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序章ⅩⅣ~旅芸人達との別れ、再び一人旅へ~

 旅芸人の一座と共に

 町から町へと旅路行く

 客の拍手と歓声を

 力に変えて芸をする

 そして時には町巡り

 ひと時自由なお楽しみ

 楽しく過ごすはお調子者の

 我らがサムトー、今日も行く

 時に神聖帝国歴五九七年十月七日午後。

 やや長身の引き締まった体に、ざんばら頭の茶色の髪をした男サムトー、もうすぐ二十才。彼は旅芸人の一座と共に旅をしていた。

 城塞都市ニールベルグを出発した旅芸人カリアス一座の馬車十台は、街道を西へ進み、タリアリという町へと到着した。東西と南北に延びる街道を結ぶ結節点で、ここも交通上重要な町である。人口も三万人と、かなり大規模な町だった。なので、やはり市街地周辺には天幕を張れる場所はなく、町から少し外れた川に近い場所で野営となる。

 十台の馬車を扇状に並べて配置し、柱を立て、梁を通す。幕を垂らし、公演用の天幕を設営していく。合わせて宿泊用のテントも六張り、別に設置する。出入口の脇には露店も準備する。

 サムトーは一座の面々と一緒にその作業を行っていた。みな設営手順は頭に入っており、手際も良い。七月から再びこの一座で働くようになったが、やはり仲間と協力してする仕事は気分が良い。

 作業は滞りなく進み、設営が終わったのはまだ夕方になる前だった。手すきの者達が、早速市街地へと向かい、明日からの公演を宣伝しに行く。サムトーも、フェントという少し年上の友人と共に、銅の縦笛を持って宣伝に加わった。

 サムトーの演奏に合わせて、フェントが公演の呼びかけを行う。

「旅芸人、カリアス一座が、明日から三日間、午前十時と午後二時の二回公演を行いまーす。一座の妙技をぜひご覧あれー」

 公演では台詞のない道化役だが、根がお調子者だけあって、この種の口上も上手にこなす。町の人に愛想よく手を振りながら、繰り返し口上を述べていく。サムトーはその後に続いて、笛の音で人の目を引き付ける。町の住人達も、年に一度の風物詩だとばかり、面白そうに二人を見ていた。

 市街地をざっと巡って、二人は一座の元へと引き上げた。

「まあ、いい感じだったかな。客足も十分見込めそうだ」

 この町にも年に一度訪れるだけだが、人々の記憶には残っているようで、また今年も見に行ってみるか、などという声もちらほら聞かれた。客がいてこその芸である。好反応なのはうれしいことだ。

「あ、おかえり、サムトー、フェント」

 一座の元に戻ると、レイナ、ポーラ、アイリ、マリーの四人が出迎えてくれた。曲芸を担当している女性達である。この六人は同年代で、先の城塞都市の露店市で、友情の記念にと、お守りの宝石トパーズを買った親友同士でもあった。サムトーはアイリと恋仲でもある。時々、夜中に天幕を抜け出して、逢瀬を重ねる中でもあった。

「宣伝ご苦労さま」

「感触は良かったみたいね」

「明日からの公演、私達も頑張るから」

 四人共温かく迎えてくれた。二人も設営から宣伝と忙しかったが、頑張りが報われた気がした。

「先に風呂行く時間あるかな」

「時間なら、もう少し大丈夫。じゃあ、一緒に行きましょうか」

 町に近いと公衆浴場が利用できる。そうでない場合、汗を流したかったら川で水浴びをすることになる。そろそろ水浴びするには冷たい季節になろうとしていた。

「夕食の支度には間に合うように、さっさと行ってきましょ」

 六人はそれぞれ着替えやタオルの用意をすると、連れ立って町の公衆浴場へと向かったのだった。


 サムトーは、元奴隷剣闘士である。

 十才までは養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。

 昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。

 逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。

 七か月余りの間、いろいろな人物と出会い、その手助けをしながら一人旅を続けた。方々を巡った末に、五九七年六月、助けてもらった猟師達の村を再び訪れ、そこで一月余りを過ごした。七月下旬からはこの旅芸人の一座と合流し、共に旅暮らしをしていたのだった。


 夕食は、何人かが公演の宣伝をしている間に、食事担当の者が買い出してきた食材を使った、シチューとオムレツ、パン、それにチーズだった。素朴なメニューだが、味も良く、量も十分にあった。一座の全員が敷き詰められた板に座って、食事の挨拶を待つ。

 食事の前に、一座の全員に知らせることがあったら、この時に伝える決まりになっていた。設営や宣伝、買い出し担当が、それぞれ順当に終わったことを伝えた。全員がうなずきながら話を聞いていた。

 それが終わると、ようやく食事である。

「みなご苦労だった。では、明日からの公演、しっかりと乗り切ろう。それでは、いただきます」

 一座の長、カリアスの挨拶で食事となる。いただきます、と一座の者達の言葉が唱和した。

 食事は和気あいあいとしたもので、長旅と公演を共に過ごしてきた一座の温かな雰囲気がそのまま出ていた。談笑しながら、楽しくのんびりと食事を進めていく。その中でも、特に若手六人の仲の良さは突出していた。

「タリアリの町は大きいからなあ。またかわいい娘がいそうで、楽しみなんだよな」

 公演中にも、かわいい女の子を見つけては、その娘に手を振るフェントがそんなことを言う。毎度のことなので、反応も薄い。

「そう、楽しみがあって良かったわね」

 レイナがあっさり流す。公演中に手を振ったからといって、その先何か進展があるわけでもない。それに旅暮らしだから、ナンパなどしている時間はほとんどなく、自由時間に町を巡っていても、フェントが町の誰かと良い仲になったという話はないのだった。

「この前は、アイリに惚れこんじゃった人が来て大変だったね」

「うん。サムトーのおかげで何事もなかったけど。ちょっと怖かった」

 ポーラとアイリが言うのは、八月後半に本当に起こった出来事だった。それを受けて、マリーが痛烈な一言を放った。

「フェントにも、そんな風に惚れてくれる娘が現れるといいね」

 そう言われたフェントに堪えた風はない。なるほどとばかりに、ちょっと格好をつけて、あごに手を当てた。

「そうだな。きっと何人も、そんなお嬢さんがいるに違いない。しかし、恥ずかしくて姿を見せられないのだろう。我ながら罪深いことだ」

「そんな奇特な女の子、滅多なことじゃいないわよ」

 レイナがあっさり突っ込む。長い付き合いだけに容赦がない。

「まあまあ。お客さんの中に、フェントの道化を気に入ってくれる人がいるのは、本当だと思うよ。あの芸、本当に面白いから」

 サムトーが苦笑しながらフォローに入った。フェントがウソ泣きをして応える。

「おお、ありがたいお言葉。さすがは我が友」

「サムトーは優しいわね。でも、無理して言わなくてもいいのよ」

「いやあ、俺もさ、フェントは格好いいと、本気で思ってるよ」

「だろだろ。笑いが取れて、格好もいい。俺ってすごすぎるな」

 そんな調子で馬鹿話に花を咲かせるのも常のことだった。

 六人で長話をしていると、物品管理のリーダー、一座で最年長のロギンスがやってくるのも毎度のことだった。

「相変わらず楽しそうだな、お前さん達は」

「あ、ロギンスさん、そろそろ片付けですね。了解です」

 さりげなく食事の終わりを告げに来て、全て食べるようにと促しに来るのだった。食べ物を無駄にするのは旅芸人の流儀に反するし、残り物が出ると片付けも面倒になる。

「いつもきれいに平らげてくれるから、心配はしてないさ。ただ、残り時間が少ないのを知らせているだけだよ」

 とは、サムトーがロギンスに聞いた言葉である。

 六人は、話を一度止めると、食べ残しがないよう食事に専念した。


 片付けが終わると、サムトーとアイリは、自然と二人きりになることが多かった。恋仲である二人の邪魔にならないよう、周りが気を遣ってくれることもあった。

 川縁の適当な場所に、互いに体重を預けながら座り、何をするでもなくのんびりと景色を眺めていた。

「サムトーが戻ってから、もう二月過ぎたね」

「そうだな。まだ二月って気もするけどね。何か、もうずっと前から一座にいたんじゃないかって思う時があるな」

「でも、もうすぐ一人旅に戻るんでしょ」

「ごめんな。さすがにカムファでお別れだ。あそこで起きた事件のせいで、素性が知られる危険はすごく高い。騎士隊のクリストフって騎士は見逃してくれたけど、ちょっと真面目に仕事されたら、何で旅芸人の一座にこんな奴がいるんだって話になるからな」

「そうだよね。あーあ、寂しいなあ」

 アイリが言葉通りに寂しそうな表情を浮かべた。本当はずっと一緒に過ごしたいと願っているからだ。去年一座にいた時に仲良くなって、別れ際に互いの思いを確かめた。今回サムトーが戻ってきた時、その思いは報われたはずだった。でも、それは時間に限りがあるものだったのだ。

「別れが仕方ないのは分かってる。でも、今は」

「ああ。今は二人でいよう」

 サムトーがアイリの肩を抱き寄せた。まったりと甘い時間が流れる。こうしているだけで、何とも言えない幸せな気分になるのだった。

「サムトー、あったかい。ちょっとうれしい」

「そうか。俺も体だけじゃなく、気持ちもあったかいな」

 互いの体温を感じながら、まったりと過ぎる時間に身を委ねる。

「今日もこうやって二人でいられるの、幸せだなあって思う」

「そだな。二人の小さな幸せってやつだ」

 のんびりと過ごしていると、時間が経つのも早い。

 しばらくして、遠くから呼び声が聞こえてきた。

「おーい、そろそろ」

 フェントが呼びに来たのだった。そろそろ就寝の時間である。そのギリギリまで二人きりにしてくれるのが、彼の心遣いだった。

「ありがとう。今から戻る」

「うん。戻ろう」

 明日から三日間は公演が行われる。よく眠って英気を養うべく、二人は就寝用の天幕へと向かった。


 翌日午前十時。第一回目の公演が行われた。入場料は銀貨一枚。銀貨一枚は銅貨五十枚で、銅貨十枚で昼食一食分に相当するから、かなりいい値段である。それでも年に一度の珍しい技を見るため、観客達は惜しまずに金を支払っていた。

 多少の空席はあるがほぼ満席。大勢の観客が注目する中、一座の公演は始まった。

 サムトーは一座でもらった銅の縦笛で曲の演奏を担当する。他にジャグリング担当で三十代男性のトニトが太鼓を、ナイフ投げ担当で二十代半ばの男性ラントがラッパを、物品管理のサブで四十代男性のボルクスがギターを演奏して、芸を盛り上げるのに一役買っていた。

 最初は二人の男性のジャグリング。一人六個の玉を、次々と宙に放り上げては、落とすことが全くない。玉を二人で交換していくの芸もある。見事な技の冴えだった。

 次は玉乗り。道化の服を来たフェントが、舞台を自在に走り回った後、わざと失敗して見せたり、リフティングの技を見せたりと、観客から笑いと拍手をもらっている芸だった。

 その次は踊り。三人の女性が、陽気な音楽に合わせて、優雅で見事な振り付けで踊っていく。見る者を魅了する美しさがあった。

 次いで犬の芸。中年男の指示に犬達が忠実に従い、伏せ、走り、吠え、投げ上げたボールを空中でキャッチする。並の犬ではこうはいかない、人と犬との見事な信頼関係であった。

 それから、若い男のナイフ投げ。ナイフ三本を器用にジャグリングさせるだけでもすごいのだが、的に向かって投げては、全てが的の中心近くに刺さるという百発百中で、見事の腕前であった。

 続いて二人の男性の奇術。物を空中に浮かせ、自由自在に動かす。細長い箱に女性一人が入り、そこに剣を突き刺し、挙句に箱を真っ二つにしてしまう。固唾を飲む観客。最後に箱を元に戻し、剣を引き抜くと、最初に入った女性が無事に現れて、大きな歓声と拍手が沸いた。

 そして、最後の曲芸が一番観客を沸かせた。レイナ、ポーラ、アイリ、マリーの四人である。側転、前宙返り、後ろ宙返りなど、様々な技を披露していく。最後は三人が一人を持ち上げての大技で、上に乗ったアイリを空中に放り投げ、高い位置でポーズを決めたり、空中で体をひねりながらの宙返りをしたりと、高難易度の技を決めていく。アイリが宙を舞うたびに観客から感嘆の声が漏れ、終わった時は今まで以上の拍手と歓声が上がった。

 観客の誰もが全く退屈を感じない、とても濃密な一時間半だった。

 満足した観客達が、続々と天幕を出ていく。誰もが笑顔を浮かべていて、楽しかった一時に満足そうな様子だった。

 その間、一座は天幕や座席の点検を行い、異常がないかを確かめる。それから順次休憩を取る。途中で昼食も取る。

 そして午後一時半に開場し、二時から二度目の公演が行われる。

 この回も、客足はまずまずで、満席にかなり近かった。

 午前と演目は同じだが、客が違うので問題はない。たまに、同じ芸でも、何度も見たいと足を運んでくれる者もいる。毎回観客達は芸を楽しんでくれていて、大きな歓声と拍手が湧くのもいつものことだった。

