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序章Ⅰ~奴隷剣闘士、猟師達に救われる~

反乱起こして仲間と逃亡

山の深くへやってきた

逃げた奴隷剣闘士

猟師に命を救われる

山の暮らしは厳しくて

輝く命で満ちている

凄腕剣士でお調子者の

我らがサムトー、今日も行く

 ここは山の中のはずだった。

 沢に沿ってひたすら上へ上へと向かっていた。

 沢が途切れたところで、星明りを頼りに、小さな峰の上に着いた。

 水は沢で飲んでいたが、さすがに空腹である。

 動くのも辛くなってきた。ざんばらの茶髪の頭が天を仰いだ。

 大木に背を預けると、その場で座り込み、眠り始めた。


 翌朝、太陽を見当に、西の方角へと歩き始めた。東から逃げてきたのである。遠ざかるのが自然だった。

 しばらくして喉が渇いてきた。耳を澄ませ、水音のする方へと向かう。

 沢があった。昨日とは違う場所らしい。無事に逃げられているのだと思い、安心した。もちろん油断はできないが。

「誰だ」

 突然、男の声が聞こえた。周囲に人の気配はなかったはずだった。

「そこを動くな。すぐに行く」

 有無を言わせぬ口調だった。やむなく言葉に従う。

 やがて現れたのは、毛皮をまとった筋骨逞しい中年の男だった。

「俺はオルクと言う。お前は?」

 逃亡中の身の上だが、だからこそ嘘をついても仕方ない、成り行き次第では、この男を倒して逃げようと覚悟を決めた。

「サムトーだ」

 オルクと名乗った男は、表情一つ変えず、サムトーをじっと見回した。

「そうか。……サムトー、これを食え」

 薄汚れ、疲れている様子から、食事もとらずに山中をさまよっていたことを見取ったのだろう。堅焼きパンと燻製肉一切れを渡してきた。

「ありがとう。いただくよ」

 サムトーが素直に礼を言い、食料を受け取る。空腹時こそ、ゆっくり食べる必要があった。時間をかけて咀嚼しながら食べた。

 食べ終わる頃合いを見計らって、オルクが言った。

「ついてこい。寄り道するが、今夜の宿くらいは面倒見てやる」

 無骨な物言いだが、親切心からの言葉だとすぐに分かった。逃亡中の身だということも薄々察しているだろうに、気にした様子はなかった。

「お言葉に甘えさせてもらうよ。ありがとう」

 サムトーは礼を言うと、オルクの後をついて歩きだした。


 それにしてもオルクは歩くのが早い。山の中だというのに、平地を歩くのと変わらない速度だった。時々、立ち止まってサムトーを待ってくれた。

 不意にオルクが右手を挙げた。サムトーも立ち止まった。

「そこを動くな。すぐに戻る」

 言うなり、右手の方へと歩いていく。

 しばらくして、動物の鳴き声が聞こえた。何頭かの動物が走り去る物音もしていた。

 オルクが戻ってくる。

「運ぶのを手伝え」

 何をだろうと思って後をついていくと、鹿が一頭、後足を木に吊るしてあった。眉間に矢が突き立ち、首筋に切り傷があって多量の血が流れていた。

 野生動物は敏感である。人の気配に気付けばすぐに逃げ出すはずだ。罠もなしに、それをほんの短い時間で仕留めるとはすさまじい腕前であった。

「出会い頭というやつだな。村に持ち帰る」

 丈夫そうな枝を切り取ると、小枝を落とし、一本の棒にする。鹿の足をその棒に結わえ付け、二人で担げるようにと細工する。それが終わると、血だまりに土をかぶせ、サムトーに棒の後ろ側を担がせた。

「行くぞ。ついてこい」

 サムトーは驚きつつも、素直にうなずいた。


 二時間以上は歩いただろうか。

 やがて、木々の隙間から、遠くにいくつかの屋根が見えた。何度も人が通ることで踏み固められた道に出た。

「スニトの村だ」

 道なりに進むと、やがて少し開けた場所に出た。建物が精々十数棟、大きさに差はあるが、どれも丸太小屋である。山奥では、石材を運び込んだり、板を加工したりするのが難しいからだろう。村と呼べるかは微妙な小さな集落だった。

 村の入り口近くで四人の子供が遊んでいた。そのうち一番年長の少女が声をかけてきた。

「おかえりお父さん」

「ああ。……ミリア、長老に知らせに行ってくれ」

「うん、分かった。ラスタ、ダリア、ノスリも行こう」

 子供たち三人が小走りに村の中央へ向かった。

 後を追うように、オルクとサムトーも歩き出した。


「早かったな、オルク。……よそ者か?」

 村の中央にある、一面だけ開けた建物についた。屠畜場だった。中にいたオルクと同年代の男が、サムトーを見ていぶかしげに言った。その後ろに、サムトーと同年代くらいの男が二人。やはり不審そうな目で見つめてきた。

 鹿を土間に下ろしながら、オルクが答える。

「客になるかもしれん。長老の判断を仰ぎに行く。ヨスタ、すまんがこいつの解体を頼む」

 その説明で納得はしていないだろうが、男たちはあっさりとうなずいた。

「分かった。……エンケ、ボルタ、さっさと始めようか」

 中年の男と青年二人が、壁にかかった刃物を手に取ると、鹿の腹を裂いて内臓を取り出し始めた。

「サムトーはこっちだ」

 オルクに従い、屠畜場を出て、村外れの一軒の家へと向かった。

 扉をノックする。

「長老、オルクだ」

 一声かけると戸を開けて勝手に入り込む。そもそも鍵はついていないようだった。

 中にいたのは七十才はとうに過ぎた男性の老人だった。ちょうど昼食の支度をしていたところらしく、鍋に火がかけられていた。その火を落としながら老人が答えた。

「客になるか追い出すか決めろということか」

 老人がサムトーを見て言った。

「分かった。だが、まず飯を済ませようか」

 食器を取り出し、鍋のシチューをよそうと、皿にオートミールを軽く入れてミルクをかけた。スプーンを添えてテーブルに並べる。

「名乗るのが遅れたな。わしはモーリという。この村の長老をしておる。まあ話は後にして、まずは食べてしまおう。……いただきます」

 言うなりモーリは食事に手を付けた。オルクとサムトーもそれに倣い、いただきますと言うと、スプーンを動かし始める。

 三人とも無言のまま食事が進み、やがてほぼ同時に食べ終えた。

「ごちそうさま」

 モーリもオルクも食事の挨拶を欠かさなかった。サムトーもそれに倣ってごちそうさま、と言った。

 モーリは食べ終えた食器を集めると、たらいにためた水で軽く流し、棚に立てかけた。長老であっても、家事などは自分で済ませているようで、とても手馴れていた。

「さて、名を聞こうか」

「サムトーです」

「どこから来た?」

「帝都の南、カターニアからです」

「事情を話せ。扱いは話を聞いて決める」

 ここでサムトーは押し黙った。信用してよいものだろうか。

 だが、嘘をついてもきっと通じない。モーリからは、年齢を重ねた分、人柄に深い厚みを感じる。何より、厳しい山中で暮らしてきた人生経験の凄みがにじみ出ていた。

「わしらは猟師だ。里の者とは違う」

 どの道行く当てもない。信用するしかないだろうと、サムトーは思った。

「少し長くなりますが、お聞きください」

 サムトーは、ぽつりぽつりと、これまでの出来事を話し始めた。


 サムトーは養護施設の育ちだった。だが、十才の時、人買いにさらわれてしまった。この時代、ここ神聖帝国では剣闘が娯楽として発達し、一部の大都市には闘技場が建設されていた。そこでは剣闘士を確保するため、奴隷を買い取って鍛え、出場させて金を稼ぐ親方が多数存在した。サムトーも、そんな奴隷剣闘士の親方の一人に売り飛ばされたのだ。以後八年間奴隷剣闘士として過酷な環境を生き抜いてきたのである。

 時に神聖帝国歴五九六年五月初頭。

 二日前の大きな剣闘大会の際、百名ほどの奴隷達がひそかに結託し、大規模な反乱を起こした。集団で番兵を倒し、城門を守る兵士も倒して逃げ道を確保し、半数以上の奴隷が城門を脱出することができた。サムトーも逃亡に成功したうちの一人だった。

 その後、追跡を逃れるため、街道を離れて山中に入り込んだ。道伝いは危険なので、沢伝いに山を登り、道なき道を進んできたのだった。


 話を聞き終えると、モーリはすぐに言った。

「繰り返すが、わしらは山の猟師だ。神聖帝国には邪魔者扱いされる存在でな。義理立てする理由なんぞこれっぱかしもない。サムトー、お前さんが追われる立場だからこそ、客として迎えよう」

 オルクが黙って一礼した。決断に同意する意思表示だった。

「ただし、村の者にも事情は話すぞ。ここにはめったなことでもなければよそ者は来ない。もちろん役人もだ。……だが、念のため、帝国の者が来たらすぐお前さんが逃げ出せるよう、事情は話しておく必要がある」

「なら、村の皆を集めますか?」

「そうだな。夕方、集会をすることにしよう。皆にそう伝えてくれ」

「分かりました。伝えに行ってきます」

 返答するなり、オルクは家の外に出た。一軒ずつ回って、今日の夕方に集会をすることを伝えに行ったのである。とは言え、小さな村で十軒しか人は住んでいないのだが。

 サムトーは成り行きに驚いた。奴隷剣闘士は他人の持ち物扱いである。それを保護したとなれば、窃盗同様の扱いを受ける。犯罪を犯したとして罰せられるのだ。しかし、サムトー自身は逃亡奴隷であり、反抗の意思のある奴隷は危険だとして、まず処刑は免れない。その命をリスクはあっても救おうと、あっさりと決断したのである。心の底から礼を言った。

