周囲を取り巻く野次馬に交じって、サムトーは残念そうにつぶやいた。平穏無事な旅が続くと、たまにはトラブルに巻き込まれたくなる質だった。

「何度も言わせるな。プリシアには家の仕事があるんだ」

 厳つい顔の男の方が、説教じみた口調で言った。

「このロクデナシめ。いつもうちの娘をたぶらかしおって」

「違いますよ、モーガンさん。ぼくはただ、プリシアのために」

 若い男が反論した。

「いつも仕事、仕事じゃ、プリシアだって参っちゃいますよ。たまにはこうして、羽を伸ばすことも大事だって、ぼくはそう思って、一緒に町を巡っていたんです」

 冬だというのに、額に汗して大きな声を上げていた。真剣に娘の身を案じている口調だった。

 しかし、娘の方は、モーガンと呼ばれた、父親らしき男の言葉に従うことにしたようだった。

「悪いけど、ロートン。やっぱり私、家に戻ります」

「そ、そんな、プリシア……」

「あなたといるより、お店の仕事の方が大事だから」

 そう言うと、娘は父親の隣に戻り、一緒に帰っていくのだった。

 何だ、かばっていた側の方が、むしろ遊びをそそのかした悪者? で、頑固親父の方が正論で、娘もそれに同意して一件落着?

 サムトーは、トラブルがあっさり解決したことに、露骨にがっかりした。野次馬達も毎度のこととばかり、つまらなそうに立ち去っていく。

 残されたロートンという若者は、唇を一文字に結び、悔しそうな表情で立ち尽くしてた。

 サムトーは、一瞬こちらに声を掛けようかと思った。だが、悔しさもあるだろうが不満気な表情が悪印象で、止めることにした。

 代わりに、立ち去って行った親子の後をそっとつけてみた。

 三本並ぶ通りの商店街、その一番東側の通り、中央よりやや北側の店に、二人は入っていった。看板に『雑貨屋カーシー』と書いてある。周囲の店より一回り大きな店舗で、この街でも老舗なのだろうと思われた。

 客を装って、サムトーは店内に入った。

 とにかく品揃えが豊富だった。鍋釜、調理用具、防水布、着火器具、清掃用具、各種道具類。どれも品質は良さそうである。

「いらっしゃいませ。何かご入用ですか」

 モーガンと呼ばれた厳つい顔の男が、客相手にはあるだけの愛想を動員するらしい。穏やかな表情で注文を聞いてきた。

「すみません、品揃えの見事さにみとれてしまって。タオルを一枚買おうと思ったのですけど」

 決して嘘ではない。前に買った品はいい加減ぼろぼろになってきていたので、ちょうど買い換えようと思っていたのだった。

「タオルはこちらになります」

 案内されて売り場へ行く。たかがタオルなのだが、それが何種類も置いてある。本当に品揃えがいい。

「旅の剣士さんですよね。丈夫さ優先で、こちらの品などが良いかと」

 ちゃんと自分の店に置いてあるものが分かっていて、相手によって勧める品を適切に選べるとはさすがだと、サムトーは感心した。

「ありがとうございます。ではこちらを頂きますね」

 店主の勧めに従って、銅貨五枚を払ってタオルを一枚買う。

 ついでに、今夜の宿を決めようと、声を掛けてみた。

「買い物ついでにアドバイス頂けませんか? 今日の宿をまだ決めていなくて、どこか良い宿があったらご紹介下さると助かります」

「そうですか。お客さん、一人旅ですよね」

「はい、そうです」

「何か希望などは? 賑やかなのがいいとか、静かなのがいいとか」

 たかがタオルを買っただけの客に、何と親切なことだろう。ますますこの厳つい親父が気に入ってしまった。

「いえ、食事がおいしいところならどこでも」

「そうですか。ですと、一番は大鷲亭ですね。居酒屋が主で、宿屋はどちらかと言うとついでになりますが、料理の味では一、二を争う店です」

「分かりました。店はどちらで?」

「ちょうどうちの隣です」

「ほう、お隣さんをさりげなく勧めるとは、ご近所思いですね」

 サムトーが軽口を叩いた。ちょっとニヤリと笑っている。

「ははは、これも商売のうちですからな。とは言え、料理がうまいのは本当ですよ」

 厳つい顔でも笑うと愛嬌があるじゃないかと、サムトーは思った。

 これだけの人物が、娘を縛り付けるようなことをするとは思えない。そうすると、先ほどのトラブル、やはりあのロートンというのが、本当にロクデナシという事になるが、どうなのだろう。何となく気になってしまった。

「ありがとうございます。さっそく行ってみます」

 とりあえず一礼して、サムトーは店を出た。

「お父さん、珍しく機嫌良いね」

 店の奥からプリシアと呼ばれた娘が出てきた。肩までのくすんだ金髪に、父に似た少し固めの顔つきをしていた。やや小柄だが、それでも十七才と妙齢の女性だった。

「ああ、面白い客が来てね。タオル一枚売っただけなんだが、話が弾んでしまったよ」

「お父さんにそんなこと言わせるなんて、よほどの人だったんだね」

「まあ、旅の剣士だったから、詳しいことは何もわからんがね。……それより、売り上げ計算の方、終わりそうか? 大変なら手伝うぞ」

「大丈夫。あと少しだから」

「そっか。終わったら一息入れようか」

「ありがとう、お父さん。じゃあ、すぐ片付けるね」

「ああ。……母さんが生きていたら、今のプリシアのこと、きっと自慢に思うだろうなあ」

 本当に仲の良い親子だった。サムトーが見ていたら、こんな親子相手に、トラブル起こすような真似をする方が悪いと思ったことだろう。町の連中もこの親子を知っているから、野次馬はしても、介入はしないのだった。


 サムトーは、元奴隷剣闘士である。

 この年、神聖帝国歴五九六年五月に、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功した。サムトーはそのうちの一人だった。逃亡奴隷は一部例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。

 逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性がバレる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めたのである。

 さて、サムトーは、雑貨屋カーシーの隣、居酒屋兼宿屋の大鷲亭に来ていた。銀貨一枚を支払い、部屋を確保する。

 部屋に荷物を置き、洗濯を済ませ、部屋干ししておく。

 公衆浴場へ行って、のんびり湯につかって宿へと戻る。

 旅を始めて一月と少し、宿屋に泊まるときには、風呂の後の一杯が完全に定番となってしまった。いつものようにエールを頼み、軽くあおる。

「はあ、寒い季節でも、やっぱり風呂の後はこれだなあ」

 そんなことを思いながら、二口目を口に入れた時、ちょうど店にロートンと呼ばれていた男が入ってきた。年齢はサムトーと同じくらい、十代後半か二十才位かと思われた。やせ気味だが、さっぱりした風貌で、黙ってさえいれば女性にも人気が出そうな感じだった。

 彼も同じようにエールを頼むと、どっかりと席に腰掛けた。余談だが、神聖帝国では飲酒に年齢制限はない。

「よお、ロートン、またダメだったな」

 あの場で野次馬していた者がいたのだろう。茶化すようにそう言った。

「うるせえよ。今回は間が悪かっただけだ」

 それを聞いていたサムトーが、心の中で頭を抱えた。最初は女の子をかばっているように見えたが、こんな乱暴な口調の男だとは。やはり父親の方が正しかったのが証明されたわけだ。

 とは言え、せっかくのトラブルだ。首を突っ込むのも面白そうだと、サムトーは思った。いろいろな町を巡るうち、お調子者の素がすっかり出てくるようになっていた。

 酒杯を持って立ち上がると、ロートンの席の前へと移動した。

「兄ちゃん、話聞かせてもらってもいいかい?」

「あん? 何だよ。まあいいけどな。座れよ」

 一応の許可が下りたので、遠慮なく向かいの席に座る。

「俺はサムトー。旅の剣士だ。で、あんたはロートンだろ?」

「ああ、そうだ」

「昼間のあれ、見てたけどよ、せっかくロートンがかばってやったのに、何であのプリシアって女は、父親の言いなりなんだ?」

 サムトーは、あえてロートンの味方を装った。こういう手合いは、自分を否定されると逆上するだろうという予測があった。裏を返せば、おだてれば何でも話してしまうタイプでもある。

「そうなんだよ。あいつの家、三年前くらいに母親が亡くなって。前からそうだったけど、父親がべったりでさ。何でも店の仕事をプリシアに押し付けてやがるんだぜ」

「ほお、そりゃかわいそうだ」

 相槌を打たれて、ロートンの機嫌が一気に良くなった。うれしそうにエールをあおった。

「俺はな、あんな可哀想な娘、放っておけなくてさ。外に遊びに連れ出してやってるわけよ。いずれは楽しいことも教えてやるつもりさ」

「楽しいことね。どんなことなんだい?」

「決まってんだろ。聞くのは野暮ってもんだぜ」

 サムトーが表情に笑顔を貼り付けたまま、内心で苦り切った。うわあ、最低だ、こいつ。

「でもまあ、いずれの話だ。まずは仲良くしようと、お茶に誘って楽しい話をしようとか頑張ってんだけどさ、あの邪魔なモーガンの親父がいるもんだから、そっから先には中々うまくいかなくてね」

「へえ、でもお茶くらいは、ご馳走してやってるんだ」

 ようやく見つけた褒め所を、ここぞとばかりに指摘してみた。

 だが、返答は斜め上だった。

「それがな、プリシアの奴、あなたにお金を出してもらう理由がない、とか言って、お茶一つ受けてくれないんだよ。……エールお代わり!」

 いつの間にやら一杯空けてしまっていた。やけに早いペースである。そのくらいイラついているのは分からなくはない。だが、こんな調子じゃ誘ってもうまくいかなくて当然だ。ほとほと呆れかえったサムトーだった。

 ロートンが急に話題を変えた。少し、真面目になって言ってきた。

「なあ、相談なんだけどよ。俺の手伝い、するつもりないか?」

「手伝いって、俺達、今日初めて会ったばっかだぜ」

「いや、お前みたいに話せる奴、そうそういないからさ。ぜひ頼むよ」

 はあ、とサムトーが大きなため息をついた。さすがにもう限界である。

 しかし、あまり持っていない忍耐心を目一杯動員して、我慢した。もう一度ため息をつくと、諭すように話し始めた。

「まずは少し落ち着きなって。あのな、相手のことを考えないで、そんな風に自分の都合ばっかり考えてるのって、絶対に好かれないんだよ。だから、このままじゃうまくいくなんてこと、絶対にないから。……そうだなあ、お前さんが真面目に働いてるところ見せれば、案外いいところあるんだって、プリシアの嬢ちゃんも思ってくれるかも。まずはそんなところから始めてみたらどうだい?」

「……」

 さすがのロートンも正論の前に黙り込んだ。

「ちなみにロートンは何の仕事をしてるんだ?」

「仕事? 別に何も……」

 サムトーが目を丸くした。俺と同じで賭場で稼いでるとかか?

 ロートンは少し困ったように話し始めた。

「家が宝石商だから金はあるんだ。貴族様や騎士様相手の商売だから、潰れる心配もないしな。ただ、店の跡継ぎは兄さんに決まってるから、俺はいずれ用無しで、家を追い出されるかも知れないんだ」

「はあ、でも店員として兄を支えるとか、家に残る方法はあるんじゃないのか?」

「そんな面倒くさいこと、何で俺がやらなきゃならないんだよ。第一、今ま

でだってろくに店の手伝いしてないんだ。今さら仕事なんてできねえよ」

 ロートンが呆れたような顔になった。本気で面倒くさいと思っている表情だった。

 なるほど、ロクデナシとプリシアの父モーガンが言い放っただけのことはある。つける薬がないな、こいつ。サムトーは心中で頭を抱えた。表情に出さないようにするのに、かなり苦労した。

「事情はよーく分かった。これはあれだ、もっといい相手を見つけるのが一番いいな、うん」

「いや、だからプリシアなんだろ。厳つい親父に似て表情固いから、あんま男にもてないだろうし、あそこは父一人娘一人だから、プリシアさえモノにできれば、店ごと手に入るじゃないか」

「……」

 さすがのサムトーも、ロートンの最低さ加減には、さすがについていけなくなった。キッパリ振ってもらって、諦めさせるのが一番良いのではないだろうか。それでもしつこくするようなら、最悪騎士団に訴えるしかない。そんな風に腹をくくった。

「分かった。一回だけチャンスを作ってやる。あ、でも真っ正直にモーガンのおっさんに頼み込むから、失敗しても恨むなよ」

「本当か? そいつはありがたい。で、俺はどうすればいいんだ?」

 ロートンの表情が輝いた。まともな顔をすれば、まだ見込みがありそうにも見えた。中身が歪んでしまったことが残念でならない。

「明日、午前中のうちにモーガンのおっさんと話してみる。昼飯時に、ここ大鷲亭に来な。うまくいったら、明日の午後に話せるはずだ」

「分かった。明日の昼な。お前さんだけが頼りなんだ。よろしく頼むぜ、サムトー」

 そう言うと、ロートンが握手を求めてきた。断るのも変なので、サムトーが手を握り返す。苦労を知らない、子供のような柔らかい手だった。

 ロートンが立ち上がり、勘定を払うと、立ち去っていった。

 サムトーは大きくため息をついて、夕食を注文するのだった。


 翌朝、サムトーは、日の出より少し早く起き出した。

 井戸端へ行き、水を一杯飲むと、いつもの通り剣の型の素振りをする。左右の腕で六種類百本ずつ。腕がなまらないようにと最低限の鍛錬である。さすがに十二月ともなると、吐く息が白い。

