序章ⅩⅧ~旅の商人の用心棒~
都市を出ようとした矢先
馬車から声を掛けられた
旅の商人一家から
用心棒を頼まれる
のんびり荷物を運ぶ旅
楽しく四人で道を行く
誰相手でもお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
時に神聖帝国歴五九七年十二月三日。
茶色のざんばら頭にやや長身の引き締まった体。背と腰に剣を下げ、荷物を背負って一人旅を行く。名はサムトー。旅の剣士である。
この日、面倒を見ていた少女や、この街で知り合った警備隊員の友人達と別れ、城塞都市クローツェルを出発しようとしていた。西へと向かう街道をのんびり歩いていた時、三台連なった馬車から声が掛かった。
「よお、そこの剣士さん、一人旅かい?」
御者台にいた筋骨逞しい男がこちらを向いている。年の頃は四十才前後だろうか。陽気そうな男で、口元に笑みを浮かべていた。
「そうだけど、それが何か?」
「兄さん、暇そうだし、良ければ乗っていかないか」
サムトーとしては、のんびり一人で歩くのは嫌ではない。だが、せっかくのお誘いだ。乗せてもらって、世間話でもできるなら、その方が楽しそうだと思い、言葉に甘えることにした。
「それはありがたい。じゃあ、乗せてもらうよ」
荷物や剣を負っていても、サムトーは身軽だ。歩を止めない馬車に早足で並ぶと、ひょいと御者台に飛び乗った。
「俺は旅の剣士サムトーだ。よろしく頼むな」
「そうか。俺はブレイズ。ご覧の通り、旅の商人だ」
その間も馬車は止まることなく進んでいく。城門が次第に近づいてきた。
「なあサムトー、一人旅は長いのかい?」
「そうだなあ。何だかんだと一年近く、一人旅やってるなあ」
「どこか行き先は決まってるのか」
「特にはないなあ。当てもなく、適当にぶらぶらしてる」
ブレイズがニヤリと笑った。特に悪意はなく、自分の都合に良かったというだけのことだった。
「ほう、そいつは都合がいい。俺達、馬車三台だろ。娘と息子の三人でこの商売をやってるんだ。五日かけて、西の町タルバンまで荷物を運んで、途中の町でも荷物を売ってな。帰りも農産物なんかを仕入れて、またクローツェルに運ぶっていう商売をしてるのさ。そんで、いつもは護衛を一人雇ってるんだけどよ。今回、その護衛が都合で同行できなくてな。サムトーさえ良ければ、俺達の護衛をやってくれないか」
不意の申し出だったが、まあそういうこともあろうかと、サムトーは別段驚きはしなかった。しかし、行きずりの人間を簡単に信用するのはどうかと思う。
「ブレイズさんよ、俺が悪人だったらどうする気だよ」
言われた方は、全く歯牙にもかけなかった。
「へ、悪人ってのは、あんなところでのんびり一人旅なんてしないもんさ。で、どうだい、用心棒の仕事、引き受ける気はないか」
サムトーが肩をすくめた。何とものんきな男だ。
「ま、暇だから、引き受けてもいい。で、報酬は?」
「一日銀貨三枚。宿泊費や食事代はこっちが持つ。それでどうだ」
銀貨一枚は銅貨五十枚、銀貨二十枚で金貨一枚に換算される。宿代が一泊二食付きで銀貨一枚なので、悪くない条件だった。
「往復十日で金貨一枚に銀貨十枚ってことか。まあ妥当な線だな」
「良い返事だな。じゃあ、引き受けてくれるのか」
「そうだな。どうせ当てがあるわけでもなし、引き受けよう」
「そいつは助かる。じゃあ、よろしくな、サムトー」
「こちらこそよろしく、ブレイズ」
二人は固く握手を交わした。気が付くと、ちょうど城門をくぐるところであった。
サムトーは、元奴隷剣闘士である。
十才まではカターニアという大都会の養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。
昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。
逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかになりそうになったため、一人旅を始めた。
七か月余りの間、いろいろな人物と出会い、その手助けをしながら一人旅を続けた。方々を巡った末に、五九七年六月、助けてもらった猟師達の村を再び訪れ、そこで一月余りを過ごした。七月下旬からは旅芸人の一座と合流し、十月の末まで同行して楽しく過ごした。
そして人助けをして、城塞都市クローツェルに来ていたのだが、そこですぐに新たな出会いがあるとは、さすがに想像もしていないことだった。
馬車の道中は退屈である。御者一人、手綱を持って馬を進ませるだけで、これと言って他にすることはない。ブレイズは、サムトーを乗せたおかげで、暇つぶしの話し相手ができて、それも都合が良かったようだ。
荷台に荷物を置かせてもらったサムトーとブレイズとで会話が弾む。
「へえ、ずいぶんあちこちと旅してきたんだな」
サムトーは結構広範囲に旅をしてきた。その話は、初めて聞く者にはとても新鮮だった。
「貴族領ねえ。せっかくだから、一度くらいは行ってみたいもんだなあ」
そんな感想を話すなど、ブレイズは結構楽しそうに聞いていた。
やがて、馬車を休ませる時間となった。
街道から外れ、川の近くに馬車を乗り入れる。そこで馬車を停め、馬を外して水を飲ませ、草を食ませて休ませるのだ。
そこで、ブレイズから家族の紹介があった。
「二台目の馬車は息子のエミール。十六才だ。三台目は娘のナタリー。十八才。二人共もう立派に一人前さ。ついでに、俺の嫁さんは、クローツェルで家を守ってる」
「どうぞよろしく」
「よろしくお願いします」
まだ若い二人が軽く頭を下げた。三人共同じ色の栗毛をしていた。体格は父に似ず、やや繊細な感じもあるが、仕事で鍛えられているようで、筋力は相当あるように見えた。
「ご挨拶、ありがとうございます。俺は旅の剣士サムトー。急な事ですが、ブレイズに誘われて、今回護衛を務めることになりました。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
さすがのサムトーも、初対面なので、なるべく丁寧に挨拶をした。
すると、息子の方が、疑念の混じった視線を送ってきた。
「なあ、父さん。この人に護衛なんて務まるのかい?」
「エミールらしいな。実力を見ないと信用できないんだな」
毎度のことらしく、父は軽くため息をついただけだった。
「じゃあ、軽く手合わせしてみろよ。サムトー、頼んでいいか」
サムトーも疑われるのは当然と思っていたので、あっさり承諾した。むしろ、見もしないで信用する輩の方が、大丈夫かと心配になるくらいだ。
ブレイズが、馬車に積んであった護身用の棒を二本持ってきた。握りのついた長さ六十センチほどの棒で、警備隊員などが使う警棒と同じ物である。それぞれサムトーと息子のエミールに渡す。
「じゃあ、納得するまで、適当にやってくれ」
投げやりな言い方で、父が息子をけしかけた。
「分かった。じゃあ、遠慮なく」
若いということは、怖いもの知らずな面をもつことでもある。エミールは遠慮なくサムトーを倒すつもりで、勢い良く棒を振るった。
一撃、二撃、三撃、サムトーが軽々とその攻撃を弾く。エミールは知らぬことだが、サムトーは命懸けの戦いを数多く経験し、それでも生き残ってきた凄腕の剣士である。エミールも、素人にしては筋はいいが、それでも大した攻撃ではない。何発でも防ぐ自信があった。
「エミールも結構強いじゃないか。用心棒なんて、いなくても大丈夫だったんじゃないか」
それでも、そう言っておだてるのがサムトーである。だが、見え透いたお世辞とすぐにばれ、エミールが余計にいきり立った。
「舐めるなよ。まだまだ、これからだ!」
打ち下ろし、薙ぎ払い、突きなど、攻撃に幅を持たせてきた。なるほど、それなりに棒での戦いに慣れていた。クローツェルで警備隊員の訓練に付き合った時のことを思い出す。彼もいい線いっているが、残念ながらやはり素人。隊員達より腕は落ちる。サムトーは簡単に攻撃を打ち払っていく。
「そこまでだな。どうだ、エミール。腕前の方は分かったか」
「ああ分かったよ、父さん。確かに凄腕だ。かすりもしないんだからな」
父に止められ、残念そうだが、エミールも素直に腕前を認めた。
「悪かったな、サムトー。十日間、よろしく頼む」
そう言ってエミールが手を差し出してきた。
「ああ、こちらこそ。良い腕してたのは本当だ、エミール」
二人が握手を交わす。すると、蚊帳の外だった娘が身を乗り出してきた。
「ねえねえ、今度は私の番。これだけ強いんだから、どれだけ打っても平気でしょ」
「またナタリーの悪い癖が出たな」
「別にいいじゃない。ね、サムトー、一戦お願い」
「俺は別にいいですよ」
「ありがと。じゃあ、遠慮なく」
ナタリーは、エミールから棒を取り上げると、言葉通り容赦なく打ち込んできた。先程と同じように、サムトーが軽々とその攻撃を弾く。すると、余計にうれしそうになって、さらに攻撃を加えてくるのだった。
「本当に強いわ。うーん、楽しい」
弟のエミールとも打ち合ったりするのだろう。使ってくる技が二人ともよく似ていた。ということは、この警棒術を仕込んだのは、父のブレイズに違いない。自衛のための訓練を、一家で一緒にやっていたのだろう。
好き放題に五十発ほど打ち込んできたナタリーだったが、さすがに息が上がってきて、攻撃を止めた。
「ありがとう。すごく楽しかった」
そう言って、棒を収める。満足してくれたのなら何よりだ。しかしまあ、何とも好戦的な娘である。
ともあれ、ブレイズが棒を片付け、四人で昼食と水分を取る。炊事する余裕はないので、買い置きしたパンである。
その間に馬も十分休憩できたようで、そろそろ出発である。
「さて、最初は俺の馬車にサムトー乗せたけど、それじゃあずるいよな。次はエミールの馬車でいいか」
なるほど、父親らしく、こういうところにも気を回せる男だったようだ。
エミールが同意して、サムトーは二台目の馬車に乗ることとなった。
馬を馬車につなぎ、それぞれが御者台に乗り込む。そして、再び街道へと戻って行くのだった。
「へえ、あの連続強盗犯捕縛の手伝い、サムトーもしてたんだ」
エミールが好奇心をむき出しにして、話を聞いていた。ついこの前、城塞都市クローツェルで起こった事件である。そこの住人であるこの一家も、その話は聞いていた。
「ああ。俺が囮になって、犯人を釣り出したんだよ。卸売市場で、それらしい連中が出没するって噂があってさ。怪しい男がいたから、大金を受け渡しするのを見せつけるようにしたら、一発でかかった」
馬車を進ませながら、二人でのんびり会話する。この一家は交易品重視で一人一台馬車を担当するので、普段は相当暇を持て余しているようだった。ブレイズもそうだったが、話せるのが楽しくて仕方ないらしい。
「囮ってことは、わざと弱い振りしてたんだろ。引っかかる方も間抜けだなあ。サムトー、こんなに強いのに」
姉のナタリーもそうだが、この一家は遠慮というものがあまりないようである。弟のエミールも、結構言いたい放題だ。
「そこはそれ、俺の演技力を褒めてくれよ」
「なるほど、確かにそうだ。弱くて怖がってる振りして、仲間の所まで連れて行かせるんだから、確かに見事な演技だと思う。うん」
「で、後は、軽く叩きのめして、警備隊員さんに引き渡して終わり、と」
「その軽くってのは、普通はできないと思うんだけどなあ」
そんな感じで、すんなり仲良くなり、会話が弾んでいた。誰が相手でも物おじしないサムトーと、遠慮のあまりないこの一家とは、どうやら相性が良かったようだ。
すると、突然前の馬車が止まった。何か起こったらしい。エミールも馬車を止め、サムトーと二人、御者台を下りると、先頭の馬車へと向かった。
「父さん、何かあったのか」
「ああ。どうやら、ろくでもないお客さんらしいぞ」
見ると、前方に五人の男が立ち塞がっている。街道で通せんぼするからには、明らかに金目当てなのだろう。
さっき話していた連続強盗犯と言い、この連中と言い、悪い連中はどこにでもいるものだ。神聖帝国の治安はそう悪くはないのだが、それでも強盗働きをするような輩は後を絶たない。騎士隊や警備隊の存在が示すように、結局は犯罪を取り締まる人々が必要なのだった。
「よお、そこのおっさん達。ここは通行止めだ。通行料を払っていきな」
五人の男のリーダーと思われる、腕っぷし自慢の男が呼ばわった。背後に控えている男達も、ニヤニヤしながら馬車を見ていた。しかし、武器になるような物は持っていない。普通の相手なら、素手でも十分だという自信の表れであった。
「それじゃ、サムトー先生、早速出番ということで」
ブレイズが警棒をサムトーに渡す。
サムトーは、軽く肩をすくめて、それを受け取ると、前に進み出た。
「なあ、今なら見逃してやってもいいぞ。素直にここを通しなよ」
一応、親切のつもりでそう呼びかける。しかし、五人は笑って相手にもしなかった。
「たった一人でどうするつもりだよ。お前こそ、ケガしないうちに引っ込んでろよ」
リーダー格がそう言うと、サムトーは一つため息をついた。
「そうかい。じゃあ、遠慮なく」
そう言うと、容赦なく突進した。そのままリーダー格の男を一突き。それがみぞおちに入り、一撃で男は地に倒れた。
「何しやがる!」
残る男達が怒号を放った時には、サムトーは次の動きに入っていた。同じように容赦のない突きを次々と放ち、一人、また一人と倒していく。男達は臨戦態勢さえ取れないまま、五人共あっという間に倒されていた。
「下らない奴らだなあ。で、どうする?」
サムトーが問いかけた。ブレイズ、ナタリー、エミールの三人が歓声を上げた。
「すごいねえ。さすがサムトー。見事な腕だね」
