序章Ⅻ~再び猟師達の村へ~
町でたたずむ女の子
助けて共に旅路へと
猟師の村へ連れてきて
村人達に世話になる
村の暮らしは温かく
命を頂き生きていく
情にも厚いがお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
時に神聖帝国歴五九七年六月十三日。
背には長剣と荷物。短剣とポーチを腰に付けている。やや長身の背に茶色のざんばら髪の男が一人、初夏の陽気の下、のんびり一人街道を北へと歩いていた。
彼の名はサムトー。旅の剣士である。
「あと三日でスニトの村か」
ずいぶんあちこちを巡ってきたものだ。猟師達に救われたのが昨年の五月、彼らと別れたのが七月の終わりだった。もう十一か月近く経つ。
ミリアは、その父オルクは、母サリーは元気だろうか。長老モーリは、ヨスタは、テムルはどうだろう。みな相変わらずなのだろうか。三月ほど世話になった人々の顔を思い浮かべながら、街道を進んでいった。
サムトーは、元奴隷剣闘士である。
十才までは養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。
昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。
逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。
十二月、城塞都市グロスターで、事件に自ら首を突っ込み、その解決のために奔走。結局、新年祭までその街の雑貨屋で世話になった。二月には町中から疎外されていた少女を助け、二週間ほど旅の相棒にしていた。三月の上旬は伯爵令嬢の手助けをした。中旬は親友となった女騎士と楽しく過ごし、下旬には自分に悩む侯爵家の侍女を救った。四月は粗略に扱われていた宿の少女を救った。五月は借金完済のために働く宿屋の娘を手伝った。六月上旬には薬屋の娘の手伝いをした。そうやって方々を巡った末に、再び猟師の村へとたどり着こうとしていた。
日が暮れ始めた頃、コリントの町に到着した。東には、逃亡してきた巨大都市カターニアと、その北方にある帝都へ続く街道がある。西は城塞都市グロスターへと続いている。交通の要衝だった。人口も三万を超える大規模な町である。
町に着いたらまず宿屋探しだ。商店街を通り抜け、宿場街へと向かう。
その途中、少し薄汚れた衣服を着た女の子がぼうっと立っていた。表情に生気がなく、何をするでもなくただ立っている。周囲の人々はその子に関心を持たず通り過ぎるばかりだったが、あまりに場違いなその様子を見て、サムトーは声を掛けてみた。
「そこのお嬢ちゃん、何でそんなところで立ってるんだ?」
目の前で問いかけられて、その女の子が反応した。肩までの赤毛を揺らして顔を向けてくると、元気のない声で答えた。
「旅の剣士様ですか、すみません。……何でもないんです」
「そんな所でぼーっとして、何でもなくはないだろ。何か困ってるんじゃないのか」
ついきつい口調になってしまったかもしれない。だが、あまりに不自然な態度は、不審に思うのには十分過ぎた。女の子が小さな声で返答した。
「……もし良ければ、何か食べ物を分けてもらえないでしょうか」
サムトーは耳を疑った。大きな町だから、中には貧しい暮らしをしている者もいて、食べ物に困ることもあるだろう。だが、こんな少女が、面識のない相手に食べ物を乞うなど、普通はあり得ない。年の頃はまだ十才程度に見える。やせた体つきをしていて、食べ物を欲しがるほど飢えているのも分からなくはない。どんな家庭で育てばそんなことになるのだろうか。
「理由を聞かせて欲しいな」
奇異な出来事だけに、サムトーも理由を知りたがった。こういう時、遠慮なく直接聞いてしまうのがサムトーである。
「家で、ご飯が時々もらえないんです」
そんなことがあるものなのだろうか。サムトーは疑った。
「親はどうしたんだ。いるんだろ?」
「それが、お母さんが、最近新しいお父さんと再婚したんですが、そしたら私の面倒はもう見たくないって言って、それで……」
ますます訳が分からない。再婚相手は、この娘がいると知って再婚したのではなかろうか。なのに面倒を見たくないとはどういうことだろう。
「とりあえず、腹が減ってんだろ。パンくらい買ってやるよ。俺は旅の剣士サムトー。君は?」
「ロジーです」
「分かった。ロジー、じゃあパン屋に一緒に行こうか」
サムトーは見知らぬ少女を連れて、商店街へと戻った。
パン屋はすぐに見つかり、そこで二つばかり適当に買った。どこか座って食べられる場所を探して、町の公園へと足を運んだ。この時代、火災の延焼を防ぐ目的で、あちこちに公園が作られていた。その中の一つに入ると、長椅子に腰掛けて、ロジーにも座るよう促した。
「じゃあ、ゆっくり食べなよ。腹減ってるときに慌てて食べると、腹を壊すからな」
そう言って、買ったパンを手渡した。ロジーがほっとした表情で、少しずつパンを食べ始めた。
「食べながら聞いてくれ。ロジーの話が嘘とは思えないが、完全に本当かどうか、まだ疑ってる。悪いけど、食べ終わったら、俺をロジーの家まで連れて行ってくれないか」
食べながらロジーがうなずいた。よほど空腹だったのだろう。食べるのがどうしても早くなってしまうようだった。口の中が一杯になると、ゆっくり食べろと言われたことを思い出し、ゆっくり咀嚼する。だが、しばらくすると、またがっついてしまうのだった。
これはもし本当なら、相当厄介な話になりそうだと、サムトーは思った。だが、とりあえず、食べ終わるまではと、ゆっくり待つことにした。
「これ、水筒な。途中で少しは水も飲みなよ」
「ありがとう」
忙しく食べて飲んでを繰り返すロジーを見ながら、サムトーは内心で大きなため息をついた。
「ただいま」
ロジーは家にサムトーを連れてくると、戸を開いて挨拶をした。
「何だ、戻ってこなくて良かったのに」
女性の声で返答があった。酷く冷たい言葉だった。
「ごめんなさい、お母さん」
「分かってればいいの。私達の邪魔をしたら許さないからね」
帰宅直後の会話がこれである。とても実の親子とは思えない。サムトーが二人に割って入った。
「ちょいとごめんよ。俺は旅の剣士、サムトーって者だ。ロジーに無理言って、この家に連れてきてもらったんだ」
怪訝そうな顔で母がサムトーを睨むように見た。若いが腕の立ちそうな様子に、少し怖れをなしたようで、口調を改めて尋ねてきた。
「それで、うちに何か御用なのですか」
「ああ。ロジーから、お母さんもお父さんもロジーの面倒を見たくないって言われたと聞いて、本当かどうか確かめに来た」
サムトーの言葉に、母が急に怒り出した。
「それの何がいけないって言うんですか。元々、私はこんな子、生みたくて生んだわけじゃないんです。一人で必死に生活しながら、仕方なくこの子を育てて、最近、ようやく一緒にいてもいいって思える男性と出会ったんです。私は十分に義務を果たしました。今の夫との生活が私の全てです。この子ももう十才、一人でも生きていけるはずでしょう」
自分は何も悪くないという主張だった。それを本気で思い込んでいた。仮にその主張を認めたとしても、ロジーの身の振りは考えるべきではないだろうか。
「なあ、お母さん、ロジーを養護施設にお願いしないのは何でだ」
「施設は親が健在だと、引き取ってはくれない決まりがあるそうよ」
まだこの時代、福祉という思想は発達していない。そもそも神聖帝国は身分の差があり、奴隷すら存在する国家なのだ。養い手のない子供を引き取って、将来の労働力として育てる養護施設を帝国が運営しているだけでも、先進的と考えて良いくらいである。
「今だって食事は与えてるわ。服だって用意してる。一日でも早く、誰かに拾ってもらうなり雇ってもらうなりして、この家から出て行って欲しいの。それを我慢して面倒を見ているのよ」
確かに、衣服も着ているし、必要最低限の面倒は見ているようだった。それでも食べ物を欲しがるほど飢えていたのだ。衣服も薄汚れているし、相当適当に放っておいているようだった。
サムトーはロジーの顔を見た。実の母親からいらない子だと言われるのは、相当に辛いことだろう。実際、感情を捨て去ったような、諦めを強くにじませた表情は、見ていて可哀想に思えた。
サムトーはこの後、猟師の村へ行くつもりである。ロジーを連れて行くのはどうかと思う。思うのだが、困っている子供を放って置くのは、性格的に難しい。つい手助けしたくなる質だった。猟師村でも、自分が面倒を見てやればいい。いや、親切な村人達のことだ、この娘一人くらい受け入れて、住まわせてくれるかもしれない。
そこまで考えた時、この見るに耐えない光景を目の当たりにして、我慢の限界があっさりときてしまった。サムトーは力強く断言した。
「お母さんがそこまで言うなら、ロジーは俺が連れて行ってもいい」
母が喜色を浮かべた。
「そう、ならぜひともお願いするわ」
本当に娘を邪魔に思う人間の顔だった。とても嫌な表情だった。サムトーは見ていて、心が腐っていくような感触を覚えた。
「なら、今すぐお願いするわ」
母は言うなり、ロジーの着替えなどを鞄に詰め始めた。
ちょうどそこに、夫となった人物が帰宅してきた。
「一体何事だ。それにこの男は何だ」
夫は怪訝そうに思いながらも、自分の妻が喜色を浮かべているのを見て、気分を良くしたようだった。
「何かいいことがあったみたいだな」
「ええ。ロジーをこちらの方が連れて行ってくれるそうよ」
夫も妻と同様にうれしそうな顔になった。サムトーに礼まで言ってきた。
「どこの誰かは知りませんが、ありがとうございます。とても助かります。この娘がいると、夫婦生活の邪魔になるので、とても困っていたんです。どうぞ、連れて行って、好きなようにして下さい」
とても人間の言葉とは思えなかった。情が少しでもあるなら、最低限娘が独り立ちするまでは面倒を見るはずだ。いなくなることを喜ぶなど、こんな酷いことをよく言えるものだと、内心怒りが渦巻いていた。
だが、それを表情に出さず、サムトーはロジーに声を掛けた。
「ごめんな、ロジーの意見も聞かないで勝手に決めて。でも、悪いようには絶対しないから、俺と一緒に来てくれ。頼む」
勝手に話を進められた本人は、初めから諦めがついていたようだった。この酷い父母の元から離れれば、酷い言葉を浴びせられることも、腹を立てている時当たられることも、飢える心配もなくなるだろうと思った。この旅の剣士の元に連れていかれる方が少しはましだろうと、すぐに同意した。
「分かりました。こんな私ですが、連れて行ってください」
この環境から逃れられるなら、相手が悪人でも構わない、そんな諦めがにじんでいた。それはとても子供らしさのない、感情の欠如した表情だった。生気のないその表情は、見ていて痛ましいばかりだった。
だが、それもまあ何とかしよう。この子も人並みの暮らしをすれば、楽しさや喜びなどの気持ちを取り戻せるだろう。
しばらくして、母が鞄をサムトーに手渡した。
「この子の持ち物です。連れて行って下さることには、重ねてお礼申し上げます。ありがとうございます」
聞いていて気分が悪くなる。自分の娘を捨てるのに礼を言うなど、人としての心が壊れているとしか思えない。だが、ここでそれを指摘しても事態は改善しない。一刻も早く、ロジーを連れて立ち去るべきだろう。
「ああ。確かに引き受けた。それじゃあ、邪魔したな」
ロジーが最後に、喜色を浮かべている母をじっと見つめていた。いい思い出もほとんどないのだろう。それでも実母である。別れることに多少は寂しさもあるようだった。それでも、酷い扱いから解放される安心感が勝っていて、表情が多少穏やかになっていた。
そして、最後に一言だけ口を開いた。
「さようなら、お母さん」
「ええ、さようなら。後は好きに生きたらいいわ」
感情もない別れの挨拶だった。あまりにも痛々しい光景だった。
「行こう、ロジー」
サムトーは戸を閉めると、大きなため息ついて、この家を後にした。
「まずは宿を取ろう。その後、公衆浴場へ行く」
サムトーの後ろを、ロジーが大人しくついてきた。言葉は聞いているようで、うなずきが返ってくるが、言葉はない。あんな出来事の直後だけに、サムトーも無理強いはしなかった。
宿は適当に選んで、山風亭という所に入った。一階が居酒屋兼食堂、二、三階が宿になっている、この時代では標準的な造りである。一泊二食付きで一人銀貨一枚。女将に二人一部屋で一泊を頼んだ。
すると、女将が困った表情で尋ねてきた。
「なあ、あんた、その子、ロジーだろ。いつも食べ物に困って、商店街をうろついてるっていう。何であんたが連れてるんだい?」
同じ町の住人だけあって、ロジーのことを知っているようだった。
「ああ。そのロジーだ。俺が見かけて、やっぱり腹を空かせてて、それでロジーの家まで押しかけてきたんだ。そしたら、母親がもう面倒を見たくないから、ぜひ連れて行って下さい、ときたもんだ。あまりの酷さに我慢出来なくて、俺が引き取るって言ってきたんだよ」
こんなところで嘘をついても仕方ないので、正直に話した。すると、女将さんが、今度は嫌なものを見る目つきで言った。