「ありがとうございます。温情感謝します」

「サムトーは少し休むといい。わしの寝床を貸してやろう」

 モーリもオルクも信頼できる人柄だと感じた。部屋の隅にある毛皮の敷かれた寝床に、サムトーは横たわった。本当に久々の安心感だった。緊張と疲れから睡魔がすぐに押し寄せ、眠りについたのだった。


 夕方、サムトーはモーリ長老に起こされた。

 さっきの屠畜場の隣に広場があった。そこに連れて来られた。

 村人たちはすでに集まっている。大人は十代後半から六十才くらいと年齢層は幅広い。男女合わせて十九名。子供が十代半ばの少女を筆頭に九人。最年少は若い女性に抱かれた二才くらいの子だった。

「わざわざ集まってもらってすまない。みなに話がある」

 モーリの言葉でざわめきが止んだ。

「見ての通り、この男が山に迷い込んできた。名はサムトー。元奴隷剣闘士で、二日前、カターニアの街から仲間と逃げ出してきたそうだ」

 モーリは村人にかいつまんで事情を話すと、今度は小さな子供にも分かる言い方をした。

「サムトーは、悪い奴らに無理やり働かされていた。そこから逃げてきたんだよ。だから、守ってやる。もし兵隊が来たら、サムトーを逃がしてやらなねばならんのだ」

 子供たちが、なるほどとばかりうなずく。

「もちろん、このスニトの村でも働いてもらう。けど、それは飯を食わせる分だから当たり前だな。ただ、サムトーは、剣闘以外は何も知らないと思っていい。何をさせるにも、一から教えることになるのでちと大変だが、村の衆、よろしく頼む」

 村人たちが黙ってうなずく。子供たちもそれに倣った。

「何か質問はあるか?」

 一人の初老の男が手を挙げた。

「何だ、テムル」

「狩りも教えるのか。……というか教えられるのか?」

 テムルと呼ばれた男の疑問も当然である。先ほどオルクが鹿を狩った手際程でないにせよ、最低限山中でも平地のように歩ける足腰や、地形を覚えて山中を歩き回れる経験が必要だ。できれば弓の腕前やそっと忍び寄る技術も欲しい。

「もっともだな。とりあえず、一週間は村の中の仕事をさせて、その様子で決めることにしようか。どうかな?」

 結論として妥当だと、村人たちがうなずく。

「誰の家に置くんだい? うちはダメだよ。エステルは年頃の十五才、若い男を住まわせるわけにはいかないね」

 続いて、ラウネという四十手前の女性が言った。

 答えたのはオルクである。

「うちで面倒見よう。元はと言えば、俺がサムトーを見つけてきたからな。その責任は取ろう。広さにも余裕あるし、寝床さえ用意できれば大丈夫だ。サリー、それでいいか?」

 同意を求められたオルクの妻は、少し首をかしげてから答えた。

「そうね。構わないけど。……というか、ミリアの遊び相手にちょうどいいかもしれないわね。どう、ミリア?」

 村に来た時、出迎えてくれた少女はうれしそうに答えた。

「お客さんなんて初めて! もちろん歓迎!」

 その後も、寝具にする毛皮の用意をどうするかとか、明日は何の仕事からやらせるかとか、次々に決まっていった。

「サムトーもいいかな?」

 長老のモーリに問いかけられて、サムトーは我に返った。得体のしれない自分をこうも受け入れてくれる村人達の様子に、我を忘れて見入ってしまっていた。命懸けで逃走していたのに、この村で生きることを許されたのだ。安心感に包まれ、凍り付いた心が溶けるような感じがした。

「みなさん、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 サムトーは心の底から感謝し、深々と頭を下げた。知らずに涙がこぼれていた。

 そんなサムトーの背をオルクが軽くたたいた。それでいい、と言っているようだった。

「では、皆の衆、始めるとしよう」

 モーリの言葉で、村人達が動き始めた。

 かまどに鉄板を乗せ、火にかける。大量に肉と野菜が切られ、食器と一緒に台に置かれる。大きな樽が運ばれてくる。宴会の準備だった。

 木製のカップが配られ、大人には酒が、子供には果実水が注がれる。

「客人サムトーに、乾杯!」

「乾杯!」

 サムトーが酒杯に口をつけた。酒を飲むのは生れてはじめてだった。村では酒が造れない。町の商人から仕入れた、保管をしっかりしておけば日持ちのする蒸留酒、いわゆるウイスキーであった。

 口の中に火のつくようなコクのある濃い味がした。飲み込むと、喉と胃が焼ける感じがした。うまいと感じた。

「サムトー、今日からよろしくね。はい、これどうぞ」

 ミリアが焼いた肉と野菜の乗った皿を差し出してきた。まだ十才の少女で、肩までの明るい金髪が印象的である。気遣いも上手で、まだ仕事のできない子供達の遊びを仕切るリーダーでもあった。

「ありがとう、ミリア。いただきます」

 サムトーもこの子の名前はすぐに憶えられた。

「ねえ、剣闘ってどんなことするの?」

 ミリアが尋ねてきた。好奇心もあっただろうが、サムトーが宴会の輪に入り辛いのを察したようでもあった。

「人間相手に本気で戦うんだ。周りの観客を楽しませるためにね」

「何それ、どこが楽しいのか分からない。都会の人間って変ね」

 なかなかに手厳しい。

「猟師の仕事も毎日獲物との戦いだけど、生きるためだから、こっちの方が絶対まともだわ」

「なるほど。確かにそうだね」

 心底サムトーは同意した。観客を見て、そんなに楽しいと思うなら自分達で戦えばいいと、何度思ったかわからない。

「村の仕事も大変だけど、こっちの方が楽しいよ、絶対」

「そうなんだ。期待してるよ」

 そんな風に会話しながら食事は進んでいった。

 やがて、腹が満たされてきたのとほぼ同じ頃、妙に気分が高揚しているのを感じた。難しいことがあまり考えられなくなり、どうやらこれが酔いが回るということかと、おぼろげに思った。

 すでに日は沈み、月と星明りが天に輝いていた。

「よお、サムトー、何か芸の一つも見せてくれよ」

「テムルのおっちゃん、無茶振りだよ、それ」

 近寄ってきた中年男性に、ミリアが制止をかける。

「いいっすよ。……ミリア、ちょっと行ってくら」

 酔いのせいか、素に戻ってサムトーは同意した。人のいない広場の端へと歩いて行った。

 周りの大人連中は、男女問わずほろ酔い加減でご機嫌な様子だった。子供たちもおなかいっぱいでご機嫌である。みなサムトーが何をするのかと興味津々で見つめてきた。

「えー、うまくいきましたら拍手をお願いしま~す」

 口上の後、サムトーは軽く走った。まず側転、次に後ろ倒立後天、そして最後は後ろ宙返りを決めた。見事な軽業だった。残念なことに、酔いのせいで宙返りの後バランスを崩し、尻もちをついてしまったが。

「お見事!」

 村人達は拍手喝采、歓声が上がった。

「うむ、最後にいいものを見せてもらえたの。……さて、明日も仕事、皆の衆、片付けに入ろうか」

 長老のモーリが言った。食材もなくなり、酒も程よく回り、ちょうど頃合いだった。村人達が動き始める。村の中を流れる小川で食器や鉄板を洗う。かまどの焼け残りを広げて薪を燃やし尽くす。焼け跡に土をかぶせ、軽く水を撒く。使った道具を屠畜場裏の倉庫にしまう。サムトーも空いた食器を集めるくらいは手伝った。

「では、また明日」

 長老の挨拶に、村人達が一礼を返して三々五々に引き上げていく。

 サムトーもサリー、ミリアと共にオルクの家へと向かった。


 サムトーが朝目覚めると、見知らぬ天井が目に飛び込んできた。背には毛皮の感触。体にかかった毛皮をよけながら起き上がる。

 オルクの家で世話になったことを思い出し、ほっとため息をつく。命の心配のないことが、これほど気を楽にするものだと実感していた。

「早いな、サムトー」

 そういうオルクは、すでに仕事のできる服装になっていた。妻のサリーも食事の支度をしている。ミリアはちょうど着替えを終えたところだった。

「おはようございます。遅くなってすみません」

「すぐに朝食にするわね」

 食器に卵焼きと刻んだ野菜、堅焼きパン、焼いた肉が手際よく盛られていく。机と椅子はなく、床に敷かれた板の上である。小さな毛皮がクッションの代わりに敷かれていて、その上に座るようになっていた。

「いただきます」

 食事の挨拶が唱和した。猟師という仕事柄、山の命を頂いていることに感謝を忘れないためだとオルクが説明してくれた。

「ところで、サムトーは読み書きはできるのか?」

 不意に問いかけられた。養護施設時代に多少習っていて、奴隷剣闘士の仲間内でも教え合っていた。不自由のない程度にはできると答える。

 なぜそんな問いをしたのかと言えば、ミリア達村の子供は、昼食までの間に長老のところで読み書きを習っているのだという。もし必要なら、そこで一緒に習えばいいと考えていた、ということだった。

「なら、まずサリーの手伝いから仕事してもらおう。分からないことが多くて大変だろうが、がんばってくれ」

「わかりました」

 こうしてスニト村での、サムトーにとって最初の一日が始まった。


 まずは朝食の食器の片付け。昨日の昼食で長老のモーリがやっていたのと同じく、たらいの水で軽く食器をすすぎ、棚に立てかけて乾かす。サリーの見本通りに簡単にできた。

 次いで、衣服を集めてかごに入れ、村を流れる小川に運ぶ。次々に女性達が集まってくる。中には男性も混じっていた。

 倉庫から直径二メートルを超える大きなたらいを三つ運んできて、手桶で中に水を汲んで入れる。そこに衣類を放り込み、粉せっけんを少量入れる。みな靴を脱ぎ、はだしになって洗濯物を足で踏み始めた。まんべんなく洗えるように、たらいの中で回るようにして踏んでいく。

