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序章ⅩⅦ~祖父を失った少女~

 今度の町で出会うのは

 祖父と二人暮らしの子

 苦しい暮らしに耐えながら

 健気に頑張る立派な子

 しかし転機が訪れて

 祖父を失うこととなる

 親身に助けるお調子者の

 我らがサムトー、今日も行く

 時に神聖帝国歴五九七年十一月二十一日。

 背には長剣、腰には反りのあるやや短い剣。やや長身の引き締まった体に、ざんばら頭の茶色の髪が揺れる。美男子とまではいかないが、人好きのする愛想の良さそうな雰囲気をもっていた。旅の剣士サムトーはもうすぐ二十才である。

 そろそろ冬も近づいてきて、所々落ち葉が降り積もっている。落葉樹の間に常緑樹が見られ、緑色に景色を染めている。そんな景色をのんびり眺めながら、西へと向かっていた。

 城塞都市クローツェルを出て三日。日が傾き始めた頃、ここサルトレの町までやってきた。人口は一万人程度の、やや大規模の町である。

 いつものように市街地に出て、宿屋街を物色する。宿を決め、公衆浴場に入り、エールを一杯が定番の流れだ。その情景を思い浮かべながら、それぞれの宿を見比べていると、視界に一人の少女が入ってきた。

 とぼとぼという擬音がぴったりするような、力のない足取りで、不安定な様子で歩いている。年の頃は十才くらいだろうか。肩までの金髪を揺らしながら、手さげに食材を入れて運んでいた。。

 例え相手に不審がられたとしても、ここで声を掛けないという選択肢は、サムトーにはない。遠慮なく近づき、具合を尋ねた。

「お嬢ちゃん、調子悪そうだな。大丈夫か」

 間違いなく善意からの言葉なのだが、旅の剣士が見知らぬ少女に声を掛けるのは、どう見ても怪しい図だ。声を掛けられた当人も、怪訝そうな顔でサムトーを見返してきた。

「はい。大丈夫です……」

 当然そう答えたが、声は小さく、はっきりしない。しかも、やはり本当に具合が悪いようで、少し頭がふらついていた。こういうのを見ると、放って置けないのがサムトーである。

「いや、どう見ても具合悪いだろ。途中で倒れでもしたら大変だ。家まで送るから、荷物を貸しな。運んでやる」

「で、でも、知らない人と一緒に行くのは、ちょっと……」

「まあ、そりゃそうだろうけどな。いくら何でも、顔色は悪いし、ふらついてるし、放って置けないって。騙されたと思って、承知してくれ。頼む」

 手助けする相手に頼むのもおかしな話だが、そういうことを平気で言えてしまうのがサムトーである。不信感を抱きつつも、根負けして少女がうなずき、手さげを渡してきた。

「俺は旅の剣士サムトー。これでもまだ十九才だ。君に変なことして、悪党になり下がるつもりはないから、安心してくれ」

 サムトーが真剣に訴える。同時に目でも訴えかけるように、真っ正面から少女を見据えた。

 少女は再びうなずくと、名乗り返してきた。

「私はマリエルといいます。十一才です。では、家までお願いします」

 マリエルと名乗った少女は、軽く笑みを浮かべた。この得体の知れない剣士に、信頼できる何かを見つけたようだった。気だるそうな体を懸命に動かして、自宅へと向かっていくのだった。


 案内されたのは、町外れにある、小さく粗末な小屋のような家だった。もちろん平屋で、狭い庭があった。一番近い家からも結構離れていて、ぽつんと建っている。生活もかなり困窮しているものと思われた。

「ただいま、おじいちゃん」

 家に帰ると、マリエルがそう挨拶の言葉を言った。サムトーがちょっと驚きを浮かべる。祖父だけを呼んだことに違和感を感じたのだ。父母や兄弟、祖母などはいないということか。

 家の奥の方から、六十過ぎと思われる男性が現れた。それまで寝ていたらしく、ぼんやりした表情だった。彼も具合が悪いらしく、立って歩くのも大変そうな様子だった。

「お帰り、マリエル。おや、こちらのお客さんは?」

「サムトーさん。荷物運んでくれたの」

「そうですか。それはありがとうございました。私はマルセルと申します。ご覧の通り、病に臥せっておりまして。マリエルには苦労を掛けてます」

 たどたどしく、マルセルと名乗った年配の男が話した。

 やはり疑念が湧く。家族は二人だけなのか。これを聞いたら後戻りはできなくなりそうだが、サムトーは頭を一つ振って覚悟を決めると、家族について尋ねてみた。

「なあマルセルさん、この家、二人きりで住んでるのか?」

 すると、マルセルが頭をかきながら、それでもはっきりと答えた。

「お恥ずかしい話ですが、私の妻は、マリエルの両親、私の息子と嫁となった女性ですが、三人で家を出て、別の大きな町に移り住みました。まだ小さかったマリエルだけ残して、です。もう六年くらい前のことでしょうか。ですから、この家には私達二人しかいないのです」

「そうでしたか。今は何のお仕事を?」

「三月ほど前、体を壊してしまいまして、仕事を辞めることになってしまいました。今はわずかな貯えを食い潰している毎日です。これまで必死に働いた分、まだ貯えもありますが、いつまで暮らせるかはちょっと……」

 ああ、やっぱり事情のある家だったかと、サムトーは内心でため息をついた。こういう不幸を見過ごせない質であった。しかし、何とかしてやりたいが、何もしようがないのも確かだった。

「そうですか。それは苦労されたんですね」

 そう答えてから、ふと気付いて、マリエルを呼んだ。

 ぶしつけだが、近くに来たマリエルの頭の匂いを嗅ぐ。かなり匂いもきつい。案の定、ここ最近風呂に入って髪を洗った形跡がなかった。当然、マルセルも同じだろう。恐らく何日も入っていないものと思われた。

「なあ、マルセルさん。最近風呂入ってないだろ。突然だけど、これから一緒に公衆浴場に行かないか? もちろんマリエルも一緒に。そのくらいは俺がおごるぞ」

 マルセルが眉を曇らせた。言われた通り、一週間ほど風呂に入ってない。

「確かに、マリエルも風呂くらい入れてやらねばと思ってたんですが、私の具合が悪くて、連れて行ってやれなかったのです。ここはお言葉に甘えさせて頂けると助かります。ただ、私は歩くのも難儀で、公衆浴場まで歩くのは厳しそうです。二人だけでお行き下さい」

 サムトーがニヤリと笑った。そう言うだろうと思っていたのだ。

「大丈夫。俺がマルセルさんを背負っていくよ。体洗うのも手伝ってやるから、安心してくれ」

 マルセルが泣きそうな表情になった。ここまで面倒を見てくれるとは思わなかったからだ。二人で必死に生きてきて、多少の親切を受けたことはあるが、これほどのことはなかった。今日初対面の相手から最大限の好意を受けて、ありがたさに胸が詰まる思いだった。

 そんなやり取りを聞いていたマリエルも、同じようにうれしさで胸が一杯になっていた。この旅の剣士を信じて良かったと思った。

「分かりました。お言葉に甘えます」

「ありがとう、サムトーさん」

 二人は礼を言うと、風呂の支度を整えた。サムトーも荷物の多くをこの家に置かせてもらい、三人で公衆浴場へと出かけたのだった。サムトーがマルセルを背負い、着替えやタオルなどはマリエルが持ってくれた。

 公衆浴場では、宣言通り、サムトーが三人分の代金を支払った。

 浴室内でも、マルセルの面倒を見てやった。本当に具合が悪いようで、体の前を洗うのでもやっとだったので、自分では洗えない部分を、サムトーがきれいに洗ってやった。湯船に入る時もきっちり手を貸してやり、湯あたりしないように気を付けながら、一緒に湯に浸かった。

「ああ、久々に風呂に入れましたよ。やっぱり気持ちのいいものですな。本当にありがとうございました」

「なあに、これも何かの縁、喜んで頂けて何よりだ」

 本当にマルセルは気分が良さそうだった。家にいた時の具合の悪さを、一時だが忘れられた感じで、機嫌も良かった。

「身を清めると、気分も良くなるものですな。これも、サムトーさんのおかげです。サムトーさんになら、マリエルのことをお願いできそうです」

「その言葉は止めてくれ。不謹慎ってやつだよ」

「そうですな。早く元気になって、また働かないとですな」

 知り合ったばかりの二人は、年の差も関係なく、穏やかに話しながら風呂を楽しんだのだった。


 風呂を出ると、マリエルが待っていて、無事に合流できた。

「お、きれいに洗うと、マリエルは美人さんだねえ」

 そんな軽口がサムトーから飛び出す。マリエルは返答に困って、うつむいてしまった。顔が少し赤い。

 サムトーはまたマルセルを背負い、二人の家へと向かった。

「本当にありがとうござました。おかげで体も気分もすっきりしました」

 背負われたマルセルが言う。そんな祖父の様子を見て、マリエルもうれしそうに礼を言った。そのマリエルも、風呂でさっぱりしたことで体調が戻ったようで、かなり元気になっていた

「私からも、本当にありがとうございました。おかげで久しぶりにお風呂に入ることができました。おじいちゃんを運んでくれて、体もきれいにしてくれて、ありがとうございました」

「いいってことよ。困った時は助け合うもんさ」

 サムトーは、帰る途中、総菜屋でコロッケを二枚だけ買った。

「マリエル、これはおまけだ。今日の夕飯の足しにしてくれ」

「いいんですか? お風呂代も出してもらったのに」

「ああ。二人共、ちょっとでもうまいもの食べて、元気になってくれ」

 マリエルが瞳に涙を溜めた。泣くのを堪えて、頭を下げた。

「すごく助かります。ありがとう」

 そんな一幕をはさみつつ、しばらく歩く。

 家に着くと、サムトーはマルセルをベッドに寝かせた。

 マリエルは汚れた服を洗ってしまおうと、井戸端で洗濯を始めた。

「俺も手伝うよ」

 洗濯まで手伝わせるのはマリエルには気が引けたが、サムトーが笑顔で祖父の服を洗い始めたのを見て、好意に甘えることにした。

「何から何まで、ありがとうございます。サムトーさんって、本当に親切な方なんですね」

「いや、単なるお節介。それより、さっさと洗っちゃおう」

 二人で洗濯を済ませて、家の中に干す。明日の朝には乾くだろう。

 それからマリエルは食事の支度を始めた。ミルクで煮た麦粥と、野菜スープ、それに買ってもらったコロッケである。それなりに手慣れていて、調理経験の乏しいサムトーには出番がなかった。後は、二人の暮らしの領域だ。

「じゃあ、俺はこれで帰るな」

 これを機に、宿探しを再開することにした。そんなサムトーに、マリエルが笑顔で繰り返し礼を言ってきた。

「本当にありがとうございました。こんなに助けてもらったのに、何もお返しできなくてすみません」

 体を壊した祖父と二人きり。貯えがあると言っていたが、どの程度のものだろうか。しかも、家事はすべてこの十一才の少女が行うのだ。そして、本当に手助けのしようがない。さすがのサムトーも、礼を言われても素直に喜ぶことはできなかった。

「また、明日様子を見に来るよ。食事したら、ゆっくり休んでくれ。マリエルもあまり元気がなかったんだし」

 そんなことを言うのが精々だった。

 そうしてサムトーはこの家を立ち去り、宿を探しに向かった。


 サムトーは、元奴隷剣闘士である。

 十才までは養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。

 昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。

 逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。

 七か月余りの間、いろいろな人物と出会い、その手助けをしながら一人旅を続けた。方々を巡った末に、五九七年六月、助けてもらった猟師達の村を再び訪れ、そこで一月余りを過ごした。七月下旬からは旅芸人の一座と合流し、十月の末まで同行して楽しく過ごした。

 そして一人旅に戻り、ここサルトレの町までやってきたのだった。


 適当な宿に入り、部屋に荷物を置くと、一階の食堂でエールを頼んだ。

 今日はいつもよりエールが苦く感じる。やはり、マルセルとマリエルの二人を、これ以上助けようがないことを自覚しているからだ。一緒に暮らしてやって、マリエルが見習いとして働き出すまで面倒を見るなら話は別だ。だが、逃亡中の身の上、妙な旅の剣士が居着けば、人は怪しむだろう。それで素性を探られては、かえって迷惑をかけることになる。

 夕食を取り、二杯目のエールをあおっても、苦い気分は消えない。

 仕方なく部屋に戻り、休むことにした。しかし、その日はサムトーには珍しく、なかなか寝付けない夜になった。


 翌朝、起き出すとすぐに、井戸端で水を飲む。そして、いつものように剣の素振りをする。旅の剣士でいる以上、いつ何事があっても対応できるように、鍛錬は欠かさないのである。基本の型だけ六種類百本ずつ、左右の腕で振る。やや寝不足だが、それでも剣の鋭さには変わりはなかった。

 一休みして朝食をもらう。宿は一泊二食付きで銀貨一枚。これも値段に含まれている。食べながら、やはり昨日の二人を気に掛けていた。それで、いつもより食べるのが遅くなっていた。

 結局、居ても立っても居られず、朝食後は旅支度をして、そのまま二人の家へと向かっていた。朝早くて迷惑かも知れないが、何かしら役に立てることもあるだろうと思ったのだ。

 昨日の粗末な小屋を訪れ、ドアを叩く。しかし、中にいるはずのマリエルから何の反応もなかった。何度か叩いたが、結果は同じだった。

 しばらく待っても変化がないので、思い切って中に入ってみた。

 すると、マリエルが椅子に座って、呆然としている姿があった。サムトーの姿を見ても、何の反応もない。

「おはよう、マリエル。何かあったのか」

 問いかけても、返事どころか、視線すら向けてこない。

 マリエルの体を揺すって、繰り返し問いかける。

「どうした、何かあったのか」

「あ、サムトーさん。サムトーさん……」

 ようやく返事があった。だが、次の瞬間、マリエルの目から涙が流れ始めた。これはよほどのことがあったのだろう。そう言えば、マルセルは起きてこないのか。

 サムトーはマルセルの部屋へと入った。

 ベッドに仰向けで眠っている。いや、眠っているように見えるが、何かが違う。良く見てみると、息をしていない。動く気配もない。念のため脈も見たが、一切反応がなかった。生命が尽きていたのだった。