 無事に一日の公演が終わり、一座の面々が安堵と達成感に浸っていた。

 後はまた点検と片付け、そして休憩となるところなのだが、今回は勝手が違っていた。冗談で話していた、フェントの演技を気に入った娘というのが現れたのである。

「あの、道化役をされていた方にお会いしたくて。良ければ取り次いで頂けませんか」

 年の頃は十代半ばくらいだろうか。栗色の髪の毛をお下げにした、まだそばかすの残るかわいらしい感じの女の子だった。一座の面々もこれにはひどく驚いていた。

「またこの前みたいに、婿に迎えたいとか、ないだろうな」

 座長のカリアスが心配して、そんなことをつぶやいた。

「まあ、大丈夫でしょう。相手があのフェントですし」

 答えたのはボルクスだ。それならいいかと、カリアスはフェントと娘を引き合わせることにした。

「初めまして。道化役をしていたフェントです」

 普段着に着替え直したフェントが、女の子の前に出て丁寧な挨拶をした。さすがのフェントも別人のように大人しい。

「わざわざ来て頂いて、ありがとうございます。私はミランダと申します。フェントさんの演技、笑いの誘い方が上手で、それでいて芸も達者で、しかも若くて素敵な方だったので、ぜひ直接お会いしたかったんです」

 面会を希望するほど熱心に見てくれただけあって、褒め言葉にも嘘偽りはないようだった。ありがたいことだと、フェントが内心感激していた。

「お褒めの言葉、ありがとうございます。とても励みになります」

 フェントが礼を返すと、ミランダは少し困ったように、それでも意を決したように言葉を続けた。

「あの、今から少しお時間頂けませんか。ぜひフェントさんと二人でお話してみたいんです。少し町の方へ出られませんか」

 フェントが困ったように座長を見た。時間はあるのだが、一人で出て行って良いものかどうか迷ったのである。

「まあ、いいだろ。あまり遅くなるなよ」

 カリアスも、こんなかわいい娘相手に何かトラブルを起こすはずもないと考え、あっさりと許可を出した。

「分かりました。では、夕方には戻ります」

 こうしてフェントは、ミランダという娘と町へと出かけて行った。

 カリアスはため息を一つつくと、少し考えこんだ。そして、ちょうど通りすがったサムトーを呼び止めて頼んだ。

「サムトー、念のためこっそり様子を見てくれ。この前みたいなことはないと思うが、あくまで一応な」

 カリアスに言われ、サムトーがうなずいた。

「分かりました」

「じゃあ、私達も行く」

 いつの間にやら衣装を脱いで普段着になっていたレイナ達四人も、同行を求めてきた。

「バレないように、離れて様子を見よう」

「了解であります、隊長!」

 四人の女性が、騎士のまねなのか敬礼をしながら声を重ねた。この友人達も、何だかんだと野次馬も好きなのだった。


 こっそりとフェント達の跡をつけて行くと、二人はなぜか裏路地へと入って行く。茶飲み話でもするのだろうと思っていたのに、商店街から完全に離れている。人通りの少ない場所だった。

 様子を窺っていると、フェント達二人が五人の少年に取り囲まれた。全員まだ十代半ばくらいだろう。サムトー達五人が、話が聞こえるところまで、隠れながらそっと近づいた。

 すると、威勢の良い少年の声が聞こえてきた。

「だから、金出せって言ってるんだよ」

 驚いたことに、この少年達は、こんな若さで強盗まがいのことをしているのだった。どこをどう曲がって育つとこうなるのだろうかと、サムトーが頭を痛めた。他の四人も同じらしい。

「ねえ、ちょっとまずいんじゃないの」

「まあ、もう少し様子を見よう」

 五人が隠れて様子を窺っていると、話は勝手に進んでいた。

「痛い目見ないと分からないのかよ」

 少年が手に持った棒をポンポンと叩きながら脅してきた。威嚇のつもりなのだろうが、フェントに怯えた様子はない。

「待ってよ、サイラス。さすがに手を出しちゃ、まずいんじゃないの」

 これはミランダだ。どうやら彼女も一味らしい。少年達と共謀して、一人だけ連れ出し、その者から金を奪おうという計画だったようだ。彼女のフェントへの褒め言葉には嘘偽りが感じられなかった。フェントを含め六人共、彼女がこんな悪い連中とつるんでいるという事実に意外さを感じていた。違和感といっても良い。

 だが、サイラスと呼ばれた少年は、遠慮などしなかった。

「いいんだよ。旅芸人なんて、町の住人じゃないし、何日かでまた違う町に行っちまうんだから。どうなったって知ったことじゃないさ」

「だからって、ケガさせるようなことしたら……」

「構うもんか。ほいほい釣られてきたこいつが悪いんだ」

 そう言うと、サイラスが手に持った棒を構えた。よく見ると、他の少年達もみな木の棒を持っている。乱闘必死の場面である。

「ちょっくら手伝ってくる」

 サムトーはそう言って、隠れている場所から堂々と姿を現した。遠慮もなしに大声で制止する。

「そこの少年達、そんな木の棒で、人に暴力を振るってはいけないよ」

 訳知り顔で、そんな説教をしながら彼らに近づいていく。

「何だよ、サムトー。跡をつけてきたのか」

 フェントが呆れた顔で肩をすくめた。

「こんな少年くらい、俺一人でも大丈夫だぞ」

「まあ、余計なお世話が、俺のいいところってことで」

 フェントとサムトーがそんな会話を交わす。

「何だよ、このおっさん、俺達をなめてんのか」

「構うことはねえ、やっちまおうぜ」

 年若いのに、言っていることがごろつきと変わらない。方々を旅して来た二人には、彼らが哀れに思えた。この立派な町で、健康に育てられてきたはずなのに、心根が歪んでしまったことが惜しく思えた。

「ふざけんなよ、こらあ!」

 少年の一人がフェントに打ち掛かった。だが、旅芸人の一座は、時に盗賊とも戦うことがある。心得のない者の攻撃などどうというとこもない。簡単に避けると、棒を持っていた腕をぴしりと打った。少年が棒を取り落とし、フェントがその棒を拾う。

 同じように、サムトーも一人の少年から棒を取り上げた。後はその棒で少年達の棒を強打し、叩き落すだけだった。実に簡単に立ち回りは終わった。

「な、何なんだ、こいつら」

 相手がこれほど強いとは想像していなかったのだろう。少年達が怖れて後ずさった。

「そこで何をやっている」

 ちょうどそこに町の警備隊員が二人やってきた。この規模の町になると駐屯の騎士もいて、その配下として町の治安を守る仕事をしているのは、自警団ではなく警備隊と呼ばれている。サムトーが割り込んですぐに、レイナ達が呼んできたのだった。

 サムトーとフェントが木の棒を軽く放って捨てた。警備隊の指示に従うという意思表示だ。

「この少年達が悪さをしようとしたので、ちょっとお仕置きを」

 フェントがそう言って、ミランダという少女にここに連れられて来て、サイラスという少年達五人に金を出せと脅されたことを説明した。

 すると、サイラスという少年は、怖がっている表情を作った。

「違います。この二人の男に、ぼく達乱暴されそうになったんです」

 サムトーもフェントも、レイナ達もみな驚いた。あれだけごろつきのような口を叩いていたくせに、警備隊員に泣き落としを始めたのだった。

 そして、他の四人も口々に、ぼく達は悪くありません、この二人が暴力を振るおうとしてきたんです、と口々に訴え始めた。

「じゃあ、そこに落ちてる棒は何だ。君達が持っていた物だろう?」

 サムトーが冷静に事実を指摘する。路上には木の棒が五本落ちていて、少年達の人数と符合する。

「じゃあ、ミランダに聞いて下さい。ぼく達は、彼女を守ろうとしただけなんです」

 全員の視線が少女に向けられた。

「え、私? 私、守られてなんか……」

「ぼく達がいなかったら、危なかったんだよな。それでぼく達が助けようとしたんだよな」

 サイラスが先手を取って証言を誘導しようとした。何か借りでもあるのか、ミランダは口をつぐんだ。言うことを聞かないと、後で何かあるのかも知れない。そんな風に見えた。

「ミランダちゃん、俺の芸を褒めてくれてありがとうな。何か事情があるんだろう。何を言っても俺は気にしないから、安心してくれ」

 フェントが、言葉に窮したミランダを慰めるように言った。不利な証言でも構わないと、暗に伝えたのだ。さすがに彼も大人の男である。

「はい。私がフェントさん達にいやらしいことをされそうになって、そこでサイラスたちが助けに来てくれて……」

 ミランダはそこまで言いかけて、きゅっと口を結んだ。

 警備隊員は、少女の証言に従い、少年達の主張が正しいと思ってしまったようだった。サムトーとフェントの方が年長だったこともあるだろう。二人に向き直り、厳しく追及してきた。

「君達がこの女の子に乱暴しようとしていたのかね。それを守ろうとした少年達にも暴力を振るったと」

「全く違います。繰り返しますが、この少年達が私達を取り囲み、その落ちている棒で先に殴りかかってきたんですよ」

 フェントが落ち着いて答える。事実なのだから当然である。しかし、警備隊員には、少女の言葉が正しく聞こえたようで、繰り返し追及してきた。

「この少女の証言と食い違うな。君達、嘘のないように答えてくれ」

「私は嘘など申しておりません。少年達の方が先に殴り掛かってきたのは事実です」

 結局水掛け論になってしまう。警備隊も人間だ。やはり印象で物事を判断しがちなのである。少年達も、これなら言い逃れができそうだと、安堵の表情を浮かべていた。

 事態が膠着しそうになるのを見かねて、ミランダは覚悟を決めた。話に割り込んできて、本当のことを話し始めた。

「待って下さい。本当は違うんです。実は、私、サイラスに頼まれていたんです。旅芸人の一座の人で、若くて弱そうな人を連れ出して来いって。その人から金を取ろうとしていることは分かっていました。けど逆らったら、何をされるか分からないから怖くて。言われた通りにフェントさんに、一緒に来て欲しいって声を掛けたんです」

 勇気を出して、真相を話したミランダは立派だった。そして、そういう正義感が発揮されるのを見ると、腹を立てるのが悪人側だった。

「何だよミランダ、お前、裏切るのかよ」

 サイラスの吐いた乱暴な言葉は、事実を認めているのに等しい。言ってから、しまったと思ったようだったが、後の祭りである。

 警備隊の隊員も、ミランダの新しい証言が正しいと判断した。

「その落ちている棒、フェントさんとミランダさんの言葉、どうやら暴行した上で金を取ろうとしたのは、君達で間違いなさそうだね」

 穏やかにそう断言すると、厳しい口調で命令した。

「では、警備隊本部まで来てもらおうか。まだ少年であっても、君達がしようとしていたことは強盗だ。とても許されることではない」

 言い返すこともできず、少年達は沈黙した。隊員二人はそんな五人の少年達の両手を拘束し、警備隊本部へと連行することになった。

「悪いが調書を取るので、君達も同行してくれ」

 旅芸人六人と少年五人、警備隊員二人に少女一人と、大所帯になった一行は、警備隊本部へと向かうのであった。


 この時代、未成年という概念はなく、十二才から見習いとして働き始めることが多かった。十二才からは、大人に準じた扱いをするのが神聖帝国の慣習だったのだ。

 この少年達は十代半ばということで、本来なら大人同様、強盗罪で懲役を受けるところだった。だが、未遂であり、まだ親元で暮らしていることから、親を呼びつけて説諭し、二度としないという誓約書を書かせるのみに留めることとなった。これは正式な裁判権を有する担当騎士の裁定で、当然ながらきちんと記録を取り、二度目は厳しく処罰することもしっかり宣告していた。少年達は騎士に裁かれ、警備隊員に厳しく言われ、親にも叱られ、さすがに相当懲りたものと思われた。

 ミランダも脅されたとはいえ、強盗に加担したことで、厳しい注意を受けていた。本当に良心が目覚めたようで、言われるままに悪事に加担したことを悔いていて、フェントにしきりに謝っていた。

「本当にすみませんでした、フェントさん。これからは、あんな連中からは距離を置いて、関わらないようにします」

「俺の方は別に気にしてないよ。それよりミランダさん、君の方が心配だ。連中から酷い目に遭ったりしないかい」

 さすがにフェントも年下の少女には優しい。十分に厳しく注意されたこともある。これ以上ミランダを責め立てる気は毛頭なく、本当に心配して言葉を掛けていた。

「もし何かあったら、騎士隊の人に言えば、彼らを厳しく罰してくれると約束してくれました。だから、大丈夫です。心配して頂き、ありがとうございます。……それから、フェントさんの演技が素晴らしかったのは、嘘偽りのない私の本当の感想です。他のみなさんの演技も素敵でした。これからも頑張って下さい。応援してます」

