序章Ⅱ~旅芸人の仲間達~
逃げた奴隷剣闘士
猟師に命を救われて
今度の仲間は旅芸人
広き世界へ旅に出る
練達芸人見事なり
旅路ははるか北の地へ
技も切れるがお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
旅芸人カリアス一座の全員が、夕食時集まっていた。
座長から重大な発表があった。周囲には一座の者以外は誰もいない。それでも慎重な声で座長が言った。
「これは絶対に、秘密を守ってもらわなければならん話だ」
一座が沈黙し、座長を注視する。
「新しい仲間のサムトーだ。今日からこの一座の一員となる。元奴隷剣闘士で、素性を知られると殺されてしまうんだ。……今日、山の子供達が巻き込まれた事件を知っているだろう。そのせいでカターニアから騎士が来ることになり、素性が割れる危険が高くなった。そこで、うちの一座とこの地を離れて逃げ出すことになった、というわけだ」
事情を知って、座員達も納得した表情になった。
「当面は裏方を手伝ってもらう。みんなよろしく頼む」
「分かりました、座長」
一座の皆が声を揃えて返答した。
酒杯が配られた。食事しながら、新人の歓迎会を兼ねているのである。
「サムトーからも一言頼む」
「はい。……サムトーです。猟師の村スニトから来ました。猟師としては半人前でしたが、今度は旅芸人の見習いとして頑張りますんで、みなさん、どうぞよろしく」
ざんばら髪の茶色の頭が深々と下げられる。
拍手が起こった。旅芸人達は常に旅を続けているため、神聖帝国に租税を納めるということがない。それゆえに支配階級からは差別され、蔑まれる立場だった。金で売り買いされ、同じように蔑まれる元奴隷剣闘士という立場に、猟師達と同じように共感するのだった。
「明日は出発だ。新たな仲間も加わったことだし、気分一新、また頑張ろう。それでは乾杯!」
「乾杯!」
一座が唱和する。
サムトーはとりあえず酒杯に口をつけ、空腹を持たすために料理に手を伸ばした。
「よお、初めまして、サムトー。俺はフェント。これでも二十才だ」
向かいに座っていた、少年のような人物が声を掛けてきた。
「こちらこそよろしく、フェント。俺は多分十八」
「俺の演技覚えてる?」
「よく覚えてる。道化の役、笑いの誘い方が見事だった」
「お、ありがたいね。練習の甲斐があったってもんだ」
フェントという青年、舞台では少年に見えたが、どうやら化粧と背がやや低いことでそう見えただけのようだ。中身は確かに青年である。
「芸人とかって、やってみたいとかあるかい?」
「昨日の見て、すごいなあって思ったけど、自分が、となると、試してみないと何とも言えないなあ」
食事を進めながらの会話だが、同年代の気安さでとても話しやすかった。
「ところでな、サムトーは女の子は好きか?」
「まあ、多分」
サムトーには質問の意味があまり分かっていなかった。何せ、十才から八年間も奴隷剣闘士で、命を守ることで精一杯だったのだ。猟師の村で一番仲が良かったのはミリアで、彼女のことは好きだと断言できるが、十才の女の子で妹分のようなものだった。
「分かってねえなあ。こう、かわいいな、特別なお付き合いしたいな、とかそういう気持ちがあるかってことだよ」
フェントが呆れたようにため息をつく。
「おーい、レイナ、みんなこっち来てくれよ」
呼ばれたのは、見事な曲芸を披露してくれた四人の女性たちだった。
「ん、顔見せ? 私はレイナ。曲芸担当でリーダーやってる。ムカつくことに、このフェントと同い年の二十才よ。じゃ、みんなも自己紹介」
女性としては標準的な背丈の赤髪の女性が言った。四人とも髪の色に違いはあるが、みな曲芸の妨げにならないよう髪は短めである。
次は明るい感じの栗毛の女性で、標準よりわずかに背が高い。
「ポーラ、サブリーダーで十九才。よろしくね、サムトー」
次のくすんだ銀髪の女性は、背の低めな物静かな感じだった。
「アイリです。十七才。トップと言って、三人に飛ばしてもらう大役を任されてます。よろしくお願いします」
サムトーが少し驚く。高い空中で見事な技を決めていた時は、もっと明るく元気な笑顔を浮かべていたのだ。今の大人しい感じが別人に見えた。
最後は金髪の女性、というより、まだ成長途中な感じのする娘だった。
「マリーよ。十六才。アイリの調子が悪いときは、代わりにトップをすることもあるわ。よろしく」
彼女達の自己紹介の間、フェントがニヤニヤしていた。
「な、いいだろ。かわいいだろ。仲良くなりたいだろ」
にじり寄るように言ってくる。
「そりゃまあ。……サムトー十八才です。仲良くしてください」
「何だよ、気持ちが籠ってねえなあ。もっとさあ、情熱込めて……」
フェントの言葉をレイナが遮った。ポーラも同調する。
「いらないこと言ってんじゃないわよ!」
「そうそう。まずは普通に仲良くするもんでしょ」
毎度のことなのか、フェントに堪えた様子はない。
「全く、ボクに優しくしてほしいなら、最初からそう言えばいいのに」
「あ、私、パス」
「私も」
レイナとポーラが即答する。
毎度のことなのだろうが、変なやり取りがおかしくて、サムトーはつい笑ってしまった。
「あ、すみません。仲、いいですね、みなさん」
笑いながら弁明する。
「まあね。生まれた時からの付き合いだし」
「変な奴だけど、悪い奴じゃないのも知ってるしね」
レイナとポーラの息はぴったりだった。さすがはリーダーとサブリーダーである。
マリーも入ってきた。
「フェントはたまに親切なんだよね。今のもサムトーが話しやすいように話題振ってくれてるんでしょ」
「それもある。あるのだが……やはり、せっかく若いんだ、色恋の一つや二つ憧れるではないか!」
「それって、よくわからない。私は曲芸が一番好き」
アイリにまで否定されてしまい、さすがのフェントも二の句が継げない。
どうにもこの四人、小さい頃から仲が良すぎて、それ以上に発展しないという典型らしい。
とは言え、サムトーにそのような機微は分からない。代わりに、思ったことを口に出した。
「ところで、アイリ、あの技は本当に凄かった。感動した。……で、一つだけ、いいかな」
「なに?」
「空中を跳んでいるときって、どんな気分?」
「景色が巡って、私、できるんだって気持ちが高鳴って、もっと跳んでいたくなる感じ」
「そうなんだ。何で跳ぼうと思ったの?」
「たくさんの人達に、喜んでもらえるのがうれしいから」
「あれだけすごい技なら、誰だって喜ぶよ。俺もそうだったし」
「そうやって直接聞くと、すごくうれしい。観客の人から直接感想聞けることって、滅多にないから」
「なるほど、そうなんだ。なら、俺、いくらでも凄いって言っちゃう」
「凄いだけじゃなくて、技の具合とかはどうだった?」
「体をひねりながらの宙返りが、難しいだろうにきれいに決まってて、よかったな。あと、体がまっすぐ伸びててきれいだった」
「ありがとう、その辺は気を付けて演技してるから」
会話が弾んでいるのを見て、残る四人が目を丸くした。まさか、一番口数の少ないアイリが、初対面のサムトーとこんなに話すとは思わなかったからだ。
フェントが怪訝そうに、小声でレイナたちに話しかける。
「なあ、アイリって、サムトーに興味あったのか?」
「分かんないわよ。言い方悪いけど、曲芸バカだし」
「マリーの方が興味あったんじゃなかった?」
「まあ、ミリアちゃんと話してたからね」
サムトーが、そんな四人の様子に気付いた。
「何かあった?」
「あ、いや、何でもない、何でもない」
フェントが慌てて答える。
そんな話をしている間に、時間は結構すぎていたようだ。
年配の男性がやってきて、声を掛けてきた。
「若い者同士、盛り上がってていいな。わしも、あと四十くらい若ければ入れるんだがな」
「ロギンスのおっちゃん!」
「……と、あと少しでお開きだ、飲み食い終わらせておけよ。あとサムトー、わしはロギンス、物品管理のリーダーだ。今日の片付けから、わしについてもらうから、手伝いよろしくな」
「わかりました、ロギンスさん」
彼はもう六十五才、一座の一番の古株として、交易品や食料品など、いろいろな物品の出入りを任されていた。座長も含め、一座の皆が何かと頼りにしていた人物だった。
言われた六人は、会話を打ち切って、食事に専念した。収入がかつかつの一座で食料を残さないのは暗黙の了解だ。残すと後始末も面倒になる。
食べている合間に、サムトーがぽつりと言った。
「みんな、歓迎してくれてありがとう。これからよろしく」
五人が食べながら、親指を立ててうなずいた。
さて片付けである。
まず食器類をまとめて近くの川へ運ぶ。ざっとゆすいで持ち帰ってきて並べておく。夜の間乾かし、朝また使う。床に敷いた板を集めて、土をはたき落とす。それを馬車の中へ運び込む。
十台編成の馬車だが、そのうち一台が板や食器、工具などの用具を入れる物品庫専用の馬車になっていた。他にも、交易品専用、公演天幕専用、宿泊天幕専用、食糧貯蔵専用と、五台は用途が明確になっている。残る五台は人間が寝泊まり可能な馬車で、誰がどの馬車に乗るかが決まっている。自分が乗る馬車に、衣類や日用品、私物なども乗せることになっていた。
「いつでも物が使えるようにするには、何をどこにしまうかをはっきりさせることが大事だ。数や状態も確認して、きちんと記録しておくと、もし破損や不足があっても、すぐ対応できるからな。これが基本中の基本だ」
ロギンスはそう言って、馬車の構成や、実際に馬車の中でどのように片付けられているかを見せてくれた。
「こいつはすごい。手間がかかってますね」
サムトーが感嘆した。
きちんと場所ごとに何を置くかを表示してある。これなら何度かやれば誰でも迷わず出し入れできるだろう。ただ、どこに何を入れると都合が良いかを考えて、一々表示するのは相当大変なはずだ。
「分かってるな、サムトー。若いのに大したもんだ」
「いえいえ、同じことをしろと言われたら、俺には無理です」
謙遜でなく、そう思った。天幕設営や宴会準備の手際よさは、こういうところから来るのだろう。
「そう言えば、サムトー、お前さん、御者はできるのか?」
「いえ、剣闘士と猟師しかしたことないので。馬の扱いは知らないです」
「分かった。なら、まずは馬に紹介するか。……おい、デニス」
ロギンスが一人の中年男性を呼び止める。
「彼はデニス。犬の芸があったろ、その担当だ。三頭の犬の他、馬の世話のリーダーでもある」
「サムトーです。よろしくお願いします」
「デニスだ。俺を呼んだってことは、馬の紹介だな」
足元に黒地に白の線が走った三頭の犬がいる。とてもよくなついている様子だった。犬に限らず、馬に関しても一座で一番詳しいのだという。
馬は今、馬車から外されて、草地にある杭につながれていた。大きなたらいに水が張られ、馬が水を飲めるようにもしてある。もちろん杭は一座の者が打ったものだし、綱も一座の持ち物だ。そういった細々とした物品が案外重要なのである。
デニスが、馬にもそれぞれ名前のあることを教えてくれた。つなぐ馬車も決まっていて、馬具も微妙な調整をしてあるという。
「まず触ってあいさつしな。首筋を叩くんだ。力が軽すぎると、かゆがるからな。強すぎない程度に、でもある程度強く叩くんだ」
デニスが馬の鼻面に手を当て、『こいつは大丈夫な奴だ』というのを馬に伝えている。その横に立ち、サムトーも大真面目に挨拶した。
「サムトーだ。よろしく」
言われた通り、馬の首筋をパンパンと叩く。馬の目がサムトーを向く。馬の方も『分かった』とばかり顔を寄せてきた。
そうやって十頭の馬への挨拶が終わると、デニスがほめてくれた。
「大した奴だな、サムトーは。最初の挨拶が、全員無事に終わる奴は珍しくてな。大抵の場合、一頭や二頭、『何だよこいつ』って反応する馬がいるんだけどな」