「まさか、あんた、その子に変な事しようと思って、引き取ったんじゃないだろうね。でなきゃ、大都市カターニア辺りで、噂に聞く人買いに売り捌こうとしてるとか」
酷い疑いをかけられているのだが、あの父母が酷かっただけに、この正常な反応は、かえって気分が良かった。サムトーがまた正直に答える。
「こんな酷い扱いを受けてる子、見捨てられなくてな。とりあえず、旅暮らしにはなるが、まともな生活をさせたかっただけなんだ。まあ、俺が育てるのにも無理はあるから、どこかで身の振り方を考える必要はあるけどな」
女将がサムトーの顔をじっと見る。
やがて、肩の力を抜いて言った。
「ん、嘘はついてないみたいだね。分かった、部屋の鍵を渡すよ。なるべく大事にしてやりなよ」
鍵は三階にある一室のものだった。サムトーは礼を言うと、階段を登っていった。ロジーがその後に続いた。
部屋で荷物を下ろすと、まずは風呂に行く支度だ。ロジーの荷物を改めさせてもらう。荷物は布袋で分けられておらず、雑多に押し込まれていた。必要な着替えやタオルを探したが、着替えはあるがタオルはない。サムトーは予備の布袋に、着替えを一式入れてやった。ロジーは黙ってその様子を眺めていた。口や手を出せば、罵声が返ってくることが習慣になっていたためであった。
「布袋とタオル、櫛、水筒は買わないとな。まず雑貨屋へ寄ろう」
サムトーはロジーを促し、部屋を出て鍵をかけた。それを女将に預け、買い物と公衆浴場に行くことを伝え、外に出た。
雑貨屋で買い物を済ませ、ロジーの荷物にタオルを加える。ついでに菓子屋に寄って、この先必要だろうと飴玉を仕入れた。さらに、靴が歩くのに向いていない物だったので、それも買い直した。それから公衆浴場へ。
公衆浴場の入り口で、サムトーは念のため聞いてみた。
「公衆浴場の入り方は知ってるかな」
さすがにあの酷い母も、一緒に住んでいる娘が風呂に入らないことで、家の中に悪臭が発生することは嫌がったようだった。ロジーが、週に二度ほどは、母に連れられて浴場に来ていたから知っている、と答えた。
「自分で体や髪の毛は洗えるかい」
「はい、できます。ちゃんとできないと怒られるので」
「分かった。じゃあ、またここのロビーで合流しよう。もし、俺がいなかったら待っていてくれ。逆に、俺が先に出たら、ちゃんと待ってるからな」
「はい。分かりました」
サムトーは二人分の代金、銅貨十枚を支払うと、ロジーに手を振って、男湯の方へと入った。振り向くと、ロジーも一人で女湯へと入っていく。どうやら大丈夫そうだと、ほっと胸を撫で下ろす。
「相当に気を遣うな。あの母親、必要最低限の面倒は見ていたらしいが、ロジーにはいろいろとできないこともありそうだ」
そんなことを考えながら体を洗い、髪を洗う。終わると湯船に行き、湯に浸かって大きなため息をついた。売られたケンカを買うようにしてロジーを引き受けた以上、何が何でも当面の面倒は見るつもりだった。
風呂から出たのはロジーの方が先で、言われた通りロビーで待っていた。のんびり湯に浸かる習慣はロジーにはなかった。
「ごめん、待たせたな」
サムトーが謝る。するとロジーが、怯えたように謝ってきた。
「謝らせてしまって、ごめんなさい。今度は気を付けますから」
こんなところにまで、これまでの育ちの歪みが出てしまっていた。大人が謝ってきても、悪いのは自分の方なのだと刷り込まれているのだ。
サムトーは少し考えて、言い方を変えた。
「待っていてくれて、ありがとうな、ロジー」
そうして優しく頭を撫でてやった。それで髪の毛を梳かすことを思い出し、さっき買った櫛をロジーに差し出す。
「髪の毛は自分で梳かせるかい?」
尋ねてみたが、これも大丈夫だという。実際、その場でやらせてみても、湿った髪の毛に櫛をきちんと通せていた。だが、さすがに不完全で、一部が梳かせていない様子だった。
「俺にも少しやらせて欲しいんだけど」
そう言って、ロジーから櫛を受け取り、梳かせていない場所を中心に、一通り梳かし直した。髪が硬めだったが、梳かして真っ直ぐになると、きれいな赤毛であった。髪が肩までと短めなのは、母が長いと洗わせるのが大変だと思ったからだろう。
「よし、かわいくなった。じゃあ、宿に戻ろう」
「かわいく……なった?」
かわいがられてこなかったロジーには、その言葉が自分のこととは思えなかったのだろう。疑うような目でサムトーを見てきた。
「元々かわいいけど、もっとかわいくなったってことさ」
サムトーらしく、褒め言葉に上乗せをする。
ロジーにとっては、そんなことを言われたのは初めてだった。何とも不思議そうな、むず痒そうな表情になった。
サムトーは、そんなロジーの手を引いて、宿へと連れて戻った。
「エールと蜂蜜水を一杯」
宿に戻るなり、まずは飲み物を注文する。そして空いているテーブルを見つけると、ロジーに座るよう促し、自分も向かいに腰掛けた。先に促しておくのが必要なことだった。放っておけば、いつまでも立っているだろう。
女将が自ら給仕をしてくれた。
「お待たせ。ちゃんと風呂に入れたやったみたいだね。感心したよ」
飲み物を置きながら、そんな事を言ってきた。特に関係はなくとも、同じ町の住人として、ロジーを気に掛けていたようだ。ロジーの手前、ここは礼を言うべきだろうとサムトーは考えた。
「心配してくれてありがとう。一晩世話になるよ。よろしくな」
「あいよ。この後、そのまま夕食にするんだろ。いつでも言っとくれ」
女将が笑顔で立ち去る。どうやら認めてもらえたようだと、サムトーも安堵し、エールを軽くあおった。
「ロジーも飲み物飲むといいよ。風呂の後だと体にいいから」
サムトーに言われるまで、ロジーは飲み物に手を付けていなかった。ここでようやく動き出し、うなずいてから蜂蜜水を口にする。
表情が驚きに変わった。初めてだったのだろう。爽やかでほんのり甘い味わいがおいしかったようだ。目を丸くしながら、ちびちびと味わっていた。
「おいしいみたいだな。良かったよ」
あえて言葉に出す。この子には、喜んでもらえるような言葉を、たくさん掛けてやる必要があるだろうと、サムトーは思っていた。
良かったという言葉に、ロジーがうなずいた。言葉はない。サムトーも返答を強要したりはしない。まずは安心してもらうのが先だ。
二人で黙ったまま飲み物を飲んでいく。周りにいくらかの客がいて、彼らの話し声が良く聞こえてくる。
頃合いを見て、サムトーは夕食を頼んだ。
給仕が運んできたのは、豚肉のソテーと生野菜のサラダ、野菜スープ、パンだった。ロジーが一瞬目を輝かせ、それからサムトーを見た。食べても良いか尋ねたいのだろう。
「じゃあ、一緒に食べよう。いただきます」
サムトーの言葉に安堵の表情を浮かべ、ロジーも挨拶を口にした。
「いただきます」
これまで粗末なものばかり食べていたのだろう。おいしい物を口にして、ロジーの表情が和らいだ。じっくりと味わうように食べている。サムトーも自分の食事を味わいながら、そんな様子を穏やかに眺めていた。
この日はエールを一杯で止め、食事が終わったところで早々に部屋を引き上げた。ロジーの荷物を整理したかったのである。
雑多に押し込まれた服のうち、具合の良さそうなものを四着選ぶ。それを布袋で種類別に分けて鞄に詰め直す。余った二着は、明日出発後、古着屋に売ることにする。
それから櫛とタオルをそれぞれ取り出しやすい場所に入れる。それから水筒を持たせ、夜喉が渇いた時に飲むための水を井戸端へ汲みに行った。
それが終わると、今度は地図を広げて、これから行く先の話をした。
「ここが今いるコリントの町だ。で、三日ばかり歩いて、ここトルネルの町から山に入って、スニトっていう猟師達の村まで行くつもりだ。旅の間は、歩く時間が長くて大変だけど、頑張ってついてきて欲しいんだ」
ロジーが黙ってうなずく。彼女にはそうするしか選択肢はない。風呂に入れてくれて、食事もくれて、宿に泊まらせてくれたこの剣士を信用して、全てを預けるしかない。
「そこの猟師達は、俺が三月ほど世話になった、とても親切で温かい人達なんだ。だから、俺も久しぶりに村のみんなに会いたくてね、今向かってる途中だったんだ。それに、あの村なら、ロジーのこと、多分受け入れてくれると思うんだ。だから、まずはそこまで一緒に行こう」
サムトーは、ロジーがうなずくのを見て、言葉を続けた。
「歩きの途中、ちゃんと休みを入れるから。歩くのもゆっくりにするから。心配しなくて大丈夫だ」
そこまで言うと、サムトーはロジーにベッドに入るよう促した。
「今日は疲れただろ。眠れなくても、体を横にして休むといい。その間は俺がついてるから」
ロジーが安心して眠れそうだと感じたのだろう。お礼を返してきた。
「ありがとう」
「こちらこそ。お礼を言ってくれて、ありがとうな」
そしてサムトーは、ロジーが寝付くまで、猟師村での暮らしぶりについて、話して聞かせたのだった。
翌朝、サムトーは日の出とほぼ同時刻に起き出した。ロジーはよく眠っていて、起きる気配がない。悪い夢は見ていないようで、表情は穏やかだったことに安堵する。
そして、水筒の水を飲む。日課である剣の素振りをしたいところだが、サムトーがいない間に、ロジーが起き出したら不安がるかもしれない。他にすることもなく、ロジーの寝顔を眺める。肩までの赤毛、少しやつれた顔をしているが、くっきりした眉と小ぶりの唇は、大きくなったら美人に育つのではないかと思われた。十分かわいらしいのに、この娘を愛せなかった母親の心情は今でも理解できない。心が大きく歪むような、よほどの何かがあったのだろう。
サムトーの気配を感じたのか、ロジーが身じろぎをした。しばらくして目を開き、不思議そうな表情をした。自宅でなく宿だと気付くのに、多少の時間がかかった。
「おはよう、ロジー」
サムトーが声を掛けると、ロジーも自分の環境が変わったことを思い出したようだった。
「おはようございます、サムトーさん」
きちんと挨拶を返してきた。そこですかさず褒めておく。
「お、挨拶ちゃんとできて、偉いな、ロジーは」
褒められたことで、ロジーが安堵の表情を浮かべた。朝から怒られずに済んだという安心感もあったようだ。
「頼みがあるんだけどいいかな」
サムトーが切り出すと、ロジーがわずかだが不安げな表情を浮かべた。そうなることも織り込み済みで、サムトーが言葉を続ける。
「俺な、剣士だから、これから剣の素振りをしたいんだよ。それに付き合ってくれないか」
大した用事ではないことに安堵したのか、ロジーが返事をした。
「分かりました。ご一緒します」
「ありがとな。じゃあ、一緒に井戸端へ行こう」
サムトーは短い方の剣を鞘に納めたまま手に取った。ロジーを促して部屋を出て、一階へと下りる。
井戸端で、サムトーがロジーに水を飲むように勧める。
「水を飲んでおくといい。体も目覚めるから」
言われた通りにロジーが水を飲む。起き抜けで喉が渇いていたようで、飲み終わると、ふうと息をついた。
サムトーはその間にも剣の素振りを始める。基本の型だけ六種類、右腕で百本、左腕に変えて百本。姿勢も崩さず、素早く正確に前の軌道をなぞる。そこそこ時間がかかるので、待たせているロジーは少し退屈するかもしれない。そんな風に思っていたが、剣の素振りなど初めて見るらしく、物珍しそうに眺めていた。
「見ててくれて、ありがとな」
礼を言うと、首を振って返答があった。
「いえ、すごく上手だと思って。感心してました」
酷い育ちのせいで心の働きが弱っているロジーが、そんな風に言えるのは喜ばしいことだ。サムトーが再度の礼を言った。
「そんな風に言ってもらえると、やる気出るなあ。ありがとな」
言葉を返しながらも素振りを続ける。ロジーは安堵と感心が混じった表情でそれを眺めていた。退屈せずに何よりだ。
十五分ほどして素振りを終えると、サムトーがまた水を飲む。体を動かした後だと、水の一杯が爽快である。
「お待たせ。じゃあ、一度部屋に戻ろう」
うなずくロジーに笑顔を返して、サムトー達は一度部屋へと戻った。
その後、しばらくしてから一階に下りて朝食を取った。
普段、朝食を抜かれることも多かったのだろう。ロジーの食欲は良いとは言えず、食べるペースもゆっくりだった。申し訳なさそうにしている姿が、痛々しく感じられた。
「ゆっくりでいいからな。この後たくさん歩くから、ちゃんと食べてくれると助かる」
サムトーはそう言って、自分も食べるペースを落として、ゆっくり味わうように食べていった。ロジーも安心して、ようやくおいしそうな表情で食べるようになった。
食事が終わると、水筒に水を汲み、荷物の確認をして出発である。ロジーにとっては、生まれて初めての旅だ。
まずは商店街で、朝早くから開いているパン屋で昼食を買っていく。それから街道に出て、北の方へと向かう。
商店街を抜け、市街地を抜けて行くと、畑が段々と増えていく。畑の奥には小さな集落がある。歩き続けていくうちに、畑や集落も少なくなり、野原と森とが広がっていく。