 そう言って、右手を差し出してきた。フェントがその手を握り返す。二人は固く握手を交わした。無事に一件が落着して、サムトー達五人もほっとした表情になった。

「では、みなさんも、ありがとうございました。明日からの公演も頑張って下さいね」

 そう言い残して、ミランダが立ち去っていく。一度振り返り、大きく手を振ってきた。六人も彼女に手を振り返した。

 レイナがやれやれという顔で言った。

「アイリの時といい、フェントといい、直接会いたいっていう人がいると、ろくでもないことになるわね」

 ポーラがそれに同意した。

「本当ね。でも、今回、フェントを褒めてた言葉に嘘はなかったのよ」

「うん。騙している風には全然見えなかった」

「まさか、あんな女の子が強盗の片棒担ぐなんて、思いもよらないよ」

 アイリもマリーもうなずいている。

「まあ、何事も終わり良ければってことで」

「そうだな。あの連中が二度と悪さしようと思わないことを願うばかりだ」

 フェントとサムトーが結論を口にする。

 一座に戻って、事の顛末を座長に伝えると、カリアスは大きなため息をついた。面会客がいるとろくなことにならないなあと、愚痴をこぼしていた。その日の夕食で、フェントがあちこちに呼ばれ、今回の事件をみなに語って聞かせる羽目になったのは余談である。

 かくして、今回も結局トラブルになってしまったが、無事に何事もなく終わったのだった。


 翌日は、午前、午後共に無事に公演は終わった。さすがに初日より客足は落ちている。それでも、かなり満席に近い状態だった。

「おっし、あと一日だな。今日も頑張った」

 フェントが背伸びをしながら、自分を褒めていた。そうできるだけの演技をしていたと、サムトーも思っていた。それに、毎回のことだが、出演者はもちろん、裏方組もみな公演でよく頑張っているとも思う。本当に頼りがいのある仲間達だった。

「お、アイリもお疲れ様。今日も格好良かったよ」

 サムトーが恋人に声を掛ける。

「サムトーの笛も良かったよ。お疲れ様」

 アイリの方も笑顔で答えてきた。近くにいた者達には、二人の周囲の空気が甘くなったように感じられる。ごちそうさま、と言いたくなる感じだ。

 すると、公演後に舞台や天幕の点検をしていた者が、裏へとやってきた。

「誰が、手が空いてたら、手伝ってくれないか」

 話を聞くと、観客席に小さな男の子が一人取り残されているのだという。まあ、たまにあることだ。その子が、お母さんと言いながら、延々と泣いているという。しばらくすれば、息子の行方を捜しに母が来るだろうから、それまで相手をしてやって欲しいということだった。

「分かった。俺、行くよ」

 サムトーが銅の縦笛を持ったまま、観客席へと向かった。アイリ達も行こうかと言ってくれたが、着替えて休憩してな、と断った。

 観客席に行くと、確かに一人取り残された男の子が一人いた。年の頃は六才くらいだろうか。サムトーは縦笛を吹きながら近づいた。

 笛の音に気付いた男の子が泣くのを止めた。不思議そうな顔をして、近づくサムトーをじっと見る。どうやら少し落ち着いたようだった。

 サムトーが吹くのを止めて、なるべく優しく声を掛ける。

「一人で我慢出来てて偉いぞ。もうすぐお母さんも来てくれるからな。一緒に出口で待とうか」

「うん、分かった。ありがとう、おじちゃん」

 サムトーは、まだ顔つきも実年齢も若いが、小さな子供にかかれば大体こんなものである。今回もそれは否定せず、男の子の手を引いて、天幕の外へと向かった。

 ちょうど黄昏時という頃合いで、世界が金色に染まって見える感じの時間だった。もう少しすれば、空にも赤みが差し、やがて夕方になるだろう。

 さて、男の子の母親だが、これがなかなか姿を見せない。もしかすると、はぐれたのが町中だと勘違いして、そっちを探しているのかもしれない。こちらから探しに出て、行き違っても面倒なことになる。

 仕方なく、二人で出口の外で、待つことにした。

「母さん、遅いなあ。どうしちゃったんだろ」

 男の子が不安そうに口を開いた。まだ幼いのだから無理もない。大人のサムトーでさえ、遅いと思っているくらいだ。

「まあ、大丈夫だよ。あちこち探してるだけさ」

「そうかなあ。母さん、ぼくのこと忘れて、家に帰ったんじゃ……」

「そんなに忘れっぽいのかい?」

 サムトーは、男の子が再び泣き出す前に、質問をかぶせた。

「うん。買い物行くと、塩買い忘れただの、ニンジン買い忘れただの、良く忘れるんだよ」

 質問に答えることで、気も紛れたようだった。泣き出す代わりに不平が出てきた。そんなことが言えるようならもう大丈夫そうだと、サムトーは思った。続けて励ますような言葉を掛けた。

「そっかそっか。それなら、君がしっかり者になって、お母さんを助けてあげないとだね」

 男の子にその発想はなかったらしい。目を大きく開いたかと思えば、ふうとため息をついてこぼした。

「そうだね、おじちゃん。ぼくがしっかりして、はぐれないようにしなきゃいけなかったんだね。ぼく、これから気を付けるよ」

「お、いいね。さすがは立派な男の子だ」

 誰にでも優しいサムトーである。男の子が頑張ろうとする姿に、掛け値なしの言葉で褒めた。

 そんな会話をしている間に、どうやら求め人はやってきたようだった。まだ若い女性が、息せききって走り寄ってきた。

「ごめんねマルロ。母さんがうっかりしてたせいで」

 マルロと呼ばれた男の子は、母の腕の中に飛び込み、抱き着いた。

「ぼくこそごめんね。ちゃんとついて行かなかったから」

「ううん、母さんが悪かったのよ。いないことに気付いて、町の中をずっと探してたんだけど、ここにいるってもっと早く気付けばよかったのに。本当にごめんなさいね」

 無事に再会できて、二人とも心底安堵したようだった。それが落ち着いたところで、母がサムトーに向き直った。

「一座の方、息子の面倒を見て頂いて、ありがとうございました」

 サムトーは軽く手を振って返事をする。

「いえ、こういうこともありますよ。それより、一座の公演はいかがでしたか。楽しかったですか」

「はい、それはもう。私もマルロも楽しく見させて頂きましたよ」

「それは良かった。では、帰り道、お気を付けて」

「はい。ありがとうございました」

 親子二人が手をつないで帰り道に着いた。とても仲の良い親子だった。道すがら、何かを話しているようで、二人とも笑顔になっていた。

 それを見て、ふとサムトーは、かつて母に追い出された少女のことを思い出した。母と仲良く過ごすという幸せを知らずに育った娘。悲しい過去を振り切って、今は猟師村で新しい家族と楽しく暮らしているはずだった。元気にしているといいなと思う。

「おーい、サムトー、どうだった」

 フェント達五人がやってきた。サムトーも彼らという友人を得て、本当に楽しい毎日を過ごしてきた。それは何度でも思い返して良いことだろう。

「ああ、無事に迎えが来て、家に帰ったよ」

「そうか。それは良かった。ならちょうどいい。ぼちぼち風呂行こうぜ」

「分かった。すぐ支度してくる」

 サムトーはそう言って、自分の着替えやタオルを用意した。すぐに合流して、六人で公衆浴場へと向かった。

 その後も平穏な時間が続き、二日目の公演日も無事に終了した。


 公演三日目。午前中は順調だった。

 午後の公演も、最後の曲芸までは何事もなく終わった。サムトーも銅の縦笛を演奏しながら、今回でこの町での公演も最後になるが、大成功間違いなしだろうと思い、曲芸の伴奏に備えて一息ついていた。

 そしてレイナ達四人の最後の曲芸。一人一人が側転、倒立後転、宙返りなどの技を決めながら登場する。相変わらず見事で、見ごたえのする演技で観客を魅了した。そして、四人が一か所に集まり、三人がアイリを乗せて空へと飛ばす。

 一回目、二回目、飛ばされたアイリが体をひねって回ったり宙返りをしたりと、難易度の高い技を決めていく。そして三回目、異変が起こった。空中に上がったアイリの姿勢が少し崩れたのだ。

 まずいと思ったサムトーが、慌てて駆け寄る。落ちてきたアイリを受け止める三人が、わずかに受け止め損ねていた。三人の腕からこぼれて、アイリが頭を下にして落ちそうになる。そこへサムトーが間に合った。落ちそうな頭を両手で支え、何とか事なきを得た。

「何もなかった振りして。演技を続けよう」

 アイリが小声でそうつぶやく。

 他の三人は危うく事故を起こすところだったので動揺していたが、それでも、その一言ですぐに立ち直り、またアイリを腕に立たせて空中へと飛ばした。アイリも、転落しそうになった恐怖を微塵も感じさせず、技を決めていく。それを見て、サムトーも何事もなかったかのように、後ろへ下がって演奏を再開する。観客も何かの演出だと思ったらしく、これが事故だとは気付かなかったようだった。

 そこから三回の空中技を決めると、最後にまた一人技を軽く見せて、四人は一列に並んでお辞儀をした。大きな歓声と拍手が湧き、曲芸も無事終えることができた。

「本日は、カリアス一座の公演をお楽しみ頂き、誠にありがとうございました。みなさまには、お気を付けてお帰り下さいませ」

 座長の挨拶で、観客が続々と天幕を出ていく。誰もが、いい公演が見られたという、満足げな表情を浮かべていた。

 控室では、ポーラが他の三人に謝っていた。

「ごめんなさい。私のミスだわ。少しタイミングを遅らせてしまって」

 過去にもなかった大きなミスに、ポーラはうなだれていた。本当に申し訳なさそうに、深く頭を下げている。

「それを言ったら、タイミングを取る合図を出す、私の責任よ。本当にごめんなさい」

 リーダーのレイナも謝罪した。責任感が強いだけに、自分のミスだと本気で思っていた。

「私だって、フォローが遅れて、アイリを落としそうになったんだし、私も悪かったわ」

「上に乗ってた私の、姿勢の確認が甘かったせいだよ。ごめんなさい、みんなに心配かけて」

 マリーもアイリも謝罪した。誰も責任を押し付けることがない。みな自分のミスだと思っていた。結論からすれば、全員に小さなミスがあり、それが重なった結果だと言えるだろう。だからと言って、失敗を謝罪しないのは気が済まない彼女達だった。

「そのくらいにしておきなよ。たまたま運が悪かっただけだって。次から気を付ければ大丈夫さ。みんなしっかりしてるし」

 サムトーがそうフォローした。四人がそれもそうだ、いつまでも後悔していては次の失敗につながると、気持ちを切り替えた。

「そうだね、サムトー。ありがとう」

「ほんと、おかげで事故も防げたし」

「無事に演技ができて良かった」

「それにしても、良く気付けたね」

 四人が感謝を込めてサムトーに頭を下げた。心からの礼を言われて、サムトーも悪い気はしない。

「まあ、演奏してると、演技が良く見えるからね。いつもと飛び方が違うのはすぐ分かったんだよ。とにかくケガがなくて何よりだった」

「うん。おかげで無事だった。ありがとう、サムトー」

 ケガせずに済んで一番安堵していたのはアイリである。恋人に助けてもらえて本当にうれしかったようで、改めてサムトーに抱き着いてきて、喜びを表現していた。

「よお、サムトー、お手柄だったな」

 フェントもこの場にやってきて、サムトーを褒めた。さすがに曲芸での事故は大ケガにつながるので、絶対に避けたい事である。

「っと、いいところを邪魔しちゃったかな」

 アイリが抱き着いたままだったので、そう思ったようだった。サムトーがアイリの頭を何度か撫でると、満足したのか体を離した。

「ありがとね、サムトー。すごく落ち着いた」

「それは良かった。もう大丈夫だな」

 サムトーもアイリも二人で笑みを交わす。

「それにしても、四人共、すぐ演技が続行できたのがすごかった。さすがだと思った。レイナもポーラもアイリもマリーも、素晴らしかったと思う。良く頑張ったよな」

 フェントが世辞抜きで四人を褒めた。ミスを振り返るより、今後の成功を続けることが大事だと、彼も分かっているのだ。

「ありがとう、フェント。私達は大丈夫。次からはこんなミス、絶対にしないから」

 レイナが力強く宣言する。残る三人も真剣な表情でうなずく。

「何はともあれ、お疲れ様。みんなで少し休憩しよう」

「そうね。そうしましょう。繰り返しになるけど、本当にありがとう」

 こうしてアクシデントも事なきを得て、無事に済んだのだった。


 その日の晩は、公演終了の打ち上げである。

 例によって酒樽が用意され、食事も普段より豪勢だ。

 祝宴の前に、また伝えるべき事柄を、それぞれがみなに話す。サムトーが転落を防いだ手柄もレイナが伝えた。明日午前中は、見張りを残して自由時間となることも伝えられた。せっかく大きな町に滞在したのだから、町を巡るなどして好きなことをして過ごせるようにという配慮で、休暇のようなものである。それから昼食後に出発し、進路を南に変えることも確認された。

