序章Ⅲ~一人旅の最初の日々~
行く当てのない一人旅
自由気ままに旅路行く
広い世界で出会うのは
きれいなものやうまいもの
何かと起こるトラブルに
巻き込まれるのも常のこと
一人さすらうお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
「とりあえず、次の宿場町まで行くか」
独り言をつぶやくと、歩きながら背伸びをした。
茶色のざんばら髪が秋風に揺れる。肌寒さも増してきたとは言え、昼間はまだ十分に温かい。
時に神聖帝国歴五九六年十月末日。
止む無き事情で旅芸人の一座と別れたサムトーは、カムファの町から西に延びる街道を、一人のんびり歩いていた。
景色に目をやれば、秋の花々が自分の存在を誇示するように咲き誇っている。山の上の方を見やれば、早くも色の変わり始めた木々があった。
「おや?」
街道の先の方、馬車が一台止まっているのが遠目に見える。
何か不具合でもあったのだろうか。
近づくにつれ、まだ年の若い男性が困っている様子が見えた。馬をしきりになだめているが、何かの具合でへそを曲げたらしく、動こうとしない。
「よう、兄ちゃん、何かあったのかい?」
サムトーが気さくに声を掛けた。
気付いた若い男が、心底困り果てたように言った。
「いやなに、馬が急に動かなくなってね」
「ふーん」
言いながら、サムトーが馬に近づく。馬は一度鼻を鳴らし、地面を足で掻いたが、害意のないことが通じたようで、それきり大人しくなった。
ふと、若い男を見ると、手に棒を持っている。馬が動かないことに業を煮やし、それで叩いたらしい。
「兄ちゃんさあ、もしかして、その棒で馬のこと叩いた?」
「あ、ああ。全然動かないもんだから、つい……」
「そりゃ、馬だってへそくらい曲げると思うよ。一度休ませてやりゃ、機嫌も直るだろうさ。馬具を外してもいいかい?」
「ああ、お任せするよ」
ばつが悪そうに、若い男はサムトーの言葉に従った。
サムトーは馬を馬車から外してやり、街道から少し離れた草場へと連れて行った。馬の方も心を許したようで、足元の草を食べ始めた。
「よしよし。一休みしたら、出発しような」
馬に声を掛けながら、首筋を叩いてやる。分かったとばかり、馬が首を軽く縦に振った。
馬の機嫌が直ったことが分かったのだろう。若い男が感心して言った。
「いやあ、大したもんだな。馬の飼育でも……」
言いかけて、口をつぐんだ。サムトーが腰に短剣を下げていたからである。少し反りのある剣で、刃渡り六十センチほど。旅の護身用にしては強力過ぎる武器に思える。
「もしかして、旅の剣士か何かかい?」
そう言い直した。
言われたサムトーの方は、そう言えば、自分がいったい何者だと名乗るのが良いのかなど、全く考えてもいなかった。だが、言われた言葉は、今の自分にぴったりだと感じた。
「ああ。旅の剣士、サムトーだ」
「そっか。俺はトビアス。この先の町マーセルで商売をやってる者だ。カムファで仕入れた荷を運んでたんだが、途中で馬車が止まってしまってな。サムトーのおかげで助かったよ。ありがとう」
「マーセルの町か。宿屋はあるかい?」
「もちろんさ。宿場町だからな。馬車、乗ってくよな。良かったら、いい店紹介するよ」
「じゃあ、これも何かの縁だし、トビアスに頼もうかな」
そうこう話している間に、馬の食事も終わったようだった。
サムトーが手綱を引いて、馬を再び馬車に固定する。
二人が御者台に乗り込み、トビアスが手綱を握る。合図を出すと、今度は馬も大人しく指示を受けて歩き出してくれた。
「いやあ、助かった。本当にありがとうな。これで今日中に帰れないとなったら、嫁さんに何を言われることやら……」
「へえ、トビアスは結婚してたのか」
「ああ。三年前にな。嫁さんもかわいい奴だったんだけど、いや今でもかわいいんだけど、やっぱ怒らせると怖くてさ……」
馬車に乗せてもらえたのは良かったが、その間、散々にのろ気話を聞かされる羽目になってしまった。
世の中には、こんな幸せな連中もいるんだなあ、いやそれが普通なのかもしれないけどな、などといろいろ考えてしまうサムトーだった。
二時間半ほどで、市街地が見えてきた。マーセルの町である。人口は五千人程度で、中規模のありふれた宿場町だった。
やがて、一軒の雑貨屋の前に馬車が到着した。トビアスの店であった。馬車で聞かされた話だが、嫁さんの父が元々は経営者で、婿入りの形で店に入り、今は店を譲るための修行をしている最中らしい。店の中から二人ばかりの店員が出てきて、荷を店の中に運び込む。噂の嫁さんも手伝っていて、なるほどなかなかの美人であった。
サムトーがついでに買い物をした。
何しろ、急に一座を出る羽目になったのである。元々の私物も少なかったし、タオルや着火道具、防水布など、必需品をいくつか買い揃えた。恩人相手なので、トビアスも値段を多少勉強してくれた。
その後、トビアスと二人、馬車を返しに行きがてら、途中にある一軒の宿屋に寄る。山猫亭と看板に掛かれたそれは、居酒屋兼宿屋だった。一階は食堂と言うか飲み屋で、二、三階が泊まる部屋らしい。テーブルでは、まだ夕方に入ったばかりだが、すでに数名の客が一杯ひっかけていた。
トビアスが客を連れてきた旨を女将に告げる。
三十代半ばくらいの、元気そうな栗毛の女性が応対してくれた。
「あたしが女将のフレア。用事があったら何でも言っとくれ」
「旅の剣士、サムトーです。一晩お世話になります」
サムトーはそう挨拶して、借りる部屋を決めた。宿賃は一泊二食付きで銀貨一枚。適正な値段だった。前金で払うと、その後、少し街中を見て回りたいからと、宿の外に出た。
「また、何かあったら、うちの店に寄ってくれよ」
そう言って、トビアスが馬車を返しに去っていく。
サムトーは商店街区を見て回った。
夕方の買い物客だろう。そこそこの人々が行き交っている。
店も日が沈む頃には閉店となるのだろう。あちこちの店で、その日のうちに売り切っておきたい物を値下げして、客に声を掛けていた。
夕暮れの街並みも結構いいものだな、そんな風に思いながら、サムトーが歩いていく。そう言えば、公衆浴場はどこだろうかとあたりを見回すと、商店街の向こうに大きな建物が見えた。ついでに寄っていこうと足を延ばす。
浴場に入ると、まず荷物を番台に預ける。預かり札とタオルを持って、脱衣場へ。手早く衣服を脱いで畳むと、浴場に入った。
中は四、五十人は優に入れる広さがあった。すでに十名ばかりの客が汗を流していた。湯浴み場で軽く体と髪を洗うと、湯舟へと入る。湯は熱くなくぬるくもなく、ちょうどよい湯加減だった。
「ふう。昨日はフェント達と入ったんだっけか。まだ一日しか経ってないのが、信じられないな」
心身がほぐれてくると、旅芸人達のことが思い出された。これからは当分の間、一人旅をするつもりだった。多少の寂しさがある。
ふと、回りの客が、サムトーを遠巻きに見ているのに気付いた。何事かと思ったが、サムトーの体は、奴隷剣闘士時代に、生き残る代わりに得た古傷だらけである。どこのやくざ者かと不審がっているのだろうと、すぐに気付いた。
だが、自分から話しかけることでもないだろうと、知らぬふりを決め込んでいた。そこへ好奇心旺盛な小さな男の子が一人、声を掛けてきた。
「ねえ、おじちゃん、どうしてそんなに傷だらけなの?」
おやおや、とサムトーは思ったが、無下にするのも大人げないだろう。
「俺は旅の剣士でね。戦うのが仕事だったんだよ」
嘘は言っていない。間に省略された事柄が多いだけである。
「戦う仕事って、どんなことするの?」
「ああ、ドロボーとか、悪い奴をやっつけるんだよ」
その説明で納得したのだろう。男の子がお礼を言った。
「ありがとう、おじちゃん。お仕事頑張ってね」
父親と思しき男の元へと戻っていく。今のやり取りで、サムトーが悪人ではなさそうだと分かり、周囲の雰囲気も和らいだようだった。
(そっか、風呂一つ入るにも、この体じゃ気を遣わないとな)
サムトーも一つ学んで、風呂から出ることにした。
山猫亭に戻ると、テーブルの半分ほどが埋まっていた。食事を取る者、仕事帰りの一杯を楽しむ者、様々だった。
「フレアさん、鍵を頼みます」
「あいよ。二階の一番奥だね。夕飯はすぐ食べるかい?」
「そうですね。荷物置いたら、すぐに頂きますね」
「分かった。用意しとくよ」
そう言うと、鍵をすぐに渡してくれた。その流れで厨房と給仕にもそれぞれ声を掛けた。ついでに空いた皿を厨房に下げるあたり、さすがに手際がいい。
サムトーは奥にある階段を登って二階へと向かった。二階の廊下を奥へと進み、一番隅の部屋の鍵を開ける。
大衆酒場兼宿屋なだけに、調度はごく普通だった。机、椅子、ベッドが一つずつ。荷物や着替えの置ける棚に、明かりは机の上にランタンが一つ。
荷物を下ろして棚に置く。腰の剣も一緒にしておく。上着も脱いで身軽になると、食事をしに階段を下りる。
「お、来たね。すぐ用意するから、空いてるテーブルの好きなところに座っておくれ」
「ありがとう」
促されて、サムトーは壁際の座席に腰掛ける。
しばらく待つと、料理が運ばれてきた。しかし、運んできた人間を見て驚いた。まだ十代前半の少女だったからだ。
肩までの栗毛を後ろで一つ結わえにした、繊細な顔立ちのきれいな女の子だった。大人になったら、さぞ美人に育つだろうと、サムトーは余計な感想を抱いた。
「お待たせしました」
手際よくテーブルに置いていく。良く慣れているようだった。野菜類の煮込みに焼いた肉、パンがいくつかの三皿だった。サムトーはつい少女の顔を見つめてしまった。
「どうかなさいましたか?」
少女が首をかしげて問いかけた。
「いや、そんなに若いのに、大したものだと思って……」
「ありがとうございます。私、これでももう十二才なんです。フレアお母さんの後を継げるよう、頑張って仕事を覚えているところなんですよ」
「ああ、女将さんの娘さんだったのか。道理で」
「はい。私はフラウと申します」
「あ、俺はサムトー、旅の剣士だ。よろしくね」
そう言うと、思い出したように追加を頼んだ。
「フラウちゃん、エールを一杯頼むね」
その声が引き金となったわけでもないだろうが、近くから声が上がった。
「フラウちゃん、こっちも二杯!」
どうやら常連客のようだ。みな優しい表情でこの少女の働きぶりを見ている。まだ愛らしい少女には、誰もが好意的になるようだった。のんびりした雰囲気だった。
「分かりました。エール三つ!」
「あいよ。フラウ、空いた皿を下げとくれ」
「はーい」
