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序章Ⅺ~冷たい感じの薬屋の娘~

 風呂で倒れた老人を

 介抱したのがきれいな娘

 薬屋家業で腕が立ち

 冷たい感じで話する

 薬材仕入れに行く用事

 護衛頼まれ引き受ける

 熊も倒せるお調子者の

 我らがサムトー、今日も行く

 時に神聖帝国歴五九七年五月二十五日。

 やや長身の背に茶色のざんばら髪。背には長剣と荷物。短剣とポーチを腰に付けている。初夏の陽気の下、のんびり一人街道を北へと歩いていた。

 彼の名はサムトー。旅の剣士である。

 日が傾き始めた頃、タルストの町の郊外へとやってきた。人口三万人ほどと比較的規模の大きな町である。野原の広がる中、畑作地も見られ、その中に点々と農家の家屋があった。

 街道から離れたその野原の中に、一人ぽつんと人影が見える。動き回る様子はなく、座り込んでいるように見える。具合でも悪くなったのだろうか。時間が早かったこともあり、様子を確かめようと、サムトーは人影の方へと向かって行った。

 近づいて見ると、少しずつ場所を移動していて、どうやら具合が悪いわけではなさそうだった。さらに距離を縮めて見ると、どうやら草を摘んでいるのだと分かった。つばの広い帽子をかぶっていて、男女の別もわからない。

 ここまで来て、声を掛けないという選択肢はサムトーにはない。お調子者らしく、軽い感じで声を掛けてみた。

「こんにちは。ここで何をしてるんだい?」

 その人物は全く反応せず、草摘みに集中している。まだ少し遠かっただろうか。サムトーは間近にまで行って、再度声を掛けてみた。

「こんにちは。ここで何をしてるんだい?」

 ゆっくりとその人物が振り返る。サムトーより少し年下の女性だった。二つに結んだ栗色の髪が帽子の脇から垂れている。繊細な作りの容貌をした、きれいな娘だった。

「何か用事ですか」

 声が明らかに訝しがっている。言葉も端的だ。人通りもない所で、不審な剣士が近づいて声を掛けたのだから、反応しただけましだろう。

「ごめんな、突然。俺は旅の剣士サムトー。遠くから人影が見えたので、何事だろうと思ったんだよ」

「そうですか」

 それだけ答えると、娘は自分の作業に戻ってしまった。

 冷たくあしらわれるのも仕方のないことなので、サムトーは気にしなかった。だが、何のために草を摘んでいるのかは、どうにも気になる。

「その草、何に使うの?」

 はあ、と大きなため息が聞こえた。関わりたくないようだが、答えないと話が終わらないと思ったようで、仕方ないという声で返事があった。

「薬の材料です」

「ああ、なるほど。野草の中には薬になるものがあるだったな」

 以前いた猟師達の元でも、旅芸人達の元でも、野草を摘んでおいて、根や葉、花、茎、実などを干して乾かして活用していた。擦り傷に塗り込んだり、腹の具合が悪い時に飲んだりしていたのを思い出す。どの草がどんな効果があるのかは、サムトーには覚えられなかったが。

「あんたはこの近くの農家の人かい?」

「違います」

 関わりたくないのだろう。言い方も態度も素っ気ない。

「じゃあ、何でわざわざこんな所まで薬を取りに来たんだ?」

「答える必要を認めません。もうどこかへ行って下さい」

 持ち前の人懐こさで、サムトーは大概の相手なら会話が成立するのだが、この娘はどうしても話に乗ってこなかった。かなり不機嫌そうだし、さすがにしつこかったかと、少し反省をした。