 そして座長が音頭を取る。

「それでは、タリアリの町での公演の成功を祝して、乾杯!」

「かんぱーい!」

 全員が唱和し、宴が始まった。

 サムトーはいつものようにフェントと一緒である。

「よく事故を防げたな。大活躍だったな」

 フェントが曲芸の一件を再度話題に出した。事故の時、フェントは控室で待機していたので、実際の場面を見ていない。しかし、転落となると大ケガになるだろうし、そうなると観客も大騒ぎである。公演であってはならないことの一つだった。控室では四人もいたので、深く追及せず軽く流していたが、やはり相当に気を揉んでいたらしい。

「それにしても、あの四人組が本番でミスするなんて、多分初めてだぞ」

「そうだろうな。今回だって、飛ばすのと受け止めるのが、少しずれただけだったみたいだしな」

 そのわずかなずれがあっても、受け止めるのに失敗しなければ、何事もなかったはずだ。本当に偶然が重なり合ったミスだった。

「確かレイナが十七才の時から、あの四人組で曲芸するようになったんだ。だから、もう四年になるのか。技は、時々難しいのを取り入れて、変わっていったけど、その間ずっと、練習中ならともかく、本番で失敗することなんてなかったからな」

「そうか。本当にたまたまだったんだな。俺も、演奏しながら毎回見ていたんだけど、たまたま飛び方が変だってすぐ気づいて、それで駆け寄ったんだよ。演技の邪魔とか考えずに、駆け寄って正解だったな」

 しみじみと二人でそんなことを語り合った。

「でもまあ、この辺にしとこうぜ。四人もこの話聞きたくないだろうし」

「そうだな。それにしても、今回の公演は、いろんな出来事があったな」

「あ、サムトー、あの話蒸し返す気かよ」

「いやあ、本当にお会いしたいって女の子が現れたんだし、すごく貴重な機会だったじゃないか」

「茶化すなって。それに、俺はあの娘に同情してるんだ。悪い男友達の脅しに逆らえなかったわけだろ。よほど怖かったんだろうなって」

「確かにな。それにあの連中、あの若さで強盗とか、将来が心配だよ」

「本当だな。どう育つとあんな風に歪むんだろ」

「さあなあ。ただ、根っこはまともで、たまたま魔が差して悪いことしたって思いたいけどな」

 そんな風に、二人でいても話題は尽きない。

 そして、毎回のことだが、そこへレイナ達がやってきた。

「二人共、お疲れ。それから、繰り返しになるけど、ありがとね」

 もう失敗のショックから立ち直っているようだったが、やはり多少は引きずっている感じで、いつもより酒杯の進むペースが速いようだった。まあ、さすがにそんなにすぐ完全に切り替えられるものでもなく、引きずるなという方が難しいだろう。

 こういう時は話題を変えるに限る。フェントが口を開いた。

「なあ、明日の自由時間、また一緒に町巡りするか?」

「そうねえ。城塞都市ニールベルグでは、六人で楽しかったもんね」

「私は賛成。この六人なら、また楽しいんじゃないかな」

 レイナとポーラは提案に前向きなようだった。

「私もいいと思う。この前の昼食、すごくおいしかった」

「そうね。サムトーとフェントがいると、何かと助かるし」

 アイリとマリーも賛成のようだった。

「おお、我が友たちよ、みなに賛成してもらって、うれしい限りだ」

 フェントが調子に乗ってそんなことを言う。

「ありがとう、フェント。私達のこと、大事に思ってくれてるのね。友達甲斐があってうれしいわ」

 レイナがわざとらしく持ち上げる。格好つけたのが滑って、フェントが頭をかいた。

「うーん、そうくるかあ。降参。俺の負けだ」

 フェントが両手を上げて見せる。他の五人が笑ってしまった。

「大きな町だし、またうまい物食べられそうだな」

 これはサムトーだ。やはり食事は大きな楽しみである。

「そうだね。前回のコースはおいしかった。今回も楽しみ」

 アイリがすぐに反応を返した。この辺の相性の良さが、二人を結び付けた大きな要因だった。

「じゃあ、今回もサムトーに期待」

「またいい店見つけてね」

「頼りにしてるからね」

 レイナ、ポーラ、マリーの三人もすぐさまアイリに続いた。さすがは息の合った四人組である。

「こりゃあ責任重大ですな。友の信頼にしっかりとお応えせねば」

 サムトーもフェントをまねて格好つけてみる。

「おお我が友、是非にお頼み申したぞ」

 そのフェントが追撃してくる。

「頼まれたからには最善を尽くしましょうぞ」

「うむ、頼もしき言葉。さすがである」

 などと馬鹿なやり取りになり、また六人の顔がほころぶ。

 やはり、この六人組でいるのは、とても楽しい時間なのだった。


 翌日。町の方から九時の鐘が聞こえてきた頃。サムトー達六人は、市街地の商店街にいた。多くの店の開店時間である。普段が野営暮らしなので、商店を巡って、いろいろな品を見るのは楽しみの一つである。

 一座では、食材の買い出しは担当が決まっている。だから、この六人が食材を買うわけではないのだが、肉屋や青果店などを覗くのも好きだった。季節の移り変わりで品揃えが変わっていくのも興味を引くし、どんな物がどのくらいの値段で売っているかを見るのも、また楽しい。今は十月なので、野菜類は豊富に揃っていて、彩り豊かであった。

「サツマイモ、すごく値が安いわね」

「この前のシチューに入ってたのも、納得だわ」

「キノコ類もいろいろ種類が出てるな」

 そんな風に、商売の邪魔にならないように気を付けながら、商店を冷やかして回る。町暮らしの人達は、こうした店で買った食材を、自宅で調理するわけだ。開店直後の早い時間だが、すでに買い出しに来ている客もちらほらと見られた。

 宝石を扱っている店にもいってみた。以前、城塞都市の露店で買った小粒のトパーズは、銀貨一枚と大銅貨三枚だった。相場はどのくらいなのだろうかと気になり、宝石類の値段を知りたかったのである。

 実際に見ると、同じくらいの大きさの粒でも、宝石によってかなり値段が違う。六人が持っているのと同じくらいの大きさのトパーズは、銀貨二枚と少々だった。ルビーが四枚、ダイアモンドが五枚といった具合だ。大粒になると、値段が一気に跳ね上がり、一つで金貨で何枚と、文字通り桁違いの値になる。金貨一枚は銀貨二十枚に換算されるのだから、いかに高いかが分かるというものだ。

 金貨単位で売られている物を目の当たりにして、その値段の高さに、全員がため息をついていた。

 店を出てから、口々に感想が出てきた。

「いや、驚いたわ、あの値段。大きくてきれいなのは分かるけど」

「本当に買う人、いるのかしらね」

「でも、誰か買う人がいるから、売っているんだと思う」

「すごいわね。飾りにするだけで、あの値段出せるのって」

 サムトーは、以前宝石の好きな女騎士に出会った時、宝石は唯一無二で、同じ大きさでも元になる石も加工の具合も違って、輝きが違うと教わったことを思い出していた。どこの町のどこの店でもそれは一緒なのだろう。だから、見る人にとって価値のある物が高いのは当然かもしれない。そんなことを考えていた。

「ま、いい目の保養にはなったな。たまには宝石見るのもいいものだ」

 フェントがそんなことを言って、話を締めた。宝石の価値をきちんと理解している当たり、彼も出来た人物だった。

「そうね。じゃあ、次は雑貨屋で。また小物でも見ましょう」

 レイナが率先して歩き出す。五人が後に続いた。

 すると、一軒の金物屋の前で、見覚えのある少年を見かけた。真剣に店の前を掃除していた。三日前、フェントを襲おうとしていたサイラスと呼ばれていた少年だった。

「よお、また会ったな」

 フェントはこういう時、声を掛けるのにためらいがない。どうせ今日の昼過ぎには旅に出るのだ。トラブルの続きになっても一向に気にしない。それに、ちょっと知り合っただけの相手でも、もう会うこともないかと思うと、少しは話してみたくなるのだった。

「げ、あんたか。……この前は悪かった。反省してる」

 サイラス少年の方も、フェントのことはしっかり覚えていた。こんな言葉が出てくるあたり、相当厳しく絞られたのだろう。

 フェントが心から同情したように言った。

「それは何よりだ。きつい説教だったと思うけど、喰らっておいて良かったな。そんな若さで道を踏み外したら、一生悪党だぜ」

「分かってる。騎士隊の人に厳しく言われた。悪党の末路は、下手すれば処刑、良くて懲役でも、遠くで厳しく働かされるって」

 心底反省しているようで、言葉に澱みがなかった。

「この店、俺の見習い先なんだ。これからはちゃんと働いて、真っ当に給金を貰うようにするよ。それに、ここで商売のこと教わって、将来は交易とかで儲けられるようになりたいと思ってさ」

「そっか、頑張れよ。応援してるぜ」

 フェントが屈託なく言った。世辞でないことが伝わり、サイラスが笑みを浮かべて礼を言った。

「ありがとな。俺、真面目に頑張るよ」

 そう言って、二人は軽く手を振って別れた。フェントだけでなく他の五人も、サイラスが心根を入れ替えたのを見て、安堵していた。

「若者が心を入れ替える、何とも素晴らしいことだな」

 フェントが格好をつけてそんなことを言った。

「あんただって若者でしょ。心は入れ替える必要ないと思うけどね」

 レイナが軽く突っ込む。六人は軽く笑って、次の店へと向かうのだった。


「結構、いろいろ見て回ったわね」

 六人は、雑貨屋、道具屋、服屋、文具屋など様々な店を見て回った。フェントが下着が傷んできたのを買い直したくらいで、特に買い物をしたわけではない。それでも、店を巡って様々な商品を見るのは楽しかった。

「そろそろ昼食だな。さて、どうするか」

 フェントがつぶやく。さすがに町の規模が大きいので、食事のできる店も多く、目移りする。慌てることでもないので、まずはどんな店があるのかを見て回る。

「手軽に食べられるサンドイッチもあれば、この前みたいなコース料理もあるわね。パスタに麺に煮込みにと、種類も数も多いわね」

「まあ、迷うのも楽しみのうちだけど、適当なとこで決めないと」

 店を選びながらうろうろしていると、一軒の店の中で、見覚えのある少女が給仕をしているのが見えた。

「あれ、あの娘、ミランダって娘じゃない」

「本当だわ。フェントのこと、べた褒めしてた娘」

 せっかくの縁だし、この店にしてみるかと看板を見る。『焼き物と揚げ物の店ストーブ』と書いてあった。デザート付きのセットで銅貨十八枚。値段も悪くない。

「ここにしようか」

「そうね。揚げ物なんて、滅多に食べられないし」

 野営暮らしでは、大量の油を使った料理は、油の始末に困るため作られることはまずない。精々薄く引いた油でこんがり焼く程度だ。なので、揚げ物という珍しいメニューに惹かれて、中に入ることになった。

「いらっしゃいませ。あ、フェントさん達」

 給仕に出てきたのはミランダだった。給仕服が良く似合っている。

「よく来て下さいました。この店の揚げ物はおいしいですよ」

 五人は受け答えをフェントに預けた。代表してフェントが答える。

「そうなんだ。ミランダさんが見えたから、いい店なんだろうと思って入ってみたんだよ。そこまで言うんなら、料理が楽しみだな」

「はい。期待してて下さい。では、お席の方へどうぞ」

「そうそう、さっきサイラスにも会ったよ。さすがに厳しく言われて、懲りたみたいだった。店の掃除を頑張ってたよ」

「そうですか。ありがとうございます。良かったです」

 サイラスが改心したことは、すでに知っていたかもしれない。それより、襲ったサイラスと襲われた側のフェントが、普通に会話できるくらいに和解したことに安堵したのだろう。ミランダが軽く笑顔を浮かべていた。そのまま案内を再開する。

「では、どうぞこちらへ」

 六人掛けのテーブルに案内され、メニューを渡される。

「フライとフリッターは何が違うんだい?」

 基本的な質問だが、知らないことは人に聞くに限る。ミランダも店員をしているだけあって、簡潔に分かりやすい説明が返ってきた。

「フライはパン粉を使って揚げるので、衣がかりっとしてます。フリッターはメレンゲ、卵の白身を泡立てたものですね、それを衣に使うので、ふわっとしてるんです」

「なるほど、ありがとう。こりゃちょっと悩むなあ」

 六人がメニューと格闘を始めた。最初に決めたのはサムトーで、ポークのカツレツが良さそうだと思ったようだった。フェントが同じ豚肉でもフリッターに決め、レイナ達はそれぞれチキンのカツレツ、チキンのフリッター、ミンチのカツレツ、ハムのフリッターとそれぞれ違うメニューとなった。