微笑ましい光景を見ながら、サムトーも食事を始めた。焼肉はシンプルに肉の旨味があったし、煮込みも家庭的な感じでうまかった。パンも焼きたてで香ばしくて柔らかい。うまいのだが、猟師の元で食べた、咀嚼するのも大変な堅焼きパンの味も懐かしく思い出された。
「エールです」
「ありがとう、フラウちゃん」
食事を始めてしばらくして、木製のジョッキに入ったエールが運ばれてきた。大麦麦芽の麦汁にホップを加え、上面を常温で短期間に発酵させて作る、いわゆるビールの仲間である。短期間で作れるので量産に向き、一定規模の町では必ずと言って良いほど作られていた。
アルコール度数も低いので、サムトーもジョッキを景気よく傾けて飲む。のど越しが良く、苦みと旨味とアルコールが調和して、いかにも酒を飲んでる気分になれる。三分の一ほど一気に飲んでしまった。
「はー、うまいわ」
舌が新鮮になったところで、また料理に取り掛かる。こちらも素朴ながらうまかったので、つい一気に食べてしまいそうになる。そこを少し我慢して、じっくり味わっていった。
そして、さすがのサムトーも気付かなかったのだが、女性一人に男性三人の客が、離れたテーブルで密談していた。サムトーがまだ年若く、一人しかいないことを確認し、次の獲物にしようと話していたのだ。
やがて、男性三人が勘定を払って店から出た。女性の方は一人酒杯を持って、サムトーのところへとやってきた。
「お兄さん、相席いいかしら」
女性は二十代前半くらいに見えた。体の線がはっきり出る服を着ていて、自分の色香に自信があるようだった。こうやって声を掛ければ、誰でもすぐ誘いに乗ると疑っていない様子だった。
「ご自由にどうぞ」
サムトーからすれば、別に無下にする理由もない。消極的ではあったが、言われるままにさせた。
「ありがとう。私はデリア。お兄さん、名前は?」
「サムトー」
「そう。サムトーは一人旅なの?」
「そうだけど」
「行先はどちら?」
「とりあえず西の方へ」
「あら、目的地があるわけじゃないのね」
「まあ、特に当てもない一人旅だよ」
デリアと名乗った女性の方が質問を重ねていく。サムトーは食事を続けながら答えていくのだが、どうにも根掘り葉掘り、ぶしつけな感じは気分の良いものではなかった。
そう思っているのが伝わったのかもしれない。デリアが急に改まったように切り出した。
「実は、お願いがあるんです。私も西の城塞都市クローツェルを目指しているんですけど、女一人の旅だと何かと物騒で。どなたか護衛をして下さる方がいれば良いのですけど、なかなか条件の合う人がいなくて」
「はあ、そうなんだ」
「もしよろしければ、サムトーに護衛をお願いできないかしら」
「護衛ねえ。こんな初対面の若造、どこを信用すればそんな話に?」
エールをあおると、ごく常識的に疑問を口にした。
想定の範囲だったのだろう。デリアは即答だった。
「目を見れば分かるわ。それにフラウちゃんへの接し方。親切な方なのは間違いないと思ったのだけど」
こんなお姉さん連れての旅は面倒くさいな。サムトーが一番に思ったことはそれだった。とは言え、断るのも薄情かと思ってしまった。
「分かった。どんなところで俺の気が変わるかもしれないけど、途中までなら引き受けましょう。……で、報酬は?」
かかった。デリアはそう思った。
「私の体で払うってのはどう?」
「却下で」
これも即答だった。大好きな女の子と別れたばかりで、こんな得体の知れないお姉さんに興味は覚えなかったのだ。
「そう。残念ね。いい男だから可愛がってあげたかったのに」
どこまで本音かわからない表情でデリアが答えた。
「なら、町に到着するごとに銀貨一枚。目的地のクローツェルまで到着したら銀貨五枚。そんなところでどうかしら?」
「分かった。それでいい。明日出発でいいのか?」
「ええ。じゃあ明日、朝九時の鐘がなる頃に、この宿の前に来るわ。よろしく頼むわね、サムトー」
「九時だな。分かった」
デリアが立ち上がり、勘定を済ませる。サムトーに手を振って、酒場から出て行った。
「何か変なお姉さんでしたね」
入れ替わるように、フラウが隣に立っていた。
「先ほど三人の男性の方と一緒に飲んでいたのに。その方達には頼まなかったのでしょうか?」
伊達に店で給仕をしていない。客の動向をよく見ていた。子供にも何か裏があると分かってしまうような粗雑さだった。
「ま、何かあるんだろうさ。退屈しなくていいよ」
サムトーは気軽にそう答えた。ゴタゴタがあっても、一人ならどうとでもなる。残りのエールを胃に流し込むと、立ち上がって礼を言った。
「フラウちゃん、ありがとな。じゃあまた明日」
そう言って、エールの分を追加で支払うと、自分の部屋へと戻っていくのだった。
翌朝、井戸端で水を一杯飲むと、剣の素振りを始めた。一人旅では、猟師や旅芸人の暮らしと違い、歩く以外に体を鍛える方法がない。剣の腕が鈍っては不測の事態に対応できない。基本の型だけ、左右交代で六種類百本ずつ軽く振った。
その後、洗顔や着替えなどを済ませて、一階へと下りる。女将さんもフラウもすでに働いていた。
テーブルに着くと、朝食はすぐに出てきた。パンとスープ、サラダに卵焼き。軽く簡単なメニューだが、やはり素朴な味わいが舌に心地良い。
「ごちそうさま。朝飯もおいしかったよ」
皿を下げに来たフラウに声を掛ける。
「喜んで頂いて、お店としてもうれしいです」
フラウの返答も堂に入ったものだ。客に喜んでもらうための宿屋、それが商売だとよく理解している。十二才で立派なものだと思った。
サムトーは一旦部屋に戻った。荷物を準備し、腰に剣を下げ、いよいよ出発である。
まだ約束の時間まで一時間近くある。少し街中を見て回った。さすがにこの時間開店している店は、精々がパン屋くらいである。ついでにと思い、昼飯用のパンを調達しようと考え、店の中に入る。
昼食用の丸パンや、バゲットなどの切って食べるパン、具材と一緒に焼いたパンなど、種類も豊富である。これまでの生活では、具材と一緒に焼いたパンは珍しかったので、ベーコンとチーズを一緒に焼いたのとコーン入りのを一つずつ買った。紙袋に入れてもらったそれをリュックに入れる。
そうこうしている間に、九時の鐘が鳴った。余談だが、時刻を知らせるのは神の僕たる者の仕事で、教会が朝六時から一時間ごとに夕方六時まで鐘を鳴らすことになっている町が多い。何せ時計が凄まじく値の張る代物なので、所持しているのが教会だけ、という町が多い。なので、教会のない町では、時刻を知るのは日時計か、太陽の高度を見てのことになる。
サムトーが宿屋の前に戻ると、デリアはもう来ていた。昨日とは違い、ズボンと上着の組み合わせで、ちゃんと旅に出る服装だった。
「サムトー、あなた剣士だったの?」
今頃になって問いが来た。昨日は剣を部屋に置いたままだったので、気が付かなかったようだ。言葉に多少の恐れを感じたのは、恐らく気のせいではないだろう。
「まあね」
「それは頼もしいわ。改めてよろしく、サムトー」
こうして二人は街道を西に向かって歩き出した。
三十分ほどで民家が途絶えた。町の範囲も終わりである。
さらに三十分ほど歩き、日もだいぶ高くなった頃である。
男が三人、道を塞いでいた。年の頃は三十前半ないし二十代半ばくらい。デリアとほぼ同年代に見えた。フラウが見たら、昨日一緒に飲んでいた四人だと気付いたかもしれない。
ああ、これか。サムトーは呆れた。
そうすると、金を置いて行けば無事に通してやる、とか何とか次は言うのかな、とのんきに思っていた。
三人の男の中で、一番体格の良い男が言った。
「よお、兄ちゃん。ここを通りたいかい?」
「そうだね。もしかして通行止めかい?」
「よく分かってるじゃねえか。ここを通るには通行料が必要なのさ」
「断ったら?」
「力ずくでも払わせてやるよ」
三人が武器を構えた。木の棒である。刃物ですらない。
サムトーは、腰の剣が見えないのだろうかと呆れ果てた。
そこでひょいと左に動いた。背後から殺気を感じたのである。案の定、デリアが隠し持っていた棒で、サムトーに殴り掛かるところだった。バランスを崩して、よろめきながら前に出ていった。
「なるほどねえ。こうやって小金稼いでたのか」
マーセルの町の酒場で、一人か少人数の旅人を物色する。デリアが同行を頼み込み、出発時間とルートを限定する。三人が通せんぼし、デリアを守ろうとしたところで、後ろからガツンと一発入れて、あとは叩きのめして財布を漁るだけ、という寸法なのだろう。
「で、どうするよ。腰の剣が見えないとかぬかすなよ」
不意打ちが失敗に終わり、四人が動揺した。腕に自信があるなら、正面から叩きのめそうとするはずである。それができないあたりが彼らの限界だった。そもそもろくに武器もない。
しかし、それでもここまで啖呵を切っては、引き下がれないようだった。
「なめるなよ。お前一人くらい、何とでもならあ!」
三人がサムトーを包囲するように動いた。違う方向から一斉に掛かれば何とかなるだろうと思ったらしい。
「はあ、面倒くせえ」
サムトーが腰の剣を鞘ごと抜いた。構えもせずに軽く流す。
「うおおりゃああ」
悪党だからこそ、自分を奮い立たせるのに怒号が必要なようだった。大声を上げて、棒を振り上げ、力一杯に振り下ろそうとする。
その瞬間、サムトーが動いた。棒が持ち上がった隙に、剣で三人のみぞおちを強く突いた。急所に強打を浴びて、男達が気絶する。
「え、え、ええ?」
ダリアが一層狼狽した。罠にはめたつもりが、その相手が猛獣で、逆にかみつかれたようなものである。
サムトーは彼女のみぞおちを突いた。崩れるように地面に倒れる。
サムトーが面倒がったのはこの後の処置である。
「仕方ねえ。戻るか」
念のため、四人の手足を拘束し、自警団に身柄を引き渡すべく、出発してきたばかりのマーセルの町に戻るのだった。
町に戻るのに速足で四十分ほど。自警団の詰所で事情を説明するのに十数分。自警団が馬車を手配して、四人が倒れている現場に到着した頃には、正午くらいになっていた。身柄を自警団の簡易牢に放り込み、調書を作成するのにさらに一時間。サムトーが解放されたのは、その後だった。見事に昼食を食べ損ねてしまった。
仕方なく、町の中心部にある公園へと向かう。神聖帝国では、火災などの対策として、延焼を防ぐと共に避難場所として活用するため、大なり小なり公園が造られていた。その一角にあるベンチに座り、朝に買ったパンをかじり始めた。
「こりゃ、今日もここで一泊かな」
日が傾き始めるのも時間の問題である。適当に行けるところまで行っても良いが、小悪人をやっつけたところで、気が削がれてしまった。