どうやらサムトーには天性の愛嬌があるらしい。猟師の村スニトでもそうだったが、初対面の人間と打ち解けるのが早いらしい。今回は馬だが。
しかし、本人にそういう自覚はない。
「たまたま、みんな機嫌よかったんじゃないですかね」
「まあ、そうかもな。ともあれ、毎日一度は挨拶して、早く仲良くなってくれ。御者をやる第一歩はそれだ」
「はい。分かりました」
「次は、馬車につなぐ時のやり方だが、それは明日出発するときだな」
デニスの話がひと段落着いたところで、ロギンスが口をはさんだ。
「それより、交代でトルネルの町で共同浴場に入らせてもらうんだが、サムトーは、風呂の用意はないよな?」
町に立ち寄るのは公演や交易のためだけでなく、そういう利点もあるのだと初めて知った。
「はい、着の身着のままというやつです」
「分かった。物品庫に予備の服とタオルがあるはずだ。サムトーの私物にすると良い。それを取りに行くついでに、風呂にも入って来よう。デニスも行くだろう? その間はボルクスが見てくれる」
ボルクスは四十代の男性で、ロギンスの右腕として物品管理に長じていた。いずれはロギンスも後継者にと考えている。
「そうですな。後の組がつっかえないよう、さっさと行きましょう」
三人は連れ立って馬車で荷物を取り、浴場へと向かうのだった。
風呂の後は見張りの説明があった。
メルテという中年女性がリーダーで、十二才以上の者全員が交代で見張りに当たる。一回に二人ずつ、途中交代があり、就寝時から夜中までと夜中から朝までの二回。何日かに一度当番が回ってくるわけだ。もし異常があれば、即座に笛で合図を出すことになっていた。
寝る場所は天幕である。馬車内で全員の就寝が可能とは言え、やはり狭くて寝苦しい。悪天候の時以外は、就寝専用の天幕を六つ建てて寝ることになっていた。一つの天幕に六人が寝られるようになっており、寝心地は馬車内よりはるかに良い。
移動することが前提の旅芸人達には、見張りや就寝用天幕の設営など、固定住居の人間にはない手間暇が必要なことが、サムトーにもよく理解できた。その準備や片付けを、日常の一部として、ごく普通にこなせるのは大したものだと思った。
「日の出で起床だ。寝過ごすなよ」
サムトーもロギンスに案内され、彼と同じ天幕で寝ることになった。
翌朝、言葉通り、日が昇ると同時に子供も含めた一座全員が起き出す。
朝食の支度、食べる場所の準備、食器などの用意を全員で手際よく済ませていく。
朝食が済むと、その片付けと天幕の撤収、馬の準備がある。サムトーも、それらの準備や片付けの仕方を教わりながら手伝っていた。
小一時間ほどでそれらを全て済ませ、いよいよ、ここトルネルの町を出発することになった。
「今日も天気は大丈夫そうだな。予定通り、コーポラの町へ向かう。今日、明日は野営で、到着は明後日の昼になるだろう。では、出発しよう」
座長の号令で、一座がそれぞれ配置につく。
馬車の御者が十名。残りは半数が馬車内で休憩するが、残り半数は馬車と一緒に歩いていく。一日中馬車の中だと、運動不足になるからである。
馬単独なら人より早いが、荷車が重いため、馬車の速度は遅い。ちょうど人が歩く速さとほぼ同じである。なので、三才の女の子も、時々馬車で休ませつつ歩いてついてこられるし、一才の男の子でさえ、母の腕に抱かれるのと下りて歩くのを交互に繰り返していた。
サムトーは先頭の馬車に並んで歩きながら、御者をしているデニスから、馬の扱いを教わっていた。馬車の周囲には犬が三頭、着かず離れずで歩いている。やはりデニスを一番信頼しているらしい。
「この手に持っているのが手綱だ。これで馬に合図をする。軽く波打たせて体を打つと前進、強く引くと停止。右に引けば右に曲がるし、左に引けば左に行く。もちろん、馬が御者を信頼してないと、言うことは聞かない」
昨日の説明でもそうだったが、指示の出し方は簡単でも、一番重要なのは結局馬と仲良くなれたかどうかだと、よく分かった。
「だから、歩きながらも、こいつと仲良くなっておけよ。名前はシシオウ、先頭を任せられる、頼りになる馬たちのリーダーだ」
「分かった。ありがとう、デニス。……シシオウもよろしくな」
歩きながらシシオウの首を叩く。シシオウが『分かった』という目でサムトーを見つめてきた。
「な、頭いいだろ。御者やっていても、何かないかを確認するくらいで、あとはみんなシシオウにお任せで大丈夫なんだ」
自分のことのように自慢するのを聞いて、愛情の深さがよく分かった。
「なるほど、本当に大したもんですね。俺は猟師達のところにいたから、相手にする動物は、みんな獲物だったんですよ」
昨日の昼間、猟師達と別れるまで、サムトーは猟師だった。
「だから、こんな風に動物と友達になるって考えは、今までなかったんです。犬達もそうだけど、人だけじゃなくて、動物達とも、こうやって助け合って生きていけるんだなあと、それが分かって良かったです」
たった一日で動物を見る目が一変させられて、新鮮な驚きと共に深く納得もできた。
「そいつは良かった。なら、午後はサムトーに手綱預けるから、試しにやってみな。もちろん、俺も横から見ててやるから」
「ありがとう、やってみます」
「他の馬車の様子も見に行ってみな。あと馬の具合もな」
「分かりました」
午前中はそんな具合で、十台の馬車をそれぞれ見に行った。
馬車達は、舗装された街道に沿ってひたすら北上を続ける。一座の人々は、その間、話しをしていたり、黙々と歩いていたりと人それぞれだった。
サムトーは、フェントに話しかけようと思ったが、午前は馬車の中で挨拶しただけだった。
代わりにアイリを見つけた。
「何か、忙しそうだね。何をしてるの?」
「馬と仲良くなるために、挨拶しているとこ」
「ああ、デニスから教わったんだね。私もたまにだけど、御者やることあるよ。景色が良くて、のんびりしてて、私は結構好きかも」
「そうなんだ。俺も午後、やらせてもらえることになったよ」
「へえ、一日でそれってすごいね。頑張ってね」
そんなちょっとした会話がうれしかった。
四時間ほど歩いて休憩となった。まだ日は中天に達していない。
街道から少し逸れた川辺に馬車を並べて止め、馬を外して水を飲ませ、草場で休ませる。その間にいつものように板を並べ、食器や食材を出して昼食の支度を始める。
昼食は全員で取る。伝える事柄のある場合は、この時に話をする。この日の連絡は、先頭馬車の御者にサムトーが試しに挑戦してみること、夕方は予定通り、二十キロほど先の、集落に近い川辺の空き地で野営することの、二つだけだった。
昼食が済むと、休みを挟みながら、それぞれの仕事をする。ロギンスとボルクスは荷物の点検をしているし、メルテが今夜の見張りについて確認している。
芸人達は、芸の勘が鈍らないよう確認をしていた。
ジャグリングをする者、ナイフ投げの練習をする者、踊りの確認をする者など様々だった。こうやって、公演のない日は、昼食休憩時に芸の練習をしていたのだった。
レイナたち曲芸の四人組も、同じように技の確認をしていた。フェントが近くにいるが、危険なのでさすがに声を掛けたりしない。
「フェント、ちょっと話いいか」
「ああ、みんなの技を見てただけだからな。何の話だい?」
サムトーは少しフェントと話したかったので、ちょうどよかった。
「道化の役って、難しそうだな、と思って。何かコツでもあるのか?」
「何真面目な話振ってるんだか。……まあ、いいけどな」
フェントも少し真面目になって答えた。
「要するに、人間誰だって、面白けりゃ笑うし、どっちかというと笑って過ごす方が好きなんだ。だから、面白おかしくなるようなドジを見せてやればいい。ただそれだけさ」
「簡単に言うなあ。それが難しそうだって思ったんだけど」
「そんな考え込むほどのことじゃないさ。俺場合、ほとんど素だから」
「素? いつもの自分のままってことか?」
「そうそう。分かるだろ。昨日も、あそこの四人誘ったみたいにさ、楽しそうな方を自然と選ぶんだよ」
フェントがどうだと言わんばかりに胸を張った。
そこに女性の声が割り込む。
「そりゃお役に立てて光栄だねえ」
いつの間にか、レイナ達曲芸の四人が近くに来ていた。
「でも、いいこと言うじゃない。楽しそうな方を選ぶって大事よね」
ポーラが続いて言う。
「私達も、それで曲芸やってるわけだし」
「自分も好きで、お客さんも楽しめるんだから、いいことだと思う」
マリーとアイリも続いた。さすが息の合った四人である。
「サムトーもさ、フェントみたいに面白いとこあるんじゃないかって、私は思ってるんだけど」
「そう、それ分かる。来たばかりのせいもあるけど、まだ固いって言うか」
「それは仕方ないんじゃないかなあ」
「でも、フェントみたいにお調子者でも困るんじゃない?」
四人の言葉に、フェントがうんうんとうなずく。
「お調子者はいくらいても困らないぜ。いつでもどこでも明るく楽しくな」
サムトーが軽く笑った。同年代の仲間との会話は、奴隷剣闘士時代は生き残りを賭けた技術的な話ばかりだった。猟師の同年代は二人いたが、あまり接点はなく、会話も少なかった。同年代の仲間と、こんな風に実のない会話することが楽しいとは、また新たな発見だった。
「要するに、肩の力は抜いていいってことだよな。それだけは分かった。これからはそうさせてもらうよ。みんな、よろしく」
フェントが会心の笑みを浮かべた。半分ニヤリという感じだったが。
「そうそう、そうしてくれ。仲良くしようぜ、相棒」
「ありがと。……んじゃ、馬の世話行ってくる」
サムトーは言うなり、倒立後転からの後ろ宙返りを決め、親指を立てて見せた。そのまま歩き去る。
「結構やるなあ、あいつ。そのうち公演にも出られるぜ」
フェントの感想に、他の四人もうなずいた。
一時間半程の休憩を終え、一座は再度出発した。
昼も過ぎ、気温も結構上がってきていた。
サムトーは先頭の馬車の御者台にいた。長く座り続けるために、綿を入れた皮が敷いてある。
手綱を握り、肩の力を抜いて、漠然と前方を見渡す。進むのは馬のシシオウに任せて大丈夫なので、異常がないかを見るだけでいい。目線がいつもより高いところから、のんびり景色が移ろいゆくのを眺めているのは、アイリが言っていた通り、結構いい気分だった。
「いい調子じゃないか。あとは退屈に負けないだけだな」
隣を歩いていた、動物達の世話をするリーダー、デニスが言った。
「そうですね。にしても、舗装された街道って有難いもんですね」
「そうだな。神聖帝国は嫌いだけど、街道を整備しているのは、実際大したことだと思う」
とは言え、大都市を経由しない、どちらかというと辺境の街道なので、馬車二台がギリギリすれ違えるだけの幅しかない。前から馬車が来たら上手によけないと、と思っていた矢先、前から小型の馬車が一台やってきた。
サムトーが手綱を左に引く。シシオウも馬車の接近は分かっていて、ゆっくり左側へと寄せていく。後続の馬車もそれに続く。
しばらくして、手を振って近づく馬車に挨拶する。向こうも同じように手を振り返してきた。そうして何事もなくすれ違うと、また道の中央に馬車を戻す。
「とても初めてとは思えないな。うまいじゃないか」
デニスにそうほめてくれた。
「シシオウのおかげですね。デニスの教え方もよかったし」
謙遜でなく、サムトーは本当にそう思っていた。
「サムトーは、そういうところも含めて、呑み込みが良くていいな」
「それだけが取り柄ですんで」
ちょっと調子に乗って言ってみる。
デニスが声を上げて笑った。
お、ウケた。サムトーも内心ほくそ笑む。
「よし、じゃあしばらく任せた。他の馬車の様子を見に行ってくる」
デニスが三頭の犬を連れて後方へと下がっていった。
代わりにフェントがやってきた。
「お、板についてるじゃないの。初めてとは思えないぜ」
「ありがとう。おかげさまで」
「何かコツつかんだみたいだな」