 じっと見ていると、昨日風呂に連れて行って、喜んでいた様子が思い出される。あの時、彼は確かに生きていた。しかし、今は命を失い、一つの物体としてしか存在していない。サムトー自身が、これまで命懸けで戦い、今も処刑されないように逃亡している身の上だけに、命の重みを知っているつもりだった。だが、実際に亡くなった姿を目の当たりにしてみると、重みが全く違う。失われた命は、もう戻ってこないのだ。

 昨日風呂に入れたことで病状が悪化したのだろうか。そんな風にも思ったが、サムトーは首を振った。それだけで命が尽きるのなら、病状はそれだけ悪化していたということだ。これが寿命だったのだろう。むしろ、よくここまで頑張って生きてきたものだと思うべきだった。

 しかし、マリエルが呆然とするのも無理はない。彼女にとって一番大切な人を、不意に失ってしまったのだ。悲しみを通り越して、何も考えられなくなってしまうのも当然だった。静かに涙を流しながら、ぎゅっと拳を握り締めて、座り込んでいた。

 サムトーにも慰めの言葉は出てこなかった。しかし、このまま放置はできない。まずはマリエルが動けるように、気持ちを引き上げてやることが必要だった。

「マリエル、こっちへおいで」

 サムトーがマリエルを立たせて、祖父の元へと連れてきた。

「良い表情だ。眠ったまま亡くなったんだろうな。苦しむこともなく、とても安らかに眠りにつけたんだな」

 涙を流しながら、マリエルがこくりとうなずく。悲しみに終わりが来ることはないのだろう。だが、それでも、マルセルを埋葬してあげなければならない。それにはマリエルが動くしかない。

「だから、最後までしっかり葬ってやらないといけないんだ。ずっとこのままにしたら、マルセルさんも可哀想だ。まずは、教会へ行って、埋葬の手続きをするぞ」

 マリエルは首を振った。そんなこと今は考えたくないのだろう。

「マリエル、頑張れ。止まっているわけにはいかないんだ。おじいちゃんのためにも、頑張って動いてくれ」

 そう言いながら、サムトーはゆっくりとマリエルの頭を撫でてやった。

 次第に気持ちが落ち着いてきたようで、しばらく待っていると、ようやくサムトーの顔に視線を向けてくれた。涙も止まり、ようやく自分が動くべきだということに気付いてくれた。

「おじいちゃんを、このままにはできないんですね」

「そうだ。辛くても、そうなんだ」

「教会ですね。そこで亡くなったことを話せばいいんですか」

「実のところ、俺にも何をどうするのかは分からないんだ。ただ、埋葬は教会でするわけだから、まずは行って相談してみるしかないだろう」

「分かりました。教会へ行きます」

 まだ十一才だ。十九才の自分でもどうするのか分からないのだから、不安と混乱とで恐らく頭が一杯になっているだろう。一人では何もできないに違いない。そんな娘を見捨てることは、サムトーにはできない。

「俺も一緒に行く。最後まで手伝わせてくれ」

「ありがとう、サムトーさん。じゃあ、行きましょう」

 悲しみを振り切って、マリエルが家を出る。サムトーは、そんな彼女を守るようにして、一緒に教会へと向かうのだった。


「亡くなられた方の埋葬ですか。葬儀はどうなされますか?」

 教会の神父に話したところ、返ってきた言葉がそれだった。

「普通、葬儀ってのはやるものなのか?」

「そうですね。生前、親族や親しかった人、近所の人を招いて、最後のお見送りに参加して頂くのです。もし、葬儀をやるのでしたら、町の葬儀屋と相談してもらうことになります。日時や場所を決めて参加者にお知らせして、葬儀を執り行うわけです」

 マリエルの表情が曇った。

「あの、うちは両親も祖母も家を出て行って、消息が分からないんです。亡くなった祖父の家族についても、生きてるのかどうかさえ分かりません。ご近所さんとも、特にお付き合いはなかったんです。葬儀の連絡をするような人に、心当たりがないんです」

「そうですか。なら、お見送りはあなた方お二人だけで、直接埋葬という形になりますね」

 そう言って、神父が段取りの説明を始めた。

 幸い、今は埋葬場所にも余裕があるので、すぐに埋葬が可能なこと。葬儀の仕事を請け負う店、つまり葬儀屋に連絡を取り、見送りが二人の簡易な葬儀での埋葬という形で、仕事を依頼すること。葬儀屋で、遺体を装束に着替えさせ、一晩安置してくれるはずだということ。葬儀は翌日九時、埋葬は十一時くらいになるだろうということ。墓は作らず、共同墓地に埋葬となること。葬儀代、埋葬代として、葬儀屋と教会に、それぞれ金貨三枚の支払いが必要だということ。この神父も死を悼んでいるはずだが、その説明はあまりに事務的だった。まあ、沈痛な言い方をされても、聞くのにうんざりするのも確かだ。神父もそうと承知でこのような話し方をしているのだろう。

 しかし、だ。

「金貨六枚か。凄い値段だな」

「これでも一番安いお値段なのですよ」

 本来なら、葬儀屋に金貨十枚、教会に五枚は支払うものなのだという。悲しみにくれている少女に、現実という名の冷や水を力一杯ぶっかけたような感じがした。

「金貨六枚……そんなお金、家にあったかな……」

 生活費の管理はマルセルがしていたので、マリエルには貯えがどの程度あるのか分からなかった。これは家に戻って、くまなく探すしかないだろう。

「では、私もご一緒しますので、葬儀屋へと参りましょう」

 神父がそう言って、二人に同行を促した。

 ここは任せるよりないので、二人で神父の後をついて行く。

 歩いて五分ほど、葬儀屋に着く。さすがにこの種の仕事を一緒に行うだけあって、近い場所にあった。

 葬儀屋でも、先程の話が繰り返された。店主もこの仕事に慣れていて、説明も簡潔で分かりやすかった。埋葬一式の作業をこの店に委ねる、埋葬場所は教会の共同墓地とする、という簡単な書面が作成され、それにマリエルがサインする。三通作成され、教会と葬儀屋、そしてマリエルが一通ずつ持つのである。

 そして、葬儀屋は店員を二人呼ぶと、マリエルの家に行って、遺体を引き取るように伝えた。店員はそれだけでやるべきことを承知しており、てきぱきと荷車と棺桶を用意した。

 マリエルが案内して、四人で家へと向かう。

 家に着くと、店員がまず一礼して、亡くなった者への哀悼の意を示した。職業柄、そういう礼儀も身に付けているようだった。

 マルセルの遺体の前でも同じように一礼すると、ベッドから丁寧な手つきで運び出した。家の前に止めた荷車戻り、上に乗せた棺桶に遺体を収めた。そっと蓋をして、マリエルとサムトーに再度一礼する。

「では、明日九時の鐘と共に葬儀を始めさせて頂きます。その時間に、教会までお越し下さい」

「分かりました」

 マリエルは、そう答えるのがやっとだった。この短い時間に、知らないことをいろいろ説明され、書類にサインし、そして祖父の遺体が引き取られるということが次々と起こったのだ。そして明日埋葬だという。頭では何となく分かっているのだが、気持ちがついてこなかったのだ。

 そうしてサムトーは、マリエルと二人、祖父の棺桶を運ぶ葬儀屋を、呆然と見送ったのだった。


 家の中に入ると、中には誰もいなかった。当たり前なのだが、マリエルには一人になったという実感がなかった。まだマルセルがベッドで眠っているような気がしていた。しかし、そこには誰もいない。

 時間はちょうど昼飯時だった。だが、マリエルには食欲がなかった。

「とにかく何か食べよう。そうだな、パンでも買いに行こう」

 昨日の残りのスープがあるので、それとパンでもあれば十分だろう。ついでに夕食、明日の朝食の食材も買い出そう。サムトーはちょっと強引に、マリエルを外に連れ出した。一緒に商店街へと向かう。

 考えてみれば、サムトーが今も一緒にいるのは不自然である。本来、旅の剣士で何の関りもないのである。だが、今のマリエルには、誰かが一緒にいてやることが必要だった。一人では、この大きな変化に耐えられるはずもなかった。マリエルは真剣に礼を言った。

「ありがとう、サムトーさん。一緒にいてくれて。一人だったら、私、何もできなかったから、すごく助かりました」

「最後まで一緒にいてやる。安心してくれ」

「はい。うれしいです」

 悲しさや心細さが、一旦なりをひそめている感じだった。とにかく動くことで、日常をこなそうとしている感じだった。

 パンを多めに、それから今晩と明日の朝食にシチューを作ろうと、その食材を買っていく。

 そして、家に帰ると、スープとパンで昼食を取った。

 食べ終えると、二人で家の中をあちこち漁った。金貨六枚の支払いがあるので、家の貯えを見つける必要があったのだ。いろいろ探した結果、マルセルの着替えが入った棚の引き出しの奥に隠してあるのが見つかった。金貨に換算して、全部でおよそ十五枚。マルセルが、マリエルを育てながら必死に働いて、貯えていったお金だった。マリエルがそれを自分の財布に大事にしまい込んだ。

 その後は時間が空いてしまった。公衆浴場に行くまで、特にするべきことはない。

 話すのも辛いだろうが、気分転換にと、サムトーがいろいろとマリエルの身の上について尋ねた。

「学舎には通ってたのかい?」

「はい。八才から十才まで、おじいちゃんが通わせてくれました。今考えてみると、その時の友達だったら、葬儀に出てくれたかもしれませんね。だけど、子供に葬儀に出てくれって頼むのも、何か変な気がしますから、これで良かったのかもしれませんね」

「勉強はどうだったんだ? 読み書き、計算はできるのかい?」

「はい。見習いに出ても、十分仕事ができるようになっていると、先生達に言って頂けましたから」

 両親も祖母も出て行って、祖父のマルセルと一緒に生活しながら、学舎で頑張って学んだのだろう。交友関係も築いて、さぞ学舎の生活を楽しんだことだろう。楽しい子供時代を送れたのは何よりだと思った。

「今は家の仕事の他に、何か仕事はしてるのかい?」

「実は、青果店で野菜を並べたり、雑貨屋で掃除をしたり、少しですが仕事もしているんです」

 マリエルが苦笑した。本来ならこの神聖帝国では、見習いとして働き出すのは十二才からという慣例があるからだ。それを破ることにはなるが、特に法に反するわけではない。雇った側も家の事情は知っていて、面倒を見てくれたのである。マリエルはそこで簡単な手伝いをして、わずかな給金を稼いでいたのだった。

「そうか。苦労してきたんだな、ずっと。偉いな、マリエルは」

「ありがとうございます。あ、そうだ、お茶一つ淹れてなくてすみません。今ご用意しますね」

 少しは気も晴れたのだろうか。やかんに湯を沸かし、ティーポットに茶葉を入れて湯を注ぐ。しばらくして、二杯の紅茶が出てきた。

「安物の茶葉ですみませんが、どうぞ」

「ああ、ありがとう。いただくよ」

 確かに香りも味も貧相なお茶だった。それでもマリエルの心遣いが感じられて、十分においしく感じられた。

「うん、おいしいよ。淹れ方が上手なんだね」

 サムトーがそう言って褒める。マリエルがほっとしたように軽く笑みを浮かべた。

 さて、いつまでも本題から逸れているわけにもいかない。サムトーはここで、表情を改め、真剣な顔になった。

「なあ、マリエル、これからのことなんだけど、一人でこの家で暮らすのは止めた方がいい」

 突然の変化と言葉に、マリエルが戸惑い、驚く。

「え、それは、どうしてなんですか」

「ここが女の子の一人暮らしだと、もし悪い奴が知ったら、間違いなくマリエルは襲われる。そうだな、さらわれて奴隷商に売り飛ばされる可能性が高いな。残念ながら、世の中にはそういう悪党もいるんだよ」

 むしろ、マルセルがいたとは言え、二人暮らしでよく無事だったものだ。悪事に手を染めるような輩に知られなかったのは幸いだった。マルセル亡き今、この家を出て、どこか安全な場所に身を寄せるべきだろうと、サムトーは思っていた。

「私が一人で暮らすのは、そんなに危険なんですか」

「ああ。何かあった時、誰かがすぐに助けてくれるならともかく、よその家から離れたこんな場所で一人きりなのは、悪い奴にとっては、襲って下さいと言ってるようなものだ。絶対に止めた方がいい」

 マリエルの表情が暗くなった。思い出深いこの家を、去らなければならないことが辛いのだ。

「じゃあ、もし、サムトーさんが悪党だったら、私はもう……」

 今度はサムトーが苦笑する番だった。

「そうだな。間違いなく、マリエルをさらって、どこか都会の奴隷商にでも売り払うところだな」

「そう、ですか。なら、私、どうすればいいんでしょう」

 まだ十一才だ。身を寄せると言っても、心当たりのあろうはずがない。その点、サムトーにも妙案があるわけでもなかった。

「とりあえず、この町の養護施設を訪ねてみよう」

 神聖帝国では、身寄りのない子供を引き取って、見習いとして働き出す十二才まで養育する施設があった。帝国が、将来の労働力を育成、確保する目的で、施設の運営費を支出している。福祉の考え方のない時代だが、養護施設の存在は先進的であると言えた。

「養護施設に引き取られれば、とりあえず働き出すまで面倒は見てくれる。それ以外だと、もう仕事をしているって話だったから、どこか住み込みで働かせてくれる場所を探すのも手だな」

 マリエルが少し安堵した。全く行き場がないというわけでもなさそうだと思えたからだ。それにしても、昨日知り合ったばかりのこの旅の剣士は、どうしてこんなに面倒を見てくれるんだろう。

「どうしてこんなに親切にしてくれるんですか」

「苦労してる人を見ると、放っておけない性分でね。まして、まだ十一才の女の子が一人きりになっちまったのなんか、面倒見るしかないだろ」

 言い方はぶっきらぼうだったが、マリエルにはサムトーの優しさが十分に伝わっていた。この性分も、奴隷剣闘士だった頃には、生き延びるのに必死で表に出ることはなかった。命を救ってくれた猟師達と、広い心で仲間として受け入れてくれた旅芸人達に、人の心を教わったおかげである。人に親切な部分は生来のものだった。一人旅の中でいろいろな人達と出会ううちに、猟師達や旅芸人達に恩を返すのと同じように、見知らぬ人でも助けたくなる性分になっていた。