「あれ、サムトーさん」
ちょうどそんなところに声がかかった。この町で見知った相手など、世話になった宿屋の親子と雑貨屋のトビアスくらいである。
すると、宿屋の娘フラウだった。
「どうしたんですか。きょう出発されたはずじゃ」
「ああ、ちょっとトラブルがあってね。襲ってきた悪者を倒して、自警団に引き渡したんだよ」
そんな風に簡潔に事情を話した。
「もしかして、昨日の四人ですか」
「やっぱ分かるんだ」
「ええ。怪しかったですし」
フラウの方も、昨日の四人組のことは印象に残っていたようだった。
「おっと、ごめん。フラウちゃん、何か用事があるんだろ。引き止めちゃ悪いよな」
「いえ、ちょっとくらい大丈夫です。食材などの買い出しだけですし」
良い子だなあとサムトーは感心した。頭もいいし、仕事もしっかりしてるし。話し方も丁寧だし。
それで気分が上向きになったところで、残ったパンを口に放り込んで、提案してみる。
「いやあ、暇になっちゃってさ。買い出し手伝わせてくれない? 荷物くらい、いくらでも運ぶし。で、ついでに今晩もお世話になろうかと思って」
「え? でも悪いですよ」
「悪くない、悪くない。むしろ暇を持て余した俺を助けると思って。買い出し楽しそうだなあ、一緒に行きたいなあ」
フラウが笑った。元々憎めないタイプのサムトーである。その上、こんなこと言い出されては、さすがにおかしくてたまらなかったようだった。
「分かりました。じゃあ、荷物持ち、お願いしますね」
「やった! 助かる~」
そうして二人は市場へと向かった。
買い出したのは、まず野菜類。サムトーにとっては新鮮で、品揃えを見ていくのは楽しかった。
「俺、実は野菜を自分で買ったこと、ないんだよね」
「そうなんですか。何か理由でも?」
「一人旅する前は旅芸人達と一緒でね。買い出しの手伝いはしたことあるけど、自分じゃ買わなかったから」
「でも、旅暮らしだったんですね」
「そうだね。いろんな町に行ったなあ」
そんな会話をしながら、品物を確認していく。
そして、隣のたった十二才の少女が、メモを見ながらとは言え、てきぱきと注文していくのには驚いた。これはさすがに重いため、店の人に配達を頼んでいる。ここでは分量を伝えて代金を支払うだけだった。
次いで肉屋。サムトーには猟師時代が懐かしく思えた。
「俺、猟師達に世話になってたこともあってさ。獲物を捌くのって、結構大変なんだよね」
「うわあ、私、そういうの見るのダメかも」
「分かる、分かる。ある意味、残酷だからね」
フラウが両手を振った。否定的な物言いを恥じているようだった。
「うーん、でも嫌ってるわけじゃないんですよ。そういう仕事されてる方のおかげで、お肉が食べられるわけですから」
「それが分かってるだけでも、立派なことだと思うよ」
飼育と屠畜の行きつく果てに、肉類はようやく店に並べられるようになるわけだ。たった十二才で、そんなところに考えが及ぶのは、本当によく大したものである。良くできた娘だと、サムトーはさらに感心した。
ここでは、牛、豚、鶏肉を合計で五キロほど購入する。こちらはサムトーが運ぶことを申し出て、荷物を預かった。
それから調味料、香辛料の類。
「へえ、味付け一つにも、いろんな物が使われてるんだなあ」
この種の店には、サムトーも来たことがなかったので、味付けにこれほどいろいろな種類があることを知って、驚いていた。
「そうなんです。うちのお父さんは使いこなしが上手で。塩にするか、ソースにするかとか、ハーブの使い方とか。胡椒や唐辛子で辛みを少し増すと、味が引き立つとか。少しずつ教わってるんです」
「そうか。山猫亭の料理長は、フラウのお父さんだったんだ」
「はい。おいしい物作れる、自慢のお父さんです」
ここでは、ハーブ類をいくつかと胡椒、唐辛子を買った。
パンは厨房で焼いているとのことで、最後に小麦粉と豆類を買い足した。大きな箱から袋に入れて重さを量る。肉類と合わせて、結局十キロ以上の重さになってしまった。
「ごめんなさい、重いでしょう?」
「大したことないさ。それに、剣士としての鍛錬にはちょうどいいよ」
そんな軽口を叩くあたりが、やはりサムトーだった。
一通り買い出しが済んだところで、山猫亭に戻った。
通用口から、フラウが帰宅を告げた。
「戻ったよ。……あ、荷物はそこに置いて下さい」
厨房の一角、台の上を指す。サムトーは言葉に従って、荷物を置く。
「おかえり。……って、こちらはどちらさまだい、フラウ?」
出迎えたのは父親だった。料理長で常に厨房にいるため、サムトーは昨日会わなかったのだ。調理用の白衣が様になっている格好の良い男性だった。
「あ、昨日泊まってくれたサムトーさん。今朝出発したんだけど、悪者退治したおかげで、戻ってくる羽目になっちゃったんだって。暇だからって買い物手伝ってくれたの」
「それは娘がお世話になりました。フラウの父、サイラスです」
「旅の剣士サムトーです。今晩もお世話になります」
サムトーが頭を下げる。
サイラスは優しい父親らしい。笑顔で娘に話しかけた。
「フラウ、買い出しありがとう。おやつがあるからお茶休憩にしな。良かったら、サムトーさんもどうぞ」
フラウに案内され、厨房を通って店のテーブルに出る。サイラスが焼き菓子の乗った皿とカップに紅茶を用紙してくれた。
「おいしいお菓子だね。さすが料理上手。昨日の夜も今朝も、食事がおいしかったし」
お茶菓子を味わいながら、サムトーが素直に称賛する。その父は、今頃は料理の仕込みで相当忙しいはずだ。母のフレアと厨房係の店員が二人、手伝っているはずだった。
「ありがとうございます。やっぱりお父さんが褒められると、私もうれしいですね」
「俺も、ちょっとくらいは、料理できるようになりたいかも」
「そうですね。私も料理っていいなって思うことあります。大変だけど、やりがいのある仕事ですよ。それに、お父さんもお母さんも、今仕込み中ですけど、作業が私の倍は速くて、すごいんです」
誇らしげな答えだった。やりがいのある仕事を頑張っている両親のことを、心から尊敬しているのが伝わってきた。
「それより、四人も相手に、どうやって倒したんですか?」
急に話題が変わった。悪者退治と聞いていたが、何をどうしたのか、好奇心があったのだろう。
「どうって、みぞおちって急所、ここね、ドンと一突きして気絶させた」
サムトーが自分のみぞおちを指差して、ざっくりと説明した。
「四人もいたのに? そんな簡単に?」
「いやあ、相手が弱かったからね。こう見えても剣士だから」
説得力を持たせるために剣士などと言ってみたが、フラウは納得したようなしてないような、微妙な顔つきだった。正直、サムトーにとっては素人の攻撃など、奴隷剣闘士時代の過酷な戦いに比べたら、遊びにすらならないのだが。
言っても仕方ないので、この件は終わりとばかりに言った。
「ちゃんと牢屋に入るとこまで見届けたからね。とりあえず一安心」
フラウはもう少し詳しく聞きたかったようだが、遠慮が先に立ったのだろう。サムトーの言葉に同意した。
「そうですね。悪いことする人が捕まって良かったです」
そんな会話をしているうちに、母のフレアが厨房から出てきた。
「そろそろ店開けるよ。フラウ、給仕の支度しておいで。サムトーさんは今晩も泊まるんだろ? また記帳をお願い」
もう夕方に近い時間だった。
「ありがとう、フラウちゃん。本当なら退屈で、時間持て余すところだったのに、おかげで楽しかったよ。また後でね」
サムトーが心から感謝を言った。
「はい。じゃあ、また後で」
フラウが厨房の方に姿を消した。
代わりにフレアが声を掛けてきた。表情に好奇心が現れていた。
「何でも、悪者退治してたんだって? こういっちゃ何だけど、サムトーさん、見かけより強かったんだねえ。さすがは剣士さんだよ」
このマーセルの町では、滅多に事件も起きないだろうから、興味も湧こうというものである。
「まあ、そのおかげで、山猫亭さんにまたお世話になれますんで。ちょうど良かったかもしれませんね」
「あら、上手なこと言うじゃない」
「いえいえ、居心地良かったですよ。料理もうまいし」
「そう。ありがとうね。部屋は昨日と同じでいい?」
「はい。お願いします。荷物置いたら、また浴場行ってきますね」
そんな具合で連泊することになったのだった。
夕方、公衆浴場を訪れると、もう午前中の事件の噂が飛び交っていた。
「こんな町で強盗騒ぎとはねえ。物騒でいけねえ」
「いや、何でも旅の若いもんが返り討ちにしたとか」
「滅多に使わない牢屋が、珍しく満員だよ」
サムトーは体を洗いながら、そんな言葉を耳にしていた。
すると、当然だが、傷だらけの体を見て、もしかすると、と思う者も出てくる。
「なあ、そこのお兄ちゃん。もしかして、お前さん、今日の強盗騒ぎで悪者やっつけたお人かい?」
「まあね」
湯を掛けながら、サムトーが答える。周囲にいた数人が、おお、という声を上げた。
広い湯船につかったところで、野次馬の質問が飛んでくる。
「どんな奴が相手だったんだい?」
「どうやって倒したんだい?」
「倒した後、どうやって牢屋にぶち込んだんだい?」
サムトーは苦笑いしながら、ざっくりと説明した。四人のうち女が一人いて、護衛を頼んできたこと。実はそれが罠で男三人が待ち構えていたこと。金目当てで襲ってきたから応戦したこと。相手が弱くて一発で気絶させられたこと。手足を縛っておいて、自警団を呼んで、その馬車で運んだこと。
「ま、そんなで、全然大したことない事件だよ」
「ほええ、お前さん、やっぱり歴戦の勇士だったんだなあ」
「四人も倒しといて、大したことないとは、さすがじゃなあ」
野次馬の賞賛をもらっても、あまりうれしくはない。とは言え、楽しそうに聞いていたので良しとしようかと、サムトーは思った。
「いや、いい土産話ができたわい。ありがとうな、若いの」
「そりゃあ良かった。じゃあ、先に上がらせてもらうよ」
そう言って、サムトーは山猫亭へと戻っていくのだった。
まだ日が沈んだばかりだが、山猫亭は昨日と同じく、そこそこの客で賑わっていた。
「ただいま、フレアさん。とりあえず、エールを一杯」
サムトーはそう声を掛けると、空いているテーブルに腰掛ける。
「お、勇士様のお戻りだぞ」
「このお人かあ。見かけ以上に強いってのは本当らしいな」
などと、ここでも野次馬が噂話をしていた。よほど娯楽に飢えているのだろう。こんな事件でも珍しさで盛り上がれるようだった。