 サムトーもやってみたが、なかなかに気持ちがいい。とは言え、冬の寒い時期には厳しい仕事だろうとも思った。

 洗い終わるといったん手で絞り、せっけん水をたらいからこぼす。新たに水を張り直し、同じように衣類を入れて踏んで回り、すすぎをする。終わると取り出してまた絞る。どれがどこの家のものかは気にせず、構わずかごに入れていく。

 近くの広場に棒が何本も立っていて、棒の間に綱が張られている。そこにひっかけて干していく。たらいは倉庫の壁に立てかけて干しておく。洗うのは皆で協力し、洗濯物を回収するとき自分の家の物だけ持ち帰る、という寸法になっていた。

 かごを持ち帰った後は、代わりに桶を持って、小川の水を組んで何往復もして家に運ぶ。水道などはないので、家で使う生活用水は、樽に貯めておくのだった。


「次はこっちよ、サムトー」

 サリーの案内で、今度は畑に向かった。村の南側一帯に、キャベツ、カブ、タマネギ、ニンジン、トマト、キュウリ、青菜などが種類ごとに分けられ、育てられていた。畑の北端には鶏小屋があって、五十羽ばかりの鶏が飼われていた。

 ここでも何人かの村人が働いている。野菜の出来具合を見て回り、不要な脇芽を摘み取ったり、雑草を抜いたりしていく。食べ頃になった物があれば収穫する。それが終わると、小川から桶で水を汲み、ひしゃくで水を撒く。必要なところに肥料も撒く。鶏小屋を掃除し、鶏を放し飼いにしつつ、鶏糞を集めて干しておく。野菜の肥料にするためである。

「村の仕事は当番制でね。交代でいろいろな仕事をするの。……狩りに出る人もいれば、こうやって村の仕事をする人もいるの。人によって、なるべく得意が生かせるように、長老を中心にみんなで話し合って、仕事を割り振っているのよ」

 仕事の傍ら、サリーがそう説明してくれた。本当に小さな村なので、村全体が大きな家族のようなものだった。


 畑仕事を終えたところで、サリーが一人の中年男に声をかけた。

「ヨスタ、次はあなたのとこでお願いね」

「ああ。話は聞いてる。今度は薪作りだ」

 サムトーはヨスタと呼ばれた中年の男の後をついて行った。やがて、広場の東にある倉庫の前に出た。

 ちょうどそこに、オルクと二人の男女が、背に大量の木々を運んでやってきた。木々を下ろしながら、オルクが話しかけてきた。

「仕事は順調のようだな、サムトー」

「村のみんなのおかげで、今のところ順調ですね」

「終わったら昼食だ。うちに戻ってくれ」

 言い残して、オルク達が去っていく。

「じゃあ始めようか」

「よろしくお願いします」

 まずは、小屋の前に干されていた木々を集める。次に運ばれてきた木々を分ける。まだ生木だったり湿っていたりする物は、小屋の前で干しておく。逆に乾かしてあった物を集める。小屋から鉈を取り出し、乾いた枝の長さを揃えていく。太いものは縦に割る。切ったり割ったりが終わったら、一抱えほどの量ごとにまとめ、細い縄で縛り、倉庫にしまっていく。

 刃物は剣闘士時代に散々扱ってきた。剣と鉈の違いはあっても、そう難しい作業ではなかった。しかし、村全体の分なので量が多く、終わった時にはちょうど昼飯時になっていた。

「お、なかなか筋がいいな。おかげですんなり終わった」

「ありがとうございます」

 声を掛け合って、二人はそれぞれの家へと向かった。


 オルクの家に着くと、中で長老のモーリが待っていた。

「どうだった?」

「みな親切で、丁寧に教えてもらいました。おかげで多少の役には立てたかと思います」

 妻のサリーが娘のミリアと一緒に昼食を並べていく。オルクは弁当持ちで山の見回りに行っていた。代わりにモーリが一緒に食べるようだった。

「サムトー、お主はいい男だな。仕事ぶりは村の衆からも聞いておる。オルクが連れてきたのは間違いではなかったようだな」

 食事を始めてから、モーリがサムトーをほめた。

 奴隷剣闘士は罵声を浴びることはあっても、ほめられることなどはまずない。サムトーにはそれがとても照れ臭く感じられた。

「で、村の案内がまだだったな。午後は子供達に村の周りを案内してもらうといい。ミリア、他の子達と一緒にサムトーを案内してやってくれ」

 サムトーは目を見張った。案内は本当だろうが、こんな小さな子を来たばかりの客に預けるとは。よほど信頼されているのだと感じた。ありがたいことだった。

「分かった。じゃあ、食べ終わったら行こう、サムトー」

 ミリアがあっさりと承諾する。そして、握りこぶしを差し出してきた。何とも豪気な娘である。サムトーも握りこぶしを作って、こつんと合わせた。

「ああ、よろしく頼むな」


 家から出ると、ミリアはまず三軒の家を回った。昨日一緒に遊んでいた子供三人を呼びに行ったのである。上から順に、ラスタという男の子が九才。ダリアという女の子が八才。ノスリという男の子が六才だと、それぞれ紹介された。

「そう言えば、サムトーっていくつなの?」

「たぶん十八だ」

「エンケとボルタのちょうど間だね」

 言われて、サムトーと同年代の青年が二人いたのを思い出した。その二人はもう一人前とみなされて、狩りにも出ているようだった。

 早速案内が始まった。村人の住居は西から北に散在していた。中央に広場があり、その横には屠畜場と用具倉庫がある。朝洗濯した小川もその近くを流れている。東側には食糧庫、燻製場、鍛冶場、木材加工場、薪倉庫、道具倉庫、雌牛の小屋があった。南側には鶏小屋と畑。村全体はそう広くはないのだが、子供達も、普段は邪魔にならないよう仕事の様子を見ることは少ないので、公然の口実を得て、結構じっくり仕事の様子を見て回った。そのため、案外と時間がかかってしまった。

「大体わかった?」

「もちろん。ありがとう、ミリア」

「じゃあ、次は村の周りだね。私達子供が遊んでいい場所までだけど」

 そう言うと、ミリアが先頭に立って歩き出す。村の北から山に入る細い道へと進んでいった。

 危険はないのかとサムトーは心配になったが、考えてみればきっと毎日こうやって遊んでいるのだろう。信用して案内に従った。

 やがて、大きな木の根元で立ち止まった。

「北の方で、私達が来てもいいのは、このクスノキまでなの。……この先は道もなくなるし、罠も仕掛けてあるし、獣も出てくるから危ないの」

 分かりやすい目印だった。枝葉が大きく広がって伸びており、とても立派な木だった。

「じゃあ、登ろう」

 言うなり、ミリアは手足を木の凹凸にひっかけて登り始めた。ラスタ、ダリア、ノスリもそれに続く。六才の男の子でも、登り慣れているようで、器用に体を上に運んでいく。

「サムトーもおいでよ。……ノスリ、登るの上手になったね」

 二番目に年長のラスタが言った。

 急な出来事に驚いてしまったが、言われる通り一緒に登らないことには始まらない。サムトーには木登りの経験はなかったが、子供でも登れる木である。手がかり、足がかりもあちこちにあり、楽に上ることができた。

「この辺でいいかな」

 ミリア達四人が、横に伸びた枝に座り込む。高さは五メートルくらいあるだろうか。枝の隙間から見える景色が一変し、結構遠くまで見通せるようになっていた。

「ほら、スニト村が見えるでしょ」

 ミリアの言葉通り、南側の離れたところに集落が見えた。集落の周囲は大小様々な木々で埋め尽くされていた。森の中にぽつんと開かれた村だった。

「あそこがぼくんち」

「わたしの家はあれよ」

「ぼくの家はちょうど隠れちゃってるんだ」

 三人が口々に言う。子供は自分のことをアピールしたがるものである。

「村のずっと南には町があるんだけど、ここからじゃ見えないの。週に一度は大人の人が、肉を穀物や芋や塩とかと交換に行くけど、大人の足でも二時間半くらいかかるから、子供だけじゃ行かせてもらえないの」

 なるほど、この木登りは、村の案内の続きだったのかと、サムトーは納得した。

「でも、年に一度だけ、旅芸人の人達が来る時だけ、わたし達も連れて行ってもらえるの。……旅芸人の人はすごいのよ。昨日、サムトーも軽業を見せてくれたけど、もっとすごい人が何人もいるの。見てて、すごくて、全然飽きないのよ」

「ぼく達も楽しみなんだ。でも芸人さんのまねは難しくて、前に練習してたら、ケガして怒られちゃった」

 子供たちが目を輝かせて言う。

「そうなんだ。次はいつ行けるんだい?」

「七月の終わり頃かな」

「そりゃ楽しみだ」

「あと、旅芸人の人は商いもしてるから、肉や毛皮を、鍋とか本とか町では手に入らない物と換えてもらえるの。芸人さん達は、夏に村の毛皮を買ってくれるの。それを秋に寒い場所で売ると、高いお金で売れるんだって。こういうのを持ちつ持たれつって言うって、お父さんが教えてくれたわ」