などと感心している。サムトーが苦笑して、催促した。
「こいつらはどうすればいいんだ?」
ははは、と笑いながら、ブレイズがあっさりと答える。
「うちの馬車に乗せてくわけにもいかないし、クローツェルに戻ってたら商売に差し障る。次の町、トルセルに行って、そこの自警団に報告するしかないだろうな」
「分かった。一応、手足は拘束しておくか?」
「そうだな。それで、街道の脇にでも並べておくか」
サムトーと一家三人とで、手分けして五人の男の両手、両足を紐で縛り、街道の脇に並べた。気絶しているので、そう面倒な作業でもなかった。後は次の町の自警団が手間暇かけることになる。
「そんじゃ、出発しようか」
そうして一行は、何事もなかったかのように出発した。
エミールが馬車を歩かせながら、サムトーの腕前を褒めちぎり、強くなるコツをいろいろ聞いてきたのは余談である。
三台の馬車は、日が傾く前にはトルセルの町に到着していた。徒歩で来るよりかなり早い。馬の歩く速度は人より速いのである。
ここは人口六千人程度の中規模の宿場町だ。市街地もそう広くはない。
まずは自警団の詰所に行く。規模の大きくない町では、駐屯の騎士がいないため、町の警備に当たる役職を担う者を自警団と呼んでいる。そこで、街道の途中で強盗に遭ったので、うちの護衛が返り討ちにして、拘束して置き去りにしてきたと話した。団員がそれを書き取って調書とし、馬車を手配して五人の男を回収しに行った。この町では犯罪を裁けないので、そのまま城塞都市クローツェルへと連れていくことになる。
それが終わると、一行は商店を巡って積み荷を売っていった。それほど店の数もないので、売り上げは雑貨や日用品、道具類など銀貨三十枚程度だった。最終的に、西の町タルバンで全て売り払うことになるので、この町で売るのはあくまでついでである。
それが終わると、ちょうど夕方になった。街道筋の、馬車ごと泊れる宿に入る。馬車の預かり賃が一台で銀貨二枚。飼料や水代の他、積み荷に関しての補償金も含まれる。人間が四人で銀貨六枚。こちらも一泊二食付きだ。
驚いたことに、この一家は、サムトーも含め、全員が同じ部屋で寝泊まりするのだった。ベッドが四つの部屋を一つ借りている。ナタリーはいいのだろうか。年頃の娘が家族はともかく、良く知らない剣士と一緒の部屋で構わないのだろうか。サムトーは疑問に思って聞いてみた。
「ナタリーは、初対面の剣士が一緒の部屋でいいのか」
返事はあっさりしたものだった。
「うん。着替え見られても別に減る物じゃないし、何も問題ないでしょ」
「俺が妙な気を起こしたら、どうする気なんだ」
「へえ、妙な気起こすつもりがあるんだ。そうなんだ」
「い、いや、それはないけどよ。他人の嫌がることをするのは、俺の主義に反するからな」
「そうなの? 私、別に嫌じゃないよ。サムトー格好いいし」
何とも返事のしにくい言葉が返ってきた。本当にこの一家は遠慮がないと言うか、明け透けと言うか。気に入った相手となら一線を超えてもいい、という意味にしか聞こえない。全く困ったものである。
「俺が悪かった。頼むから、普通に旅仲間として扱ってくれ」
結局、サムトーが謝って、頼み込むのだった。ナタリーもだが、ブレイズもエミールも楽しそうに笑って返すのだった。
町の公衆浴場で風呂に入り、宿に戻ってエールを一杯というのは、この家族もサムトーと同様だった。神聖帝国の宿屋は、一階が食堂兼居酒屋、二階より上が宿泊の部屋になっていることがほとんどで、この宿も同じ作りだった。四人で一つのテーブルを囲んで、乾杯する。
それにしてもこの一家、三人共うまそうにエールを飲むなあと、サムトーは妙な所に感心していた。神聖帝国では飲酒に年齢制限はない。ナタリーもエミールもごく当たり前に飲んでいる。
「ねえ、サムトー。馬車の護衛するの、初めてじゃなさそうだね。何か慣れてる感じがする」
ナタリーが聞いてきた。先程の一件で、この用心棒は面白そうだと思ったようだった。
「まあ、何度か。それに、一時期旅芸人達とも一緒でな。一緒に無頼の輩と戦ったこともある」
「そうなんだ。それにしても、その強さはどこで?」
「カターニアだよ。帝都の南にある大都会。そこの道場でね」
半分は本当だ。しかし後半は嘘だ。しかし、ここからカターニアまでは徒歩で二月以上かかるので、確かめようもないため、素性を隠す口実にしていたのである。
「ふーん、そうなんだ。でさ、私のことどう思う?」
「どうって、若いのに父の商売手伝ってて偉いなあとは思うけど」
「そういうんじゃなくて、女性としてどうかってこと」
何だ何だ、家族の前でそういうこと聞くか。しかし、父も弟もニヤニヤしているだけで、毎度のことだと言わんばかりだった。仕方ない、ここは盛大に滑ってやろうと、かなり格好をつけて言ってみる。
「そう問われると、返答に困るな。ナタリーは魅力的すぎる。花も色あせ、月の輝きにも勝る美しさ。これほどの女性と出会うのは、何と心躍ることであろうか」
「そういうお世辞で返すんだ。ふーん。私はサムトーのこと、強くて格好いいなって思ってるのに。ちゃんと答えてみて」
別の方向に滑っていた。遠慮がない分、世辞は効かないようだ。
「ごめんな。まだ良く分からない。でも仲良くはしたいと思う、よ」
サムトーはそう答えた。それで満更ではなかったらしく、ナタリーも機嫌を直していた。
ふうとため息をつくと、サムトーはブレイズに聞いてみた。
「なあ、前の護衛の人とも、こんな風だったのか」
ブレイズがうまそうにエールをあおって答えた。
「いや、護衛って言っても、女性剣士だったからな。それも中年の。親子みたいに仲は良かったけどな」
「そうなんだ」
「いやあ、ナタリーもこんな商売に付き合わせちまってるせいで、あまり男には縁がなくてな。サムトーみたいに若くていい男には、良く思われたいっていう気持ちがあるんだよ」
ブレイズの返答に、ナタリーが頬を膨らせた。
「父さん、その通りだけど、本人の前で言うのはナシよ」
「悪い悪い。でもサムトーって話しやすいし、強いし、良い男だよな」
「それは同感。でもまだ初日だしね。これから仲良くしようね」
ナタリーも別に本気で怒っていたわけではないようだった。話をまとめると、自分の拳を突き出してきた。サムトーがそれに拳を合わせる。今後ともよろしく、ということである。
そんな感じで、夕食から二杯目のエールを空けるまで、四人は楽しく会話をしていた。出会った初日から、もう旅の仲間として仲良くなっていた。
夜も遅い時間になってから、宿に自警団の団員が三人、ブレイズ一家を訪ねてやってきた。拘束したはずの五人の男達が見当たらなかったという報告であった。自警団も、町の安全確保がやっとで、街道までは手が回らないので、今後旅先でも注意されたし、とのことだった。あの場では転がして放置するしかなかったのだが、結局将来に禍根を残してしまったのだった。
翌朝、サムトーは一番に起き出した。日の出より少し早い時間である。
毎日の習慣で、まず井戸端へ下りて水を一杯飲む。そして剣の素振りを始めた。基本の型だけ六種類、左右百本ずつ。旅の剣士として、必要最小限の鍛錬だった。
素振りをしている間に、他の三人も起き出してきた。眠気覚ましに水を飲み、顔を洗うために井戸端へとやってきた。そこでサムトーの素振りを見ることになった。
速く正確に繰り返される動きは、三人が感嘆するほどのものだった。彼らも自衛のために警棒の扱いを警備隊員などから教わってはいたが、サムトーほどに見事な素振りを見るのは初めてだった。
「良いものみせてもらった。なるほど見事な腕前だ。毎日やってるのか」
素振りを終えて水を飲んでいると、ブレイズが話し掛けてきた。
「まあできる日はね。そう簡単に腕が鈍るわけでもないけど、念を押しておきたくなるもんでね」
「そうか。商売でも念のためってのは大事だしな。どこか通じるところがあるのかもな」
エミールが割り込んできた。
「なあ、サムトー。素振りでは、何が大事なんだ?」
昨日その腕前を認めてからは、抵抗なく教えを乞うようになっていた。若く血気盛んな年頃だけに、向上心も強い。
「昨日、馬車でも言ったけど、速さと正確さだな。棒も自分の体も、完全に思い通りに動かせるのが理想だな」
「分かった。また昼飯時にでも教えてくれよ」
「あ、ずるい。私も教わりたい」
ナタリーまでも混ざってきた。こういう商売をしているだけに、何かあった時に対処できる腕前が欲しいのは、彼女も同じだった。
「その剣、ちょっと振らせてみて」
早速とばかり、サムトーの剣を借りてみた。しかし、短い方の剣でも、鞘込みで一キロ以上あるので、片手で振るには重い。
「え、何これ。こんな重いのを軽々と振ってたわけ?」
仕方なく両手で持って、サムトーのまねをして素振りをしてみる。上から下へと振り下ろすだけでも、重くて揺れてしまう。残念ながら、これでは練習どころではなかった。ナタリーは肩をすくめて諦めると、剣を返した。
「ありがとう。そっか、これが強さの秘密かあ」
自分ではうまくできなかったが、ナタリーはうれしそうだった。サムトーへの興味も一層湧いたようだった。
「ねえ、今日は私の馬車からだよね。いろいろ話、聞かせてね」
若い娘に好意をもたれて、サムトーも悪い気はしない。大胆で物怖じしないところも、話し相手にはいいだろうと思う。
「分かった。よろしく頼むな」
素振りの時間から、こんなに賑やかにすることはまずない。この元気な一家と一緒になったのは、なかなか幸運なことかもしれないと、サムトーは思うのだった。
宿の朝食は、どこでもそう変わり映えはしない。ここでもベーコンエッグとサラダ、スープとパンといったメニューだった。
ブレイズの一家三人は、朝から十分な食欲があった。元気に朝食を食べている。サムトーも食欲はある方でよく食べる方なのだが、一家の食べっぷりには驚くばかりだった。
朝食を終えると、荷物や水筒を準備し、早々に支度を整える。馬小屋と馬車は宿の方で面倒を見てもらっていたので、すぐに出発することができた。
途中、パン屋で昼食を買い出し、街道へと馬車を進ませる。三人はみな慣れた御者で、方向転換も難なくこなしていた。
街道に入ってからは、前進するだけとなる。町中と違い、通行人もほとんどないので、のんびりと話をしていても問題はない。
朝の予告通り、サムトーは昨日ブレイズとエミールの馬車に乗ったので、今日の午前中はナタリーの馬車に同乗した。
「ねえ、昨日一人旅してるって話してたけど、どんな場所でどんなことしてきたのか聞きたいな。お父さんにもいろいろ話、したんでしょ」
「そうだなあ。何だかんだといろんなことがあったなあ」
例えば、町中の人から嫌われ、居場所をなくした女の子を連れて、旅の相棒にしていた話。それから貴族のお嬢様に気に入られ、その手伝いをしていた話。女騎士と仲良くなり、訓練の面倒を見てやった話。始まると、いくらでも話が出てくる。
「へえ、いろいろあるんだ。サムトーって面倒見がいいんだね」
「困った時はお互い様。手助けするのも楽しみの内って感じかな。だから、俺自身が楽しければそれでいい、みたいなところはあるな」
「なるほどねえ。じゃあ、それでいろんな女の子と仲良くなったんだね」
何か話が妙な方向に変わっている気もしたが、サムトーもありのままを正直に答えた。
「男の友達もいたけどな。まあ、女の子達が仲良くしてくれたのは間違いない。みんないい娘だったから、俺なんかにも親切だったし」
そこでナタリーが、表情も変えずに切り込んできた。
「それじゃあ、そこで知り合った女の子達と私、どっちが魅力的かなあ」
サムトーが思わず吹いた。まだそういうことを言うのか、この娘は。そういうところも面白いのだが、二人きりで話しているので、逃げ場がない。正直に答えるしかないだろう。
「ナタリーも、元気があって、話しやすくて、十分きれいで魅力的だ。そこは自信をもっていいと思うぞ。だけど、それを言い出すと、今まで会った娘達も、それぞれ違う魅力があったからなあ。比べてどうっていうのはなくて、みんなそれぞれに魅力的だったって思ってる」
ちょっと返答が玉虫色だったせいか、ナタリーが目を細めて、値踏みするような目で見てきた。十分本心なのだが、それが伝わっても、気に入らないことはあるものである。
しかし、ナタリーもすぐに機嫌を直して、陽気に答えた。
「まあ、いいでしょ。その嘘をつけないところが、サムトーの良いところなのよね。私が一番じゃないのは癪だけど、勘弁してあげる」
勘弁してもらった方は、ため息を一つついて、苦笑した。
「ナタリーには負けるなあ」
「あらら、ちょっと言い過ぎたかな。ごめんね」
「いや、いいって。話してて楽しいし」
サムトーは楽しく話せる相手で良かったと、本当に思っていた。こういう遠慮のない会話はしていて気分が良い。
ナタリーもその点は同じだったようだ。
「実はね、私、この仕事があまり好きじゃないの。とにかく移動の時間が長いし、町から町へと旅して落ち着かない生活でしょ。一度商売に出た後は、三日休みにはなるんだけどね。一つ所で落ち着いて、のんびり暮らしたいなあって思う時もあるのよ」
そんな本音を暴露していた。父や弟にも話せないことだろう。そこに遠慮なく話せる相手が来たので、つい愚痴になって出てきたのだった。
「でもね、この仕事が必要なことも分かってる。工房で作られた商品を運ぶ人がいないと、工房のない町に住んでる人の手に渡らないもんね。そういう意味では、大勢の人の役に立ってるんだって、自覚はあるのよ」
「そうか、運び手の存在意義か。なるほど。そんなことまでしっかり考えていて、ナタリーは立派だなあ」