勘弁してくれ、これで何度目だ。サムトーは表情に出さず、心中苦り切っていた。
「エール、お待たせ」
フラウがジョッキを運んできた。表情がちょっと苦くなっていた。
「ごめんなさいね。お母さんが、事件の話してたお客さんに、『悪者退治したのはうちの泊り客だよ』とか言っちゃったものだから」
「ははは、しょうがねえなあ」
二人で苦笑する。
やがて、互いに苦笑いしたのがおかしくて、二人は揃って本当の笑顔になった。
「……まあ、二泊も世話になるんだし、お礼代わりにはなるかな」
サムトーが立ち上がった。
「山猫亭のお客人、悪党退治の話、聞きたいかい?」
そう呼ばわると、浮かれた反応が返ってきた。
「ほんとかい、ぜひ頼むよ」
「ちょうど聞きたいと思ってたんだ」
サムトーはジョッキを持ったままカウンターへと移動し、観客の方へと体を向けた。旅芸人の一座で、座長が口上を述べたときのことを思い出しながら、聞き手の興味を惹くように話し始めた。
「事の起こりは昨日の晩だ。この山猫亭に四人の客がいた。獲物になりそうな旅人を物色していたわけだ」
「ほうほう、それで?」
サムトーはジョッキをあおって続ける。
「そのうち一人は妙齢の女性。自分の色香に自信のあるタイプだな。そいつが俺のところにやってきて、護衛をお願いしてきたわけだ」
「そりゃ断り辛いな」
「明日、というか今日だな。待ち合わせをして町を出ると、そこで三人の男が待ち構えてるって寸法だ。そういう罠だったわけだ。そんで、相手の男達が『ここを通るには通行料が必要なのさ』とこうだ。断ったら『力ずくでも払わせてやるよ』と来たわけだ」
「そりゃまずいな。男三人だろ。大丈夫なのかよ」
「ところがどっこい、相手の得物はただの木の棒。しかも武芸の心得一つありゃしない。素人が力任せに殴ってきても、怖くも何ともありゃしない。むしろ大きな隙ができるだけ。棒を振り上げたせいで、急所のみぞおちが、がら空きってことになるわけだ。そこで一突き喰らわせりゃ、あっさり気絶って寸法だ。それをあと三人繰り返して、四人あっさり倒れたってわけさ」
振り付け入りでサムトーが語る。こと戦いの場面には、客も興味津々だった。全く打ち合いがなく、あっさりし過ぎてはいても、悪党が倒されたと聞いて、単純に喜んでいた。
「そりゃお見事だ」
「相手に一発もやらせないんだから、大したもんだ」
「てなわけで、両手両足縛っておいて、この町の自警団を呼びに来たと。自警団が馬車を用意してくれて、あとは牢屋にぶち込むだけ。とまあそんな具合だったわけさ。……お聞き頂き、感謝申し上げまする」
ほおーという声と共に拍手が沸いた。サムトーは一礼して、元居たテーブルへと引っ込んでいった。
「エール三杯!」
「こっちもエール頼む!」
講釈を聞き終えて、少し興奮気味なのだろう。こういう時は得てして酒が飲みたくなるものだ。注文が殺到して、フラウと給仕二人が忙しくジョッキを運んでいく。
そして酒が入ると、感想を語り合いたくなるものだ。振り上げて隙ができるったってほんの短い時間だろ、とか空いたみぞおちっても正確に狙うのは難しそうだ、とか、何だかんだとよく聞き、考えていたようだった。
給仕が一段落着いたところで、サムトーもフラウに追加の注文をした。
「夕食と、エールをもう一杯頼むね」
メモを取りながら、フラウも感想を話してきた。
「強いだけじゃなくて、お話も上手ですね。つい仕事忘れて聞き入ってしまいました」
「ありがと。これも旅芸人の芸の一つってことさ」
「言ってましたね。旅芸人達の所にいたって」
「うん。楽しい一座だったよ」
まだ二日しか経っていないが、懐かしさを感じる。あの日々は、本当に充実した毎日だった。
「……旅芸人さんですか。隣のカムファには来ますけど、この町には来ないんですよね。小さい頃、お父さん、お母さんに連れて行ってもらって、一回だけ見たことがあります。とにかく凄かった、としか覚えてないですけど」
「そうかあ」
「機会があったらまた見てみたいです。サムトーさんも何か芸をしてたんですか?」
「俺は雰囲気を盛り上げる演奏の担当。銅の縦笛を吹いてた」
「楽器もできるんですか。すごいです」
「他に太鼓とラッパ、ギターの人がいてね。音楽があると、ないより舞台も盛り上がるから。楽しかったよ」
「楽器の演奏ですか。楽しそう。私も見てみたいなあ」
そんな会話がうれしかったのだろう。フラウは中々話を切り上げようとしなかった。それに気付いた母のフレアが優しくたしなめた。
「フラウ、エール運んでおくれ」
「あ、いけない。つい話し込んじゃった。……じゃあ、また後で」
「こっちこそ引き止めてごめんね。お仕事頑張って」
サムトーも少し反省して謝った。
それにしても、一人旅だというのに、初日から多事多端だなとしみじみと思った。まあ、明日旅立ってからは、事件もなく、退屈を持て余すことになるかもしれないが。
とは言え、今こうやって酒場で盛り上がる人々を眺めているだけでも、退屈しないものだ。フラウやフレアの働く様子も、見ていて飽きない。一人旅の道中でも、何かしら退屈の紛れるものがあるだろう。
そんなことを思っていると、夕食とエールのお代わりが来た。
「お待たせしました、サムトーさん」
「ありがとう、フラウちゃん。では、早速いただきます」
今日は野菜の煮込みがトマトベースだった。肉も揚げ物になっていた。味も昨日と同様にうまい。毎日献立を変えるところが、客のために手間を惜しまないことを示していた。その良い仕事に好感をもった。
エールをあおると、苦みと旨味が、料理の後味をさわやかにしてくれる。
「にしても、うまい料理にエールってのが、またうまいわ」
サムトーは、交互にうまさを味わいながら、のんびりと料理と酒を平らげた。食べ終えた頃には、ちょうど夜になっていた。客層も夕方一杯ひっかけにきた人々から、夜本格的に飲む人々へと入れ替わりつつあった。
「さて、部屋に引き上げますね」
フレアにエールの代金を払って、サムトーは自室へと戻った。
フレアが娘のフラウを呼び、優しく話しかけた。
「今日はもう上がりでいいよ。今のうちなら時間も大丈夫だし、せっかくだから、サムトーさんと話しておいで」
娘の方は、急な母の申し出に驚いていた。
「お母さん、仕事はいいの?」
「そんなに混んでないし、あたしとあと二人で十分さね」
「でも、悪いよ」
「悪くない。というか、サムトーさんも明日には旅に出ちまうんだし、今日しか話、聞けないからね。あんなに珍しいこと体験してきた人間になんて、滅多に会えるもんじゃないさ。話聞くだけでも貴重な経験になるから、遠慮なく行っておいで」
「ありがとう、お母さん!」
フラウがうれしそうに階段を上っていく。
二階の一番隅の部屋をノックした。
「はいはい、今開けますねー」
間延びしたサムトーの声で扉が開いた。
「フラウちゃん、どうしたの? 何か用事?」
「はい。お母さんが、旅の話とか今日しか聞けないからって。サムトーさんと話していいよって、言ってくれたんです」
「そうなんだ。俺なんかの話でよければ、いくらでもするよ」
サムトーは部屋にフラウを招き入れると、椅子を勧めた。自分はベッドに腰掛ける。
「どんな話を聞きたいのかな?」
「じゃあ、まず旅芸人さんのこととか」
「分かった。そうだな、旅芸人って言っても、俺がいたのは、三十人ばかりいる一座でね。一人で旅して芸をする人と違うんだ……」
移動先の町で大きな天幕を張り、観客を集めて公演すること。一座の面々が交代でいろいろな芸を見せること。毎日天幕を別に張って寝泊まりしていること。馬車十台で移動していたこと。昼食休憩の時、芸の練習をしていること。移動先で買い出しをして食料や物品を補充すること。一座の人達は温かく、互いに助け合って生活していたこと。等々。
サムトーは、楽しかった日々を思い出して、それを話すことに喜びを感じていた。まだ二日しか経っていないが、大切な思い出だった。
そして、この町からほとんど出たことのないフラウにとっては、どの話も新鮮で興味深いものだった。母の言う通り、貴重な経験だった。
「その銅の縦笛って、今も持ってるんですか?」
「あるよ。ちょっと待って。……あった。これだよ」
サムトーがリュックから笛を取り出す。
フラウに手渡すと、よほど興味があったらしく、いろいろな角度から見回していた。
「ちょっと吹くところが見たいです」
フラウが笛を返しながら、そんなことをねだってきた。
サムトーに断る理由はない。
「じゃあ、ちょっとだけ」
サムトーは一瞬何の曲にしようか考えた。やはり景気の良いのがいいだろうと思い、曲芸の時に雰囲気を盛り上げる曲を吹いた。明るく、迫力を出すための躍動感ある旋律だった。もちろん、音量は控えめにしてある。
曲が終わると、フラウが拍手した。
「とても上手ですね。感動しました」
言葉通り、感動したことが表情にも出ていて、瞳が輝いていた。
サムトーにしても、芸で喜んでもらえるのは、やはり何よりうれしい。一人旅に出ても、まだ旅芸人から抜け切れていないようだった。
そこで再び扉をノックする音が響いた。
「フラウ、もう遅いから、そのくらいで休みなさい」
フレアが顔を出した。夜もかなり更けた時間になっていたようだ。二人はそれだけ長く話し込んでいたのだった。
「ありがとう、サムトーさん。こんなにいろいろ話してもらって、とてもうれしかったです」
「こちらこそ。喜んでもらえて何より」
「では、もう寝ますね。おやすみなさい」
「おやすみ、フラウちゃん」
扉を閉めると、フラウは大きく息を吐いた。自分の知らない世界で、充実した生き方をしている人がいることを知った。そんなサムトーを、心から凄い人だと思っていた。
翌朝、サムトーが剣の素振りをしていると、フラウがやってきた。
「おはようございます。朝早いんですね。剣の稽古ですか」
「おはよう、フラウちゃん。剣の腕が錆びつくといけないからね。軽く振ってるんだ」
しばらく素振りを見ていたフラウは、すっかり感心していた。
「すごいですね。剣の場所が全然ずれないです」
「そりゃね。正確さを維持する練習だからさ」
言い終えた頃には、素振りが終わっていた。
水を一杯飲んで、一声かける。
「じゃあ、また後で」
「はい、また後で」
剣を片付けて、朝食を食べに下りていくと、ここでもまたフラウと一緒になった。客も少ないので、少し会話をした。
「今日出発ですよね。どちらへ行くんですか?」
「西の城塞都市クローツェルってとこまで、足を延ばそうかと思ってる」
「歩きだと六日か一週間ですね。結構遠いです。そこで何か用事でも?」