「ごめんな、ちょっと興味が湧いたもんだから。じゃあ、これ以上邪魔しないように、どっか行くよ。薬摘み頑張ってな」

 サムトーはそれだけ言い残すと、不思議な娘だなあと思いながら、街道の方へと戻っていった。


 しばらく歩いて、タルストの町の市街地に着く。空の色も少しずつ変わり始めた頃合いだった。

 まずは宿探しである。街道を外れ、商店街のある通りへと足を向ける。

 しばらく行くと、宿の並んでいる区画へと出た。どこもそう大きな違いはない。この辺は気分で、紫水亭という宿に決めた。

 中に入ると、カウンターに亭主が控えていた。一階が居酒屋兼食堂、二階と三階が泊る部屋という作りは、他の町と同じだった。

 いつものように一泊二食付きで部屋を頼む。記帳して部屋の鍵をもらう。二階の一室だ。とりあえず荷物を部屋に置き、風呂の支度をして宿を出た。

 この時代、設備代や薪代が高くつくし人手も必要なので、自宅に風呂を構えているのは相当の金持ちに限られていた。だから、普通の住民は公衆浴場を利用する。それは旅人でも同じである。

 公衆浴場では受付で貴重品を預け、受け取り札を代わりにもらう。脱衣場へ行き、服を全て脱いで籠に入れる。タオル一枚持って洗い場へ。体を一通り洗ったら、湯舟に浸かる。

 温かい湯につかっていると、歩き通しでそれなりに疲れた体に染みていく感じがする。この湯は少し熱めかもしれない。春も終わりに近いこの時期、もう少しぬるくても良いかもしれないなどと考えていると、目の前にいた老人の様子がおかしいことに気付いた。顔を赤くして、息が少し荒い。

「おい、じいさん、大丈夫か」

 サムトーが近寄って声を掛けると、老人は軽く手を振った。

「いや、少しのぼせただけだよ。すまないね。もう出ることにしよう」

 そう言って立ち上がろうとしたが、頭がふらつくようで、そのまままた湯船の中に座り込んでしまった。

 これはいかんと思い、サムトーは老人を湯船から引っ張り出し、脱衣所へと運んだ。そっと長椅子に横たえ、近くにいた男に、公衆浴場の人を呼んでくるよう頼んだ。

 公衆浴場の雇い人らしき若い男の浴室係がすぐに来てくれた。

「湯あたりですね。困ったなあ。今人手がなくて、薬屋を呼びにいけないんですよ」

 この時代にも医者はいるが、診察や施術の代金が高いので、大病の時くらいしか利用しないのが普通である。そもそも医者の人数は少なく、規模の小さな町では一人もいないこともあった。

 代わりに利用されるのが薬屋だった。ちょっとした傷の手当てや具合が悪いのを服薬で治すのに、比較的手軽に利用できる。まあ、見立てを間違えることも多少はあるようだが、大体の場合は『薬は効く』と信じて飲むことで、効能と違った効果で治ることもあるようだった。

 お調子者だがお節介であるサムトーとしては、ここは自分がその薬屋へひとっ走り行ってこようと申し出た。

「助かります。ではこちらへ」

 サムトーは手早く体を拭いて服を着こむと、その浴室係に商店街の地図を見せてもらった。その薬屋の場所の説明を受けて、分かったと答える。

「じゃあ、ちょっくら行ってくる」

「よろしくお願いします」

 サムトーは覚えた道順に沿って走り出した。


 その薬屋は、あまり店構えは良くなかった。老舗なのだろうが、看板や壁をきれいにする余裕がないらしく、古びた感じがする。まあ、長く営業している店だろうから、湯あたりくらい、簡単に治せる薬を処方してくれるだろうと、とりあえず中へと入った。

「いらっしゃいませ。どのような薬が必要ですか」

 受付に座っている女性が声を掛けてきた。その声には聞き覚えがあった。 二つに結んだ栗色の髪に繊細な作りの容貌。結構きれいな娘だった。帽子はかぶっていなかったが、先程野草を摘んでいた女性だと気付くのに、さほど時間はかからなかった。