「ああ、馬と仲良くって教わって。シシオウが良くなじんでくれたから」
「ほう、ほう」
フェントが感心してうなずく。同じことをフェントも教わっている。それより、たった一日で馬がなじんだのがすごいと思ったのだ。そう言えば、俺自身も、元からお調子者で馴れ馴れしさをもっているつもりだが、サムトーとは、それだけでない話しやすさを感じていた。人や動物がなじみやすい何かを持っているのだろうと思った。
そこへアイリがやってきた。
「あ、話し中だった?」
「構わないよ、全然。な、サムトー」
「もちろん。何か話でも?」
「うん。猟師って、宙返りできるのかなって」
フェントがなるほどという表情をした。チームのみんなから、アイリが曲芸バカと呼ばれるゆえんである。
サムトーにその辺は分からない。
「え、いや、できる人の方が少なかったよ」
「そうなんだ。町や村の人達も、あまりできる人っていないのかな」
アイリは、生まれて十七年を、全て旅芸人として生きてきただけあって、世情には疎いらしい。サムトーも似たようなものだが。
「うーん、多分少ないんじゃないかな。でも、何でそんなことを」
「何となく気になったから。でも、そしたら、私達が旅芸人として技を見せるのって、意味のあることなんだね」
「そりゃそうさ。滅多に見られない、すごいものを見て、お客さんは喜ぶんだと思うよ」
サムトーが剣闘士だった頃も同じだったのだろうか。普段見られない殺人の技を見て、客は喜んでいたんだろうか。気分に苦いものがこみ上げる。
「サムトーは、どこで宙返り覚えたの?」
思い出したとたんに、思い出したくない質問が来た。だが、他意のない質問に、つい正直に答えてしまった。
「剣闘士の頃、生き延びるためにね」
サムトーが苦り切って答えたのを見て、アイリの表情が変わった。
「ごめんなさい。嫌なこと聞いちゃって」
「気にしなくていいよ。もう昔のことだし」
気まずい雰囲気を察してフェントが割って入った。
「そうそう。サムトーはサムトーだ。俺たちの新しい仲間なんだ。変な遠慮はナシで行こうぜ」
「ありがとう、フェント」
サムトーとアイリの礼の言葉が見事にかぶった。二人で顔を見合わせ、どちらともなく笑い出した。
アイリの笑顔を見て、サムトーは心の底に言葉にできない感情が生まれるのを感じた。きれいというか、かわいいというか、猟師の所でミリアの笑顔を見ていたのとはまた違う、別の何かだった。
「あ、じゃあ私行くね。ありがとう、サムトー、フェント」
アイリが立ち去っていく姿を、サムトーはずっと追っていた。
そんなサムトーの様子に、どうやらフェントは気付いたようだった。
「いい娘だろ。……うーん、しかしアイリかあ。意外といえば意外だけど、うーん、でも、まあお似合いかもな」
言われた側も、この種の経験はないが、何となく言われていることを察していた。
「お似合いって、お、俺は、別に……」
フェントが声を上げて笑った。
「ま、始まったばかりだからな。そのうち分かるだろうよ」
仲間と話したり、景色をのんびり眺めたりしているうちに、時間は過ぎ、日が傾きつつある頃、野営予定の河原へ到着した。
馬の世話、宿泊用天幕の設営、食事の支度など、いつもの作業がいつものように進む。
やがて、日が沈む頃には夕食となる。
その片付けも終わり、月と星の明りが世界を照らすようになった頃。
フェントが声を掛けてきた。
「サムトー、かなり大事な用がある」
珍しく真剣な表情に驚き、表情を引き締める。
「大きな声を出すな。静かに俺についてきてくれ」
了解の意を込めて、黙ってうなずく。
フェントも無言になり、静かに歩き出す。
それとなく周囲を窺いながら、一座から離れていく。
やがて、川に近い大樹の陰に来る。もちろん、近くに人気はない。
「この辺でいいだろう。いいか、これから見るものは、絶対に誰にも話すんじゃないぞ」
念を押されて、サムトーが再び黙ってうなずく。
「しばらく待て。多少時間がかかるかもだ」
小声でフェントが言う。
サムトーが怪訝な表情を浮かべる。「かも」とは?
十数分はそのまま待っただろうか。
女性達の声が聞こえてきた。だんだん近づいてくる。
木の陰からそっと様子を見ると、レイナ達四人だった。手に何か荷物を持っている。
フェントが親指を立てた。ますます訳が分からない。
やがて、四人は川縁で衣服を脱ぎ始めた。一糸まとわぬ格好になると、そのまま川へと入っていく。
「ふう。冷たくて気持ちいい」
「やっぱ、夏場だと毎日水浴びしたいところよね」
「体拭くだけだと物足りない気がするし」
「同感。はあ、生き返る感じ」
サムトーが目を見張った。いや、見張ってはいけないのかもだが、ばっちり目に焼き付けてしまった。
フェントが肩を叩いてきた。思わず振り向くと、またしても親指を立てている。どうやら目的はこれだったようだ。それにしても、どうして水浴びする場所が分かったのかが不思議である。天性の勘なのか、地形を見て判断したのか。
とにかく、四人に聞こえないよう、サムトーがささやく。
「なあ、いくら何でも、これはまずいんじゃ……」
「もちろんさ。だが、美しいものを見るのが罪というなら、あえてその罪を犯そうではないか」
何か格好良さげなことを言っているが、悪事を認めているだけである。
サムトーが静かにため息をついた。
「逃げたい……」
「ま、今動いてバレたら、そっちの方がヤバい。静かに見守ろう」
「……」
女性陣は、フェントとサムトーが隠れているなどとは、夢にも思わない。
「フェントも同年代の男が来て、ずいぶんうれしそうね」
「何かと話しかけてるし、仲良くしたいみたいだったわ」
「私も一緒に話したけど、もう仲良しみたい」
「いいことじゃない。こっちにばかり付きまとうよりいいわ」
無防備なまま、のどかにその二人の話などをしている。
体を沈めてばかりだと冷えるのか、時々立ち上がるので、その都度全身が見えてしまう。
女性の体など、幼い頃以来見たことはないサムトーである。好奇心が理性を上回り、ついフェントと一緒になって見つめてしまった。正直なところ、柔らかそうな曲線で形作られた体は、思った以上に美しいと感じていて、目が離せなかったのだった。
しばらくして、体も冷えてきたのだろう。
「そろそろ戻るわよ」
レイナの声で、皆が水から上がる。持ってきた布で体を拭くと、手際よく衣服を着ていく。
その頃になって、やっとサムトーの理性も回復したようで、最初から最後まで見てしまったことに、今更のように罪悪感を覚えていた。とは言え、バレるわけにもいかないので、四人が立ち去るまで静かにしていたが。
四人の姿が見えなくなった頃、サムトーが再び嘆息した。
「おい、フェント。さすがにマズいよな、これ」
「まあね。バレたら、一座のみんなから吊し上げだな」
「心臓に悪すぎる。過ぎたことは仕方ないから、今回だけにしてくれよ」
「さあて、どうかな。その頃にはお前さんも考えが変わって、やっぱ次も一緒に行きたいってなるかもよ」
「ならねえよ!」
「ま、そういうことにしといてやるか」
そんなやり取りをして、二人も天幕へと戻っていく。
「でも、良かったろ。女体の神秘ってヤツだな」
悪びれもせず、ニヤリと笑いながら言うフェントに、またもやサムトーはため息をついた。
「……きれいだったのは認める」
「そうだろ。良い目の保養になったぜ」
天幕に戻ると、二人は何事もなかったように、自分の仕事をこなした。
そして、それぞれ自分の寝床で寝たのだが、フェントはぐっすり眠れたのに対し、サムトーの寝付きは今一つだった。
移動二日目。翌日の昼過ぎには、次の目的地コーポラの町に到着の予定である。
サムトーは午前中に御者を務めた。せっかくコツをつかんだので、早めに慣れさせてやろうという、デニスの配慮だった。
特に何事もなく、順調に馬車は進んでいく。
そこへ、座長のカリアスが不意に現れ、声を掛けてきた。
「サムトーにちょっと話があってな」
「はあ、何でしょう?」
「実はな、何か楽器ができないかと思って、相談に来たんだ」
いわく、公演の時は、やはり音楽があった方が良い。だが、ジャグリング担当のトニトが太鼓を、ナイフ投げ担当のラントがラッパを、物品管理サブのボルクスがギターを演奏できるだけで、楽器担当者が少ないのが悩みの種だという。そこでサムトーに期待してきたというわけだった。
「楽器なんてものには、これまで縁がなかったですからねえ。何せ剣闘士でしたし……あ、でも養護施設時代、縦笛だけは吹けましたね、そう言えば」
「縦笛かあ。馬車にあったかな。……ちょっと待っててくれ」
言われるまま、サムトーが御者台で待つ。
カリアスは、ボルクスを連れて戻ってきた。
先ほどの話を二人に繰り返すと、ボルクスがうなずいた。
「縦笛ですか。ありますよ、確か銅でできたやつが」
「それは助かる。昼食休憩の時に、確認してみよう」
そう言って、座長とボルクスは立ち去って行った。
それから二時間ほど、昼食休憩の場所へと到着する。
昼食が済むと、早速とばかり、カリアスはサムトーを連れて、ボルクスの案内で公演天幕用の馬車へ向かった。
三人で馬車に入り、予備の物品の置かれた隅の方へ行く。
「これですな。サムトーが吹くんで?」
「試しにと思ってな。楽器増えるとありがたいからなあ」
サムトーは、ボルクスに渡された縦笛をいろんな角度から観察した。養護施設で吹いていたのは木製だったが、銅製であっても、作りに大きな差はないようだった。
「じゃあ、ためしに一曲」
子供の頃に、養護施設のお祭りで演奏していた行進曲を吹いてみた。軽快な旋律が流れる。懐かしさと楽しさに、サムトーも夢中で吹き鳴らした。
「おお、これなら」
「いけそうですな。私のギターとも合わせてみたい」
カリアスもボルクスも喜びの笑みを浮かべた。
「よし、今日からその笛はサムトーの物だ。今晩、早速楽器連中で合わせてみてくれ」
「もらっちゃっていいんですか?」
「もちろん。じゃあ、早速今晩よろしく頼む」
「分かりました。せっかくなので昼の休憩のうちに少し」
そう言うと、サムトーは馬車から離れ、人の少ない場所へと移動した。
そこで、八年以上前の記憶を引っ張り出し、吹ける曲を片っ端から試してみた。案外覚えているもので、多少忘れていても、すぐに思い出して吹けるようになった。
気が付くと、出発準備の時間になっていた。それほど夢中になって吹いていたのである。
サムトーはその銅の縦笛を、馬車の私物入れに大切にしまった。
二日目の野営も、街道から少し入った、川に近い場所で行った。やはり水の確保が最優先なのである。
諸々の作業が済み、夕食を終えると、約束通り楽器の音を合わせることになった。
太鼓はジャグリング担当のトニト、三十五才。ラッパがナイフ投げ担当のラント、二十六才。ギターが物品管理サブのボルクス、四十一才。サムトーも加えて、男ばかりの集団となった。
まず、ボルクスがギターでメロディラインを教える。難しくはなく、基本同じ旋律の繰り返しなので、サムトーもすぐにそれに合わせて吹けるようになった。
サムトーがメロディを覚えたところで、トニトの太鼓をベースに、ボルクスのギターで和音を、ラントのラッパで主旋律を加える。サムトーが縦笛で副旋律を吹いて演奏を合わせた。実のところ、全員若干のミスがあったりするのだが、構わず続けて演奏していた。三回ほど繰り返して、いったん演奏を止める。
「これなら十分公演で使えるな」
一番年長のボルクスが言う。前からいた二人もうなずく。サムトーも太鼓判をもらってほっとした。違和感も特になく、舞台の雰囲気づくりには十分だった。
そんな調子で、全部で五曲練習をした。
一座の他の面々も、興味津々とやってきて、演奏が終わると拍手が起こるようになった。
サムトーは、アイリの言葉を思い出していた。
「私達が旅芸人として技を見せるのって、意味のあることなんだね」
それに対し、自分はこう答えたはずだった。