 ちょっと言い方が冷たかったかと、サムトーが補足した。

「猟師の村で暮らしていたこともあってね。そこは人が少ないから、村の仲間全員で協力して仕事するんだ。あと、旅芸人の一座にもいてね。同じように、仲間と協力し合って旅を続けるんだ。そういうところ過ごしたから、助け合うのは当たり前っていうのが身に付いたんだよ」

「そうなんですね。だから困ってる私を助けてくれるんですね」

 マリエルにも、助けるのが当然という考えは理解できる。自分を雇ってくれている青果店や雑貨店の店主も、これと似た考えで働かせてくれているのだろう。ありがたいことだと、しみじみ思った。

 そこで、サムトーは思い出したことを口に出した。

「そうだ、悪いんだけど、しばらくこの家に泊めてくれないか」

 一番肝心なことを言い忘れていた。一人にしておくと心配だからということなのだが、良く知らない相手を泊めるなど、普通はあり得ない。無茶を承知での頼みだった。

「剣に誓って悪いことはしない。できる限り力にもなる。どうだろう、泊めてくれるかな」

 マリエルからすれば、祖父を失い、頼れる者はこの旅の剣士だけである。自分一人では、この先どうすればいいのかも分からない。それに、昨日祖父を風呂に入れてくれて、葬儀の手配までしてくれた。今もこうやって助けてくれている。知り合って二日だが、本当に親切な人物だと思っていた。

「私の方こそ、ずっと頼りっぱなしですみません。でも、サムトーさんがいないと、私一人ではどうしようもなかったです。それに、これからのこともあるので、助けてもらえると助かります。ですから、私の方からお願いします。どうか泊っていって下さい。食事くらいは作りますので」

「ありがとう。そう言ってもらえると助かる。しばらくよろしく頼むな」

 そう言うと、サムトーは右手を差し出した。マリエルがそれに応じて、二人は固く握手を交わした。思ったよりごつくて、頼りになる手だと、マリエルは感じていた。

「こちらこそ、ありがとうございます、サムトーさん」

 それからしばらくの間、二人は言葉もなく、静かにお茶を飲んでいた。そろそろ日も傾いてくる頃合いだった。

「それじゃあ、ちょっと早いけど、風呂にでも行ってのんびりしようか」

 サムトーが提案し、二人は公衆浴場へ向かった。

 サムトーがマリエルの分の代金を支払い、それぞれの湯に入る。

 さすがのサムトーも先行き不安だった。一つ一つ、問題を解決していくしかないことは分かっているが、見通しがもてない。湯に浸かりながら、まあ何とかしようとだけは思っていた。

 マリエルはのんびりできているだろうか。考える時間ができると、不安がぶり返してしまうかもしれない。湯に浸かって、少しでも不安が和らぐといいと願うばかりだった。

 ゆっくり浸かって風呂を出る。マリエルは先に出ていて、時間を持て余したようにしてサムトーを待っていた。

「ごめんな、遅くなって」

「いいんです。戻ったら、夕食の支度しますね」

「ありがとう。さすがの俺も、調理の類は苦手なんだ」

「簡単なシチューだけですけど、頑張って作りますね」

 昨日まで他人だった二人が帰り道を行く。亡くなったマルセルを見送るのはこの二人だけだ。一時的だが、疑似的な家族になったのだった。


 夕食を食べ、片付けが済むと、特にすることもなくなってしまった。サムトーには、猟師達や旅芸人達と過ごした日々のことや、一人旅で起こったいろいろな出来事についてなど、話の種がいくらでもある。しかし、目の前にいるマリエルにしてみれば、祖父が亡くなったばかりで、そんな話は聞きたくないのではと思い、無理に話をする気にはとてもなれなかった。

「そうだ、寝る場所なんだけど、俺は床で寝るから。毛布だけ貸してくれないかな」

 こういう生活に関することなら、きちんと相談が必要だろう。そこでサムトーが提案したのだが、マリエルは慌てて手を振った。

「そんな、私の面倒を見てくれてるサムトーさんを、床で寝かせるなんてひどいこと、絶対にできません」

「かと言って、さすがにマルセルさんのベッドを借りるのもなあ。亡くなった人に申し訳ない気がするし」

 神聖帝国でも、縁起を担ぐという風習は少しだが見られる。しかし、亡くなった人の持ち物を家族が使うことに関して、縁起が悪いと考える風習はなかった。だから、サムトーが言うのは、何となく気が引ける程度の考えに過ぎない。しかし、マリエルも似たような考えをもっていた。

「そうですよね。おじいちゃんがいなくなって、すぐにベッド使うのも気が引けますよね。……でしたら、狭いですけど、私のベッドで一緒に寝ませんか? 一人だと心細いので、サムトーさんさえ良ければ、その方がありがたいです」

「いやいや、さすがに狭くて寝づらいだろ。明日もあるんだし、マリエルもしっかり寝ておかないと」

「それはサムトーさんも一緒です。床は冷えますし、二人で温まれば、むしろ寝やすいのでは?」

 サムトーは、以前旅で一緒になった女の子のことを思い出していた。女性としての配慮をして、着替えや洗濯にも気を遣ったものだ。ところが、マリエルはそういう発想がそもそもないらしい。遠慮し過ぎても悲しい気持ちにさせてしまうだろうし、ここは同意する方が良さそうだった。

「分かった。じゃあ、お言葉に甘えることにするよ」

「はい。ぜひお願いします」

 そう言うと、マリエルがにこりと笑った。祖父を亡くしたばかりだが、その悲しみは多少薄れてたのだろう。少しでも元気があるなら良い事だと、サムトーは思った。

 しかし、それは思い違いだった。

 しばらく話などをして時間を潰した後、それぞれ夜着に着替えて、二人でベッドに入った。思ったほどには狭くないが、互いの体温が感じられ、何となくくすぐったい感じがする。しかし、家族になったみたいで悪くない。

 そこで、マリエルはぽつりぽつりと、心の内を話したのである。やはり、平常心ではいられない苦しさを抱えていた。

「本当におじいちゃん、もういないんですよね。今も、部屋のベッドで寝てるんじゃないかって、そんな気がするんです。明日になれば、一緒にご飯を食べるんじゃないかって。そんなわけ、あるはずないのに。夢じゃなくて、現実なんだって、分かっているんですけど、納得できてないんです。それから、自分が悲しい気持ちのはずなのに、今は涙も出ません。おじいちゃんには申し訳ないんですけどね」

「いいんだ。マリエルはよく頑張ってるよ。だから、明日も頑張って見送ってあげような。俺も一緒に見送るから」

「はい。ありがとうございます」

 サムトーは、マリエルが深く傷ついていることを知っていたはずだった。だが、やはりこれは本人でなければ分からないことなのだ。ならばせめて、少しでも助けになろうと、改めて強く思うのだった。


 翌朝。サムトーは日課の素振りを止めた。さすがに亡くなった人を見送る日に不謹慎だと思ったのである。

 マリエルより先に起き出し、水を一杯飲む。冬も近づき、朝は結構冷えるようになっていた。体を動かしたいところだが、我慢して部屋に戻る。

 マリエルは中々起きてこなかった。不意に祖父を失い、辛い心のまま一日過ごしたことで疲れていたのだろう。それでも寝顔は安らかで、熟睡できているのが分かる。今日も疲れるだろうから、眠れて良かったと思った。

 どれくらい待っただろうか。かなり時間が過ぎてから、マリエルが起き出した。少し寝ぼけていたが、サムトーの顔を見てはっとした。

「おはようございます。ごめんなさい、寝坊しちゃって」

 今日何があるのか、はっきり分かっている顔だった。悲しく、そして心細いことだろう。だが、そんな素振りは見せず、頑張って普通に振る舞っていた。健気なことだと思う。

「まず、顔を洗っておいで」

「はい。すぐに朝食の支度をしますね」

 マリエルは、井戸端へ行って顔を洗い、水も少し飲む。それから昨日の残りのシチューを温め、パンを切って皿に並べた。

「いただきます」

 質素だが、量は十分だった。味もそれなりにおいしい。頑張って作っただけのことはあった。

 ちょうどそこで八時の鐘が鳴った。あと一時間で葬儀になる。そろそろ支度をする時間だった。

 朝食を終えて、食器類を片付ける。そして、何を用意するのか分からず、二人とも困ってしまった。神聖帝国でも、葬送の際に着る礼服、いわゆる喪服を着用するのが礼儀である。しかし、二人共そんな服は持っていない。

「仕方ないさ。普段着で行こう」

 サムトーは、剣や着替えなどの荷物を家に置かせてもらい、いつもの服を着て、財布などの入ったポーチを腰に下げた。マリエルも、普段着に肩掛けの鞄を下げ、財布もしっかりと入れた。金貨の支払いがあることを、しっかりと覚えていたのだ。念のため水筒も持参する。

 最後に花束を用意した。庭に生えている花を束ねて紙で包み、ひもで縛って作った。せめて花くらいは手向けたいと、マリエル思いを込めて作った物だ。これが今できる精一杯であった。

 支度が整ったところで、教会へと出発した。徒歩で二十分ほどかかる。少し遠いが、九時の鐘よりは前に到着することができた。

「マルセルさんの身内の方ですね。こちらへ」

 葬儀屋の人に、敷地から離れた場所の建物に案内された。中は広めで、大勢の客が見送りできるようになっているようだった。その部屋の隅に、棺桶が一つ、腰くらいの高さの台車の上に置かれていた。

 棺桶の蓋が開かれた。中では、マルセルが腕を胸の前で組んだ姿で寝かされていた。葬儀屋が、いわゆる白装束に着替えさせてくれていた。天に召されるご遺体の身を清めたと、葬儀屋の人が説明してくれた。

「どうぞ、最後のお別れを」

 促されて、マリエルがそっと手を伸ばし、祖父に触れた。サムトーも同様に、マルセルの手に触れた。分かってはいても、今にも動きだしそうな錯覚を覚えてしまう。もちろん、そんなことはなく、どんなに触れても、ただの遺体として沈黙したままである。

 やがて、棺桶の蓋が閉じられた。

「お花をどうぞ」

 言われて、手向けの花を棺の上に乗せた。そこへ、教会の人が一人やってきた。遺体を火葬する役目を、専門で行っている人物だった。神聖帝国では、埋葬する土地の問題と衛生面から、火葬を原則としている。どの町でも、時刻を告げる鐘と同じように、遺体の火葬や埋葬も教会が担っていた。

 葬儀屋の人が一礼して、事務的な口調で説明を加えた。

「これより、火葬を行います。高温の炉で焼きますが、時間がかかりますので、その間、あちらの部屋でお待ち下さい」

 二人はうなずき、案内された別室へと移動した。その部屋も、本来は見送りの人が何十人か入れる広さがあった。だが、ここにいるのは二人きりである。寂しい見送りではあるが、仕方のないことだった。

 葬儀屋の人が立ち去ると、マリエルが暗い表情で椅子に座り込んだ。必要なこととは言え、祖父の遺体を焼かれるのは、さすがに辛いのだった。

 サムトーも掛ける言葉を失い、その近くに座った。

 二人で無言のまま、時が過ぎるのを待つ。

 部屋の外はよく手入れされた庭だった。常緑樹を主とした、草木の緑が目に優しい。傷心の遺族が、少しでも心休まるようにと、配慮されているようだった。

 途中、サムトーが一言だけ声を掛けた。

「マリエル、無理しなくていいからな。俺もいるから」

 マリエルは、沈んだ心のまま答えた。

「大丈夫です。最後まで頑張ります」

 無理して言っているのは良く分かった。それでもサムトーは、それ以上何も言わず、ただ静かに時を待つことにした。

 一時間以上は過ぎただろうか。ようやく葬儀屋の人が戻ってきた。

「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」

 そこで再び、先程の広間へと案内された。同じ台車の上に、鉄板が一枚乗せてあり、その上には白い塊がバラバラになって散らばっていた。本当に遺骨になってしまったのだと、サムトーもマリエルも思ったが、言葉には出さなかった。

「では、遺骨をこちらの壺に収めて頂きます」

 教会の火葬担当の人に言われ、二人で少しずつ遺骨を壺に入れていく。慣れない作業だし、元はマルセルだった骨だと思うと、体がうまく言うことを聞いてくれない。時には手が震える始末だった。

 いくつかを壺に収めたところで、火葬担当の人が役割を代わってくれた。手慣れた手つきで、次々と遺骨を壺に収めていく。最後は小さなほうきとちりとりで、欠片一つ余さずに壺に収めた。そして、壺に蓋をする。

「それでは埋葬となります。こちらへお越し下さい」

 葬儀屋が次の場所へと案内する。火葬担当の人の役割は、ここまでのようだった。サムトーとマリエルに深々と一礼して、この場を立ち去った。

 二人は、教会裏にある共同墓地に案内された。

 そこには神父と筋骨たくましい男が二人、控えていた。石造りの扉を開閉するために呼ばれた人足で、遺骨が到着したところで、共同墓地の納骨堂の扉を、力一杯に引いて開いた。

「天の神よ、善良なるマルセルの御霊を、どうか導かれますよう」

 そう言って、いくつかの祈りの言葉を捧げた。そして、サムトーとマルセルの二人に、遺骨の壺を運ぶよう指示した。

 ここは遺族であるマリエルが行うべきだろう。サムトーは、軽くマリエルの肩を叩くと、それで通じたらしい。マリエルが進み出ると、壺を持ち上げて、納骨堂の中へと運んでいった。そして、神父の指示で、誰かの骨壺の隣の空いている場所へと壺を置いた。

 そして二人が納骨堂を出ると、人足が重い扉を閉じた。人足の仕事はそれで終わりらしい。一礼して、立ち去って行った。

「以上で埋葬は終了となります。では、教会の中で手続きを行いますので、どうぞこちらへ」

 神父に促され、葬儀屋共々教会の中へと向かう。

 ソファーのある一室に案内され、中で代価の支払いを求められた。マリエルが財布を取り出し、葬儀屋と神父にそれぞれ金貨三枚を支払った。それと引き換えに、葬儀屋からは葬儀実施証明を、神父からは埋葬証明書をそれぞれもらった。