「なるほど」

 サムトーは、人々が互いに利を得ながら生活する逞しさと、ミリアの知識の豊富さの両方に、心底感心した。

「じゃあ、みんな、そろそろおやつにしようか。サムトー、下りて」

 ミリアが言った。手ぶらで食べ物などは持っていない。

 サムトーが、何だろうかと首を傾げながら、木を下りる。

 全員下りたところで、またミリアが先頭に立って歩き出した。

 しばらく村を囲むように続いている道を西に進み、途中で道をそれて山の方へ向かう。少し行ったところに低めの木に実がなっていた。

「これはグミの木。この時期じゃないと実がならないの」

「食べられるのかい?」

「もちろん。……今日は一人五個までね」

 子供達が思い思いに実をもいで食べていく。

 サムトーもそれにならった。甘酸っぱく、思った以上にうまい。初めての味だった。

「おいしいでしょ」

「そうだね、甘いものなんてずいぶん久々だったし、新鮮だったよ」

「よかった。じゃあ、次、行きましょ」

 また道に戻り、道なりに今度は南の方へ歩く。先ほどと同じように、途中で道から外れて、また木の実がなっている場所へ出た。

「こいつは知ってる。キイチゴだな」

 サムトーが言った。養護施設時代、町の裕福な家の庭に生えているのを見たことがあった。

 今度も五個ずつ食べる。グミより味が濃く、甘みが強く感じられた。

「もうちょっと食べたい」

 一番年少のノスリがぐずった。サムトーにも気持ちはわかる。これだけうまかったら、子供には我慢は難しいだろう。

 だが、ミリアはぴしゃりと止めた。

「森の恵みはみんなで大事にしなきゃだめよ」

「……うん、分かった」

 自然の実りを子供が頂戴する。森の恵みとは豊かなのだと感心した。今日は感心することばかりだった。

 何より、人とは暖かな存在だということを、久しぶりに思い出していた。養護施設で何人かに優しく接してくれた頃以来の感覚だった。仕事の時もそうだったが、子供達もサムトーを純粋に仲間として受け入れ、ありのままで接してくれる。奴隷剣闘士時代の心の飢えが満たされていくのを感じた。

 おやつも食べたところで、村への帰路につく。

 帰り際に、サムトーが子供達に声を掛けた。

「今日はありがとう。楽しかったよ。……そのお礼と言っては何だけど、何か俺にできることあるかい?」

 子供達が顔を見合わせた。

「ぼく、あのくるんって回るの教えてほしい」

 昨日の軽業を思い出したのだろう。一番年下のノスリが言った。

 同じ男の子のラスタも同意する。

「いいな、それ。村に帰ったら教えてくれよ」

 ミリアとダリアも顔を見合わせて言った。

「いいかもね」

「うん。わたしもやってみたい」

 これなら徒手空拳でもお礼ができる。子供達の名案だった。とは言え、宙返りは無理だろう。

「わかった。横に回る奴だけな。それなら危なくないから」

 村に帰ると、広場で早速練習となった。いわゆる側転である。

「両手を広げてまっすぐにしたら、真横に体を倒すんだ。最初は手伝うから、感じをつかんでみて」

「こうかな……よっと」

「そうそう。膝曲げないように気を付けて」

 サムトーは、一人ずつ丁寧に教えていった。ものの十分ほどで、みなコツをつかみ、きれいに回れるようになった。さすがに毎日山中で遊んでいるだけのことはあった。

 やがて日が傾いてきた。沈む前に帰宅する約束である。

「ぼくも楽しかった。またね、サムトー」

「ありがとう。大人と一緒に楽しく遊べたの、久しぶり。うれしかった」

「また時間があったら、今度は後ろに回るのも教えてくれよ」

 それぞれ言葉を交わして、分かれていった。

「友達がみんな楽しめてよかったわ。ありがとう、サムトー」

 ミリアが言う。

「礼を言うのはこっちの方だよ。案内ありがとうな。みんなとも仲良くなれたし、俺もうれしかった。ありがとう」

 ミリアにも、サムトーが心から言っているのが分かった。この人はそういう良い人なんだ、お父さんが客として連れてきたのは正しいことだったんだと、そう思った。何より、新たな家族が増えたのはとてもうれしい。

「どういたしまして。これからもよろしくね、サムトー」

 二人は、またこぶしをこつんと合わせた。


 翌日からもサムトーは様々な仕事をさせてもらった。させられた感じではなく、役に立つ知識と技術を教わることができ、有意義だった。

 獲物の解体や部位の加工、燻製の仕方、鏃作り、刃物研ぎ、罠のばねの加工、板作り、鶏や牛の世話など、村の中だけでも山のように仕事があった。村の外に出て薪拾いや野草摘み、木の実集め、キノコ採りなどをすることもあった。村人全員で生活に必要な仕事を分担する理由がよく分かった。

 たまに、また子守りを頼まれることもあった。かくれんぼやおにごっこ、探検ごっこなど定番の遊びのほか、約束通り、今度は次の技として逆立ちをを教えた。一番年長のミリアがやはり一番上達が早かった。

 風呂は一日交替で男女別に入る。夕食後、オルクに連れられて村の西側にある、徒歩数分ほどの場所の温泉に行った。いわゆる源泉かけ流しである。村をこの場所に開いたのは、ここに温泉と小川があったかららしいと説明され、さもありなんと思ったものだった。

 そうこうしているうちに一週間が過ぎ、長老のモーリが、狩りの手伝いに連れて行っても良かろうと、言ってくれた。

 サムトーが村に来て八日目。オルクとテムルという初老の男性に連れられて、同年代のエンケとボルタと共に、狩りに出かけることとなった。エンケは十九才、ボルタは十七才である。

 基本的に狩りは罠で行う。地中に筒状の罠を埋め、そこに獣が足を踏み込むと、ばね仕掛けで足をくわえ込むようになっている。罠には縄がつないであり、自由を奪うのである。

 罠の場所は二人一組で把握するようになっていて、担当者ごとに罠を仕掛ける範囲が決まっている。このオルクとテムルのコンビが担当するのは、村の北東部だった。

 わなを仕掛けた場所を順に見て回る。獲物がかかっていなければ、罠に異常がないかを確認して次へと向かう。

 七つ目の罠にイノシシが掛かっていた。体長はちょうど一メートルくらいだろうか。比較的小柄の部類である。人が近づいてきたことを察して、逃げ出そうと暴れ始めた。しかし、縄につながれ、狭い範囲でしか動けない。

「ボルタ、やってみるか」

 テムルが声を掛けた。止めを刺す、ということである。

「やってみる」

 ボルタ一人でやるのは初めてだった。短く返事をすると、腰からナイフを抜いた。狩り専用に作られたものである。

 ボルタがそっと、だが確実に近づいていく。イノシシの暴れ方が激しくなる。体当たりをするつもりなのか、イノシシが後ろに下がるのと同時に、ボルタは大きく踏み込み、一気に間合いに入った。そのままナイフをイノシシの眉間に突き立てる。即死だった。

「見事。ボルタも一人前だな」

「ありがとう、テムル」

 少し照れながら、ボルタがナイフを引き抜く。そのまま首筋に当て、頸動脈を切り裂いて血抜きをした。

 サムトーはミリアの言葉を思い出した。

「猟師の仕事も毎日獲物との戦いだけど、生きるためだから、こっちの方が絶対まともだわ」

 確かにその通りだと思った。鹿の時にも思ったことだが、残酷ではあっても決して冷酷ではない。自分たちが生きるために他の生き物の生命を奪うこと、それはある意味自然の摂理である。奴隷剣闘士のように、見世物として殺されることがあるのに比べたら、はるかに正常な営みではないかと思うのだ。

「エンケ、ボルタ、獲物を村に運んでくれ」

 罠を回収してオルクが言った。

 二人がイノシシを引きずっていく。イノシシは毛皮を取らないので、表面が傷んでも問題がないのと、血抜きをしても、目方が大体五十キロほどあるので、担ぐには重いからである。

「残りの罠を確認しようか」

 血だまりを埋めると、テムル、オルクと共に、サムトーもまた歩き始めた。

 山の奥の方へと進んでいく。途中、罠の様子を確認するとともに、イノシシの痕跡を見かけると、新たな罠を仕掛けていく。

 木々の隙間から見える太陽は、すでに中天を過ぎていた。

 頃合いを見て、三人は沢に下り、昼食を取り、水を飲む。

「サムトー疲れてないか?」

 オルクが尋ねてきた。

 サムトーが首を振る。

「大丈夫です。一応鍛えられてたので」

「あと五か所だ。さっさと済ませてしまおう」

 テムルの言葉で、三人は立ち上がって動き始めた。


 最後の罠に、イノシシが掛かっていた。さきほどより大物で、体長一メートル五十センチほど。重さは百キロを超えそうだった。大物の場合、安全のため飛び道具で止めを刺すことも多い。

 オルクが短弓を取り出そうとすると、サムトーが言った。

「俺にやらせてもらえませんか」

 本当の意味で猟師たちの仲間になるには、やはりこういう汚れ仕事も、自らするべきだと思ったのだ。

「大丈夫か」

 やり方を見たのはさっきの一回だけである。テムルもオルクもうまくいくかどうか疑った。下手をすれば大ケガの危険もある。

「まあ、何とかできると思います。お任せください」

 実際、サムトーには自信があった。剣闘試合に比べれば、相手は武器を持っているわけではなく、せいぜい体当たりだけである。当たらなければどうということはない。

「分かった。やってみな。失敗してもいいが、ケガだけはするなよ」

 テムルに言われて、サムトーはナイフを抜いた。ボルタが使ったのと同じく、狩り専用のナイフだ。

 サムトーは無造作にイノシシに近づいた。向こうも人間に気付き、いきなり突進してきた。自らを守るための必死の行動だった。

 サムトーはそれをあっさり左手にかわすと、同時にナイフをイノシシの眉間に叩き込んだ。刺すではなく、文字通り叩き込むと言うのが適当に思えるような、鋭い必殺の一撃だった。