「いや、気ままな一人旅だよ。どのくらい大きい都市なのか、実際に見てみたくてね」
「一人旅って、寂しくありませんか?」
フラウが心配そうに見つめてきた。本気で考えているのがよく分かる表情をしていた。
「そうだね。たまに退屈するかな。でもまあ、初めての土地に行くのが楽しみだから、そんなに気にはならないかな」
「どこかで落ち着いて暮らそうとか、考えたりは……」
言いかけて、フラウが自分の言葉に驚いた。何か心がもやもやして、それがそのまま口から出てしまったようだった。頭を振って、自分の考えを切り替える。
「……って、私、何言ってるんだろう。ごめんなさい。何でもないです」
「そう? 何でも言ってくれて、大丈夫だからね」
サムトーが優しくなだめた。どうしてフラウが心配そうな表情になったのか分からなかったが、会ってまだ二日、こんな心配してくれるとは優しい子だな、と思っていた。
ともあれ朝食も取り終え、自室に戻って、旅仕度をした。今度こそ出発である。この町に再び来ることは、果たしてあるのだろうか。
宿の出入り口で、女将さんとフラウが見送ってくれた。
「二日間、温かなおもてなし、ありがとうございました。おかげで楽しい時間が過ごせました」
サムトーが本気で礼を言った。心からの実感だった。
「そう言ってもらえてうれしいね。サムトーさんも良い旅を」
「サムトーさん、ありがとうございました。買い出しの手伝いや旅芸人さん達の話、ずっと忘れません」
「ありがとう。では、行ってきます」
二人と握手を交わし、手を振ると、サムトーは街道を歩き始めた。
二人は深々と頭を下げ、そして手を振り返した。
やがて、サムトーの姿が見えなくなった頃。フラウが自分の手をじっと見つめた。
(見かけによらず、ごつい手だったな。それだけ苦労してきたんだろうな)
そんなことを思っていると、なぜか両眼から涙が出てきた。
「あれ、あれ?」
拭いても拭いても、涙が途切れることはなかった。
母のフレアが、フラウの肩をやさしく抱きしめてくれた。
「そっか。フラウももう、そんな年頃だったんだね」
「……どういうこと?」
「多分、これが初恋だったんだよ」
母に言われて、フラウも、ああそうか、と納得した。サムトーに惹かれていたのは確かだった。話や笛が上手で、強くて、優しくて、そして面白い人だった。そんな彼と、もっと一緒にいたいと思っていた自分がここにいた。初めて好きになった人として、サムトーの思い出は、ずっとこの先も残り続けるのだろう。
フラウが涙を拭ってつぶやいた。
「そっか。そうだったんだ。ありがとう、サムトーさん」
二人は店の仕事をするために、宿へと戻っていった。
さて、フラウの思いに気付かぬまま旅立ったサムトーである。
だが、さすがに面倒事は続けて起こらなかった。
朝、まだ日も高くないうちに出発し、そろそろ正午である。途中、二度ほど休憩したが、すれ違う人も、他の旅人を追い越すことも、馬車などに追い越されることもなかった。本当にのんびり一人旅だった。
昼食は山猫亭特製の野菜サンドとチキンサンド。面白い話をしてくれた礼にと、父がサービスで用意してくれたものだった。木陰に座って、のんびり景色を眺めながら、ゆっくりと頬張る。さすがは山猫亭、やはりうまい。
食べ終わると、またのんびりと出発する。
日が傾き始めた頃、民家が散在しているところまで来た。景色も木々や草原から耕作地が広がるものに変わってきた。秋撒きの野菜類と小麦が育っているのが見えた。遠くに見える山々では、紅葉が始まり、所々色づいているのが見えた。もう十一月である。
やがて、いくつかの集落が見受けられた。どうやら次の宿場町が近いらしい。
市街地へ入ると、それなりの人出があった。商店と宿屋が混在していて、買い物客やとりあえず夕方に一杯という客が、買い物をしたり目当ての店に向かったりする様子が見られた。
さて、今日の宿屋を決めようか、サムトーがそう思って、宿屋の看板を物色し始めた時、たまたま視界に街道脇で座り込んでいる老婆を見つけた。
他の人々は、自分の用事に気を取られてか、その老婆には気付かない様子だった。サムトーは放ってもおけず、老婆に近づき、声を掛けた。
「おばあさん、何かお困りかい?」
声が掛かるとは思わなかったのか、老婆が驚いた。
「な、なんだい、お前さんは」
「いや、何か困ってる風に見えたんでね」
驚かれて、サムトーも驚いた。この町には、困っている人に声を掛ける習慣がないのだろうか。
「ああ、すまんのう。なに、荷物が重くて、家まで運ぶのに難儀しとってな。一休みしてただけなんじゃ」
なるほど。他の人達は、この老婆がこうやって一休みしているのを、時々見かけていて、いつものことだと思っていたようだった。
「嫌でなければ、俺が運ぼうか?」
一人旅で特にすることもない。そう申し出ると、老婆が不思議そうな顔になった。
「お前さん、変わっとるの。町の者で、運ぼうとか言う奴は滅多におらん」
「旅人だからね。暇なんだよ。だから、遠慮はいらないぜ」
「ふーむ。それなら頼もうかの」
老婆が腰かけていたのがその荷物だった。四角い網籠で、持ち上げてみると十キロ近い重さがあった。老婆には厳しいはずだ。
「じゃあ、お婆さん、案内よろしく」
「分かっとる。こっちじゃ」
老婆に連れられて、街道から外れた道に入る。いくつか道を曲がり、市街地のはずれの方へ出た。そこまでおよそ十五分。老いた体に重い荷物持っての十五分はきついわけだ。
「ここじゃ。……ただいま、帰ったぞ」
「おかえりなさい。あら、どちらさま?」
老婆の家に着くと、三十代くらいの夫婦と子供が二人が出迎えた。見知らぬ男が一緒で、少し驚いたようだった。
「こちらの若いもんが荷物を運んでくれてな。すまんかったな」
「大したこっちゃないです。それじゃ、俺はこれで」
家族と同居しているなら安心だと思い、立ち去ろうとすると、老婆が呼び止めた。
「せっかくだし、茶でもどうじゃ?」
「いえ、宿を決めてないので、ここで失礼しますよ」
ありがたい申し出だったが、長話になりそうだったので、遠慮しておくことにした。さっさと宿を決めて、公衆浴場に行こうと思っていたのだ。
「いや、何のお礼もなしにお帰り頂くのも……」
父親としては、母が世話になってそのままというのは、気が引けるようだった。気持ちは分からないでもないが、本当に大したことではない。
「お気持ちだけ受け取っておきます。……そうだ、礼代わりと言っては何ですが、メシのうまい宿屋を紹介して頂ければ助かります」
「そうですか。でしたら、スミレ屋さんがいいと思います。こじんまりしたちょっと古い宿屋ですが、食事は間違いなく良いですから」
「ありがとう。じゃあ、そこに行ってみます。それでは」
サムトーはそうして町へと戻ることにした。
元来た道を、うろ覚えで歩いていくうち、再び街道に出る。
しかし、街道沿いの看板のどれを見ても、スミレ屋なる宿屋は見つからない。街道から路地に入り、別の道を探してみる。すると、一本裏通りに入った道沿いに、目当ての宿屋はあった。
「ごめんください。今晩泊まれますか」
店内に入って声を掛けると、出迎えたのは別の老婆だった。今日は老婆に縁があるらしい。
「空いとるよ。というか、最近は客も少なくてな。今夜は下手すりゃお前さんだけかもしれんの」
そう言って、老婆が笑った。
いや、客商売として笑っちゃダメだろ、それ。そうツッコミたかったが、さすがに止めておいた。
店の内部は四人掛けのテーブルが五つ、本当に小さな店だった。夕方に一杯飲んでいる客さえ誰もいない。
「夜になると、常連さんが何人かは飲みに来てくれるがの」
サムトーの考えを推し量ったように、老婆が言った。
なるほど。泊まる分には十分かと思い、一泊お願いすることにした。
「先に洗濯済ませたいんだけど、水場は?」
「ああ、そこの勝手口から裏に出ればええ。好きに使っておくれ」
部屋の鍵をもらい、二階の部屋で荷物を下ろすと、昨日の着替えを持って水場へ向かった。井戸があり、隣の石畳で洗濯できるようになっている。ざっくりと洗って絞り、部屋に持ち帰って干しておく。一晩のうちには乾くはずだ。
鍵を閉め、一階へ降りると、再び老婆へと話しかけた。
「じゃあ、公衆浴場に行きますので、場所教えてもらえます?」
風呂から戻って、エールを一杯注文する。客は一人もおらず、閑散としたものだった。
給仕は若い女性だった。暇そうにしていたので声を掛けてみた。
みんな街道筋の店や宿に行ってしまうので、裏通りのこの店には町の外の客が来ることはほとんどないという。この店も、厨房に一人、給仕が一人、女将が一人のたった三人で回しているという。厨房も給仕も、親がそれぞれ女将の娘と息子で、共に実家は農業を営んでいた。二人それぞれの実家には兄弟がいて、もう跡継ぎも決まっているので、祖母の商売を手伝うことにしたのだという。
サムトーは、感心しながら話を聞いていた。人それぞれ、いろんな事情があるものだ。この店を勧めてきた父親の母、あの老婆は、もしかするとここの女将の友人か何かなのかもしれない。それで客の少ないこの店の助けにと思い、紹介したのではないか。そんなことを考えるのも面白いものだった。
話し込んでいる間に時間も過ぎ、夜も近くなってきたので、夕食を注文する。パンではなく、パスタが出てきた。具は豚肉とナス、ピーマン、タマネギのオイルベース。こんもりチーズが振ってある。それにサラダとトマトベースの具だくさんのスープ。
それが思った以上にうまかった。旅芸人だった頃、仲間達と食べたパスタといい勝負かもしれない。あの父親も意味なく勧めたわけでなく、きちんと根拠があったのだ。
腹も満足したところで、部屋へと戻る。
机に地図を広げ、これまでの足跡と、今後の旅程とを考えてみた。ランタンの明かりを頼りに、地名を指で追っていく。
カターニアの町から逃亡し、トルネルの町へ。そこからひたすら北上し、北の城塞都市ニールベルグへ。そこから別のコースを南下してカムファの町から西へ。その先には城塞都市クローツェルがある。神聖帝国の直轄領で、騎士団が駐屯しているという噂である。
(あれから半年か……)
サムトーは奴隷剣闘士だった。半年前、百名ほどの仲間達と反乱を起こして逃亡、以後猟師の元と、旅芸人の元を渡り歩いた。逃亡奴隷という素性が知れると、所有者が再度の所持を望まない限り、原則として処刑される。それを避けてきた結果、今の一人旅に至る。時効成立は五年。それまでは何としても逃げ切る必要があった。
果たして騎士団は半年前の逃亡奴隷など追っているだろうか?