最初のうちは、自然豊かな風景が珍しかったのだろう。ロジーは感心したように辺りを見回していた。だが、それが長く続くうちに飽きてきたのだろう。表情が乏しくなり、やがて疲れが顔に出てきた。普段食事も適当で、運動をすることもなく、体力もついてないのだから当然だろう。
サムトーは、一時間と少し歩いたところで、座れる場所を探して、休憩を取った。そして、まずはロジーを褒める。
「よく頑張ったな。偉かった」
表情は硬いが、とにかく休憩までは歩き通せたと、ロジーもほっとしていた。のども渇いたようで、水筒の水を飲んで、ふうと息をついていた。
サムトーが飴玉を一つ取り出す。歩き慣れないロジーの体力回復に甘い物がいいだろうと、昨日買っておいたものだ。
「ゆっくり舐めるといいよ。体が少し楽になる。その間は休憩にしよう」
「ありがとう、サムトーさん」
甘い物を口に入れて、わずかだがロジーの顔がほころんだ。口には出さないが、甘くておいしいと顔に出ていた。何よりである。
やがて、舐め終わったところで、再出発である。
サムトーは歩きながら、ロジーに景色の中で見た虫や植物で、知っているものを教えてやった。
「あ、あじさいですね。私も見たことあります。近所に植えている家がありましたので」
たまにそういう返事もあり、少しずつだが交流もできつつあった。
何度かの休憩を挟んで、ようやく昼食になった時、ロジーの疲れもかなりにものになっていた。やはり歩き慣れない体には厳しかったようだ。
あえて街道を離れ、小川のほとりで昼食を取る。パンだけだが、量は多目にしておいた。疲れと空腹で、ロジーもかなりの食欲があった。
その後、ロジーの靴と靴下を脱がせ、小川に素足を浸けさせた。疲れた足に冷たい水が心地良いようで、ロジーの表情が和らぐ。
「気持ち良いみたいだな。良かった。しばらく休んでから出発しよう」
そんな風にいろいろ気を遣いながら、サムトーはロジーを連れて歩いた。一人で歩く時の倍近く時間をかけて、夕暮れ近くになって、ようやく次の町トーザスにたどり着いたのだった。
到着して宿を取ると、まずは洗濯である。昨日替えた服を井戸端で洗うのだが、ロジーは洗濯の仕方を知らなかった。当然だろうとサムトーも分かっていたので、大きな物はサムトーが洗ってやり、下着だけ見本を見せながら洗い方を教えてやった。最後にしっかり絞って、一緒に宿の部屋に干しておく。明日の朝には乾くはずだ。
「初めてなのに、洗うの上手だったな。これなら、そのうちに全部自分でできるようになるよ」
「はい。頑張ります」
「いい返事だな。よし、じゃあ風呂に行こう」
ロジーが少し驚いた顔をした。今までの生活では、必要最小限しか風呂に入れさせてもらえなかったのである。毎日入るなどという贅沢をしてもいいのだろうか、そんな疑問を表情に浮かべていた。
「大丈夫。お金の心配はいらないから」
時々賭場で稼いで、今では金貨四十枚以上持っているサムトーである。金貨一枚が銀貨二十枚、銀貨一枚は銅貨五十枚である。風呂代の銅貨五枚程度の出費はどうということもない。
「それに、たくさん歩いた疲れを取るにも、風呂は役に立つから。俺も入りたいし、ロジーも一緒に行こう」
そんな風に、無理強いではないが、少し強めに推してみる。
ここまで言われては、ロジーも断れず、こくりとうなずいた。
二人で着替えを持って公衆浴場へ。また今回も、早く出た方がロビーで待つことにしようと言って、それぞれの湯に分かれて入った。
風呂から上がると、宿に戻って、昨日と同様にエールと蜂蜜水を頼む。また贅沢してもいいのかという疑問がロジーの表情に浮かんだが、心配はいらないとばかり、サムトーはうなずいてみせた。ロジーも一応は納得する。
サムトーがエールをあおると、軽く聞いてきた。
「いや、ロジーも頑張って歩いたな。疲れただろう」
一瞬、蜂蜜水を飲んでいたロジーの顔が強張った。こういう時、嘘を言えば、嘘をつくなと怒られ、本当のことを言えば、そんなことでどうすると怒られてきた。どう返事をしたものか迷ったのだった。
「正直に言っていいんだよ」
サムトーが軽く笑顔を浮かべて返答を促す。この人は酷いことを言うことはないようだと、ロジーも少しずつ分かってきた。正直に答えてみた。
「はい。結構疲れました。迷惑かけてすみません」
謝ったのは、サムトー一人ならもっと速く歩けることが十分分かって、その邪魔になったのではないかと思ったからだ。
「謝らなくていい。ロジーを連れて行くのは俺のわがままだ。だから、ちゃんとロジーのペースに合わせるのは当然だよ。それより、そんなに疲れるまで頑張れたのは、偉かったな」
目に見えてロジーがほっとしていた。怒られず、しかも褒められたのが良かったようだった。礼が返ってきた。
「ありがとう。サムトーさん」
「うん。だんだん、返事も良くなってきたな。いいことだよ」
そして、サムトーは夕食を頼んだ。
「俺も腹減ったよ。さ、一緒に食べよう。いただきます」
「はい。いただきます」
今日もおいしい夕食が食べられると、ロジーの表情も少し明るくなった。二人でゆっくり夕食を味わいながら食べていく。まだ十才のロジーには、さすがに若干量が多かったようだが、たくさん歩いたこともあって、結局全て平らげることができたのだった。
二泊目の夜。部屋に戻っても特にすることはない。
この際なので、サムトーはロジーが読み書きできるのかどうかを確かめてみた。母は、自分の視界にロジーが入ることを嫌がり、八才から十才までの間は、学舎に通わせたのだと言う。この時代の学舎は帝国の予算で運営されているため無料で、七才から十二才までの中で二年間、その町に住んでいる子供なら簡単な手続きで通うことができた。ちなみに母は、ロジーが通っている時間は、家の仕事を片付け、その後、商店の手伝いをして給金を稼いでいたそうだ。顔を合わせる時間をなるべく減らしたかったのだろう。
「そっか。じゃあ、字も読めるんだな」
ロジーがうなずく。サムトーが地図を広げて見せた。
地名を読ませると、ちゃんと文字を追って読めていた。ミルトニア伯爵領トリーゼンや城塞都市グロスターといった地名をロジーの声で聞かされて、サムトーが思わず懐かしさに目を細めていた。
「お金の計算はどうだい。できるのかな」
サムトーが財布を取り出し、実際に銀貨や銅貨を取り出して、足し算や引き算をやらせてみた。ロジーはお金を動かさなくても、頭の中で計算ができていた。実際に硬貨で確かめると、きちんと正解していた。
「いや、大したもんだ。これなら商店の仕事とかもできそうだな」
サムトーが心から感心して言った。ロジーが少し照れて答えた。
「あの、学舎は好きだったんです。怒られる心配もないし、みな親切だったので。それに、読み書きや計算ができるようになるのがうれしくて、夢中で勉強してました」
サムトーもその話には納得できた。自分の存在を否定されない時間は、ロジーにとって居心地の良いものだったのだろう。そして、学びの中で、自分にもできることがあると分かって、さぞうれしかったのだろう。
「ロジーが読み書きできるって分かって良かった。ありがとうな」
サムトーは礼を言って、地図や財布を片付けた。ロジーはまた褒められて気が緩んだのか、大きなあくびをした。
「さすがに疲れてたもんな。ベッドに入るといいよ」
ロジーはうなずくと、言われる通りに体を横たえた。そして、珍しく自分から尋ねてきた。
「サムトーさんは猟師の村に行くんですよね」
「ああ。一月くらいはそこで過ごさせてもらおうと思ってる」
「私も一緒で大丈夫なんでしょうか」
自分が受け入れられるかが心配なようだった。読み書き以外は何もできない無力な子供なのだ。話を聞く限り、役に立たない子供を置いておく余裕のある村とは思えない。邪魔だと放り出されてもおかしくはない。
心配そうなロジーを安心させるように、サムトーも正直に答えた。
「俺の時もそうだったけど、猟師の村では、村全員で話し合って、受け入れるかどうかを決めるんだ。でも、いていいと決まれば、みな親切で頼りになる人達なんだよ。だから、事情を話せばきっと力になってくれる」
それにだ、と前置きして、サムトーは言葉を続けた。
「もし猟師達がダメだというなら、また俺と一緒に他の居場所を探そう。落ち着けるところが見つかるまで、面倒見るから心配いらないよ」
「サムトーさん、いいんですか」
「もちろん。俺もロジーとの二人旅は楽しいからな。ま、とにかく行ってみればはっきりするさ。今日はゆっくり休みな」
「はい。ありがとう、サムトーさん」
ロジーは目を閉じると、よほど疲れていたのだろう。すぐに寝息を立て始めた。よく眠れそうで良かったと思う。
サムトーは安堵の息をつき、明かりを消すと、自分もベッドに横になった。
「まあ、不安だよなあ。よく頑張ってるよ、ほんと」
ロジーの寝顔を見ながら、サムトーも眠りに就いたのだった。
それから三日かけて、二人は猟師の村スニトへと到着した。六月十七日、昼過ぎのことである。麓にあるトルネルの町で一泊した後、馬車一台がようやく通れる程度の細い登り道を四時間ほど歩き、たどり着いたのだった。
旅の間、少しずつロジーはサムトーに打ち解けていた。ただ返事をするだけでなく、自分の感想や考えを話すようにもなり、この人は怒らずに聞いてくれる、何かと手助けしてくれると、信頼を寄せるようになってきていた。表情こそ乏しいものの、時々軽く笑みを浮かべる程度にはなっていた。
「さあ、ここだ」
山を覆う森の中に開けた村だった。遠目に見る村は小さく、建物も二十に満たない。人口など三十人程度しかいない。だが、サムトーにとっては命を救われ、人としての生き方を取り戻させてくれた大切な場所だった。
村の中に入ると、それほど広くはないが畑が広がっていた。そこで何人かの村人が作業しているのが見えた。サムトーは元気よく挨拶した。
「こんにちは。お久しぶりです。サムトーです」
作業していた人達の手が止まった。驚きに顔を見合わせると、それぞれサムトーの元へとやってきて、口々に歓迎した。
「本当だ、サムトーじゃないか。久しぶりだな」
「元気でやってたんだねえ。また来てくれてうれしいよ」
「またこの村で暮らしてくれるのか」
サムトーは笑顔で彼らの言葉に答えた。
「いや、また旅芸人達の元へ行くつもりです。それまで一月ほど、ここで過ごさせてもらえればと思って来ました」
「なるほど、そっか。ちょっと残念だが仕方ないな」
「ところで、こっちのお嬢さんはどうしたの?」
「ああ。ロジーっていう子なんだけど」
そう前置きして、サムトーが真剣な表情で説明した。
ここより三日ほど南の町コリントに住んでいたが、未婚の母は生まれたロジーの面倒を見るのをずっと嫌がっていた。最近になって母が結婚した際、夫となった男もロジーは結婚生活の邪魔だとまで言い切り、辛い思いをしていたのだった。育てる気のない両親の酷さに怒ったサムトーが、ロジーを引き取ってここまで連れてきたという次第を語った。
「もし、スニトの村で暮らせるようなら、ここで引き取ってもらえないかと思ったんです。ダメなら、また俺が旅芸人達の所へ連れて行こうかと。まずは村の皆さんの意見次第ですね」
サムトーの言葉に、村人達もとても驚いていた。そんな酷い話が現実にあるとは思わなかったからだ。
「へえ、親が、我が子の面倒を見るのは嫌だとか、そんなことが都会にはあるんだなあ。そんな酷いこと考える親もいるのかあ」
「そういうことなら、まずは長老に話をしてくれ。こりゃ、今日は夕方から集会だな」
「分かりました。じゃあ、皆さん、また後で」
サムトーは、ロジーを連れて村の中へと入っていった。切り開かれた土地に、家が立ち並んでいる。その奥の方にある一軒が、長老の家だった。
サムトーが戸をノックして、そのまま開く。鍵は元からついていない。
「長老、お久しぶりです。サムトーです」
長老モーリは七十過ぎの老人だった。だが、心も体も健康そのもので、この家で一人暮らしをしていた。村人達の役割分担などの決め事について、最終的な決断を下し、責任を取るのが長老の役割だった。
「サムトーか。久しいな。よく無事で戻った。して、旅芸人の一座にいたはずだが、どうした?」
「いろいろとあったのですが、簡単に説明します」
猟師達の元を去ってから、旅芸人の一座の元で一緒に暮らしていたが、カムファの町で事件があり、そこでも素性を知られる危険が生じ、一人旅を始めたこと。方々を巡り、トルネルの町の一件からそろそろ一年、限られた期間ならスニトにいても大丈夫だろうと考えて、ここを訪れたこと。また旅芸人達の元へも戻りたいので、その間一月ほど村で過ごさせて欲しいこと。そして、連れがいて、母と再婚相手の新しい父に見放され、面倒を見るのを嫌がっていたため、サムトーが連れ出したこと。この村で、この娘を引き取ってもらえないかと思い連れてきたこと。それらを手短に説明した。
そして手土産を一つ。布袋に入った銀貨だった。百枚ある。金貨だと使うのが面倒だろうと思い、旅の途中、銀貨に替えたものだった。
「この村で受けた恩を、少しでも返したくて。大した額じゃないですが、受け取って下さい」
「そうか。ありがたく使わせてもらおう」
猟師村でも、生活の必需品や食材などを麓の町で買い出しをするのに、金が必要である。売り物は肉類だけなので、現金はいつも不足気味である。サムトーの申し出はありがたかった。