「今日はご苦労様でした。埋葬されたマルセルさんの御霊が、どうか安らかに天に召されますことを」

 神父がそう言って、もう一つ追加で教えてくれた。

「町の役場へ行って、この二つの証明書を見せ、住民登録を消す手続きをしておかれると良いでしょう」

 住民登録は必須ではない。しかし、帝国の住民として、破産した場合の援助金を受ける際など、法的な保護を受けるためには必要な手続きだった。さらに、警備隊や自警団が、住民を保護するための情報として役立つ。また、商売や仕事などを行う場合、住民の証明がないとできないことも多い。結局は登録するのがほぼ必須であった。

「分かりました。今日はありがとうございました」

 マリエルとサムトーは、立ち上がると、神父と葬儀屋にそれぞれ深々と頭を下げた。向こうからも礼が返ってきた。

「では、お気を付けてお帰り下さい」

 その言葉に送られて、マリエルとサムトーは教会から立ち去った。

 これで葬儀と埋葬の全てが終わったことになる。終わってみると、あっけないくらいに感じる。しかし、本当にマルセルを見送って、お別れをしたのだと強く実感し、言葉にできない空虚な気分になったのであった。


 その後、役場に立ち寄り、マルセルの住民登録の抹消手続きをした。二通の証明書を見せ、一通の届け出を書くだけだったので、大した手間はかからなかった。

 それを終えた頃には、そろそろ昼食時となっていた。商店街に戻り、何か食べようと店を物色する。しかし、サムトーもマリエルもあまり食欲が湧かなかった。それでも、まだすべきことが残っている。少しでも食べておこうと、パスタの店に入った。二人とも盛りを少な目にして、銅貨八枚。

 食べながら今後のことを相談する。

「昨日も話したことだけど、あの家に一人で住むのは危険だ。だから、まずは、孤児になった子供を養ってくれる養護施設を当たってみようと思うんだけど、どうだろう」

 サムトー自身も、そうした養護施設の出身である。幼い頃の記憶しかないが、身をもって知っている施設なので、勧めるのに抵抗はない。

「昨日も言ってましたね。やはり、それが一番いいんですか?」

「俺が知る範囲ではそうだな。見習いとして働けるまで面倒見てくれるし、住み込みで働ける場所も見つけてくれるしな」

「なるほど。でなければ、今の時点で、住み込みで働かせてくれる場所を探すか、ですね」

「そうなるな。後は、親切な人に、養子にしてもらうというのもあるけど、これは期待薄かな」

 会話の合間合間でパスタを口に運ぶ。食欲は感じられなくても、体は食物を欲していて、二人共少しずつだが、しっかりと食べていた。

「分かりました。サムトーさんの提案に従おうと思います」

 マリエルはすぐに決断した。自分一人では、何をどうして良いかも分からない以上、頼りになるこの青年に委ねるしかなかったのだ。

「賛成してくれてありがとう。じゃあ、後は、それを今日から始めるか、明日からにするかだな。葬儀ってのが、こんなに気が疲れるものだとは知らなかったからな。今日は無理せず、休むのもいいと思うんだ」

 パスタを咀嚼し、飲み込む間、マリエルが考えに沈んだ。それもしばらくのことで、すぐに決断した。

「今日から始めたいです。止まってる方が辛くなりそうなので」

 サムトーは、ああ、そうかと思った。祖父を埋葬したマリエルは、想像よりも辛い気持ちで一杯なのだ。動いてる方が気が楽なのだろう。

「分かった。じゃあ、これを食べたら、早速行ってみようか」

「はい。お願いします」

 マリエルが深々と頭を下げた。

「本当は、サムトーさんには関係のない事なのに、葬儀の面倒を見てくれたばかりか、私の将来の事まで考えてくれて、本当に助かります。サムトーさんがいてくれて良かったです。ありがとうございます」

 サムトーが真剣に答えた。

「なに、ここまで来たら、もう家族も同然だ。一緒に風呂行って、飯も食って、一緒のベッドで寝た仲だしな。繰り返すけど、最後まで面倒見るよ」

 そして最後の一口を放り込む。もぐもぐと噛んで飲み込むと、水を飲んで一息ついた。

「マリエルも頑張って食べような。午後も歩き回ることになりそうだし」

「はい。頑張ります」

 金髪の少女が、安堵の表情を浮かべてそう答えた。


 昼食を終えると、二人は早速養護施設を訪れた。市街地から少し離れた場所にあり、建物も、普通の二階建ての家の三軒分くらいはあるだろう。案外と大きい。園庭もあって、花壇も整備されていた。

 入り口を入るとすぐのところに窓口があり、その奥には職員が仕事したり待機したりする部屋が見えた。窓口で声を掛けると、職員の一人が返事をしてやって来てくれた。

「何か御用ですか」

 ここは年上のサムトーが説明すべきだろう。マリエルにうなずいてみせると、職員に話し始めた。

「この女の子の祖父が昨日亡くなったんです。この子は祖父と二人暮らしをしていて、他に身内の者がいないんです。この施設にこの子を引き取ってもらうことは可能ですか?」

「そうですか。お悔やみ申し上げます。ところで、その子とはどんなご関係なのですか」

「通りすがりの旅の剣士です。縁があって、この子の祖父、マルセルさんと仲良くなった者です」

 職員が怪訝そうな顔をした。本来なら役場の職員の仕事のはずだからだ。しかし、些末にこだわらず、話を続けた。

「そうですか。それで葬儀はもうお済みになりましたか」

「はい。今日の午前中に執り行いました」

 マリエルが二通の証明書を取り出して見せた。こんなところでも、祖父が亡くなった証明が役に立つのかと、少し感心していた。

「分かりました。ですが、今、この施設は定数満杯なので……。ちょっと施設長に聞いてみます」

 そう言うと、その職員は奥へと戻っていった。

 しばらく待たされた後、廊下から初老の女性が、先程の職員と一緒にやってきた。

「施設長のミランダです。この度はお悔やみを申し上げます。それで、お尋ねの件なのですが、先程この者が申した通り、現在定数一杯に子供を養っている状態なのです。もちろん、無理すれば引き取ることも可能ですが、やはり他の子供達の養育面などに良くないのも事実です。そちらのお子さんもそろそろ十二才でしょう。少し早いですが、見習いとして働き出されてはいかがでしょうか」

 サムトーにも施設時代の記憶はある。確かに、子供の養育という仕事はかなり大変そうだったなと覚えている。

「マリエルはどうしたい?」

 ここは一人で判断せず、当人の意見を聞くべきだろう。サムトーはそう思い、声を掛けた。マリエルは少し落胆の色を表情に出していたが、無理を通すつもりはなかった。

「そうですか。分かりました。どこか働かせてくれる所を探してみます」

「本当にごめんなさいね。頑張って良い働き口を見つけて下さいね」

 施設長の言葉にうなずくと、マリエルはサムトーの手を握った。

「分かりました。お手数をお掛けしました。では、失礼します」

 サムトーとマリエルは一礼して、施設を立ち去った。施設の二人は、申し訳なさそうに礼を返してきた。本当に心苦しかったのだろう。

 続いて二人は、マリエルが働かせてもらっている青果店と雑貨店へと足を運んだ。住み込みで働かせてもらえないかという話をするためである。

 しかし、二店共、手伝いで小遣い稼ぎをする程度ならまだしも、正式に住み込みで雇う余裕はないという返事だった。どこか他の店で、人を雇ってくれそうな所はないか聞いてみたが、色良い返事はなかった。それほど大都会でもないので、店の数も多くはなく、働き手も十分足りているという話だった。確かに商店街のどの店も、人手は間に合っているように見えた。

 仕方なく、二人は公園で一休みすることにした。サムトーが小さめのパンを二つ買ってきて、公園の長椅子に二人で腰掛け、それをかじった。

「なかなかうまくいかないものですね」

 マリエルがそうこぼした。さすがに、住み込みさせてもらえる場所など、そうすぐに見つかるはずもない。しかし、祖父を失い天涯孤独の身となったマリエルにしてみれば、今まで住んでいた家で一人暮らしは危険だと言われ、思い出の家を捨てる決断までしているのだ。一刻も早く落ち着ける場所を見つけたいという気持ちは強かった。

「そうだなあ。でもまあ、何日かかけて見つければいいさ」

 とは言ったものの、サムトーの慰めの言葉も空振り気味だった。


 のんびり公園で休憩していると、そこへ中年の紳士がやってきた。他の通行人には目もくれず、真っ直ぐにこちらへと近づいてくる。

「マリエル、あの人知ってるか」

「いえ、誰でしょう。私なんかに、何か用なのでしょうか」

 その紳士は目の前まで来ると、礼儀正しく挨拶をしてきた。

「初めまして。私はダニエルと申しまして、交易商を営んでおります。そちらの金髪のお嬢さんには見覚えがあるのですが、名前は何とおっしゃるのですか?」

「マリエルです。町外れで祖父と暮らしていました」

 マリエルが名乗ると、ダニエルが喜色を浮かべて、顔見知りだったことを告げてきた。

「そうでしたか。あなたはあのマルセルさんのお孫さんでしたか。私は、マルセルさんとは面識がありまして、以前、仕事をお世話させて頂いたこともございます」

 親切そうな紳士だった。マリエルも警戒心を解き、丁寧に名乗った。

「そうでしたか。存じ上げなくて申し訳ありません。確かに私は、マルセルの孫のマリエルと申します。どうぞよろしく」

「そちらの方は?」

「俺は旅の剣士サムトーと申します。どうぞよろしく」

 こんな旅の剣士が、なぜこの少女と一緒なのか、ダニエルは少し不思議に思ったようだったが、構わず話を続けた。

「通りすがりにお見かけしたところ、何かお困りの様子ですね。良ければ話してみてはくれませんか」

 マリエルが困ったようにサムトーを見た。この紳士より頼りにされたということだ。サムトーも悪い気はしない。しかし、本当の事はいずれ知れ渡るものだ。話しても構わないだろうと、うなずき返した。

「実は、昨日祖父のマルセルが亡くなったんです。今日の午前中、葬儀を済ませました。私一人で今の家に住み続けるのは危険だということで、養護施設に相談したのですが、引き取る余裕はないということでした。そこで、今はどこか住み込みで働ける場所を探していたところなんです」

 紳士が口元に笑みを浮かべた。サムトーは一瞬奇妙に思ったが、何も言わず黙っていた。

 笑みを浮かべたまま、ダニエルがそれならばと、言葉を続けた。

「それでしたら、私の家で仕事するのはいかがですか。使用人が一人増えるくらい、問題ありません。人手は多い方がいいですからな。マリエルさんさえ良ければ、今日からでも構いませんよ」

 渡りに船の申し出だった。マリエルが安心したように表情を緩めた。

「そうなんですか。すごく助かります。ただ、私もまだ十一才、きちんと仕事ができる自信はありません。とりあえず、今日仕事の様子を見させて頂いて、大丈夫そうならお願いするということでどうでしょうか」

「ええ。構いませんよ。では、我が家までご案内致しましょう」

 そう言うと、ダニエルは二人を促し、屋敷へと案内した。

 歩くこと十数分、目的地に着くと、さすがは交易商、町の北側にある大邸宅が彼の自宅だった。二階建てだが広く立派な屋敷に、同じく広く整備された庭があった。敷地は柵で囲まれ、立派な門扉が構えられていた。

 邸宅の中も立派な作りで、見事な装飾品が所々に飾られている。相当裕福な人物のようだった。

「こちらが私の自宅になります。それでは、他の使用人と顔合わせいたしましょう。ハリスン、使用人達を呼んでくれないか」

「はい。かしこまりました」

 使用人の頭なのだろう。初老の男性が一礼し、屋敷の奥へと向かった。

「呼びに行っている間、少し家の中をご案内しましょう」

 ダニエルに連れられて、サムトーとマリエルは屋敷の中を巡った。部屋の数も多く、食堂まで見事な広さだった。意外なことに、彼には正妻や子供がいなかった。彼の父母や兄弟姉妹も別の町で暮らしており、この家には家族がいないという話だった。なので、部屋の数は多くても、ほとんどが空き部屋である。使用人達は、自宅から通っている者数名の他は、別棟で生活しているとのことだった。

 一通り見て回ったところで、玄関すぐのロビーに戻ってきた。使用人達も一同揃って並んでいる。全部で十二名。うち二人は、マリエルと年の頃が近い、十二、三才くらいの少女だった。

「集まってもらってすまない。こちらはマリエルさん、当家で働くことを希望されているそうだ。今日一日、みなの仕事ぶりを見て決めるとのことなので、みなにはいつも通り、しっかり働いてもらいたい。よろしいかな」

 ダニエルがそう紹介すると、使用人達は奇妙な視線を交わし合った。しかし、それもすぐのことで、顔を正面に向け直し、わかりましたと、はっきりした返事をした。

「では、ハリスン、マリエル嬢に仕事ぶりを見せてやってくれ。私は書斎で軽く仕事をするから」

「かしこまりました。ではマリエルさん、こちらへ」

 案内を受けて、サムトーとマリエルはあちこちの仕事を見せてもらった。庭の手入れ、各所の掃除、厨房での仕込み、風呂の支度、使用人棟での雑用など、みなしっかりと働いていた。仕事の内容は特に難しいことはなく、単純な雑用ばかりであった。これならば、自分でも十分にできるようになれるだろうと、マリエルは安心していた。