「みなさん、サラダとデザート付きのセットですね。少々お待ち下さい」

 ミランダがそれを伝票に書き入れ、厨房に伝える。しばらくして、コップに入った水を給仕して回る。

「ミランダさん、いい働きぶりだね。ここでは長いのかい?」

 フェントが感心して褒めた。ミランダもうれしかったようだ。

「はい。十二才からです。もう三年やってます。給仕もまだまだですが、仕事にもずいぶんと慣れましたね。料理も時々教わっていて、店の人にはとても良くして頂いてます」

「そうかあ。そいつは良かった。じゃあ、頑張ってな」

「はい、ありがとうございます」

 ミランダが一礼して立ち去る。昼食時だけに忙しそうで、他の客への給仕や注文取りにと、良く働いていた。

「いい娘だな。さすがフェントを素敵だって思うだけのことはあるな」

 サムトーが、半分茶化したように言った。その程度では動じないのがフェントである。

「同感だ。さすがは俺の良さを散々褒めてたような、見る目のある娘だ。働きぶりも見事だな」

 図々しい言い草だが、まあ一理あることはある。

「トラブルはあったけど、無事に落着して、本当に良かったわ。あの働きぶり、きっとミランダもそう思ってるのよ」

「そうだな。心置きなく仕事してる感じがするな」

 サムトーも、知り合った相手が生き生きとしている様子を見るのは、うれしく思う。

 そんな会話をしている間に、ミランダが給仕にやってきた。最初にサラダを、その次にスープをそれぞれ配って回る。

「どうぞお召し上がりください」

 一礼してまた立ち去る。

「では、いただきます」

 六人が唱和して、早速味を見る。サラダは、生野菜の歯ごたえと新鮮な味わいを、特製のチーズソースが旨味を加えて引き立てている。スープも良くできたコンソメスープで、様々な材料の旨味が溶け込んで調和していた。

「おいしい。最初がこれだと期待できそうね」

「やっぱり料理屋さんって、それで商売してるだけにおいしいわね」

「うん、簡単そうで、良く工夫されてるのが分かる」

「メインの揚げ物が楽しみ。どんな味なのかな」

 前菜でも好評だった。六人共、味わいを心から楽しんでいた。

「お待たせしました。こちらメインの揚げ物になります」

 さすがに六人がバラバラに頼んだので、ミランダも誰がどれを頼んだかは覚えきれておらず、ポークのカツレツの方は、などと確認を取りながら給仕をしていった。メインの皿を配り終えた後は、パンが二個ついてきた。

「どうぞ、ごゆっくり」

 お待ちかねの皿がやってきたところで、まずは味見だ。

「ん! うまい!」

 最初に衣の旨味と歯ごたえがして、噛み切ると中から肉の旨味がにじみ出てくる。衣が旨味を閉じ込めているので、焼いただけの肉よりも旨味が豊かに感じられる。軽くかけられたソースが、その味わいをさらに膨らませる。文句なしにおいしい。

「行儀は悪いけど、また少しずつ交換しよう」

 こういう時は遠慮のない友人同士である。少しずつ、みなで分け合って味見した。ポークもチキンもミンチもハムも、それぞれに良さがあって、どれが一番とは決めかねる感じだった。

「どれもうまいな。旨味がぎゅっと詰まってる感じだ」

「同感。値段の割においしくて、お得感があるわね」

 食べる手が止まらない。できるだけゆっくり食べたいのだが、うまさに負けて次々と口に入れてしまい、気が付くと皿が空になっていた。

「いかがでしたか?」

 給仕のミランダが皿を下げに来た。食べっぷりは見ていたのだろう。おいしく食べてもらえたのがうれしいようで、軽く微笑んでいる。

「いやあ、見事な味だったよ。すごくうまかった」

 フェントが一同を代表して答える。五人もそれぞれうなずいていた。

「ありがとうございます。では、食後のデザートとお茶をお持ちしますね」

 運ばれてきたのは栗のペーストを使ったケーキだった。いわゆるモンブランである。

「さすがにケーキはうちの店でなく、近所のケーキ店の物なんですけどね」

 メイベルがそう言った。なるほど、近所と提携して、互いの商売を盛り上げる工夫なのが伝わってきた。

 これもまた、栗のペーストに生クリーム、スポンジの土台が調和して、実においしい。

 野営でも栗を食べることはたまにあって、調理担当が実を買ってきて茹で置き、昼食後のおやつとかに出すことはある。しかし、皮は自分で剥くし、それはそれでおいしいが味は単調だ。それを味わい深いペースト状に加工するのは、やはり職人の腕前があってこそだろう。ケーキを食べてから紅茶を飲むと、一層甘みが口の中に広がる。そして茶の渋みが舌を引き締め、これもまたいくらでも食べられそうな感じだった。

「後でこのケーキ屋寄ってみるよう。他の品も見てみたいし」

「旅のおやつに焼き菓子でも買いたいわね」

 このケーキもまた好評だった。気が付くと、六人全員が見事に食べ尽くしていた。

「すごく満足した。実にうまかったよ」

 勘定を支払いながら、フェントが感想をミランダに伝えた。

「ありがとうございます。店主も喜びます」

 満面の笑みでミランダが答えた。とてもいい表情で、客の印象を良くする効果は絶大ではないかと思った。短い時間だが、いい娘と知り合い、トラブルが解決できて良かったと思うフェントだった。

 フェントの心情はサムトー達にも理解できる。かわいらしく、いい表情をする娘を救えて良かったと、全く同じように感じていた。

「本日はお越し頂きありがとうございました。どうぞ良き旅を」

 ミランダは、そう言って頭を下げ、六人を見送ってくれた。

「今回も町巡りは楽しかったわね」

「ええ。楽しくておいしくて、とても良かったわ」

「公演の後の自由な時間も、いいものだね」

「うん。ちょっと知り合った人のいいところも見られたし」

「よし、じゃあ、おやつ買って帰ろうぜ」

「そうだな。俺も何か買おう」

 それから六人はケーキ屋に立ち寄り、日持ちのする焼き菓子を買った。旅の途中、好きな時に食べようという算段である。一座でも、町巡りで同じように間食を調達する者は多かった。旅の最中は長い時間歩くので、小腹が空くことも多いのである。

 六人は、こうして自由時間を満喫して、気分良く馬車へと戻っていったのだった。


 それからはいつもの日常だった。

 朝食の支度をして、全員で和気あいあいと食べる。

 その片付けをして、天幕を撤収し、馬車に積み込む。

 馬車が十台連なって進む姿は壮観だ。御者と休憩している者以外は、みな馬車と並行して歩いていく。一日中馬車内にいると、運動不足になってしまうからだ。本来馬は人が歩くのよりわずかに速いものだが、荷車が重いため速度が少し遅目であった。子供でも十分について行ける速さだった。歩き疲れたら、馬車に乗って休めばいいのである。

 サムトー達若手六人も、たまに御者を務めることがある。休憩までの長い間御者台に座り続けて、馬の調子を確認しながら進ませるだけなので、結構退屈である。それでも時には馬がよそ見したり止まろうとしたりするので、時々馬をなだめたり合図を出したりする必要があった。

 歩いている間、もしくは御者をしている間は、誰かと話をするも良し、景色をのんびり眺めるも良しである。とにかくひたすらに前進していく。ごくたまに追い越しを掛けてくる馬車がいた場合、止まることがあるくらいで、それ以外は進むだけである。この時間をどう上手に過ごしていくのかは、各自の工夫次第である。

 三時間ほど歩くと、昼食休憩となる。

 最初に馬車を停められる川辺へと乗り入れる。街道のあちこちに、川から近い場所があるので、その中の一つを選んで停めるのである。そして馬車から馬を外し、水を飲ませて休ませる。馬の休憩はとても大事である。

 人間の休憩はそれからになる。

 平らなところに板を敷き詰め、食事場所を設置する。調理担当が手早く食事の仕度をする。時間はかけられないので、簡単なメニューになる。

 食後は、演技の練習をしたり、物資の確認をしたりと、働いていることが多い。休みたければ馬車の中でできるので、昼のうちにできることをやっておくのである。サムトーも演奏の練習をすることがあり、時には楽器担当と音合わせをする。練習した後で時間が余ると、物資確認や、演技練習の手伝いをすることもあった。

 一時間半ほど休憩の後、馬車は再度出発する。御者はもちろん交代する。午前中と同じように、三時間ほどまた歩いていく。歩くのも休むのも各自の判断で、適当に行うことになっている。仲の良い一座なので、調子の悪い者がいたら、休むよう声を掛け合っている。暇そうにしている者に声を掛けることも多い。

 夕方になる前には、次の野営地で停まる。大体、宿場町に近い川辺の空き地を選ぶ。神聖帝国の法では、川辺の土地は氾濫した場合の被害を防ぐために定住が許可されておらず、空き地とすることになっている。その場所は一時的に使用する場合、許可なく自由に使って良いと定められていた。その法に則って野営しているのである。もし、宿屋を利用するなら、馬車の預かり代に一座三十数名の宿代で、一泊だけでも金貨数枚と、物凄い値段になってしまう。設備があるなら野営するのが安上がりなのだった。

 宿場町が小さい場合、公演は行わない。かつて猟師村の近くの町で公演を行ったがそれは例外である。猟師達から毛皮などを買い取る必要があり、合わせて彼らを歓待する意味もあったのだ。ただ、小さな町でも、食料などは買い出しする必要があったし、また公衆浴場を利用することもできるので、立ち寄る必要はあった。

 就寝用の天幕を設営し終えたら、夕食までは自由時間である。入浴したい場合、この時間に行うことになる。調理担当はこの時間も忙しいので、食後に休憩を貰うことになっている。

 食後も就寝までは自由に過ごせる。この時に、公演が予定されている場合は打ち合わせなどを済ませておく。公演がない場合、物品の状態を確認したり、私物を整理したり、見張り番の確認をしたりと、必要なことを済ませてから自由に過ごすことになる。

 それから就寝。見張りを除いて全員一斉に休む。

 見張り番は三人一組で、四交代で行うことになる。演技担当者と小さな子供以外は、必ずどこかで見張りを担当することになる。そこで寝不足になった分は、移動中馬車内で休憩を取るわけだ。

 こうした毎日を、一座の面々は、普通の日常としてこなしていた。町住まいの者からすると、毎日が旅と作業で大変そうだ、という風に見えることだろう。それでも一座の面々はみな、この暮らしが気に入っていて、日々を楽しく過ごしているのだった。


 いつしか日も過ぎて、十月も下旬となった頃。一座はカムファの町の少し手前にまで到達していた。

 カムファの町は、人口はおよそ五万。東西南北に道が分岐する交通の要衝で、主として交易で栄えていたが、城壁都市ではなかった。この町で去年事件が起こり、襲い掛かってきた若者達を退治したところ、あまりにサムトーの腕が立ちすぎて、疑惑を招く危険があると婉曲に忠告されたのだった。さすがにこの町を再び訪れるのは、サムトーの素性が知れる危険が高すぎた。以前からアイリに話していたように、同行してきた一座とも、別れる頃合いだろうと考えていた。

 現在は、その手前にあるバスクスという町の近くに滞在している。人口はおよそ一万。ごく普通の宿場町である。ここでは二日間だけ公演を行い、一日の休息を挟んで、次のカムファへと向かう予定となっていた。

 町に到着した日の夕食前、いつものように必要なことを伝え合っている最中に、サムトーも重要な話を切り出した。

「みんなも知っている通り、次のカムファの町には、俺は一緒に行けない。あそこの騎士に釘を刺されたしな。だから、一人旅を再開する。カムファを素通りして、西に行こうと思ってる。一緒に過ごせるのもあと六日ってところだ。一座のみんなには本当に世話になった。すごく楽しくて、充実した毎日だった。改めて礼を言わせてもらうよ。本当にありがとう」

 実際には、『七人を一撃で倒せる腕前の持ち主が、川辺で公演を行っていた旅芸人カリアス一座の元にいた』というのが、カムファの町に駐屯している騎士隊の公式記録である。何でそんな腕の立つ奴が旅芸人の一座にいるのかなどと、そんな疑念を抱く者がいるとは限らず、むしろ強い奴はどこにでもいるものだな、くらいで済んでいるのかもしれない。

 しかし、疑われて素性を探られでもしたら、言い逃れは難しい。一年半前にあった大都市カターニアで起こった奴隷剣闘士の反乱の際に逃げ出した、奴隷剣闘士ではないかと疑う者は必ず出てくるだろう。一旦疑われれば、前回城塞都市ニールベルグで、旅の剣士で用心棒と名乗った時のようにはいかない。逃亡奴隷は捕まれば処刑される重罪犯なのである。追及の厳しさもかなりのものだ。その危険は冒せなかった。