モーリは銀貨の入った布袋を受け取ると、言葉を続けた。
「サムトーがしばらく暮らすことに反対する者はおらんだろ。後は、こっちの娘さんだな。名は何という?」
ロジーは、この初対面の老人から強い重圧を感じた。自然の中で逞しく生き、この村を支えてきた人生の重みが感じられた。だが、気圧されていてはダメだと、勇気を振り絞って答えた。
「ロジーと言います。よろしくお願いします」
「ほう、良い名だ。それに良い子だな。わしは、ロジーが村で暮らしても良いと思う。後は村の連中次第だな。よし、夕方、集会をしよう」
そう言うと、モーリは家の外に出て、二人にもついてくるよう促した。
村の中央にある屠畜場へ行き、解体する獲物がなくて、暇にしていた中年の男性と、三十過ぎの女性に声を掛ける。
「ヨスタ、今日の夕方、集会をするから、村の皆に伝えてくれ。サムトーと、その連れの件だ」
声を掛けられた男が、うれしそうな表情になった。一緒にいた女性も同じような反応だった。
「サムトー、おお、久しぶりだ。元気で何より」
「サムトーじゃないの。剣なんか下げて、立派になったわね」
「ありがと。ヨスタもラウネも元気そうで」
「また村で暮らすのか? もちろん大歓迎だ」
「いや、ずっとじゃなくて、旅芸人達が来るまで、一月ほど世話になろうと思ってね。それからこの娘、ロジーって言うんだけど、この村で引き取ってもらえないかと相談しに来たんだ」
「ほう、そうか。まあ、何にせよ、みな喜ぶだろう。長老、夕方集会だな。皆に伝えておくよ」
「二人共、よろしく頼むな。ところで、ミリアは今日はどこかな?」
「さっきまで広場にいたと思うけど」
「分かった。行ってみよう」
モーリは二人を連れて、今度は屠畜場から少し離れた、村の広場へと足を運んだ。言われた通り、五人の子供が遊んでいる。
肩までの金髪をした少女が目ざとく長老達を見つけた。ミリアである。喜色を浮かべ、元気良く走り寄ってきた。
「サムトーだ! また会えたね。うれしいよ」
後から四人の子供もやってくる。サムトーを見て、同じように喜んでいた。
「みんなも元気そうだな。遊び仲間、一人増えたんだな」
「そうだよ。ところで、そっちの子は?」
サムトーの背後に隠れるようにしていたロジーを見つけて、ミリアが尋ねてきた。
「ああ、ロジーって言うんだ。酷い親の元から俺が連れ出してきたんだ。この村で暮らせたらいいかと思ってな」
「こんにちは。ロジーって言います。十才です。どうぞよろしく」
その挨拶を聞いて、子供達がどよめいた。
「やった、また友達が増えるんだ!」
期待と喜びの声を上げる。本当に純朴な子供達だった。
「私はミリア。十一才。サムトーの一番の友達だったの」
「ぼくはラスタ。十才。来年はミリアの代わりにリーダーになるんだ」
「私はダリア。八才。よろしくね」
「ぼくはノスリ。七才になったんだ」
「ぼく、タミル。五才になったから、子供だけで遊ばせてもらえるようになったんだ」
子供達が次々自己紹介していく。
モーリが子供達の様子を見て、うれしそうに言った。
「やはり子供は素直でいいな。すぐに仲良くなれそうだ。だが、ロジーがこの村で暮らすかどうかは、夕方の集会で決めるぞ」
「じゃあ、ほとんど決まりじゃない。こんな良さそうな子、みんな村で暮らしていいって言うに決まってるもの」
ミリアが即答した。それを聞いたロジーは、村の人達が親切で温かいというのは本当のことだと実感した。子供達でさえ、これほど温かいのだ。こんな子供達を育てた村人達も、同じように温かいことが伝わってきた。
「だったら、早速村を案内するね。……あ、荷物邪魔だよね。長老の家に置かせてもらいましょう」
「そうだな、それがいいだろう」
ミリア達五人は、モーリの同意を得て、早速とばかりサムトーとミリアを連れていく。荷物を置かせてもらい、そのまま連れ立って村の中を行く。村の西から北に散在している住居が立ち並ぶところを抜け、先程の屠畜場へ。
「狩ってきた獲物から、ここで毛皮や肉を取るの。大変な仕事なの」
ミリアが解説する。ヨスタとラウネの二人が、子供達がやり取りしている間に運び込まれた鹿を解体していた。皮を剥ぎ終えたところで、今は内臓を処理していた。
ロジーには刺激が強かったようだ。動物の解体など、初めて見るのだから仕方ない。血が流れ、内臓が取り出されていく様子を怖がっていた。だが、言葉には出さない。これも生活の営みなのだと、真っ正面から受け止めようと内心で頑張っていた。
聡いミリアは、そんなロジーの心情を推し量って言った。
「残酷に見えると思うけど、獲物をこうして解体するから、私達も肉を食べたり、毛皮を売ったりして生活できるの。だから、命への感謝を忘れないようにして、私達も頑張って生きていくの」
「そうなんですね。……いいえ、そうですね」
ロジーがもしここで暮らすつもりなら、避けては通れないことだ。ミリア達村の子供は、みな命を頂くことを受け入れている。その姿を見て、ロジーも、その心の強さを身に付けるべきだと思った。
その横には用具倉庫があり、先程の広場へと続く。小川がその近くを流れていて、洗濯をする他、飲み水もこの小川から取っている。村の東側には食糧庫、燻製場、鍛冶場、木材加工場、薪倉庫、道具倉庫、雌牛の小屋があった。雌牛は一頭だけで、二年に一度、トルネルの町で搾乳できる雌牛を仕入れるのである。南側には鶏小屋と畑。村全体はそう広くはないのだが、作業の様子も眺めていたため、そこそこ時間がかかった。
「村の周りの道も案内するね」
北側の出口から出て、山道に入った。突き当りにある大きな木の根元で止まる。
「子供だけで来ていいのは、このクスノキまでなんだ」
ミリアが言って、早速とばかりよじ登り始めた。まだ五才のタミルも、たどたどしく登っていく。ロジーは驚いて、サムトーを見た。
「ここもみんなの遊び場なんだよ。気を付けて登ってみな」
ロジーはうなずき、手足を木の凹凸に引っ掛けながら登り始めた。全身を支えるのに力はいるが、手がかり、足がかりがあちこちにあって、案外容易に上ることができた。
ミリア達は、高さ五メートルほどにある太い横枝で待っていた。
「いい景色でしょ。村が見渡せるの」
あそこがぼくの家、私の家、などと他の子達も教えてくれるが、さすがにロジーには区別がつかない。だが、村全体が一望でき、深く森が茂る様子も見渡せて、確かになかなかに良い景色だと思った。
「南の道を下ると、二人が来たトルネルの町に出るの」
なるほど、確かに道がある。結構時間をかけてそこから登ってきたのは、まだ今日の午前中のことである。
しばらく景色を楽しんだ後、ミリアが次の提案をしてきた。
「じゃあ、みんな、そろそろおやつにしよう。下りるよ」
全員下りたところで、またミリアが先頭に立って歩き出した。おやつと言っても、手ぶらで食べ物などは持っていない。
しばらく村を囲むように続いている道を西に進み、途中で道をそれて山の方へ向かう。少し行ったところに低めの木に実がなっていた。ミリアが要領を得ないロジーに説明した。
「これはグミの木。もう時期も終わりに近いんだけど、まだ食べられるわ。一人五個までね」
子供達が思い思いに実をもいで食べていく。
ロジーもそれにならった。初めて食べるが、甘酸っぱく、思った以上においしいと思った。
「おいしいでしょ」
「うん。森の木の実って食べられるんだね」
「何でも食べられるわけじゃないの。あと、季節によって生る木も実も違うしね。じゃあ、次、行きましょ」
また道に戻り、道なりに今度は南の方へ歩く。先ほどと同じように、途中で道から外れて、また木の実がなっている場所へ出た。
「これはキイチゴ。イチゴは町にもあるんでしょ。それの木に生る実、みたいな感じかな」
今度も五個ずつ食べる。グミより味が濃く、甘みが強い。
「これも森の恵みなの。鹿や猪、熊とかの獲物をうちの村では狩るけど、それと同じで、草木からも恵みをもらうの。だから、大事にしてるんだ」
「そうなんだ。ありがとう。すごく良く分かった」
自然の実りを子供が頂戴する。村人達が獲物という命を頂戴する。村人達はそうやって生きている。森の恵みとは豊かなのだとロジーは感心した。その森の豊かさが、心に温かみをもたらしてくるように感じた。
そこから西回りで村へと戻る。途中、細い道を左手に曲がり、岩に囲まれた池のような場所へ出た。水面からわずかに湯気が立っている。着替え小屋はあるが、風呂は露天である。
「ここが温泉ね。この村では、一日交替で男女別に入るのよ」
「雨がひどいと入れないけどな。そういう日は一日ずれるんだ」
ラスタが苦笑いしながら補足した。何か苦い思い出があるらしい。
そうこうしている間に、ちょうど日も傾いてきた。
「じゃあ、みんな一度家に戻りましょう。サムトーとロジーは、長老の家で待たせてもらってね」
温泉から道をたどると、すぐに村の中へと戻ってきた。
「じゃあ、また後でね」
「あ、ま、待って」
解散しようとする子供達に、ロジーが声を掛けた。
「ありがとう、みんな。今日は楽しかった」
「どういたしまして」
子供達が手を振って別れていく。それに応えるように、ロジーも手を振り返した。子供は子供同士、すぐに仲良くなるものだ。サムトーはロジーが喜んでいる様子を見て、自分もうれしく思うのだった。
村人達が広場に集まっている。赤子も含め、全部で三十人くらいだ。すでに日も落ちかけ、夕方になっていた。たくさんの台の上には食材が並んでいる。この集会が終わった後は、全員で夕食を兼ねた宴会となるのである。
「さて、今日はみなに話がある」
長老のモーリが口火を切った。
「では、サムトーから事情を説明してもらおう」
サムトーがロジーを連れて一歩前に出る。
「話は二つあるんだけど」
そう前置きして、まずは自分の件を話した。
旅芸人の一座に身を寄せた後、昨年の十一月に素性が知られる危険が生じて、一人旅を始めたこと。旅の剣士を名乗り、方々を巡って、いろんな人の手助けをしてきたこと。事件から一年近く過ぎて、久しぶりにスニトのみんなに会いたくて訪ねてきたこと。旅芸人の一座が来るときに、また彼らと共に行こうと考えていること。それまで一月ほど、この村で世話になりたいという要望を最後に伝えた。
「サムトーなら大歓迎だ。また一緒に狩りに行こう」
「うれしい話だね。またうちの子に曲芸教えてやってよ」
「一月だけなのが残念だが、世話になった旅芸人の一座とも、一緒に過ごしたい気持ちも分かった。また楽しくやろう」
ミリアの父、オルクが口を開いた。
「サムトーは、また家に住むってことでいいか」
村人達が同意する。こちらの件は満場一致で問題なく決まった。
サムトーが次の話題を振った。
「もう一つは、この娘、ロジーって言うんだけど、この子を村で引き取れないかっていう相談なんだ」
何度もしてきた説明を、サムトーは繰り返した。本人の前で残酷な話ではあるが、避けては通れない。ロジーの母、そして再婚相手の義理の父が面倒を見るのを嫌がっていたこと。サムトーが連れて行くと言った時、その二人が喜んだこと。この娘が落ち着いて暮らせる場所として、この村が良いかと考えて連れてきたこと。
説明が終わると、子供達を除いた村人達が、一様に怪訝そうな表情を浮かべた。疑っているわけではないが、信じられないのだ。
「大きな町にはいろんな奴がいるだろうけど、そんな酷い話もあるのかい」
「子供は宝物だろう。面倒を見るのを嫌がるとか、信じられないな」
口々に酷い話だとつぶやいている。この村全体が家族のようなもので、お互いを大切にしている間柄だからこそ、そんな人情に外れた行いが実際にあることが、嘘のように感じられるのだ。
「だけど、本当のことなんだ。どうだろう、ロジーのこと、この村で引き取れないかな」
サムトーがもう一度訴える。村人達が首を傾げた。
「いや、この村で暮らしたいというなら、反対はしないが」
「ただ、町育ちの子には、村の暮らしは辛いかもしれないなあ」
「ロジーは村で暮らしたいのか、その辺はどうなんだ」
話を振られたロジーは、一瞬言葉に詰まった。確かに、猟師の村で暮らす覚悟をして、この村に来たわけではなかった。サムトーに連れられるまま、ここで引き取ってもらえるかもという希望にすがった結果だった。だが、やはり人任せではいけない。今は自分の本当の気持ちを話すべきだった。
「私は……行く当てのない身です。だから、暮らせる場所があるなら、どこでもいいと思ってました。でも昼間、ミリア達がすごく親切にしてくれて、この村の人達が、とても優しい人達だと分かりました。こんないい場所は、大きな町にもないと思います。だから、大変なことがあっても、私、負けません。この村に置いて下さい」
村人達が考え込み、ロジーの言葉を吟味していた。じっとロジーの姿を見る。手足は華奢で、村の子達と違い逞しさはない。本当にこの村で暮らせるのか不安に感じたのだった。
「気持ちは分かった。この村を認めてくれたのもうれしい。けどな」
「うーん、その細っこい手足を見ると、大丈夫かって思っちまうんだ」
そこで割って入ったのはミリアだった。