「滅多に見られない、すごいものを見て、お客さんは喜ぶんだと思うよ」
この演奏も、それほどすごいというわけではないが、それでも客を喜ばすのに十分な価値があるようだった。剣闘士時代は、自分達の殺し合いを見せて客を喜ばせても、うれしくもなく、むしろ『自分達が代わりに戦えよ』と思うくらい腹立たしかった。だが、こうやって純粋に人に喜んでもらえることは、とてもうれしいと感じた。猟師時代、獲物を狩って村の人達に喜んでもらえたのと同じように、やる気が心の底から湧いてくるのを、改めて実感していた。
時々のどを潤しながら練習は続き、およそ二時間程度で、全部の曲を形にすることができた。さすがに四人とも軽い疲れを感じた。しかし、首尾よく仕上がったことに、大きな安堵の息をついていた。
「一人増えると、音に広がりが出て、いい感じでしたね」
サムトーの次に年少のラントが言った。ラッパ単独でメロディを支えてきただけに、そこに厚みが増したのを純粋に喜んでいた。
太鼓のトニトも同意見だった。
「ああ。リズム取ってても、ノリが違うな」
「どうですか、座長。明後日の公演から四人でやろうと思うんですが」
ボルクスが確認をとる。
座長のカリアスは笑みを浮かべてうなずいた。
「ああ、ぜひとも頼むよ」
三人が同時に親指を立てた。少し遅れてサムトーも続く。
「では、明日の夕食後、もう一度確認して、明後日本番ということで、よろしく頼む。今日はお疲れ様。そろそろ休んでくれ」
座長の言葉に四人がうなずく。
「軽く汗流して、寝るとするか」
ボルクスの言葉で、みなそれぞれの楽器を手入れして片付け、着替えを用意して川で水浴びをするのだった。
翌日の昼過ぎ、目的地であるコーポラの町に到着した。
あいにくの天候で、朝方に小雨に見舞われた。歩いていた人達は多少濡れてしまったが、昼前には雨も止み、昼食休憩の時には濡れた服もみな乾いていた。
コーポラの町は、市街地におよそ一万五千人ほどが住んでいる。出発してきたトルネルの町と比べれば四倍は広い。街道の比較的主要な宿場町で、近隣の農村を含めれば、人口は二万に達する。大きな町なので、公演も明日から三日間と長めに行う予定となっていた。
やはり水の便が良い、川に近い場所に馬車を止める。
馬車を扇状に並べ、馬は外して休ませる。柱を五本ほど立て、荷馬車との間に縄を張り、縄と縄の間に布を張って天井にする。舞台となるところに板を敷き詰める。座席の部分には、厚手の布を敷き詰めていく。詰めれば五百人ほどは座って見られる広さがあった。舞台の後方と出入口の左右に幕を吊るす。その後、出入口の近くに露店の用意をして、宿泊用の天幕を立て、終了である。
設営が終わったころには、日は傾き、夕暮れ時となっていた。公演の宣伝に行っていた者達も、町に食料調達に行っていた者達も戻ってきた。
いつものように夕食の支度となる。町にいると、保存食でなく、買いたての食材を使えるのが良いところだ。
夕食後、楽器の四人で再度演奏を合わせる。他の者も、衣装の確認、舞台や照明の点検、用具の準備などに余念がない。
そして、翌日に備えて、みなしっかりと休養を取るのだった。
翌日、朝食後に軽くリハーサルを行い、いよいよ開幕となる。
出入口では、入場料を取って観客を誘導する。見物料は銀貨一枚。神聖帝国では、金貨一枚が銀貨二十枚、銀貨一枚は銅貨五十枚に換算される。物価は食事一食銅貨十枚から高くても三十枚程度なので、銀貨一枚は結構な値段である。観客もそこは承知で見物料を支払っている。
日がかなり高くなった頃、いよいよ午前の部の公演が始まった。客層も老若男女様々で、客席はほぼ満員だった。
最初に座長が挨拶する。
「本日は、我がカリアス一座の公演にお越しいただき、誠にありがとうございます。短い時間ではありますが、みなさまにはぜひ、一座の妙技をお楽しみいただければ幸いです」
座長の挨拶に、大きな拍手が沸く。町の人々もみな心待ちにしていたようだった。
最初は二人の男性のジャグリングからだった。一人六個の玉を、次々と宙に放り上げては、落とすことが全くない。それだけでも見事だったが、動きを止めないまま、今度は二人で玉を交換しながらの技に変わった。距離を縮めたり離れたりと、動きながらでも玉を落とすことはない。しばらくした後、一人片手に三個ずつの玉をきれいにつかみ取る。そして客席に向かって一礼した。再び大きな歓声と拍手が沸いた。
次は玉乗りだった。道化の服を来たフェントが、玉の上に乗り、転がしながら舞台へと現れた。舞台を自在に走り回った後、逆立ちをしようとしてわざと失敗して見せる。それを繰り返す都度、客席から笑いが起こる。怒った風を装った少年が、その玉を今度は足で蹴り、頭で止め、足元に落としてはまた蹴り上げるといったリフティングの技を始めた。自由自在に宙を舞う玉の様子に、観客から拍手と歓声が起こった。
その次は踊りだった。三人の女性が、陽気な音楽に合わせて舞台を自在に動きながら踊って見せる。動きはとても優雅で、三人が見事にシンクロしていて、見る者を魅了する美しさがあった。曲が終わって、女性達が一礼するとまた大きな拍手と歓声が上がった。
次いで犬の芸。デニスの指示に犬達が忠実に従う。伏せ、走り、ボールを空中でキャッチする。仲間二頭が伏せているのを飛び越したり、輪をジャンプでくぐったりと、様々な技を披露する。締めは一声吠えた後、一人と三頭が同時に頭を下げる。犬達のかしこさに感心させられる芸だった。
それから、ラントのナイフ投げの技。最初にナイフ三本を器用にジャグリングさせる。その後、柄を持って的に向かって投げる。どれも的のほぼ中心付近に刺さっている。その三本を引き抜くと、今度はいろいろな姿勢から投げる。ナイフの上にナイフを、そのまた上にナイフをのせてバランスを取って見せる芸もあった。
続いて二人の男性の奇術。帽子の中から花束を取り出したり、物を空中に浮かせたりと、見た者の驚きを誘う。締めは、細長い箱に女性一人が入り、そこに剣を突き刺していく。挙句に、箱を真っ二つにしてしまう。最後に箱を元に戻し、剣を引き抜くと、最初に入った女性が無事に現れて、大きな歓声と拍手が沸いた。
やはり、最後の曲芸が一番観客を沸かせた。レイナ、ポーラ、アイリ、マリー、四人の女性が手を振りながら登場すると、側転、前宙返り、後ろ宙返りなど、様々な技を披露する。最後は三人が一人を持ち上げて、空中に放り投げる。空中でその一人が体をひねりながらの宙返りや二連続の宙返りなど、高難易度の技を決めていく。宙を舞うたびに観客から感嘆の声が漏れ、終わった時は今まで以上の拍手と歓声が上がった。
それらの全てを、サムトーは舞台の端の方で、銅の縦笛を演奏しながら見ていた。芸人達の全力を尽くした演技、観客たちの喜ぶ様子、とても素晴らしい一体感を感じた。そこに、演奏者として加わり、場を盛り上げる一助となれたことが誇らしかった。観客の誰もが全く退屈を感じない、とても濃密な一時間半だった。
「以上で、我がカリアス一座の公演を終了とさせて頂きます。みなさま本日はご来場ありがとうございました。気を付けてお帰り下さいませ」
座長の挨拶で、観客達が天幕を出ていく。それを見送りながら、サムトーも控室に戻り、一座のみなと手を叩き合うのだった。
三日間に渡る公演は無事終了し、その夜、一座は宴を催した。
サムトーもすっかり一座の仲間となっていた。まだ一週間ほどだが、互いに信頼し、打ち解け合える仲となっていた。
「公演終了、今回もよくやった! サムトーも大したもんだ!」
フェントが上機嫌で言う。同年代の同性は今まで一座にいなかったので、こうして親しくなれて、本当に嬉しそうだった。
「ありがとう、フェント。いや、頑張った甲斐はあったよ」
「俺もさ、実はちょっとミスしそうになったんだけどな。まあ、笑いも取れたし、結果オーライと言うことで」
「そうなのか、気付かなかった」
「にしてもさ、公演中が終わった後の、この解放感はたまらないなあ。酒がうまい」
フェントの本心なのだろう。実にうまそうに酒杯をあおっていた。
サムトーも酒杯に口をつける。フェントといると気が楽というか、気持ちが解放されて、同じように酒がうまく感じる。
「そうだよな。俺も緊張した。それに、みんなも、こう引き締まった雰囲気というか、芸に魂がこもってる感じになっててさ。演奏しながら見てても、こうグッとくる感じしたなあ」
「言えてる。やっぱ芸人魂に火が付くんだよ、みんな」
そんなところへ、今回も、レイナ、ポーラ、アイリ、マリーの四人がやってきた。こういう場では、何となく同年代の方が話しやすいのだろう。全員酒杯を持ってきている。ここ神聖帝国では、酒を飲むのに年齢制限などは特にない。年齢が一桁でも、風邪をひいたときなど、ごく少量だがアルコールを摂取させることがあるくらいである。
「私達はどうだった?」
「もちろん、いつもだけどサイコー!」
フェントが腕を振り上げて叫ぶように言う。
「うんうん、ありがとね、フェント」
レイナもいつもの調子で答える。
「見事すぎて、あやうく演奏止めるとこだった」
サムトーも本音で言う。そのくらい見とれそうになったのだ。
ほめられたと気付いたアイリが、少し照れたような反応した。
「笛の音、聞こえてたよ。すごく演技しやすかった。音がいいと、気分が乗ってやりやすいみたい」
「そっか。そいつはうれしいなあ」
互いに照れあう二人を見て、レイナとポーラ、マリー、フェントがひそひそと話した。
「思ったよりお似合いかもね、この二人」
「曲芸バカにも春が来たのかしらね」
「こういう出会いがあってもいいよね」
「そうだなあ。最初から話弾んでたしなあ」
サムトーがそんな様子に気付いた。
「ん? どうかした?」
「いや、何でもないよ」
レイナが不意に話を振ってきた。
「それよりさ、ちょっと相談なんだけど」
話が弾むということ以外にも、どうやら別にも理由があるようだった。
「明日、町に行くとき、一緒に行かない?」
レイナが本題を切り出した。初めからそのつもりだったようだ。
「女四人で行ってもいいけど、せっかくサムトーも来たんだし、町を見て回るなら一緒の方が楽しそうだし、どうかなーって」
ポーラが補足した。
サムトーが首を傾げた。
「そう言えば、明日は昼まで自由行動だとかなんとか。どういうこと?」
ここでサムトーが事情を知らないことに皆が気付いた。フェントが代表して答える。
「コーポラみたいな大き目の町に来たときは、公演も長めにとるだろ。人も多いし、見物料もいつもより多いんだ。だから、最後の日の午前中は、買い物でも食べ歩きでも、好きなようにしていいことになってる。その分のお金ももらっただろ?」
なるほど、それで一人銀貨四枚配られたのか、とサムトーは納得した。
「男二人で行くより、女の子一緒の方が楽しいに決まってる。お前もそれでいいだろ、サムトー」
フェントの方は考えるまでもない、といった風情だった。
「俺は構わないけど、町の中での買い物なんて、実はろくにしたことがないんだ」
十才から八年間奴隷剣闘士だったサムトーである。自由な買い物など許されるはずがなかった。養護施設時代にお使いをした程度で、町にどんな店があるのかもあまり知らない。
「話は決まりね。適当にぶらぶらして、服とか小物見て、お昼ご飯食べるくらいだし、全然大丈夫だから」
「あと、たまには甘いもの食べたいかなあ、ってくらい」
レイナとマリーが話をまとめた。
サムトーも安堵したが、忘れ物を思い出したように言った。
「あ、でも、とりあえず財布買わないと。金を入れるもの持ってない」
「ちょうどよかったじゃない。じゃあ、最初は財布からね。アイリ、選んであげたら」
ポーラが手を叩き、年下の相棒に話を振った。先ほどの会話で、つい聞いてみたくなったようだった。
言われた方がびっくりして、恥ずかし気に手を左右に振る。