 終わったところでまた、水を飲む。体も程よく温まり、気の重い用事さえなければ、好調といってよかった。

 朝食を取り、荷物を整理する。ここ城塞都市グロスターには長居するつもりはなかったので、用事が片付いたら、また旅に出るつもりだった。

 時刻はちょうど九時の鐘が鳴った頃だった。サムトーはすぐに宿を出て、隣の店へと向かった。雑貨屋カーシーも、客が来てからでは邪魔になるだろうと思ったのである。

「やあ、昨日の剣士の兄さんか」

 店主のモーガンはサムトーを覚えていたらしい。気安く話しかけてきた。

「はい。サムトーと言います。今日は、本当に申し訳ないのですが、あなたにとって嫌な要件で来ました」

 真っ向から切り出されて、モーガンの眉根が寄った。

「嫌な要件とは?」

「はい。昨日のロートンの件です」

「またあのロクデナシか。何かあったのか」

「はい、話すと少し長くなりますが……」

 サムトーは、昨日の夜、ロートンと一緒に酒を飲んでいた。そこで、ロートンが、モーガンの娘プリシアを狙っている……良く言えば、お付き合いしたいと思っていることが分かった。しかし、この街の住人皆が知っている通り、正直まともな相手ではなく、こんなのと付き合う輩はまずいないだろう。それでもロートンはそんな事実に気付く様子はなく、プリシアを諦める気はないようで、何と初対面のサムトーに協力を頼んできた。いろいろ考えてみたが、ここは本人の口からはっきり断ってやるのがいいだろうと思い、今日の昼過ぎ、娘さんをお借りできないか。そこでこっぴどく振ってやり、ロートンに諦めさせてはどうか。そんなことを説明した。

「そりゃまた難儀な話だ。でも、何であいつなんかのために、そんなにしてやるんだ?」

「ええと、あいつは歪んでいるけど、まだ悪党ってわけじゃないし、プリシアさんのことを諦められれば、別のまともな道に戻れるんじゃないかと」

「無理だと思うがな。……ロートンの実家、ブランドン商会は、貴族や騎士相手に商売しているが、暴利をむさぼっているという評判でな。多少アコギなのも、買う側が納得してれば構わないんだろうし、仕入れ、鑑定、販売はきちんとやっているようだから、文句のつけようはない。ないんだが、やっぱりそういう店の、しかも仕事もしない次男坊だ。本当に何の役にも立たないどころか、店の儲けで贅沢三昧っていう悪評しかない男だ」

 ロクデナシなのは昨日しみじみ分かっていたが、他の人間から聞かされると、なおのことダメなのがよく分かった。ま、話すだけは話したから、これで良しとしよう。

「分かりました。無理を言ってすみません。ロートンには俺から……」

 ところがモーガンは話を遮った。

「ちょっと待て。このまま放っておくと、ロートンの奴はうちの娘を諦めないんだろう? 失敗してもいいから、物は試し、本人の口から一度はっきり断ってやるのもいいかも知れん。……プリシア、ちょっと来てくれ」

 店の奥から娘が出てきた。突然始まった、店の中での長話のせいだろう。怪訝そうな顔をしていた。

「こちらはサムトーさん。昨日話した旅の剣士さんだ。……サムトーさん、娘にもさっきの説明をしてくれないか?」

「分かりました」

 サムトーは再度同じ説明を繰り返した。ロートンがとにかく執拗なこと、諦めさせるのに直接本人の口から断るのが良いのではということを、特に強調した。

「なるほど、そうですか」

 プリシアが大きなため息をついた。表情も険しくなっていた。

「私も、ロートンがどうしてこんなにしつこいのか、直接聞いてみたかったところです。ただ、一つ条件があります」

「条件……?」

 サムトーとモーガンが揃って首を傾げた。直接会って断りを告げるのに、どんな条件が必要なのだろう。

「サムトーさんに同席して欲しいです。父は仕事もあるし、第一、父が一緒では、ロートンも本音を言わないでしょうし。かと言って、私一人でロートンと話すのは、正直怖いんです。私のこと、守って下さいませんか?」

「え、いや全然構わないけどさ。初対面の俺のこと、そんなに信用しちゃっていいの?」

「もちろんです。昨日、父がサムトーさんと話して笑っていました。気難しい父ですから、心根の良い人の前でしか笑ったりはしないんです。それだけでも信用するのに十分です」

 サムトーにも納得がいった。父が信用できるなら間違いないと、間接的にそう言っているのだ。ならば、その期待に応えるのが、人の道というものだろう。真剣な表情で答えた。

「了解だ。ロートンの奴とは、昼飯時に落ち合うことになってる。その後、迎えに行くから、どっかで茶飲み話をするってことでいいかい?」

「分かりました。よろしくお願いします」


 その後、時間を持て余したサムトーは、ここ城塞都市グロスターの南門近くに来ていた。以前立ち寄った他の城塞都市と同様、市が開かれていたからである。

 多くの城塞都市では、南門の周辺は本来は空き地だった。有事の際に軍が展開するための広場である。しかし、神聖帝国の統治下で平和の続いた今では、露店を構える者が大勢いて、雑多な市場と化していた。

 店の種類が豊富で、品物も見て回るだけで飽きることがない。猥雑とも言える賑わいは、そこに混じっているだけでも楽しいものだった。

 やがて、昼飯時になり、サムトーは大鷲亭に戻った。

 部屋の荷物を回収し、昼食を注文しようとメニューを眺めている時に、ちょうどロートンが現れた。

「で、どうだった?」

 開口一番、期待に満ちた目つきでロートンが尋ねてきた。

「ああ。昼飯の後、迎えに行くことになってる」

「うまくいったんだな。さすがだぜ。俺の見る目に間違いはなかったな」

 どうしてそこで自画自賛が入るんだか。サムトーは心の中でため息をついた。

「とりあえず、昼飯食おうぜ」

 サムトーが話題を切り替えた。鶏肉と卵焼き、サラダ、コーンスープを注文した。ロートンも同じものを注文する。

 食べながら、サムトーが追加の説明をした。

「言っとくけど、感触は悪かったぞ。何を言われても、これはロートン、お前の責任だから、人のことを恨むなよ」

「大丈夫さ。贅沢でも何でもさせてやるって言えば、乗ってくるさ」

 おいしいはずの食事が、どうにも味気ないものになった。人に説教できるような柄ではないのだがと、心中苦り切っている。ロートンは、本当に自分の悪評に気付いていないようだった。それもはっきり伝えておこうと、サムトーは思った。

「あのな、その金で何でも解決しようって態度、はっきり言って、街のみんなに嫌われてるからな。それもお前さんの責任だぞ」

 そこで、それを認められるなら、まだ救いもあっただろう。

「嫌われてる? うちの店が大金持ちだから、妬んでるだけだろ」

「……」

 これは本当に救いようがないかもしれない。

 サムトーは諦めて食事に専念した。


 昼食を終えたところで、サムトーはロートンを連れて隣の店を訪れた。

 プリシアが固い表情で出てきた。かなり緊張しているようだった。先ほどの言葉通り、ロートンのしつこさが怖い様子だった。

 三人で近くの喫茶店に移動する。さすがは大都市、飲み物と軽食だけで商売が成り立つほど、客がいるということだった。中規模以下の町ではこうはいかない。

 サムトーとロートンが隣に、その向かいにプリシアが座った。紅茶をお任せで注文する。

 お茶が来る前に、サムトーが口火を切った。

「言っておくが、俺は立会人だ。お互い、正直なところを話して、きちんと決着をつけよう」

 ロートンがうなずいた。

「分かってる。ぼくは、本当にプリシアが好きなんだ。お付き合いしたいと本気で考えているんだよ」

 プリシアがはっきりと警戒を表情に表した。彼女は、自分の女性としての魅力のなさを、自分なりに良く知っているつもりだった。こんないい加減な言葉に騙されはしなかった。

「私のどこが好きだというんですか」

「え、えっと、それは……」

 ロートンが言葉に詰まった。

 その程度のことも考えてこなかったのかと、表情に出さずサムトーが呆れた。

 ちょうどそこに紅茶が運ばれてきた。

 三人が同時に口を付けた。なるほど、一杯に銅貨五枚も取るだけのことはある。宝石を液体にしたような、上品な味わいだった。

 一息ついて、ロートンが立ち直ったようだった。積極的に言葉を紡ぐ。

「ぼくがプリシアを好きなのは、まず真面目に仕事に取り組んでいるところだろ。それからお客さんに信頼される誠実さだろ。父親思いで、不満一つ言わずに頑張っているところだろ。周りの店の人達の評判だって、すごくいいじゃないか。数え上げればキリがないくらいだよ」

 あ、これダメなヤツだ。サムトーは即座にそう思った。

 案の定、プリシアからカウンターが飛んできた。

「ロートンが言っていることは、みんな仕事に関わることじゃないですか。なのに、あなたは私に仕事を放り出して、一緒に遊ぼうとか誘ってくる。それっておかしくありませんか」

「そんなことはないよ。君と遊んだら、さぞかし楽しいだろうと……」

「大体、そんなに仕事してる姿がいいと思うのなら、まずロートン、あなた自身が仕事に熱心であるべきでしょう」

「そ、それは、君だから仕事している姿が素晴らしいんだよ。ぼくが仕事をしたって、大したことできないし……」

 プリシアが止めを刺した。

「私は自分の仕事に誇りを持っています。だから、お付き合いするなら、同じように仕事に熱心になれる人がいいです。ロートン、あなたのような遊んでばかりの人と、お付き合いはできません」

「……」

 ロートンが黙り込んだ。さすがに返答のしようがない。

 プリシアが、紅茶を飲み干し、立ち上がった。

「もう話はいいですか。今後、ロートンには、私に付きまとって欲しくありません。お付き合いする方は、他に探して下さい」

「ま、待ってくれ!」

 ロートンがすがった。まだ諦めきれないようで、未練がましいことを言ってきた。

「今すぐ付き合いたいとか、それが無理なのは分かった。せめて、仲良くなるために、声を掛けるのとかは許してほしい。いいだろう?」

「……」

 プリシアがしばらく考え込んだ。さすがに声を掛けるなというのも、ひどい話と思ったようだった。心根の優しい娘であった。

 サムトーは、これを承知すると、今後もしつこく声を掛けるだろうと予測した。ロートンの歪み方は普通ではない。条件を付けた方がいいだろうと思い、本来ただの通りすがりだが、ここは割って入ることにした。

「まあ、待ちなよ。そりゃ顔見知りだから、会って挨拶くらいはするだろうさ。でもな、プリシアさんが、こんなに嫌がっているんだ。挨拶以上に話をするのは、お互いのためにならないと思うな」

 プリシアにとっても、この辺が妥協点だと思ったのだろう。サムトーの提案に同意した。

「そうですね。サムトーさんの言う通り、挨拶だけなら構いません。でも、それ以上の話はしたくないので、挨拶だけにして下さい」

「……分かった。挨拶だけだな」

 ロートンが力なく妥協する。

「はい。では私は店に戻ります。くれぐれも約束を守って下さいね」

 プリシアが立ち去っていく。今後、つきまとわない、挨拶だけという約束を取り付けて、安堵したようだった。背筋も伸びて、軽やかな様子だった。

 これだけ痛烈に拒否されて、さすがに堪えたかな、それならまだ立ち直ることもできるだろうかと、サムトーは思った。

 考えが甘かった。ロートンはサムトーに詰め寄ったのだ。

「何だよ、お前、俺の味方じゃなかったのかよ」

 いや、味方って。

「何言ってやがる。ちゃんと、ロートン、お前さんが街のみんなに嫌われてるって、教えてやったろ。プリシアも同じだ。残念ながら、最初から嫌われてたんだよ。で、それはお前の責任だって、それも言ったはずだぜ」

 さすがのサムトーも容赦がなかった。しかし、耳に痛い事柄を受け入れられるなら、初めからこんな風になってはいない。

「もういい。プリシアと仲良くしようってのが間違いだったんだ。あの女、許せない。仕返ししてやる」

 そんな歪んだ結論に達してしまっていた。

 サムトーも、自分の責任を感じていた。大人しく身を引くだろうというのは甘い考えだったようだ。それでも、最後まで説得を試みた。

「いやいや、気持ちは分かるけどよ。縁がなかったときっぱり割り切って、他の女の子探したほうがいいと思うぞ。でなきゃ、今からでも仕事きちんとやって、ロートンのいいとこ見せるとかさ」