 サムトーが一礼した。命を奪ってごめん。でも、そのおかげで俺たちは生きられる、そんな思いが頭をよぎったからだった。

「血を抜くんですよね」

 サムトーが、ボルタがしたのと同じようにイノシシの頸動脈を絶った。こちらも一目見て覚えていた。

「お前さん、すごい奴だったんじゃな」

「たった一回見ただけで、大したものだ」

 テムルもオルクも感心して言った。命懸けの試合を生き抜いてきた者の強さを知った。これが剣闘士の神髄なのだろうと思った。だが、仲間であれば何と頼もしいことだろうか。

「ずっと戦ってましたんで。……でも、地形を覚えるのは難しいです。今日も一人で帰れ、と言われたら絶対無理ですよ」

 二人が声を上げて笑った。サムトーという男には、何とも言えない愛嬌がある、と感じていた。お調子者なのは意図的に演じているようでもあるが、半分は本来の姿なのだろう。軽業をした時もそうだったし、子供達に技を教えていた時もそうだった。

「早く帰ってやらないと、解体当番が泣くぞ。一日二頭、しかも一頭はこんな大物だしの」

 テムルも釣られて冗談らしきことを言った。

 三人はイノシシを協力して引きずりながら、山を下りて行った。


「お帰り、お父さん、テムル、サムトー」

 村の広場で、ミリア達子供四人が出迎えてくれた。どうやら教わった逆立ちの練習をしていたらしい。手の平が汚れていた。

「きょうのイノシシ、大きいね」

「ああ。サムトーが狩ったんだ」

「え、初めてなのに? すごーい」

 サムトーもほめられて悪い気はしないが、一番すごいのは、罠を仕掛ける方である。イノシシの通りそうな場所を予想するには、様々な痕跡を注意深く見つける必要があるからだ。正直にそう言った。

「すごいのはお父さんたちの方だよ。上手に罠を仕掛けるのは、本当に難しいことだからね」

「それはそうだけど、暴れるイノシシに止め刺したんでしょ。怖くなかったの」

 さすがは猟師の娘である。イノシシの危険だけでなく、命を奪う重みまで受け止めての言葉だと、サムトーには分かった。

「イノシシも必死だったね。でも怖くはなくて、ごめんって思った」

 ありのままを正直に答えた。

「そうか、そうだよね。サムトー強いし」

「うん。……あ、ごめん、イノシシ運ばなきゃ」

 サムトーが立ち去ろうとすると、オルクがそれを止めた。

「サムトーはいい。俺たちで運んでおく。多分、解体も手伝うことになるだろうしな。……サムトーは子供達と遊んでやれ」

「そうそう。今日はよくやったし、もう十分だ」

 テムルまでそう言って、イノシシを持ち去って行った。サムトーはその場に取り残され、結局その言葉に甘えることとなった。

「さて、何する?」

 サムトーの言葉に、四人の子供達が顔を見合わせる。もう夕刻近いので、時間はあまり残っていない。

 一番年下のノスリが、ぼそっと言った。

「……かたぐるま」

「それいいかも。たまにしかお父さんにしてもらえないし」

 同じ男の子のラスタが同意した。女の子二人も、悩んでいる時間は惜しかったので、それに同意する。

「それってつまり、俺がみんなを順番に乗っけるってこと?」

「うん。それでお願い。ゆっくり百数える間、でいいかな」

 こういう時の仕切りは最年長のミリアになる。

「わかった。じゃあ、一番年下からだな」

 サムトーは、ノスリの両足の間に頭を入れ、足をつかんで立ち上がった。

「たかーい! サムトー、少し歩いてくれる?」

 ノスリの要望に答えて、広場の周りを歩き回ってみる。うれしそうなノスリの表情に、ダリアもラスタもうらやましそうな表情を浮かべた。

「……百っと。じゃあ、ダリアと交代ね」

「やった! ……ほんとだ、久しぶりだけど気分いいね、これ」

「じゃあ、次はラスタ」

「こりゃいいや。サムトー、父ちゃんより背が高いんだな」

「じゃあ、最後はわたしね」

 一番年長のミリアでもまだ十才。サムトーには軽々と持ち上げられる。

「……父さんにしてもらったの、ずいぶん前だった気がする。サムトーが村に来てくれてよかったわ。これ、気分いい」

「そいつはよかった」

「やっぱり目線が高いと、景色が違って新鮮」

 そうしてミリアを下ろしたところで、ちょうどお開きの時間となった。空も赤く染まり始めている。子供達も喜んだが、サムトーも喜んでもらえて何よりだと思った。

 帰りに屠畜場に寄ると、オルクはまだ仕事をしていた。もう少しかかると言う。

「じゃあお父さんがんばってね。夕食の支度して待ってるね」

 サムトーはミリアと一緒に家へと帰る。

 初めて狩りをした日だったが、それも含めてごく普通の日常がここにある。これが猟師の暮らす日々なのだと、その穏やかさに心地良さを感じていた。


 それから二月近くが過ぎた。

 季節は移ろい、夏を迎えていた。

 一度狩りに出た後は、猟師の暮らしになじむのも早かった。

「おう、サムトー、こっち頼むな」

「分かりました。お任せ下さい」

 村人達とも、そんな風に気安くやりとりできるようになっていた。

 いろいろな仕事も覚え、手際よくできるようになっていた。

 獲物の命を奪うことも解体することも、決して拭えない抵抗感こそ多少はあるものの、ごく普通にできるようになっていた。

 時々子供達と遊ぶ。子供達のなつき方は半端でなく、遠慮なく抱き着いてくるようになっていた。子供達と一緒にいることは、サムトーにとっても心の温まる時間だった。特にミリアの存在は大きく、友達にはお姉さんとして接しつつ、サムトーにはまるで実の兄のように上手に甘えてくる。頼られて悪い気はしない。一緒に過ごす時間はとても楽しいものだった。

 逃亡している身の上であることを決して忘れたわけではない。ないのだが、こんな風に平和な日々を送っていると、この日々がずっと続けられるような気がしていた。

 七月になり、熊を狩ることになった。

 南のふもとにある町はトルネルと言う。中央に主街区が、周辺に十いくつかの集落がある農村で、人口は五千人程度であった。スニトの村では、週に一度その町を訪れ、燻製肉や毛皮を売り、穀類や芋類、塩、酒、衣類などを買っていたのである。

 そのトルネルの町に熊が出るようになったという。草木萌える六月中旬のことである。この時期、雑食の熊は若葉や昆虫類、小動物や魚など、食べるものには困らないはずである。しかし、何かのきっかけで人里へ出てきたものがいたのである。

 最初は被害もなく、近寄りそうなら、大きな音を立てて威嚇し、追い払っていた。だが、そのうち人里の様子が分かってきたのだろう。人を怖がらないようになり、畑、家禽、家畜に被害が出るようになった。さすがに町の者達も放置できなくなり、スニトの村に退治を依頼してきたのが七月初旬のことであった。

 長老のモーリが村人達と相談した結果、熊狩りに当たるのはオルクとヨスタ、テムル、そしてサムトーに決まった。オルクの飛び道具、ヨスタ、テムルの追跡技術、サムトーの戦闘力が有効だという判断である。

 目撃証言から、出現場所はトルネルの町の北東、その北に広がる森の中で普段は生活しているものと推測された。四人が現地へ向かうと、探すまでもなく、熊が出没している痕跡がいくつも見つかった。

 大きさは推測で二.五メートル。体重は二百キロ程度。大型ではないが、それでも人が狩るには十分に大きい。

 四人でどう狩るか相談した。

「今から罠を仕掛けるんじゃ、ちと時間がかかるな」

「恐らく熊は味を占めてまた町へと出てくるのでは。人を恐れなくなったという話ですし」

「ありうるな。前回、襲った場所の付近が危ない」

「待ち伏せするのが良いかもしれんな」

 結論として、前回襲われた民家の付近で、一番山に近い家の付近で待ち伏せをして、直接止めを刺すという段取りに決めた。

 その日はいったん引き上げ、翌日早朝から狙われそうな家の近くに張り込んだ。

 オルクは弓矢、ヨスタは槍のような先の尖った長柄の棒を持って物陰に待機する。サムトーとテムルが偵察として森の近くを見張る。待つのには忍耐が必要だが、四人ともそれは十分にもっていた。