 気が付けば、日も暮れかけて夕方となっていた。

 ダニエルの好意で、この日はサムトー共々、風呂まで使わせてもらい、食事もダニエルと一緒に取らせてもらった。

「どうかね。この家で、仕事できそうかね」

 ダニエルの問いに、マリエルははっきりと、はいと答えた。

「そうか。ならば明日から、我が家で働くということでいいのかな」

「いえ、まだ家の整理がついてないんです。それが終わってからでもよろしいでしょうか」

 すぐに働いてもらえると思ったのか、ダニエルは表情に軽く落胆の色を浮かべた。だが、すぐに切り替えて、親切に提案してくれた。

「ああ、構わない。だが、せっかくだ。今晩は泊っていくといい。そちらの剣士さんも一緒にどうかな」

「いえ、食事まで頂いた上に、そこまで図々しくはなれません。今日のところは帰ろうかと思います」

「まあまあ、帰るのはいつでもできるだろう。我が家も久々に客を迎えて、みなはりきっているところだ。この料理を見ればわかるだろう。ぜひ泊っていって頂きたいのだが」

 本当に親切心から言っているようだった。そこまで勧められるとさすがに断り辛い。

「分かりました。では、今晩、お言葉に甘えさせていただきます」

 そうして、二人はダニエルの邸宅で一泊することになった。


 部屋はマリエルの希望で、二人一緒にしてもらった。まだ祖父を失ったばかりで、マリエルが一人きりになるのを怖がったためである。

「ダニエルさんが親切な人で良かったです。ここなら住み込みで働かせてもらえそうですし」

 マリエルは安堵した表情でそう言った。確かに、申し分のない条件だとサムトーも思う。しかし、なぜダニエルは、マリエルのことを知っていたのだろうか。何か引っかかるものを感じていた。

 夜も更けた頃、ドアがノックされた。サムトーが出ると、使用人の頭のハリスンが立っていた。

「ダニエル様が、マリエルさんをお呼びするようにと言われまして。申し訳ありませんが、お一人で私めとご一緒して頂けますか」

 こんな時間にどうしたんだろうとは思ったが、風呂だ食事だと好意を受けていたので、マリエルもその要望に応えることにした。

「分かりました。ご一緒すればいいんですね」

 マリエルは、何の疑念ももたずにハリスンについて行った。

 それと入れ替わりに、筋骨逞しい男の使用人が部屋に入ってきた。確か、馬の世話や庭の手入れなど、力仕事を担当している使用人だったはずだ。

「確かサムトーさんでしたな。旦那様のご指示で、あなたを適当に痛めつけて、放り出せと言われまして。あなたに恨みはありませんが、どうかご容赦下さい」

 サムトーがニヤリと笑った。まさか、こんなに早く、自分の方から尻尾を出すとは思わなかったのだ。事情を知るのに、手っ取り早い相手が来てくれたことを、ありがたいと感じたほどだった。

「へえ、俺を痛めつけるって、どうやってやるんだい?」

「それは、こうです」

 男が、両手を上げて真っ直ぐ突っ込んできた。捕まえて力ずくで腕をねじり上げようとしているのが分かる。サムトーはその腕をさっと避けると、離れ際に男の顎に拳を打ち込んだ。男の脳が急に揺さぶられ、体に力が入らなくなった。そこをすかさず、後ろ手を取ってねじり上げた。

「いてててて、い、痛い」

 本来荒事には向かない男なのだろう。簡単に悲鳴を上げていた。

「さて、どういうことか話してもらおうか」

 サムトーが淡々と聞く。その口調には静かな怒りが込められていた。一方的に負かされ、恐怖心をそそられた男は、あっさりと口を割った。

「そ、その、ダニエル様には、少し変わったご趣味がおありなのです。十才を過ぎたくらいの少女を可愛がられるのがお好きなのです。金髪のマリエルさんは、ダニエル様のお好みにとても合っているようでして。ですから、この機会に可愛がられようと、お呼びになったのです。それで私に、邪魔なあなたを放り出せと命じられたわけなのです」

「分かった。ありがとな」

 そう言うと、男の首筋を強打し、気絶させた。

 どうやらマリエルの貞操の危機らしい。あんなに紳士的な人物が、よりにもよって困った趣味をもっていたものだ。

 サムトーは急ぎ部屋を出ると、ハリスンの姿を探した。今日案内された部屋を巡ったが、どこにも見当たらない。隅々まで気配を探って、階段の下にある壁に、隠し扉を見つけた。

 恐らくはここだろうと、サムトーはその中へと進んでいった。


 一方、マリエルはハリスンに連れられて、地下の一室に来ていた。

 やけに大きく高価そうなベッドが部屋の中央に据え付けられていた。ベッドの上では、ダニエルが全裸で一人酒を飲んでいた。

「やあ、来てくれてありがとう。今晩は一緒に楽しもう」

 その言葉に続いて、ハリスンが静かに部屋の外に出た。同時に物陰から二人の少女が現れた。昼間見かけた使用人の少女らしい。二人も衣服を着ておらず、生まれたままの姿のままだった。

「さあ、マリエルも服を脱ぐといい」

 突然、そんなことを言われて、マリエルは戸惑った。一体、何が起ころうとしているのだろうか。怪訝に思いながら後ずさり、扉を開こうとした。しかし、ハリスンが鍵を掛けたのだろう。扉は全く動こうとしなかった。

「大丈夫だよ。怖がらなくてもいい。私は優しいからね。見本を見せてあげるよ。ソニア、こっちへおいで」

 銀髪の十三才の少女がベッドに上がった。ダニエルの近くに寄り添い、そこに座り込んだ。

「こんな風に、優しく撫でてあげるだけさ」

 そう言って、少女の体をダニエルが撫で回した。少女は目をつぶって、ダニエルがすることに身を任せていた。手つきに乱暴なところはなく、確かに嘘は言っていないことは分かった。だが、自分の体をあんな風に触られるなど、あまりに気色悪い。耐え難い苦痛だと感じた。

「分かったかい。だから、服を脱いで、こっちへおいで」

 逃げられない部屋の中で、それでもマリエルは強く首を振った。

「嫌です。何でこんなことをするんですか」

 ダニエルが不思議そうにマリエルを見た。本気で分からないといった表情だった。

「気持ちのいいことだからに決まってるじゃないか。私に優しくされているうちに、すぐに気持ち良くなれるよ。さあ、心配しないで」

「そんなこと言われても、嫌なものは嫌です」

 必死に訴えるマリエルに、ダニエルが大きくため息をついた。

「仕方のない子だ。ソニア、リーゼ、マリエルの服を脱がせてあげて」

 名を呼ばれた少女が二人、マリエルに近づいた。マリエルは抵抗したが、相手を傷つけることを怖れて、力を入れられずにいた。少女二人の手際が良かったこともあり、一枚、また一枚と衣服をはがされていき、ほんの数分で全ての服を脱がされてしまっていた。

「おお、思った通り。何と美しい体なんだ。さあ、二人共、マリエルを私のところに」

 命じられるまま、二人の少女がマリエルを引いていく。抵抗もむなしく、マリエルはベッドの端まで連れて来られてしまった。

 その時、扉の外で物音がした。

 次に鍵の開く音がして、扉が開かれた。

 そこから現れたのはサムトーだった。ハリスンは気絶して倒れていた。

 部屋の中に全裸の男が一人、少女が三人。その光景を見て、開口一番、呆れかえったような口調でサムトーが言った。

「いやあ、ダニエルさん。あなたも困ったご趣味をおもちですな」

「な、なぜお前がここにいる。屋敷から放り出せと命じたはずだが」

「そうらしいな。でも、そいつは部屋で寝てるよ」

 そう言うと、サムトーはダニエルに近づいた。間一髪、危ない場面に間に合ったようだった。真顔で言葉を続ける。

「裸の男を触る趣味はないんだが、最後まで面倒見るって約束したからな」

「な、何をする気だ!」

「もちろん、駐屯の騎士様に突き出させて頂きますですよ」

 サムトーは、紐を二本取り出し、両腕と両足を拘束した。ついでに部屋にあったタオルを使って、猿ぐつわを嚙ませる。

「んじゃ、三人共、服を着てくれるかな」

 のんびりした調子でサムトーが言った。マリエルがはっとしたように急いで服を着る。ソニアとリーゼと呼ばれた少女達もそれに倣った。

 服を着て一安心したのだろう。マリエルがサムトーに抱き着いた。

「サムトーさん、怖かった。本当に怖かったです」

 それはそうだろうと思ったが、サムトーは黙って頭を撫でただけだった。代わりにマリエルに尋ねた。

「今晩の一件、強姦未遂ってことで、警備隊に訴えに行くけど、いいかな」

「ごめんなさい、そういうの、私には分からないです」

 それならと、サムトーは二人の少女に声を掛けた。

「なあ、二人はさ、今日みたいな扱いをずっとされてたんだろ。この先もそれが続くのってどう思う?」

 二人の少女が顔を見合わせた。そして静かに涙を流しながら訴えた。

「本当は嫌だったんです。でも、私達、行き場がどこにもなくて……」

「これさえ我慢すれば、仕事させてもらえてお給金ももらえるし、住む場所だってあるからって思って、それで……」

 この二人も、自分の心を無理矢理捨てて、言いなりになっていたのが良く分かった。それは当然だろう。雇い主が相手でも、好きでもない相手に体を許したくなんてないはずだ。

「よし。じゃあ、四人で警備隊まで行こう」

 サムトーはそう言って、三人の少女を連れて屋敷を出たのだった。


 そこからが大変だった。駆け込んだ本部の警備隊員が急行し、ダニエルを捕縛、連行してからが一騒動だった。町一番の大富豪が、十いくつかの年端も行かない少女に、わいせつな行為を働いていたことが明らかになったのである。警備隊だけでは持て余す案件で、サムトーの言葉通り、駐屯の騎士が直接捜査、調書作成を行うことになったのである。

 その日は二人で元の家に戻り、短い時間睡眠をとった。そして、翌日のうち午前中丸々と、サムトーとマリエルの二人も、調書作成に付き合う羽目になった。ダニエル家の使用人達も全員取り調べを受け、犯罪を隠匿したことを責められた。しかし、立場上訴えられなかったことを酌量され、無罪放免となった。だが、使用人頭のハリスンだけは、犯罪を隠匿した罪を問われ、連座することとなった。

 一日の取り調べだけで、十分な証拠は揃ったが、結局、町中だけでは裁定しきれないとして、城塞都市クローツェルから高位の騎士が派遣されることになったのである。それまでは、ダニエルは牢暮らしになるということだった。そして、ソニアとリーゼ、二人の被害者についても、高位の騎士から何らかの保護をもらえるよう手配する、ということとなった。

 その日、夜に捕縛、翌朝は取り調べと、寝不足だった二人は、マルセルの残してくれた家で、のんびり昼寝をした。日が傾く頃に起き出し、公衆浴場へ行ってのんびりとくつろいだ。

 それから食材を買い出し、マリエルが、野菜スープと具入りのオムレツを作ってくれた。パンと一緒に、夕食でそれを頂いた。

 夜になって、気分もようやく落ち着き、お茶を飲みながらゆっくり二人で話をした。やはり、この家に留まるのは危険だと、今回の事件でマリエルも強く思い知ったのだった。

「でも、どうすればいいんでしょう。私、町中で噂になってしまって。ダニエルさんの事件の被害者だって、妙な目で見られてしまいました。これでは仕事を探すどころじゃないです」

 マリエルが、ふうとため息をついた。この娘は、このサルトレの町で生まれ、この町で育ってきた。知っている人も大勢いるのだ。その町中から好奇の視線を向けられるのは、存在を否定されるようで、すごく嫌なことだろうとサムトーは思う。

 だが、物は考えようではないだろうか。どうせこの家を出ることになるなら、いっそこの町を出てしまえば良いのではと、サムトーは思った。

「マリエル、どうだろう。この際だから、違う町に移り住んでみるというのは。新しい土地で、新しい生活を始めるのも悪くないと思うんだけど」

 マリエルが目を見張った。確かにそれが良いのかもしれないと、内心では思っていた。だが、それもつてがあれば、である。

「確かに良いかもしれません。ですが、私、他の町に知り合いとか全然いないんです。知らない町で仕事を探すのって、大変じゃないですか」

「それはその通りだな。うーん、こうなると、俺の友達に頼んでみるしかないかな」

 サムトーが腕組みをしてうなった。

「ここから東に三日行くと、城塞都市クローツェルがあるんだ。すごく大きな都会だな。そこの警備隊員で、グレイスとエミリア、ガイストっていう友達がいてな。彼らにエミリアの働き口を紹介して欲しいって、頼んでみようと思うんだけど、どうかな」

 エミリアが少し驚いた表情になった。確か、サムトーは旅の剣士だったはずなのに、通りすがりの町でも友達ができたのか。意外に思うと同時に、この人ならあってもおかしくないかとも思った。

「もしお願いできるなら、ぜひお願いしたいです。おじいちゃんも亡くなって、この家で暮らすのは危険だってなって、私、どうしていいか本当に分からないです」

 そう言うと、お茶を一口飲んで、気持ちを改めた。

「おじいちゃん、本当にいないんですよね。だから、私、新しい生活をしないといけないんですよね。分かっているんだけど、まだ二日しか経ってないし、心から納得できてないんです。それなのに、変な事件には巻き込まれるし、町の人から変な目で見られるし、本当に何が何やら……」

「そうだよな。それが当然だ。だけど大丈夫。俺が最後まできちんと面倒を見るよ。きっと何とかしてみせるから」

 マリエルは、この旅の剣士と知り合って、まだ三日だということも思い出した。それなのに、全面的に寄りかかってしまっている。だが、申し訳なさは感じず、むしろ以前から家族だったような安心感を覚えるのだった。

「本当に不思議な人ですね、サムトーさんは。ずっと前からの知り合い、ううん、本当の家族みたいにも感じます。助けてくれてうれしいです。これからも、よろしくお願いしますね」

 マリエルが軽く微笑んだ。祖父を失い、これまで出てこなかった表情だった。安心して頼れる相手がいると自覚することで、心に少し余裕ができたのだった。

「おう、任せとけ。そしたら、明日は不動産屋に行って、この家を売り払おう。それから遺品の整理をして、持っていく物を決めよう。それと旅支度をして、あさってクローツェルに出発ってことでいいかな」

「はい。分かりました。明日一日で片付けですね。頑張ります」

 そうと決まると、二人共ほっとして、気持ちを緩めた。その後はのんびりと話をして、また二人一緒に眠るのだった。


 そして翌日、不動産屋に来てもらい、保管してあった土地の権利書を渡して代金を貰った。とは言え、家も狭いし古いしで、不要な家財道具一切を置いていくこともあって、金貨三枚にしかならなかった。それでもマリエルの手元に金貨十二枚残ることとなり、新しい土地でも、当座の生活の心配がないのは幸いなことだった。そのついでに役場に寄って、住民登録を削除してもらった。転居先は城塞都市クローツェルである。