「なら、私が面倒見る。こんないい子、放っておけないよ」
父のオルク、母のサリーが、あなたなら大丈夫と言わんばかりの表情を浮かべた。ミリアは強くうなずいて答える。
「私も来年十二才、仕事をする年だから、ちゃんと面倒見られるよ。今までだって、ヒルトが去年仕事をするようになってから、子供達の遊びを面倒見てきたのは、私だもん」
この時代、神聖帝国ではどこの地方でも、十二才から仕事の見習いを始めて、大人に準じる扱いをするのが普通だ。猟師村も例外ではなく、ヒルトという十三才の男子も、十二才で子供達の遊びの仕切りを終えて、昨年から見習い仕事をしているのである。
それはさておき、ミリアの気配りの良さは村人達も良く知っている。それでも初対面の知らない子になぜそこまで入れ込むのかは不思議だった。
「何でミリアはそこまで面倒見ようとするんだい?」
「さっき村の案内していた時、ロジーはすごくいい子だって分かったの。だから仲良くなりたい。酷い目に遭っていたっていうなら、大事にしてあげたいって思ったんだ」
村の子供達のリーダー、ミリアがそこまで言うのであれば、村人達にも反対する理由はない。むしろ、応援すべきだった。
「分かった。ミリアに任せよう。よろしく頼むぞ」
「そうなると、オルクの家に二人増えるわけだが、そっちは大丈夫か」
オルクとサリーの夫婦が顔を見合わせ、うなずき合った。
「広さは足りてる。寝具と食料配給の追加があれば大丈夫だ」
「食事の用意も、三人でも五人でもそう変わらないから。任せておいて」
こうして、サムトーとロジーの二人が住む場所も決まり、これで議題は終わりである。
「では、話し合いも終わりだな。始めようか、村の衆」
「よし、今日は楽しもう」
村人達が一斉に動き出す。どんどん食材を切っていく。鉄板をかまどに乗せて、火にかける。酒樽が開かれ、酒杯が配られる。宴会の始まりだった。
「では、新しい仲間、ロジーの加入と、サムトーの帰参を祝って、乾杯!」
「かんぱーい!」
鉄板の上で肉や野菜が焼かれる。夕食をつまみに、大人達はみな酒を飲んでいる。村ではエールが作れないため、保存をしっかりしておけば日持ちのする蒸留酒、いわゆるウイスキーである。子供達の分は果実水である。
「ロジーも食べたい物、自分で焼いてみて」
早速ミリアが世話をしている。焼けたのをただ渡すのでなく、自分で焼く経験を積ませようとしているところが細やかである。
「そろそろ焼けたみたい。食べてみて」
「うん。それじゃあ」
ロジーが自分で焼いた肉や野菜を皿に取る。
「熱いから気を付けて」
「分かった。ありがとう」
息を吹きかけて冷ましながら、ロジーが口に入れる。焼いてたれをつけただけなのにとてもおいしい。特に肉は今まで食べたことのない風味で、これが野生の獣の肉の味なのかと感心した。
サムトーはその様子を横目で眺めながら、テムルやヨスタといった中年男達の歓待を受けていた。鉄板で焼いただけの肉や野菜は、素朴だがやはりうまい。酒にも合う。おいしく腹を満たしながら、一人旅の出来事をいろいろ話して聞かせると、男達は愉快そうに聞いていたものである。
「サムトー、久々にまた宙返りやってくれよ」
そんな注文にも嬉々として応じ、サムトーは立ち上がって、旅芸人のような口上を述べる。
「では、村の皆さま、うまくいきましたら拍手を」
広場の開いているところへ行くと、倒立後転からの後ろ宙返りを見せる。今回は酔いもそれほどではなく、見事に決めて見せた。
「おお、いいぞ、いいぞ」
「お見事! さすがサムトー」
拍手と歓声が入り混じる。それに手を振って応えながら、サムトーが元の場所へと戻っていく。
「ロジー、サムトーと一緒で良かったね」
ミリアの本音だった。昨年、兄のように慕っていた楽しい人物だ。心根まで十分に良く知っている。ロジーの境遇を知って、それ以上酷い目に遭わせないために連れ出した優しさも、彼の長所の一つだ。
その一方、サムトーの宙返りなど初めて見たロジーは目を丸くしていた。こんなことまでできるなど、本当に不思議な人物だと思った。同時に、ミリアの言う通り、サムトーはどこまでも親切で、一緒にいて良かったと思える相手だと、改めて気付かされた。
「そうだね、ミリア。私、運が良かったんだね、きっと」
サムトーと出会い、スニトの村に引き取られ、不幸だった時間は終わったのだ。気持ちも新たにここで生きていける。支えてくれる仲間もいる。それはとてもうれしいことだった。
ロジーの頬を涙が一筋伝った。隣にいたミリアは、その気持ちを察して何も言わなかった。ただ軽くうなずいただけだった。その思いやりは、ロジーにも伝わっていた。
「ありがとう、ミリア」
「うん。……さ、もっとしっかり食べましょ」
「そうだね。じゃあ、今度はこれとあれと……」
二人で食材を焼いていく。一緒に食べているうちに、二人は心から打ち解け合っていった。
どんな楽しいことにも終わりは来る。いい加減、酔っ払いも増えてきた頃には食材もなくなり、宴の時間も終わりとなった。
「片付けもよろしく頼む」
モーリの言葉で、村人達が一斉に動き出す。村の中を流れる小川で食器や鉄板を洗う。かまどの焼け残りを広げて薪を燃やし尽くす。焼け跡に土をかぶせ、軽く水を撒く。空いた食器や使った道具を屠畜場裏の倉庫にしまう。子供達も、手伝える子は率先して動いていた。ロジーもミリアに教わりながら一緒に動いていた。
やがて、片付けが終わると、モーリが挨拶する。
「では、皆の衆、また明日」
村人達が一礼を返して三々五々に引き上げていく。
サムトーとロジーも、モーリの家に置かせてもらった荷物を回収し、予備の寝具を倉庫から出して、サリー、ミリアと共にオルクの家へと向かった。
「今日から、ロジーの家はここだ」
オルクの言葉にロジーがうなずく。サリーとミリアの二人がその肩に手を乗せた。
「ようこそ、我が家へ。これからよろしくね」
「いらっしゃい。歓迎するよ」
そうして家の中へと案内される。特に仕切りのない丸太小屋で、壁には棚や道具類がいくつかあるだけだった。それに台所。奥の方、何もない開けた場所が寝る場所になっていた。
「荷物はロジーはこっち、サムトーはオルクの棚に置いてね」
荷物を片付けると、みな着替えである。外出着から部屋着へと着替え、寝具となる毛皮を床に敷いていく。上には毛布を掛ける。寒い冬は、その上にさらに毛皮を掛けて寝るのである。
寝る場所は、端からサムトー、オルク、サリー、ミリア、ロジーの順で割り振られた。
「じゃあ、今夜もゆっくり休みましょう」
家の中では、サリーが一家を仕切っていた。五人がそれぞれ寝る場所へと収まっていく。オルクが明かりを消し、就寝である。
「おやすみなさい」
ロジーも久しぶりに就寝の挨拶をして、目を閉じた。目まぐるしい一日の疲れもあって、すぐに眠りに落ちていった。
「サムトー、ありがとう。おかげで娘が増えたよ」
オルクが言った。普段朴訥なだけに、この言葉に嘘偽りはなく、確かな重みがあった。
「私もうれしいわ。楽しい毎日になりそう」
「なるわよ、きっと。明日からが楽しみ」
妻のサリーも言う。娘のミリアも同じ意見である。赤の他人の子でも、家族として受け入れてくれる。本当に温かな一家だった。
「ありがとう。世話をかけるな。よろしく頼むよ」
サムトーが礼を言うと、三人が微笑んだ。こうして、猟師村での初日の夜は過ぎていった。
翌朝、さすがに猟師一家の起き出すのは早い。サムトーが起きた時には、すでに三人共起き出していて、朝食の支度をしていた。日の出からそれほど時間は経っていない。
「おはよう、サムトー」
「おはようございます」
サムトーは水を一杯もらって、体を目覚めさせる。
ロジーはさすがに疲れていて、まだ眠っていた。寝かせておいてやりたいところだが、村の暮らしに慣れるためにも起きてもらった方がいいだろう。サムトーはロジーを揺すって起こした。
「おはよう、ロジー」
「おはようございます。……あれ、ここ、あ、そうか」
目覚めてすぐに、自分が元の家でなく、宿でもなく、オルクの家だということに気付いた。昨日からここが自分の家になったのだ。新しい家族達は、すでに朝食の支度をしていた。自分だけ何もしてなかったことに、ロジーは焦りと申し訳なさを感じた。
「おはようロジー。ちゃんと起きられたわね。もうすぐ朝食よ」
ミリアが声を掛けてきた。ロジーが頭を下げる。
「ごめんなさい、何もお手伝いできなくて」
「いいのよ。ここの暮らしに慣れてきたら、自然とできるようになるから」
オルクやサリーとも挨拶を交わす。全員起きたところで、オルクに教わりながら寝具を片付けた。とは言っても、壁に取り付けられた横棒に引っ掛けて、吊るしておくだけなのだが。
「さあ、朝食にしましょう」
サリーの言葉で、五人が縁になって座る。椅子などはない。村で作れなくもないが、そのための材木の手配が大変だからである。木の床に敷いてある毛皮に座り、低い机の上にある料理を食べるのである。肉野菜炒めと小麦粉の薄焼きパン、それにスープである。
「いただきます」
五人が唱和する。獲物の命を頂く猟師達は、いつでもその感謝を忘れないよう、食事の挨拶を欠かすことはない。以前滞在した時にそれを知ったサムトーも、ミリアに聞いて知ったロジーもしっかり挨拶をしていた。
「午前中は、ロジーはミリアと一緒に長老の所ね。十二才になって仕事の手伝いを始めるまでは、そこで読み書きを習うことになってるの。昼食は家で食べるから帰ってきてね。その後、夕方までは子供達は遊びの時間。ミリア達と一緒に楽しく遊んでいらっしゃい」
食事を始めて、すぐにサリーが生活の予定を説明してくれた。ロジーもきちんと返事をする。
「はい。分かりました」
「私も一緒だから、何も心配いらないからね、ロジー」
ミリアが横から口添えする。一つ年長なだけだが、何と頼りがいのあることだろうか。まだ昨日会ったばかりだが、心を寄せるのに十分だった。
「うん。ありがとう、ミリア」
名前を呼ぶのが少し恥ずかしい。でも、大切な友達で姉のような存在だ。しっかりと声に出して言った。
「俺達は、今日は山の見回りだ。罠を仕掛けた場所を巡って、獲物が掛かっているかどうかを見てくる。サムトーも一緒だ。堅焼きパンと燻製肉を弁当に持って行く。帰りは日が傾く頃になる予定だ」
オルクが言った。サリーやミリアにはお互いの動向に説明はいらないが、ロジーが不安がらないように、きちんと話したのだった。オルクも見た目の逞しさに反して、細やかなところがあった。
「久しぶりの山だな。足手まといにならないようにしないと」
サムトーが言う。これまで一人旅で、長く歩くのには慣れてきたつもりだが、山の中では勝手が違うのも知っている。
「私はいつもは畑当番だから。朝、洗濯の仕事をした後は、畑にいることが多いから覚えておいて」
サリーもロジーにそう説明した。ロジーが食べながらうなずく。
「じゃあ、今日も一日頑張りましょ」
「ああ。気をつけて行ってくる」
「うん。頑張るね、お母さん」
「はい。私も頑張ります」
「俺も久々の山巡り、頑張ろ」
それぞれが思いを言葉にして、朝食は進んでいった。
「何か様子が変わりましたか?」
オルクとテムルのコンビについてきたサムトーは、違和感を感じていた。オルクによれば、現在仕掛けてある罠は十五か所ほど。そのうち五か所まで巡ったが、全て空振りである。まあ、そうそう獲物も罠にかかるわけではないので、一日巡って全て空振りということもある。しかし、それだけでは説明できない何かをサムトーは感じていた。
「木の幹を見ろ。枝も多少折れているな」
オルクの言葉に従って、付近の太い木を見ると何か毛のようなものがついている。折れた枝も、自然にではなく、獣が折った跡らしかった。
よくよくその毛を見てみると、茶色と黒の中間くらいの色合いで、意外と毛足も長い。この毛の具合には見覚えがある。
「もしかして、これ、熊ですか」
「ああ。間違いないだろう」
オルクの返答に、サムトーは違和感の正体を知った。
「村からそう遠くないこの辺に出たとなると、これは狩るしかないな」
こちらはテムルである。この広い山の中、熊を探し出して狩ることの大変さをよく知っていて、相当苦労するな、といった口調だった。猟師の村スニトでも、年に多くても五頭程度しか狩ることはない。
「罠を見て回りつつ、熊の痕跡を探そう」
オルクの言葉に二人がうなずく。
歩を少し緩めて、周囲を観察しながら歩く。すると、足跡らしき穴や、糞が落ちているのが見つかった。やはり、この周辺のどこかにいるらしい。
ちょうど昼飯時となり、三人が携帯食を取りながら相談した。
「この三人で狩るのは骨だな。明日、狩りに出られる者、総出で探すのが良さそうだ」
「そうだな。今日は大まかな位置を絞り込むだけにしよう」
「分かりました。俺もよく観察します」
サムトーも気を引き締めて答えた。すると、テムルがニヤリと笑いながら尋ねてきた。
「久しぶりの山はどうだ」
「そうですね。これまで宿場町ばかり巡って来ましたから、人は少なくて寂しげにも思えますね。でも、虫や小動物、鳥など生き物が多くて、自然豊かだなあって思います」