「わ、私、そういうの選ぶセンスないから……」
「そんなことないわよ。何か買うとき、どっちがいいって聞くと、いつもいい方を選ぶじゃない」
「それはいつも、どっちもいい物だからで、私のセンスじゃないもの」
マリーが一つ年上の相棒をフォローするが、アイリにしてみれば、本気でこの種のことには自信が持てないのだった。
「ま、それはいいとして。せっかくだから楽しく行きましょ」
「そうそう。行けばいいもの見つかるし、心配ないから」
レイナとポーラが強引に話を元に戻す。演技から会話の流れまで、何事においても実に息の合った四人である。
「まあ、俺達と一緒なら、何かあってもお任せあれだ。四人とも、誘ってくれてありがとな」
フェントが、相変わらずお調子者風に礼を言った。
レイナがうんざりした顔になった。フェントの言葉にではなく、嫌な事を思い出したからだった。
「お任せね。ぜひそうして。前、サンリヒトの町で買い物してた時、しっつこい男が寄ってきて大変だったのよ」
ポーラ、アイリ、マリーも揃って苦い表情になった。
「ぼくがいい店を案内してあげるとか、ぼくといいことしたいんじゃないとか、余計なお世話だっての」
「私達、他に行きたい所があるって言ったら、今度は、じゃあ案内してあげるとかって」
「ほんとはぼくのこと、カッコイイって思ってるんでしょ、とか言ってて、どんだけ自信過剰だって話よ、全く」
釣られてサムトーとフェントも苦い顔になる。フェントはお調子者だが、ここまでずうずうしくはない。
「俺が言うのも何だが、サイテーだなあ」
「ははは、笑いが乾くわ、そりゃ」
「でもね、そんなことさえなきゃ、やっぱり大きい町は物が多くて楽しいんだけどね」
その後もこの六人で、町での出来事を中心に、普段の生活での出来事など、ごく何気ない会話をしながら、酒杯を重ねていった。
翌日、朝食と天幕などの撤収作業が終わった後、サムトー達六人は、昨日の約束通り、揃って町へと出かけて行った。
町の中央通りから、通り一本隔てたところに商店街があった。まだ午前の早い時間だが、すでに開店している店の方が多く、そこそこ人が通りを歩いていた。
「まず財布だったわね。小物売ってる店って、どこかしら」
「この町も一年ぶりだし、案外覚えてないものね」
こういう時、やはり年長の女性二人、レイナとポーラが率先して動いてくれる。アイリとマリーも看板を頼りに、店を探してくれていた。
「食べ物屋が多めだな。道具屋に服飾店、古着屋、薬屋っと」
フェントも久々の町巡りを楽しんでいるようだった。
サムトーも物珍しさに目を丸くしながら、店を探した。
「あ、小物の看板、ここじゃない?」
やがて、一番に店を見つけたのはアイリだった。
「こういうの見つけるの、何気にアイリ得意よね」
レイナがそう言って、店の扉を開く。五人がその後に続いた。
店内は明るく、思いの外広かった。鞄の類、袋物、髪留めなど、種類も結構豊富である。もちろん、目当ての財布も二十数種類置いてあった。
「サムトーは何か好みとかあるのか?」
「いや、恥ずかしながら、自分の財布を持ったことがなくて……」
サムトーは頭をかいた。
「革袋か布袋か、折り畳み、どれがいいのかな」
「うーん、旅暮らしで、私達もこういう時くらいしか、財布つかわないもんねえ。私達は布袋だけど。扱いが楽だから」
レイナが手の平より少し大きいくらいの、青地の巾着袋を取り出す。ポーラもアイリもマリーも、色は違うが似たような巾着袋だった。
「俺は革袋。滅多に使わないからこそ、むしろ頑丈な方がいいかと思って」
「なるほど。俺も丈夫な方がいいかも」
サムトーがフェントに同意する。
「なら、この辺なんかどう?」
「こっちも悪くないわよ」
「これも丈夫そうでいい感じかも」
「むしろ、こういう普通のが一番なじむかもね」
女性四人が本人を置いて盛り上がる。物が選べる機会は滅多にないので、かなり楽しいらしい。
しばらく悩んでから、結局、サムトーはアイリの意見を採用した。質素だが丈夫そうなのがしっくりくると思った。
「じゃあ、これにするよ」
サムトーが支払いに向かうと、また四人がひそひそ話を始めた。
「やっぱアイリのにしたわね」
「感性が合うのかしら」
「好みが合うのって、何かうらやましい」
「そうだなあ。これは温かく見守ってやらないと」
外されたアイリは、不思議そうに四人を見つめている。
やがて、サムトーが戻ってきた。
「お待たせ……って、何かあった?」
四人が同時に首を振る。
仲間外れだったアイリが、思い出したように言う。
「髪留め、どうする? ここで買う?」
演技中に使っている、髪を結わく紐のことである。何本か持っているが、たまには新しいのが欲しくなるのものである。
「とりあえず出ましょう。店を回ってるうちに、他にも欲しい物出てくるかもしれないし」
「そうだな。あ、俺、靴欲しいかも。そろそろ限界だし」
フェントの言葉で方針は決まり、次は靴屋を探しに行くのだった。
その後も六人で、いろいろな店を冷やかしながら町を巡った。
ちょっとしたお菓子を買い食いし、靴を買い、髪留めを買い、そろそろ昼食を取ろうか、ということになった。食事のできる店が立ち並ぶ一角へと足を運ぶ。
何を食べようか、店の表に貼ってある献立を見比べながら、どの店にしようか物色していた時、トラブルが起きた。よそ見をしていたアイリが人とぶつかってしまったのである。
「ごめんなさい」
即座にアイリは謝ったのだが、相手が悪かった。ぶつかった筋骨逞しい長身の男と、その腰巾着とおぼしき男が二人、相手がかわいい年頃の女性と見て、絡んできたのである。
「ああん? それで謝ってるつもりか?」
「あ、すみませんでした。本当にごめんなさい」
「そう思ってるなら、俺達に付き合えよ。そっちの連れのお姉さんたちも一緒にな」
サムトーは、猟師のところにいたとき、似たような感じで妹分のミリアが絡まれた出来事を思い出していた。この種の輩は見ていて本当に腹が立つ。
「何よあんたたち。ちゃんと謝ってるでしょう!」
だが、先にレイナが堪忍袋を切ってしまった。
これはいかんと思い、サムトーが割って入る。前回はゴタゴタに入るのが遅くなり、そのため猟師の元を離れる羽目になったのだ。そのことを悔いていたので、今回は先手で正当防衛を成立させてしまおうと考えた。
「お兄さん方、本当にすみませんね。この辺で勘弁してもらえませんか」
言葉は丁寧だが、表情は笑っていた。
男達が腹を立てて、矛先を変えてきた。
「何だ、この野郎、邪魔するってのか?」
「もちろん。きっちり邪魔させてもらいますって」
サムトーもその気になれば、思い切り挑発的になれる。
元より質の悪い男達だ。即座に激怒した。
「ふざけんじゃんねえ!」
長身の男が殴り掛かってきた。もちろん容赦なしの全力である。
サムトーはそれを見切り、軽く横から叩いて腕の軌道をそらし、頭の左側で空振りさせた。
「ふざけてますけど。それが何か?」
さらに挑発を重ねる。
「この野郎!」
怒りに我を忘れた人間は言葉が急に貧弱になる。悪役のテンプレのような怒号を上げて、サムトーに繰り返し殴り掛かってきた。
しかし、何発殴ろうとも、全て軌道をそらされ、叩き落され、何の効果を上げることもなかった。サムトーも涼しい顔である。
野次馬も増えてきた。何せ昼飯時の往来である。目立たないはずがなかった。みな遠巻きに様子を窺っている。その中には、当事者だったアイリと、その仲間四人も混じっていたのだが、あまりの展開の速さに、成り行きに任せるほかなかった。
「おい、お前ら、こいつを押さえつけろ!」
同行者の存在を思い出し、長身の男が二人に命令する。呆然としていた二人の男が、ようやくとばかりサムトーにつかみかかろうとした。
サムトーには見え見えである。軽く後ろに下がってかわすと、二人の背中を軽く小突く。男二人がバランスを崩し、互いの頭同士が勢い余ってぶつかり合う。
つかみかかってきた男二人は、あまりの痛みに頭を押さえてうずくまってしまった。
「く、くそっ、何だこいつ」
それでもあきらめず、拳を繰り出したのはむしろあっぱれだったかもしれない。もちろん、余裕で叩き落されているが。
「何事だ!」
ちょうどそこへ、町の警備隊がやってきた。
「ち、仕方ねえ。今日はこれで勘弁してやる!」
さすがに一方的に殴り掛かって全部空振りしました、という言い訳が通用しないことは、長身の男達も分かっている。これまた型通りのセリフを残して、慌てて逃げ出した。
「で、何があった?」
警備隊たちが、サムトーに事情を聴く。ぶつかって絡まれて、殴り掛かられた、とシンプルに説明する。周りの野次馬も、一部始終見ていた者が、その通りだと証言してくれた。
「ということで、被害もないですから、町のみなさんに後はお任せします」
などと殊勝っぽい言葉を投げると、警備隊も納得して、解放してくれたのだった。
「おい、大丈夫か、サムトー」
フェント達が近寄ってきた。みな心配そうな表情をしている。
アイリがサムトーに謝った。
「ごめんなさい。私のせいで大変なことになって……」
サムトーが手の平を掲げて止めた。
「もう済んだことだし。みんな無事だから、それで良しってことで」
「でも、びっくりした。サムトーに全然当たらないんだもの」
マリーの言葉は、全員の気持ちを代弁していた。本人は涼しい顔をしているが、見ている方は気が気でなかったのだ。
「んー、あんなの下手な踊りと一緒さ。こっちがちょっと上手に踊ってやれば、何の問題もないってことさ」
サムトーが、調子に乗った風を装って、事も無げに言う。
実際、言う通りになったのだが、よほどの力量差がないと無理だということは、他の五人にも分かった。思い起こせば、サムトーは以前剣闘士だったのだ。踊りという表現を使ったが、それを剣闘という言葉に置き換えれば、『ちょっと上手に剣闘ができる』ということだ。つまりやる気になれば『すごく上手に剣闘ができる』、言い換えれば、サムトーは凄まじく強いのだということである。サムトーの本当の強さを垣間見て、五人はそれぞれに驚きを隠せなかった。
しかし、奴隷剣闘士として逃亡中のサムトーに、そうした話題を振ることはさすがに誰もがためらった。何事もなかったようにするのが一番良いだろうと思った。
「それよりお腹空いてきたわね。何食べようか」
レイナが話題を強引に変えた。こういう時は、やはりリーダーをしているだけに、空気を読んで切り替えることができる。
「たまにはパンじゃないものを食べたいわね」
ポーラが話題を引き継いだ。さすがに息ピッタリである。
「じゃあ、そこなんかどうだ」
フェントの提案で、結局昼食はその近くのパスタの店になった。普段、小麦を食材にした食事では、薄焼きパンか堅焼きパンが主で、麺類は人数分茹でるのが大変なので滅多に作らない。普段食べられないことと、小麦の旨味を味わえる良さがあることが、これに決めた理由だった。
料理が出来上がるまでの間、前菜にローストビーフと生野菜のサラダが付いてきた。
野営では、配膳の都合で、野菜と言えば炒めるか煮るか、生ならすでに和えた野菜になるので、生野菜にドレッシングの組み合わせも、滅多に食べられないものだった。
「サラダっていいわね。しゃっきりして、ドレッシングもいいし」
「葉野菜もいいけど、トマトがうれしいかも」
「タマネギも、こうやって生で食べると、刺激的でおいしい」
「粉チーズかけてあるのも、芸が細かくていいね。コクが増すし」
女性陣四人には大好評だった。
サムトーとフェントも、彼女達の言葉にうなずきながら食べている。四人の言う通り、サラダ一つでも十分においしいものだと、改めて分かった気がした。
おいしいものは人の気分を上向きにさせるらしい。先ほどの嫌な出来事は置いといて、料理を味わう気分に切り替えることができた。