 遺品整理は、結局ほとんどの物を置きっぱなしにするしかないので、持っていけそうなものを物色するのが主な作業になった。散々出しては戻しを繰り返して、結局持っていくのは財布と筆記具、外套だけになった。

 旅支度の方も、マリエルの着替えや生活用品、水筒や雨具などだけで、それほど大した手間は掛からなかった。着替えも精々が四着、櫛や手鏡、タオル、紐などを大き目の鞄に詰め込んでも、まだ余裕があったほどだ。

 そんな具合で一日を費やし、出発の日を迎えたのだった。


 さらに次の日の朝、ついにマリエルが、生まれた家を捨てて、旅立つ日がやってきた。目的地は東に三日の城塞都市クローツェル。

「おじいちゃん、いってきます」

 マリエルがそう挨拶して、手を組んで祈りを捧げた。

 失った祖父への心を込めた祈り。その光景に、サムトーも胸を打たれた。出会ってまだ五日。祖父が亡くなって四日と、悲しみが癒える時間もなかった。それでも事態が急変し、こうして一緒に旅立つからこととなったのだ。親身に面倒を見てやろうと思う。

「さあ、行こうか」

「はい。よろしくお願いします」

 マリエルの鞄は、彼女の体格に比べて少し大きすぎた。それでも頑張って背負って歩いていく。

「最初から気張ってると疲れちゃうから、気楽に行こう。途中で休憩も取るし、ゆっくりで大丈夫」

 サムトーが歩きながら声を掛ける。ペースを合わせるため、マリエルの隣を歩くようにしていた。

「それを言ったら、サムトーさんの方が、剣を二本も持って重そうですよ」

 マリエルも、そんな言葉が返せるようになっていた。悲しみは癒えていないのだが、新しい土地で頑張ろうとする決意が感じられた。

 歩いている間は、かなり暇を持て余す。景色を眺めたり、草花を見たりしていても、すぐに飽きてしまうものだ。そうなると、暇だと思ったら、相方に声を掛けて話をするのが手っ取り早い。

「サムトーさんは、どうして旅をしているんですか」

 普段は店や家の仕事、祖父の世話などで、忙しく過ごすことの多かったマリエルは、暇を持て余し、自分からサムトーに話しかけていた。

 サムトーも、そんな彼女の心情を思いやり、ちゃんと外して返答するようにしていた。

「旅が俺を呼んでいるからさ。風が見知らぬ土地へと誘うんだ」

「えっと、だから、そういうんじゃなくて」

「何となく、格好いいだろ。思わず惚れちゃうだろ」

「だから、もう、サムトーさんのばかあ」

「悪い悪い。マリエルがかわいいから、つい、な。本当のところは、俺はいろんな土地を見て回るのが好きだからさ。それで、いろいろな人と出会って楽しく過ごすのが好きなんだよ」

「そうなんだ。例えば、どんな人と出会ったの?」

 そんな風に、上手かはさておき、会話が広がるように言葉を返すサムトーだった。自然とマリエルも話に乗って、退屈を忘れることができていた。

 休憩を三回挟み、昼食も取り、出発して八時間ほど。隣の宿場町、トレスレイに到着した。人口六千人程度の中規模の町で、ごくありきたりな宿場町だった。

 日が傾いた頃、町の市街地へとやってきた。まずは宿の確保だ。

 マリエルは宿に泊まるのは初めてである。さすがに一人部屋は無理だろうと、初めから一緒の部屋を取った。そもそも、祖父の亡くなった晩から一緒のベッドで寝ているので、部屋を分けるのも今さらという感じだった。

 この時代の神聖帝国では、宿屋は一階が居酒屋兼食堂、二階より上が宿泊部屋となっていることが多い。この宿も例外ではなく、借りた部屋は二階にあった。その部屋に荷物を置かせてもらい、近所の公衆浴場へ。

 風呂を済ませて宿に戻ると、エールを一杯。マリエルには蜂蜜水をもらった。風呂上がりの一杯がやはりうまい。考えてみると、出発してきたサルトレの町では、エールを初日にしか飲んでいない。久々ということもあって、格別うまく感じた。

「やっぱりお酒飲むんですね。おいしいんですか」

「大人になると、うまいと思うみたいだな。のどごしと、軽く酔いの回る感じが気持ちいいんだよ」

 自分が子供で、サムトーと同じ物が飲めないことが少し悔しいらしい。しかし、神聖帝国では飲酒に年齢制限はないので、マリエルでも飲むことは可能だ。飲んでいる人を間近に見て興味が湧いたらしい。

「ちょっとでいいので、味見させて下さい」

 マリエルがそんなことを言い出した。まあ、挑戦したくなる気持ちも分かる。サムトーが酒杯を差し出した。

 マリエルは、ちょっとした覚悟を決めて、口を付けてみた。まず苦い。次に爽やかさと旨味が舌に残り、喉が軽く焼かれたように少し熱くなる。その熱さはお腹の中にまで落ちていって、そこに留まった。後口は苦みと旨味の混じった変な具合で、おいしいとはさすがに言い難い。加えて、頭の芯に少し靄がかかったようになり、頬が赤くなった。

「うーん、これがおいしく感じるんですよね。私には、まだ早かったみたいです。残念ながら、おいしいとは言えないです」

 正直な感想だった。様子を見ていたサムトーが微笑ましく思い、慰めの言葉を掛けた。

「俺はうまいと思うから飲む。そういう人が多いのは確かだ。けどさ、みんながみんなそういうわけじゃない。大人になっても、酒が苦手な人はたくさんいるんだ。人それぞれでいいんだよ」

「そうですね。分かりました。私は当分、こっちがいいみたいです」

 そう言って蜂蜜水を掲げてみせた。それでいいと、サムトーもうなずく。

 そんな他愛もない会話をしながら夕食まで過ごし、部屋へと戻った。

「さすがに疲れただろう。ゆっくり休むといい」

 サムトーが声を掛けると、意外なことにマリエルは首を振った。

「疲れたのは確かですけど、何か休もうって気分になれなくて。初めて旅に出たからだと思うんですけど」

 見知らぬ町に見知らぬ宿。そこに知り合って間もない親切な旅の剣士と一緒にいる。五日前には考えられなかった変化である。戸惑いもあったが、それ以上に新鮮な刺激を受けて、マリエルは少し興奮気味なようだった。

「なら、少し遊ぶか」

 サムトーがカードを取り出した。そして一番単純なババ抜きという遊び方を説明し、実際に二人で遊んでみた。

 マリエルには未経験の遊びだった。たった二人だが、カードだけでこんなに楽しく遊べるとは思わず、かなり熱を入れて遊んでいた。

 結構長い時間二人で遊んでいて、さすがに夜も更けてきた。サムトーも適当なところで遊びを切り上げ、マリエルに寝るように促した。

「とても楽しかったです。ありがとう」

 そう言って、マリエルがベッドに入り込んだ。

 サムトーも明かりを消して、自分のベッドに入った。さすがに宿では、それぞれ別のベッドだった。

「サムトーさん、おやすみなさい」

「おやすみ、マリエル」

 挨拶を交わした後、あっという間にマリエルは寝息を立て始めた。やはり体が相当疲れていたようだ。

 良い夢が見られるといいなと思いつつ、サムトーも目を閉じて、眠りについたのだった。


 トレスレイを出て二日、街道の先に城壁で囲まれた町が見えてきた。城塞都市クローツェルである。

 生れて初めてみる城壁の大きさに、マリエルは目を丸くしていた。

「あんなに大きな壁、どうやって作ったんでしょう」

 そんなことを言いながら、段々と町へと近づいていく。その城壁が思っていたよりも高いと分かって、マリエルは驚いた表情のまま歩き続けていた。さすがは軍事上の要衝、城塞都市である。

 高い城壁に開かれた門をくぐる時も、マリエルは驚いたままだった。そして城壁の中に無数の建物が立ち並ぶ様を見て、さらに驚くのだった。

「これが大都会ですか。何と言うか、その、すごいですね」

 そうとしか言えない気持ちはサムトーにも分かる。黙ってマリエルの頭を撫でてやった。その思いやりがうれしかったようで、マリエルも軽く笑みを浮かべた。

「さて、まずは宿だな。今回は決まってるんだ」

 そう言って、サムトーは市街地を歩いていく。迷いのない足取りで、宿屋街までやってきて、目的の宿へとやってきた。去年も、十日ほど前にも世話になった双樹亭である。

 この日も、見知った中年の女将が出迎えてくれた。

「おや、サムトーさんじゃないか。またうちで泊まるのかい」

「ああ。今回も世話になるよ。あと、連れが一人いるんだ」

 宿帳に記帳しながら、サムトーが答えた。

「マリエルです。お世話になります」

 そこへ、マリサという名の若い女性の給仕が、サムトーを見つけてうれしそうに近寄ってきた。

「あら、戻ってきたのね。歓迎するわ。マリエルさんもようこそ」

「ありがとう。ところで、グレイスやエミリア、ガイストは、まだこの店に来てるかい?」

「もちろん。常連さんだもんね」

「それは助かる。ご覧の通り、この子、ちょっと訳ありなんだ」

「見れば分かるわ。それで三人に相談しに来たのね。サムトーさんも、何かというと人助けしてばかりだね。まあ、ゆっくりしていって」

 そう言うと、マリサは手を振って仕事に戻って行った。

 女将が部屋の鍵を渡しながら言った。

「本当にあんたも大概お人好しだねえ。歓迎するから、好きに泊まっていっておくれ」

「ありがとう。今回もよろしく」

 マリエルとしては、旅の剣士、なるほどという感じである。

「宿の人とも顔見知りなんですね。さすがです」

「まあ、サルトレの町に来る前、ここでちょっとした事件を解決する手伝いをしたんで、何泊もしたんだよ。そりゃあ仲良くもなるさ」

「お人好しとか言われてましたけど、すごく分かるなあ。私にもすごく親切にしてくれて、本当に助かってますから」

「ありがとな。俺もかわいいマリエルと一緒で楽しいよ」

「いい加減、それには慣れましたよ。格好いいお兄さん」

 そんなくだけた会話をしながら部屋に向かう。この三日の旅の間に、かなり親しさが増していた。

 荷物を置かせてもらうと、いつものように公衆浴場へ向かう。

 風呂を済ませて、また宿に戻ってエールを一杯。このちょっとした贅沢が旅の楽しみでもあった。

 時間も過ぎ、日も暮れかけた頃、待っていた客がやってきた。前回の連続強盗犯捕縛の件で協力した友人達である。金髪の女性グレイス、赤毛の女性エミリア、赤毛で短髪の男性ガイストの三人で、年はサムトーと同じ。みな警備隊に所属している。さすがに制服から私服に着替えてきていた。

「あ、サムトーだ」

 目ざとく姿を見つけて、気を許し合った仲だけに、遠慮もなしに近づいてくる。そして、少女が一人、向かいに座っているのに気付いた。

「サムトー、また会えてうれしいわ。ところで、こちらのお嬢さんは? ここに戻ってきた理由と関係がありそうね」

 グレイスが遠慮なく聞いてくる。勘も良く、何か訳ありと察していた。

「まあ、おいおい話すよ。それより、とりあえず一杯どうだい?」

 サムトーがそう返すと、それもそうだとばかり、三人が同じ席に着いた。女性が三人並んだ格好で、ガイストはサムトーの隣に座った。

「やっぱり来たわね。エールでいいのかしら」

 給仕のマリサが早速注文を取りに来た。三人がうなずく。

 そうだろうとばかり、さっさと酒杯を注ぎに行き、手早く出してきた。

「やっぱり、サムトーさんが揃うと、楽しそうでいいわね。では、どうぞごゆっくり」

 飲み物が来たところで、何事にも押しの強いグレイスが音頭を取った。

「では、サムトーとの再開を祝して、乾杯!」

 マリエルまでも唱和して、杯を掲げて軽く当てる。そしてそれぞれが軽くあおって大きく息を吐き出す。

「仕事後の一杯は、やっぱりおいしいわね」

「そうね。だけど、まず名乗るのが先でしょ。私はエミリア。こっちのお姉さんがグレイスで、赤毛のお兄さんがガイスト。みんな警備隊員だから、悪者じゃないからね。一応言っておくわ」

 こういう時、落ち着いて場を仕切れるのが、エミリアのいいところだ。優しく紹介されて、マリエルも名乗った。

「マリエルと言います。サルトレの町から来ました。十一才です。どうぞよろしくお願いします」

「礼儀正しい、いい娘じゃないの。サムトー、どこでどうしたわけ?」

 グレイスが早速尋ねてきた。さすがに勝手に話すわけにもいかないので、サムトーはマリエルに同意を求めた。こくりとマリエルがうなずく。

「サルトレの町でのことなんだけど……」

 そう前置きして、サムトーが説明を始めた。

 具合が悪そうだったマリエルを見つけ、家まで送ったこと。病気の祖父がいて、具合が悪くて何日も風呂にも入れなかったので、公衆浴場へと連れて行ったこと。翌日、様子を見に家に行ったら、祖父が亡くなっていたこと。教会や葬儀屋と相談して火葬の手配をしたこと。二人で祖父の火葬と埋葬を済ませ、今後のことを相談したこと。養護施設は満杯で入れてもらえず、住み込みでの仕事先を探していたこと。金持ちの悪趣味に巻き込まれ、暴行されそうになったこと。その事件のせいで町に居づらくなったこと。住み込みで働ける場所を探しに、この城塞都市クローツェルまでやってきたこと。なるべく短くしたつもりでも、かなり長い話になってしまった。