サムトーが掛け値なしで褒めた。えへへとナタリーが笑う。
「だからね。しばらくの間は、この仕事を続けるつもりなんだ。旅をしてると、サムトーみたいないい男と二人きりになれたり、こんな風に楽しく話したり、いいこともあるからね」
そう言って褒め返してきた。本当にこの娘は面白いと思う。
「そうだねえ、俺も一人旅してきて、いい人達に出会えて、楽しかったことがたくさんあったもんなあ」
二人の会話は途切れることがなかった。昼食休憩の時まで、楽しく話が弾んだのだった。
昼はまた川辺に馬車を乗り入れて、馬に水を飲ませ、休ませる。
その時間、人間も休憩なのだが、基本馬車に座りっぱなしで、体を動かしたくなる時間であった。
ブレイズ一家の三人は、昼食前に、今朝サムトーに見せてもらった素振りを、護身用の棒を使ってやり始めた。振り下ろし、横薙ぎ、突きの三点セットを何回も繰り返して行う。この練習は、彼らが警備隊員に教わった素振りの方法であった。確かに理にはかなっている。
サムトーが一つ助言をした。
「出入りを加えると、もっといいと思う。最初の一撃を入れる前に、間合いの外から踏み込むんだ。それで三連撃を放ったら、すぐに下がって間合いを取る。その方が実戦的になると思うよ」
なるほどと、三人も納得し、言われた通りにやってみる。架空の相手に対し、踏み込んで三連撃、その全てを受けられても、下がることで仕切り直しが可能だ。一対一の戦いでは、十分役に立ちそうに思えた。
ある程度分かったところで、サムトーが受け手をやろうと申し出た。同じように棒を持つと、目の前に立って構える。最初はブレイズからだ。打ち込んできたのを全て捌き、反撃を加えると、教わった通りブレイズは後ろに下がっていて、見事に反撃を避けていた。
「はあ、なるほどねえ。出入りってのは大事なんだなあ」
何本か打って、エミールと交代する。踏み込んで打ち下ろしたが、握りが甘くて弾き返された時に、棒を落としてしまった。
「ごめん、サムトー。そっか、当たる瞬間に、しっかり握ってないとダメなんだな。分かった」
二度目は弾かれても落とすことはなく、三連撃に成功した。そこに先程と同様、サムトーの反撃が入る。下がるのが一瞬遅れたエミールは、危うく打ち込まれそうになり、焦ってしまった。
「なるほど、父さんが言ってたのはこれか。身をもって体験すると、出入りの大事さが良く分かるなあ」
そして三回ほど打ち込みを繰り返して、ナタリーの番である。先程、内緒で仕事への不満を打ち明けていたが、訓練に手を抜くつもりはないようだった。真剣に間合いをはかり、息を整えている。
息を吐きながら間合いを詰め、三連撃。もしかすると、一家で一番打ち込みがうまいのはナタリーかも知れないと、サムトーが思うほどの速度と正確さがあった。きれいに放った突きを弾いて、サムトーが反撃を加える。これまた流れるように後ろに下がり、見事に間合いを取っていた。
「これ、その場で振るだけより、全然難しい。けど、確かに実戦的だわ。間合いって大事なのね」
そうしてナタリーの番も終わり、みんなで昼食となった。買い置いたパンだけだが、体を動かした後に食べると、一層おいしく感じる。
「いや、サムトーが凄腕なのは分かってたけど、教えるのもうまいな。おかげで腕を上げられそうだ」
ブレイズがうれしそうにそう言っていた。
「俺も素振りをいい加減にやってたなって、反省してる。素振りくらいうまくできなきゃ、人と戦うのは無理だよな」
これはエミールだ。最初にサムトーの強さを知って以来、素直に教えを吸収している。まだ若いし、この先もっと伸びることだろう。
「私もいいこと教わって良かったって思うわ。これなら大抵の相手なら、倒せそうな気がする。まあ、やらないけどね」
ナタリーもそんな具合で喜んでいた。サムトーも三人の役に立って何よりだと思っていた。
「でもまあ、昨日みたいに悪い奴が出たら、まずは俺が相手をするから。三人の出番はないようにしたいな。ケガとかしたら大変だし」
「あら、優しい。さすがいい男は言うことが違うわね」
ナタリーが混ぜっ返してきた。本当に面白い。サムトーもこういう返しは好きなので、普段は自分が言いそうな台詞だ。見事に先を越された。
「なに、美人を守るのも、剣士の務めだからな」
そう言い返すと、ナタリーもにっこり笑って返してきた。
「そうよね、大事な使命だわね。よろしく頼みますわ」
「もちろん。任されましたぞ、お嬢様」
馬鹿な会話に、ブレイズとエミールが苦笑していた。息の合った二人のやりとりはおかしくて、家族の二人もナタリーの生き生きとした様子を見て、楽しそうにしていたのだった。
次の町までは、ブレイズの馬車に乗る番であった。同乗者がいると、話ができて退屈も軽減される。この辺、一家で平等に割り振りをしていた。
ブレイズも話好きで、商売の話から妻の自慢話など、とにかく話し始めるときりがないくらいであった。サムトーもそういう話を聞くのは好きな方である。適度に相槌を打ちながら、面白い話をするおっさんだと、その方向での評価を高めていた。商売する時にも、楽しく話ができることは役に立っているのだろう。
昨日と同様、日が傾くより早く、トレスレイの町に到着した。ここも人口六千人程度の中規模の町で、ごくありきたりな宿場町だった。ついこの前、祖父を失った少女と初めて宿に泊まった町だったなと、サムトーが懐かしく思い出していた。
到着直後が一番忙しい。また商店を巡って、商品を売っていくのである。店の数は少ないが、個別に回る必要があるので手間がかかる。それでも夕方までには銀貨四十枚ほどの売り上げを出していた。
そして街道筋の宿屋へ。ひとつ前の町トルセルと同様、街道筋の馬車の預かりができる宿に入る。宿代は馬車を含めて合計銀貨十二枚。かなりの額だが、野営できる装備を積み込んでいないので、必要な出費だ。
公衆浴場に行って、宿でエールを一杯。一段落したら夕食というのは昨日と同じ流れだ。話好きの一家だけに、その間も会話に花が咲いていた。
二杯目のエールを飲んでいた時、サムトーが一つ頼みごとをした。
「次のサルトレの町で、墓参りをさせてくれ」
「ん、誰か知り合いでも眠ってるのか」
「ああ。一日だけの知り合いだったけどな」
生活に困っていた老人を風呂に入れたやった翌日、その人物が亡くなったこと。その孫娘と一緒に火葬の見送りをしたこと。その孫娘の面倒をしばらく見てやったこと。その娘は、今は城塞都市クローツェルの警備隊員の女性寮で働いていること。そんな事情を簡単に説明した。
さすがに賑やかなのが好きな一家も、言葉を失って静かになった。
その中で、最初に口を開いたのは、ナタリーだった。
「そっか。辛い思いをしたその女の子のこと、サムトーが助けてあげたんだね。さすがサムトー、優しいね。その子もきっと救われたと思うよ」
エールを軽くあおって言葉を続ける。
「そうだね。せっかく立ち寄るんだから、お祈りくらいしてやると、そのおじいさんも喜ぶと思うよ。そのお孫さんは元気にやってるって、伝えてあげるといいんじゃないかな」
ブレイズとエミールも同感だとばかりにうなずいていた。サムトーは一家の好意に感謝し、頭を下げた。
「いいんだよ。サムトーにとって大事な用事だ。気にすんな」
ブレイズがそう言って、サムトーの肩を叩いた。
「ありがとう、ブレイズ、ナタリー、エミール」
礼を言うと、サムトーもエールをあおった。
「まあ、しみじみするのはこの辺にして。話題を変えようか」
そうして一家は、また元気に会話を続けたのだった。
翌朝、サムトーが素振りをしていると、昨日と同様三人がやってきた。昨日素振りの大切さを改めて実感した三人は、サムトーの素振りをまじまじと見つめ、自分の役に立てようと観察したものである。
それから朝食を取って、宿を出発する。
午前がエミール、午後はナタリーの馬車にサムトーは同乗した。
もちろん、二人共、父と同様話すのが好きで、馬車に乗っている間、まったく退屈することはなかった。
昼食休憩中も、昨日と同様、棒の素振りをした。またサムトーが何度か相手をしてやって、そのおかげで三人共、撃つごとにコツをつかんでいった。
そしてサルトレの町に到着した。人口は一万人程度と、これまでの町より幾分規模が大きい。
一家が店に商品を売っている間に、サムトーは教会を訪れていた。
敷地の奥にある共同墓地へと行き、そこの前に立って手を組んだ。
「マルセルさん、俺だ、サムトーだよ。孫のマリエルは元気でやってる。城塞都市クローツェルで、警備隊員の女性寮で管理人見習いとして働いているんだ。そこのルイーズって管理人さんが良く面倒を見てくれてる。グレイスとエミリア、ガイストって俺の友達もいてな。彼らも温かく見守ってくれてる。だから、安心してくれ」
祈りを捧げられた当人は、火葬されて骨になり、壺に入って、この共同墓地に納められている。だから、サムトーの言葉を聞くことはないはずだ。しかし、死を悼む気持ちは本物で、もし本当に天に召されたというなら、この言葉を聞いて欲しいと願わずにはいられなかった。
「俺はここから二日先のタルバンの町まで行く。帰りにも、また寄らせてもらうよ」
そう声を掛けて、サムトーはその場を立ち去った。その声が届いたかどうかを知る者は、誰もいない。
用事を済ませると、サムトーは商店街へと戻ってきた。ちょうど一家の馬車が出発するところだった。
「墓参りは済んだのか」
ブレイズが労わりの言葉を発した。彼にも過去に自分の両親を見送った経験がある。サムトーの気持ちも良く分かるのだった。
「ああ。無事に済ませてきた。ありがとう」
一家の方も商品を売り終えて、宿へと向かうところだった。サムトーもナタリーの馬車に乗り込む。
「おかえり、サムトー。ちゃんとお参りできたみたいだね」
ナタリーの声も優しい。やはりいい一家だなと思う。
「ありがとう、気遣ってくれて」
「そんなの当然よ。旅の仲間だもん」
出発して三日。一家と本当の仲間となるのに、十分な時間が経っていた。
市街地でも、馬車は上手に通行人を避け、街路を曲がり、街道へと戻って行く。そして、同じような馬車の預りができる宿へと入る。
馬車を所定の位置に入れ、馬を外して厩へと連れていく。入り口に戻り、記帳して部屋の鍵を貰う。今回も一家と同室である。この日は溜まった洗濯物をみなで洗った。井戸端でそれぞれ自分の物を洗い、部屋の中に干しておくのだ。暖炉もあるので、一晩あれば乾くはずだった。
それから公衆浴場へ。この町で弔った老人をここの風呂に入れてやったことは、まだ鮮明に覚えていた。まだ二週間ほどしか過ぎていない。
ついでに風呂の中で、雇った少女に性的暴行を加えていた例の富豪が、城塞都市クローツェルの騎士によって裁かれたという話を聞いた。強く改心したということで、保釈金を積むことで懲役は免れたということだった。改心が本当なら、雇い人達も助かるだろうから、文句を言う筋合いはない。再度自分の悪趣味に手を染め、被害者を出さないことを祈るばかりだ。その被害者の少女二人はクローツェルで保護されて、騎士隊関連の仕事に従事することになったそうである。平穏に暮らせるといいなと思う。
何の話か聞きたがったブレイズとエミールに、簡単に事のあらましを説明してやった。
「へえ、そんな事件があったんだ。酷い話もあったもんだ」
「そこで悪党捕まえる辺りが、サムトーらしいなあ」
というのが二人の感想だった。
「あんまり他人事じゃないよな。ナタリーが同じような目に遭ったら、二人だって嫌だろう?」
「それもそうだ。だけど、ナタリーに限ってそれはなさそうだけどな」
「姉さんなら、何かされる前に、男の方を叩きのめすんじゃないかな」
家族だけに容赦のない論評だ。まあ、それだけ家族を信頼しているということなのだろうと、サムトーも思い直した。
「でも、どんなに強くても、相手がそれ以上に強ければ、大変なことになるのは変わらない。やはり、用心するに越したことはないさ」
その言葉に二人がうなずいた。全くその通りだと、強く実感している様子だった。
「俺達も、身を守る技を磨かないとな。頑張ろうぜ、息子よ」
「そうだね、父さん。俺もコツみたいなのが分かってきたし、この調子で腕を上げるよう頑張るよ」
三人は、そんな会話をしながら、のんびり湯に浸かっていた。
風呂を出て、宿へと戻ると例によってエールを一杯。この日は、この町で起こった事件について、いろいろと話が弾んだ。被害者になる可能性があると言われたナタリーは、神妙な顔で言ったものである。
「そんなことされるなんて、想像しただけでもぞっとするわね。いくら私でも、相手が何人もいたら勝てないわけだし。そんなことにならないよう、十分に気を付けるわ」
珍しくしおらしい返事に、他の三人も一瞬言葉を失った。
「そ、そうだな。俺達も気を付けるからな」
だが、それで終わらないのがこの一家である。
「だけど、並の相手には負けないくらい、ちゃんと強くなるわ。サムトーのおかげで、強くなる方法分かってきたから。私も頑張って練習する」
ナタリーの言葉は、エミールのそれとよく似ていた。自分が強くなって、悪い連中に負けないようにするのだと決意していた。その強い根性が、こうして地道な長旅に耐えるために必要な部分でもあるのだろう。
「そう言えば、サムトーが助けた女の子って、今クローツェルで暮らしてるんだよね」
ナタリーが不意に話題を変えた。
「私もその娘に会ってみたいなあ。サムトーが守ってあげたくらいだから、よっぽどかわいいんだろうなあ」
「そうだな。まだ十一才だけど、すごくしっかりしてたな。祖父が亡くなってもよく頑張ってた。とても立派な娘だったよ。面倒見てる間、妹みたいに慕ってくれてな。確かにすごくかわいかったな」