 だが、そんな言葉は届かなかったようだった。

 ロートンはサムトーを睨み付けると、毒々しい口調で言った。

「せっかく話せる奴だと思って、当てにしてやったのによ。役に立つどころか足を引っ張りやがって。もうお前には頼らない。俺は俺のやりたいようにやる」

 そう言い捨てると、立ち上がって店から立ち去っていく。

 サムトーが大きくため息をついた。こんなことに首を突っ込んだ自分のうかつさを、心底後悔していた。しかも、悪党未満だったはずのロートンを、こんな風に本物の悪党にしたのは、サムトーの責任かもしれなかった。最悪の事態を防ぐ必要があるだろうと思った。

 おまけが一つついていた。伝票がそのままになっている。

「あの野郎、勘定払わないで行きやがった」

 仕方なく、三人分銅貨十五枚を支払ったサムトーだった。


 重い足取りで店を出ると、そのまま雑貨屋カーシーへ向かった。

 あいにくと、昼過ぎの時間帯、そこそこに客が入っている。

 とは言え、なるべく早く伝える必要があったのも確かだ。勘定の支払いがないタイミングを見計らって、サムトーは店主モーガンに声を掛けた。

「忙しいとこ済みません。大事な話があります。今日、いつなら時間取れますか?」

 その真剣な表情から何かを察したのだろう。モーガンは即座に返答した。

「夕方、早目に店を閉めるから、その後なら大丈夫だ」

「分かりました。夕方にまた来ます」

 それだけ言って、一旦は店を出た。

 その間に、話が長くなるだろうからと、時間は早いが、先に風呂を済ませに行った。夕方前のこの時間、さすがに風呂もガラガラだった。

 そんな風に時間をつぶして、夕方、再び店を訪れる。今度は店の奥、開店時間中に休憩をする部屋へと案内された。

 二人が席につくと同時に、サムトーはまず頭を下げた。

「本当に申し訳ない。余計なことを話したばかりに、お二人にはご迷惑をおかけします」

「どうした、あの後、何かあったのかね?」

 突然謝罪されても、二人には何のことかわからない。

 サムトーは、プリシアが立ち去った後、ロートンが逆恨みして、話を聞く耳がなかったことを伝えた。

「挙句に、仕返ししてやる、と言い放ったのです。あのロートンの事ですから、本当に何をしでかすか分かりません。ですので、ご迷惑をおかけしたことを謝罪しました」

 親子が顔を見合わせて、深刻な顔でため息をついた。

 プリシアが変わって口を開いた。

「サムトーさんのせいではありません。どの道、放っておいてもしつこく付きまとわれていたでしょうし、断れば、同じように仕返ししようと思ったことでしょう」

 サムトーは首を振った。

「いえ、全部でないにせよ、私に責任があります。ですから、お二人が嫌でなければ、私にお守りさせて頂きたいのです。しばらくの間、この店の、いやプリシアさんの護衛をさせてもらえませんか? 私のことを信用しろというのも無茶な申し出とは分かっていますが……」

 急な申し出で、しかも相手は初対面とさほど変わらぬ剣士だ。確かに普通なら信用できようはずがない。だが、モーガンもプリシアも、この間のやりとりで、良い人物だと見込んでいた。何せ、あのロクデナシのロートンを最後まで説得しようとしていたほどだ。

「それは構わない。というか、こちらとしてはありがたい限りだ」

「ロートンは怖いですから、私としても助かります」

 二人の同意が得られて、サムトーはほっとした。

「だが、守ってもらって、さすがにただという訳にもいかんだろう」

 モーガンも良い人物だった。人に何かをしてもらうのには、きちんと対価を払うべきだと考えていた。

「いえ、私の責任ですから、謝礼などは不要に願います」

 サムトーのこれも本音である。自分のまいた種のせいで迷惑をかけ、挙句に金までもらっては、立つ瀬がないというものだ。

「サムトーさんは旅の剣士さんでしたよね」

 プリシアが急に話題を変えた。

「そうですけど、何か?」

「昨日は大鷲亭に泊まられたとか。今日はどうするんですか?」

「ああ、またお隣で一泊しようかと思ってますけど」

「なら、謝礼の代わりに、うちに泊まってもらうのは? お父さん、それなら夜も安心できるし、ちょうどいいんじゃない?」

「そうだな。部屋ならいくらでも空きがあるし」

 サムトーが慌てた。何だろう、このお人好しの親子は。

「いくら何でも、それはどうかと。自分で言うのも何ですが、得体の知れない旅の剣士なんぞを、そんな簡単に泊めたりするものではないかと思いますよ」

 二人が楽しそうに笑った。ロートンの質が悪かっただけに、きちんと自分を客観視して遠慮できるサムトーに、より好感を抱いたのだった。

「その話しぶりもそうだが、君は娘の身を真剣に案じて、守ると言ってくれた。それは十分信用に値するよ。それに親子二人で、この家は広すぎる。たまにこうやって客を迎えるのもいいものだよ」

 サムトーが深々と頭を下げた。

「そこまで言って頂けると、断るのも不義理ですね。分かりました。この一件が落着するまで、世話になります」

「じゃあ、お夕飯にしましょう。すぐ仕度しますね」

 プリシアが立ち上がって言った。彼女も客を迎えることがうれしいようで、少し浮かれた感じで二階へと上って行った。

「では、部屋に案内しよう。ついてきてくれ」

 モーガンに案内され、サムトーも二階へと上る。

「この部屋は、急な客が来た時に使っている部屋だ。うちにいる間は、自分の部屋と思ってくつろいでくれ」

「ありがとうございます。この御恩は、娘さんをお守りすることで、必ず返します」


 その日の夕食は楽しいものになった。

 サムトーの旅の話は、二人にとって興味深いものだった。猟師と暮らしていて、熊を退治した話。旅芸人の一座といろいろな町を巡った話。尽きることなく出てくる知らない世界に、二人も感心しながら相槌を打っていた。

 しかし、夕食の時間だけで話し切れるものではない。断片的に出来事をいくつか紹介しただけで、かなりの時間が過ぎてしまった。

「いや、興味深い話をありがとう。この話を聞かせてくれただけでも、家に泊めることにした甲斐があるな」

「ほんと、世界って広いですね。知らないこともたくさんあって、楽しいお話でした。また聞かせて下さいね」

 自分の身に起きた出来事で、こんな風に喜んでもらえるのは、サムトーにとってもうれしいことだった。自分が生きてきた道が間違いではなかったのだと、再確認できた気がした。ならばこそ、この親子の悲しむ姿を見ないで済むよう、力を尽くそうと改めて決意したのだった。


 その日の夜は特に何事もなく、次の日の朝を迎えた。

 例によって、井戸で水を飲み、軽く素振りをする。

 そこへプリシアが起きてきて、物珍しそうにサムトーを眺めた。

「やっぱり、剣の稽古って、毎日するものなんですか?」

 素振りをしながら、サムトーが答える。

「そうですね。今やってるのは基本の型ですけど、最低限そのくらいしておかないと。いざという時、失敗は許されませんから」

「剣士というのも大変なんですね。あ、そうだ」

 プリシアが思っていたことを口にした。

「敬語はやめませんか? 何か話しにくいし。私の方が年下だし」

 サムトーとしても、気楽に話せた方がありがたい。断る理由はなかった。

「そうだね。じゃあ、ありがたくそうさせてもらうよ」

「名前も呼び捨てでいいですから」

「分かった、プリシア。俺のこともサムトーで頼むよ」

「うん。じゃあ、サムトー、今日からよろしくね」

 プリシアが軽く微笑んだ。ちょっとした会話がうれしくて、それに互いに気兼ねしないでいいと分かったからだった。

「こちらこそ、よろしく」

 素振りを終えて、サムトーも笑いながら親指を立てた。


 朝食はプリシアのお手製だった。パンと卵焼き、野菜スープと簡単なメニューだが、十分においしかった。

 食事が終わると、開店の準備である。簡単に掃除をして、棚の品の並びを確認、場合によっては手直しをしたり、商品を補充したりする。

 サムトーには商品はいじれないので、窓や棚を拭き、店の前を掃いて、掃除の手伝いをした。

 やがて開店の時間となる。

 さすがに朝一番で雑貨屋に来る客はいなかった。大体の客は、他の買い物のついでに立ち寄って、生活に必要な品を買っていくものだ。なので、時間の融通が利く。

 モーガンが男手が一人増えたことで、懸案を片付けようと思ったようだった。

「今日はサムトー君もいることだし、納品を頼もうかな」

 発注していた食器類を取りに行くことだった。普段なら、どちらか一人でやっていることだ。

「プリシアと二人でやってもらえるかな」

 もちろん、サムトーにただ飯を食べるつもりはない。それに、守ると言った手前、プリシア一人で行かせるわけにもいかなかった。

「分かりました。お任せ下さい」

 生真面目に答えた。さすがに年長者相手だと敬語になってしまう。

「カート持ってくるね」

 プリシアが店の裏からカートを出してきた。当然のことだが、カートとは小型の荷車の事である。多少荷物がかさんでも余裕で運べる。割れ物を運ぶので、破損防止用に布を積み込んだ。

 その後、地図を見ながら行く場所を確認する。街道を越えた先、西側の居住区の外れに、手工業を行っている工房が立ち並んでいる。その一角に陶器窯があった。結構距離がある。

「じゃあ、行ってきます」

 プリシアの言葉と共に出発した。二人並んで街路を西へと向かう。

 石畳の左右に、漆喰作りの建物が立ち並ぶ。白を基調にした景色に、隙間から青空が顔をのぞかせている。通りには多少の人出があり、何人もの人とすれ違う。中には子連れもいて、子供の甘える姿が微笑ましい。

 初めての街並みを女の子と一緒に歩くと、旅芸人の一座で仲が良かったアイリのことを思い出す。二人で歩く方が、一人で歩き回るより、はるかに楽しかった。その頃のことを思い出し、サムトーがふと笑みを浮かべた。

 その様子に気付き、プリシアが疑問を浮かべた。

「どうかしたの?」

「いや、旅芸人の仲間と街を歩いていた時のこと思い出してさ。やっぱり、一人で歩くより二人の方が楽しいな、と思ってさ」

 プリシアが訝しげな顔をした。

「ねえ、私なんかと一緒で、本当に楽しいの? それに仕事だよ?」

 能力はともかく、女性としての魅力に関しては自信がなかった。なので言い方もきつくなってしまった。

 底なしの陽気さで、サムトーは答えた。

「当たり前だよ。かわいい女の子と街歩き、楽しいに決まってるよ」

「か、かわいい? 私が?」

 プリシアが顔を真っ赤にして照れた。ロートンにも似たようなことを言われたことはあるが、全く響かなかったのに。

「どっから見ても、十分かわいい。大丈夫」

 サムトーが親指を立てた。

 どこまでも本気なのが伝わったようだ。プリシアが恥ずかしそうにうつむいた。

「あのね、私、小さい頃からかわいげがないって、よく言われてたから。学舎に通っていた頃も、男の子達によくかわいくないって言われてたし……」

「ふーん、そりゃあ周りに見る目がなかっただけだよ」

「そ、そうなのかな……」

 何か、サムトーに言われると、そっちの方が本当のことに聞こえるから不思議だった。

「そうそう。こんな風に、一緒に話してるだけで楽しいんだから、絶対間違いないって」

 理屈にもなっていない。思わずプリシアがぷっと吹き出した。

「もう、調子いいんだから」

「そうさ、お調子者は世界に必要な存在のだよ」

「もっと真面目な人かと思ってたのに。でも、面白いから許す」

 プリシアも調子に乗って言ってみた。

「いいねえ、その感じ。生真面目一本だと疲れちゃうからね。時々そうやって息抜きしなくっちゃ」

 サムトーには好評だった。プリシアが思わず笑みを浮かべた。

 そんな馬鹿な話をしている間に、遠かったはずの道のりは終わろうとしていた。

「楽しいと、時間が過ぎるのが早くなるみたい」

 プリシアがそう語った。いつの間にかサムトーのペースに巻き込まれ、笑顔になっていた。

 目的地の陶器窯で荷物を積み込み、帰り道となった。

 今度は、おいしかった食べ物の話で盛り上がった。

 あそこの町のパスタがうまかったとか、ここ城塞都市グロスターにも、チーズをふんだんに使ったピザがおいしい店があるとか。

 南の広場に立っている市の屋台にも、うまそうなものがたくさんあったと、サムトーが言った。実は、同じ街に住んでいるが、商店街で事足りるので、プリシアは市に行ったことがなかった。凄く興味をそそられたようで、機会があったら一緒に行こうという話になった。

 帰りも、やはり時間が短く感じられていた。

 気が付くと店に帰り着いていて、荷物を店に運び入れた時には、すでに正午を過ぎていたのだった。


 午後は、モーガンは商店街の会合に出かけて留守にするため、プリシアが店番となった。

 繰り返しになるが、雑貨屋にはそれほど客がひっきりなしに来るわけではない。客が来ると、プリシアが「探し物ですか?」などと声を掛けるが、誰もいなくなると、はっきり言って暇である。