旅芸人の一座は、人口の比較的多くない町を巡ってきた。言い方は悪いが、そんな田舎町で逃亡奴隷などを手配していることはなかった。例外は北の城塞都市ニールベルグだ。人口十万を超える大都市だったが、ここでも手配書の類が回っていることはなかった。だから、旅芸人の一座と同行し、街中で行動しても、素性の知れる危険もなかった。
今回は一人旅だが、旅の剣士というのはそう珍しいくはない。大都会なら商家の護衛剣士などもいるから、なおのこと剣士が目立つ心配はない。
(行ってみるか。クローツェルへ)
宿屋でのんびり考える時間があったおかげで、腹を決めることができた。
大都市では何が待っているのだろう。
いろいろと珍しい物を見て回ったり、うまいものを食べたり、何かしらの楽しみがあるはずだった。
サムトーは地図をしまい、明かりを消すと、眠りにつくのだった。
翌朝、宿を出発し、街道をのんびりと西へ進む。
途中で休憩を挟みつつ、景色を眺めながら歩いていく。
宿場町で宿を取りながら歩くこと六日。
日が傾きつつある頃、街道の先の方に城壁が見えた。壁が左右に長くそびえ立っている。城塞都市クローツェルだった。
近づくにつれ、城壁が圧倒的な高さで迫ってきた。十メートルを優に超えている。街道を飲み込むように城門が開いていて、数多くの人間が出入りしていた。
馬車が四台はすれ違えるだけの幅のある門だった。
城に入る人々に混じって、サムトーも城門をくぐった。
街道の左右に、大小様々な建物がぎっしりと詰まっているように見えた。高い建物は四階建てだろうか。平屋は滅多にないようだった。さすがは人口十万を超える大都市だった。
この規模の都市ともなると、道に迷う者も多いのだろう。しっかりと街路図まで建ててあった。サムトーもとりあえず街路図を確認する。
街道は町の中央で南北に伸びる街道とぶつかっている。北側は主に貴族の別邸と軍事施設、騎士団や富豪達の住居となっていた。南に延びる街道の東西に商店が軒を連ねている。通り三本ほど商店街になっていて、その外側には市民の住居が広がっていた。
南門の周辺は本来は空き地だった。有事の際に軍が展開するための広場である。しかし、神聖帝国の統治下で平和の続いた今では、露店を構える者が大勢いて、雑多な市場と化していた。
大体の地理を頭に入れると、サムトーは、まず宿を物色しに商店街へと向かった。
夕方の買い物客と、同じように宿を探す旅人とで、通りにはかなりの人出があった。青果店、肉屋、雑貨屋、靴屋、金物屋、パン屋、惣菜店など、店舗の種類も多岐に渡る。この街で手に入らない物はないだろうと思わせる充実ぶりだった。
何件か宿屋を見かけたが、相場が他の町より高い。銀貨二枚前後の店が多いようだった。その分、建物の造りは豪華で、宿と言うよりホテルと呼ぶべきかもしれない。大通りを避けて路地へと入ると、今までの町と同じような居酒屋兼宿屋があちこちにあり、値段も銀貨一枚となっていた。
もう夕暮れ時だし、そろそろ宿屋を決めたいところだった。せっかくの大都市なので、何泊かしようと思っていた。しかし、自力で選ぶのも面倒そうだ。
近くの総菜屋で串焼きを一本注文する。それを頬張りながら、店の主人にいい宿はないか尋ねてみた。
「剣士さん、お一人で連泊ねえ。狭くてちょっと古ぼけてるが、腰を据えるには双樹亭かな。一人旅向けの宿だから、宿賃が少し安いんだ」
なるほど、それはちょうど良い。サムトーは店の主人に場所を聞くと、食べ終わった串の始末を頼んで、その宿へと向かった。三階建ての、確かにやや古びた感じの外見をしていた。
「ごめんください」
双樹亭の店内に入ると、宿屋より居酒屋が主なのではと思わせるほど、テーブルが並んでいた。雰囲気としては、一週間前に二泊世話になった、マーセルの町の山猫亭に近いものがある。賑やかで、それでいて乱暴な感じがしない。
カウンターに二十才くらいの若い女性がいた。声を掛け、用件を伝える。
「すみません、三泊ほど泊まりたいんですけど」
「お一人様ですか。部屋にはまだ余裕がありますね。二階、三階、どちらがよろしいですか?」
「なら三階で。なるべく奥の部屋でお願いします」
「ちょうど一番奥が空いてますね。では、そこで」
宿賃として銀貨三枚を支払うが、宿賃は一泊二食付きで、銅貨で四十五枚だった。大銅貨四枚と小銅貨五枚である。銅貨五十枚で銀貨一枚なので、三泊で大銅貨一枚、小銅貨五枚がおつりとして出てきた。なるほど、確かに割安である。
「では、お世話になります」
鍵を受け取って、部屋へと向かう。階段も古びた感じはあるが、掃除が行き届いていて清潔感があった。三階の奥の部屋も同様である。調度が古めかしさを感じさせるものの、部屋は明るく、ベッドもきれいだった。
「こりゃ当たりかな。総菜屋のご主人に感謝、感謝」
荷物を置いて、まずは風呂だ。
公衆浴場の場所をカウンターで聞く。何か所もあるようだが、一番近い場所を選んだ。ちょうど住宅地と商店街の境目あたりにそれはあった。
大都市だけあって、今までの町より大きな建物だった。当然、内部もゆったりと広い。客もそこそこ入っていた。サムトーも体を洗い、のんびりと湯につかる。
ちょうど日没という頃に宿へと戻る。
例によってエールを一杯。
同じように一杯ひっかけて、家へ帰る客がそこそこいて、店の出入りも多目だった。
しばらくして夕食を頼む。
パンと焼き肉、野菜炒め、スープ。定番の料理だが結構うまい。エールを追加で注文して、夕食をつまみに軽く飲む。
夜になる頃には食事も終わり、エールの代金を払って、部屋へと引き上げる。一人旅で宿に泊まるのもずいぶんと慣れた。明日は市を巡ってみようと思いつつ、眠りに就くのだった。
翌日、鍛錬と洗濯、朝食、身支度と済ませると、サムトーは南門の方へと出かけた。市の見物である。
小さな露店が所狭しとひしめいている。朝も早くからそこそこの人出で賑わっている。絨毯があると思えば、隣は装飾品、その隣は工具と言った具合で、雑多に入り混じっている。軽食、菓子、お茶、食材、香辛料、衣服、雑貨、金属製品に木工品等々、店の種類が多すぎる。一度通っただけでは、どこに何があるかを把握しきれそうにない。
試しに工芸品の店をのぞいてみる。木彫り、ガラス細工、金属、様々な材料で作られた置物や、食器などが多数並んでいる。狭い店目いっぱいに陳列してある感じだ。意外と値段は高く、ガラス細工など小さな物でも銅貨二十枚以上、大きな物で銀貨二枚もする。そんなに売れる品物ではないから、必要な値段設定なのだろう。
逆に、茶葉を扱っている店は、異様に安かった。木箱に入った茶葉を、重さを量って袋売りにしていた。売るときに缶や瓶を必要としないので、茶葉の値段と手間賃だけで済むわけだ。生活にさほど余裕がなくとも買えることから、案外客が立ち寄って買っていた。
そんな感じで見て回っていると、突然少年がぶつかってきた。
「ごめんよ、兄ちゃん」
そう言って、走って去っていく。年の頃は十一、二か。
サムトーは即座にその少年を追った。
少年は市を抜けて、市街地の路地裏で立ち止まり、懐から戦利品を出す。サムトーの財布である。彼はスリだった。
ちょうど、そこにサムトーが追い付いた。
「よお、坊主。悪いな、俺の財布を拾ってもらって」
サムトーが少年の肩をつかみながら、笑顔で言う。
少年が明らかに怯えた顔になった。ぶん殴られても文句は言えない状況である。笑顔がさらに怖さを増す。
だが、サムトーには、別に咎める気はなかった。遊びではなく、貧しくて止むを得ずスリをしている事が一目で分かったからだ。少年から財布を取り上げると、軽い口調で言った。
「財布を拾ってくれた礼に、昼飯おごるよ。どっかいい店知らないか」
少年が目を丸くした。とは言え、いつ機嫌が変わるとも分からない。とりあえず、正直に答えることにした。
「外れの店は逆に少ないから。どの店でも結構おいしいと思うよ。それでも強いて言うなら、バーガー屋か和えそば屋は評判がいいみたい」
「ふーん。じゃあ、一緒に食うか?」
サムトーは本気で誘っていた。袖すり合うも他生の縁というやつである。罪を憎んで人を憎まずというのが、生来の気質だった。
しかし、少年の方は行き渋っている様子だった。
「どうした?」
「いや、家で弟と妹が腹空かせて待ってるから……」
「親はどうした」
「父ちゃんは亡くなって、母ちゃん一人で働いてるけど、稼ぎが追い付かないから……」
なるほど、でなきゃスリなんかしないかと、納得した。
「分かった。じゃあ、財布を拾ってくれた礼と、今の情報料を合わせて払おうか」
サムトーは銅貨十枚を少年の手に握らせた。
「もらっていいの?」
意外なことの成り行きに、少年が不思議そうな顔をした。しかし、収入があることを素直に喜んでもいた。
「ああ。正当な謝礼だ。……あと、余計なお世話だが、その年ならどっかの見習いで仕事できるだろ? 前に泊まった宿の娘さんは、十二才で立派に仕事してたぜ。俺なんかが言うのも何だが、捕まって痛い目見る前に、スリなんて止めた方がいいぞ」
その宿の娘さんは、サムトーに初恋をしてしまったのだが、当の本人が知る由もない。ただ、例として挙げるのに、本当によくできた娘だったな、というのが深く脳裏に刻み込まれていたのだった。
真面目な口調で諭されて、少年も思うところがあったようだ。
「……そうだね。分かった。母ちゃんと相談してみる」
「うん。それがいい。じゃあな坊主。家族を大切にしろよ」
「ありがとう、お兄さん。俺、頑張ってみる」
少年が満面の笑みを浮かべる。サムトーもそれでいいとばかり、親指を立てて見せた。
そうして互いに手を振り合って 二人は別れた。
さて、昼食である。和えそば屋とはいかなる店か?