「というわけで、行き先の当てがあるわけじゃないから、実は結構困ってるんだ。そこで三人に相談しようと思ったってわけさ」

 三人がうなずいた。サムトーも旅の剣士でつてがあるわけじゃない。友人として頼られるのは悪い気分ではなかった。

「事情は分かったわ。本当に大変だったわね。そんな事情なら、放ってはおけないわね」

「私達にも当てがあるわけじゃないけど、そこはこの町で仕事をしてる身だから、誰かが良い話を知ってるかもしれないからね」

「もちろん俺も協力する。人助けが警備隊員の本分だからな」

 三人が三人共、快く承諾してくれた。頼りになる友人達に感謝である。

 そうこう話している間に、全員杯が空になっていた。

 夕食を頼んで、五人で和やかに食事となった。

「良かったわね。サムトーと出会えて」

 グレイスがマリエルに言った。同情もあるが、救われて良かったという気持ちからだった。

「はい。そう思います。サムトーさんがいなかったら、おじいちゃんが亡くなった時、何をどうすればいいか、全く分かりませんでしたから。それに、こうして初めての街にいても、安心していられます」

 心からそう思っていることが分かる表情だった。珍しく、ガイストが同感だとばかり、真剣にうなずいていた。

「俺もサムトーには助けられたからな。サムトーは本当に頼りになるし、一緒にいれば安心だろう。その間に俺達が、どこか住み込みで働ける場所を探してやるさ」

「そうね。警備隊の上司や同僚に聞けば、良い場所見つかるでしょ。安心して待っててね。その間は、サムトーと街の観光でもしてるといいわ」

 エミリアもそんな風に太鼓判を押してくれた。

「みなさん、ありがとうございます」

 マリエルが深々と頭を下げた。その微笑ましい姿を、四人が見守った。

 その後は、食事を終えて、エールをもう一杯追加。マリエルに、この町で起こった連続強盗犯捕縛の経緯を、三人が代わる代わる話した。マリエルも関心をもって聞いていて、さすがサムトーさんだとしきりに感心していた。そして、優しい警備隊員たちと知り合い、手助けしてもらえることに、心から安心感を覚えたのだった。


 翌朝、マリエルがほぼ同時に目覚めたこともあり、サムトーは久々に剣の素振りをしようと、井戸端に誘った。

 井戸端に行き、水を一杯飲む。それからいつものように、基本の型の素振りをしていく。初めて見たマリエルが感心するくらい、素早く正確にそれを繰り返していった。なるほど、この剣の腕があったから、昨日聞いた強盗捕縛も簡単にできたのだと、納得したものである。

 それから部屋で小休止して、朝食を取りに食堂へと下りる。

 スクランブルエッグと野菜スープ、サラダ、パンと定番のメニューだが、そこは客商売だけあって、しっかりとおいしい。マリエルも宿に四泊目、ずいぶんとこの生活になじんできていた。

 朝食を済ませて小休止した後は、昨日エミリアが言ってくれたように、街の観光をすることにした。サムトーは、以前の旅の相棒を思い出し、工房区なら興味を引くだろうと、そこへ出かけることにした。

 宿を出て、一旦街道へと出て西へと向かう。南北を縦断している街道との交差点を通り過ぎ、しばらく行ってから南へと向かう。

 やがて、大きな建物が多数立ち並んでいる街区へとやってきた。街の西側一帯に広がる工房区である。金属加工、ガラス加工、木工、製紙、製糸、紡績、紡織、被服、陶磁器、醸造など、多岐に渡る工房が軒を連ねている。時折馬車や荷車が行き交い、材料を納品したり、商品を搬出したりしている。それぞれの建物の中では、いろいろな製品が製造されているはずだ。

 マリエルはこの光景を見て、とても圧倒されていた。彼女が育ったサルトレの町では、エールの醸造所、被服店、木工所、それから金属器を修理する鍛冶屋くらいしか、製造に関わる工房などなかったのである。それぞれが大きく、また数多くの施設が集まっている様子は圧巻で、ふえーと、言葉にならない歓声を上げていた。

「この工房区だけで、一体何人くらい働いているんでしょう」

「うーん、確か二万人を超えるんじゃなかったかな」

 ここで作られた製品は、周辺の町へも売られていくのである。生産量も多いので、それだけ大勢の人が働いているのだった。神聖帝国には、まだ動力機関の類は発明されておらず、基本人力で物を作るのである。

 早速、一番手前の工房を覗いてみる。紡績の工房だった。

 中では、いくつもの糸車が置かれており、その前に人が座って作業をしている。原料となる綿や羊毛を引っ張り出し、軽くねじりながら糸車へと巻き付けていく作業である。延々と繰り返されるその大変な作業を、工員達は真剣な表情で集中して行っていた。糸車に糸が少しずつ出来上がっていく様子は、とても見事だった。

 作業の様子に魅入っていたマリエルが、ぼそっとつぶやいた。

「私には、ちょっと難しいかなあ……」

 その返答はサムトーの意表を突いた。観光として見物するのに良いかと思い、この工房区に来ようと思ったのだ。しかし、仕事を探しているマリエルにとっては、この中で出来そうな仕事を探すのだと思ったようだった。誤算ではあったが、自分が仕事をしたらどうなるか考えるのも、良い事ではなかろうか。

「普通の人なら、誰だってそう思うよ。でもきっと、ここの人達も最初は同じだったんだよ。繰り返し練習して、できるようになったんだろうさ。だから、マリエルも、頑張ればできるようになと思うよ」

 そんな返答をして励ました。

 出入口の付近に詰所があり、そこに安全確保の監視を兼ねた、工房の受付があった。マリエルが少し話を聞いてみようと、そこへ向かった。

「あの、すみません。少しお話を聞いてもいいですか?」

 受付にいたのは年配の男性だった。マリエルの祖父マルセルと同年代である。それを意識して、マリエルが少し感傷的になった。

「ああ、構わないよ。お嬢さん、もしかして、うちで働いてみようかと思ったのかい?」

「いえ、でも、もし働くとすると、住む所とかはどうするのかと思って」

「ああ、君はこの街の子じゃないんだね。普通は、施設の先生や親が一緒に来て、見習いとして働けますかって聞いてくるものなんだよ。工房区の南に住宅街があるだろ。みんなそこに住んでるんだけど、家がない人のために寮もあるから、他の町から働きに来た人はそこに住んでるんだ。それから、簡単な手作業ができれば、基本誰でも働けるよ。糸を紡ぐのは、何度も練習してれば、できるようになるから心配はいらないよ」

 親切な男性だった。優しく説明を受けて、マリエルもなるほどと思ったようだった。覚悟さえ決めれば、この工房区なら、いくらでも働ける場所が見つかりそうだと分かったのは収穫だった。

「ありがとうございます。他の工房も見学してみます」

「ああ、それがいいな。それじゃあ気を付けて」

 マリエルが手を振って立ち去る。良い人に話が聞けて良かったと、表情が語っていた。

「良かったな。良い話が聞けて」

「はい、そうですね。さすが大都会、働き口はいくらでもあるんですね」

 そうして二人は、他の工房も見て回った。

 陶器窯では、手回しや足踏みのろくろを使って、皿や器などが作られていた。粘土の塊が、熟練の工員の手によって、見事に形作られていく様子が素晴らしかった。量産品では形も大きさもほとんど揃っている。マリエルも手作りでここまで出来るのかと、感心していた。乾燥させた器は隣の建物に運ばれ、一度素焼きをする。素焼きされた物に釉薬を塗り、本焼きをして完成である。出来上がった製品は木箱に納められ、出荷される。

「ここのお皿、私の町にも運ばれてきて、売られてたんですね」

「多分そうだな。それにしても、いつ見ても見事なもんだ」

 普段使いの品でも、こうして人々が手がけて作られる。マリエルは、物を作る大変さを知り、より大事に使おうという気持ちになった。

 それから酒を作る工房も見た。エールの醸造所は、大概どこの町にもあるが、ここはウィスキーと呼ばれる蒸留酒を作る工房だった。原料を発酵させて作った酒の元を、蒸留器にかけて余分な成分を取り除く。出来た原酒はそれで完成ではなく、樽に詰めて熟成させる工程がある。蒸留器は二つしかなかったが、代わりに熟成中の樽を収めておく大きな倉庫があった。生産量もエールに比べて少なく、値段もかなり高い。サムトーは猟師村の宴会で、仲間と楽しく飲んでいたことを思い出していた。

「さすがに、ここはちょっと難しそうです。お酒、苦手ですし」

 マリエルがそんなことを言った。サムトーに味見させてもらったことを思い出したようだった。真剣に考えている姿が微笑ましい。

 そんな具合で、あちこちと見ている間に、昼食の時間になってしまった。

 正午の鐘が鳴ると同時に、あちこちの工房から人が一斉に出てきた。もちろん、昼食を取るためである。

「みなさん、どちらへ行かれるんでしょう」

「ああ、工房区には、何か所か食堂街があるんだよ。ほとんどの人がそこで食べるんだ。俺達も行ってみよう」

 人波の後に二人が続く。サムトーの言う通り、一角に食堂の立ち並んだ場所があった。全部で二万を超える人間が食事を取るのだ。食堂街が何か所もあるのは当然だった。この昼食の時間だけで、一軒の店が何百人もの人間に食事を提供するのである。これも大変な仕事だった。

「俺達も、もう少し空いたらお邪魔しようか」

「そうですね。それにしても手際がいいです」

 限られた時間で食事ができるよう、提供する側も短い時間で食事が出せるように工夫していた。仕込みをしっかりやっておいて、さっと焼いたり揚げたりして出せるようにしてあるわけだ。サラダなどは、初めから盛り付けてあり、一緒に出すだけになっている。麺類も基本ゆで置きだ。

 しばらく待っていると、早々に食べ終えて工房に戻る人と、お茶などを飲みながら時間一杯休憩する人とに分かれ、店も少し空いてきた。サムトーとマリエルも一軒の店に入り、食事を買う。豚肉のソテーとサラダ、スープ、パンのセットで銅貨八枚。商店街の料理屋などより安い。

「そう言えば、パン工房がありましたね。何で工房区にあるんだろうと思ってましたけど、こういう店に卸すためだったんですね」

「そうみたいだな。二万人分のパンか。考えただけでもすごい量だな」

 そのパンが、大量生産品ながら実にうまかった。作り方が良いのだろう。二人共、じっくりと味わって食べていた。

 周囲では、せっかくの休憩時間だとばかり、世間話に興じる人々が、いろいろな会話をしていた。和やかな光景である。マリエルは、どの人も頑張って働いていることに感銘を受けた。自分も同じように頑張って働こうと、改めて思った。

 その後も日が傾くまで、二人は工房街の見学を続けた。時には工房の人の話を聞き、その仕事の特徴や工夫などに感心していた。働き手は工房の中だけではなく、荷運びの仕事でも多かった。これだけの工房があるのだから、原料や製品の流通にも多くの人手が必要なのである。城塞都市の人口の、五分の一以上の人間が働いているというのも納得である。

 働ける場所を知ることができたのは、大きな収穫だった。

「今日はありがとうございました。後は、私にどんな仕事が向いてるか、良く考えないとですね。衣服を作る工房、すごく良かったなあ。私としては、ああいう工夫のし甲斐がある仕事が、見ていて良かったです」

 そんな感想を語っていた。

 サムトーは、立派な娘だと思った。祖父を亡くして天涯孤独の身となってからまだ一週間。悲しみも癒えてないだろうに、前向きに自分の将来と向き合っている。思わず頭を撫でていた。もう見習いとして独り立ちしようという娘に、失礼だったかもしれない。

「マリエルは偉いな。そんな風に考えられて。だけど、慌てないでいいからな。納得のいく仕事を選ぶといい。俺も最後まで付き合うから」

「はい。分かりました」

 希望が見えたような表情で、マリエルが元気に歩いていく。サムトーも元気になったその姿を見て、うれしく思うのだった。


 いつものように風呂を済ませて、宿へと戻って一杯やっていると、グレイスとエミリア、ガイストが今日も来てくれた。明るい表情をしていて、どうやらこちらでも仕事先を見つけてくれたようだった。

 三人もエールを注文し、昨日と同じように一緒の席に着く。

 乾杯もそこそこに、グレイスが早速話を切り出した。

「あったわよ仕事。それも私達の足元だったの」

 エミリアが詳しく説明する。

「警備隊員の女子寮、管理人のルイーズっておばさんが一人で切り盛りしてるんだけど、結構もういい年だから、仕事がきつい、誰か手伝いが欲しいって、良くこぼしてたのよ。それで、十一才の女の子が、住み込みで働ける場所を探しているんだけどって話したら、それはぜひ手伝って欲しいって話になって。マリエルさえ良ければだけど、働いてくれると、ルイーズおばさんも喜んでくれると思うわ」

 マリエルとサムトーが顔を見合わせた。工房区に行って、いろいろな仕事を見て、可能性が広がって喜んでいたばかりだった。しかし、こちらは警備隊員の女子寮で、住み込んだ場所で働ける大きな利点があった。なかなかに悩みどころであった。

「もちろん無理にというわけじゃないから。とりあえず、見に来てみるとありがたいかな」

「二人共、ありがとう。じゃあ、マリエル、明日見に行ってみようか」

 サムトーが促すと、マリエルも強くうなずいた。知り合いのいる場所で働けるのなら、心強いのは確かだった。

「分かったわ。ルイーズおばさんには、私達から話しておくから」

 あっさりと見に行くことが決まった。それにしても、話を見つけてくるのが早い。ありがたい友人達である。

「今日は二人で何してたんだ?」

 ガイストが尋ねてきた。

「ああ、工房区の見学に行ってきた。そこでも仕事口が山ほどあって、十分な収穫があったよ」

「なるほど。物作りも見られて、仕事探しにもなるか。考えたな。マリエルも参考になったかな」

 話を振られたマリエルは、目を輝かせて答えた。

「はい。とても良い見学ができました。仕事の大変さも分かったけど、何より頑張って働けば、良い物が作れるのが分かって良かったです」

 その言葉を聞いた三人が、顔を見合わせてうなずいた。

「はあ、いい子だってのは分かってたつもりだけど、立派なものね」

「その年で、そこまで考えてるなんて、とても偉いと思うよ」

「全くだ。俺の警備隊見習い時代でも、ここまで真剣じゃなかったかも」

「ねえ、どんな仕事見てきたか教えてくれる?」

 そこから今日の工房街見学の話で盛り上がった。マリエルは本当の良く見て覚えていて、他の四人が感心することしきりだった。

 話は夕食をまたいで、二杯目のエールを飲むまで続き、解散になるまで話し込んでいたのだった。


 翌朝。いつものように剣の素振りを済ませ、朝食を取ると、二人は早速警備隊員の女子寮へと向かった。

 入り口の近くに受付のような所があり、そこが管理人の待機場所だった。この時間、すでに管理人は仕事をしているようで、姿が見えなかった。

 呼び鈴が置いてあったので、それを鳴らしてしばらく待つ。すると、かなり年配の女性が姿を現した。

「おはよう。早速来てくれたね。話はグレイスとエミリアに聞いてるよ。あなたがマリエルだね。私はルイーズ、ここの管理人だよ。よろしく」

「はい。今日はよろしくお願いします」

 ルイーズは、ふうと大きな息をつくと、説明を始めた。

「今は夜番の隊員が何人か寝てるだけで、他はみんな仕事に行ってて留守なんだけどね。その時間に、まずは一通り掃除をするんだよ。早速だけど、手伝ってくれるかい?」

「はい。分かりました」

 そうして二人は掃除を始めた。寮内を一通り掃き、その後は水拭きをして回る。水も冷たくなってきて、結構きつい仕事だ。

 サムトーは、自分が手伝っては意味がない、後は二人に任せるべきだと思い、後でまた来ると言い残して、寮を出ていった。路銀を稼ごうと、朝っぱらから賭場へと足を向けたのだった。