つい先日までは、サムトーと一緒に過ごしていたのである。それでも過去は過去、懐かしさを感じてしまう。
「どこに住んでるの?」
「警備隊員の女性寮だよ」
「そっか。クローツェルに戻ったら、会わせてくれない? 同じサムトーの知り合い同士、友達になりたいな」
サムトーはなるほどと思った。自分の話でその娘に興味を持ち、一人で頑張っているのを助けたいと思ったのだろう。それに、年下の友人を作りたいのも本音だと思われた。
「分かった。その娘、マリエルって言うんだけど、このサルトレの町で生まれ育ったから、クローツェルには知り合いも少なくてな。ナタリーが友達になってやったら、きっと助かると思うんだ。それから警備隊員にも友人達がいるから、それも合わせて紹介してやりたいな」
ナタリーが目を輝かせた。彼女も旅の商売暮らしが長く、新しい友人を作る機会に恵まれないので、願ったり叶ったりというところらしい。
「うん。ぜひ頼むわ。よろしくね、サムトー」
ナタリーは、それから機嫌よくエールを飲んでいた。話も落着したので父も弟もほっとして、また雑談に興じながら楽しく飲んでいく。結局、夕食とそしてエール二杯目まで、四人は明るい雰囲気で過ごしたのだった。
翌日はアクリアの町、そしてもう一日かけて、目的地のタルバンへと到着した。タルバンは、近隣の町や村の経済的な中心であり、人口も三万人を超える大きな町である。サムトー達三台の馬車は連なって、まずは町の卸売市場へと向かった。ここの卸売市場から近隣の町や村は商品を仕入れる。また農家などが作物をここに売って金に換える。物資の一大集積地である。
途中の町で多少売り払ってきたが、まだ馬車には多くの商品が残されている。陶器、金属製品、布や糸、紙類など、工房の製品を馬車に満載していたのだ。それを全て売り払うと、全部で金貨四十枚を超える大金になった。
それから今度は、城塞都市クローツェルに運んで売る商品を仕入れる。小麦粉、乾燥した豆類、エールの材料となる大麦やホップ、加工肉など、食料品が主である。大都市はいつでも食料の需要があるのだ。
荷物の出入りが多いので、売却と購入でもかなりの時間を使った。宿屋に向かった頃には、すでに日は赤くなっていた。
規模の大きな町だけに、宿も他の町より豪勢だった。値段は同じだが、気分的に贅沢をしてる感じになれる。いつものように全員同室だったが、部屋も一回り広く、ゆったりとしていた。
この日も洗濯を済ませ、公衆浴場へ行き、宿に戻ってエールを一杯というのは同じだった。
「やっと半分だな。この後、帰りに途中の町で、野菜類などを買い足して戻るわけだ。サムトーの出番は一回だけだったけど、まあ平穏が一番だな」
往復九泊十日、時間的には結構かかる旅だ。その間、ならず者に出くわしたのは初日の一回だけである。
「なあ、普段は、悪い奴らがもっと出てくるもんなのか」
サムトーが疑問を呈した。一人旅の間では、絡まれることは十日に一回あるかないか程度だった。
「今回くらいが普通だな。旅の間に、一回出るか出ないかってくらいだ。ただ、酷い時だと五回以上絡まれたこともある。大概、思い付きで金をせしめてやろうっていう輩でな。言葉通り蹴散らして、逃げるのに任せることがほとんどだ」
「まあ、出来心の奴らを、一々とっ捕まえてられないしなあ」
「でもな、ごくたまに、初めから狙ってやってる奴らもいる。そういうのは質が悪い。サムトーがやったみたいに、気絶させて拘束するまで、しつこく襲ってくるんだよ。今回、トルセルの町の自警団が、拘束した連中が見当たらないって話してただろ。そいつらは自力で拘束を解いて逃げ出したわけだから、執念深い連中なんだろうな。だから、そいつらが今回の帰り道、狙ってくるような気がするんだよ」
「なるほどなあ。ありそうな話だ」
ナタリーとエミールも肩をすくめている。もう一度来るだろうと、二人も予想しているのだった。
サムトーはエールをあおると、事も無げに言った。
「まあ、何度来ようが、あの程度の連中、何の問題もないさ。この前みたいに、一方的に倒して終わりだよ」
「でもさあ、あの連中もそれを分かってるから、人数増やしてくるんじゃないかな。大勢いたら危ないんじゃない?」
これはナタリーだ。一理ある言い分だ。ここまで順調だったが、決して油断はしていない。さすが商人の娘である。
「人数増えてたら、俺達も一緒に戦った方がいいんじゃないか?」
エミールも自分なりに考えていたようだ。素振りを教わってから、腕が上がった実感もある。並の悪党に負ける気はしなかったのだ。
「うーん、まあ、その時考えよう。でも、基本は俺が用心棒だ。三人は馬車を守る、悪党は俺が退治する、その線でいきたいかな」
三人がうなずく。ここは四人の中で一番強い、用心棒様の判断に従おうという心づもりであった。
「まあ、用心に越したことはないけど、無理に先取りして心配することもないさ。何かあっても、何とかするから大丈夫さ」
この一家にもなじんで、いい加減さやお調子者具合が戻ってきたサムトーだった。その軽い口調に、三人もまあそうだなとばかり、安堵の表情を浮かべた。
その後は、また普段通りの言いたい放題の会話となった。サムトーが貴族の御曹司と戦って勝った時の話も出た。サムトーと互角に戦えただけでも、貴族ってのは強いんだなあと、三人は感想を話していた。強い人物をそれほど見たことはないので、彼らにとっては、サムトーの強さが世界で一番という認識なのだった。
夕食を取り、エールをもう一杯飲み、いろいろな話をして、四人がみなご機嫌な時間を過ごした。
また、この夜、部屋に戻ってから、少しカードで遊んだ。サムトーが持ち歩いている品である。
賭け事をすると、一家三人は熱くなる質なので洒落にならない。そこで、無難にババ抜きをした。一番年少のエミールでも十六才だから、この年で遊ぶには少し子供っぽいとも言える。だが、単純なゲームほど、案外楽しめるものである。
サムトーは適当にやっているのに、運が良いのか、滅多に負けることはなかった。ブレイズは中年らしく堅実で、早く上がることが多かった。意外なことにエミールが鉄面皮で強く、ビリ争いになっても勝ち残ることが多かった。一番負けが多かったのはナタリーで、札に一喜一憂してしまうので、とても分かりやすかったのである。
「納得いかなーい!」
とは、負けが多かったナタリーが、寝る前に言った台詞であった。
帰路はサルトレの町までは順調に進んだ。
サルトレの町では、再びサムトーは墓参りをした。信仰心が篤いわけではなく、亡くなった少女の祖父を悼む気持ちからだった。
そして一家と合流し、公衆浴場に行くまでは何事もなかった。
ちょっとした事件が起きたのは、宿への帰り道である。
本当に珍しく、ナタリー目当ての男が三人ばかり、難癖をつけてきたのである。ナタリーも結構きれいな女性なのだが、一家三人の時は男二人連れだから、この種の誘いを受けることはまずなかったのである。
男三人は、一家三人とサムトーの前に立ちはだかると、威勢よく乱暴な言葉を吐いてきた。
「そこのおっさん達、邪魔だからどいてろ。俺達は、そちらのきれいなお嬢さんに用があるんだよ」
すると、そんな場合でもないのだが、ナタリーが軽く笑った。
「あら、きれいなお嬢さんだって。見る目あるじゃないの」
そして、本当にうれしそうな表情をした。白けた目で、ブレイズとエミール、そしてサムトーがナタリーを見る。見られた当人は、悪気もなく男達に言葉を続けた。
「でも、ごめんなさいね。私、あなた達に興味がないので。お引き取り頂けますかしら」
こういうのを火に油を注ぐというのだろう。三人の男が顔を見合わせ、ニヤリと笑うとしつこく誘いを掛けてきた。
「これはまた、かわいいこと言うじゃねえか」
「ぜひともご一緒したくなったぜ。酒代くらい、おごるからよ」
「なあ、俺達と一緒に楽しい時間を過ごそうぜ」
用心棒役のサムトーとしては、これも出番の内だろう。ブレイズの肩をぽんと叩いて、出ていいか無言で尋ねる。ブレイズは肩をすくめて、うなずいた。頼む、という意思表示だ。
サムトーはナタリーの前に進み出て、男達に親切な言葉を掛けてやった。
「こちらのお嬢様は大切な方でな。君達の申し出はとても迷惑なのだよ。悪いが、お引き取り願えるかな」
口調が丁寧なのは、一種の嫌味である。それを甘く見た男三人が、生意気な若造だとばかり、威嚇してきた。
「何を偉そうに言ってるんだよ。痛い目見ないと分かんねえのか」
そして、すぐにでも殴り掛かろうという姿勢になる。
「どうした、ビビッて声も出ないのか」
サムトーが大きくため息をついた。
「痛い目見せるって、どうやってやるのか教えてくれないか」
一人旅の間に、この種のやり取りを何度繰り返しただろう。そして、こういう輩に限って、全然強くないことが多いのである。
「じゃあ、教えてやるよ」
先頭の男が殴り掛かってきた。威力だけはありそうだが、速度も狙いも大したことのない攻撃だった。サムトーは、その腕の内側を叩いて軌道を逸らした。男がバランスを崩してよろめく。
「今のはまぐれだ。そうに決まってる」
男が再度拳を繰り出してきた。サムトーは一歩も動くことなく、その拳を全て叩いて逸らした。焦った男が、何度も殴り掛かってきた。サムトーは、その全てを逸らし、叩き落し、体に届かせることはなかった。
十発以上殴り掛かったのに、全てが不発に終わり、男が強さの違いにようやく気付いた。息もかなり上がっている。
「お前ら、こいつを押さえつけろ」
控えていた二人の男に声を掛ける。サムトーは、掴みかかってきた二人をひょいと避けると、二人の頭を手の平で強く押した。二人の頭同士がぶつかり合い、痛みでうずくまる。
「さて、今度こそ、お引き取り願えるかな」
男が歯噛みをした。しかし、すでに周囲には、野次馬が何人も集まっていて、物珍しい乱闘の場面を眺めていた。普段娯楽の少ない生活をしているので、こういう騒ぎを見て楽しむ人が多かった。このままだと、騒ぎを聞きつけて警備隊もやってくる。そうなると捕まるのは自分達である。その程度のことを考えられる理性は、辛うじて残っていた。
「ちくしょう、覚えてやがれ」
痛みにうめく仲間を促して、そそくさとその場を去っていく。周囲の野次馬達も、何だこれで終わりかと、立ち去っていく。
サムトーがまた大きなため息をついた。他人に絡む余裕があるなら、人助けでもしていればいいのにと、本気で思っていた。
「さっすがサムトー、滅茶苦茶強いわね。感心しちゃった」
絡まれた当のナタリーが、そんなことを言った。感心してもらえて悪い気はしないが、どうにも納得いかない。
「ナタリー、どうせ俺が、こうやって出張るって分かってて、あいつらにあんなこと言ったんだろ」
「あ、分かる? ごめんね。だってサムトー強いの知ってたから、ついね」
完全に傍観者になってしまったブレイズとエミールも嘆息した。
「ナタリー、頼むから面倒事増やさないで欲しいな、全く」
「ほんと。でも、まあ姉さんらしい返し方だったけどね」
苦笑しながら二人が言う。サムトーもそれを見て、自分も苦笑した。
「何事もなかったから、良しとしますかね。それじゃあ、さっさと宿に戻って、楽しく一杯飲みましょうや」
「サムトー、それじゃあ、さっきの連中と言ってること同じだよ」
ナタリーがすかさず突っ込んだ。確かに言葉の中身がかぶっている。
「ホントだ。楽しく過ごそうぜ、ってことだもんな」
サムトーがそう返して、四人が声を上げて笑った。
それから二日。トレスレイ、トルセルと二つの町を経由し、いよいよ城塞都市クローツェルへと帰り着く日になった。行きの時には、この区間で通行料を払えと言ってきた輩が出現している。そして、その連中は拘束を脱して逃げおおせているのだ。もう一度出てくる可能性は高いと、四人全員が思っていた。
そこで、サムトーは城塞都市に着くまで先頭の馬車に乗ることとなった。来るなら待ち伏せだろうから、それが一番合理的である。
「本当に来るかな。サムトー、どう思う?」
ブレイズが尋ねる。拘束されて道端に転がされる屈辱を、恨みと取るか反省材料にするかということだ。あの連中はどちらだろうか。そもそも悪事を働こうとしなければ、あんな目には遭わずに済んでいる。そういう風に考えて欲しいと言いう願望はあった。しかし、そうはいかないだろう。
「そうですねえ。今までの旅の中では、結局懲役になるまで反省しない輩の方が多かった気がしますね。金を持ってる奴から奪って何が悪い、そんな感じでしょうか。そういう輩は、その金が大変な仕事をこなした成果で、そのために頑張って働いたって事実は、見もしないんですよね」
だからと言って、金持ち連中が好きなわけではない。金や身分に物を言わせて、人を見下したり平然と差別するような輩も大嫌いである。貧しさに耐えかねて、仕方なく盗みに走るような連中には同情もする。しかし、他人が働いた成果を横取りするようなことは、同じ盗みであってもやはり許せないと思うのだった。
「ま、サムトーの言う通りだな。人がせっかく奪おうとしているのを邪魔しやがって、許せねえ、みたいな感じで来そうだな」
そう言うと、ブレイズは大きなため息を一つついた。そして表情を改めると、サムトーに頭を下げた。
「そう言うことで一つ、サムトー先生、よろしく頼みますぞ」
「承知。まあ、お任せあれ」
などと会話しながら、のんびり馬車を進ませていた。
結局、昼食休憩までは無事で、素振りの練習をする余裕もあった。行程もあと三時間弱である。
そして、あと一時間少々でクローツェルに到着するという頃、またもや街道を塞いでいる男達が現れたのである。予測通りとは言え、あまりうれしくない再会であった。人数も十人に増えていた。