市を回ってみると、屋台の前に長椅子の並んでいる一角があり、その周囲に食べ物屋が集まっているのが見えた。さっそくとばかり行ってみる。
いろいろな食べ物を味わっている人で賑わっている。バーガーは話に聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだった。なるほど丸パンにハンバーグを挟んでかぶりついて食べる物らしい。
和えそばというのは麺類の一種で、茹でて水を切った麺に、肉みそなどをのせて、麺と絡めて食べる物らしい。こちらを試してみようと、屋台の主人に声を掛ける。
「和えそば一つ」
「へい、和えそばね。少々お待ちを」
元気の良い中年の店主が、麺を柄付きのざるに入れ、湯につける。茹でること二分、その間に深皿を用意する。麺の湯を切り深皿に移したら、その上におたまで肉みそをのせる。赤色だがトマトではないらしい。
「へい、お待ち」
サムトーは銅貨八枚を払った。配食までの時間も短く、一食でこの値段ならお値打ちである。和えそばを受け取り、空いている長椅子の端に座った。
こいつは箸で食べるものだった。神聖帝国に元からある文化ではない。東の異国から輸入されたものだった。普段は使わないが、奴隷剣闘士時代の食事でもたまに使うことがあったので、使い方に困ることはなかった。麺に肉みそを絡め、口に運んでみる。
辛い。だが程よい辛さで、発酵調味料と赤唐辛子でできたたれは、コクがあってうまい。さらに油、肉の旨味が広がり、そこに麺の歯ごたえと旨味が合わさる。細く刻んだキュウリとシソが口の中をさっぱりさせてくれるので、いくらでも食べられそうな感じがした。
「こいつはうまい。麺の食べ方としては下手なパスタより上かも」
思わずかき込んでしまいそうなのを我慢して、なるべく味わうようにゆっくりと食べる。
やがて、きれいに食べつくすと、深皿を屋台に返し、礼を言った。
「ごちそうさま。すごいうまかった」
「そう言ってもらえると励みになりまさあ。毎度あり」
屋台の主人が破顔した。料理に誇りを持っている職人の顔だった。
いい顔だなと思いながら、サムトーは手を振って屋台を離れる。気ままな旅で気ままに好きなものを食べる、何とも楽しいことだった。
その後は、また市のいろいろな店を冷やかして回った。
一番驚いたのは、時計が売っていたことである。この時代、精巧な機械は部品から全て手作りで、時計などは物凄い値段になる。どんなに安くても金貨十枚は下らない。だから、教会が所持している時計を使って鳴らす鐘の音が、時刻を知る重要な手段となっていた。
その露店では、どこかの金持ちが止む無く手放した、長く使い込まれた中古品ということで、金貨八枚とかなり値を下げて売っていた。それでも庶民には手が届かない値段である。柱に掛ける振り子時計で、それが動く様子を初めて見て、凄い物だと感心しきりだった。
他に古着屋を見て、野宿用品を見て、鞄類を見て……と、どこへ行っても飽きることがなかった。総菜屋でコロッケを食べ、菓子屋で焼き菓子を頬張り、目も腹も十分に満足した頃には、日が傾き、夕暮れ近くとなっていた。
宿に戻り、例によって公衆浴場へ。
風呂の後はエールを一杯。
のんびりと酒杯を傾けていると、近くのテーブルから、男達の嘆くような言葉が聞こえてきた。
「あそこで一目ずらしとけば、一点賭け大当たりで大逆転だったのに」
「その一目が、結局お前の運なんだよ」
どうやら賭場帰りらしい。結構すってきたはずだが、酒代は十分残っているらしく、飲み方に遠慮がなかった。
賭場には興味があった。北の城塞都市ニールベルグで一度カードをやっただけだが、勝負の流れにうまく乗れる才があるようで、あの時は金貨五枚の儲けがあった。
「兄さんたち、その賭場の話を少し聞かせてくれないか」
サムトーはそのテーブルに近づいて声を掛けた。
「ああ、いいとも。何でも聞いてくれ」
すでにほろ酔いの男達は、ご機嫌で許可を出してくれた。
さっそくとばかり、サムトーが質問を重ねる。
「どこに賭場があるんです?」
「ああ、俺達が行くのは、高級住宅街の外れにあるとこだ。比較的安いレートでも遊ばせてもらえる店だ。他にも何件かあるが、お貴族様たちが来るようなとこだからな。レートも高くて、元手が金貨百枚はないと無理だ」
「ゲームは何があります?」
「ルーレットとスロットっていう機械、あとカード、ビンゴだな。でも、何をやっても、よほどの運に恵まれないと勝つのは難しいぜ」
実際に全てやったことがあるのだろう。男達の言葉には経験に裏打ちされた実感がこもっていた。
「カードでも?」
「店お抱えのプレイヤーが強すぎだよ。あの鉄面皮崩すのは無理だ」
「それはそれは。一度挑戦してみたいかも」
「止めときな。ほんとにバケモンだぜ」
「ふーん。ありがとう、兄さんたち。参考になったよ」
サムトーは立ち上がると、酒杯を飲み干した。
「見学に行ってみるかな」
珍しく夕食を後回しにして、サムトーは賭場へと足を運んだ。
高級住宅街の外れに、三階建ての立派な建物があった。さっきの話にあった賭場だった。
入場料で銀貨一枚。完全な冷やかしを防ぐ目的である。
せっかくなので、支払って入ってみた。
なるほど、言われた通り、銀貨一枚がチップ一枚と、レートは低かった。これが金持ち向けになると、金貨一枚がチップ一枚になる。貨幣価値は、金貨一枚で銀貨二十枚だから、この店なら金貨数枚でも十分に遊べるレート設定ということだ。
サムトーは、金貨四枚分、つまりチップを八十枚交換した。
カードのテーブルを少し離れたところから観察する。店お抱えのプレイヤーというのが、ディーラーの隣でプレイしている。しかし、どうやらイカサマはないようだった。ごく普通にプレイし、下りるときは普通に下りている。誰かが勝負に出ると、ギリギリのところで勝負を受け、微妙な札の差で勝つことが多いようだった。それでも、たまに負けることもある。結局、最後は運だという証拠だった。
運と実力の勝負なら勝ち目はありそうだ。
そう思ったサムトーは、カードのテーブルが空いたところで、その席に着いた。
「よろしくたのんます」
軽く挨拶すると、肩の力を抜いてプレイに参加する。
最初のゲーム。札が弱すぎたのでフォールド。
次のゲーム。フロップを見たかったのでベット。役が仕上がったのでターンでレイズする。残るプレイヤーがフォールド。場代とコールしたプレイヤーの分、チップ六枚ゲット。
そこから三ゲーム、札が弱くてフォールド。
その次のゲームで強い手が来た。勝負所である。軽くレイズ五枚。店抱えのプレイヤーと、もう一人が勝負に乗ってきた。しかし、フロップ三枚が開かれたところで、サムトーに強い手が確定した。ターンでレイズ二十枚と強気の押し。だが、お抱えともう一人は、サムトーの手がさほどではないと思ったか、自分の手に相当自信があったのか、リレイズしてきた。サムトーはリバーの段階でオールイン。ここまで賭けてきた二人も下りずに勝負に乗ってきた。ポットに二百五十枚以上も入っている。結果、サムトーがクワッズを決めての大勝ちとなった。
サムトーは、そこから十五ゲームほどこなした。下りることも多かったが、大事な勝負所でやはり大勝ちをして、全部で六百枚のチップを入手。金貨換算で三十枚である。
勝ち逃げは、賭場に来ている他の連中からすると面白くないことだ。しかし、かなり稼いだので、さすがに潮時だろう。他の客の羨望の視線が突き刺さる。サムトーは苦笑しながら賭場を出た。
「しかし、昼間の坊主には、真面目に働けとか言っといて、自分は賭場で勝ち逃げだからなあ。何だかねえ」
そんなことを思いながら宿への道を行く。すでに夜もそこそこの時間になっていた。宿に戻ると、飲みに来た連中で席がかなり埋まっていた。
「夕食とエールを一杯頼む」
一仕事終えたような感じで、ふうと息をつきながら空席に着く。やっていたのは賭博だったが。先に来たエールをあおると、緊張感の反動か、心地良い疲れを感じた。
食事を済ませると、早々に部屋に戻り、ゆっくりと休むのだった。
翌日は競馬場に行ってみた。
賭博続きでどうかとも思ったが、このくらいの大都市にしかない施設である。馬の競争も一つの芸だと思えば、のんびり観戦するのも悪いことでもないだろうと、無理矢理正当化する。
せっかくなので、一応金も賭けることにした。昨日大勝ちしたが、全部負けても良いように、一レースにつき銀貨一枚、単勝のみに絞った。
レースというのが人を惹き付けるものだとよく分かった。人馬一体となって走る姿は美しく、全力で戦っている様子には迫力があった。しかも、やはり自分の賭けた馬に勝って欲しくなるので、レースを見る目も自然と熱いものになった。その興奮が止められないのだろう。身代を持ち崩してまで、競馬にのめり込む人間がいる理由がよく分かった。
結果として、騎手と馬との信頼関係が強そうなのに賭けたのが良かったらしい。五戦賭けて四勝一敗だった。銀貨二十五枚の儲けになってしまった。良かったのか、働きもせず金を稼ぐことに罪悪感を覚えるべきなのか。罪を犯すようなことでもないし、誰に迷惑をかけるわけでもない。良しとしようと思うことにした。
金は十分にあったが、それでも昼食は高級店などではなく、市でとることにした。あの雑多な賑わいの中で食べる食事は、やはりうまかったのだ。この日は、バーガーとフライドポテトの組み合わせを試してみた。ハンバーグには、干し肉や焼肉にはないジューシーさがあった。それを一緒に挟まれた野菜と土台のパンが包み込み、混然一体となってうまさを口の中に広げてくれる。ポテトも、表面の香ばしさと中のほっこりした対比が良く、塩だけなのにイモ本来の旨味を引き出していた。シンプルだがうまい。
その後も、またいろいろな露店を冷やかして回った。商店街に比べ、金に余裕のない市民がこの市を利用しているはずだが、ここでは誰も彼もが明るい表情をしている。売り手も様々で、道楽用品の店では、売れようが売れまいがあまり気にした風はなく、悠然としていた。逆に食べ物や日用品を売る店は、盛んに客引きをしていた。そんな昨日とはまた違った発見があった。
ついでなので、リュックの中を仕分けする布袋を一つと、非常食として燻製肉を少し買った。またどれもうまそうなので、つい間食したくなり、考えた末に果物とクリームを挟んだクレープを買ってしまった。たまに食べる甘い物はやはりうまいのだった。
そんな観光めいたことをしていると、突然、城壁からラッパの音が聞こえてきた。市にいた客のうち、半数ほどがその音で街道の方へと向かっていく。何事かと思い、サムトーもそんな人々の後に続いた。
やがて、南門に騎馬隊が姿を現した。まるで固定されているかのように整った列を乱さず、堂々と行進してくる。腰に剣、右手に槍、そして光を反射する磨き抜かれた鎧兜。それが全部で百騎。城内に駐屯している騎士団五個小隊だった。直接騎士の部隊を見るのは初めてだったが、確かに集団戦では相当に強いのだろうということは、見ていても伝わってきた。
「さすが、立派なもんだねえ」
「かっこいいなあ。ぼくもあんな風になりたいなあ」
「騎士様方、さぞやすごい演習をなされたんだろうねえ」
行進を見ていた人々から、感嘆の声が上がる。どうやら、城外での演習を終えて帰城してきたところらしい。
「まあ、格好はいいんだろうけどさ」
サムトーがつぶやく。支配階級が秩序維持に貢献しているのは認める。街道や水路などの整備もきちんとやっている。だが、庶民から何だかんだと税を取り立てて、それが実は負担が大きい。奴隷制度もある。さらに、大富豪も含めて、騎士階級、貴族階級、王族などは、生活の豪華さが桁違いで、庶民との貧富の差はとても大きい。そう思うと、手放しで騎士などを礼賛しようなどととても思わないのだった。
それに、素性が知れると、彼らは敵に回る。逃亡奴隷は処刑の対象で、処刑のための裁きを下すのが、彼ら騎士階級以上の者達だ。今は雑多な人々の中にいて、しかも逃亡した場所から遠く離れた街なので、見つかる心配は皆無だが、やはり心穏やかではいられないのだった。
騎士団が立ち去るのを見送って、サムトーも合わせて宿へと戻ることにした。騎士などを見て、観光の気勢が削がれた感じだった。それでも、せっかくなので回り道をして、騎士団の施設の近くを通ってみた。
広い敷地に大きな建物がいくつも建てられている。基本石造りの建物が多く、レンガやガラスなどもふんだんに使われている。庭も広く、花壇や樹木などが整備されている。さすが高い身分の方々は、立派な建物にお住いのことだと、普通は感心するところなのだろう。しかし、支配階級ばかり贅沢するのには、どうしても納得のいかないサムトーだった。
その後、宿に戻って、いつものようにエールを頼む。この日は競馬なども楽しみ、騎士団も見て、初体験ばかりで面白かったのだが、何となしに疲れていた。喉を通るエールがいつもより苦く感じる。
のんびり夕食を食べて、酔った客が楽しそうに話している様子を眺めているうちに、気分が切り替わってきた。自分もこうした庶民たちと一緒に、毎日を楽しく過ごしていこうと思えるようになってきた。
自室で休む頃には、自分は自分で、気に向くままに旅をすればいいと、改めて結論を出していた。世界は広い。できるだけいろいろな人や物と出会い、楽しく時間が過ごせればそれで十分だと思った。
翌日、サムトーは城塞都市クローツェルの南門を出た。そのまましばらく街道沿いに南下しようと考えたのだった。その先、どこへ向かうかは、まだ考えていない。
日が高くなり、そろそろ昼食休憩にしようかと思った頃。
またしても、道を塞ぐ男達がいた。筋骨逞しい、長剣を腰に下げた男が一人と、中背でなぜか大きなスコップを持った男が二人。
遠目に見て、明らかにトラブルになるだろうと思った。だがまあ、どうとでもできるだろう。サムトーは構わず近づいて行った。
案の定、向こうからぶしつけな声が飛んできた。
「よお、そこの兄ちゃん。ちょっと俺達に付き合ってもらうぜ」
昨日騎士団を見ていただけに、この国の治安はどうなっているのか、本気で心配になった。騎士達など、結局事件が起きてからでないと、この種の無法者を取り締まれないのだろうか。まあ、そのおかげで、サムトーも正体を隠して無事に旅ができているのだが。
しかし、明らかに妙である。
剣士らしき男は、武芸の心得がありそうだった。逆に、後ろの二人は単なる素人に見える。金品を奪うだけなら、この場で金を置いて行けと言えば済むのではなかろうか。付き合ってもらうとは?