続いてスープが出てきた。こちらもシンプルなコンソメスープだが、野営生活でコンソメを作るのは困難極まりない。これまた滅多に味わえないものだった。
スプーンで口に運ぶ度、みなうれしそうな顔になる。
「旨味とコクと塩味の調和、んー最高」
食事に文句はつけない面々だが、それとおいしいものを喜ぶのは、別問題である。素直においしさを楽しんでいた。
ちょうどそこへメインのパスタがやってきた。鶏肉とジャガイモ、キノコのクリームソースが三人、ベーコンとナスのトマトソースが三人。途中で交換するように、あえて別のメニューを注文していた。
クリームの濃く旨味の強い味わい。トマトの酸味と甘みに、ベーコンやナスの香りと旨味。そして麺の歯ごたえを楽しんでいると、次第に小麦本来の旨味が染み出してくる。どちらも実においしい料理だった。
「そろそろ半分ね。交換しましょ」
レイナはポーラと、アイリはマリーと、サムトーはフェントと皿を交換する。みな違った味わいを楽しみ、顔がほころぶ。
「猟師の食事も、一座の食事も、頑張って作ってくれてるし、結構おいしいと思ってたんだよ。でも、商売で料理を売る店は、もう一段上手だなあ」
サムトーがもっともな感想を述べる。実のところ、料理屋で食事をしたのは生れて初めてだった。
「ま、誰かを喜ばせてお金をもらうってのは、俺たち芸人と同じだよな。こちらは料理という芸だけどな」
フェントの言葉に、レイナとポーラが驚いていた。
「どうしたのフェント、急にまともなこと言い出して」
「らしくないけど、言ってることがすごく正論」
アイリとマリーも笑顔で言った。
「フェントのこと見直した。すごくいいこと言うんだね」
「伊達に道化やってるわけじゃないってことね」
サムトーもうなずく。人間同士の関わりは、こんな風に持ちつ持たれつ、互いに助け合っていくのがいい。猟師達も旅芸人達も、信頼を土台にした助け合う仲間達で、素晴らしいと思う。親方と奴隷剣闘士のような、虐げる者と虐げられる者の関係はない方がいい。そして、さっきの男達のように、他人を力で押さえつけようとするのも許し難い。
しかし、そんな思いを出すのは少し気恥しい。
「何か、最後はデザートが出るって。料理も良かったし、こいつは楽しみだなあ」
サムトーがごまかすように言ったところへ、噂のデザートが来た。フルーツタルトだった。
「貴重な生の果物、こんなふんだんに使って、すっごい贅沢!」
六人の感想が一致した。
口元に運ぶ度、果物の香りと甘酸っぱさが口の中に広がる。柔らかいが歯ごたえのある果物の食感が生きている。そこにタルトの土台となる味わいが加わる。滅多に味わえないおいしさに、みな笑顔を浮かべる。
ゆっくり味わうように少しずつ口に運んでいたが、やがて目の前の皿が空になってしまった。名残惜しさはあるが、ともあれ、非常に満足のいく食事だった。
「ごちそうさま。とてもおいしかったです」
「ありがとうございます、お客さん。次のお越しをお待ちしています」
支払い済ませて、六人は馬車へと戻っていく。町でのお楽しみの時間は終わりだった。
また旅と芸を繰り返す生活が待っている。でも、仲間と仕事しながら過ごしていく、その生活がみな好きだった。そして、いろいろな土地を巡り行くことも、旅芸人達にとって楽しいことだった。
気が付けば、十月も終わろうとしていた。
サムトーが旅芸人達の仲間となってから、早くも三ヵ月が過ぎようとしていた。
十月上旬に、北の城塞都市ニールベルグで毛皮を全て卸し、その資金で金属製品や衣類等を購入し、傷んだ天幕などを補充した。
サムトーも同行し、実際の売買を学ぶことができた。ついでに賭場に案内され、勝つための技術も習得したのは余談である。
ニールベルグを出発してからは街道を西へ進み、タリアリという町から今度は南に進路を変え、ひたすら南下を続けていた。
サムトーにとって、旅芸人達との暮らしは、あって当たり前な生活になっていた。仲間との語らい、日常生活の仕事、馬の世話、公演での笛の演奏、日々違う土地を旅しながら、それをごく普通の暮らしにする逞しい仲間達。そんな彼らの一員であることに充足感を感じていた。
同年代の五人とも、とても仲良くなった。フェントとは相変わらず一緒に調子に乗り、女性陣にたしなめられては笑顔になった。
アイリとは特に仲良くなり、町を回る時などではいつも一緒だった。接し方にも変化があり、六人で町を回っている最中に、二人で手をつないでいることも増えた。フェントやレイナ達も、二人の仲を温かく見守るだけで、冷やかす気にはなれなかったようだった。
そんな平和な旅が続き、一座はカムファの町へ到達していた。
人口はおよそ五万。東西南北に道が分岐する交通の要衝で、主として交易で栄えていたが、城壁都市ではなかった。この規模の都市になると、市街地では空き地が少なく、天幕を張ることはできない。市街を迂回するように流れる川沿いの空き地に馬車を止めて、いつものように公演の準備を行った。神聖帝国の法律では、大雨で氾濫する危険性のある川沿いの空き地は、定住することを認めない代わりに、所有権は帝国にあるものとし、帝国民ならば自由に使用して良いと定められていた。代わりに、街中には娯楽が多く、また川まで市街から距離があるため、客足がどうなるかは運次第になる。
物品管理のロギンス、ボルクスらが商店で食料調達などを行っている一方で、サムトーも縦笛を拭きながら、ラッパのラント、太鼓のトニトと一緒に街中を練り歩き、公演の宣伝をした。
城塞都市ニールベルグ程ではないが、人口が多いだけあってとても賑わっている。馬車が行き交えるほどの大通りに沿って、演奏をしながら歩き、時折立ち止まって、明日から三日間公演を行うことを告げる。
途中、サムトーは奇妙な視線を感じた。明らかに害意のある気配だった。その正体は分からないが、別段この場で危害を加えようとする殺気は感じなかったので、一旦そのことは頭の片隅に追いやった。
三人は一通り回ったところで、川縁へと戻った。興味ありそうな視線がそれなりにあり、客足の心配はなさそうに感じていた。
そして翌日から三日間、一日二回の公演が行われた。
これまでの町と同様、かなりの客足があり、天幕は毎回ほぼ満員だった。
観客が多く、楽しんでもらえると、やはり一座のやる気も高まる。いつもと同じかそれ以上に、芸に気合が入っていた感じだった。ジャグリングも、玉乗りも、踊りも、犬の芸も、ナイフ投げも、奇術も、そして曲芸も観客から大きな拍手と歓声とを得ることができた。
しかし、サムトーは、初日街中で感じた害意ある視線を、観客の中から感じていた。相手に殺す気があるかどうかを感じられなければ、剣闘士は生き残ることができない。八年間の経験から得たある種の技術だった。
その日の晩、いつもなら仲間と酒杯を重ねるところだが、この日はそれを遠慮し、夜の見張りに残ることにした。
その勘は正しかった。最後の公演が終わった日の夜遅くに、事件は起こった。
サムトーは、多数の人間が近づいてくる気配を感じ取っていた。明らかな悪意が感じられた。星明りの下で視界は悪いが、人影がはっきり視認できたところで、思い切り笛を吹く。何かあったらとにかく笛を吹いて、一座の全員に知らせる決まりだった。
サムトーは護身用の木の棒を手に持つと、先駆けて人影の方へ走っていった。近づいて見ると、人数は十八人。しかし、気配が悪意から狼狽へと変化しているのを感じて怪訝に思った。
「何者だ! 用があるなら名乗ったらどうだ!」
先手を取って誰何する。その声の主が一人だけだと分かった瞬間、人影の気配がまた悪意あるものに変わった。
三人ばかりが無言で駆け寄ってくる。手には木剣を持っていた。間合いに入るなり、問答無用で打ちかかってきた。
サムトーも当然攻撃を予測している。軽く下がって剣に空を切らせると、前に出ながら棒を早業で三回突く。害意ある相手に容赦の必要はなく、急所のみぞおちを正確に打った。三人が声を発することなく倒れた。
続いてまた別の三人が打ちかかってきた。単調な攻撃である。今度は避けもせず、相手が振り下ろすより早く、同じようにみぞおちを強打して地に倒した。
「お前らは下がれ。俺が相手する」
初めて声が聞こえた。一人前に進み出てくる。若い男だった。腰に本物の剣を下げていた。
男がすらりと剣を抜き放った。剣術の心得がなければ、剣をこうもうまく抜くことはできない。腕に覚えがある様子が見て取れた。
ちょうどそこへ、一座の面々も、手に木の棒を持って駆けつけてきた。複数人で一人を確実に倒し、頭数を減らすことで優位に戦うという戦術を身に付けていた。野営の時に十数人の盗賊を撃退したことさえあった。
若い男の背後にいた人影が、明らかに狼狽した。組織的な戦いを知らない連中なのは確かだった。精神的にも物理的にも優位に立った一座の者達は、容赦なく彼らを打ち倒していった。手の空いた者が後ろ手に縄をかけて拘束していった。
その間にロギンスは、フェントを護衛として連れて、町の警備隊の詰所へと走った。さすがに老齢なので、戦いでは足手まといになる。だが、十分走れる足を持っており、何よりこの町の地理を知っていたからだ。
ほんの五分ほどで、不審な連中の中で、立っているのは真剣を持った男だけになっていた。仲間がやられていく様子を呆然と眺めてしまい、眼前のサムトーという脅威すら忘れたようだった。
サムトーも、ここまで間の抜けた相手を倒すのをはばかり、挙動に注意しつつ見守ってしまった。だが、残り一人とは言え、放置はできない。
「で、お前さんはどうするよ」
我に返った男が、サムトーに向けて改めて剣を構え直した。
「ちくしょう、何だってんだ」
「素直に降参した方が、痛い目見なくて済むぞ」
「こんなことで、負けられるかよ」
男が剣を中段に構えたまま、滑るように近づいてきた。確かに剣の心得があった。間合いに入ると剣を振りかぶり、鋭く振り下ろした。
サムトーには見切るのは容易だった。剣の腹を棒で叩いて軌道をそらし、相手のバランスを崩す。そしてみぞおちを強く突く。あっけなく男は地に倒れた。
旅芸人の仲間が、その男も拘束し、終わりである。
「それにしても、粗雑な襲撃だったな」
座長のカリアスが事も無げに言う。年に一度あるかないかだが、ごく稀に強盗などから襲われることがあるので、備えは怠っていない。しかし、これだけ一方的に叩きのめして終わりというのは、さすがに初めてだった。
「何か、この連中、妙に若くないですか?」
犬と一緒に彼らを倒していたデニスが言った。
みな拘束した連中を見やる。彼の言う通りで、最後に倒れた男も二十才前後、後の連中も似たり寄ったりで、中には明らかに十代半ばと見られる少年まで混じっていた。若い連中の暴走だろう。何と無謀なことかと、一座の皆が呆れ返った。
しばらくして、ロギンスとフェントが、町の警備隊を十人ばかり連れて戻ってきた。馬に乗った騎士まで一人いた。
「アステル坊ちゃんか……」
三十を少し過ぎたくらいの立派な騎士だった。その騎士が倒れている男をそう呼んだ。その表情が苦り切っている。
「あ、いやすみません。事のあらましをご説明頂けますか」
騎士が気を取り直して、尋ねてきた。
答えたのは座長のカリアスである。
野営中、急に大勢で近づいてきたので、笛を吹いて備えようとしたこと。近づいてくるなり、このサムトーという男に無言で襲い掛かってきたこと。やむなく応戦し、全員を拘束したこと。ケガはしているかもしれないが、命に別条はないことを、すらすらと説明した。あちこちに木剣が、坊ちゃんと呼ばれた男の脇には真剣が落ちている。物的証拠も十分だった。
「分かりました。それで間違いないでしょう。……全員を起こして、騎士団の牢屋に入れるぞ」
警備隊は騎士の指示に従った。一人一人起こし、立たせていった。
「言っておくが、逃げようとしても無駄だ。今日のところは大人しく牢に入ってもらおう」