 マリエルは、ルイーズの指示をよく守り、丁寧に掃除を頑張っていた。二人で協力して、丁寧に桟や棚、窓などの埃を落とす。それから床を丁寧に掃いて埃を集める。それを捨てると、窓や棚から床まで丁寧に水拭きをしていく。廊下だけでなく、隊員の私室内も簡単に行う。寝ている隊員のいる部屋では、物音を立てないよう、注意して行っていた。

 その働きぶりを見て、ルイーズもマリエルを気に入っていた。

「いい仕事ぶりだね。丁寧で助かるよ」

「悪いけど、そこも拭いといてくれるかい。そうそう、ありがとう」

 などと、繰り返し褒めていた。

 二十数部屋の掃除を終えると、昼食にはまだ早い時間だった。

 ルイーズが一息入れようと、お茶を用意してくれた。

「私一人だとね、掃除だけで、昼食の時間を過ぎちまうことが多いんだよ。やっぱり人手がいると違うね。こんなに早く終わったのは久しぶりだね。本当に助かったよ。ありがとう、マリエル」

「ありがとうございます。お役に立てて良かったです」

 折よく、ちゃっかり一稼ぎしていたサムトーも、そこへ戻ってきた。

「お、休憩中か。ちょうど良かった。マリエル、仕事の方はどうだった?」

「はい。無事にちゃんと掃除できました。大丈夫です」

 軽く笑みを浮かべて、マリエルが答えた。褒められたのがうれしかったのだった。

「午後は水汲みが終わったら、受付の仕事さ。配達された物を部屋に届けたり、用事のある人を案内したりだね。後は、隊員さんからお願いごとをされることもあるね。だけど、何もない時間の方が長いから、暇を持て余すこともあるね。だから私も、この時間にちょっと出かけることもあるのさ」

「なるほど。そうなんですね」

「夕方、適当に公衆浴場へ行って、適当に夕飯を食べに行って、夜に受付の窓口を閉めれば仕事は終わりさ。だけど、夜、隊員さんから相談がくることもあるから、仕事と休憩の区別はあんまりない感じだね」

 そんな感じで仕事の説明があった。

「それから、私もこんな年だからね。食事も自分で作るのが億劫でさ。食事は外に食べに行くんだけど、構わないかい?」

「はい。もちろんです」

 近くには宿屋も料理屋もある。朝から営業しているところもあるので、自炊できなくても不都合はない。強いて言えば、天候の悪い日に食べに行くのが面倒なくらいである。

「それじゃあ、みんなで昼食に行こうかね」

 ルイーズの言葉で、三人が一緒に寮を出た。受付には、今は留守にしています、という小さな看板を立てた。

 一番近くの料理屋へ入る。ここは警備隊員達もよく利用する店だった。

 シチューとサラダ、パンの簡単なセットで銅貨八枚。安くて早く出てくるのは工房区の食堂と同じだった。

 食事を済ませると、予告通り水汲みである。井戸の水を汲んで、一階と二階に二か所ずつある水場に運び、そこにある水瓶に満たすのである。大概一日一度、この時間にすれば間に合うが、たまに不足すると追加で汲むこともあるという。ルイーズもマリエルも、一度にそんなに多くは運べないので、何往復もすることになる。これが案外時間のかかる作業だった。サムトーが手伝えば簡単なのだが、それでは意味がないので、黙って見守っていた。

 だが、これも二人でやったおかげで、いつもの半分ほどの時間で済ませることができた。まだ三時の鐘が鳴る前だった。

 あとは来客等がなければ、特に仕事はない。ルイーズが茶菓子などを用意して、受付の部屋で三人で話をした。

 ここで、ルイーズがマリエルの事情について尋ねた。まだ十二才にならないのに住み込みで働きたいというからには、何か事情があるのだろうと察していたのだった。

 マリエルが、それまでの家庭の事情や、唯一の身内である祖父を亡くしたこと、事件に巻き込まれたことなどをルイーズに話した。話の途中、届け物が一件あった。私服を仕立てた隊員がいたらしい。その隊員の部屋にそれを届けて、話は続いた。ルイーズは丁寧に聞き取ってくれて、その都度、なるほどねえ、とうなずいていた。

「マリエルも苦労してきたんだねえ。でも、その分掃除とかの仕事に慣れているのも納得だよ。ここは警備隊員さん達が住んでる場所で安心だしさ、ぜひ、ここに住んで一緒に仕事してくれると助かるねえ」

「ありがとうございます。良く考えてみます」

 そうこうしている間に、夕方になっていた。風呂に行くので、ここで宿に戻ることにした。

「今日はありがとうございました」

 礼を言って、サムトーとマリエルは宿へと戻るのだった。


「で、どうだった? うちに来る気になった?」

 いつものように風呂を済ませて、宿双樹亭の食堂で一杯やっていると、いつもの三人が姿を見せた。昨日と同じようにエールを頼むと、乾杯もそこそこにグレイスが尋ねてきた。今日の結果を気にしていたのである。自分が勧めただけに心配していたのだった。

「はい。ルイーズさんはとても良い人でしたし、仕事も掃除と水汲み、あとは受付だけなので難しくなかったです。警備隊員さん達と一緒で安心できるのもいいことですし、住む部屋も借りられるので、すごくいいですね」

 マリエルがそう言うと、グレイスは安堵して笑みを浮かべた。エミリアも同様だったが、まだ決めかねてる様子を感じ取り、尋ねてきた。

「何か気になることでもあるの?」

「気になるというか、物作りの仕事の良いところも見てきたので、どっちがいいのか迷っているんです」

 なるほどと四人がうなずく。この先の生き方を決める大事な選択だ。いろいろ考えるところもあるだろうと思った。

「でも、ルイーズさんといると、おじいちゃんと一緒だった時みたいに、安心できるんです。だから、寮の仕事にしようかなっていう気持ちの方が強いです」

「そうか。俺はマリエルが、自分で良いと思う方を選べば、それが一番だと思う。安心して暮らせるって理由でも十分だよ」

 サムトーがそう言った。旅暮らしでいろいろな生き方の人を見てきているので、どんな暮らしも本人が良ければそれでいいと思うのだった。

「それに、仕事が決まればこれでお別れだ。俺としては、マリエルが落ち着ける場所で過ごしてくれる方が安心だな」

 サムトーの言葉に、マリエルがあっとなった。これまでにも何度もあったことだが、同行者がいつまでもサムトーは一緒にいるものと錯覚してしまうのだ。一緒にいることが当たり前に感じてしまうという、それがこの旅の剣士の魅力でもあり、人の良さでもあった。

「そっか、そうですよね。私が住む場所決めたら、サムトーさんとはお別れなんですよね」

 落ち込んだ様子で、マリエルがこぼした。ここまで支え、助けてくれた同行者との別れは、残念という言葉では足りない。グレイスやエミリア、ガイストも、マリエルの心情を思いやり、慰める言葉が見つからなかった。

 しかし、決断はしなければならない。ならば、心置きなく旅立ってもらえるよう、仕事を決めるべきだろうと、マリエルは決心した。

「決めました。ルイーズさんのところでお世話になろうと思います。それなら、サムトーさんも安心ですよね」

 きっぱりと言った。前を向いて生きて行こうと決めた表情だった。

「分かった。それがマリエルの決心なら、俺も応援する。明日、正式に返事をしたら、きっと手続きや部屋の用意とかあるだろ。そこまでは俺も手伝うから。頑張ろうな」

「はい。ありがとう、サムトーさん」

 それから五人で和やかに食事し、話に花を咲かせた。この日は、サムトーとの思い出を作ろうと、マリエルがサムトーの旅の話を聞きたがり、いろんな出来事を聞いては感心していた。他の三人も面白がっていて、楽しい一時を過ごしたのだった。

 そして寝る時間となり、部屋へと戻ると、エミリアが言った。

「今日で一緒に寝るのも最後になりますね」

 本当に惜しんでいることが分かる口調だった。

「そうだな。俺もちょっと寂しいかな」

 エミリアはサムトーに抱き着くと、両腕に力を一杯に込めた。精一杯の感謝を伝えているのだった。

「そう思ってくれるならうれしいです。サムトーさん、大好きです」

「うん。短い間だったけど、マリエルは家族も同然だったよ」

 サムトーも心を込めた言葉を返し、マリエルは笑顔を見せたのだった。


 翌日は、また朝からルイーズの仕事を手伝いに行った。マリエルがここで仕事したいことを伝えると、彼女もまた、家族同然の子供が増えることを喜び、一緒に楽しそうに掃除にいそしむのであった。

 昼食後は、サムトーも手伝って水汲みを早々に済ませ、三人で出かけた。まずは役場で、ここ城塞都市クローツェルの住民登録を行った。雇用の手続きの際、住民の証明が必要だったのである。次に警備隊本部へと出向き、マリエルを警備隊員の女子寮で雇ってもらう契約をした。こうしてマリエルは、晴れて寮の管理人見習いとなった。当面はルイーズの仕事の手伝いである。

 それから買い物に出かけた。商店街で、必要な物を買い出すためである。最初に寝具を買い、配達を頼んだ。季節も冬になり、なるべく暖かい物をとルイーズが気張って選んだものである。それに着替えを数点。上着の良い物も古着屋にあって、冬の寒さに必要だとそれも購入した。他、コップやタオルなど、細々とした日用品も買った。代金は、マリエルが自分のことだからと、サムトーやルイーズの申し出を断り、自分で支出した。家を売り払った金額が消えたが、そのためにお金はあるのだからと、マリエルは心配した二人をなだめたほどだった。

 荷物を持って寮に戻り、買った品物を棚に収めていった。作り付けの棚があり、一人暮らしには便利なように出来ていた。廊下には自炊用のかまどなどもあるのだが、使われることは滅多になかった。ベッドももちろんある。

 片付けが終わる頃合いで、寝具が配送されてきて、それをベッドに据え付けた。こうして今晩から、マリエルはこの部屋で寝泊まりがすることとなったのだった。

 前祝い代わりに、その日マリエルは、ルイーズと一緒に公衆浴場へと行った。仕事の同僚というより、年の離れた親子か、祖母と孫といった感じの二人だった。だからこそ、近い年齢の相手にはない、別種の親しさを共に感じて、仲良く風呂を堪能したのだった。

 夜は、サムトーが最後の晩だからと、例によって双樹亭で一緒に飲んでいた。とは言え、マリエルはエールでなく、蜂蜜水だったが。

 そこには三日連続でグレイス、エミリア、ガイストの三人も現れ、また和やかに会話が進んだのだった。

 マリエルが女子寮で働くことを決め、今日手続したことを三人に話すと、三人共知り合いが身近に増えたことを喜んでいた。

 夕食を済ませ、二杯目を飲み終えるまで、五人で楽しく過ごした。グレイスやエミリアは、マリエルに管理人手伝いに飽きたら、いっそ警備隊員の見習いになることもできるからと、しきりに誘っていた。男二人がそれを聞いて苦笑し、マリエルは礼を言いつつ、とりあえずの仕事を頑張ってみると、生真面目に返答していたものだった。

 楽しい一時が過ぎると、ガイストは自宅へ、グレイスとエミリア、そして今日からはマリエルも女子寮で暮らすために、寮へ戻ることになった。一緒にいられる最後の晩なので、この日はサムトーも三人を送るため、寮まで一緒についていった。仲の良い家族のように、マリエルはサムトーにくっついて歩いていた。


 翌十二月三日。サムトーが旅立つ日がやってきた。

 マリエルは無理を言って、サムトーの見送りに来ていた。もちろん、グレイスとエミリア、ガイストも一緒である。

 朝の冷たい空気に包まれ、息も白い。

「今回は三人共、世話になったな。マリエルの事、よろしく頼む」

 サムトーが礼を言うと、三人が朗らかに笑った。

「任せといて。マリエルももう、大事な友人の一人だもんね」

「むしろ、年下の新しい友達を作れたこと、感謝してるわ」

「俺も、守るべき相手が増えて、余計にやる気が出たってもんさ」

 本当に良い友人達だった。とてもありがたく思う。

「マリエルも元気で。楽しい日々が送れますように」

「ありがとう。大好きなサムトーさん、元気で良い旅を」

 二人は別れの抱擁を交わした。互いに寂しさはあるが、これも新たな日々への第一歩なのだと、前向きに捉えていた。

「それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 四人に見送られ、サムトーは前へと進み出す。

 また新たな出会いもあるだろう。いろいろな出来事もあるだろう。

 自由気ままな旅へと、再び戻っていくのだった。


──続く。

今回はテーマが重めです。最終的に救われるのはいつもの展開ですが、そこに至るまでが重いです。そこをじっくり描いたので、そうだよなあと思って読んで下されば幸いです。今回はお調子者の本領があまり出ませんでしたね。作中では季節は冬、初回作の時間軸まであと少しとなりました。

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