 日も高くなり始めた頃、早々に熊の姿が森から現れた。予測通り、待ち伏せに選んだ家の方へと向かってくる。サムトーたちも合流し、待ち伏せに加わる。

 オルクが弓を構えた。ゆっくりと確実に熊が近づいてくる。必中距離はおよそ四十メートル。息を潜めてタイミングを計る。

 間合いに入ったと同時に、オルクが矢を放った。狙い違わず、熊の頭部へと飛んでいく。

 だが、ちょうどそこで不運が起きた。不意に風が起こり、わずかに矢の軌道が逸れたのである。

 眉間を打ち抜くはずだった矢は、熊の頬に突き立った。

「しまった!」

 オルクが思ったその瞬間、サムトーが動いた。手負いはより危険な存在となる。放置はできない。確実に仕留めなければならないのだ。

 サムトーが熊の正面に飛び出していく。

 熊と正対すると危険と言われるが、サムトーはあえてそうした。気を引くためである。

 案の定、熊が威嚇の咆哮を上げた。

「サムトー!」

 三人が心配して声を上げる。

 だが、サムトーは落ち着いていた。わざと後に下がって見せる。隙ありと見て、熊が突進してきた。狙い通りである。

 衝突する直前、サムトーは飛び上がって突進をかわす。すかさずナイフを熊の眉間に叩き込み、その勢いを利用して空中で一回転する。

 やがて、サムトーの下を通り過ぎた熊が、勢いを止めると、そのまま倒れた。即死だった。

 オルクもヨスタもテムルも安堵しつつ、内心では凄まじい技の切れに度肝を抜かれていた。剣闘士とは、ここまで強いのかと改めて感じた。

「ありがとう、サムトー。見事だった」

「だが、あまり無茶をするな。とは言え、すごかったの」

「まあ無事でなにより。さすがじゃな」

 三人が安堵の息をつきながら、それぞれ称賛する。

「相変わらず、こんなことしか取り柄がなくて、お恥ずかしい限り」

 サムトーが、冗談交じりに照れ隠しをした。その間にもナイフを抜き取り、他の獲物と同じように首筋を切り裂く。血抜きは早い方が良いのである。

「それより、どうします? ここで解体します?」

 狩った獲物を無駄にするのは猟師の流儀に反する。サムトーにもそれは骨身に染みている。加工することが前提の質問だった。

「荷車を借りよう。解体は村じゃないと無理だろう」

 テムルが言った。最年長だけに適切な判断だった。

 オルクとヨスタが荷車を借りに行く。その間、血抜きがある程度済んだ熊をサムトーとテムルが動かし、血だまりを土で埋めていった。

 荷車に乗せるのも、荷車を引いて山を登って村に帰るのも、なかなかに難儀だった。何せ二百キロ近い重さがある。手ぶらなら二時間少々のところ、三時間以上もかかった。

 村に着いた時には、すでに日は傾き始めていた。しかし、最低限内臓だけは抜かなければならない。皮を剝ぐところまでは何とか終わったが、結局解体は翌日に持ち越しとなり、小川の水で肉を冷やしておくことになった。

 サムトーとオルクが家に帰ったのは、いつもならとうに夕食も済ませている時間だった。風呂はちょうど男性の日だったので、遅い夕食を済ませ、疲れた体を温泉で労ったのだった。

 後日、子供達が熊狩りの話に夢中となり、何度もサムトーから話を聞きたがったのは余談である。


 七月下旬、例の旅芸人たちが、トルネルの町に来る日が近づいていた。

 村の全員で見に行くのが毎年の慣例だった。毛皮や肉を、貴重な金属製品や本などと交換することもあり、年に一度の大切な機会だった。

 ここで懸案が持ち上がった。サムトーをどうするかである。

 村人達も、サムトーが逃亡中の奴隷剣闘士であることは知っている。だから、これまでもトルネルの町で週に一度の買い出しをする際に、サムトーは一度も連れて行っていない。熊狩りの時は、農村で集落の何人かから遠目に姿を見られた程度だったから、問題はなかった。だが、今回は怪しまれる危険が無視できない。

 そこで、また集会が行われた。夕方から行う、サムトーが迎えてもらった時と同じ飲み食い付きのやつである。

「サムトーだけ留守番はかわいそうだよ」

 という子供たちの声を代表に、村人達全員の意見は、連れていきたい、で一致していた。サムトーを村の一員として大切にしている証でもあった。

 理由も様々だった。サムトーが逃亡してからもう三月近くも経っている。町の連中も、スニト村の人間全員を知っているわけではないから、みなと混じれば違和感などないはずだ。誰かが村の人数を知っていて、数えて確かめるようなまねもしないだろう。町の者達も、旅芸人の芸を見たり、一緒に売られている珍しい品物に夢中で、スニトの村人を気にかけたりしないだろう。等々。

 反対意見はなく、これで意見は一致を見た。だが、一つだけ決めておく必要のあることがあった。万が一、怪しまれた場合どうするか、である。

 長老のモーリが言った。

「本当に、本当に残念なことだが、万一の時は、旅芸人の一座に連れて行ってもらうしかなかろう。そんなことはないと思うが、念を押して一座の長に話を通しておこう」

 その一言で話は全てまとまり、後は飲み食いするだけとなった。

 サムトーの隣に座っていたミリアが、嬉しそうに言った。

「やっと見に行けるね。ずっと楽しみだったもん」

「そうだね、俺も楽しみだよ」

 サムトーにとって、養護施設時代、大道芸を見かけたことはあるが、本格的な芸人を見るのは初めてだった。青年と呼ばれる年頃だが、子供達と同じように期待感でいっぱいだった。

「俺よりすごいっていう軽業とか、どんなのか早く見たいな」

「どのくらいすごいかは、後は見てのお楽しみだね」

「そうだな。本物見ないとわからないもんな」

「そうそう。すっごいびっくりするよ、絶対」

 ワクワクしながらミリアが言う。サムトーも同感だが、それ以上に、ミリアが期待に目を輝かせている様子を見るのがうれしかった。

「一緒に見ようね、サムトー」

「もちろん」

 ミリアがこぶしを突き出す。サムトーがこつんとこぶしを合わせる。もう二人は心の底から通じ合う仲になっていた。

 そんな風にして夜は更け、集会もお開きとなった。


 三日後の早朝、スニトの村人全員で山を下りて、トルネルの町へと向かった。荷車は六台。売り物にする毛皮や燻製肉の他、町で一泊する分の水や食料が積まれている。かなり重いので、二人がかりで一台を引いていく。馬車があれば良いのだが、村には馬を飼う場所も余裕もなかった。

 歩くのが厳しい小さい子は荷車に乗せる。だが、二才と三才の子達が荷車に乗っただけで、まだ六才のノスリも、他の子達と一緒にがんばって歩いていた。途中、二度の休憩を挟んで、四時間ほどでふもとの町に着いた。

 町外れの未耕作地に大型の馬車が十台、扇状に並んでいる。馬は外され休ませている。旅芸人の一座も着いたばかりのようで、子供も含めて三十数人が公演や露店の準備をしていた。

 柱を五本ほど立て、荷馬車との間に縄を張り、縄と縄の間に布を張って天井にする。舞台となるところに板を敷き詰める。座席の部分には、厚手の布を敷き詰めていく。詰めれば五百人ほどは座って見られる広さがあった。舞台と控室となる馬車の間、出入口の左右に幕が吊るされる。かなり大変な量の物資と手間がかかるが、毎度のことなので、手際よく設置が進んでいた。

 長老のモーリと荷車を引く者とが馬車の裏手へ向かう。来て早々だが、公演が始まる前に商談は済ませておくのである。残る村人達は、みな天幕が張られていく様子を眺めていた。

 天幕が張り終わるころ、商談が済んだようで、長老達も村人達のところへ戻ってきた。荷車は馬車の近くに置かせてもらったようで、代わりに手に人数分の割符を持っていた。猟師達は招待客として、無料で芸を見せてもらえるのである。大量の毛皮は良い値で売れるので、このくらいはサービスしてくれるのだった。

 日が傾き始めた頃、町の人々が続々とやってきた。公演は、この日の夕方と翌日の午前中、二回だけである。滞在するのはこの日を含めて三日。初日、二日目の公演の後は、撤収作業の傍ら、露店での販売が主になる。三日目の朝食後には、次の場所へと出発するのである。年に一度の貴重な機会だけに、客足は良かった。

 見物料は銀貨一枚。神聖帝国では、金貨一枚が銀貨二十枚、銀貨一枚は銅貨五十枚に換算される。物価は食事一食銅貨十枚から高くても三十枚程度なので、銀貨一枚は結構な値段である。それでも惜しまず支払い、天幕へと入っていく。

 スニトの村人達も天幕の中に入った。前列左端の方に固まって座る。どうやら魔法を付与した道具を照明にしているらしく、舞台の上には十分な明るさがあった。

 空が赤くなり始めた頃、いよいよ公演が始まった。客層も老若男女様々で、客席は見事に満員だった。

 最初に年配の男性が一人、舞台に進み出た。

「本日は、我がカリアス一座の公演にお越しいただき、誠にありがとうございます。短い時間ではありますが、みなさまにはぜひ、一座の妙技をお楽しみいただければ幸いです」

 座長の挨拶に、大きな拍手が沸く。町の人々もみな心待ちにしていたようだった。

 最初は二人の男性のジャグリングからだった。一人六個の玉を、次々と宙に放り上げては、落とすことが全くない。それだけでも見事だったが、動きを止めないまま、今度は二人で玉を交換しながらの技に変わった。距離も縮めたり離れたりと動きながらでも玉を落とすことはない。しばらくした後、一人片手に三個ずつの玉をきれいにつかみ取る。そして客席に向かって一礼した。再び大きな歓声と拍手が沸いた。

 次は玉乗りだった。道化の服を来た少年が、玉の上に乗り、転がしながら舞台へと現れた。舞台を自在に走り回った後、逆立ちをしようとしてわざと失敗して見せる。それを繰り返す都度、客席から笑いが起こる。怒った風を装った少年が、その玉を今度は足で蹴り、頭で止め、足元に落としてはまた蹴り上げるといったリフティングの技を始めた。自由自在に宙を舞う玉の様子に、観客から拍手と歓声が起こった。

 その次は踊りだった。三人の女性が、陽気な音楽に合わせて舞台を自在に動きながら踊って見せる。動きはとても優雅で、三人が見事にシンクロしていて、見る者を魅了する美しさがあった。曲が終わって、女性達が一礼するとまた大きな拍手と歓声が上がった。

 犬の芸やナイフ投げの技、奇術の類、どれも見事だったが、一番観客を沸かせたのは最後の曲芸だった。四人の女性が手を振りながら登場すると、側転、前宙返り、後ろ宙返りなど、様々な技を披露する。最後は三人が一人を持ち上げて、空中に放り投げる。空中でその一人が体をひねりながらの宙返りや二連続の宙返りなど、高難易度の技を決めていく。宙を舞うたびに観客から感嘆の声が漏れ、終わった時は今まで以上の拍手と歓声が上がった。誰もが全く退屈を感じない時間だった。