ブレイズが馬車を停めて、サムトーにうなずいて見せた。サムトーは荷台から護身用の棒を二本持ち出すと、御者台を下りて男達の方へ進み出た。
「気のせいじゃなければ、どっかで見た顔みたいだけど」
まずはそんな軽口を叩く。どうせ相手も引き下がる気はないだろうから、挑発も遠慮なしだった。
「懲りずにまた来たわけ? 止めときなよ。親切で言ってるんだぜ」
その間に、ブレイズ達三人も、棒を持ち出し、馬車の前面に陣取った。
十人の男達の中から、リーダーらしき男が前に出た。前回と同じ腕っぷし自慢に見える男だ。ただし、今回は同じように護身用の棒を持っていた。素手では勝てないと踏んで用意したようだった。
「待ちかねたぜ。あの時は油断したが、今回はそうはいかねえ。金を出すから許してくれって言っても聞かないからな。覚悟しろよ」
「そうかい。やれるもんならやってみなよ」
「その減らず口もそこまでだ。今度こそ、お前達を叩きのめしてやる。野郎ども、やっちまえ!」
そうして乱闘が始まった。
まずは三人が同時に棒で殴りかかってきた。サムトーはそのうち右手にいた男に突進し、右手の棒でみぞおちを突いて地に倒した。そのまま動いて、残り二人の棒を見事に空振りさせる。次の瞬間、右手に回って、左手の棒で一人の首筋を強打する。声を上げる余裕もなく、その男も地に倒れた。
そして残る一人の背後に回り込み、その背を思い切り蹴飛ばす。その後ろから襲ってきた連中に見事にぶつかり、二人が足をもつれさせた。その隙にぶつかり合った三人の首筋を次々に強打していく。これで五人、全て一撃で地に倒していた。
「嘘だろ。こんなはずじゃ……」
リーダーがつぶやいた。一分と経たず、人数が前回と同じになってしまった。数の多さを頼みに、簡単に片付けるつもりがあっさり台無しである。
「そ、そうだ、馬車を取れ!」
その指示もサムトーには予測の範囲内だった。背を向けて走り出した男達を次々と打ち据え、三人まで地に倒した。
だが、一人だけ予想以上に足が速く、サムトーが追い付く前に馬車の近くへとたどり着いてしまった。
ここで予想外の動きを見せたのはナタリーだった。棒を構えたまま、近づいてくる相手との間合いを図り、あと少しで間境を越えるところで、自らが突進した。そして、この数日間練習してきた三連撃を繰り出した。接近してきた男は油断していて、反応が遅れた。最初の打ち下ろしだけは持っていた棒で防いだが、続く横薙ぎを無防備な横腹に受け、止めの突きも腹に喰らったのである。男が痛みにうずくまったところに、サムトーが追い付いた。首筋を棒で強打し、気絶させた。
「ナタリー、見事な技だったな」
サムトーは一言褒めると、まだ残っていたリーダーのところへと戻った。
「で、あんたはどうするよ」
状況の激変に呆然としていたリーダーが、はっと我に返った。仲間を見捨てていれば、自分だけ逃げることも可能だっただろう。だが、さすがにそこまで落ちぶれてはいなかった。
最後の執念を燃やして、怒号を上げた。
「まだ終わりじゃねえ。いくぞ!」
そう言って、棒を振りかぶって殴り掛かってきた。
最後まで諦めないところはある意味立派なのだが、それだけの根性があるなら、真面目に働いて稼げばいいものをと、サムトーは内心嘆息していた。
しかし、襲ってくる相手に容赦するつもりもない。
右手の棒で打ち掛かってきた棒を打ち払うと、左手の棒を真っ直ぐ突き出し、みぞおちを強打した。ほんの一瞬の攻防でリーダーも倒れた。
「お見事、さすがサムトー」
ブレイズ達が、そう言って近づいていった。結局、全員サムトーの手で気絶させていた。さすがは用心棒だと、褒めちぎる。
サムトーは、ふうと息を一つつくと、真顔で言った。
「今度こそ、こいつら牢にぶち込もうぜ」
「そうだな。クローツェルも近いし、警備隊に頑張ってもらおう」
そして四人で手分けして、十人の男の手足を拘束し、街道の脇に並べた。男達はまだ気絶している。それを引きずって地面に転がしておくわけだ。さすがに荷物が満載の馬車に、十人もの男は積み込めない。
「よし、警備隊に知らせに行こう」
一行は馬車を再び進ませ、馬が疲れない範囲で道を急ぐのだった。
城塞都市クローツェルの城門をくぐり、しばらく街道沿いに進む。そこから道を変え、警備隊本部へと馬車を乗り入れる。商人の馬車が突然訪れたことで、当直に立っていた警備隊員達も驚いたようだった。だが、そこはさすが専門家、事件発生をすぐに察し、待機していた隊員達をすぐに呼びに行ったのである。
ブレイズは馬車を停めると、やってきた当直の隊員に、ここへ来る途中の街道で、十人のならず者に金を出せと脅されたこと、そしてその連中を返り討ちにして、拘束した上で放置してきたことを伝えた。
当直隊員は、駆けつけてきた待機組に馬車の用意を頼み、合わせてブレイズに恐喝犯の元への案内を頼んだ。しかし、卸売市場で商品を売らなければならないので、サムトーにその役目を任せることにした。ブレイズ達は三台の馬車を進ませ、卸売市場へ向かった。
残されたサムトーは、用意された二台の馬車の先頭に乗り、警備隊を案内していった。とは言え、真っ直ぐ街道を進んできたので、その道を戻るだけだったが。同行する隊員は一個小隊十名である。
そこから一時間ほど道を戻ると、確かに街道の脇に十人の男達が転がされていた。意識も戻っていて、互いに拘束を解こうと、もがいている様子が見られた。前回も、協力して何とか拘束を解き、逃亡したのだろう。ただ、今回は警備隊が来るまでの時間も短く、逃亡出来ずじまいだった。
警備隊員達が、転がっている男達を馬車へと積み込んでいった。抵抗する者もいて、運んでいる最中に暴れたために、隊員達が地面に落としてしまった。そうなると、固い地面に落とされて痛い目を見るのは結局暴れたもの自身になる。痛い場所をさすることもできず、我慢するよりない。それを見た仲間達も無駄な抵抗を止め、大人しく馬車に乗せられていった。
それからまた街道を戻る。同じく一時間ほどかけて、警備隊本部へと向かう。馬が疲れると、かえって遅くなるばかりか、馬の健康を害する恐れもあるので、無理はさせないのだ。時間がかかるのも仕方ない。
日が傾いた頃、警備隊の馬車は無事に本部へと戻ってきた。前庭には三台の馬車があって、ブレイズ達が商品を売り払った後、調書作成に協力するために戻って来ていたのだった。
駐屯の騎士団から五名の騎士が派遣されてきて、調書作成に当たった。集団での計画的な恐喝、強盗未遂ということで、事件性を重く見たのである。ブレイズとナタリー、エミール、サムトーは四人一緒に、担当の騎士に事件を細かく説明した。西の町タルバンへの往路でも、同じように脅迫を受けたこと。四人で協力して五人を撃退し、拘束して転がしておいたこと。トルセルの町の自警団に連絡し、捕縛するはずだったのだが、間に合わず逃亡されてしまったこと。商品輸送の都合で、その件は一旦放置して予定通り旅程を進めたこと。帰路、同じような場所で襲われる危険を考慮しながら進んできたところ、今度は十人の男が立ちはだかったこと。武器になる棒を持って、問答無用で襲い掛かってきたこと。今回も四人で協力して撃退し、拘束して転がしておいたこと。それらを主にブレイズが説明し、時々他の三人が補足するという形で説明した。
その証言を元に、担当の騎士とその補佐をしていた警備隊員が調書を作成した。恐喝及び暴行、強盗未遂と罪名が並ぶ。ただ、実害がなかったことから、あまり重い罪に問えないとの話だった。それでも確実に懲役二年、長くて三年というところだろうと説明があった。
騎士が調書作成の礼を言い、ブレイズ達がそれに応えた。これで被害者側の仕事は終わりである。
四人が警備隊本部を出ると、すでに夕方になっていた。
「そうだ、サムトー。今晩はうちに泊っていかないか」
ブレイズがそう言った。事件もこれで落着するだろうし、妻にもサムトーを紹介したいし、そんな理由も合わせて言ってきた。
「何より、楽しかった旅の打ち上げを一緒にやりたいしな」
甘えるべき好意というものがある。今回の申し出は、サムトーとしては受けるのが筋というものだった。
「そうですね。分かりました。一泊、お世話になります」
「そうこなくちゃな。そうと決まれば、まずはうちまで戻るぞ」
ブレイズはうれしそうに馬車の御者台に乗り、家への帰路を取った。
「さあ、ここだ」
ブレイズの家は、高級住宅街の一角にあった。広い敷地に十分な広さの庭がある。屋敷が中央にあって、倉庫や厩なども完備されている。一回の交易で金貨四十から五十枚も稼ぐだけのことはあった。それでも、馬車や屋敷の維持費はかなりの出費なので、金銭的な余裕は見た目ほどではない。
「ブレイズがこんな金持ちだったとはねえ」
サムトーが感心して言った。普段の口調がざっくばらんで、高級感の欠片もないブレイズが富豪だったのが意外でもあった。
「ははは、まあそう言うな。若い頃はもっと貧しくてな。少しずつ商売の規模を大きくして、頑張った結果なんだよ」
「そういう点じゃ、俺も父さんを尊敬してる。よほど頑張らないと、ここまでの屋敷は持てないもんな。偉いと思うよ、ホントに」
息子のエミールも、素直に父の功績を認めていた。そして、余計なことを言うのが娘のナタリーだった。
「というわけで、私、いいとこのお嬢さんなわけ。どう、惚れ直した?」
惚れ直すって、別に惚れたとは一度も言ってないけどなあ。サムトーはそう思ったが、口に出しては違うことを言った。
「いやあ、道理で素敵なお嬢さんなわけだ。納得いったよ」
「そうでしょ。でも、サムトーもいい男だから心配いらないからね」
「ナタリー、あんまり調子に乗ると、いつか酷い目に遭うぞ」
父のブレイズがたしなめた。ナタリーは舌を出したが、素直に謝った。
「ごめんね。家に無事帰れてうれしかったから。それに、サムトーには何を話しても平気かなって思っちゃって。でも、いい男だっていうのは、本当にそう思ってるからね」
その言葉を聞いた三人が苦笑する。まあ浮かれる気持ちもわかるので、それ以上問い詰めることはしなかった。
馬車を置き場へと運び、馬を外して厩につなぐ。
そして正面玄関に回ると、ブレイズの妻が出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ブレイズ、ナタリー、エミール。無事で何よりでした」
「紹介するよ。妻のナディアだ」
「どうぞよろしく」
穏やかな笑みを浮かべ、女性の頭が下がる。父母共に、若干色合いの違いはあるが、同じ栗毛だった。娘と息子も似た色の髪である。
「こちらは剣士のサムトー。今回襲撃があったんだけど、それを撃退できたのは彼のおかげなんだ」
「サムトーです。どうぞよろしく」
「そうでしたか。それはありがとうございました」
挨拶の交換をして、女性の背後を見る。五人の男女が並んでいた。どうやら屋敷で働いている使用人達のようだった。これだけ屋敷が大きいと、一人で掃除や手入れなどの面倒を見るのは難しいだろう。言い換えれば、ブレイズ一家には、使用人を雇うだけの財力があるということだった。
「急で悪いが、今晩、サムトーをうちに泊めることにした。まずは部屋まで案内してくれ。それから夕食の準備も頼む」
使用人達は、承知しましたと言って、頭を下げた。急な来客にも慣れているようで、慌てた様子も全くない。その中で一番年長と思われる男性が、サムトーを案内した。
屋敷の玄関を入ると広間になっていた。一階は応接室や居間、食堂などになっていて、奥の方に厨房などの作業場がある。書斎や各自の部屋は二階にあり、客室もその並びにあった。
その部屋も四メートル四方はあり、ゆったりと広かった。家具なども、贅沢ではないが、上等な物が置いてあった。
「この部屋を自由に使ってくれ。それじゃあ、風呂行こうぜ」
ついてきたブレイズが誘ってきた。立派な屋敷だけに風呂も当然設置してあるのだが、若い頃からの習慣で、一家全員が公衆浴場をずっと利用していた。屋敷の風呂は一人用で、順番に入るのが面倒だという理由もあった。屋敷の風呂が使われるのは、普段から自宅の風呂を使うような、上等な客が泊る時だけである。
「分かった。ちょっと待ってくれ」
サムトーは荷物と剣を棚に置くと、着替えとタオルを布袋に入れた。そしてブレイズと一緒に部屋を出る。
階段を下りると、一家三人がすでに集合していた。彼らも公衆浴場へと行くのである。
「いってらっしゃいませ」
使用人達に見送られ、五人で公衆浴場へと向かう。道中、妻のナディアがサムトーの横に並んで、いろいろと尋ねてきた。
「普段は何をしているんですか」
「城塞都市クローツェルは初めてですか」
「旅の間、ブレイズが何か迷惑を掛けませんでしたか」
その都度、サムトーは丁寧に答えた。だが、言いたい放題な傾向のある他の三人と違い、ナディアは落ち着いた物腰で、少し調子が狂う。しっかり者の妻が、夫の手綱を上手に引いているという印象だった。
サムトーの返答を聞いていたナディアは、穏やかな笑みを浮かべた。
「どうやらいい護衛をして頂けたようですね。おかげさまで、無事に今回の商売もうまくいきました。改めてお礼申し上げます」
「いえいえ、こちらこそ楽しい旅でしたよ」
そして、のんびりと風呂に入ったのだった。
屋敷に戻ると、ブレイズが報酬を渡してきた。約束通り、金貨一枚と銀貨十枚である。
「本当に世話になったな。夕食の準備ができたら声を掛けるから、それまでは部屋でのんびりしててくれ」
「こちらこそありがとう。一晩世話になるよ」
ブレイズと別れ、客室にあった椅子に座り込む。窓もガラス張りになっていて、さすがだと思わされた。普通の住宅では木の窓である。