 客でもないのに、サムトーは店内をうろうろしていた。どんな物があるか興味があったのである。

 最初に興味を持ったのは、揚げ物用の鍋だった。猟師達の所でも旅芸人達の所でも、たっぷりと油を使って揚げるという料理法は使われなかったからだ。後始末が大変だからである。精々、薄く油をひいて揚げる感じに焼く程度だった。

「そっかあ、揚げ物って、こういう鍋で作るんだ」

 揚げ物自体は、いろいろな町で食べたことがあった。その作り方を初めて知って、毎度のことながら心底感心していた。

「今日の夕飯、揚げ物にしようか。揚げるところ見てみたいでしょ?」

 プリシアがそう言ってくれた。

「優しいなあ。面倒じゃなければ、お願いするよ」

「任せといて。これでも料理は一通りできるから」

「さすがだねえ。……ところで、料理はお母さんに教わったの?」

「うん、大体はそう。お父さんも大体の料理は作れるし、お母さんが亡くなってからは、交代でご飯作ってたわ。たまに失敗もあったけど、作っていくうちにできるようになったの」

「俺は手伝い専門だったからなあ。料理ができる人は尊敬するよ」

「私も尊敬されちゃう?」

「されちゃう、されちゃう。生きてくのに絶対大事」

 そんな風に、一つのことから会話が広がり、普段は退屈なはずの店番も、楽しい時間になっていた。

 夕方、父のモーガンが帰ってきた。議題は、二十数日先の新年祭についてだったそうだ。会費は神聖帝国城代からの寄付と、各商店からの持ち寄りで各店舗金貨二枚。それから、雑貨屋カーシーは、飾り付け担当になるとのことだった。

「新年祭かあ。これほど大きな街だと、すごく賑やかなんだろうなあ」

 サムトーのつぶやきに、プリシアが返答した。

「街の大広場に飾り付けをして、そこに出店がたくさん並ぶの。年の暮れの夕方から始まって、翌朝まで大騒ぎになるわ」

「ああ、盛大なお祭りだからな。舞台で演奏やダンスなんかの出し物もあるんだ。まあ、私はいつも、年が明けた頃には、眠くなって引き上げてしまうんだけどな」

 モーガンも心なしか浮かれているように見えた。実際、楽しみにしているのだろう。そんな気分を切り替えて、二人に声を掛けた。

「さて、話はそれくらいにして、店を閉めて、風呂入りに行こうか」

 三人で揃って公衆浴場へと出かける。

 帰りも待ち合わせて、一緒に店へと帰った。

 夕食は、サムトーのリクエストということで、鶏肉のフリッターになった。衣をつけて揚げ鍋で揚げる工程を、プリシアが解説しながら見せてくれた。揚げる前に、明日の朝食を兼ねた、具だくさんの野菜スープを作る。切って煮るだけだが、ハーブは先に煮始めること、固い野菜から順に処理すること、味付けは、味見をしながら微調整することなど、懇切丁寧に教わることができた。その後、揚げたてが食べられるようフリッターを揚げた。熱い油の中で高温で調理されることで、カリッとした歯ごたえが生まれ、中のジューシーさが保たれるのだ。

 その二品にパンを添えて完成である。

「うん、うまい。なるほど、揚げ物」

 サムトーが喜んでいるのを見て、プリシアも笑顔になった。

「スープもパンもうまいし、幸せだなあ」

 そこから話が発展して、今日は猟師達の所にいた時の話になった。イノシシやシカを狩るときの話も含め、解体して村のみんなで分け合ったり、燻製肉にして保存したり。料理は、そのままたき火で焼いて、塩かたれで食べるシンプルな食べ方か、煮込みが主であること。酒と合わせたたれに漬け込んでから焼くこともあったこと。家畜の肉に比べ、野生の動物らしい個性のある味がすること。

 聞き手の二人が、サムトーの興味が尽きない話に、何度も相槌を打った。他では聞けない珍しい話に感心し、楽しんで聞いていた。

「いやあ、今日も珍しい話をありがとう」

「いくらでも話が出てきてすごいね。感心しちゃった。ありがとう」

 夕食の片付けをしながら、二人がサムトーに礼を言った。

「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」

 サムトーも礼を返す。

 こうして二日目の夜も無事に終わるのだった。


 三日目の朝。サムトーの一日は、いつものように素振りから始まる。

 プリシアはそれに興味をもったようだった。わざわざ近くに座り込んで、ずっと見物していた。

「見てても面白くないんじゃない?」

 素振りをしながらサムトーが聞いたが、プリシアは首を横に振った。

「剣士って感じがして」

 そこで声がすごく小さくなった。

「かっこいい」

「え、何か言った?」

「う、ううん、何でもないの。正確ですごいなって思っただけ」

 男の人を相手に『かっこいい』などと思うのは、初めてかもしれない。そんなことをプリシアが考えている間に、素振りは終わっていた。

 プリシアが何か考えこんでいる様子を見て、サムトーが尋ねてきた。

「何かぼーっとしてない? 調子悪いの?」

 プリシアが慌てた。思っていたことを見抜かれてないだろうか。

「え、何でもないの。たた見入ってただけだから」

「まあ、具合悪いんじゃなきゃいいんだけど」

「ほんとに大丈夫だから。さ、朝食にしましょ」


 午前中は、父のモーガンが商品の仕入れに行き、プリシアとサムトーで店番となった。

 客がいない間は、二人で雑談をして過ごす。例によって、商品の知識に関することが主だった。

「タオルみたいな布って、どんな風に作られるんだろ」

「金属製品の曲がり具合って、みんな同じになってるけど、どうやって作るんだろ」

 など、子供のような率直な疑問が、サムトーから次々出てきた。さすがのプリシアにも分からないことがいくつもあって、二人して予想を話し合ったものである。

 午前中にも客足はそれなりにあって、食器やひも類、ブラシ、清掃用具などいくらかの売り上げがあった。

 モーガンが帰ってきて店の具合を尋ねたが、大体いつも通りと返事をすれば済んだ。

 交代で昼食を取り、店番がモーガンに代わる。

 プリシアは食材の買い出しに行くので、サムトーもお供をした。

 冬場なので、野菜類の種類が少なく、値が少し張る。それでもカブやホウレンソウ、ダイコンなどは旬の野菜なので、店にもたくさん置いてあった。

 その品々を、プリシアがじっくり見定めている。少しでも良い物を買おうとしているのだった。

「良い野菜を選ぶコツは?」

「うん、色つや形、大きさとかかな。あと元気そうなのが新鮮なの」

「なるほどねえ。元気なのが一番ってのは他と同じだなあ」

 サムトーが感心しながら、真剣に野菜を選ぶプリシアを眺めている。いろいろな野菜にも興味はあるが、プリシアの姿の方が見ていて楽しい。

「じゃあ、これと、これと、これもらいます」

「銅貨八枚ですね。毎度あり」

 野菜を手提げ袋に入れる。持つのはもちろんサムトーが買って出た。それなりの重さがあって、普段プリシアが自分で運んでいるとしたら、結構大変だろうと思った。

 それに気付いたようで、プリシアが言う。

「普段は、荷物が重くなったら、一旦家に置きに戻ってたから。今日もそうする?」

「いや、この程度なら大丈夫。次も行っちゃおう」

「さすが剣士さま。毎日鍛えてるもんね」

 珍しくプリシアが軽口を言った。気分が浮かれている様子だった。実際、サムトーと二人で買い物をするのがうれしかったのである。

 続いて肉屋に行く。

 冬場は動物の飼育にコストがかかるので、牧場などでは必要最低限の頭数を残して、秋の段階で屠畜してしまう。ハムやベーコンなどの日持ちする加工肉にしてしまうのだ。生肉もなくはないが、飼育の楽な鶏以外は、夏近くになるまで、凄く値が上がった状態になる。昨日フリッターが鶏肉だったのもそのためである。

 サムトーが目ざとく、イノシシの燻製肉を見つけた。猟師から仕入れた物に間違いなかった。

「あれがイノシシなんだ。そう言えば、前からあったのに、気付かなかったなあ」

 プリシアが興味を持った。仕入れが限定されるせいか、ハムやベーコンより若干割高だった。

「ごめん、つい気になって見つけちゃったもんだから。昨日話したばっかりだし、欲しくなるよね」

「うーん、味見の分くらいなら、買っても平気かな」

 鶏肉と卵を主に、ハム、ベーコンの量を少し減らし、代わりにイノシシの燻製肉を買う。プリシアもどんな味か気になるようで、心なしかうれしそうにしていた。

「卵が割れるといけないから、一度戻りましょう」

 プリシアに言われて、二人は家に戻った。台所の片隅に食料置き場があって、そこに買った物を収める。

 最後にパン屋へ向かった。さすがに家で焼くのは大変なので、パンは毎日買い出していた。大体、いつも同じ店である。

 プリシアがいろいろなパンをサムトーに紹介する。一人旅を始めて、パン屋にもずいぶん慣れたサムトーだったが、町により店により、本当に種類が豊富で毎回感心させられていた。

 この日買うことにしたのは、大きな堅焼きパンを一つと、白い丸パンを六個、ベーグルを三個。

 支払いに向かうと、女性の店主が好奇心旺盛な表情で尋ねてきた。

「プリシアちゃん、こちらの若い人、プリシアちゃんの何なの?」

「な、何なのって」

「いや、どんな関係なのかしらって。気になっちゃった」

「どんなって、この人はサムトー。家のお客さん」

「そう? そんな風に見えないけど。すごく仲良さそうじゃない」

 店主が首を傾げた。お付き合いでもしているものと思ったらしい。

「違うの、本当にお客さんで。……事情があって、家に泊まってもらってるだけだから」

 プリシアが焦って余計なことまで口にしてしまう。

「泊まってるって、やっぱり何かあるんじゃない?」

 店主が一層興味深そうな顔になった。

 サムトーが、ここは正直に事情を言ってしまおうと考え、割って入った。

「俺はサムトー。例のロートンって男、街のみなさんはご存じですよね。その彼が何か悪だくみをしているので、俺が護衛をしているんです」

「あらあら、それは大変なことになってるわね」

 話が一気に切り替わり、店主が驚きの表情を浮かべた。ロートンの質の悪さは、商店街の皆が良く知るところである。

 商品を受け取りながら、サムトーが補足した。

「今のところ、何事もないのですが、油断はできません。まあ、何があっても守り通すつもりですが」

「そうだったの、頑張ってね」

「はい。ありがとうございます」

 そうして二人はパン屋を出たのだが、ここでプリシアの機嫌が悪くなっていた。

「ごめん、あんな奴のこと、思い出したくなかったよね」

 サムトーが謝った。

 しかし、プリシアの内心は違っていた。実は、仲良さそうと言われてうれしかったのだ。確かに仲良くなったと思った。これからも仲良く過ごしていけると思う。なのに、それに水を差す形で話が終わったのが不満だった。しかし、そんな風に思うことに恥ずかしさもあって、感情の整理がつかずに、不機嫌さが表情に出てしまったのだ。

 それ以上に、一番の不安は、サムトーがいつまでいてくれるかということだった。ロートンの一件が解決すれば、元々旅の剣士だったのだから、また旅に出てしまうだろう。たった三日で、ここまで仲良くなれたのは幸運なのかもしれないが、それが失われることには強い抵抗感があった。

「気にしないで。ちょっと不安になっただけだから」

 とりあえずそう答えたが、プリシアの表情は曇ったままだった。

 それを放って置けないのがサムトーである。

「本当に心配いらないから。どんな事があっても、絶対に君を守ってみせるさ。俺を──」

 ここで格好つけて頭をかき上げ、親指を立ててみせた。ニカッと笑って見せる。

「信じてくれ」

「……」

 プリシアが絶句した。顔がうつむいている。

「あ、あれ? 決まったと思ったのに」

 次いでプリシアが吹き出した。声を上げて笑った。

「や、やだ、何それ、変なのー」

 見事に滑っていた。まあ、笑いも取れたし、機嫌も直ったことだから良しとしようと、サムトーは思った。


 その日の夕食では、買ったばかりのイノシシの燻製肉が出た。大根とベーコンの煮込み、そしてパン。燻製肉は香ばしく、若干の癖はあるが旨味が凝縮されていておいしいと、二人にも評判が良かった。

 また、この日の夜は、サムトーが大滑りしたことをきっかけに、旅芸人で笑いを取る道化の話を中心に盛り上がった。ここ城塞都市グロスターにも大道芸人はいるが、集団で芸を見せる旅芸人達は、年に一度城壁の外で公演を行うために訪れるだけだった。二人とも見に行ったことはなく、いろいろな演目があることを聞かされて、ぜひ見てみたいと思ったものである。