「以上で、我がカリアス一座の公演を終了とさせて頂きます。みなさま本日はご来場ありがとうございました。気を付けてお帰り下さいませ」

 座長の言葉に最後の拍手と歓声が沸き、観客たちは口々に感想を言い合いながら天幕から出ていった。銀貨一枚は大きな出費のはずだが、その甲斐はあったと、みな満足そうな表情だった。


 スニトの村人達はその場に残っていた。

「今年も見事なものを見せてもらったよ。ありがとう、カリアス」

 長老のモーリが礼を述べる。

「こちらこそ、毎年のご来場ありがとうございます。何より、今年の毛皮は質も量も良かったので、一座の者も喜んでおりますよ」

「なに、鍋、鉄板、針金、いつも助かっているのは、こっちの方さ」

「これから準備をしますので、もうしばらくお待ちください」

 座長が幕の後ろへと消えていった。

 何の準備なのか、サムトーにはわけがわからない。

 長老が説明してくれた。

「旅芸人達も、わしら猟師と同じく、神聖帝国を支配している連中からは邪魔者扱いされておるのだ。何せ、あちこち巡って旅するものだから、税を取り立てられんからな。わしらもトルネルの町の一部ということになっておって、一応町に肉や毛皮の売り上げのごく一部を払っておる。本来ならもっとたくさんの税を払わないとならんのだが、役人も面倒なことを避けて、わざわざ村まで取り立てには来んからな。一応払っているということで、良しとしておるようだな」

 事情をよく分かっていない子供達にも分かるよう、分かりやすい言葉で説明してくれた。

「なので、神聖帝国の嫌われ者同士、あと必要な物の交換もできるということで、わしら猟師と旅芸人は仲が良いのだ。だから、この後は再会を祝して宴となるのだ。用意はほとんど旅芸人達がしてくれる。もちろん、わしらも肉は出しておるがな」

 説明が終わる頃には、旅芸人達が、あちこちに板を並べ、その上に料理を並べ始めた。酒樽も持ち込まれる。この客席でそのまま宴会となるのだった。

 やがて、五人ばかりの見張りを残して、旅芸人達も座につく。村人達もその間に入っていき、酒杯が配られる。

 座長のカリアスが挨拶に立った。

「今年もスニト村のみなさんと、こうして杯を交わせることをうれしく思います。毎年見事な毛皮と肉をありがとうございます。それでは、今宵も楽しいひと時を。乾杯!」

「乾杯!」

 あちこちで談笑の花が咲いた。

 やはり方々を旅している旅芸人達の方が語ることが多く、村人達がそれに聞き入ることの方が多かった。その合間に、狩りの様子などの話になることもあった。

 ミリアなどは、旅芸人達の、例の曲芸を披露した若い女性陣相手に、自慢げにサムトーを語っていたものである。

「サムトーってすごいの。こないだなんか、巨人みたいに大きな熊を、ナイフ一本で、たった一撃で倒したの!」

「熊って、あの熊でしょ。本物見たことないけど、そんなにすごいの?」

「もちろん。わたし二人分くらいの大きさがあるもの。重さだったら、わたしが七、八人分にもなるの」

「そんなの倒しちゃったんだ。確かにすごいわね」

 もれ聞こえてくるのを聞いて、サムトーは少し照れ臭かった。身内と認めているからこそ、ほめてくれるのはうれしいのだが。

「サムトーさん、ちょっと来てもらえる?」

 お呼びがかかってしまった。無視もできないので、酒杯を持ったまま近くに来て、ミリアの隣に座った。

「あら、思ったより華奢なのね」

「そうね、もっと筋骨たくましいのかと思ったわ」

「ちょっと力こぶ作って見せて」

 女性陣も酒が入っているようで、遠慮がなかった。

「いやあ、俺なんてまだまだ修行中の身ですから」

「でも強いんでしょう。それにちょっとカッコイイかも」

「おほめ頂き、光栄でございます」

「何堅苦しいこと言っているのよ。まあ、飲みなさいな」

 若い女性とは縁のなかったサムトーである。どうあしらったものか皆目見当もつかない。隣ではミリアが渋い顔をしていいる。デレデレしているように見えるらしい。

「ちょっと座長に挨拶しないと。お嬢様方、これにて失礼を」

 適当なことを言ってサムトーは逃げ出した。

「あらあら、逃げられちゃった」

「ミリアちゃん、いいお兄さんで良かったわね」

 しばらくミリアの機嫌が悪かったのは言うまでもない。


 座がお開きになった後は、みなで片付けをして、一座の者達は馬車へと引き上げた。村人達は客席を借りて就寝である。明日午前の公演まで天幕は使われないからだ。夏なので、夜でも雑魚寝で風邪をひく心配もない。

 寝る前に、ミリアがサムトーに話しかけてきた。

「ねえ、サムトー。今日は楽しかったね」

「そうだね。みんなと一緒に見られて楽しかった。それに、初めてのことがたくさんで、いろいろびっくりした」

「そうなんだ。私もサムトーと一緒に見られて良かったよ」

「いやあ、世界は広いな。こんなすごい人たちがいるんだもんな」

 サムトーの感想に、ミリアがうなずく。

「ほんとだね。……そうだ、村に戻ったら、また軽業教えてね。あのお姉さん達ほどじゃなくても、できる技増やしたいから」

「分かった。そうだな、倒立もできるようになったし、次は腕立ての前回りをやってみようか」

「うん、ありがとう。じゃあ、おやすみ、サムトー」

「ああ、おやすみ、ミリア」

 充実した一日の夜は、こうして終わりを告げた。


 翌日、村人達は相変わらず朝が早い。

 一座の者達より先に起き出し、荷車から食料を下ろして、朝食の支度を始めた。器具は馬車の物を借りている。さすがに簡単に調理できるものばかりだったが。

 やがて一座の者達も順次起き出してくる。昨日とは逆に、村人達が一座の皆へ食事を振る舞った。

 一座の者達は最後の公演の準備に入る。村人達が馬車から交換の決まった金属の道具などを荷車に積み替える。

 日が高くなってきた頃、旅芸人達の公演が天幕で始まった。それが終わって、昼食を一緒にしたところで、村人達は帰ることになっていた。それまで多少の時間が空く。

 例年、村から持ち込む毛皮や燻製肉の方が、旅芸人達の提供する品物より、多少であるが値が高く、金貨十枚ほどで買い取ってもらっていた。なので村人達は金銭に余裕があった。そこで普段は町に来られない面々が、この機会にと多少の買い物を楽しむのも恒例のことだった。

 ミリアはいつもの子供達と四人で町へ出ていた。村では食べられない、菓子類が目当てである。

 商店が立ち並ぶ通りの一角に、目当ての菓子屋はあった。一番年下のノスリが喜んで、一番に走り出した。

 しかし、間の悪いことに、菓子屋の近くまで走ってきたところで、ノスリは人とぶつかってしまった。それも相手が悪かった。若い男の二人組なのだが、旅芸人が訪れたことで仕事が休みになり、朝から酒びたりだった。

「ごめんなさい」

 ノスリは謝ったが、ぶつかられた男は不機嫌そうに吐き捨てた。

「なんだ、小僧、それで謝ってるつもりかよ」

 ミリア、ラスタ、ダリアの三人も駆けつけ、一緒になって謝罪した。

「本当にごめんなさい」

 上から子供達を見下ろしていた、ぶつかられなかった方の男が言った。

「こいつら、町の子じゃないぜ。旅芸人を見に来た山の子だろう」

「そうみたいだな。なら遠慮はいらないか」

 嫌らしい笑みを浮かべて、最初の男が威嚇するように言う。

「謝る気があるんなら、ちゃんと形にしてもらわないとな」

「形って……」

「金出せってことだよ」

 さすがにミリアも怯えを隠せなかった。これまで、こんな風に悪意を向けられることなど一度もなかった。村の暮らしは相互信頼によって成り立っているのだから、そもそも悪意のある人間の存在が信じられない気分だった。

「でなきゃ、一発殴るので勘弁してやってもいいぜ」

 ミリアの後ろには、同じように怯えたラスタ、ダリア、ノスリがいる。穏便に済むのであれば、お金を出すべきなのだろうか。迷いながらも懐から財布を取り出す。四人分として銀貨一枚預かってきていた。

「物分かりがいいじゃねえか」

 ぶつかられた方の男が、ミリアに手を伸ばし、財布をひったくった。

「銀貨一枚か。ガキにしては金持ちだな」

 ちょうどそこへ全力で駆けつけてきたのがサムトーだった。

「ちょっと待ちな」

「サムトー……」

 さすがのサムトーもかなり腹に据えかねていた。ミリアを安心させようと頭をなでる。ともあれ、子供達が無事な様子に安堵しつつ、男達相手にはケンカ腰で言った。

「子供の小遣いをひったくるなんざ、小悪党にもほどがあるってもんだ。さっさと返しな」

「なんだてめえ、ガキどもの保護者かよ」

「しつけがなってねえから、俺らがしつけてやってるんだろ」

 悪意のある人間は、自分の物差しでしか物事を見ない。本気で子供達の方が悪いと思い込んでいるのだ。

「ミリア、何があったんだ」

 サムトーが問いかけた。もう少し時間があれば、お金を取られずに解決する方法もあったかもしれない。

「お金出さないと殴るって言われて……」

 ミリアが悲しそうに答える。殴られる痛みへの恐怖より、子供を平気で殴れる大人の存在を信じられないのが大きかった。

「なら話は早い。俺が代わりに殴られてやるよ。それでどうだ」

「はあ? 何言ってんだ、こいつ」

「遠慮はいらないぜ。金か殴るかどっちかでいいんだろ」

「ふざけやがって。じゃあ覚悟しやがれ」

 ひったくった財布を懐にしまいながら、言葉通り遠慮をする様子は全くなく、男が全身の力を込めて殴り掛かってきた。

 サムトーは身動き一つせず、こぶしを頬で受け止める。ただし、体と首をひねって威力は削いでいたが。

「これでいいだろ。財布を返してくれよ」

 男は殴った手ごたえのなさに驚いていた。そして、平然と言い返してきたサムトーの態度に一層腹を立てた。

「ふざけんな。まだ終わりじゃねえ。……お前も手伝え」

 男は、連れに声を掛けると、今度は二人同時に殴りかかってきた。

「約束がちがうじゃねえの」

 サムトーはそう言いながら、自分からは手を出そうとはせず、二人の殴るままに任せていた。ただし、今度は攻撃を全て受け止め、払い落し、空を切らせている。

 遠目に殴り合い、というか一方的に二人が殴り掛かっている様子を見て、通りかかった町の人々が少しずつ集まってきた。付近の店からも、店番をしていた人達が様子を見に出てきた。