「俺の方には用事はないけどな」
探りを入れようと、軽口を返した。
「はっ。お前の腰の剣は飾りかよ。ちょっと手合わせしようって言ってるんだ。剣士なら、ちょっとくらい相手してくれよ」
剣士らしき男は挑発的に言い放った。
「来ないなら、この場で死んでもらうだけだしな」
「ふーん、なるほどねえ」
例の如く悪党だが、その質がどうも悪すぎるらしい。平気で死んでもらうなどと口にできるのは、以前にも同じことをしていたのだろうか。サムトーは少し考え、尋ねてみた。
「あんた、前にもそうやって、人を殺したことがあるのかい?」
「答える義理はないな。とにかく一緒に来いよ」
回答の拒否が、これまで殺人を幾度も行ってきた証であった。
拒否してこの場で戦っても良いが、どうするか。
「剣を下げてるってことは、いざとなれば戦いも恐れないってことだろ。戦えるはずだぜ」
悪党らしく執拗だった。明らかにサムトーを斬る気満々に見えた。人の来ない場所で斬り殺し、後ろの二人が穴を掘って埋める。そのためのスコップなのだろうと予測がついた。
(斬ろう)
そう決めた。相手を斬り殺す覚悟があるのなら、斬り殺される覚悟もあるはずだろう。
サムトーの腰の剣は、刃渡りは六十センチほどと短めだが、無銘だが名工の技によるもので、仕上げに魔法を付与されているので、刃こぼれはおろか、血の曇り一つ残らぬ逸品だった。こんな連中を斬るには、もったいない品である。しかし、悪党相手にこれほど頼もしい品もない。
「分かった。一緒に行くよ」
剣士が先頭に立って歩き出す。サムトーがその後に続き、後ろをスコップを持った男達が固める。逃走防止のつもりなのだろう。
街道から外れて、森の中へと入り込む。しばらく歩いて、街道が全く見えなくなり、やがて少し開けた場所に出た。
「この辺でいいだろう」
剣士の男が剣を抜いた。抜き方はなめらかで、構えも自然だった。命が惜しかったら有り金全部出せ、みたいな言葉は全くない。予測通り、初めから殺して奪い、死体は後ろの男達が穴を掘って埋めるつもりのようだ。
「俺はな、この剣で何人も斬り殺してきた。俺の剣に勝てる奴はいねえ。どいつもこいつも、たった何合か打ち合っただけで、簡単に斬られやがって。そんで哀れな命乞いをするんだ」
殺人を全く厭わない、凶悪な男だった。それを自慢げに語るあたり、救いようが全くなかった。表情も邪悪に歪んでいる。
「……」
サムトーは無言だった。こんな奴の自慢を聞いても仕方がない。
「へ、怖くて何も言えないようだな。なら、今のうちに命乞いでもしたらどうだ。有り金全部差し出しますから、どうか命だけは、ってよ」
「どうか命だけはお助け下さい」
棒読みでサムトーが言った。これで本当に助ける気があるのか、最後に確かめてみたくなったのだ。
「ははは、いいね、それ。助かりたいか、やっぱ」
剣士が馬鹿笑いをした。
「でもダメだね。俺の楽しみがなくなっちまう。好きに抵抗して構わないから、精々頑張ってみな」
やはり相手の命を助ける気は全くないようだった。
サムトーにしてみれば、処刑執行書にサインしたのと同じことだった。確かに予測通りだったのだが、男が哀れでもあった。人の命を奪うことを何とも思わない歪みは、一体どうして身に付けたのだろうか。
だが、もはや手遅れである。こんな男を許す道理はなかった。
「さて、そろそろ、ショータイムだ」
「そうだな。ショータイムだ」
サムトーは答えると、不意に後ろに下がった。
スコップを持った男達が、それを逃げ出そうとしているものと勘違いし、殴り掛かろうとスコップを振りかざす。
サムトーは、逃げたのではなく、間合いを詰めたのだった。
男達の一瞬の隙に体を回転させると、剣を抜き放ち、そのまま二人の男の首を刎ねた。動きを止めず、右回りに剣士の方へ接近する。
剣士は突然の出来事に驚き、対応が遅れた。サムトーの動きに気付き、慌てて横薙ぎに剣を振るう。
だが、そんなものが当たるはずもない。サムトーは、がら空きの右足に剣を斬り下げ、太ももを両断した。剣士がバランスを崩し、地に倒れた。
「い、痛え、お、俺の脚がーっ!」
サムトーはわざと足を斬っていた。その気になれば、代わりに首を刎ねるなり、わき腹を切り裂くなりできたはずである。あえてそうしたのは、それほど許せない気持ちが強かったからだ。
「で、哀れな命乞いがなんだって?」
サムトーが冷たく言い放つ。
後ろの男からスコップを奪うと、穴を掘り始めた。彼らがするつもりだったように、彼らを埋めてやろうというのだった。
「い、命だけは、た、助けてくれ」
「いやだね」
「そ、そんな、助けてくれ、……い、痛えよお」
「自分の犯してきた罪を、ゆっくりと振り返るんだな」
穴を掘りながら、サムトーが突き放す。
やがて、人が三人埋まるだけの大きさが掘れた。
まずは首を刎ねた男を二人、首も一緒に穴に放り込む。
「……た、たすけて……」
どうやら失血死が近づいているようだった。意識が薄れてきたようで、声も小さくなっていた。
「人を斬ってきても、自分が斬られる覚悟はないってことか」
剣士の男の体と足を穴に放り込んだ。その上に剣ともう一本のスコップも乗せる。そして、噴き出した血の染み込んだ土で、まずは周りを埋めた。
「……」
やがて、男の声が途切れた。ついに事切れたのだった。凶悪で救いようのない男だが、こうなってはただの物体にすぎない。
スコップであらかた埋めてしまうと、最後に持っているスコップをその上に埋め込む。彼らがやろうとしていたように、証拠は見事に消されたわけである。何回か雨でも降り、時間も経てば、ただの草地に戻ることだろう。
「まあ、俺もろくな死に方はしないだろうけどな。少なくとも、剣は人を助けるために使うさ。じゃあな、名前も知らない悪党共」
言い捨てると、その場を立ち去るのだった。
その後は、すぐには街道に戻らず、森の中を進んだ。あくまで万が一の処置である。
途中、小川で手を洗い、返り血がないことを確認した上で、遅い昼飯を取った。元々奴隷剣闘士である。慣れたかったわけではないが、人の死には慣れていた。わずかに罪悪感もあるが、凶悪な連中を退治しただけで、食欲の落ちる道理はなかった。
とは言え、嫌な事件には違いない。気分を切り替えるのに、多少の時間を要した。
しばらくして、そこから街道に戻った。
やはり人通りはなく、サムトーはいつもの一人旅に戻った。のんびりと景色を眺めながら歩いていく。
しばらく進むと、遠くで人が休んでいるのが見えた。
今度は物騒なことはなかった。中年の男が荷物運びに疲れて、休憩してるだけのようだった。
「よお、兄ちゃん。どっから来たんだい?」
「北の城塞都市、ニールベルグからさ。さて、俺も一休みするかね」
サムトーは、男の傍らに腰を下ろした。
水筒を取り出すと、軽く水を飲む。
「へえ、そんでどこへ行くんだい?」
「別に決まってないな。風の向くまま気の向くまま、行く当てのない一人旅だよ」
サムトーが答えた。
彼の旅はまだまだ続いていく。
――続く
楽しくお読みいただければ幸いです。一人旅に出てからのいろいろな出来事を描きました。今回、久々に描いているキャラが勝手に動いてくれました。実はサムトーを好きになってしまうというのは、描き始めた当初、全然考えていませんでした。気付いたらこうなっていて、でもこれで良かったと思った次第です。あと、残酷描写が最後にありますので、不快に思われるような方はご注意下さい。次回は、一人旅の続きを描いていく予定です。