騎士が十八人の襲撃者に冷たく声を掛けた。男達は、痛みに顔をしかめながら、促されるままにしていた。どうやら観念したようで、大人しく歩いていく。
「名乗るのを忘れておりました。私はクリストフと申します。中級騎士で、ここカムファの町の騎士隊長を務めています。よしなに」
「座長のカリアスと、一座の者達です。こちらこそ、事後の始末でお手数をおかけします」
「この連中の調書を作ったら、当事者であるあなた方の調書も作成しなければなりません。明日の朝食後、騎士隊本部にご足労頂けますか。座長カリアスさんと第一通報者のロギンスさん、あと第一発見者のサムトーさんの三名でお願いします」
騎士は平民より上の身分とされている。命令口調でも構わないはずだったが、この騎士はやけに丁寧だった。
「分かりました。明日の朝食後伺います」
止むを得ないことなので、カリアスが承諾する。
「お手数をおかけして申し訳ない。では、また明日お会いしましょう」
そう言い残して、クリストフが去っていく。馬上にあって、颯爽とした姿はさすがは騎士だと思わせるものがあった。
「みなご苦労だった。おかげでケガ人も被害もない。今日は交代で寝ることにして、明日に備えよう。状況次第では、出発は明後日に延ばすことになるかも知れないが、よろしく頼む」
座長のカリアスが一座を労った。
こうして事件自体は大したことはなく、あっけなく終息したのだが、思わぬ余波に見舞われることとなったのだった。
翌朝、サムトー達三人は騎士隊本部へとやってきた。カムファくらい人口のいる町には駐屯の騎士がいて、ここには五十名所属していた。警備隊と協力し、町の平穏を保つのが主任務である。また、徴税や街路整備など町の事務仕事を請け負う役人達の護衛も行う。裁判権をもっているので、犯罪者への罰を決めるのも騎士達の役割だった。
騎士隊本部は、警備隊の詰所と異なり、庭のある屋敷に相当する大きさがあった。末端でも神聖帝国の公的建築物なのである。
門番の騎士に要件を告げると、騎士が伝声管を通して来訪を報告した。さすがによくできている。
やがて、中から案内の騎士が現れ、三人を調書室へと案内した。取り調べを行う部屋だが、あくまで来客として遇することができるよう、調度の整えられた部屋だった。そこそこの値が付くだろうソファーに座るよう促され、三人はそれに従って座った。
「お待たせして申し訳ない。カリアスさん、ロギンスさん、サムトーさん。昨日は大変なご迷惑をおかけしました」
隊長のクリストフが現れ、向かいのソファーに座った。平服で剣も下げていない。あくまで平和裏に物事を解決するつもりなのだと、態度にも表れていた。
「では、昨日の事件について、犯行者側からの調書について確認させて頂きます」
主犯はアステルという、この町では大富豪に相当する商家の三男で、日頃から仲間に金をばらまいては娯楽に興じていた。時折トラブルを起こすのだが、剣術道場に通っていて腕がそこそこに立ち、並みの警備隊員では歯が立たないため、町の者からは厄介者扱いされていた。
昨日は遊び金を補充するのと、たかが旅芸人なら簡単に叩きのめせるだろうと、十七人の仲間を誘い、木剣などの武器を集め、自分は家に秘蔵されていた真剣を持ち出し、夜襲を掛けようとしたのだという。
しかし、近づいたところでいきなり笛を吹かれ、棒を持った男が目の前に現れ、夜襲の失敗を悟ったという。それで引き上げればよかったのだが、最初の相手は一人きりだったので、簡単に倒せるだろうとアステルは考えたのだった。彼の合図で斬りかかったところ、逆に反撃されて六人が気絶した。止む無くアステルは真剣を抜き、その男と対峙したのだが、その間に旅芸人達が仲間を次々と倒してしまい、一人だけ残されてしまった。アステルはせめて一人は倒そうと斬りかかったが、よくわからないうちに倒されてしまった。それが証言の全てであった。
「これで間違いありませんか?」
「はい。ちなみに一座の者にケガ人はおらず、被害も全くありません。その点はご承知下さい」
カリアスの返答は、相手がろくでなしだろうと、害はなかったから穏便にということである。
「分かりました。ですが、被害はなくとも、強盗未遂に暴力行為未遂、帝国の法では懲役二年相当ですね」
サムトーは感心した。出来事を見事に要点だけまとめ、分かりやすく説明する能力。きちんと法を熟知し、即座に罰則までも話すことができる。これが本物の騎士かと思った。
だから、危険だったのである。そのことに、もっと早く気付くべきだったのだ。
「サムトーさん、あなたが一人で、アステルも含め七人を倒したことになりますが、間違いありませんか?」
サムトーは心臓を鷲掴みにされた心地がした。一人で七人を倒せる腕前をどこで身に付けたのか、という話になると素性が知れる可能性がある。帝国法では、逃亡奴隷は所有者が再度の所持を望まない限り、原則として処刑されることとなるのだ。焦りを表情に出さないようにするのに相当苦労した。
カリアスもロギンスもその事実に気付いたようで、表情に驚きを出さないよう、平然としたふりをするのに苦労している様子だった。
「間違いないです。あんな坊ちゃんたち、棒の一突きで終わりでした」
嘘はつかず、しかし自分の強さを隠すように答えを返した。
しかし、クリストフには通用しなかった。
「その一突きが、全てみぞおちに当たっているのは、とても偶然とは思えないのですよ。申し訳ないのですが、サムトーさん、あなたの実力を確認させて頂きたい」
口調は丁寧だったが、異存を許さない言葉だった。
これは断れないとサムトーは観念した。
「分かりました。どうすればよろしいので?」
「一緒に訓練室へ来てもらいましょうか。私では不足かもしれませんが、お相手願いたく存じます」
そう言うと、クリストフは三人に同行するよう促した。
騎士隊長の後に続き、三人は一階の端にある部屋へと通された。中には、的になる木の人形や木剣、木の槍、弓矢などが多数置いてある。騎士隊の訓練室だった。
「槍をお持ちください。私も槍で応じましょう」
サムトーは、言われるままに槍を手に取った。先は刃の代わりに綿をくるんだ布で覆われている。訓練用の物だった。
クリストフも槍を手に取ると、まっすぐに構える。
やはり騎士は騎士だった。よほどの修練を積んだのだろう。構えが堂に入っている。凄まじい重圧だった。
クリストフが先に仕掛けてきた。腰だめからの鋭い突きを五連続で放ってきた。威力、速度共に凄まじく、回避は困難だった。
サムトーは、辛うじてその全ての攻撃を受け流した。しかし、いつまでも防ぎ切れるか微妙なところだった。反撃しなければ、どこかで喰らってしまうだろうと思わせる高い技量があった。
「次は君の方から突いてくれませんか」
攻撃の手を止めると、クリストフが言ってきた。
「どのくらいで?」
サムトーが構えを直して問いかける。考えようによっては、熟練の騎士相手に失礼な問いだったかもしれない。
「手加減無用。本気でお願いしましょう」
サムトーは、これは技量をごまかすのは無理だと、半ば諦めていた。技の切れが即剣闘士出身とはならないだろうが、疑われるのに十分な証拠となってしまうだろう。言いくるめるのも難しそうだ。
ならば本気を出そうと、サムトーは後ろに下がった。
「では、行きます」
大きく息を吸うと、全力で突進し、両腕の力に全身のばねの力を加えて、痛烈な一撃をみぞおちめがけて繰り出した。
言葉での宣告と、構えのためがあったにも関わらず、クリストフは反応が遅れた。それほど一撃が速かったのである。穂先を叩き落すつもりが、間に合わず、槍の柄で受け止めようと両腕で構える。
そこに痛烈な一撃が衝突した。クリストフが威力に押されて後ずさる。表情が驚きに彩られていた。想定したはるか上の威力だったからだ。
綿と布で覆われていたにも関わらず、サムトーの槍の穂先が、クリストフの槍の柄にひびを入れていた。
黙って見守っていたカリアスとロギンスが息を飲んだ。サムトーが強いことは知っていたが、実際の強さは想像以上だった。そして、この強さゆえ、クリストフの追求から逃れるのは難しいと、表情を曇らせた。
しかし、クリストフは折れかけた槍を見やると、サムトーに穏やかに話しかけた。
「よく分かった。十分すぎるほどだ。なるほど、倒された側が弱かったから一撃で済んだ、そういうことだな」
口調の丁寧さが消え、武人のものに変わっていた。
サムトーも驚いたが、調子を合わせるしかなかった。
「はい。あんな連中、一発で十分でしたよ」
「そうだろうな。……こんなところで立ち話も落ち着かないだろう。調書室へ戻ろう」
クリストフは槍を壁に立てかけると、三人の前を歩きだした。
サムトーも槍をクリストフの物の隣に立てかけ、後に続いた。カリアスとロギンスがその後に続く。途中、下働きの女性に、茶を用意するよう頼み、部屋へと入った。
また先ほどと同じように、四人がソファーに座る。
「調書の作成は以上で終了とします。ご協力、感謝します」
クリストフが言い終えると同時に、茶が運ばれてきた。ルビーを液体にしたような美しい色合いの紅茶だった。
「ご足労頂いた礼にもなりませんが、どうぞご賞味下さい」
調書を机の隅に避け、クリストフが紅茶を進めてきた。
「頂きましょう」
せっかくの好意を無にせぬよう、三人ともにカップに口を付けた。旅に陶器は向かないので、彼らが普段使っているのは木製である。陶器製のカップは手触り、質感、口当たりに優れていて、目を見張った。陶器が壊れやすくとも好まれるのには、理由のあるものだとよく分かった。さらに、紅茶の花のような香りとほんのりした旨味が舌の上に広がり、思わずふうと息をついてしまったほどだ。
「喜んでもらえたようで何よりだ」
クリストフの表情が柔らかくなった。口調は素のままだったが。
「ここからは愚痴になるが、聞いてくれ。帝国法には保釈金の制度がある。貴族の方々などの名誉を守り、実際に罰せられるのを防ぐため、罪を金で購う制度だ。今回のアステルの場合も、恐らく父が大富豪なだけに、同じことになるだろう。共犯者含めて金貨五十枚といったところだ」
三人が目を丸くした。帝国の騎士が、帝国の方に対して、ここまで批判的なことを言うとは思わなかったのだ。
「金さえ払えば罰を逃れることができる。裏を返せば、金のない者や身分の低い者は、罰から逃れることはできない。いかなる事情があろうと、情状酌量があって減刑されたとしても、罰は必ず受けることになる。……不公正な話にも思えるが、騎士としては、この身分制度と帝国法を否定することはできないのだ」
クリストフは、そこまで話すと紅茶をすすった。
一息入れて話を続ける。
「ただし、事が公にならなければ、罪は罪とならない。アステルも一方的に叩きのめして逃げてしまえば、犯人は分からず、無事で済むだろうという甘い皮算用があったのだろう。だが、今回は逆に叩きのめされた。これで少しは懲りてくれるとよいのだがな。……それはともかく、公にされると困る事がある場合、いつどこでそれが明らかになるとも限らない。不測の事態にどれだけ備えていても、露見する危険は常にあると思った方がいい」
明らかに、サムトーに関しての話をしているのが三人には分かった。自分は正体について詮索しないが、いつでもそうとは限らないことを示唆しているのだ。
「ともかく、一座の者達には多大な迷惑をかけた。カムファ駐屯の騎士隊長として、正式に謝罪したい。すまなかった」
クリストフは立ち上がると、深々と一礼した。
慌てて三人も立ち上がり、礼を返す。
「いえ、事件解決のためご尽力頂き、また公正に調書を作成して頂き、こちらこそ感謝申し上げます」
カリアスが礼を述べた。これは、サムトーの正体を暴かずに済ませてくれる事への礼も含まれていた。
クリストフにもそれは伝わったのだろう。精悍な容貌に笑顔を浮かべて返礼した。
「そう言って頂けると、こちらもありがたく思います。この先も円満な旅路であることをお祈りいたします」