 サムトーも、旅芸人達からもらった銅の縦笛を持ち出し、実際に吹いてみせた。二人には、生で楽器の演奏を見ること自体が珍しく、きれいな音色と旋律に感動していた。

 まだ三日だが、まるで本当の家族のように、仲良く楽しく過ごせるようになっていた。こうして、この日も無事に終わった。


 四日目。朝の素振りを眺めるのが、プリシアの日課になっていた。サムトーの真剣な姿を見るのが好きになっていた。

 この日は休日だった。モーガンも珍しく起き出すのが遅かった。

 遅い朝食を取りながら、プリシアが市に行きたいと言い出した。

「前に食器取りに行ったとき、市にはいろんな店があって、おいしい物もいろいろあるって聞いて、行ってみたかったの。お父さんも一緒にどう?」

「市かあ。最近、確かに行ってないなあ」

 プリシアと違って、父の方は何度か行ったことがあるようだった。

「そうだな、たまにはいいかもしれない。三人で行ってみようか」

「ありがとう、お父さん!」

 プリシアがすごく喜んだ。母が亡くなってから、家族で出かけることなど滅多になくなっていた。休日も何かと用事が入ることが多く、一緒に出掛けることなど本当に久しぶりだった。

「何か、親子水入らずに邪魔するみたいで、ごめん」

 本当なら二人の方がいいのでは、とサムトーが思った。とは言え、護衛を止めるわけにもいかないので、ついて行く必要があった。

「ううん、サムトーが一緒なのも、私うれしいから」

 これも飾らない本音だった。その真剣さが伝わったようで、サムトーが礼を言った。

「ありがとう。じゃあ、遠慮なくご一緒させてもらうよ」

「うん、じゃあ食べ終わったら仕度しましょ」


 寒空の下、市はそれでも活気あふれる様相を呈していた。

 他の城塞都市と同じように、装飾品屋の隣に道具屋、その隣に茶葉を売る店、といった具合に、店の並びも混沌としている。

「商店街とは違う賑やかさだね」

 プリシアが楽しそうに露店を見て回る。

 額縁入りの絵画を置いてある露店では、絵画など普段見ないので興味があったようで、すいぶんとじっくり眺めていた。値段も安く、高い物でも精々銀貨三枚である。

「無名の画家が描いた物ばかりだからね。絵自体、どんなに上手でも、高い値段にはならないんだ」

 店主がそう説明してくれた。なるほどと、三人で納得する。

 茶葉の店も、値段の安さにうなっていて、買おうかどうしようか本気で迷っている様子だった。

「でも、やっぱりお得意様なくなると困るだろうし」

 考えた末、これからもいつもの店で買うという結論に達したのだった。

 焼き菓子の店でも足が止まった。朝食が遅かったので、空腹は感じていなかったが、味見はしたいと顔に出てしまっていた。

「このくらい、俺が奢るよ」

 サムトーが銅貨六枚を支払い、三人分、小さな焼き菓子を買った。

 さすがのプリシアも、菓子作りはほとんどやったことがない。たまに茶菓子を買うこともあるが、普段食べることは少なかった。

「さっくりして、ほんのり甘くて、おいしい」

 たまに味わう菓子を率直にほめていた。

 雑貨屋では、父のモーガンがうなっていた。自分の店より、商品の質量共に落ちるが、値段がかなり安い。商売敵として、かなり強敵だと思ったようだった。とは言え、質と品揃えでは勝っている。路線は変えず、これからも良い物を売っていこうと思ったようだった。

 昼食は炒めパスタにした。ベーコンと干しトマト、タマネギを具材に、干し唐辛子を少しまぶした、辛みのあるオイルベースのパスタだった。これに卵スープがついて銅貨八枚。お値打ちだった。

「上品とは言えないが、その分味本位で作ってる感じがするなあ」

 モーガンがそう言ってほめた。たまには屋台で食べるのも悪くないと、表情が語っている。

「そうですね。シンプルで安くてうまい。いいですよね」

「同感。私もこういう簡単だけどおいしい物、いいと思う」

 二人もそれぞれ感想を言う。おいしさに顔をほころばせながら、のんびりと食べていた。

 腹も膨れて気分が良くなったところで、父モーガンが不意に言った。

「さて、私はこれで帰るよ」

「え、どうして?」

 せっかく楽しく三人で回っていたのにと、プリシアが驚き、残念がった。

「いや、ちょっと疲れたみたいでね。家でのんびり昼寝でもするさ。二人は夕方まで楽しんでくるといい」

 それだけ言って、モーガンは立ち去って行った。

「プリシア、どうしようか。もう少し見て回るかい?」

 サムトーが声を掛けたが、反応が妙だった。何かそわそわして、ぶつぶつと何かを言っている。

「サムトーと二人だけ? いや、店番でも、そういう時何度もあったし、別に普通のことだけど。……あ、でも、用事もないのに二人きりで歩くとかって、いいのかな? 知ってる人が見たら、やっぱりお付き合いしてるとか、そんな風に見えちゃうのかな。どうしよ……」

 そんな風に、かなり混乱しているようだった。

 そんな事情は分からないサムトーは、プリシアが落ち着くまで、のんびりと待つことにした。

「一緒にいてもいいのかな?」

 今さらのようにプリシアが聞いてきた。

 サムトーは一瞬目を丸くしたが、ふと思いついて、奇妙な返答をした。

「よろしければ、ご一緒お願いできますか?」

 こういう時、わざと外したくなる性分だった。

「ええと、ご一緒して下さい」

 プリシアも混乱したまま、ずれた返答をした。

 どうにもおかしなやり取りである。二人は顔を見合わせ、声を上げずに笑い合った。


 午後も露店を冷やかして回った。

 意外と装飾品の店があちこちにあった。どれもかわいらしい品ばかりである。サムトーがプリシアに似合うんじゃないか、何か買おうかと提案した。だが、仕事の邪魔になるからと、プリシアは断った。

「そんな遠慮しなくていいのに」

 サムトーはそう言ったが、プリシアも譲らなかった。

「気持ちはほんとにうれしいんだけど、仕事の時、商品とかに引っかかったりしたら大変だから、止めておくね。ありがと」

「そっか。そういうこと考えられるのも、プリシアのいいところだよな」

「部屋に飾る物とかなら、大丈夫なんだけど」

「なるほど、その手があったか。じゃあ、記念に何か買おう」

 代わりに、彫刻などの置物が置いてある店に向かった。

「こういう物なら大丈夫ってことだよね」

「へえ、かわいいかも」

 いろいろな動物の置物がある。プリシアもここでならと思ったらしく、熱心に商品を眺めていた。

「ねえ、これって熊だよね」

 プリシアが指したのは、小さな木彫りの熊だった。さすがに本物は見たことはなく、絵本で見ただけだったので、少し自信がなかったようだった。

「そうだけど、これが気に入ったの?」

「うん。ほら、サムトーが熊狩りの話してくれたでしょ? だから、その記念に」

「わかった。じゃあこれ下さい」

 サムトーが大銅貨二枚を支払う。銅貨二十枚分である。

「では、今日の記念にお受け取り下さい」

 格好つけてサムトーが言う。

「ありがたく頂きますね」

 プリシアが喜んで受け取った。本当にうれしそうな表情だった。

 小腹が空いてきたところで、煮たリンゴとクリームのクレープを買った。

「ごめんね。いろいろ買ってくれてありがとう」

「いいの、いいの。泊めてもらってるお礼」

「うん。いただきます。……甘ーい、おいしい」

 プリシアが顔をほころばせた。口一杯に甘酸っぱさと旨味の濃い甘みが広がる。ここまで甘い物を食べることは滅多にないので、うれしさも増すようだった。

「喜んでもらえて良かった」

 サムトーも一口かぶりつく。うん、確かにうまい。

 夢中になってプリシアが食べている様子が微笑ましい。仕事を一緒にするのも良いが、こうしておいしい物を一緒に食べるのもまた楽しい。

「ありがとう、プリシア」

 急にサムトーが礼を言った。

「え、お礼言うのは私の方」

「ううん、こうやって一緒に楽しく過ごせて、俺はうれしいんだ。だから、プリシアのおかげ」

「そ、そんな、私も、サムトーと一緒で楽しい。サムトーがいてくれたおかげだよ」

「そうか。そう言ってくれると、うれしさ倍増だなあ」

 サムトーがしみじみ言う。

 そんな風に喜んでもらえると、プリシアも自分の存在に自信が出てくる。それと同時に、当たり前のように隣にいるサムトーが、以前からずっと仲良くしていたものと錯覚してしまう。これからも一緒にいたいという思いがより強くなる。

 そんな気持ちを表面に表すのが恥ずかしくて、プリシアが照れた。頬が少し赤くなっている。視線を逸らして空を見上げる。日が傾き、わずかに赤みがさしていた。

 やがて、二人がほぼ同時に食べ終えた。

「そろそろ帰ろう、サムトー」

「そうだね。……うーん、楽しい一日だった」

 どちらからともなく手を差し伸べると、手をつないで、二人は帰り道につくのだった。


 ロートンはこの日も姿を見せることはなかった。無事にまた一日が過ぎたように思えた。

 しかし、その日の夜、異変は起こった。

 夜も更けて、三人共寝静まった頃、店の裏側で奇妙な気配がした。

 サムトーが目を覚まし、気配を探った。

 人が三人。裏口の鍵を開けて忍び込んできた。物音を立てないように二階へと上がってくる。プリシアを誘拐しようとしていることは明らかだった。

 こっそり扉を開けて廊下を窺うと、黒ずくめの服装をした男が三人いた。ロートンはどうやらいないようだった。

 ここでサムトーは少し考えた。今取り押さえても、誘拐未遂に不法侵入ということで、十分に罪には問える。しかし、ロートン本人が関わっていないと言われてしまっては、彼の企みをくじくことはできない。危険だが、あえてプリシアを誘拐させ、彼の居場所に踏み込むことにした。泊まりこむことにして正解だったと、今更のように思った。隣の大鷲亭に泊まっていたら、侵入に気付けたかどうか。

 男達は意外と手際よく、プリシアの寝室の鍵を開け、部屋へと侵入する。プリシアは熟睡しているようで、叫び声などを上げることはなかった。その彼女に猿ぐつわを噛ませ、両手両足を拘束し、持参していた大きな布袋へと押し込めた。

 そして一人が先行して異常がないかを確認し、二人が布袋を背負って後に続く。来た時と同様に、物音を立てずに外へと出ていく。

 サムトーは剣とポーチを身に付けると、そっと後をつけた。

 人通りのない深夜である。男達はさほど警戒せずに、目的地へと向かっていた。さすがに異変に気付いたプリシアが目を覚まし、暴れ始めたようだった。それに気を取られながらも、男達は足を速めた。気配を消して後をつけるのは容易だった。