一休みしていると、コンコンと扉をノックする音がした。
「はい、どうぞ」
返事をすると、扉が開いてナタリーが入ってきた。
「どう、居心地いいでしょ。この家は私達の自慢なの」
そう言うと、サムトーの向かいの椅子に腰掛けた。そして、この屋敷に関することを教えてくれた。
「私が十才くらいの頃、お父さんが貯めたお金で買い取ったの。何かの事情があって地方に引退する人がいて、この屋敷を格安で売ってくれたのよ。それでも金貨三百枚もしたから、全額は払えなくてね。五年かけて残りのお金を払ったのよ。馬車も一台ずつ揃えていったし、使用人も五人にまで増やせるようになったわ。その間に、私もエミールもお父さんの手伝いができるようになってね。今みたいに三台の馬車が使えるようになったのは、三年くらい前だったかな」
サムトーはなるほどと思った。それだけこの一家は、頑張って働いていたということだ。途中で頓挫することもなかったのだから、珍しい成功例でもある。努力が実を結ぶというのは、他人事でも聞いていて気分がいい。
「そうか。ナタリーの家族全員、すごく頑張ってたんだな」
「そうね。できることを一つ一つ頑張った感じかな」
そう言うと、ナタリーは突然話題を変えた。
「ところでさ、サムトーは、うちでずっと働く気、ないかな?」
これはこれは。一人旅の間、ずっと一緒にいたいと言ってくれる人が何人もいたが、今回もどうやら同じらしい。これは父のブレイズは恐らく関係なく、ナタリー一人の考えだろう。
ありがたい申し出だが、サムトーは首を横に振った。
「そのお誘いはうれしい。そこまで俺のことを買ってくれたってことだもんな。だが、悪いな。俺も事情があって一人旅をしてるんだ。だから、ここで働くのは今回限りにさせてくれ。本当に済まないな」
その返答を聞いて、ナタリーが目に見えて落胆した。
「何か訳ありなんだね。理由聞きたいけど、答えられないよね」
「ああ。悪いが、これは絶対の秘密なんだ」
ふうと息をついて、ナタリーが気持ちを切り替えた。
「分かったわ。無理に誘ってごめんね。今回の旅が楽しかったから、もっと一緒にいたかったのよ」
素直に謝罪してきた。本当にいい娘だと、サムトーはしみじみ思った。
「ところで話は変わるけど、マリエルって娘、紹介してくれるっていったの覚えてる?」
「もちろん。そうか、今日紹介できれば良かったな。強盗騒ぎのせいで、時間食ったからなあ。さすがに今日はもう無理だな」
「うん。だから、明日お願いできるかな」
サムトーにしてはうかつだった。マリエルと、その面倒を見てくれているルイーズの二人は、昼過ぎまで仕事が忙しい。会いに行くとなると、昼の三時以降だろうか。そうなると明日の出発は無理だ。この街にもう一泊することになる。
「約束だもんな。ただ、あっちも仕事があるから、昼の三時以降になる。それでもいいか」
その言葉を聞いて、ナタリーがにこりと笑った。
「その言い方だと、サムトー、明日一日暇だってことだよね」
「ん、そうなるなあ」
「やった! じゃあデートしよ。マリエルに会うのはその後でってことで」
それを聞いたサムトーが目を丸くした。何を言い出すかと思えば、デートときたもんだ。まあ、この元気な娘と過ごすのは楽しいので、むしろありがたいくらいだが。
「それは楽しいお誘いだな。ありがたく受けさせてもらうよ」
そう答えた後で、一言付け足した。
「警備隊の友達と会うのはどうする? 夕方、仕事帰りに双樹亭って宿で一杯やることが多いから、そこに行こうと思うんだけど」
「いいわよ。夜までサムトーとその友達と遊んでくるって、伝えておけば大丈夫だから。だけど、そうするとサムトー、クローツェルにもう一泊するってことになるね。じゃあ、うちでもう一泊すれば?」
さすが富豪である。人を一泊させる程度、造作もないのだろう。
「ありがたい。そうさせてもらうよ」
「やった。楽しみが増えたわ」
いろいろと会話している間に時間は過ぎ、使用人が夕食ができたことを告げに来た。二人は連れ立って、一階の食堂へと向かった。
食堂は広く、大きなテーブルが二列も並んでいた。必要がある場合、ここで会食をするのである。
ただ、料理は一皿ずつ出てくるコースではなく、いくつもの皿がまとめて出てくる庶民的なものだった。風呂もそうだが、その辺の生活習慣は貧しい頃とあえて同じにしているのだった。チキンのフリッターにゆで野菜の盛り合わせ、ベーコンオムレツ、コンソメスープ、それにパン。メニューも庶民的であった。デザートにリンゴがついていた。飲み物がワインで、それが唯一の贅沢だろうか。
一家四人とサムトーが席につく。そして五人揃って、いただきますと食事の挨拶をした。この一家も、食べ物を大事にすることを心掛けていた。
食べ始めて、最初に用件を切り出したのはナタリーだった。
「明日、私、サムトーと一日デートするから。それでこの前約束した通り、サムトーの友達を紹介してもらうの」
ブレイズとエミールがあっという顔をした。この二人も、サムトーに稽古をつけてもらおうと思っていたのである。先を越されて、ちょっと悔しそうだったが、こればかりは早い者勝ちだ。
「だから、昼と夜は外で食べてくるね。それから、サムトー、その分この街で一泊増えるから、明日もうちで泊めてあげて」
「分かったわ。気を付けて遊んでらっしゃい。あと、サムトーはもう一泊するのね。もちろん歓迎するわ」
母のナディアが返答した。基本、家のことはこの母が仕切っている。そのおかげで、ブレイズも商売に専念できるのだった。
そこで言葉を継いだのはブレイズだった。
「なあ、サムトー。このままうちで働くのはどうだ。給金だってはずむぞ」
ナタリーと同じことを言ってきた。娘が思わず笑っていた。
「ありがとうございます。俺なんかにそこまで言ってもらえるのは、本当にうれしいです。ですが、俺は事情があって一人旅をしているんです。なので申し訳ありませんが、用心棒も今回限りってことで、ご容赦下さい」
ナディアの手前もあって、丁寧な口調でサムトーが返事をした。それを聞いて、ブレイズとエミールは露骨にがっかりしていた。この先も、また楽しく商売の旅ができると思っていたのである。それだけサムトーを気に入っていたということでもあった。
「お父さん、残念だけど仕方ないよ。サムトーにはサムトーの事情もあるんだよ。元々一人旅してたのを、通りすがりに護衛をお願いしたんだし。一往復楽しませてもらったと思えば、言い方悪いけど、お買い得だったよね」
ナタリーが説得に回った。彼女も居残って欲しいと思っていた口だが、断られた以上、相手の意思を尊重するだけの度量があった。
「そうかあ。お買い得って、言い得て妙だな。今回ほど旅が楽しかったことは今までなかったからな。分かった。世話になったな、サムトー。元気で旅を続けてくれ」
ブレイズはそう言って、軽くワインを口にした。残念な気持ちを飲み干そうとするような仕草だった。
「だから気が早いって、お父さん。もう一泊するって言ってたじゃないか」
エミールに突っ込まれ、ブレイズが頭をかきながら苦笑した。
妻のナディアが夫をなだめ、話題を変えた。
「今回の旅では二回も襲撃があったとか。その辺の様子を教えて下さいな」
「それはね、もうサムトー大活躍でね」
それに答えたのはナタリーだった。まるで、自分のことのように、誇らしげに説明した。
「初日の時は相手が五人でね。でも、サムトーが鋭い突きを連発して、あっという間に全員のしちゃったのよ」
それからその五人を拘束し、街道脇に放置したこと。次の町で自警団に捕縛を依頼したこと。だが、自警団が向かった時には、すでに五人全員が逃走していたことも合わせて説明した。
「なるほど。サムトーは凄腕なのですね」
「そうなんだ。俺も手合わせして完璧に防がれてさ。サムトーなら、この街の騎士様方相手でも負けないんじゃないかな」
今度はエミールだ。自分よりはるかに格上だということを、姉と同様自慢げに語っている。
「二人共、いえブレイズもですね、サムトーのこと、とても気に入ったのが分かります。改めて、うちの一家がお世話になりました。ありがとう」
ナディアが優しい笑みを浮かべながら礼を言ってきた。何度言われても、礼というのはうれしいものだ。相手が気に入ってくれたならなおのことだ。
「それで、帰りも街の近くで襲われたのね。それも今度は十人」
こちらはブレイズがすでに話しておいたのだろう。ナディアもおおよその事情を知っていた。
「だけど、今度も全員、サムトーが倒してくれたのよ」
ナタリーはそう言ったが、サムトーが一つ訂正した。
「いや、俺も一人取り逃がしてな。そいつを倒したのはナタリーなんだ」
「あら、そうだったの。すごいじゃない、ナタリー」
ナディアも交易の旅に危険が伴い、そのため三人が時々棒で戦う訓練をしていることは承知していた。だから、娘にも危ないことをするな、などとは言わない。無事に襲撃者を倒したことを素直に喜んでいた。
「うん。でも、それもサムトーのおかげなんだ。三連撃の打ち方を教えてもらってね。それが見事に決まったのよ。もしあれを教わってなかったら、危なかったかも」
「けど、姉さんの腕が良かったのも事実だよ。だから俺も、もっといろんな技を身に付けないとなって思った」
エミールが姉を持ち上げるように褒めた。
「ナタリーもよく練習してたからな。あれは見事だった」
父も同様に娘を自慢する。家族とは言え、そんなに褒められると照れ臭く思うナタリーだった。
その後も、食事を取りながら、旅の出来事を報告するようにして話が弾んだ。三人がなるべく詳しく、楽しかった出来事を語っていく。留守中、家を守ってくれているナディアには、夫も娘も息子も、最大限の敬意を払っているようだった。ナディアは聞き上手で、会話が途切れることもなかった。サムトーも一家四人と一緒に、楽しい一時を過ごしたのだった。
翌朝、サムトーが目覚めると、宿屋ではなく広く立派な部屋の中にいた。ブレイズの屋敷に泊めてもらったことを思い出し、いつもとは違う新鮮な気分になった。
水差しに水が用意されていたので、それを飲んで、室内で剣の素振りを始めた。場所はどこでも、日課の剣の素振りは欠かさない。特に、昨日あれだけ持ち上げられれば、腕を鈍らせるわけにもいかない。いつも以上に気合を入れて素振りをこなしていく。
一通り終えると、水を飲んで一息入れる。
すると、ちょうどそこでナタリーがやってきた。朝食なので呼びに来てくれたのだ。
「じゃあ、今日はよろしくね、サムトー」
ナタリーがうれしそうに言う。若くきれいな娘に、そんなに楽しみにしてもらえるとは、何ともありがたいことである。
食堂には、すでに他の三人がいて、席に座って待っていた。遅れたのかと思ったがそうではなく、みなほぼ同時にやってきたのだという。
使用人達が朝食を運んでくる。野菜スープにサラダ、ウィンナー、パンとバターにジャム。これまた質素である。富豪と呼ばれるようになっても、あまり贅沢をしないブレイズ一家らしい食事だった。
全員で挨拶をして食事を始める。朝の会話は、その日何をするのかを伝え合うことが中心だった。ブレイズは交易の収支をまとめるため、書斎に籠っての仕事。エミールは馬の世話をした後、街の友人達と遊びに。ナディアはいつも通り屋敷の管理で、使用人達に指示を出すこと。
そしてナタリーは、サムトーと一日デートである。午前中は露店市でも冷やかしに行こうかという話になった。午後はゆっくり昼食を取り、昼過ぎに警備隊員の女性寮にいるマリエルに会いに行く。夕方、風呂を済ませて双樹亭という宿に行き、サムトーの友達と会う、という予定になっていた。
食事を終えると、五人が一斉にごちそうさまを言う。やはり、食事の際は礼儀を欠かさない一家であった。
「じゃあ、着替えしてくるね」
普段着だったナタリーが、サムトーにそう声を掛けた。せっかくのデートなのでおめかしをするようだ。旅の間は元気で活発な商人だったが、こういうところには年頃の娘らしい気遣いがあった。
しばらくしてから姿を現したナタリーを見て、サムトーも思わず声を漏らしていた。
「おお、良く似合ってる」
ブラウスにワンピース、カーディガンで装ったナタリーは、普段以上に美しく見えた。髪も服装に合わせて後ろでまとめてある。この際なので、遠慮なく褒めちぎる。
「きれいを超えて、美しいって感じがするよ。ナタリーは元々美人だったけど、こうなると男共が放っておかないくらいだな」
「そう? じゃあこんな美人とデートできて、サムトーもうれしい?」
鋭い反撃が来た。軽く笑みを浮かべると、手を胸の前に当てて大仰な格好をしながら、大真面目に答えた。
「とても光栄でございます、お嬢様。わたくしめごときには、もったいなく存じますが、どうぞよしなに」
ナタリーがぷっと吹き出した。
「サムトーって、やっぱり面白い。朝から笑わせてくれてありがとね」
サムトーが親指を立てて、ナタリーを促した。
「ありがと。ま、冗談は置いといて。出かけようか」
「そうね。行きましょう」
二人は笑顔を向けあうと、楽しそうに並んで出かけていった。
城塞都市などの大都市には、露店市がある場合がほとんどだ。有事の際、軍隊を展開させる広場が、平和になってから使われておらず、自前の店を持てない者達が、そこに露店を開き始めたのが発端である。帝国も取り締まりなどはせず、自由に露店が開くのを認めたため、市と呼ばれるほどに多くの露店が集まるようになったのである。
露店市は猥雑だ。設立の経緯からして、計画性とは無縁で、道も店の並びも適当である。古着屋の隣に道具屋、その隣に乾物屋、装飾品屋といった具合に、無秩序に入り交じっている。掘り出し物や値の安い物目当ての客で混雑していて、移動も一苦労である。ただ、人によってはその猥雑さが良いと言う。サムトーもその口である。