「そうだろう。山もいいものだろ」
「それは思います。大都会にはない良さがありますね」
オルクがそれを聞いて笑みを浮かべた。サムトーの言葉に、都会に対する懐かしさが感じられたからである。
「そうか。サムトーは大都会にも慣れたか。お前さんには、そうやって旅をするのが、性に合っていたのかもしれないな」
「村で世話になっておきながら、すみません。俺もそんな気がしてます」
「まあ、いいさ。それぞれ人の生き方というものだ」
やはり温かい。オルクの言葉に、サムトーは心から感謝した。
「ありがとうございます。でも、まずは熊の消息、頑張ってたどりますね」
そうして、三人は再び山の中を巡り始めた。
三人が村に戻ったのは、まだ日も十分に高い頃だった。獲物は中型の猪が一頭。持ち帰るのが遅くなると、解体当番が大変になるので、早目に戻ったのだった。
そして、すぐに長老に熊が出たことを報告し、明日、山狩りをしたいことを提案した。
「おおよその場所は分かりました。後は人手を繰り出して狩れれば」
「そうか、分かった。手すきの者全員で当たろう」
こうして明日は、熊狩りをすることになったのだった。
サムトーは、せっかく早く戻れたので、ロジー達の様子を知りたいと思った。だが、山の中に入っているようで、村の中では姿を見かけなかった。とは言え、山まで見に行っても、行き違いになるかもしれない。そんなことを思っていると、ちょうど子供達が山から帰ってきた。
「あ、サムトー、今日は早かったね」
目ざとくミリアがサムトーを見つける。
「おかえり。楽しく遊べたかい?」
「うん。ロジーも楽しそうだったよ」
話を振られたロジーは、楽しさのあまり少し興奮気味に答えた。
「みんな遊びが上手で。鬼ごっこもかくれんぼも、一緒に楽しくできたんです。こんなに楽しく遊べたのは、学舎に通ってた時くらいで、すごく久しぶりでした」
「そうか。それは良かった」
サムトーも、ロジーの様子をうれしく思い、赤毛の頭をやさしく撫でた。すると、周囲の子供達から、ぼくも、わたしもという声が上がった。
「みんなも仲良く遊んでくれてありがとな」
リクエストに応え、サムトーは全員の頭を撫でてやった。子供達もご満悦である。さらに、二番目に年下のノスリが言ってきた。
「ねえ、前に見たいに肩車して」
そう言えば、以前にもそんなことがあったな、とサムトーも思い出した。まだ遊べる時間は結構残っている。断る理由はない。
「分かった。じゃあ、また一番年下からだな」
「ゆっくり百数える間ね。そしたら次の子に交代よ」
これはミリアだ。こういう時はきっちり友達を仕切る、しっかり者のリーダーだ。
サムトーが、一番年下のタミルを肩に乗せて立ち上がる。そして、そのまま広場をゆっくり歩いて回った。
「うわ、高ーい。ちょっと怖いけど、気分いい」
まだ五才だけあって軽い。肩にかかる重みが、何となく子供を育てる重みを意識させた。温かく、どっしりした感じだ。
順にノスリもダリアもラスタが乗った。三人共、たまに父にしてもらう程度で、久々だったのだろう。肩車を喜んでいた。
ロジーの番になった。育ちが育ちなだけに、肩車をしてもらうのは生れて初めてだった。持ち上げるときもおっかなびっくりで、サムトーの頭にしがみついていた。サムトーが立ち上がると、視線の高さが怖かったようで、余計に力が入った。
「大丈夫。絶対落とさないから」
サムトーが優しく声を掛ける。ミリアが数を数えていたが、その数が二十を超えたあたりで、どうやら大丈夫だと感覚的に分かったらしい。全身の力が抜け、落ち着いて周りを見られるようになった。五十を超えたあたりで、高い位置で支えてもらう心地良さを感じられるようになった。百数え終わった時には、終わるのを残念そうにしていたほどだ。
「よかったね、ロジー。気分良かったでしょ」
「うん。最初怖かったけど、やっぱりサムトーさんは頼れるね」
ミリアとロジーが笑顔を向けあう。そして最後はミリアの番だ。
「お、ちょっと重くなったか。そう言えば背も伸びてたしな。さすが一番のお姉さんだな」
「もちろん。来年には仕事の手伝いする年なんだから」
自分の成長を素直に喜べるのはいいことだ。こういう素直な心に当てられて、ロジーも子供らしさを取り戻しつつある。何とも良い娘だと思う。
自分の番が終わると、ミリアはこれまでの練習の成果を見せてきた。
「こうでしょ。そこから……ほいっと」
倒立から、背中を着けずに前転を決められるようになっていた。自学自習で身に付けたのだから大したものだと思った。それを見て、以前技を教えた三人も、きれいな倒立を見せた。
「四人とも上手になったな。じゃあ、ロジーとタミルには側転……横に回る技から教えようか。ミリア、見本見せてやってくれ」
「任せて。ゆっくりやるからね。体を真っ直ぐ立てて、腕を伸ばして……」
そんな具合で、残りの時間は曲芸教室になった。六人共、それぞれ新しい技を手伝ってもらいながら教わり、疲れるけど楽しい時間を過ごした。
夕食の時間が終わると、この日は女性が温泉の日で、男二人は留守番である。待っている間、昼間決まった熊狩りの算段を二人で話し合っていた。
いくばくかの後、女性陣が帰ってきてからは、のんびり団欒の時間となった。ミリアがまるで自分のことのように、ロジーの自慢を始めた。
「ロジーってすごいの。読み書きも計算も、もう長老が教えることがないくらい出来てて、他の子達に教える手伝いもしてたのよ」
サムトーも宿でロジーの実力を見せてもらった。なるほど、子供達に教えられるほどだったかと納得した。
「絵本を読んで聞かせるのを、長老の代わりにやったくらいだったの。読むのも上手だったわ。ほんと、すごいよ、ロジー」
「ありがとう。私、学舎で学ぶのが好きで、新しいことができるのがうれしくて、それでいろいろできるようになったの」
少し照れながらロジーが答える。友達の役に立てて、かなりうれしかった様子が見られた。良い傾向だとサムトーは思う。着実にこの村がロジーの居場所になりつつあるのを感じた。
「私もロジーみたいに読み書きできるよう、頑張るわ。だから、私にもいろいろ教えてね」
「うん。出来ることなら何でも。でも、私がミリアから教わることの方が多いから、こちらこそよろしくお願いね」
二人仲良く笑みを浮かべる。金髪と赤毛の違いはあるが、仲の良い姉妹のような感じに見えた。
「いや、二人共、仲良くなれて良かった」
「そうね。助け合えるのって、とてもいいことだわ」
オルクとサリーに、サムトーも同感だった。この一家がロジーにとって、心落ち着ける居場所になって、本当に良かったと思う。
ここで、オルクが話題を変えた。
「ところで、ここ数日で分かったことなんだが、罠を仕掛けてる近くに熊が出たんだ。三人には悪いが、明日は熊狩りだ。村で狩りに出られる者、総出でかかることになった」
重要な要件をだった。女性陣の顔が強張る。熊狩りとなると、やはり危険が伴う。村で熊に直接やられた者はほとんどいないが、ゼロではない。狩りの最中、焦ってつまずくなどして、ケガ人が出ることもあった。
「今回はサムトーもいるしな。追い詰めることができれば、無事に狩れると思う。留守を頼むな」
「そうですか。分かりました。十分お気をつけて」
妻のサリーが少し硬い口調で言う。夫の慎重さや強さは信じているが、それでも心配がなくなるわけではない。
「そうかあ。大変だね」
「オルクさんも、サムトーさんも、気を付けて下さいね」
ミリアとロジーの二人も多少心配なようだった。とは言え、実際の狩りを知っているわけではないので、大丈夫だろうとは思っていた。
「ありがとう。十分気を付けるよ」
オルクもサムトーも同じことを口にした。二人にも、一家の女性陣に、妙な心配をかけるつもりはない。
「さて、この話題はもういいでしょ。サムトーの話、聞こうよ。村を離れてから、どんなことしてたのか気になる」
ミリアが話を振った。オルクやサリーもそれは気になるところだ。ロジーにしても、その点では同じだった。
「話すと長いことなんだけど」
サムトーはそう前置きして、まずは旅芸人の一座での暮らしぶりについて話し始めた。旅の様子、野営の様子など、話は尽きることがなく、途中で就寝となったのだった。
翌朝、一家は順に起き出した。サムトーもほぼ同じくらいである。ロジーも二日目で、物音に釣られるように起き出してきた。
朝食を終えると、オルクとサムトーは早々に狩りの支度をした。昼食の携帯食や水筒、腰のポーチに小物類の他、オルクは弓矢を、サムトーは短い方の剣を持っていく。できれば今日のうちに狩ってしまいたいのが偽りのない本音だ。
「無事に狩ってきてね。気を付けていってらっしゃい」
「ああ。じゃあ、行ってくる」
二人は山に入る面々と合流した。テムルやヨスタ、サムトーと同年代の二人、中年の男女それぞれ二名ずつと、総勢十名。これだけの人数で狩りをすることは滅多にない。
一行は村から見て北東部の山を進む。オルクとテムルの二人が担当している地域である。昨日、熊の痕跡を見つけた場所からさらに進み、熊がいると思われる場所に到着した。ここまで一時間ほどだろうか。
「ここから先は、二人一組で手分けをしよう。見つけたら合図してくれ」
オルクの言葉に、全員がうなずく。それぞれいつものコンビと一緒に捜索を始めた。サムトーはヨスタと一緒である。
「村に来て早々、熊狩りとはついてるな、サムトー」
ヨスタが茶化すように言ったが、これは本心だった。村でも滅多にできない経験だ。昨年、麓の町トルネルに出現したのを狩った時もそうだし、旅の途中で退治を手伝ったのもそうだ。偶然とはいえ熊との遭遇率の高さは、ある意味運がいいと言えた。
「そうですね。熊とは縁があるのかも。ここに来る前も、町に出たのを退治したばかりなんですよ」
「ほう、そいつはまた、すごい偶然もあったもんだな」
そんなことを話ながら、山の中をゆっくりと奥へと向かっていく。周囲の気配を良く探り、観察しながらなのでどうしてもゆっくりになる。
「痕跡が途絶えたな。一度戻るぞ」
そうやって、熊が通った跡をたどっていく。それでも簡単に見つかるものでもない。一時間半くらいは、そうして行きつ戻りつしながら、地道に探索を続けていた。
すると、遠くから笛の音が聞こえてきた。かなり距離があるようで、音は小さい。だが、間違いなく熊を発見した合図だった。
「他の組が見つけたようだな。行くぞ、サムトー」
「行きましょう」
二人は音がした方向へと急ぎ歩き始めた。他の組も同じように急行しているはずだ。まずは人数を生かして追い詰めることだ。
数分おきに笛の音がする。その位置は少しずつ移動しているようだった。熊が笛の音を嫌がって、逃げているのだろう。
十数分歩いて、若い男の二人組が、熊を追っているのを見つけた。エンケとボルタという、サムトーと同年代の若者だった。サムトー達は二人に合流すると、すぐに声を掛けた。
「あれか、熊は」
体長二メートル程度の、比較的大型の熊だった。力は人の何倍もあり、恐ろしい相手である。
年長のエンケが答えた。
「ええ。ゆっくり逃げていますが、こちらの人数が少ないことを知っているので、いっそこちらを倒そうかと迷っている感じですね」
「分かった。サムトー、俺達は右手から大回りに追うぞ」
「分かりました」
ヨスタは二人から離れると、右手の方へと進路を変えた。熊を見失わないように気を付けながら、大きく回り込む。
やがて、頃合いを図って、ヨスタが笛を吹いた。それに合わせて、若い二人組からも笛の音が聞こえた。すると、熊がそれを嫌って、笛の音がしない方向へと向きを変える。
ところが、その進路の正面からも笛の音がした。別の組が追い付いてきたのだ。三方向から笛を鳴らされ、熊がまた向きを変えて逃げようとする。しかし、しばらく逃げたところで、今度はその方向からも笛の音がした。そこでまた進路を変える。それでも、しばらく進むと、そちらからも笛の音が聞こえてきた。五方向からの笛の音を聞き、熊が完全に囲まれたことにようやく気付いたようだった。
動きを止めて、近づいてくる人間たちを見据える。合わせて逃げ道をまだ模索している様子だった。ゆっくり周囲を見渡している。
動きを止めたこの瞬間が好機だった。サムトーが一人突撃する。
「悪く思うなよ。かわいそうだが、狩らせてもらう」
サムトーは段差や傾斜をものともせず、全速で熊に近づく。
熊が驚いた様子でサムトーの方へと向き直る。サムトーはそんな動きを意に介さず、構わず間境を越えた。腰の剣を抜き放つ。
近づいてくる人間を倒そうと、熊が立ち上がった。右腕を大きく振りかぶる。その間合いに入ったサムトーは、それが振り下ろされる瞬間、素早く飛び下がってその攻撃を避けた。熊が態勢を立て直そうと体を動かしている隙に、突進して熊の脳天を斬り下げる。狙いは正確で、威力も十分な一撃だった。熊の脳天を見事に斬り裂く。熊は、左手を振り下ろそうとしている動きのまま、前へと倒れてくる。その前にサムトーはまた大きく下がって、間合いを取っていた。
サムトーが熊の首筋を斬り裂く。血が小川のように流れ出す。これで退治は完了だった。
「見事だ。またいいところを持っていかれたな」