 三人の男達は、市街地をしばらく進み、やがて一軒の空き家に入っていった。ここで誤算だったのは、彼らが家の鍵を掛けたことである。

 サムトーがドアを開こうとしても、当然開くことはない。仕方なく、ポーチから金具を取り出し、鍵穴と格闘を始めた。

 その間に、三人の男が、二階へとプリシアを運んでいた。かぶせていた布袋を取ると、拘束したままその部屋にあったベッドへと横たえる。

「じゃあ、俺達は下にいますので」

 三人の男が、やせ気味の男にへりくだった声を掛けて、階段を下りた。

 そこにいたのは、サムトーの予想通り、ロートンだった。

「いい格好だね、プリシア」

 卑しい笑みを浮かべて、ロートンが近づいた。

「これから俺が直々にお前を折檻してやる。俺を拒否した罰だ。存分に味わうといいさ」

 プリシアが恐怖で身を固くする。涙が零れ落ち、声を上げようとするが、猿ぐつわのせいでうなり声しか出せない。

 ロートンの手が伸びてきた。下あごに手を当てると、楽しそうに涙を舐めとった。

「はっはっは、どうだ、怖いだろう」

 プリシアが身を丸めた。恐怖することが負けを認めるようで悔しかった。でも、時間が経てば、サムトーが必ず来てくれる。そう信じて、全身に力を込めた。

「まあ、最初は怖いかもしれないが、そのうち気持ちよくなってくるさ」

 そう言うと、ロートンはプリシアを押さえつけ、衣服の胸元をつかむと、力一杯に引き下げた。服が破れ、胸が露わになる。

「さあ、ここからはお楽しみの時間だ。お前がどんな鳴き声を上げるか、今から楽しみだな」

 ロートンが舌なめずりをしてプリシアに覆いかぶさった時、部屋の扉が勢いよく開いた。サムトーが間に合ったのだった。

「ごめんな。鍵に手間取っちゃって」

 プリシアの瞳が期待に輝いた。さっきとは違う、安心の涙が零れ落ちる。

「な、何で、サムトー、お前がここにいる!」

 焦ったのはロートンである。誰の邪魔も入らず、じっくりプリシアをいたぶれるはずだった。第一、下の三人はどうしたのか。

「ああ、あんたが雇った三人は、下でお休み中だ」

 サムトーが鍵を開けて、建物に入ると、三人はのんきに酒を飲んでいた。そんな連中を片付けるのは簡単である。首筋にきつい一撃を当てて、気絶させたのだった。

「……さて、ロートン、鳴き声がなんだって?」

 剣闘士時代と同じ厳しい殺気が、サムトーの全身から吹き上がっていた。目に見えることはないが、それでも十分な威圧感があった。

「さ、サムトー、俺は別に……」

 自分でも何を言っているのか、ロートン自身にも分かっていなかった。とにかく、目の前の恐怖から逃げようと、部屋の隅へと動いた。壁伝いに、部屋の出口へ向かおうとする。

 サムトーの左手が動いた。ロートンの右頬を平手でひっぱたいたのだ。十分手加減していたが、それでもパーンといい音がした。

「い、い、痛い」

 ロートンがひるんだところで、今後は右手で左頬を張る。やはりいい音がして、ロートンが打たれた頬を押さえて涙目になった。

「や、やめてくれよ、痛いよ」

「そうか。良かったな。これで人の痛みが分かる人間になれたぜ」

 サムトーが拳を振り上げた。

 ロートンがひぃと悲鳴を上げ、体を守ろうと腕で顔を覆った。

 だが、拳は額にこつんと軽く当たっただけだった。

「もう二度と、悪いことするなよ。分かったな」

 こくこくと、人形のようにロートンがうなずいた。

 それを見届けると、サムトーがロートンのみぞおちを強打した。仮に反省が本気だろうと、さすがに逃がすわけにはいかない。

 ロートンが崩れ落ちた。一撃で気絶していた。

「プリシア、本当にごめん。怖い目に合わせたな」

 サムトーは両手両足の拘束と猿ぐつわを解き、自由にしてやった。

「本当に怖かった。けど、サムトーは来てくれるって信じてた」

 プリシアがサムトーに抱き着いた。涙が流れ落ちたが、表情は穏やかだった。サムトーを信じて良かったと、心から思っていた。

「ありがと。だが、問題はここからだ」

 サムトーはプリシアの頭を軽くなで、安心させると、次の作業に取り掛かった。

 まずはプリシアを拘束していた道具を使って、そのままロートンを拘束する。次いで、一階に下り、椅子に座ったまま気絶している男達を椅子ごと拘束する。

 その作業をしながら、プリシアに話しかけた。

「すごく嫌かもしれないけど、この連中を万が一にも逃がさないためには、今すぐ警備隊の詰所に行かないダメなんだ。一緒に行けるかい?」

「う、うん。分かってる。一刻も早く、牢屋に入れないと、だよね」

 サムトーが、自分の上着をプリシアに着せながら言った。

「そういうこと。自分で歩けるかい?」

「大丈夫、頑張る」

「よし、それじゃあ、行こう」

 二人はプリシアの案内で警備隊の詰所へ向かった。城塞都市は騎士の直轄なので、治安を守る仕事をする専業の人々がいて、自警団ではなく警備隊と呼ばれていた。

 詰所には不寝番の隊員が一人いた。その隊員に事情を説明し、緊急招集を要請する。すると、その隊員は、奥で寝ていた交代のための隊員をすぐに叩き起こし、警備隊の本部へと走らせた。その間に、二人から聞き取りをして、緊急招集要請の書類を書いていく。

 やがて、本部から五人ほどの応援が来た。書類を応援部隊に見せ、出動となる。プリシアの案内で、先ほどの空き家へと向かう。

 空き家の中で、まだ気絶している男が三人、椅子に拘束されたままの姿で発見された。二階では床に倒れた形で拘束されている男が一人。警備隊がそれらの男達を叩き起こし、足の拘束だけ解いて、警備隊本部へと連行していく。サムトーとプリシアもそれに同行する。

 夜もそろそろ終わろうかという時間だったが、まだ調書作成が残っている。二人が証言した内容を、ベテランの隊員が聞き取り、記していく。物的証拠として、プリシアを運ぶときに使った布袋と、何より引き裂かれた衣服とがあり、証言の裏付けとしては十分だった。

 東の空が白み始めた頃、最後に証言の確認として、雑貨屋カーシーに向かった。家の鍵が道具で開けられていたことが確認され、調書の作成は終了となった。誘拐及び強姦未遂として、四人を収監し、騎士団から裁きを下すことを隊員が明言し、敬礼を残して立ち去っていった。

「これで一段落ね。サムトー、本当にありがとう」

 プリシアが安堵の息をついた。怖い思いはしたが、おかげでロートンが牢屋に入れられることになったのだ。何かをされる心配が消え、心底うれしそうだった。

「そうだね。今日のところは一安心だ」

 サムトーが返答すると、扉から父のモーガンが姿を見せた。

「ああ、良かった。無事だったんだな」

「ごめんね、心配かけて」

「そりゃあ、まあ。……明け方、ふと起きてみると、プリシアもサムトーもいないし、一体何があったのかと思ったよ。でも、事件だろうから、騒いでも仕方ないと思ってな。大人しく待っていたんだ」

 モーガンの口から安堵のため息がもれた。

「二人とも寝てないんだろう。少し休むかい?」

「そうなんだけど、いろいろありすぎて、とても眠れないよ」

「それもそうか」

 親子が声を上げずに笑った。大変な夜だったが、無事乗り越えることができてよかったと、表情が語っていた。

「とりあえず、お茶を入れるね。お父さんにも、今夜の出来事、ちゃんと説明するから」

 プリシアの言葉で、三人は屋内へと入った。念のため、扉の鍵をしっかりかけたことは言うまでもない。


 十二月も、もう十日を数えていた。

 その日も、しっかりと店は開けた。

 しかし、さすがに少しは寝た方がいいとモーガンに言われ、昼食の後、二人は少しだけ仮眠をとった。

 店はいつも通り、そこそこの客入りだった。昼寝から起き出した二人が店番を代わってからも、それは変わらなかった。いつもの日常が戻ってきた感触を得て、プリシアが心底安堵している様子が見られた。

 風呂にもいつも通り出かけ、いつも通りの夕食となった。

 プリシアには大きな気がかりがあった。これでサムトーは、また旅に出てしまうのではないだろうか?

 さすがにそれはなかったが、代わりにサムトーが深刻な話を持ち出した。

「とりあえず、ロートンが罪を犯して、裁かれることになったのは良かったです。でも、あいつの家はブランドン商会っていう、大手の宝石商でしたよね? となると、保釈金を積んで、解放される可能性が高いです」

「そうか、無事に解決したかと思ったら、そうも行かないか」

 モーガンがため息をついた。プリシアも険しい顔をしている。

 苦い表情で、サムトーが言葉を続けた。

「解放されたからと言って、また無茶な行動を取るとは思えませんが。あとはブランドン商会次第ですね。恥の上塗りを避けて、ロートンに自重させてくれれば、一件落着です」

「そうだな、信用に関わるから、商会が放置するとも思えない。大人しくさせる方向に動くことを、期待しても良さそうだが」

「そうですね。なので厚かましいお願いなのですが、それがはっきりするまでは、私をここに置いてもらえませんか」

「それは願ったり叶ったりだ。落ち着くまでいてもらえると助かる」

 プリシアがそっと安堵のため息をついた。すぐに旅に出ると言われずに済んで、ほっとしていた。

「早く安心できると良いですけど、こればかりは相手次第ですね」

 いつもは楽しい夕食時に、頭を悩ませる話題となってしまい、三人がそれぞれ苦い表情をしていた。

「悩んでいても仕方ないよ。とにかく、私達にできるのは、いつも通り暮らしていくことだけじゃない?」

 プリシアが真っ先に気分を切り替えようと提案した。自分が一番怖い目に遭ったのに、それでも前を向こうとする。気丈な娘だった。

「サムトーもまだいてくれるんだし、大丈夫だよ、きっと」

「それもそうだな。プリシアの言う通りだ」

 何といい父娘だろう。本来なら、宿を紹介してもらって終わるだけの関係だったのだ。嫌な相手の嫌な事件に巻き込まれはした。だが、そのおかげでこの二人と知り合い、一緒に暮らせたのだ。不思議な縁だと思いつつ、サムトーは幸運なことだとも感じていた。

「二人ともありがとう。もう少しお世話になりますね」

 その後は、三人共気分を切り替え、市で食べた屋台の話になった。他のいろいろな屋台にも興味があったので、どんな味なのか想像しながら、三人で共通の話題で盛り上ったのだった。


 ブランドン商会の当主はディーノという。四十代前半の働き盛りである。妻のロザンナ共々、貴族や騎士の社交界に顔を利かせ、人脈を築いて販路を確保していた。長男のエリオが二十二才。こちらは仕事熱心で、すでに当主の右腕として活躍していた。次男がロートンで十九才。この年で見事に犯罪を犯してしまったわけだ。

 ディーノの動きは早かった。

 ロートンが牢につながれると、その日のうちに騎士団に連絡を取り、保釈金を積んで釈放させる交渉に入っていた。

 翌日には、騎士団隊長が直々に判決書を作成。ロートンには懲役三年、彼が雇った実行犯には懲役二年の罰を下した。四人分の罪料に応じた金額として、金貨五十枚を保釈金として支払い、釈放させたのだった。つまり、サムトー達が今後の見通しを話していた頃には、ロートンは自宅に戻っていたのである。

 さすがに騎士団隊長も、続けて罪を重ねるようなことがあれば、取引している貴族達の印象も悪くなり、商売に支障も出るから、くれぐれも自重させるようにとディーノに釘を刺している。ディーノも、数年の間は大人しくさせるよう、ロートンを別荘に住まわせることを返答していた。

 しかし、ロートンは執拗だった。

 別荘暮らしは、好き放題できるから嫌ではなかったので、素直に受け入れている。プリシアと同じ街で暮らすのが嫌になったこともある。だが、自分の邪魔をしたサムトーが許せなかった。プリシアへの憎しみが、そのままサムトーへ移ったのだった。

 そこで、腕の立つ店の警備員を借りて、サムトーを叩きのめすことを考えた。父のディーノに、警備の訓練の一環としてサムトーを講師に招き、その場で訓練と称してやっつけて欲しいと訴えた。サムトーがボコボコにされる姿を見ないと、安心して別荘に行けないと、泣き落としまでしていた。

 父もこの年まで、ロートンをこんな風に育てて来ただけあって、息子にはとても甘かった。出来の悪い息子ほどかわいいという、ことわざの見本通りだった。別荘へ旅立つ手向けとして、彼の願いを聞き入れたのだった。

 翌日、早速とばかり、午前中のうちに、知り合いの剣術道場を借りる手配をした。彼自身はロートンを連れて、雑貨屋カーシーに直接謝罪に出向いたのだった。もちろん徒歩でなく、馬車を仕立てている。

「この度は、うちの息子が多大なご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」

 ディーノとロートンが、モーガンとプリシアに正式に謝罪した。態度も殊勝で、裏で悪巧みなどしている感じは一切なかった。

「謝罪頂きありがとうございます。二度とこのような事もないことと思いますので、私達の方も、お二人の謝罪を受け入れたいと思います」

「私にも異存はありません。謝罪を受け入れます」

「お二人とも、ありがとうございます。ロートンには、何年か別荘で暮らして、気分転換するよう、申しつけておりますのでご安心を」

「そうですか。ロートンさんも一時の気の迷いだったでしょうから、気持ちが落ち着かれると良いですね」

 そんな儀礼的なやり取りの後、ディーノが本題を切り出した。

「何でも、今回ご活躍された剣士様が、モーガンさんのところに滞在なされているとか。ぜひ、うちの警備員にもご指南願いたいのですが、いかがでしょうか」

 裏で聞いていたサムトーが、思わず顔をにやけてしまった。そうきたか、合法的に俺を叩きのめしたいんだなと、即座に彼らの目論見を看破していた。小悪党は最後まで悪巧みをするものだな、と奇妙な感慨を抱いた。

「すみません、私の一存では決めかねますので、本人に直接お話し下さい」

 モーガンがそう返答し、サムトーを呼んだ。

 ディーノが先ほどの話を繰り返す。

「そうですか、警備員さん達の訓練ですか。日頃から備えを怠らないとは、さすが大手の宝石商さんですね。分かりました。そういう事でしたら、喜んで協力させて頂きますよ」

 話は聞いていて、裏の事情も察しているのに、サムトーは何食わぬ顔で答えた。

 その返答を聞いて、ディーノもロートンも笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。では、明日の朝十時に、お迎えに上がります」

 そう言い残して、二人が馬車に乗り込み、去っていく。

 三人も店の外に出て、それを見送った。

 周りにはいつの間にか野次馬の輪ができていて、ブランドン商会も直接謝罪に来るなんて、案外誠実だな、などと噂話をしていた。

 その日はいつもより客が多かった。みなロートンの父が、直接謝罪に来たことの真偽を確かめたかったようだった。モーガンもプリシアも、何十回と繰り返された質問に、答える度に苦笑を浮かべたのは言うまでもない。


 その日の夕食は和やかに進んだ。

 ロートンが別荘暮らしになって、懸案が落着したことを喜んでいた。ようやく安心して過ごせると、気分も晴れやかだった。

 気になることは、サムトーが訓練に招かれたことである。本人は事情を推察していたが、あえて口にすることではないと黙っていた。

 逆にプリシアは、サムトーの腕前なら、そういうこともあるだろうと、本気で信用していた。何せ、自分の危機に乗り込んできて、ロートンも含め四人をあっさり気絶させたのである。ここ何日か素振りも見てきた。その強さに対して、絶大な信頼を寄せていたのである。

 モーガンはその辺のことは分からない。率直に尋ねた。

「警備員の訓練とは、どんなことをするのだろう?」

「そうですね、警備員ともなると、強盗相手に戦う必要があると思います。そこで、どう戦うかとか、どう無力化するかとか、そんなことを訓練するつもりだと思います」

「そういうのはさっぱり分からないなあ。護衛をさせてくれと言った言葉には自信が感じ取れたから、サムトー君は本当に強いっていうことは分かっていたつもりだ。今回、娘を助けてくれた時も、四人も倒しているしな。しかし、それをどうやって、どんな風にするのかは、全く想像できんなあ」

 しみじみとそんなことを語った。

 元奴隷剣闘士のサムトーからすれば、命を懸けて戦うことなど、ないにこしたことはないと思っている。一般の人間は戦いなど無縁な方がいい。

 だから、大したことじゃないことを強調した。

「まあ、職人が修行するのと同じですよ。それが人間相手になるってだけなんです」

「なるほど、そう考えると何となく分かるな。店の経営とかでも、仕事に年季が必要だからな」

 珍しく、モーガンが饒舌だった。それほど気持ちが楽になっていたのだった。

「私、サムトーの素振り見てたけど、正確に斬ったり突いたりするの、いつもすごいなあって思ってた。そういうのも教えるのかな」

「どうだろ。そのくらいのことは知ってそうだけど」

「サムトーってすごいね。強いし、優しいし、気も回るし」

 プリシアの言葉に、サムトーが目を丸くした。何、ほめ殺し?