ナタリーも、露店市など幼い頃に来たきりである。そう言えば、こんな雰囲気の場所に買い物に来たこともあったなあと、おぼろげな記憶があるくらいだった。なので、雑然とした雰囲気と、様々な店や商品の並びを見て、新鮮な気分で笑顔を浮かべていた。
「この街に住んでるのに、こんな場所があったこと、すっかり忘れてたわ。いろんな物があって、楽しそうね」
試しに宝石屋を覗いてみる。小粒の品が多く、その分値段が格段に安い。銀貨一枚から三枚程度でも買うことができる。高い物でも金貨一枚程度だ。ただ、むき出しの宝石だと、そこから装飾品に加工するのに一手間かかるので、結局相応の値段になるだろう。ただ、石の種類も数も、思ったよりも多かったのは驚きだった。
「石だけ集めたり眺めたりするのが好きな客向けって感じかな」
じっくり商品を眺めている客は少なく、サムトー達が浮いて見えるくらいだ。需要はそう多くないのだろう。
「でも、石自体は悪くないみたいね。私はこういうの集める趣味ないけど、このくらい安かったら、一つや二つ、持ってみても悪くないかも」
率直にナタリーが感想を言う。それならばと、サムトーが布の小袋に入った宝石を三つ取り出した。それぞれ小指大の水晶、ラピスラズリ、トパーズが入っていた。
「俺もな、こうやって石だけ持ってるんだよ。水晶とラピスラズリは、旅のお守りにってもらったんだ。トパーズは、旅芸人の友達と友情の記念にしようって、お揃いのを買ってさ。思い出の石って感じかな」
それを聞いたナタリーが、それは妙案とばかり手を叩いた。
「いいわね、それ。私達も記念に何か買おうよ」
そう言って、宝石を物色し始めた。だが、どの石もそれぞれ美しく、これにしようという決め手に欠けていた。
「うーん、どの石もいいわね。サムトーは何かいいのある?」
「これは迷うよな。ナタリーの好きな色とかで決めるとか」
「何か、宝石って意味があるんじゃなかったっけ。それで決めるのがいいかもしれない」
それで店員に宝石の持つ意味を聞いてみた。結果、オパールがいいように思えた。幸運や希望を意味する石。偶然の出会いで楽しく過ごせた幸運を、記念の石として持つのが良いのではないかと考えた。
「そうね。私達が出会えた幸運に、か。いい記念になるね」
賛成が得られたことで、二人でオパールを一つずつ買った。それぞれが銀貨二枚ずつ支払う。
「来てすぐにいい買い物ができたね。ちょっとうれしいな」
ナタリーがうれしそうに言う。石をむき出しでは持ち歩けないので、サムトーみたいに小袋に入れようと、近くの雑貨屋を覗く。そこで布の小袋を買い、二人でそれぞれオパールを大事にしまった。
それから二人でいろいろな店を冷やかした。
謎の道具がいろいろ置いてある店では、使い道の分からない道具がいろいろと置いてあった。中には便利そうなものもあり、金属でも切れる特別なはさみなど、なるほどと思わせる物もあった。
乾物屋やお茶の店は人気店で、商品としては小粒だったり葉が不揃いだったりするため、商店街よりかなり値が安い。それを目当ての客が次々とやって来て買っていく。交易品を扱うナタリーとしても、正規の値段よりはるかに安く仕入れてくる露天商の努力は素晴らしいと思っていた。
古着屋では、かなり着古した物を格安で売っていた。商店街で売っている商品を、さらに着こんだ感じの物が多い。それでも上手に補修してあって、商品としてはよくできていた。物を大切にする心がけも立派だ。ナタリーは今日はおめかしして商店街で仕立てた服を着ていたので、大事に古着を着る人たちに申し訳なく感じたほどだった。
そうやって見ている間にも、時間は過ぎていく。そろそろ昼食時かという頃、十代前半と思われる少年が、ナタリーとぶつかった。
「お姉ちゃん、ごめんな」
「いえ、こちらこそごめんなさい」
互いに謝罪をして、そのまま別れようとした時である。サムトーの右手が伸びて、その少年を捕まえた。
「な、何すんだよ」
少年は抗議したが、サムトーが左手を少年のポケットに突っ込み、中身を取り出した。ナタリーの財布だった。
「あ、私の財布。ってことは……」
「まあ、そういうこと。さて、どうするかね」
サムトーが少年を捕まえたまま、冷たく見据えた。
まずいと思った少年が、手足をばたつかせて抵抗する。しかし、サムトーは力強くその少年を押さえつけた。
「なあ少年、そんなに金に困ってるのか」
「べ、別に困ってるわけじゃ」
「じゃあ、悪い奴らに脅されて、こんなことをしてるのか」
「そ、それは、その……」
どうやら、こういう少年達を使って、悪さをする奴がいるらしい。そういう連中には我慢のできない質だった。
「ナタリー、悪いけど、ちょっとデート中断な。まずは少年、名前を聞かせてくれ」
「ライル、です」
「分かった。それじゃあライル、スリをするよう命令した奴のところへ案内してくれ」
「な、ど、どうする気なんだよ」
「決まってるだろ。そういう悪い奴は捕まえる」
「え、無理だよ。だってそいつ、すごく強いんだよ」
「そうかい。なら俺はもっと強いから、心配いらないぜ」
サムトーは少年に案内させ、住宅地の方へと向かった。ナタリーも一緒について行く。十五分ほど歩いて、人の少ない寂れた場所へとやってきた。どうやら空き家を根城にしているらしい。
その空き家の前に来ると、少年が声を掛けた。
「ぼくです。ライルです。アキラニさん、稼ぎを持ってきました」
「よし、入れ」
扉が開き、中から男が一人姿を現した。まだ二十才を過ぎたばかりの若い男だった。サムトーが、少年にスリをしろと指示したのがこの男で間違いないかを確認した。少年が黙ってうなずくのを見て、サムトーは遠慮の必要がないことを知った。
「誰だ、お前」
「よお、初めましてだな。そしてさよならだ」
サムトーが左の拳をその男のみぞおちに打ち込んだ。強烈な一撃がその男をあっさりと地に倒す。そして気配を探る。中には誰もおらず、この男一人で間違いないなかった。
「ってことだよ、ライル少年。悪い奴には牢に入ってもらおうぜ」
そう言うと、サムトーはてきぱきと倒した男の手足を拘束し、猿轡をかませた。それからライルを連れて、一緒に警備隊の詰所へと向かった。
五分少々歩いて、一番近くの詰所に着いた。そこで当直の隊員二人に、子供にスリをさせていた男を拘束したと話す。隊員達は驚きつつも、サムトーと少年からそれが事実であることを聞き、捕縛のために動き出した。
しばらくして、隊員達は建物の中で転がされている男を発見する。すでに拘束済みで、意識もなかった。その男を起こし、連行して行く。詰所には牢がないので、警備隊本部まで連行するのである。そこまでが少し遠く、二十分少々かかった。
ライルにはサムトーとナタリーが付き添い、調書作成が行われた。
アキラニと呼んだ男とは知り合いでも何でもなく、ある時道端で呼び止められただけの関係だった。そこで露店市でのスリを強要され、逆らえば暴行を加えるとも脅された。実際に殴られ、痛みと恐怖で言うことを聞くと約束させられていた。仕方なく、何日かに一度、スリをして財布を渡していた。代償に稼ぎに応じて小遣いが渡され、このことは他人に漏らさないよう強く言われていた。ライルは十二才だったので、帝国の慣習では見習いとして働き出す年だった。つまり、犯罪を行った場合、罰せられる年齢なのである。それも脅迫に屈した原因であった。他にも同じように、置き引きなどをさせられている少年が何人かいるらしいが、会ったことはなかった。そんな細かな説明を、警備隊員が調書に記録していった。
アキラニの方は駐屯の騎士から厳しく取り調べがなされ、恐喝、暴行、窃盗に窃盗教唆で重い罰が与えられることはほぼ確定である。そんな男に利用された少年達には、情状酌量の余地があるとして、減刑するようにという意見具申を警備隊員が調書に添えてくれた。後日裁判権を持つ騎士から、正式に処罰が下されることとなると、合わせて話があった。罰を受けるのは恐ろしいが、これ以上罪を重ねないで済むと分かり、ライルは安堵の表情を浮かべたものである。
「本当にありがとうございました。罰を受けて、またやり直します」
別れ際、ライルはそう言って頭を下げた。サムトーはそんな少年の肩を叩くと、元気づけるように言った。
「こういうのは悪いことをさせる奴が一番悪い。ライルも少し悪いことをしたけど、二度としなければ問題ないさ」
「はい。分かりました。それじゃあ、ぼくはこれで」
立ち去っていく後ろ姿は元気がなかったが、それでも背筋を頑張って伸ばし、気分を切り替えようとしているのが分かった。
「さて、ごめんな、ナタリー。こんなことに巻き込んじゃって」
結局、デートを中断したまま、昼食には少し遅い時間になってしまっていた。しかし、ナタリーは首を振った。
「サムトーの判断は正しいと思うよ。あんな子供を使って悪いことする奴、野放しにはできないよ。とっ捕まえて正解だよ」
「ありがと。そう言ってくれると助かる。遅いけど、昼飯にしようか」
サムトーもほっとして、ようやく遅い昼食となった。
「時間も遅いし、適当な店でいいわよ」
二時の鐘が鳴って、しばらく過ぎた頃合いだった。ナタリーがそう言ってくれたので、二人は手近な店に入った。
ホワイトソースのグラタン、スープ、サラダ、パンのセットをデザート付きで頼む。サラダやスープを味わっている間に、グラタンが焼きあがって、熱々が出てくるという流れだ。十二月も半ばになって、熱い物がおいしい季節である。
ふうふうと冷ましては口に運ぶ。旨味の濃いソースがおいしく、チーズの旨味と、マカロニの歯ごたえにほんのりした旨味が絡まる。刻み野菜やベーコンなどの具材もおいしい。時間が遅くなり、お腹が空いていることもあって、二人は黙ったまま、文字通りグラタンと格闘していた。
「はあ、おいしかった。冬はグラタンがおいしいわね」
人心地ついて、ナタリーが満足げな声を出した。
「同感だ。熱い物のうまさってあるよな」
サムトーもうなずく。後はデザートとお茶である。季節柄、旬のリンゴを使ったタルトだった。ナタリーの家でも昨日の夕食にリンゴを出していた。今がおいしい時期である。
今度は少しずつ食べながら、ナタリーが尋ねてきた。
「時間はどうなの。マリエルの仕事、終わる頃合いかな」
事件があっても、出かけてきた目的は忘れない。それだけサムトーが助けた女の子に興味があるのだった。
「うーん、まだもう少しかかるかな。三時の鐘くらいが目安だな」
「分かった。じゃあ、せっかくだし、少しのんびりしていきましょ」
そして、会いに行くマリエルについての話になった。健気に祖父の面倒を見て頑張っていたことや、一緒に旅をしていて、とても素直で気の優しい娘だったことなどがサムトーの口から改めて語られた。
「なんかさあ、そうやって他の女の子褒められてるの聞くと、何となく腹が立つんだけど。ねえ、私はどう? いい娘じゃない?」
サムトーが苦笑した。そして遠慮なく褒めちぎる。
「ナタリーは、はっきりものを言うし、明るく元気で、愛想もいい。働き者だし、頑張り屋で根性もあるし。それでいてきれいだし。どこを取ってもいい娘だから大丈夫。マリエルと違うところが多いから、かえって仲良くなれるんじゃないかと思うよ」
褒められていたナタリーはうんうんとうなずくと、ちょっと偉そうにして言った。
「それならよろしい。ちゃんと私のいいとこ、サムトーは分かってくれてるんだね」
「そりゃ、もちろん」
のんびりデザートとお茶を味わうと、時間もちょうど良くなっていた。
「よし、それじゃあ、会いに行きますか」
二人は途中、手土産に焼き菓子を買うと、警備隊員の女性寮へと向かったのだった。
「こんにちは。お久しぶりです。サムトーです」
女性寮の入り口脇にある受付で声を掛けると、マリエルが姿を現した。
「あ、サムトーさん! また会えてうれしいです」
そう言うと、満面の笑みを浮かべた。そして、すぐに怪訝な表情になる。
「でも、一人旅で、遠くにいったはずでは?」
確かにそうだ。こんなにすぐこの城塞都市クローツェルに戻るなど、別れた時には考えもしなかったことだ。
「商人さんの護衛をしてね。別の町まで往復する間の、用心棒の仕事をしてたんだ。それで昨日この街に戻ってきたとこ」
そう言うと、サムトーは後ろに控えていたナタリーを紹介した。
「こちらが護衛した商人の娘さんで、ナタリーっていうんだ」
「初めまして。ナタリーです。あなたがマリエルね。サムトーに聞いたわ。すごくいい娘なんだって」
マリエルが姿勢を正して深々と礼をした。
「はい。私がマリエルです。ついこの前、サムトーさんにはすごくお世話になったんです。どうぞよろしくお願いします」
「私達一家もサムトーに助けてもらったのよ。だからお仲間だね」
そう言ってナタリーが手を差し出す。マリエルはうれしそうにその手を取り、握手を交わした。
「こんなところですが、上がっていって下さい。お茶くらい出しますから」
ナタリーが驚く。まだ十一才だと話に聞いていたが、客に茶を出すことを自然に申し出るなど、実にしっかりしている。
「じゃあ、お邪魔するわ。その前に、これ。焼き菓子なの。仕事の合間にでも召し上がってね」
「はい。ありがとうございます。では、こちらへどうぞ」
案内されて、サムトーとナタリーは、受付が待機する部屋へと通された。中には年配の女性が一人いて、ちょうど一休みしているところだった。客が来たのを見て、慌てて立ち上がる。
「おや、サムトー、よく来たね。そちらのお嬢さんは?」