 一座の面々が沈黙した。分かってはいても、そのことを事前に聞かされていても、やはり仲間との別れは寂しいのだった。

 同じ若手の友人五人、特に恋仲のアイリにとっては、この別れは相当に辛いものだった。それでも、大事な相手だからこそ、危険に晒すわけにもいかないのだ。それは十分に承知していた。

「分かってる。こちらこそ、今までありがとう、サムトー」

 一番先に口を開いたのはアイリだった。その一言を皮切りに、ありがとうや最後までよろしくな、といった声が口々に上がった。サムトーは一座の好意に感謝して、深々と頭を下げた。

「まあ、カムファの町の手前までは一緒だ。それまではよろしく頼む。特に明日からの公演、頼りにしてるぞ、サムトー」

 座長のカリアスがその場を締めた。そして夕食になる。

 挨拶が唱和され、それぞれ食事を始める。

 サムトーはいつものようにフェントと一緒だった。

「とうとう来るべき日が来ちまったな。残念だ」

 さすがのフェントも本音を口にしていた。サムトーが黙ってうなずく。

「まあ、仕方ない。最後まで楽しくやろうな、我が友サムトー」

「もちろんだ。よろしく頼むな、我が友フェント」

 公演の前日なのでエールはなしである。二人は、水の入った木杯を軽く合わせた。

 夕食を頬張りながら、これまでの出来事に思いを馳せる。何気ない日常の中にも、いろいろなことがあったものだと思う。

「そういや、結局、川でのあれ、また一緒に見ちゃったな」

 フェントが言うのは、曲芸娘四人が水浴びしている様子を、こっそり覗き見たことである。去年、最初にサムトーを誘った時は、とても重大な用事があるとか言って、サムトーを誘ったものだった。今年合流してから誘われた時、サムトーもよほど断ろうかと思ったが、せっかくの機会だから一緒に見たいとフェントに懇願され、ならばと同行したのだった。罪悪感は相当のものだったが。

「そうだな。相変わらず、みんなきれいだったよ」

 相当の罪悪感のはずだが、美しいと思ったのもまた事実だった。フェントに言わせると、美しい物を見るのが罪というなら、あえてその罪を負ってでも見たいのだそうだ。その気持ちも十分に分かってしまった。

「そうだろう。ああいうの見ると、生きてるなあって感じするよな」

 しみじみと感じ入ったように、フェントがうなずいている。積極的ではないが、肯定している時点でサムトーも同罪である。

「生きてる感じって言えば、結構、あちこちでうまいもの食べたな」

 サムトーが話題を変えた。

「パスタにハンバーグにコロッケに、この前は揚げ物だったか。一座の飯もうまいけどさ、料理屋は商売でやってるだけあって、一段上だなあって、みんなで感心したもんだったな」

「料理っていう芸で金をとるだけのことはあるよな、やっぱり」

 食事の合間にそんな話をしていた。二人共、明日に備えて食欲も十分である。話している時以外は、食べるのに忙しい。

 それほど時間もかからず、二人は食事を終えていた。いつもの六人でエールを飲みながら食べるのと違って早い。

「食い終わっちゃったな。で、この後はまたアイリと逢引きか?」

 何の気なしにフェントが尋ねてきた。サムトーは大真面目で答えた。

「ああ。最後まで大事にするって約束したからな」

 別れが決まっていても、その時が来るまではお互いが大事な存在である。一緒に過ごせる時間はとても貴重だった。

「それはお熱いことで。そうだな、大事にしてやんないとな」

 二人は食事の片付けをして別れた。

 サムトーは、その後、恋仲のアイリと甘いひと時を過ごした。公演の前日なので時間は短かったが、お互いに心の奥まで満足できた時間だった。

 そして就寝。天幕暮らしもあと少しかと、サムトーは少し寂しく思いながらも、眠りに就いたのだった。


 それから二日間に渡って、一座は午前、午後の二回公演を行った。

 サムトーにとっては一座で最後の公演である。いつにも増して、張り切って銅の縦笛を演奏していた。ジャグリング担当で三十代男性のトニトが太鼓を、ナイフ投げ担当で二十代半ばの男性ラントがラッパを、物品管理のサブで四十代男性のボルクスがギターをそれぞれ演奏して、四人で音を重ねて演技を盛り立てる。四人の息もぴったり合っていて、演技の雰囲気を盛り上げるのに大きく貢献していた。

 あまり大きな町ではないが、娯楽の少ない町だけに、観客の入りは良かった。公演は大いに盛り上がり、拍手と歓声が何度も湧いた。客を喜ばせてこその旅芸人である。その反応の良さに、みな手ごたえを強く感じていた。

 やがて、最後の公演が終わった時、サムトーは、やり遂げたという実感を強く感じていた。去年も今年もどちらも三月ほどではあったが、こうして一座が客を喜ばせる力となれたことを誇りにも思っていた。それは素晴らしく充実した時間であった。

「アイリ、俺、一座にいられて、本当に良かったよ」

「うん。分かってる。私もサムトーがいて、良かったと思ってる」

 公演を見終えて去っていく観客達の満足そうな表情を見ながら、サムトーはしみじみと感慨にふけっていた。隣にはアイリが寄り添っている。それはとても幸福な時間だった。

「サムトーにとっては最後の公演か。感慨もひとしおだろうな」

 少し離れた場所から、フェントたちが二人を見守っていた。充足感に浸るのを邪魔しないよう、あえて距離を置いていた。

「きっと一生の思い出になるわよ」

 レイナがフェントに答える。何だかんだと息の合う二人だった。

「でも、よかったわ。満足のいく公演ができて」

「そうそう、生き生きしてたもんね」

 ポーラとマリーも、サムトーが楽しそうに演奏している姿を、演技の合間に覗き見ていた。彼の明るい表情はとてもいいものだった。

 やがて、全ての客が帰宅の途に着いた。最終日の公演の後は、天幕の撤収がある。全員で協力して作業するのだ。

「お、サムトー達、もう始めてるな」

 フェントがその早い切り替えに感心していた。

「私達も始めましょう」

 四人がサムトー達に合流し、他の一座の者達と共に撤収作業に加わった。布を外し、柱を片付け、敷き詰めた板を集めていく。

 途中、サムトーがフェントに一言、声を掛けた。

「今回も見事な演技だったぜ、フェント。さすがだな」

「ありがとよ、お前の縦笛も良かったぜ」

 二人で軽く拳を合わせる。心からの友人だけに息もぴったりだ。その後は軽く笑みを浮かべて、すぐに作業に集中する。

 毎度のことなのでみな手際も良く、さほどの時間もかからず作業は終了した。その後は夕食の支度まで休憩である。

 一座の面々は、交代で町の公衆浴場へと向かい、一日の汗を流しに行く。公演の最終日だけに、一風呂浴びて疲れを癒すのも、彼らにとっては一種のご馳走であった。サムトー達六人も、適当な頃合いを見て、町の公衆浴場へと向かったのだった。


 この日の夕食は、公演の打ち上げも兼ねてエール付きである。例によって食材も豊富に買い出してあった。いつもより豪勢な料理が並んでいる。

 そして、いつものように、一座の面々が伝える事柄を順に話していく。最後にサムトーが挨拶と礼を言った。

「公演の成功、本当に良かったです。俺にとっては最後の公演になるので、できる限り頑張ったつもりです。これまで、みなさんのおかげでとても楽しく、充実した生活を送ることができました。あと四日でお別れですが、本当にありがとうございました」

 拍手が湧いた。一座の者もみな温かな目で見ている。繰り返し予告されてきたことだが、今度こそ本当に最後なのだと、みな改めて思っていた。自然と寂しさが募り、これまで一緒に過ごしてきた楽しい日々が思い出された。

「サムトーは、カムファの町に入る前に、一人西の街道へと向かう。四日後の昼食後、一人で旅立つことになる。それまでよろしく頼む」

 座長が最後にサムトーの予定を告げた。一同が静かにうなずく。

「では、公演の成功と、サムトーの旅立ちに、乾杯!」

「かんぱーい!」

 サムトーにとって一座での最後の宴となる。近くにいた人々と酒杯を合わせると、楽しいひと時を過ごそうと、エールの酒杯を遠慮なくあおった。

 目の前にいるフェントも同じ心境らしい。勢いよく酒杯をあおっていた。

「ま、飲み過ぎない程度に、羽目を外そうぜ」

「そうだな。にしてもフェント、この町でも、公演中、手を振ってたな。きれいな娘でもいたのか」

「さすが我が友、良く見てたな。金髪の美人がいてな。転んで立ち上がる時に、目が合ったから、ついな」

「ほんと、いい目をしてるな。暗い中、良く美人だって分かるもんだ」

「任せろ。これが俺の最大の特技だからな」

 飲み始めから、変な話題で会話が弾む。

「サムトーだって、アイリと二人きり、感傷に浸ってたじゃないか。近くで見ててもいい雰囲気だったぜ」

「それ、褒めてるんだよな。まあ、寂しさと充実感が混ざって、すごく不思議な気分だったんだ。それを共有できる相手がいたのは、本当に幸運なことだと思ったな。言葉にしなくても伝わるって言うか」

「ああ。紛れもなく幸運だと思うぞ」

 言葉を切って、フェントが料理を口に運ぶ。サムトーもそれに倣う。食べながら、こうして何気なく会話すること自体が、友情という名の幸運な関係なのだと、互いにしみじみ思っていた。

「やっほ。来たわよ」

「いつものように、ご一緒しますね」

「サムトー、一緒に飲もう」

「そこはみんなで、でしょ」

 レイナ、ポーラ、アイリ、マリーの四人もやってきた。やはりこういう時は、いつもの六人が自然と集まる。

「らっしゃい。待ってたぞ」

「相変わらず、四人ともきれいだな。いつ見ても美しい」

「何よ、サムトー、もう酔ってるの?」

「いや、フェント風に決めてみただけ」

 六人が笑みを浮かべる。ちょっとした冗談も、また楽しい。

「ねえねえ、明日は一日休みでしょ。また一緒に行く?」

 これはマリーからだ。明日は一日休んで、この地にもう一泊する。もちろん、明日の過ごし方は買い出しなどの仕事がある者以外は自由だ。明後日からカムファの町まで三日。その途中、町に到着する直前、最後の昼食休憩の時に、サムトーは一人旅に戻ることになる。六人で町巡りをするのも最後の機会になる。

「俺はやっぱりこの六人で一緒がいいな」

 サムトーが一番最初に賛同した。最後まで楽しく過ごすにはそれが一番だと、初めから考えていたようだった。

「タリアリの町では揚げ物食べたでしょ。その前はハンバーグだったわね。どっちもすごくおいしかったわ」

「サムトーといると、おいしい物に当たるから、ぜひご一緒しよ」

 レイナとポーラも賛成だった。野営では食べられない珍しくておいしい物の誘惑には、やはり勝てないようである。

「やっぱり六人がいいよね」

「じゃあ、決まりだ。また一緒に行こうぜ」

 アイリとフェントも当然の如く賛成する。

「この前のフェントみたいに、また一緒にお話ししたいんです、なんていう娘が現れるのは遠慮したいけどね」

「そうよねえ。俺と一緒にお茶でもどうだ、とかも嫌かなあ」

 レイナとポーラが肩を落として言う。以前のいくつかの町で、女性陣四人だけで町巡りをしていた時、いわゆるナンパをされたことが度々あったのである。若くてきれいなだけに、そういうのに遠慮のない輩が目をつけるのも無理はない。断るのに手こずって、延々とうっとうしい誘いを受け続けたことも一再ではなかった。

「その点、サムトー達がいると安心」

「虫よけって言うと人聞き悪いけど、助かってるのは確かだわ」

 アイリとマリーもうなずいている。二人共、そういうお誘いに対しては好感がもてないようだった。

「そういやサムトー、一人旅の時、お兄さん、ちょっとご一緒しない、みたいなお誘いを受けたことってないのか?」

 フェントが思い出したように尋ねてきた。サムトーが今までの一人旅を振り返ってみる。あいにくだが、剣士として旅をしていた時に、そんなことは一度たりともなかった。

「残念だけどなかったな。宿の客引きくらいだ。お兄さん、ぜひうちの宿に泊っていきなよ、みたいな感じの」

「サムトー、格好いいのに、なかったんだ」

 アイリがすぐに反応した。自分の思い人だけに、彼女の中でサムトーは相当に美化されている感じだ。当然のように、声を掛けられて大変だったのでは、と思っていたようだ。

「うーん、分かるような、納得いかないような、そんな感じね」

「そうね。一度くらい、あってもよさそうだけど」

「まあ、町の娘さん達には、そういう人、少ないんじゃないかな」

 三人が立て続けに言ってきた。どれも正直な感想だった。

「俺は一人で町巡りしてて、自分の方から声を掛けてたけどな」

 フェントが偉そうに言った。まあ、たった一人で、しかも良く知らない町中で、そんなことができる度胸は大したものかもしれない。

「時間が足りなくて、結局立ち話で終わることがほとんどだったけどな。それでも何人かには、お茶をご馳走したもんさ」

 そう言って胸を張る。それだけで終わっても、フェントにとっては十分満足のいくことだったらしい。

 話が奇妙な方向にずれていた。だが、それはそれで楽しい。

 ちょうどここで六人共エールの一杯目を飲み干していた。話題の合間に、みなで注ぎ足しに行った。

「じゃあ、改めて、乾杯!」

 六人が再び酒杯を合わせる。気分良くエールをあおった。

「ここバスクスの町って、それほど大きくないでしょ。それでも大きな公園があって、いろんな花が咲いていてきれいみたいよ」

 レイナが話を切り替えた。一座には長年旅をしていて、いろいろな町のことを覚えている者もいる。そこで仕入れた話のようだった。

 余談だが、神聖帝国では、町中に数多くの公園が作られている。火災が起きた時に延焼を防ぐのと、避難場所を確保するのに必要だからである。普段は町住人達の憩いの場として活用されていた。