 やがて、少なからぬ人だかりができた頃、全ての攻撃から身を守り通したサムトーが、心の底から忠告した。

「なあ、悪いこと言わねえから、財布返しなよ。今ならそれで全部チャラにしてやるし」

 酔いに任せて殴り掛かっていた男二人は、息を切らせながら、それでもまだ強がっていた。

「ふざけんじゃねえ。こんな半端で止められるかよ」

「そこまでにしてもらおうか」

 男達にとっては最悪のタイミングだっただろう。町の自警団の男が二人現れ、割って入った。

「事情を説明してもらおうか」

 こういう時、悪意のある連中の方が口は軽い。必死で自分達は悪くない、子供達とその保護者らしきこの男が悪いと、しきりに訴えた。

 しかし、自警団の二人は公正だった。サムトー、そしてミリアの言い分もしっかり聞いてくれた。町の平和を守る仕事の大切さを良く理解し、きちんと真相を確かめる必要性を良く知っていた。

「調べさせてもらおうか」

 そう言って、男の懐から財布を取り出す。二つ財布があったが、一つは男の所持品であろう、擦り切れたところのある革袋。もう一つは比較的小さな布袋で、中にはミリアが話した通り、確かに銀貨一枚あった。

「これではっきりしたな。しばらく牢で頭を冷やせ」

 自警団が二人の男の手首を拘束する。詰所の簡易牢にとりあえずは放り込むことになる。

「君たちはスニト村の住人だろう。悪いが、この町では拘束はできても、裁判をしてあいつらに罰を与えることができないんだ。カターニア城代様の配下で、裁きを下す資格のある騎士様に、来て頂く必要があるんだ。……そうだな、早くても十日は先の話になる。その時、また証言してもらうことになるので承知してくれ」

 そう言い残すと、自警団の二人は、酔っ払い二人を引き立てて、詰所へと帰って行った。

「おい、サムトー、ミリア、みんな大丈夫か」

 人だかりの中から見知った姿が現れた。オルクだった。

「大丈夫ですよ、子供達も無事です」

「ありがとう、お父さん。駆けつけてくれたんだね」

 二人の返答にうなずきながら、深刻そうにオルクが言った。

「無事でよかった。よかったんだが。……話は聞いたぞ。城代配下の騎士が来ると。そっちの方が問題だ。長老のところに急ごう」

 サムトーも同じように表情を改めた。それを見て、ミリアが訝しがる。

「どうしたの、急に」

「ミリア、お前も一緒に来てくれ。三人も家族のところに戻るぞ」

 オルクの言葉で、全員荷車の置いてある、旅芸人の馬車のところまで戻ることになった。


「そうか。そんなことがあったか」

 出来事のいきさつをミリアから聞いて、珍しく長老のモーリが大きなため息をついた。座長のカリアスも同席していた。

 本当に大したことのない、実に下らない事件だった。

 だが、これで神聖帝国の騎士と直に会うこととなってしまった。しかも、サムトーが逃げ出してきたカターニアの街からである。ここトルネルの町は、神聖帝国の直轄領で、カターニアの街が治める郡の一部だった。司法権もカターニアにあるので、犯罪を犯した者はそこへ連れていくか、逆に裁きに来てもらうかということになっていたのだった。

 だから、そこから来る騎士ともなれば、サムトーと面識はなくとも、剣闘士だったことに気付く公算は高い。もちろん、正体を隠し通すことは不可能ではないかもしれない。しかし、危険が高すぎた。殴ってきたのを全て防いだ実力を見せろと言われれば、剣闘士の技だと一発で分かるだろう。万が一と思っていたことが現実となってしまったのである。

「面目ない。子供達だけで行かせなければ……」

 オルクは言ったが、不可抗力である。まさか昼前からそんなせこい犯罪に巻き込まれるなど、誰が想像できるだろうか。

「素性を隠し通すのは、どうにも難しそうだな。どうだ、サムトー」

「そうですね。騎士にもいろいろいますが、優秀な奴なら隠すのは難しいと思います」

 モーリとサムトーも状況は楽観視していない。支配層の人材を侮ってはならなかった。

「では、最初の約定通り、私のところで預かることになりますか」

 座長のカリアスが言った。彼にも、サムトーが奴隷剣闘士であり、万が一素性がばれるようなことがあれば、一緒に連れて行ってほしいと、事前に話は通してあった。

「止むを得ないな。……サムトー、それでいいか」

 長老が念を押してきた。オルクもミリアも、黙ってサムトーを見つめている。万が一など起きないと思っていた。しかし、起こったことは覆せない。分かっていたこととは言え、納得できるかは別問題である。

「……分かりました。カリアス座長のところでお世話になります」

 サムトーが深々と頭を下げた。結論は先送りにできない。もうすぐ猟師達は山へ帰るし、一座も明日の朝には出発する。ようやく逃亡できたのだ。こんなところでむざむざと死ぬつもりはない。猟師達と別れるのは断腸の思いだが、新たな環境で生きていこうと決心した。

「分かった。みなにもそう伝えよう」

 モーリはそう言うと立ち上がり、馬車を出た。サムトー達もその後に続いた。カリアスもまた一座の者へ話を通しに行った。


 昼食の後、サムトーが旅芸人の一座と共にこの地を離れなければならなくなったというこの一件を知り、スニトの村人達は、みな肩を落として残念がり、事件を起こした連中を愚痴を言うように罵った。

 しかし、それでもみな村へと帰らなければならない。

 荷物と水を積み込んだ荷車は、すでに用意が済んでいる。後は村へと歩き出すだけだった。

「サムトー、今までありがとうな」

「元気で頑張れよ」

「お別れなんて嫌だ。なんでだよ」

 誰もが別れを惜しみ、固い握手を交わした。子供達は半べそをかいてサムトーに抱き着いた。

「このまま無事に一座にいられれば、来年また会えるかもしれないな。その時を楽しみにしている」

 オルクはそう言って握手しながら、サムトーの肩を叩いた。半分は娘に聞かせるためでもあった。

 一番別れを惜しんだのは、やはりミリアだっただろう。

「今まで本当にありがとう。でも、また会えるよね。……ううん、絶対また会おうね、サムトー」

 ミリアは涙を流しながら、そう言って強く抱き着いた。

「ありがとう、ミリア。元気で。また会おうな」

 サムトーが優しくミリアを抱きしめた。

 別れを惜しみつつ、二人が離れると、村人達は出発した。

「元気でねー」

 子供達は最後まで手を振っていた。サムトーも姿が見えなくなるまで、手を振り返していた。


 カリアス一座の撤収作業は順調に進んでいた。

 サムトーもそこに混じって、馬車への荷の積み込みを手伝った。

 夕食時、一座の者が集まったところで、座長から重大な発表があった。周囲には一座の者以外は誰もいない。それでも慎重な声で座長が言った。

「これは絶対に秘密を守ってもらわなければならん話だ」

 一座が沈黙し、座長を注視する。

「新しい仲間のサムトーだ。今日からこの一座の一員となる。……元奴隷剣闘士で、素性がばれると殺されてしまうんだ。今日、山の子供達が巻き込まれた事件を知っているだろう。そのせいでカターニアから騎士が来ることになり、素性のばれる危険が高くなった。そこで、うちの一座とこの地を離れて逃げ出すことになった、というわけだ」

 事情を知って、座員達も納得した表情になった。

「当面は裏方を手伝ってもらう。みんなよろしく頼む」

「分かりました、座長」

 一座の皆が声を揃えて返答した。

 酒杯が配られた。食事しながら、新人の歓迎会を兼ねているのである。

「サムトーからも一言頼む」

「はい。……サムトーです。半人前の猟師でしたが、また旅芸人の見習いとして頑張りますんで、みなさん、どうかよろしく」

 拍手が起こった。神聖帝国に差別される民、旅芸人だからこそ、同じく蔑まれる元奴隷剣闘士という立場に、猟師達と同じように共感するのだった。

「明日は出発だ。新たな仲間も加わったことだし、気分一新、また頑張ろう。それでは乾杯!」

「乾杯!」

 一座が唱和する。

 サムトーの新たな旅が、ここに始まった。


――続く

サムトー2本目の作品です。「いい加減な剣術師範代」の前日譚になります。奴隷剣闘士として逃亡し、猟師達に救われる、サブタイトル通りの話です。ぼかしてはいますが、狩りのシーンなど結構リアルになってしまい、少し残酷描写濃いめかもしれませんが、ご容赦ください。奴隷から解放されて、人間らしい生活を送れるようになったサムトーの、猟師としての活躍をお楽しみください。

たわしまつわ

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