「ナタリーです。昨日まで、サムトーに旅の護衛をしてもらっていた、商人の娘です。どうぞよろしく」
「これは丁寧なご挨拶、ありがとうよ。私はルイーズ。ここの管理人さ。何もないところだけど、ゆっくりしていくといいよ」
二人が挨拶をしている間にも、マリエルはてきぱきと動いて湯を沸かし、カップの用意をしていた。ナタリーがその姿を褒めた。
「よく働きますね。とてもいい娘さんで感心します」
「ああ。マリエルにはすごく助かってるよ。新しく娘ができたみたいで、毎日がすごく楽しくなったしね。まあ、二人共お座りよ」
そう言って、テーブル脇に椅子を二つ運んできた。サムトー達が礼を言ってそこに腰掛ける。
やがて、マリエルがお茶を入れ終わり、それぞれにカップを配った。
「サムトーさん、今日はわざわざ来てくれてありがとう。それでどのようなご用件なんですか」
席に座ると、マリエルが最初に口を開いた。自分を訪ねてきてくれたのは分かるが、何か用事があるのだろうと考えたのだ。
「うん。今回の護衛の旅で、サルトレの町にも立ち寄ったんだ。だから、マリエルの事、おじいさんのお墓に報告してきた。それが一つ」
それを聞いて、マリエルの表情が和らぐ。
「そうなんですね。本当にありがとうございました。おじいちゃんも喜んでくれたことと思います」
そしてサムトーは、ナタリーも見やると言葉を続けた。
「もう一つは、護衛した商人の娘さん、こちらのナタリーさんがね、マリエルのことを知って、ぜひ直接会ってみたい、できるなら友達になりたいって言ってくれたんだ。それでここに来たわけ」
マリエルがちょっと驚いた顔をした。
「こんな立派なお嬢さんが友達に、ですか。私、まだ十一才ですし、ご覧の通り住み込みの見習いで、未熟者ですけど」
ナタリーが体を震わせた。謙虚だがしっかりしたマリエルの物言いに、感動したのだった。
「すごい、マリエルは立派ね。さっきもルイーズさんと話してたけど、こんなにいい娘はなかなかいないわよ。嫌じゃなかったら、ぜひ私と友達になって頂戴」
そう言うと、出されたお茶を口にした。茶葉は安い物だったが、丁寧に淹れてくれたのが分かる。ほっとする味だった。
「いい話じゃないか。年が離れてても、友達は友達さね」
ルイーズも賛成してくれた。マリエルもそれならばと同意した。
「こんな私を友達にしてくれて、ありがとうございます。ナタリーさん、これからどうぞよろしくお願いします」
「ありがとう。うれしいのは私の方よ。こちらこそよろしくね」
それからマリエルの近況を聞いた。この十日余りの間に、寮の隊員達とも仲良くなっていた。最初に知り合ったグレイスとエミリアは、何かにつけて声を掛けてくれて、気軽に話せる仲になっていた。おかげで毎日の仕事も苦にならず、掃除や水汲みなどの仕事も順調にこなせていた。ルイーズとも、休憩時間は今日みたいにのんびり茶飲み話をして、家族のように過ごせているという。
「私の方はそんな感じです」
マリエルの話が終わると、ナタリーも自分の家の商売について話した。往復十日ほどの交易を何か所かで行っていて、一回の旅で金貨四十から五十枚程度稼ぎがあること。高級住宅街の一角に屋敷を構えていること。だけど元は普通の商人で、この二十年ほどの間、父が頑張ったおかげでいい暮らしができていることなどを説明した。
「だから、一見屋敷住まいのお嬢様だけど、中身は旅の商人だから。気楽に接してね」
そこでサムトーが、つい余計な言葉を差し挟んだ。
「そうそう。見た目はこんな美人だけどさ、遠慮なんて言葉は知らないくらい、話をさせると言いたい放題なんだよ」
「サムトー、ちょっと酷くない? まあ、事実だけど」
「ごめんごめん。だから気軽に付き合って大丈夫って言いたかったんだよ」
「むう。納得いかないけど、まあ許す」
そんな具合でマリエルもナタリーも、互いに紹介し合って、仲良くなれそうだという感触がつかめていた。
その後は、双樹亭に飲みに行き、グレイスやエミリア、ガイストにも会いたいという話になったので、先に全員で公衆浴場に行くことにした。ルイーズも一緒である。時間も夕方になっていた。
年齢の違う女性三人だが、ナタリーはお嬢さんだが遠慮はいらない人物だと分かり、楽しく一緒に入っていた。サムトーもそうと知って、ほっとしたものである。
風呂を出てルイーズと別れ、サムトーはナタリーとマリエルを連れて双樹亭へやってきた。いつもの女将とマリサという若い給仕が出迎えてくれた。
「おや、また来てくれたのかい。歓迎するよ。泊りかい?」
「いや、今日は飲みに来た。ガイスト達、今日も来るかな」
「多分、来ると思うわ。あの三人、いつも仲良く飲んでるから」
「ありがとう。じゃあ、エール二つと蜂蜜水一つな」
「毎度どうも。適当な席で座って待っててね」
促されて、空いている席に座る。マリエルはサムトーの横、ナタリーは向かいである。
そこにちょうど飲み物が届いた。サムトーが音頭を取る。
「それじゃ、新しい友情が生まれたことを祝して、乾杯」
「かんぱーい」
三人で杯を合わせる。三人共楽しげな表情だった。
「家族一緒に飲むのもいいけど、こうして新しい友達と飲むのって、新鮮でいいわ。後から来る三人とも、仲良くしたいわね」
ナタリーが言う。まあ、警備隊員だが固くはなく、気軽に話せる人達なので大丈夫だろうと、サムトーは思う。自分もそのおかげで仲の良い友人となれたのだから。
「ナタリーさん、警備隊の人達、みないい人だから大丈夫ですよ」
マリエルも太鼓判を押した。彼女もあの三人には今も世話になっている。
しばらく待っていると、噂の三人が姿を現した。仕事帰りに一風呂浴びてから来たようで、警備隊員の服でなく、普段着になっていた。
「サムトーが来てるわよ」
給仕のマリサにそう言われ、三人が一斉に店内を見渡した。そして、短い期間だったが、仲の良かった友人の姿を見つけた。
「ほんとだ。サムトー、久しぶりー」
言いながら女性二人、男性一人の三人組が席へとやってくる。三人共サムトーと同い年である。
「十日ぶりくらい? また戻ってきたんだね」
「また会えてうれしいぞ。元気そうでなによりだ」
三人がうれしそうに声を掛けてくる。
「久しぶり。みな元気そうだな。それで今日は連れがいて、マリエルともう一人、こちらはナタリーという。交易商の娘さんだ」
返事に付け加えて、サムトーが連れを紹介した。
ナタリーが立ち上がって一礼する。
「ナタリーです。交易商ブレイズの娘です。どうぞよろしく」
隊員三人が少し驚いた顔になった。
「ブレイズって商人、交易で大成功したっていう、あのブレイズだよな。俺も卸売市場で働いてた時、何度も荷物の積み込みをしたことがあるぞ」
ガイストが言うと、グレイスとエミリアも言葉を続けた。
「結構大手の商人さんでしょ。立派なお屋敷に住んでるっていう」
「そんないいとこのお嬢様が、何でサムトーと一緒なの?」
当然の疑問である。そこで、サムトーがブレイズ一家の護衛を十日間引き受け、その間に出た話の流れで、ナタリーがマリエルや三人に会いたいと希望したことを説明した。
「それで、十日間の旅の間が、とても楽しくて」
ナタリーも補足した。御者台でいろいろ話をしたこと。昼食休憩の時、護身用の棒の使い方を教えてもらったこと。宿で、一人旅の時の話をいろいろとしてくれたこと。街で絡んできた男達を追い払ったこと。そんなサムトーとの出来事全てが楽しかったこと。そのサムトーの友人達なら、きっといい人達ではないかと思い、せっかく同じ町に住んでいるのだから、ぜひ知り合いになりたいと思ったのだと伝えた。
それを聞いて、グレイスとエミリアも喜んでいた。
「あら、それはうれしいわね。サムトー、私達のこと話してくれたのね」
「そうなの。サムトーのおかげで連続強盗犯が捕縛できてね。それから友達になったのよ。サムトーの友達なら、私達も友達でいいのかな」
ガイストは少し照れながら言った。ナタリーが美人で、グレイスやエミリアよりきれいに見えたのである。
「こんなきれいなお嬢さんと知り合えるとは。サムトーは幸運を運んでくれるのかもしれないな」
と、恥ずかしそうにしながらも、そんなことをいう始末でだった。
わだかまりなく接してくれる三人に、ナタリーもうれしそうであった。
「じゃあ、マリエルも入れて、六人みんな友達ってことでいいのね」
そう言うと、酒杯を再び掲げる。
「新たな友人ができたことに」
「乾杯」
五人がナタリーの意図を察して、杯を合わせた。そして、みなうれしそうな表情のまま杯をあおる。
「今日はいい日ね。マリエルもいい子だし、グレイスもエミリアもガイストもいい人だし。友達が一気に増えて、本当にうれしいわ」
喜ぶナタリーに、マリエルが問いかけた。サムトー連れの楽しい旅というのがどんなものか、聞いて見たいという顔をしていた。
「それで、ナタリーさん達は、どんな旅をしてたんですか」
「うちはこの街の工房区で作られた製品を仕入れて、よその町に売りに行く商売なのよ。で、今回いつもの護衛の人が都合悪くてね。仕方なく三人で出発したんだけど、街を出るとき、お父さんがサムトーを見かけてね」
馬車に乗ってもらって、話をしたら二つ返事で護衛を引き受けてもらえたのだという。そして、その日のうちにサムトーの出番が来たのだった。
「五人の男達が絡んできたんだけど、ほんとに一瞬で全員倒してね。ああ、これがサムトーなんだって感心したの」
「分かるわ。強いもんね、サムトー」
「強盗犯の時も、一瞬で片づけてたの思い出すわね」
グレイスとエミリアも相槌を打つ。
それから長々と旅の話が続いた。その間に六人は夕食を頼み、食べながらも話が続いた。ナタリーが話好きなこともあるが、他の四人もサムトーの楽しい様子を聞くのはうれしく、時々相槌を打ちながら興味を持って聞いていて、話の終わりはなかなか来なかった。
エール二杯目も半分くらい飲み終えた頃、ようやく最後の強盗の話が出てきた。
「今度は十人もいたのよ。向こうもすごく強気でね。でも、全然心配いらなくて、あっさり十人倒して終わったわ。さすがって感じだったの」
ナタリーは、自分が一人倒したことには触れなかった。
「そうか、それで昨日、第二中隊から一個小隊が出動したんだ」
「そうなのよ、ナタリー。急な出動で何事かと思ったの」
「なんだ、それなら俺達も出動したかったな」
「寮に戻ってきた隊員さん達も、今日は大勢捕縛したんだって、教えてくれました。これのことだったんですね」
そんな調子で、ブレイズ一家の旅の話は聞いていて面白く、他の四人も飽きることなく聞き惚れていた。もちろん、サムトーも自分のことながら、確かにそういう楽しい旅だったなと思い出し、笑顔を浮かべていた。
やがて夜も遅くなり、そろそろ解散という時間になった。
「ところで、サムトーさんは、明日出発なんですか」
マリエルが聞いてきた。今日会えて、話もできてうれしかったが、それでもまた別れることが寂しいのだ。
「そうだな。今晩はナタリーの家で泊めてもらって、明日朝食後に出発しようと思ってる」
「それなら明日、お見送りに行きます。家の場所を教えて下さい」
そうして、六人でぞろぞろとナタリーの家まで行くことになった。周りも立派な屋敷ばかりなのだが、見劣りのしない立派なお屋敷である。
「じゃあ、また明日。今日はうれしかったです、サムトーさん」
マリエルが最後にサムトーに抱き着いた。祖父を失った後、しばらく支えてくれた相手なのだ。命の恩人にも等しかった。その恩人の温もりを体に刻み込むように、しばらくの間、ぎゅっとくっついていた。サムトーは、そんなマリエルの背を優しく撫でていた。
その事情を知っていた他の四人は、心温まるその光景を、優しく見守っていた。
しばらくして、マリエルが体を離すと、ガイストが三人を送っていくことを告げた。
四人が手を振って、サムトーとナタリーと別れ、帰路についた。それを見送りながら、ナタリーがつぶやいた。
「サムトーと出会えたおかげで、新しい友達も増えたし、楽しい旅を過ごせたし、本当に幸運だったよ。オパールの石の言葉通りだね」
「そうだな。俺も楽しい日々で幸運だった。ありがとう、ナタリー」
二人は拳を突き合わせると、屋敷の中に入った。
中ではブレイズとエミール、ナディアが二人を出迎えてくれた。一日中楽しく過ごせた様子を見て、口々に良かったと声を掛けてくれたのだった。
十二月十四日。サムトーが出発する朝になった。
この日もブレイズ一家は変わらず、温かくサムトーをもてなしてくれた。おいしい朝食とのんびりした会話。この一家と旅の商売に同行し、過ごした日々は、確かに充実したものだったと、サムトーはしみじみと思う。
荷物をまとめ、剣を帯びて旅支度を整える。
ナタリーだけでなく、一家全員が門まで出てきてくれた。
そこに、マリエル達四人も姿を現した。
「また会える日を楽しみにしてるよ」
ブレイズが代表して一言。サムトーが強くうなずく。
「ええ。今回はお世話になりました」
そして、サムトーは一人一人と握手を交わした。元気で。良き旅を。そんな言葉を受け取りながら、笑顔で手と手をつないでいく。
「それじゃあ、いってきます。みなさんもお元気で」
「いってらっしゃい。サムトーも元気で」
見送る人々に手を振りながら、サムトーは去っていく。
楽しかった思い出が、また一つ増えたことがうれしかった。
また新たな旅路でも、良き出会いができることを願いつつ、サムトーは前へと進んでいった。
──続く。
今回は用心棒役です。そう治安は悪くないので、アクションは少なめですが。代わりに、一家三人と楽しく旅をする様子を描きました。最後に、友達の友達はやはり友達になります。そんなほっこりした話をお楽しみ頂ければと思います。