「花壇とかのある、手入れされている公園かあ。旅暮らしだと、花とか見ても通り過ぎちゃうから、のんびり見るのもいいかもね」

「そうだね。どんな花があるんだろ」

「秋の花壇だと、キキョウ、コスモス、リンドウとかかな」

 ポーラもアイリもマリーも乗り気のようだった。

「人がわざわざ花を育てて楽しむのかあ。町の人達って、そういうことに手間暇かけるんだな。そういうのを楽しめる心って、素晴らしいな」

 フェントが訳知り顔で言う。言ってることは正しいとサムトーは思った。貴族の城などに呼ばれた時、庭園がよく整備されていて感心したものだ。維持するのに、とても労力のいることである。

「フェントも良いこと言うな。きれいに整備されている花壇ってのは、すごく大事に手入れされていてな。思いの外、見事なもんさ。俺も一人旅の時、いくつも見たことあるんだ」

「そうなんだ。じゃあ、明日、楽しみにしてる」

 アイリとしては、そんなきれいな花々をこの六人で、特にサムトーと一緒に見られるのがうれしいようだった。その気持ちを察して、サムトーが右こぶしを軽く突きだす。アイリが拳を合わせた。

「そうよね。花を育てるのも、園芸って言うくらいだし、これも立派な芸よね。せっかくだから満喫させてもらいましょ」

「あとは、いつものように、おいしい物が食べられるといいな」

「ポーラは、やっぱり食い気が先に来るんだ」

「でも、私も同じ意見。おいしさは大事だよ」

 会話が一段落したところで、四人が料理に手を付けた。宴の料理だけあって、気合が入っている。これもしっかりとおいしい。

「うんうん。おいしいのは大事だな」

「同感だ。今日の料理も十分うまい」

 話して食べて飲んでと、いつものように六人は賑やかだった。

 やはりこの時間が楽しいと、サムトーはしみじみ思っていた。この友人達のありがたさは、何度繰り返し感じても良いことだろう。

 宴の終わりの時間が来るまで、六人は楽しく話しながら飲み食いしていたのだった。


 翌日。朝食を食べ、片付けを済ませて一段落したところで、六人は揃って町巡りへと出かけて行った。

 まずは、噂の公園へと足を運ぶ。

 町の規模の割には、かなり広い公園だった。中央が空き地になっていて、それを取り囲むように花壇が設置されている。この時期、まだ種を蒔いたばかりの花壇もかなりあった。春に花が咲くように作られているのだろう。

 花壇の一角は、見事と言うしかないほどの花畑だった。マリーが話していた通り、キキョウ、コスモス、リンドウなどが群れになって、一斉に花を咲かせている様子は壮観だった。

「うわあ、きれいねえ。なるほど、これは手間暇かかってるわ」

 レイナの言葉通りだとばかり、他の五人もうなずく。

「素敵な光景よね。咲き乱れるとは良く言ったものだわ」

「一面の花がずっと続いてて、きれいな絨毯みたい」

「ほんのりいい香りもする。気持ちいいわ」

 六人は、花壇の周囲をゆっくりと歩いて回った。町の住人達でも、この場所が好きな人は多く、そこそこに人出があった。もしかすると、近隣の町から観光に来ている人もいるかもしれない。それほど見事な花畑だった。

 近くで、年配の夫婦が、今年もこの花畑は見事だ、見ているだけで、生きていて良かったとしみじみ思うな、などと話していた。サムトーが事のついでにと思ったか、その夫婦に話しかけた。

「突然失礼します。ご夫婦はこの町の方ですか?」

「はい。そうですが、それがどうかしましたか」

「この花壇は、一体誰が世話をしているのか、気になりまして」

「ああ、そうですか。この町の町長さんが、帝国からお金をもらって、人を雇って花壇を管理しとるんですよ。代々の町長さんは、きちんともらったお金を花壇に使っておりましてな。これだけ見事な花畑が季節ごとに見られるんですよ。このバスクスの町の大事な名所でね、ちょっと遠くの町からも見物客が来るほどなんですよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 他の五人も、サムトーと老夫婦のやり取りは聞いていた。みな、なるほどなあと、感心した表情をしていた。

「町長は人を雇うことで人同士のつながりが作れるし、花壇を世話する人は給金をもらえるし、世話された花壇は人を楽しませるし、いいことづくめだな。帝国も意味のあることにお金を使うんだな」

 フェントがしみじみと言った。誰かが途中で金を横流ししない限り、プラスのサイクルになるわけだ。その点、ここの町長は誠実だと言えた。

「フェントらしく、たまに良いこと言うわね」

「ええ。私達も楽しませてもらってるもんね」

 レイナとポーラが同意を言葉にした。フェントが親指を立てて応える。

「花畑、旅で見たきれいな景色と、違った良さがあるね」

「こんな素敵な場所、見られて良かった」

 結構長い時間、六人は公園を巡って花畑を見ていた。見事なまでの美しさを堪能して、とても満足のいく時間であった。

 サムトーも、この六人でこんな良い思い出が作れたことを、心からうれしく思っていた。


 気が付けば昼飯時である。一行は商店街へとやってきて、例の如く食事の店を物色し始めた。

「ポークステーキ、悪くないなあ」

「オムレツも捨てがたいような」

「パスタもたまには食べたいよね」

「グラタンがあるよ。おいしそう」

 そんな具合で、迷うのもまた楽しみのうちである。男二人はうまければ何でもという主義なので、黙って女性四人の様子を見守っていた。

 あちこちの店を見比べて、楽しそうに迷った末、パスタとステーキが両方出てくる店に決まった。パスタ、ステーキ、サラダのセットで銅貨十七枚。贅沢なメニューの割にはお値打ちである。

 六人が店内に入ると、肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。

 席に案内され、六人掛けのテーブルに着く。

 ステーキの方は昼食限定ということで、部位が選べないようだった。普通のロース肉である。パスタは三種類のみで、それぞれトマトベース、クリームベース、オイルベース。六人がそれぞれメニューを選んで注文する。ここでも後で味見し合えるように、二人ずつで三種類とも頼んでいた。

 まずはサラダからだ。生野菜の歯ごたえと、かかっているソースの旨味を堪能する。

 食べ終わった頃合いでパスタが来た。それぞれ自分の分を味見する。

「トマトは爽やかだけど旨味たっぷりで、コクもあってうまいな」

「クリームは優しい旨味で、麺の味が後から来る感じ。おいしいわ」

「オイルベースはシンプルだけど、麺の旨味で勝負してる感じ」

 その感想を共有すべく、皿が次々交換される。一口食べては、なるほど、確かに言う通りだと納得し、次へと移る。野営では、麺料理は茹でるのに手間がかかるので、滅多に出ない料理である。久々に食べられたことで、それだけでも十分満足だった。

 しかし、最後にステーキが待っている。これも野営暮らしでは滅多に出ない。薄く切った肉を焼く料理を出すことは多いが、三十人からの厚切り肉の焼き立てを出すのは難しいからである。

 ナイフで一口大に切っては、フォークで口元に運ぶ。軽くソースが掛かっているが、基本的には肉の旨味で勝負の料理だ。

「肉ってこんなにうまい物だったか。焼き立ては一味違うな」

「汁がじゅっと出てきて、口の中が旨味で一杯になるわね」

 六人共に、ほくほく顔で、ステーキのうまさを存分に味わった。やはり、料理屋ならではの味ということになる。昼食を料理屋で取るのは、町巡りする上で、とても大きな楽しみであった。

 おいしさを十二分に味わおうと、六人共無口になっていた。切っては食べの繰り返しで、気が付いた時にはみな食べ終えていた。

「はあ、満足。今日もおいしい昼飯をありがとう」

 フェントがそんなことを言う。だが、全員の感想でもあった。

「今回の選択も良かったわ。ステーキっておいしいのね」

「ほんと、旨味たっぷりで、おいしかったわ」

 食後の余韻に浸りながら、みな満足そうな表情をしていた。

「ごちそうさま。とてもおいしかったです」

 勘定を支払いながら、店員に声を掛けると、うれしそうな表情が返ってきた。料理という芸を認められてうれしいようだった。

「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしてます」

 定番の返事に見送られ、六人は店を出た。

 それからしばらくの間、いろいろな店を冷やかして回った。どこの町でもそうだが、せっかく商店があるのだから、いろいろな商品を見て回るのも楽しみの一つなのだった。旅と公演の暮らしでは、たまにしか商品を見て回れないからである。

 さほど大きな町でもないので、店の数もそう多くはない。とりあえず一通り見て回り、食材から雑貨、道具類などを眺めた。種類もそこそこという感じだったが、それなりに満足でき、最後に甘いものでも食べようと、菓子屋に立ち寄った。

 ケーキと紅茶のセットを頼み、のんびり話をしながら、それを味わう。

「今日も楽しく回れて良かったわ」

「そうだな。そうそう、服屋で見たあれ、本当にみんなに似合いそうだったぞ。それでなくても四人共きれいだけどさ、それに磨きがかかる感じで」

「あらあら、しっかり見てたのね」

「うん。きれいな服だった。でも、動きにくそう」

「うーん、そうだけど、絶対似合うのは間違いなかったな」

「鞄とかも、思ったよりいいもの揃ってたね、この町」

 ケーキとお茶を味わいながら、見て回った物の話で盛り上がった。実に平和な町巡りであった。

 六人で町を巡るのはこれが最後になる。サムトーは一抹の寂しさを感じつつも、この楽しい時間が友人達と共有できたことに、心からの満足を感じていた。


 一座は野営を重ね、二日が過ぎた。

 十月二十七日、サムトーが一人旅に出発する日である。

 普段陽気な一座も、この日ばかりは多少元気がなく、支度や片付けなどをしていても、少し気の抜けた感じがあった。それほどサムトーと別れるのが残念だったのである。

 午前中、サムトーが一座と同行する最後の時間である。この日は御者当番からも外してもらい、仲の良い六人が一緒に歩けるよう、座長に配慮してもらっていた。

「こうして一緒に歩くのも最後か。かなり寂しいぞ」

 フェントがサムトーの背を叩く。覚悟はしていても、心情が変わるわけではない。正直に思った通りに伝えていた。

「ありがとう。俺も同じ気分だ。でも、最後まで一緒で良かった」

 サムトーがそう答えた。別れは寂しいが、一緒にいるのはやはり楽しい時間で、自然と笑顔になる。

「ねえ、一人旅、今度はどんな風になるのかな」

 これはアイリだ。一番別れが辛いだろうに、思い人の今後を考えてくれていた。この先も元気で楽しくいられるようにという、切な願いもあった。

「そうだなあ。また町から町へ渡るように旅して、宿に泊まって、時にはトラブルに巻き込まれたり、誰かの手伝いしたりと、そんな感じかな」

「そうだね。いつものサムトーのまま、いろんな人と出会って、いろんなことがあるんだよね、きっと」

 アイリが笑顔でそう答えた。恋仲の相手に、こんな風に今のままの自分でいていいとお墨付きをもらえて、サムトーもうれしく思う。

 旅を続ける限り、新たな出会いと出来事が待っていて、ありのままの自分でそれらと向き合うだけだ。そこに旅の楽しさがあるはずだった。

「そう言えば、サムトー、小さい子と二人旅も、何度かしたんだっけ。猟師村のロジーちゃんとか」

「一座の手伝いしてたみたいに、困ってる人の手助けしてたんだよね」

「そうそう。サムトーらしいって、すごく思った」

 友人達にも、今まで一緒に過ごす中で、これまでの一人旅での出来事をいろいろと話してあった。その時も、サムトーらしいという感想をもらっていた。アイリだけでなく、みな今の自分を認めてくれているのだ。こんなにうれしいこともそうはない。