合流したテムルが感心半分、冗談半分に言った。他の一同は、無事に熊を狩ることができて安堵していたし、やはりサムトーの腕前は見事だと感心もしていた。
「持ち帰るのが難儀だな」
オルクが言いながら、太い木の枝を拾う。他の者も同じように太い枝を調達する。枝をキの字の形に固定すると、熊をひっくり返し、前足後足をそれぞれ枝に括り付ける。これで六人がかりで担いで運ぶのだ。それでも、さすがにずっしりと重い。
手の空いた者が、血抜きをした時にできた血だまりに、しっかり土をかぶせておく。十人が途中で何度も交代しながら、ずっしりと重い熊の身柄を運んでいった。かなりの重労働だが、獲物の命を無駄にしないために、村まで運んで解体し、皮も肉も熊の胆も有効に活用するのが猟師の流儀だ。
二時間近くかけて、ようやく村まで運び込んできた。
広場では子供達が遊んでいた。熊狩りの成否も気になっていたのだろう。六人がかりで担がれてきた熊を見て、やった、すごい、などの歓声が上がった。初めて熊を見るロジーは、その大きさに驚いていた。実物を目の当たりにして、こんな恐ろしい獣を良く狩れるものだと改めて感心していた。
「お父さん、サムトー、みなさんもお疲れ様でした。無事に狩れて良かったですね」
ミリアが子供達を代表して、大人たちを労った。大人達は笑顔で親指を立てて、功を誇ったものである。
熊を屠畜場に運び、四人がかりですぐに解体に取り掛かった。さすがに大変な作業で、特に内臓の処理はきれいに洗って下茹でするなど手間暇がかかる。全ての作業を終えるのに二時間以上かかった。熊肉の多くは燻製場で燻製にされるが、それでも半分近くはこれから数日に渡って、村人達の食事に供されることになる。
こうして、熊狩りは無事に終了したのだった。
夕食時、早速狩った熊の肉を使って、サリーとミリアが調理をした。薄切りにして汁で煮込んだ鍋料理で、内臓も一緒に煮込んでいる。ロジーも道具の用意や野菜の皮むきを少し手伝い、早く二人のように上手になりたいと頑張っていた。
今日は村中、どこの家でも熊鍋だろう。一頭の熊からはそのくらい大量の肉が取れる。
「いただきます」
五人が唱和し、熱々の鍋をつついていく。家畜に比べれば癖はあるが、村人はその味に慣れている。サムトーは久しぶりに熊を食べたが、脂身から出る甘みやコクがありうまいと感じた。初めてのロジーも、気に入ってどんどん食べていた。思った以上においしいと、喜んでいた。
食事が終わって、この日は男性陣が温泉の日である。さすがに疲れていて、湯がとても心地良い。村の他の男性陣も一緒に、熊が狩れたことを喜び合いながら、のんびりと浸かったのだった。
家に戻ると、サムトーが旅芸人風に、熊狩りの様子を一家に語った。
「長々と歩き回っても、なかなか姿が見つからない。そろそろ昼食休憩かという頃、笛の音がしたわけだ。鳴らしたのは、若手のエンケとボルタ。二人が一番に熊を見つけて、追い立てながら位置を教えてくれたんだな」
そんな調子で、聞き手が飽きないように、テンポよく話していく。
「やがて、十人に囲まれて逃げ場を失った熊は、困ったように止まったわけだ。その隙に、俺が一気に近づいて、熊の注意を引き付けた。熊も人間が怖いらしい。立ち上がって大きな腕を振りかざした。その鋭い一撃を避けて、熊の脳天に一撃お見舞いしてやったんだ。さすがの熊も頭を割られては助からない。かわいそうだが、それで倒れたっていうわけだ」
ほう、と三人からため息に似た声が上がった。無事に熊が倒されたと聞いて、安堵の声を漏らしたのだった。一撃で熊を仕留める腕前の凄さに、感心したこともあった。
「その後運ぶ方が大変だったよ。何せ、あの巨体だ。太い枝を集めてきて、手足を括り付け、六人がかりでようやっと運べるくらい重かった。みんなで交代しながら運んだけど、さすがにみんなかなり疲れてたな」
身振り手振りを交えながらの語り口を、三人は十分に堪能していた。
「サムトー、すごく分かりやすかったよ。まるでその場にいたみたい」
「運ばれてるの見て、ちょっと怖かったの。よく一人で倒せたね」
娘二人が口々に言う。褒め言葉をもらったサムトーは、久々に調子に乗って言った。
「まあ、これでも旅の剣士だからな。剣の腕だけが自慢の種さ」
「それだけじゃないよ。面白いし、いろいろ上手だし」
「それに親切で優しいです」
余計に褒められて、かわいいことを言ってくれるものだと、さすがのサムトーも照れた。このかわいさを見せられて、父のオルクが娘を大事にする気持ちが少し分かった。
そのオルクが、サムトーを見て笑みを浮かべていた。娘二人から好かれるのは気分がいいだろう、とでも言いたげな表情だった。内心を見透かされたようで、サムトーが心の中で両手を上げた。
「ミリアもロジーもいい子達だなあ。褒めてくれてありがとな」
言葉に出してはそれだけを言った。礼を言われた二人も笑顔になった。一家揃って笑顔になれて、実に楽しい夜であった。
一週間ほどが過ぎた。
サムトーは狩りの手伝いの他、薪作りや解体当番、木工などを手伝いながら、のんびり村で過ごしていた。村の仕事はどれもやりがいがあって、苦労はするが、成し遂げる喜びもあった。
その間、全てが順調というわけでもなかった。ミリアがサムトーに不満を漏らしてきた。
「何か、ラスタがロジーに冷たく当たるの。すぐイライラして意地悪言ったりするのよ。一体、何なのよ、全く」
ラスタはロジーと同じ十才の男の子である。読み書きでロジーの出来が良過ぎるのを、嫉妬でもしているのだろうか。それにしては、ロジーは他の分野ではみなに頼って、教わってばかりの立場のはずだ。それに、この村では読み書きはそれほど重要視されない。麓の町に買い出しに行く時、必要になる程度だ。そんなことで目くじらを立てているとも思えない。
ロジーが言うには、自分がみんなみたいに上手に遊べないから、それで腹を立ててるのではないか、ということだった。
ミリアの愚痴を聞いてから、サムトーは時々子供達が遊んでいる様子を観察してみた。確かに、ラスタがロジーにだけは一線を引いている。少しイライラした感じもあるようだ。そしてちょっときついことを言ったりもするようだった。すると、ミリアが仲裁に入り、ロジーをかばってラスタを諭そうとする。すると、ラスタが余計に不満げになる、そんな風だった。
ははあ、なるほど。サムトーは事の原因が分かった気がした。
サムトーがミリアの話を聞いて三日後、仕事の合間に少し時間ができた。この機会を使って話を聞いてやろうと、子供達が遊んでいるところに行ってみた。
「あ、サムトー。これから一緒に遊べるの?」
ミリアが早速とばかり声を掛けてきたが、サムトーは首を振った。
「いや、あまり時間はなくてな。この後、まだ仕事があるんだ。で、悪いけど、ラスタと話がしたくて来たんだよ」
「ラスタ、あなたに話があるって」
「分かった。どうしたんだ、サムトー」
「いや、ロジーと仲が悪いって聞いて、心配してきたんだ」
その話を聞いたラスタは、見る間に不機嫌になった。
「サムトーには関係ないだろ。それに、仲が悪いんじゃなくて、あいつが村のことに慣れてなくて、ずれてるって言うか、何と言うか……」
最後の方は尻すぼみである。これはラスタ本人も自覚があるということだろう。
「他の子に話を聞かれたくないだろ。ちょっと来なよ」
そう言って、サムトーは他の四人から離れて、二人きりになった。
「この際だから、はっきり言うよ。ラスタ、お前さん、ミリアのこと好きなんだろ」
「な、何で、そんなこと、サムトーには関係ないだろ」
「俺にはなくても、俺が連れてきたロジーにはあるからな。ミリアがロジーばかりに優しくするもんだから、面白くなくて意地悪言ったりしたんだろ」
「う、そ、それは……」
図星だった。ラスタの顔が見る間に赤くなる。子供心にも、こうした好きになる気持ちはあるものだと、旅の相棒など、これまでに知り合った子達から教わっていたから分かったことだ。
「大丈夫。村の誰にも話したりしない。もちろんミリアにもだ」
「分かった。それで、何が言いたいんだ」
少しふてくされてラスタが聞き返した。サムトーはここ一番、真剣な表情を作って話した。
「なあ、今のラスタは、すごく格好悪いって分かってるか。誰かに意地悪するようなヤツを、ミリアは好きになってくれないと思うぞ。もし、お前さんが、来年ミリアから子供達の遊びのリーダーを継ぐのなら、かっこいいとこ見せてかないとな」
「かっこいいとこって、どういうことだよ」
まだ少しすねている風もあるが、サムトーの本気の言葉に打たれ、ラスタも真剣にその話を受け止めていた。
「誰にでも親切で、優しいところを見せろってことさ。ラスタは頼りがいがあるな、と思ってもらえるようになれば、ミリアもお前さんのことを良く思うようになると思うぞ」
「ああ、そうか。そういうことか」
ラスタにも得心がいった。そう考えると、気に入らないからと、ロジーに意地悪だったのは逆効果ということだ。失敗したなあと、後悔を表情に浮かべた。
「そっか。俺が悪かったんだな。教えてくれてありがとう、サムトー」
「なあに、いいってことよ。それに、今からだって、十分取り戻せるよ。普通にしてるだけでも、ラスタは親切で頼れる奴だからな。それに、俺の見たところ、ダリアは多分お前さんのことが好きだぜ」
サムトーが何気なく付け足した言葉に、ラスタが焦った。
「え、え、でも、まだダリアは八才だぞ」
「格好のいい男は、女の子に好かれるもんさ。年は関係ないな」
「そ、そっか。それもそうだな」
ラスタ自身にも覚えがあるらしい。結構前からミリアが好きだった。優しく頼れる存在として好いていたが、それに独占欲のようなものが混じったのはいつ頃だっただろうか。本人にも記憶はなかった。
「それに、ロジーも結構美人になるぞ。いやあ、ラスタも男前だから、この先、相手を決めるのが大変かも知れないな」
真面目に諭した後でも、余計なことを言って茶化すのがサムトーらしいところだ。ラスタの方は、女の子三人から自分が好かれることを想像して、本気で困惑した顔になっていた。
「まあ、話はそれだけだ。遊びの邪魔して悪かったな」
サムトーが気さくに手を振って、仕事に戻っていく。
「ありがとな、サムトー。また今度、一緒に遊ぼうぜ」
ラスタも元気を取り戻し、笑顔で見送るのだった。
その日の夕食前、ミリアがサムトーに礼を言った。
「ありがとう、サムトー。何を言ったかは知らないけど、ラスタの態度ががらっと変わったの。今までみたいに、誰にでも親切なラスタに戻ったわ。ロジーにも、優しい言葉をかけるようになったし」
効果はしっかりあったようだった。
「これなら来年から、ラスタがみんなの遊びを仕切っても大丈夫そうね」
ミリアがうれしそうに言う。
「そいつは良かった。まあ、元々ラスタもいい奴だからな」
狙い通りになって、サムトーも安堵して、笑みを浮かべた。
「私も、それまで意地悪だったことも謝ってもらいました。ラスタみたいな親切な男の子に、久しぶりに出会えて良かったです。本当に優しくていい人ですね。好きになれそうです」
軽く笑みを浮かべてロジーが言う。明らかに本気に聞こえる言葉だった。サムトーが、おや、という表情を浮かべた。
「ロジーは、ラスタのこと好きになったのかな?」
「そうですね。仲良くしてもらえてうれしいです」
「そうか。それは良かった」
うーん、とサムトーは内心で唸った。ラスタには冗談で言ったつもりだったが、本当に三人から好かれて困る未来が待っているかも知れない。
「良かったね、ロジー。明日からも楽しく遊べそうね」
「うん。ミリアもありがとう」
まあ、子供達の未来は、自分達で創り上げていくものだろう。余計な心配をするものでもないなと、サムトーは思い直した。
そんな小さなトラブルを挟みつつ、サムトーは猟師村での生活を楽しんでいた。
山の地理もかなり思い出したし、罠の仕掛け方も習得できた。獲物を狩るのも以前の通り一撃必殺だったし、解体する腕も上がった。薪拾いや薪作りの作業にも慣れ、村人達と同じくらいに上達した。木工や畑の作業もたまに手伝うし、空いた時間には子供達とも遊んだ。
二日に一度の温泉も楽しみの一つだった。公衆浴場とは違い、源泉かけ流しの湯は体に良い働きをするようで、実に気持ちの良いものだった。村の男性陣に旅の話をしながらのんびり浸かるのは、とても良い気分だった。
何より、ロジーは日を追うごとに明るくなっていった。友達と読み書きを習い、一緒に遊ぶことで心がほぐされ、本来あるべき子供らしい姿を取り戻しつつあった。笑顔も多く見られるようになり、この村に連れてきたのは間違いではなかったと、サムトーも心底安心したものである。
そんな日々を過ごしているうちに時は過ぎ、一月ほど過ぎて、七月も下旬になろうとしていた。旅芸人達が麓の町トルネルにやって来る日が近づいてきたのである。
そんなある日、長老のモーリがサムトーとロジーを家に呼んだ。今後どうするのかを確認するためである。
「サムトーには、ずっとこの村にいて欲しいがな。やはり旅芸人達の所へ行くのか」
モーリが問いかける。サムトーはうなずいて真剣に答えた。