「だからね、明日の訓練終わっても、ずっと家にいて欲しい。ダメかな?」

 ああ、そこにつながるのか。サムトーが納得した。こんな風に引き止めてもらえるのは光栄だが、素性を隠して逃亡中の身である。最終的には、旅立つことは絶対だった。

「そう言ってくれるのはうれしい。でも、ごめん。訳あって、旅は続けなきゃいけないんだ」

 プリシアが目に見えて落胆した。このまま一緒に、仲良く楽しく暮らしていけるものと思っていたのだ。

「どうして? どんな理由があるの?」

 さすがに事情を話すわけにはいかない。それが信頼できる二人であってもだ。

「ごめん。そればかりは、言えない事情だって分かって欲しい」

「私達にも言えない事情なの? 秘密なら絶対守るよ」

 プリシアは必死で食い下がった。一緒にいたいという気持ちが、痛いほど伝わってくる。

「ありがと。その気持ちはうれしい。でも、本当にダメなんだ」

「そうなんだ……」

 あくまで折れないサムトーに、それだけの事情があることを感じて、さすがのプリシアも引き下がった。

「でも、ロートンが別荘に送られるのは見届ける。そうじゃないと、やっぱり危ないだろうし」

「うん、分かった。ありがとう」

 できるだけ長くいてくれるといいなと思いつつ、プリシアは礼を言った。

 まさか自分の娘が、これほど一人の人間に執着するとは。親子二人暮らしで寂しかったのもあるだろうが、サムトーという男には不思議な魅力があるなと、モーガンは思った。

「ともあれ、夕食を食べてしまおうか」

 話題を切り替え、自ら食事を再開した。二人もそれにならう。

「サムトー君、明日、ケガだけはしないようにな」

「大丈夫です。これでも剣士、腕に覚えがありますから。まあ、お任せ下さいな」

 サムトーが軽口を叩いて、この話題は終わった。

 その後は、またサムトーの旅の話に聞き入るのだった。


 翌日。朝の日課や朝食、開店の支度などを終えた後。

 開店時刻になっても、サムトーはのんびり二人の手伝いをしていた。

「仕度とかは大丈夫なの?」

「手ぶらで平気でしょ。訓練だし」

 サムトーはどこ吹く風だった。

 やっぱり本物の強さのある人は余裕が違うと、プリシアが感心したものである。

 やがて、十時の鐘がなるのと同時に、ブランドン商会からの案内人が店を訪れた。さすがに馬車ではなかった。

「剣術道場をお借りしていますので、そちらまでご案内いたします」

 とのことだった。

「それじゃあ、ちと行ってきます」

「うん。気を付けて」

 気軽なやり取りで、サムトーは出かけて行った。

 案内人は北側住宅地、つまり富豪や騎士達が住む区画にある剣術道場へと連れてきた。ここまで十五分程度。思ったより近い。

 立派な塀に囲まれた建物だった。門扉が開かれた先には庭が広がり、その奥に道場と思しき建物がある。その裏手にもさらにいくつか建物があるようで、道場主の住む家と思われた。

 案内された部屋は広く、すでに門下生二十人ほどが部屋を囲むように長椅子に座っていた。奥の方にはブランドン商会の店主ディーノと、息子のロートンが三人の男と一緒に椅子に座っている。道場らしく、転倒時の衝撃を考えて、床も壁も板張りだった。壁には必要な時に使えるよう、木剣の他、木の槍などの稽古道具が掛けられていた。

 道場の師範代が木剣を持って進み出てきた。それをサムトーに渡す。

 そして、ディーノの隣にいた三人の男が、同じように木剣を片手に下げて歩み出てきた。

「今日は、武器を持った強盗を、三人が取り押さえるという設定で、訓練をお願いしたいと思います。よろしいでしょうか?」

 ディーノが愛想良く言った。だが、口元がわずかに歪んでいる。笑みを隠そうとしているのが、誰の目にも明らかだった。

 剣を持った三人はこの道場の出身で、師範代と五分に渡り合える実力者ばかりだった。その腕の立つことを見込まれて、ディーノに警備員として雇われているのである。その三人が相手では、すぐに袋叩き似合うのが普通だろう。サムトーが痛めつけられる光景が早く見たいと、ロートンなどはすでに期待の笑みを浮かべていた。

「分かりました。私が悪漢の役ですね。では遠慮なくどうぞ」

 サムトーが笑顔でそう答えた。

 師範代が壁際に下がり、合図を出す。それと同時に、三人が剣を中段に構え、サムトーを取り囲むように三方へと別れた。

 じりじりと間合いを詰めてくる。

 サムトーも剣を構え、待ち受ける。

 あと一足で間合いに入るというところで、三人が一斉に動いた。中段のまま剣を突いてきた。サムトーは一歩だけ横に動き、体を回転させながら自分の剣を三人の剣に軽く当てて、その軌道をずらした。

 三本の剣が空を切った。その直後、サムトーが素早い足捌きで、三人の頭を軽く小突いて回った。そして大きく距離を取った。実戦なら、三人はすでに死んでいる。

「いい動きですね。さすが警備員」

 サムトーが褒めた。しかし、こういう場では挑発にしかならない。

 その余裕ある態度に、三人が逆上した。

「このまま終われるか。やるぞ」

 リーダー格の男があとの二人に言った。ここからは本気だと言わんばかりに、気合を込めて順繰りに打ち掛かってきた。

 サムトーは細かな足捌きで間合いを調整しながら、三人の攻撃を全て受け流した。奴隷剣闘士時代の命懸けの戦いに比べれば、剣の鋭さも攻撃の意外性もさほどではない。終わりなく繰り返される攻撃に動じることなく、丁寧に攻撃を弾いていく。連携されても、微妙な間合いの差を見切り、彼らの剣に空を切らせた。

 激しく攻撃を続けたことで、先に三人の息が上がってしまった。冬だというのに、体中から汗を吹き出していた。

 ディーノもロートンも呆然とその光景を眺めていた。痛めつけるはずだった相手は無事で、自分の店の精鋭が荒く息をしている。何かの間違いだと思いたかった。道場の門下生達も同じように呆然としていた。

「もう、このくらいで十分ではありませんか? ケガをしては仕事に差し障るでしょうし」

 涼しい顔でサムトーが言う。

 だが、事実でもあった。サムトーは一切反撃をしていない。その気になれば、三人は相当のケガを負っているはずだった。

 三人がうなだれた。面目丸潰れだが、相手が悪すぎた。

 企みが失敗したことをごまかすように、ディーノが言った。

「そ、そうですな。うちの警備員にも、良い訓練となりましたし。いやあ、お強い。うちで雇いたいくらいですよ」

「ありがとうございます」

 サムトーは儀礼的な礼を返すと、本気で相手を案じるような口調で言葉を続けた。痛烈な皮肉ではあったが。

「何でも、そこのロートンさんは別荘暮らしをされるとか。その旅立ちの手向けに、良い訓練をお見せできてよかったと思います。では、私はこれにて失礼します。皆様には、今後も元気でお過ごし下さいますよう」

 木剣を師範代に返し、ロートンを睨み付ける。頬を張られた時の痛みを思い出したか、ロートンが怯えた。

 そうして案内人を促すと、サムトーは道場を後にした。

「ば、化け物か、あいつ……」

 ロートンのつぶやきは、サムトーの耳には届かなかった。


「ただいま~」

 サムトーが店に戻ったのは、ちょうど昼食の時間だった。先にモーガンが食事を取っていた。プリシアは店番であった。

「おお、ケガもなくて何よりだ。訓練はどうだった?」

「ええ、さすが一流宝石店の警備員、大した腕前でしたよ」

「そうかそうか。それはよほど良い訓練ができたのだろうなあ」

 モーガンが顔をほころばせて言った。大丈夫だと思ってはいたが、若干の心配をしていたことが汲み取れた。

「ところで、昼食はプリシアと食べるかい?」

「そうですね。そうします」

「なら、早く店番代わってやらないと」

 モーガンが食べる速さを上げた。

「大丈夫ですよ、ゆっくりでも」

「そうか、なら店の方に顔を出してやってくれ」

 サムトーは言葉に従い、店番をしているプリシアのところへ向かった。

「あ、おかえり、サムトー」

「ただいま、プリシア」

「ケガとかはないみたいだね。訓練はどうだった?」

 父娘揃って言うことが同じだった。サムトーを信頼しているが、やはり心配は心配だったのだろう。

「さすが一流の宝石店だね。警備員の腕前も大したものだったよ」

 同じようにプリシアにも答えた。

「そうなんだ。そんな強い人に訓練つけられるんだから、サムトーはもっと強いってことだね」

 中々鋭いところを突いてくる。

 ごまかすように笑うと、話題を変えた。

「まあ、それなりにかな。それより、昼飯は一緒に食べような」

「そうだね。……あ、いらっしゃいませ」

 間がいいのか悪いのか、ちょうど客が入ってきた。プリシアも店番に意識を切り替える。

「何か欲しい品があったら、言って下さいね」

 つい先ほどまで戦いの場に身を置いていたサムトーは、そんなプリシアを眺めて、気持ちが安らぐのを感じていた。まだ六日だが、これがいつもの光景と思えるほど、この店になじんでいた。

「プリシア、お待たせ。店番を代わろう」

 モーガンが食事を終えて店に出てきた。

「ありがとう、お父さん。サムトーも行こう」

 二人は店の奥に引っ込み、休憩室で昼食を取ることになった。

「はい、サムトーの分ね。それじゃあ、いただきます」

 プリシアはご機嫌だった。心配していたサムトーが、無事に役目を終えて帰ってきて、昼食も一緒に取れるのがうれしいようだった。

「いただきます。うん、相変わらずうまい」

「ありがと。動いて疲れたでしょ。おかわりもあるから遠慮なく食べてね」

 ニコニコと笑いながら食事をしている姿がかわいいなと、サムトーはふと思った。出会ったばかりの時の固かった表情を思い出し、この笑顔を守れて良かったとも思った。

「助かるなあ。じゃあ遠慮なく頂くよ」

 サムトーも笑顔を返した。あと何日かは、三人で平和な日常を過ごせるはずだ。最後まで楽しく過ごしていこうと強く思った。


 ロートンが別荘に旅立ったのは、十二月も半ばになってからだった。事件から一週間も経っていた。

 その間、雑貨屋カーシーはいつも通りの日常だった。客足は毎日そこそこで、売り上げはまず順調だった。他に仕入れをしたり、配達をしたりと、外での用事もこなした。プリシアもモーガンも、のんびりと商売に精を出す平穏な日々を、心から良いものと思っていた。サムトーという客も、いつの間にか家族と同様の存在になっていた。

 一度、サムトーはこっそり賭場へと足を運び、金貨十枚ほど稼いだ。旅立つ時に、世話になった礼として置いていくつもりだった。

 そして、ロートンが街を去った日、プリシアが熱を込めてサムトーを引き止めたのだった。

「せめてあと二週間、新年祭、一緒に行きたい。お願い。それまで旅に出ないで」

「でもなあ、もう二週間も世話になってるのに、この上、二週間も迷惑かけるのも心苦しい気がする」

「ううん、迷惑どころか、一緒に毎日過ごせてとっても楽しいよ。いなくなったら絶対寂しい。お願い、せめてあと二週間!」

 モーガンが目を丸くしていた。自分の娘のことは分かっているつもりだったし、一緒にいると楽しそうにしている様子を見てきた。だが、まさかここまで熱心に引き止めるなどとは想像もしていなかった。