そう言って、右手を差し出してきた。
三人はそれぞれクリストフと握手を交わすと、調書室を後にした。
三人が一座の元へ戻った時には、公演用の天幕は撤収済みであった。宿泊用の天幕は、ここでもう一泊するかどうかが決まっていなかったため、そのままにしてあった。
カリアスが一座の主要な面々を集めた。事後策の協議である。サムトーももちろん加わっている。
一泊延長することはすぐに決まった。逆に言えば、サムトーの問題をどうすれば良いのか話し合うのに、時間が必要だったからだ。
今回の事件で、一人で七人もの男を、たった一撃で倒せる人物が、一座に存在するという記録が残ってしまった。騎士クリストフは見逃してくれたが、誰もがそうしてくれるとは限らない。それこそ万が一の可能性だろうが、この記録を元に、カリアス一座に怪しい人物がいることを疑う者が出てこないとも限らない。その際、しらを切り通せないことも、クリストフとの立ち合いではっきりしてしまった。
話し合いでありながら、誰も意見を出せなかった。
一つだけ方法はある。サムトーが一座を離れることだ。
サムトー自身もそれに気付いてはいたが、あまりに名残惜しくて、自分から切り出すことができなかった。一座の者達に至っては、サムトーがこのまま仲間として居続けることを前提に思考しており、完全に思考の袋小路に入り込んでいた。
結論の出ないまま昼食となり、一座の全員が集まったところで、座長としてカリアスがざっくりと事情を説明し、皆に問題を投げかけた。
「……ということで、素性が明かされてしまう危険が生じてしまった。あくまで万が一、いやそれ以下の可能性かもしれないが、ゼロとは言えない状況だ。何か解決策のある者がいたら言ってほしい」
事情のよく分かっていない子供達を除いて、皆食事の手が止まってしまった。あまりにも難題過ぎた。
サムトーが挙手した。解決策は、元より一つしかなかった。
「俺が一座を離れます。そうすれば、以前そんな男も一座にいたが、一人どこかへ旅立っていきました、となって、それで万事解決でしょう」
「サムトー!」
一座の全員がサムトーに注目した。誰もが、それだけは言わないでほしかったと、言わんばかりの表情になった。誰もが、大切な一座の仲間を、こんなところで失いたくはなかったのだ。
「いいんだって。元々、俺が無理言って厄介になったんだし。それに一座のみんなの安全がかかってるんだ。確実な解決策を取ろう」
「だからって、そんなサムトーだけ放り出すようなこと、したくない」
「そうだ。仲間を守れなきゃ、旅芸人がすたるってもんだ」
口々に反対の声が上がる。
サムトーはうれしかった。こんな人情に篤い人たちの仲間として、この三ヵ月共に暮らせたことが、とても誇らしかった。
「ありがとうな、みんな。……でもさ、俺もそろそろ一人旅をしてみたかったところだし。男一匹、さすらいの旅立ちってヤツだよ」
サムトーは、あえてお調子者ぶって言ってみた。とは言え、一人旅をしてみたいというのも、間違いなく本音ではあった。
「みんな、とりあえず、腹ごしらえしようぜ。腹が減っては何とかって言うだろ」
率先して食事を取り始めた。そんなサムトーを見て、納得はしかねるが、とりあえず食事しようと皆の手も動き出した。
カリアスは、食事をしながらずっと考えていた。座長として、サムトーの言う解決策を取るべきなのは分かっていた。分かっていても、感情がどうしても納得しない。確かに、猟師達の元から、危険を承知で引き受けることにしたのは事実だ。だが、素性が知られる危険など皆無に等しいはずだった。
明るく元気でよく働くこの男を、一座の全員が慕っていた。カリアス自身もそうだった。今後も仲間として楽しく過ごせることを疑っていなかった。
しかし、結論は出さねばならない。そして、サムトーの意見に従うしかないのも確かだった。
食事を取り終えると、諸々の感情をねじ伏せて、カリアスが言った。
「分かった。サムトーは一座を離れて旅立つ。それで決まりだ」
「座長!」
「みなの気持ちは分かっている。俺も同じだ。だが、お互いのために、涙を飲んで別れるほかないだろう」
「……」
止むを得ないこととは、誰もが分かっていたのだ。みな無言になり、表情を曇らせた。
「まあ、単に新たなる旅立ちってだけさ。今生の別れってわけじゃないし、旅を続けていれば、またどっかでひょっこり会えるでしょうよ。せっかくの旅立ちですから、楽しく送り出しておくんなさい」
「分かった。元気でな」
「気が早いって。出発は明日、一座の出発に合わせるんだろ?」
「そうそう、最後の晩だ。景気よくやって送り出そう」
ようやく一座にも笑顔が戻ってきた。
カリアスも顔を緩めて、一座の皆に言った。
「残りの仕事を片付けたら、宴の準備をしようか」
一座の歓声が唱和した。
最後の晩は賑やかな宴となった。
サムトーは次々にいろいろな人から話しかけられ、肩を叩かれ、握手を求められた。普段接点のなかった人達も、去ることを惜しんで言葉を掛けに来てくれた。
中でも、同年代の五人は、常にサムトーの傍らにいた。
いろいろな思い出を語り合った。
夏、フェントの誘いで、男女入り混じって、水着で水浴びを楽しんだこと。
夜空を見上げて、星を眺めながら、将来について語り合ったこと。
街中で、おいしそうな店が多くて目移りしたこと。おいしい料理に舌鼓を打ち、料理の奥深さを語り合ったこと。
街道を歩いているとき、何気なく見つけた珍しい花や動物について、互いに教え合ったこと。
互いに芸の練習を見せ合って、助言し合ったこと。
馬や犬の面倒を見る時、力を合わせて楽しく世話したこと。
一座の仕事で、一緒の組になって天幕の設営や片付けをしたこと。
寝る前にサムトーの怪談話で盛り上がり、寝不足になってしまったこと。
見張り番が重なった時、互いにうとうとしないよう、言葉遊びをしてしのいだこと。
たった三ヵ月の間に、話が尽きないほど思い出がたまっていた。
そうしている間にも時間は過ぎ、宴も終わりを迎えようとしていた。
「ねえ、サムトー、聞いてくれる?」
最後になって、アイリが隣にやってきた。心なしか、いや間違いなく、いつもより顔が赤い。普段は二杯くらいしか飲まないが、今日は倍以上飲んでいた気がする。
「もちろん。何でも聞くよ」
「うれしい。……私ね、サムトーが大好き」
言うなり、サムトーに抱き着いてきた。酔いに任せたたわごととは言え、明らかに本音であろう。
リアクションに迷ったが、真っ直ぐに答えることにした。実際、最初に親しくなってから、少し小柄だけど有り余るほどのパワーで曲芸を成功させるところや、遠慮がちに話しかけてくるが思ったことははっきり言えるところに、すごく魅力を感じていた。
「俺も。アイリのこと、好きだ」
サムトーが抱きしめ返す。華奢で柔らかいが、鍛えられたばねのような弾力も併せ持つ、曲芸バカと言われたアイリならではの感触だった。
「じゃあ、最後だから。最後のサービス」
アイリは体を離すと、サムトーの頬を両手で挟み込み、顔を近づけ、唇同士を重ねた。……一座の面々の見ている前で。
サムトーは驚いたが、これも最後と思い、せっかくの感触を味わうことにした。柔らかく、……そして酒臭い。貴重な経験には違いない。
やがて、アイリが顔を離したところで、外野の声がうるさくなった。
「やった、やりおった!」
「いいねえ、若いってのは。私もあと十年若かったらねえ」
「何にせよ、思いを遂げられたのは、良いことだ」
二人の気持ちを知っていたのは、若い者だけではなかった。皆にとってもこれはうれしい出来事だった。
「さて、最後にいいものも見られたし、片付けて明日に備えよう」
カリアスの号令で、一座の者達が動き出す。皆いつもより多少度は超したようだが、動きはいつも通り手際よかった。
動けなかったのはアイリと、その周辺である。
「ちょっと、アイリ、片付け始まったわよ」
レイナが揺するが、アイリはサムトーの腕に抱き着いて、強く酔ったせいで半分寝ぼけていた。
「ここまでアイリが潰れるとはねえ。よほど我慢してたのね」
「でも、飲みすぎないよう、止めた方が良かったかも」
「これ、明日、二日酔い確定だな」
ポーラ、マリー、フェントが他人事のように論評する。
「まあ、最後とは言え、思いが叶ってよかったわね」
「最後にってのが、背中を押したのが大きいわね」
「お二人さん、おめでとう。……もうすぐお別れだけどね」
フェントが三人の言葉にうなずきながら、サムトーを促した。
「サムトー、アイリを天幕に運んでやんな」
「分かった。お安い御用だ」
サムトーが、アイリの両ひざの裏と肩の下に手を差し入れ、立ち上がった。いわゆる『お姫様抱っこ』である。レイナたちに案内されて、天幕の寝床に横たえる。
「俺のことを好きになってくれて、本当にありがとうな、アイリ。……アイリに良き日々が巡ることを、俺はずっと祈ってるよ」
サムトーはそう言い残すと、四人に向き直った。
「今日まで本当にありがとう。初めの頃にも言ったけど、俺、こんな風に友達って呼べる相手が全然いなかったんだ。だから、俺と友達になってくれて、本当にうれしかった」
フェントが真剣に答えた。
「どんな時でも、どんなに離れても、俺達は親友だ」
「私達もね」
サムトーは四人と固く握手を交わして、それぞれ片付けの手伝いへと戻っていった。
翌朝、朝食を済ませ、片付けなども全て終えた頃である。太陽はまだいくばくかの高さになったばかりだった。
一座に先立って、サムトーが出発することになっていた。
一座はこの後、また南へと向かっていく。
サムトーは西へ向かう街道を進むことにしていた。
最後の最後に、次から次へと餞別が渡された。
腰に巻くベルトと、ベルトに取り付けるポーチ類を三つ。
両肩に背負うことで荷物を運ぶのを楽にする小型のカバン。いわゆる小型のリュックサックである。そこに私物である着替え類と銅の縦笛、日常生活に使う小物を入れた。
町で買った財布に、当座の路銀として金貨五枚相当のお金。
そして、一振りの短剣が渡された。サムトーが抜いてみると、わずかに反りのある片刃の直刀で、刀身は六十センチほど。無銘だが名工が技を振るって鍛え、魔法を付与した品で、人を斬っても血の曇り一つ残らない、伝説級の逸品だという。金に換えたら、金貨で何百枚にもなるだろう、という品だった。止むを得ず、力で道を切り開く場面に遭遇するかもしれない、その時の助けになれば、ということだった。
そして最後に……。
「うーん、頭痛い……」
アイリがやってきた。二日酔いの頭をくらくらさせながら。
「最後だから、もう一回」
単刀直入だった。問答無用で顔を近づけ、口づけを交わした。
「どこにいても、大好きだから」
普段は大人しいのに、こういうキッパリしたところもある。その両方を好きになったんだな、とサムトーは思った。
「ありがとう。アイリ、俺も大好きだ」
二人が最後の抱擁を交わす。この温かな時間は一生忘れないだろう。
サムトーが一座のみんなを見渡した。
「俺、他のみんなも大好きだ。本当にありがとう」
深々と頭を下げた。
一座の面々が涙ぐむ。
「だから、元気に出かけるよ、俺。じゃあ、旅に行ってくる。またどこかで会おう!」
拳を突き上げて、サムトーが宣言する。
「おう、行ってこい!」
「楽しい旅になると良いな」
「元気で達者で、しっかりね」
「いつまでも、明るいサムトーでいてくれよ」
一座の言葉を背に受けて、サムトーは歩き始めた。振り返ることなく、自ら選んだ自由な旅路を進んでいく。
こうして、サムトーの一人旅が始まった。
――続く。
サムトーが、旅をしながら芸で稼ぐ人々の中で、いろいろと成長していく姿を描きました。初回作に出てきた銅の縦笛と片刃の短剣の由来もここで描きました。いよいよ一人旅、サムトーの本領発揮まで、事前譚、序章として執筆する予定です。