「俺もこの村の生活は好きです。だから、仕事もたくさんこなして、村の人達のために働きました。それは楽しい生活でした。今回も、恩返しできたと言うより、村の皆さんから恩を受けた方が大きいのだと思います。どれだけ礼を言っても足りないくらいです」
「そうか。それは何よりだ。わしらもうれしく思う」
ですが、と言って、サムトーは言葉を続けた。
「俺は旅芸人の人達にも恩義があります。やはり、その恩を返すために、彼らの元で働きたいんです。旅芸人の暮らしもまた楽しくて、また一緒に過ごしたい気持ちもあります。ですから、この機会に村を離れて、旅芸人達と一緒に行きたいと思います」
モーリが小さくため息をついた。
「そうか。残念だが、それがサムトーの意志なら、それを尊重しよう」
「すみません。ありがとうございます」
サムトーの本心を聞いたところで、今度はロジーの番だった。
「ロジーはどうかな。村の暮らしに慣れたとは言え、やはり町で暮らしたいとか、サムトーと一緒に行きたいとか、そういう気持ちはあるかい?」
ロジーはしばらく黙って考え込んでいた。モーリも急かしたりはしなかった。サムトーも黙って返答を待っていた。
しばらくして、顔を上げると、ロジーははっきりと言った。
「私、この村で暮らして、初めて人間らしく暮らすことができました。オルクさんもサリーさんも親切でしたし、ミリアや他の子供達とも仲良くなれました。他の村の皆さんも、行き場のない私を温かく受け入れてくれました。この村で暮らすのは楽しいです。母の元にいた頃と違って、生きてて良かったって思えます。だから、この先もずっと、この村で暮らしたい。それが私の願いです」
モーリとサムトーが顔を見合わせて喜んだ。村での暮らしは、確かにこの娘を良い方に変えたのだ。それはうれしい変化だった。
「良く分かった。なら、夕方集会を開こう。二人の今後について、正式にみなに伝えよう。それと合わせて、旅芸人達の公演を見に、麓の町へ行く話もしないとだな」
「ありがとうございます、モーリ長老」
「そうと決まったら、二人で村のみんなに、夕方集会をすると伝えに行ってくれ」
「分かりました」
こうして、二人が村を訪れて以来、久しぶりに村人全員での集会が行われることとなった。
前回と同様、夕方には、村人全員が広場に集まっていた。食材が台の上に用意されているのも同じである。手すきの者が用意した物だ。例によって、話が終わったら宴となるのである。
まずは長老のモーリが話を切り出した。
「今日は話が三つある。最初は、麓の町トルネルへ、旅芸人達の公演を見に行く話からだ」
旅芸人達は芸の公演を行うだけでなく、合わせて交易も行っている。村からは毛皮や燻製肉を持ち込んで売り、旅芸人達からは貴重な金属製品や本などを購入するのである。売値は毛皮や燻製肉の方が高く、村の重要な収益になっていた。
「例年通り、売る毛皮と燻製肉の用意はできている。あと荷車と、食事の用意だが、これはラウネの指示に従って行っておいてくれ。あと、全員参加できるかどうかの確認だが……」
村人達が顔を見合わせ、モーリに向き直る。特に問題はなく、例年通り全員参加できるという意思表示だった。それを見てモーリもうなずく。
「では、三日後の朝に出発だ。よろしく頼む」
そして二つ目。
「次の話は、サムトーから直接聞いた方がいいだろう」
サムトーが前に進み出る。そして、自分の気持ちを正直に語った。
「この村は好きだし、恩義もある。暮らしも楽しい。だけど、同じくらい旅芸人達にも恩義がある。だから、その恩を返すため、また旅芸人達と一緒に行きたいんだ」
村に戻って来た時に宣言した通り、やはり旅芸人達の元へ戻るという意思表示だった。村人達は残念がったが、反対する者はいなかった。本人の希望を尊重するのが村の流儀だった。
「そうか。こればかりは仕方ないな」
「まあ、旅芸人達と楽しく暮らしてくれ」
そんな言葉で、サムトーが去ることを惜しみ、応援もしてくれた。
最後はロジーの話である。
ロジーは、これまでも村の一員として扱ってきたが、サムトーが一緒だったこともあり、まだ正式に村に迎えていなかった。だが、サムトーが村を去る以上、それについて行くかを聞いたところ、この村でずっと過ごすことを希望していることが分かった。そこで、正式に村の一員として迎えようと思うがどうかと、モーリが説明した。そしてロジー自身の言葉に委ねた。
ロジーは意を決したように息を大きく吸い込むと、はっきりと語った。
「私は母からずっと酷い扱いをされてきました。母も最低限の面倒は見てくれましたが、私にとっては苦しい生活でした。でも、この村に来て、村の皆さんに温かく迎えられて、オルクさんもサリーさんも、ミリアも、家族として大切にしてくれました。友達も仲良くしてくれて、毎日がとても楽しかったんです。おかげで体も丈夫になりましたし、気持ちもすごく楽になりました。ですから、サムトーさんがいなくなっても、私をこの村に置いて欲しいんです。どうか、お願いします」
広場に拍手が起こった。村人全員が、ロジーを村の一員だと認めたのである。よく言った、大歓迎だ、などという声も混じっていた。
「ありがとうございます。うれしいです。これからもずっと、よろしくお願いします」
ロジーが深々と頭を下げる。きっとこうやって温かく迎え入れてくれるだろうと分かってはいても、やはりうれしさは格別だった。顔を上げた時、ロジーは心からの笑顔だった。
「というわけで、オルクとサリーは正式にロジーの父と母になるということで良いな」
「はい。もう私達の娘ですが、正式に娘といたしましょう」
二人がロジーの手を取った。そして新しい娘の言葉を待つ。
「お、お父さん、お母さん、どうぞよろしく」
「ああ。よろしく」
「よろしくね、ロジー」
ミリアもそこに入り込んできて、三人に合わせて抱き着いた。
「家族が増えて私もうれしい。四人で毎日楽しく暮らそうね」
再び大きな拍手が起こった。ラスタ達子供仲間も、無事に村の一員となったことを喜び、笑顔で拍手をしていた。
それが一段落したところで、モーリが宴の開始を合図した。
「これで無事すべて決着だな。では、村の衆、始めよう」
野菜が切られ、鉄板がかまどに乗せられる。前回と同様、各自が好きな物を焼いて食べるのである。酒も同じように用意されていて、酒杯が大人全員に配られる。子供には果実水である。
「では、一年ぶりの旅芸人の公演と、サムトーの旅立ち、ロジーの正式加入を祝って、乾杯!」
「かんぱーい!」
村人達の言葉が唱和する。後はみなそれぞれが飲み食いを楽しんでいた。
ロジーとミリアはサムトーに張り付いていた。一緒にいられるのもあと三日ということで、寂しく思っていたのだ。
「サムトーさんのおかげで、私は村に住めることになりました。その恩も返せなくて、それでお別れというのが、とても残念です」
「私も。もっと一緒に遊びたかったなあ」
三人は、食材を焼いたり、食べたりしながら、その合間に共に過ごした思い出を話していた。特に、一緒に遊んだことや、曲芸を教わったことは、二人にとっても思い出深い出来事だった。
途中、テムルやヨスタといった狩り仲間が、サムトーの腕前を褒め、別れを惜しんでいた。
「嬢ちゃんたち、本当にサムトーは凄かったんだ」
「来てすぐに熊を狩っただろ。あんなのを一撃なんて、凄い腕前だよ」
そんなことを二人に聞かせていた。
「旅芸人達にもよろしくな。楽しく過ごせることを願ってるよ」
ある程度話すと、応援して立ち去っていく。
他の子供達も寄ってきては、二人と同じように、もっと遊びたかった、残念だとしきりに言っていた。
「サムトーさんは、本当にみなに慕われますね」
「うん。いろんなことできて、親切で、私も凄い人だと思う」
二人にまたも褒められて、サムトーもうれしく思う。この二人もよく慕ってくれて、仲良く過ごせた日々は本当に楽しかった。
「褒めてくれて、ありがとな。でも、俺だって二人のおかげで、毎日楽しく暮らせたんだ。だから、二人もすごくいい娘なんだと思うよ」
ロジーとミリアが顔を見合わせて笑った。
「サムトーさんは、相変わらず褒め上手ですね。曲芸とか教えてくれる時もそうでした」
「こういううれしいこと言ってくれるのって、サムトーの一番いいところだと思うんだ。これからも、ずっとそういうサムトーでいてね」
「ありがとう。どこに行っても、俺は俺でいるよ」
年下だが、心の通じ合った仲間の存在が、心に温かみをもたらした。この出会いを通じて得たものを、これからも大切にしようとサムトーは思った。
時は経ち、料理もかなり片付き、宴も終わりに近づいていた。
「さ、残り食べちゃいましょ」
「サムトーさん、お酒のお代わりは?」
「大丈夫。十分足りた。じゃあ、俺ももう少し食べるかな」
三人は残る食材を焼き始めた。周囲でも、残さず食べきるように、村人達が動いていた。命の恵みを無駄にしないのが村の流儀だ。
やがて、全て食べ終えたところで宴の終わりの合図があり、片付けが始まる。村のみなの手際良さもあって、片付けも順調に終わった。
夕方に始まった宴会だが、帰りにはすでに降ってくるような星空だった。
村での宴も何度目だっただろうか。何度やっても楽しさが残る。この思い出はサムトーの心に刻まれていた。
「オルクさん、サリーさん、ミリア、ロジー、本当にありがとう。それしか言えないけど、みんなと一緒に暮らせて良かった。一生忘れない」
四人がサムトーの背中を叩いた。そんなことは分かってる、という返事の代わりだった。
それから三日間は、いつもと変わらない猟師村の日々だった。
サムトーは、これまで通り、狩りや解体、薪作り、木工などを手伝いながら、村人達との触れ合いを楽しんでいた。合間の時間に子供達と遊んだり、遊ばれたりして、それもまた楽しかった。
別れが近いだけに、ロジーとミリアの懐き方は遠慮がなく、少しの時間にも甘えてきていたほどだった。特に、これまで人に甘えることのなかったロジーが、時々サムトーの背中に張り付くようになったのは、とても大きな変化だった。
オルクの一家も、娘が二人に増えたことで賑やかになった。二人が一緒に遊んでいることで共通の話題があり、それを父母に話すことがうれしいようだった。毎日が楽しくて仕方ないといった娘たちの様子に、オルクもサリーも顔をほころばせていた。
最後の晩も、いつもと変わらない夜だった。
「旅芸人達の公演もいよいよ明日ね。ロジーは初めてでしょ。凄い見世物ばかりだから、きっとびっくりするよ」
「そうなんだ。私も楽しみだなあ」
「ただ、町まで行くのが大変だけどね。かなり遠いから」
「うん。でももう大丈夫。みんなのおかげで、私も丈夫になったし」
娘二人がそんな風に盛り上がるのを、うれしそうに父母が見守る。すっかりなじんだ一家の姿だった。
だが、寂しさは消し切れない。
「サムトーも旅芸人達と一緒に行くんだね。寂しいなあ」
はっきり言うところがミリアらしい。
ロジーもこの一月余りの生活で、新たな姉にずいぶん染まっていた。
「私もです。サムトーさんいると、すごく楽しいから。いなくなるのが今でも信じられないくらいです」
真っ向から言うようになった。本当に良い変化だと、サムトーは思う。
「ありがとう、二人共。旅芸人の仲間達にも、猟師村スニトには、こんなにいい娘がいたんだって、自慢してやるさ」
「うん、ありがとう。サムトー、大好き!」
「私も大好きです」
そう言って、ミリアとロジーがサムトーの腕に抱き着いてきた。まるで本当に妹ができたようだと、サムトーもうれしく思っていた。
オルクとサリーがその姿を優しく見つめる。
本当に和やかな夜だった。
翌七月二十七日早朝。スニトの村人達は全員で、麓にあるトルネルの町に向かった。荷車は六台。売り物にする毛皮や燻製肉の他、町で一泊する分の水や食料が積まれているのでかなり重い。ようやくという感じで、二人がかりで一台を引いていく。馬車があれば良いのだが、村には馬を飼う場所も余裕もない。
歩くのが厳しい小さい子は荷車に乗せる。乳児は母親が負ぶっていく。だが、それ以外の全員が歩きである。子供でも老人でも、みな頑張って歩くのである。片道四時間ほどかかるが、誰も文句一つ言わない。
一年ぶりに旅芸人達の公演を見るのを、誰もが楽しみにしていた。もちろん、サムトーもその一人である。
大切な仲間である村人達と一緒に、同じくらい大切な旅芸人の仲間達が芸を見せてくれるのを、心待ちにしていたサムトーであった。
そして、もうじき猟師達と別れ、旅芸人の一座へ戻り、また新しい旅が始まる。それは、寂しさと懐かしさの入り混じった、不思議な心持ちだった。
──続く。
猟師村編その2です。あちこちぼかしながら、なるべく雰囲気が出るように描きました。小さな村の温かな物語を味わって頂ければと思います。今回も虐待がテーマの一つに入っていて、それも結構重めです。事態を単純化して書いているので、事実ではもっと面倒で大変なことが多く、信じられないような理由や動機で虐待は行われます。社会全体が良くなれば、こうしたことも減りますから、より良い世の中になることを願うばかりです。そんな作品ですが、楽しくお読み頂ければ幸いです。