「そこまで言ってくれるのか。ありがとうな」

 そう答えながら、サムトーは冷静に考えてみた。

 今までだと、訓練で腕前を見せたことで、出自を詮索されてもおかしくはなかった。今回は、宝石商の名誉が掛かっていて、袋叩きにしようとしたら完璧に防がれた、などという悪評が立っては、ロートン事件の恥をさらに上塗りすることになる。この一週間、騎士団関係にも動きはなかったし、素性が知れる心配はないと考えて良いだろう。新年祭に向けて人の出入りも多いから、そちらに警備関係は手を取られているようだった。

 とは言え、油断はできない。いつどんなことから素性を詮索されるか分からない。それは、過去に猟師達、旅芸人達と別れなければならなかった経験から、十分知っていた。

 そう分かっていたが、逃げるのはいつでもできし、何とでもなるだろうと考えてしまった。こんなに長居するつもりのなかった城塞都市グロスターだが、この雑貨屋父娘のために、最後の思い出作りをしてもいいかと思う。逃亡してから七か月半ほど。ずいぶんいい加減になったものだと、自分に苦笑するサムトーだった。

「笑ってないで、真面目に答えてよ!」

 プリシアが強気で押してくる。こんな娘だったんだなあと、新たな一面を見て、微笑ましく感じた。

「分かった。俺の負けだ」

 サムトーが両手を挙げた。

 プリシアの表情が和らぎ、目を輝かせた。

「じゃあ、新年祭までいてくれるの?」

「ああ、せっかくのお誘いだ。ありがたく受けることにするよ」

「ほんと、やった! うれしい!」

 プリシアがサムトーに抱き着いた。これ以上ないくらいうれしそうな表情で。父が苦笑してそんな娘を眺めていた。

「でも、条件が三つある」

 サムトーがプリシアを離しながら、真剣な表情で言った。

「一つは、内緒の事情というやつだ。その事情に引っかかった時は、即座に旅に出なきゃいけない。まあ、大丈夫だとは思うけど」

 プリシアも表情を引き締めてうなずく。

「二つ目は、新年祭の片付けが終わったら、今度こそ絶対に旅に戻る」

 プリシアが落胆した。なし崩しにずっと居続けてもらえるかも、という期待をしていたからだった。先手でそれを封じられて残念に思っていた。

 しかし、もしかすると気が変わるかもしれないと思い直し、表情が真剣なものに戻る。サムトーと一緒に過ごして、気持ちが表情に出やすくなってきたようだった。

「三つめは宿代だ。これだけ世話になっておいて、タダというのはどうにも落ち着かなくて。これを収めて欲しい」

 そう言うと、サムトーは布袋を取り出した。

 モーガンが布袋を改めた。中身を出してみると、何と金貨が十枚も入っている。雑貨屋カーシーの二月分の売り上げに相当する額だった。

「どうしたんだ、こんな大金」

 モーガンが怪訝そうに尋ねてきた。それはそうだ。銀貨一枚の宿に二百泊できる額なのだ。金を取って泊めたにしても見合わない額だ。

「ちょっと賭場で稼いできました。あぶく銭なので、気にする必要はないですよ」

 二人が目を丸くした。賭場というのは、大半の人間が損をするようにできている。よほど運が良くなければ、こんな大金は稼げない。

「いくら何でも、これは受け取れない。君は娘を救ってくれた。泊めているのはその礼であって、対価をもらうためじゃない」

 モーガンが固辞する。元々頑固親父なところのある彼である。全くの正論だった。

「なら、せめて半分だけでも。お二人のおかげで楽しい毎日を過ごせたので、そのお礼の気持ちなんですよ」

 サムトーも折れなかった。本当に楽しい日々に対する恩義があると、表情が語っていた。

 モーガンがため息とともに折れた。

「分かった。そこまで言うなら、半分頂こう。その代わり、新年祭では、プリシアをしっかりエスコートすること。頼んだぞ」

「え、お父さん、一緒じゃないの?」

 プリシアが驚いた。しかもエスコートなどという、娘の内心を良く知っているがゆえの、気持ちを持ち上げるような表現まで使った。

「私はそんな野暮じゃないさ。せっかくの機会だから、二人きりで回るといい。私は商店街の仲間と楽しく過ごすから、気にしなくていい」

「気遣いありがとう、お父さん」

 娘も素直に父の好意を受け取った。

「じゃあ、改めて、新年祭までよろしくね、サムトー」

「こちらこそ、よろしく頼むよ」

 そう長くはない時間だが、共に過ごせることを互いにうれしく思いながら、二人は固い握手を交わした。


 それから二週間はあっという間に過ぎた。

 三人は、以前から一緒に暮らしてきたかのように、とても仲良く過ごしていた。店の仕事、食事や何気ない会話など、平穏な日々ゆえの楽しさがあった。

 新年祭の飾りつけも、交代で手伝いに出た。ランタンを作り、大広場を取り囲むように設置していく。倉庫からベンチを運び出し、一角に並べていく。商店からだけでなく、一般の住民からも手伝いが来ていた。大勢で行う作業は、大変だったが、これもまた楽しかった。

 夕食後の会話では、サムトーの話が続いていた。猟師達の生活、旅芸人達の芸、一人旅での出来事、七か月分の話題は二週間では尽きず、飽きることなく二人は話に聞き入っていた。

 そうして新年祭の日が訪れた。

 祭りは年が明ける前日の夕方から開始される。

 食べ物、飲み物の露店が立ち並び、客引きをするまでもなく、大勢の客で賑わっていた。この日が稼ぎどころなので、臨時の店員を雇っているところがほとんどだった。

 サムトーも、早速とばかりエールを二杯買った。プリシアも酒は得意ではないが、せっかくのお祭りなので、一緒に飲むことにしたのだった。

 ジョッキを片手に、舞台の素人芸を眺める。歌やダンス、楽器の演奏など、上手とは言えないが、それなりに見られる芸ばかりだった。誰もが、今日のために頑張って練習してきたことが分かる。見ていて気分がほっとする感じが良かった。

 日が暮れた頃には、ランタンに火が付いた。柔らかな光が街並みを照らし、幻想的な雰囲気を醸し出す。子供達がはしゃぎだし、きれいと言いながら、大勢の人の間を縫うように走り回っている。

 サムトー達はジョッキを店に返し、夕食代わりの食べ物を物色し始めた。

 サンドイッチや焼きそば、串焼き、焼き菓子など、賑やかさに引っ張られた感じで、いつもの夕食より多く買い過ぎてしまった。

 広場の一角にある、ベンチに二人で座って食べることにした。

「それじゃあ、いただきます」

 声を揃えて、食事に取り掛かる。遠目には新年を迎えるためのパレードが行われているのが見えた。街は祭り一色になっていた。

「いやあ、これだけ賑やかな祭り見るのは、さすがに初めてだ。本当にすごいなあ。見られてよかったよ」

 サムトーが心から良かったと感想を言った。

 プリシアが先見の明を誇るように胸を張った。

「ね、引き止めて良かったでしょ」

「そうだね。おかげでいいものが見られたよ」

 食べながら、二人は顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。

「あ、プリシアじゃない」

「ほんとだ。しかも男の人と一緒だわ」

「誘ったのに来ないって言ったのは、こういうわけだったのね」

 プリシアの友人らしい、同年代の女性が三人近づいてきた。

 友人達に見つかったことで、プリシアが一瞬困った表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。

「ああ、この人はサムトー。旅人さんだけど、事情があって、今月ずっとうちの手伝いをしてくれたの」

「この人、十二月の間、店の手伝いしてたの何度か見たわよ」

「そう言えば、私も見た気がする」

「ねえ、どんな関係なの? もしかして……」

 予測を口に出される前に、プリシアが割り込んだ。

「うん、ほらロートンの事件があったでしょ。あの時、私のことを助けてくれた人なんだ」

 三人が顔を見合わせた。あの事件は、大宝石商の息子が起こしたこともあって、もう街中に定着している。

「なるほどねえ」

「そうなの。それで年が明けるまでは、家でお世話することになって」

「それは運命の出会いってやつかもねー」

 プリシアの内心など、推察するのも容易だったのだろう。思いを寄せていることをほのめかすように突っ込んでくる。友達だけに容赦がない。

 さすがにプリシアも、ごまかすのが難しくなってきたようだった。顔を赤らめ、うつむきがちになってしまった。

「ねえ、サムトーさんだっけ? プリシアのこと、どう思ってるの?」

 急に話題を振られたサムトーは、真剣な表情で答えた。

「ここにいる間は、大事な家族だと思ってるよ。ただね、年が明けたら、俺はまた旅に出なきゃいけないから。みんな、プリシアの友達なら、俺がいなくなった後、この娘のこと、よろしく頼むよ」

 三人が揃ってがっかりしていた。人の色恋沙汰ほど面白いものもない。それが空振りに終わった感じだった。そして、プリシアの内心を推し量ると、彼女が可哀想でならなかった。

 プリシアも、旅に出る日まであと少ししかないことを、再確認させられたことで気落ちしてしまった。結局、今日まで引き止め切れていなかった。そして、今の言葉からも、旅に戻る意思を変えるつもりのないことが、はっきりと分かってしまった。

「ごめんね、邪魔しちゃって。それじゃ、二人仲良く、楽しんでいって下さいね」

 三人の友達が立ち去って行った。それぞれがプリシアの肩を軽く叩いていく。頑張れ、という気持ちが籠っていた。

「大丈夫。プリシアはかわいいから。もう最高に」

 落ち込んだプリシアを見かねて、サムトーが励ました。というか、調子に乗りすぎでもある。

「もう、かわいいって言えばいいと思ってるでしょ」

「うーん、じゃあ、かわいい上に、優しくて料理上手」

「ほめれば済むと思ってるでしょ。サムトーのばかあ!」

 サムトーが優しく笑った。プリシアはこのくらいでちょうどいい。

「ははは。ごめんごめん」

「むう。納得いかないけど、お祭りだから許す」

 プリシアの膨れた顔はとてもかわいかった。だが、それを言うとキリがないので、サムトーは別の言葉を口にした。

「ありがと。さ、残り食べちゃおうぜ」

「うん、そうだね。分かった」

 二人が食事を再開した。

 こんな風に一緒にいることが当たり前になって、どれだけ気持ちが安らいだことだろう。不思議なお調子者の旅の剣士。もうすぐいなくなってしまう大切な人。このおよそ一月の間、たくさんの思い出ができた。今日のお祭りのことだって、一生忘れないだろう。

 やっぱり寂しかった。行って欲しくなかった。せめて、その気持ちだけは伝えようとプリシアは思った。

 しかし、サムトーが先手を取った。

「俺だってさ、プリシアと別れるのは寂しいんだよ。でもな、ここで正直に話してしまうと、これは絶対内緒だけど、俺は素性がバレて捕まらないように、逃げている身の上なんだよ」

 肝心なところは隠したままだったが、それでも事態の深刻さは伝わったようだった。プリシアが目を丸くした。

「だから、ホントは一つの場所に長居はできない。今回、ロートンの事件と新年祭のおかげで、長居できたのはラッキーだった。でも、危険なことに変わりはないから、素性がバレないうちに旅に戻るんだ。プリシア、ずっと一緒にいられなくてごめんな」

 ああ、サムトーも同じようなことを思っていてくれたんだ。そのことが分かって、うれしさ半分、寂しさ半分で、プリシアが涙ぐんだ。

「うん、分かった。話してくれてありがとう」

「ってわけだから、最後まで楽しくいこう」

 サムトーの言葉にプリシアがうなずく。

 二人は食事を片付けると、祭りの輪の中へと戻っていった。

 どちらからともなく手をつないで、祭りの喧騒を楽しんだ。

 パレードを応援し、舞台をまた見て、時折休んで景色を眺めた。

 言葉を交わさなくても、気持ちがつながっているのが感じられて、二人とも幸福感に満たされていた。

 やがて、新年を告げる鐘がなった。

 二人は唇を重ねた。

 そして、しばらくの間、互いの存在を確かめるように抱きしめ合うと、家へと戻ったのだった。


 神聖帝国歴五九七年一月二日。

 サムトーの旅立つ日がやってきた。

「今までありがとう。本当に楽しい一月だったよ」

 モーガンが手を差し伸べてきた。サムトーは固く握手を交わした。

「俺もです。こんなに穏やかな日常を過ごせて、幸せでしたよ」

 モーガンが娘を押し出した。

 プリシアがサムトーの腕にすっぽりと収まる。

「プリシアのおかげで楽しい毎日だった。幸せな毎日だった」

「こちらこそ。元気に旅を続けてね」

 最後に口づけを交わすと、万感の思いを断ち切るように、二人は離れた。

「では、行ってきます」

「行ってらっしゃい。いつか、また会おうね」

 手を振り合って、サムトーは二人と別れた。

 寒空の下、サムトーは旅立つ。

 風の向くまま、気の向くままに、旅を続けていくのだった。


──続く。

 トラブルに首を突っ込んだら、引くに引けなくなったサムトー。今回は地味な働きで頑張っています。それにしても人の縁に恵まれてますね。そのほのぼのとした話がメインになっています。なお、さすが凄腕剣士だけあって、相変わらず無敵ですが、決してチートではありません。これで旅もおよそ八か月になり、一作目の時系列まであと十五か月です。

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