「思い起こすと、ナンパの撃退も実に見事だったわね」

「そうそう。『俺達の連れに、何か御用ですか』、一言だもんね」

「ちゃんと俺も入れてるとこが、さすがだったな」

「薄目でにらんでるサムトー、ちょっと面白かった」

「で、相手が、いえ何でもないんですって、すぐ逃げちゃうから、見ているだけでも面白かったわ」

 女性四人がくすくすと笑う。

「それでもしつこい奴がたまにいたな。痛い目見たいのか、とか言ってくるような奴」

 フェントが呆れたため息をついて言った。本当にたまにだが、腕力のものを言わせて、我を押し通そうとする輩がいたのも事実だ。

「それもサムトーが、いつもあっさり撃退してくれたんだよな」

 腕力自慢のやることは、とにかく殴り掛かってくるものと、相場が決まっている。並の人間なら、良くて乱闘騒ぎだ。相手の腕っぷしが強ければ、ケガ人となるだけだ。

 だが、サムトーの戦いの腕前は、並大抵のものではない。何せ、命懸けの戦いを生き抜いてきた凄腕なのである。

 殴り掛かってきた相手の拳を見切り、その方向を変えるように適当な強さで打ち払う。拳の軌道にはそれほど種類はないから、熟練のサムトーには見切るのも簡単だ。何発殴ってこようが、その全てを軽々と打ち払う。何十発か防いでいる間に、警備隊などが駆けつけてくれるので、それまで涼しい顔で打ち払っていくだけだ。もちろん、並の腕前の者ではこうはいかない。

「まあ、あまり褒められたものじゃないさ。生き延びるために必死で身に付けたものだからな。こんなことでしか役に立たないし」

 サムトーは謙遜したが、特技であることには違いない。

「そう言うなって。助かったのは事実だしな。前に、殴り掛かってきた奴のこと、下手な踊りと一緒だって言ってたよな。裏を返せば、サムトーは戦いの場では、すごく上手に踊れる、つまり物凄く強いんだってことが、しみじみと分かったよ」

 フェントが珍しく真剣な表情で言った。その強さゆえ、次の町で疑われる証拠を残してしまったのである。過ぎたこととは言え、やはり悔いが残っていたのだった。

「でも、その強さのおかげで、安心して見ていられたわ」

「そうよね。私達だけじゃ、腕力自慢は相手にできなかったし」

「踊りと一緒って分かる気がする。確かにそんな感じがしたもの」

「相手がサムトーの手の上で踊らされてる感じしたもんね」

 四人がそう言ってフォローしてくれた。彼女達の友情に篤さは、とてもありがたく感じる。

「本当に旅の間、いろいろなことがあったわね」

 その後も六人は思い出を語り合った。

 七月下旬からのこの三か月、いろいろなことがあった。天幕設営の時、協力して資材を運んだり、天幕を張ったりしたこと。川辺で一緒に語り合ったこと。芸の練習中、サムトーが何かと手伝っていたこと。楽しかった町巡り。食事の最中、下らない話題で盛り上がったこと。旅路を歩いている時、たまに動物を見かけて手を振ったり声を掛けたりしたこと。御者をしている時、並行して話し相手になり互いに暇をつぶしたこと。力を合わせて公演を成功させたこと。何時間かけても語り尽くせないほど、たくさんの思い出が作られていた。

 六人が楽しかった出来事を話している間に、時間は過ぎ、日も中天に達しようとしていた。もう昼食休憩の時間である。

 馬車を街道から少し離れた川辺に停める。馬を外して、水を飲ませ、近場の草地で休ませる。馬達が草を食み、人間も食事の仕度を始める。

 昼食なので、簡単に具沢山のスープとパン、それにチーズだけである。

「いただきます」

 一座の全員が食事の挨拶を唱和する。相変わらず、和やかな雰囲気で食事が進んでいく。

 やがて、一足先に食べ終えたサムトーが馬車へと向かった。私物を回収するためである。いよいよここから、一人で出発することになるのだ。

 久しぶりに剣を帯び、背と腰に荷物を負う。

「行くか」

 サムトーは、身支度を終えると、再び一座の前に姿を現す。

「では、俺はここで出発します。本当に今までありがとう。みなさんが今後も楽しく旅を続けられますよう、願っています」

 深々と頭を下げる。何度も別れを口にしてきたが、今度こそ本当に旅立ちなのだ。

 一座の者達が、口々にありがとう、元気で、などと声を掛けてくれた。

 そして、いつも一緒だった五人と、一人ずつ固く握手を交わす。

「ありがとう、サムトー。元気でな、心の友よ」

「あなたがいて楽しかったわ。ありがとう」

「良き旅を。あんまり無茶しないでね」

「サムトーらしく、いい旅を」

 そして最後にアイリとは長々と口づけを交わした。

「ずっと元気で楽しいサムトーでいてね。私も元気で頑張るから」

「ああ、ありがとう、アイリ。この先も楽しい日々が送れますように」

 そしてサムトーは歩き始めた。一座の視線が熱い。時折振り返って手を振る。しばらくの間、それは続いた。

 やがて、一座の姿が見えなくなった頃、サムトーは街道を南へと向かって進んでいった。カムファの町で進路を変え、西の街道に入る予定である。

 寂しさはもちろんある。思い出という宝物があっても、それは過去であって現在ではない。

 だが、新たな旅への期待感も同じようにあった。旅の剣士として、自分らしく楽しく生きていこうと思う。

「とにかく、まずは次の宿場町へ行こう」

 新たな旅路を、一人進んでいくのだった。


 一座の面々は、寂しさを遠慮なく出しながらも、昼食の片付けをし、馬車の準備をして、カムファの町へと進み始めていた。

 日が傾き始めた頃、町から少し外れた川辺の空き地に馬車を停める。町の規模が大きいので、十台もの馬車を停められる場所が、市街地周辺にはないのである。

 公演用の天幕を設営し終えてしばらくした頃である。馬蹄の響きが聞こえてきた。段々と一座の元へと近づいてくる。

 一座の面々が見守る中、三騎の騎士が現れた。カムファの町に駐屯している騎士だった。この規模の町ともなると、警備隊を統括し、また帝国役人の護衛などを務めるため、騎士が五十名ほども配属されていた。

 騎士達は下馬すると、座長を呼ぶように申しつけてきた。何事かと思いつつ、座長のカリアスが対応するためにやってきた。一座の面々も、何事だろうかと周囲に集まってきていた。

「お主が座長のカリアスで間違いないか」

「はい。カリアスは私でございます。して、騎士様方、どのようなご用件で参られましたか」

「私はポントス。今年からこのカムファに赴任した第三小隊の隊長である。昨年、町の若者達がお主の一座を襲撃し、お主たちはこれを撃退した。間違いないか」

 突然、昨年の出来事を持ち出されて、カリアスは驚いた。だが、それを一切表情には出さない。

「相違ございません。クリストフ様とおっしゃる騎士様が担当で、事後処理も的確に行っていただきました」

「クリストフ殿には話は聞いている。合わせて、彼の作成した調書も確認した。それで、今年滞在するに当たって、昨年のような騒乱事が起きぬよう、視察に参ったのだ」

 中々、丁寧な仕事ぶりの騎士のようだ。確かに、毎年揉め事を起こされては騎士達も困るだろう。

「そうでしたか。私共の方から、騒乱など起こすつもりは一切ございませんので、ご安心下さいますよう。野盗の類などは、騎士様方がきちんと取り締まられていることと思いますので、特に心配はしておりません」

「分かった。昨年も町の跳ね返り共の仕業だったしな。今年は警備隊と協力して、不埒なものが出ぬよう、手配致そう」

「ありがとうございます。頼りにさせて頂きます」

 カリアスが安心した時、ポントスが突然尋ねてきた。一座で一番聞かれたくないことだった。

「して、記録には、無頼の若者七人を、一撃で倒すほどの腕利きがいたと記されていた。その者に会ってみたいのだが、頼めるか」

「腕利き……ですか。なぜその者に御用が」

「それほどの腕利きならば、出自を確認しておこうと思ったのだ。名家の出であれば、その家に伝える必要があるしな。でなければ、過去に法に触れる行いをした者の可能性もある。それを確かめ、必要な処置をする必要があるからだ。分かるな」

 ポントスは事も無げに返答した。騎士は帝国の法の番人である。身分高き者を保護し、法を犯した者は断罪する。法を守ることこそが騎士の存在意義なのだと言わんばかりだった。

「それが万一、逃亡した奴隷剣闘士などなら大事だ。一年半ほど前、大都市カターニアで反乱が起きた時、逃げ延びた者も少なくはない。もしその一人なら即刻捕縛し、処刑の手続きを行わねばならん。とにかく確認したいので、この場に呼んでくれ」

 まさかと思っていた事態が起きてしまった。公式記録に残った、七人を一撃で倒した腕前の持ち主を、確認しようとする人物が現れたのである。その可能性は、とても小さいはずだった。

 カリアスは小さくため息をついて、残念そうに返答した。

「騎士ポントス様、確かに一年前、そのように腕の立つ旅の剣士が一座におりました。ですが、それも一時のこと。その男はすぐに一座を離れ、また一人旅にと出てしまったのです。とても腕が立ち、何かと気遣いもできる人物だったので、彼が去ったのは大きな痛手でした」

 ポントスが目を丸くした。一座の用心棒として、今もまだ同行しているものとばかり思っていたのである。

「して、その者、確かサムトーという名であったと思うが、その行き先は存じているのか」

「いいえ、非常に残念ですが、消息は存じません」

 ポントスがカリアスを凝視した。彼の言葉に嘘偽りがないかを、見極めようとしていたのだ。

 やがて、軽くため息をつくと、表情を柔らげた。座長の言葉が本当だと理解したのだった。

「そうか、消息不明か。して、その者の素性を、座長は知っていたのか」

「いえ、ただ旅の剣士としか。人柄が良かったので、どこかで良い育ち方をしたのかも知れませんが、名家の出という感じでもありませんでした。信頼できる人物でしたから、特に詮索せず仲間として迎え入れたのです」

 ポントスが考え込んだ。その者の手配をする必要があるかどうかを判断していたのだ。その者が、元犯罪者や逃亡奴隷剣闘士であるなら、消息を負う必要があるからだ。

 しかし、ただの一般人である可能性も高い。旅の剣士など、どこの町にもいて、隊商などを護衛して金子を稼いでいるものだ。そんなに珍しい存在でもない。しばらく考えた末、これ以上詮索する必要もないという結論を出していた。

「そういう事情ならば、この件はこれで終わりだ。今年は騒乱事もなく、一座が無事に過ごせるよう、我らも気を配ろう。お主達も念のため、備えを怠らぬようにな。何事かあれば、我ら騎士隊に報告せよ」

「ご忠告、痛み入ります。承知致しました」

「不意の来訪で手数をかけた。では、我らはこれにて失礼する」

 三人の騎士が乗馬し、元来た道を戻っていく。さすがは良く鍛錬された騎士達で、見事な身ごなしだった。

 騎士達の姿が見えなくなってから、一座の面々が一斉にため息をついた。

「いや、まさか、本当に調べに来る奴がいるとは……」

「あくまで、万一のことだとばかり思っていたが」

「こうなると、サムトーの判断は正しかったわけだな」

 小声でそんなことをつぶやいていた。

「一人旅に戻って正解だったわけね。ほんと、驚いたわ」

「ああ。残念だったけど、仕方なかったのは間違いない」

 レイナとフェントも感想を話していた。あまりに唐突で、あり得ないと思っていた出来事だけに、驚きも相当のものだった。

 アイリが遠く西の空を見てつぶやいた。

「サムトー、元気で。無事に旅を続けてね」

 その言葉に返事をする者は誰もいなかった。


「へくしょん」

 カムファの隣にある小さな宿場町、トスマルの町まであと二時間という辺りを、サムトーは一人歩いていた。

「誰か、俺の噂でもしたかな」

 そんなことを一人言ってみる。

「うーん、色男は辛いな。……いや、アイリかな」

 話し相手もいない一人旅で、ぶつぶつと独り言をつぶやく、ちょっと変な人になってしまっていた。

「天幕も設営しただろうし、今は休憩中かな。みんな、楽しくやっているといいな」

 そんなことを思いながら、街道を一人行く。一座の元に、一年前の腕の立つ男の記録を見て、その素性を詮索しに本当に騎士が来たことなど、知る由もない。

「さて、次の町まであと少し。元気に行きますか」

 サムトーはのんびりと歩いていく。

 自由気ままな一人旅を精一杯満喫しようと、前へと進んでいくのだった。


──続く。

今回は一話丸々旅芸人との出来事の話です。若い六人の友情劇が中心です。サムトーの出自を考えれば、悪人に身を落としそうなものですが、猟師達や旅芸人達のおかげで、人の心を身に付けることができたわけです。そんな彼らの、苦労もあるけど、日々を楽しく生活している様子をお楽しみ頂ければと思います。

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