「さっきは薬草摘みの邪魔して悪かった」

 まずは謝罪から入った。娘の方も、剣は帯びていないが、先程の旅の剣士だったかと思い出したようだった。

「いえ、気にしていません。それよりご用件をどうぞ」

 冷たい感じで言うのはどうやら素のようだった。それはともかく、今は病人の方が先だと、サムトーもきちんと説明した。

「今回はちゃんとした依頼だ。公衆浴場で、老人が湯あたりで倒れた。介抱のための薬が欲しい」

「分かりました。その人の体格や体の重さは分かりますか」

 さすがにうっかりした。そこまでよく見てはいない。担いでみた感じなら覚えていたので、うろ覚えで答える。

「多分、五十キロよりは重くて、六十キロはないと思う」

「分かりました。では、私が直接行って、処方しましょう」

 そう言うと、立ち上がって小箱に薬の粉を詰め始めた。それを何種類か用意し、持ち手のついた薬箱に収めた。

「マリサ、患者を診に少し出かけます。店を頼みます」

 女性の声で、奥から少女が一人現れた。同じ栗色の髪の、まだ十代前半くらいの女の子だった。

「分かった。行ってらっしゃい、クロエお姉ちゃん」

「では、行きましょう」

 クロエと呼ばれた娘は、サムトーを従えて公衆浴場へと向かっていった。


 公衆浴場に着くと、クロエは浴室係の案内を受けて、すぐに倒れた老人を診た。サムトーもそれに付き添う。

「解熱と鎮静の薬でいいでしょう。確かに五十キロくらいですね」

 粉薬を小匙ですくい、カップの中に入れる。四種類同じように入れると、カップに水を三分の一ほど注いで混ぜた。

「体を起こして下さい」

 指示に従って、浴室係が老人の上半身を持ち上げる。

「水は飲めますか。薬も入っています」

 老人はもうろうとしてはいたが、うなずいてカップの薬を飲んだ。

「では、また横にして下さい。体は乾いてますね。毛布か何かをかぶせて、三十分くらいすれば立てるようになると思います」

 周囲にいた者達がほっとした。サムトーもその一人である。

 クロエは薬箱を片付け、カップを浴室係に返すと、お代を請求してきた。

「大銅貨二枚頂きます」

「はい、ではこちらで」

 受付で浴室係が代金を支払う。必要もないのだが、ついサムトーもそれに付き合ってしまった。

「確かに頂きました。それでは、また何かありましたらお呼び下さい」

「クロエさん、お世話になりました。ありがとうございました」

 浴室係が頭を深く下げると、クロエが軽くうなずいて踵を返した。そのまま浴場を出て、自分の店へと戻っていった。

 サムトーが野次馬根性丸出しで、浴室係に尋ねた。

「なあ、あのクロエって娘、あの若さで薬屋やってるのか」

 係が苦笑して答える。

「いえ、今の店主は彼女のご両親ですよ。エイモスさんとサブリナさんというご夫婦です。そのサブリナさんがご両親から受け継いだ店で、この町では有名な薬屋です」

「なるほど。それでご両親からいろいろ学んで、あんな風に、軽い症状なら一人で診られるってことか。あの若さで大したもんだなあ」

「そうですね。ご両親不在でも、あの薬屋は頼りになります」

 サムトーが町の者にそんな風に言われるくらい、頼れる娘なのかと感心した。きれいな顔だったし、天から二物も三物も授かったのだろう。

 そんなことを思っていると、若い浴室係が余計な忠告をくれた。

「きれいな娘さんだからって、ちょっかい出そうなんて思っちゃいけませんよ。腕は立つけど、他人に冷たいってもっぱらの噂でね。実際、丁寧に患者を診てくれるんですが、言い方が冷たくてちょっと怖かったって、よく言われてますね」

「声掛けたりするのもダメそうか」

「でしょうね。冷たく突き放されるのがオチですよ」

 サムトーが苦笑した。そんなつもりはなかったのだが、そうと聞いては余計に構ってみたくなる性分である。

「ご忠告、ありがとう。俺、もう一回風呂入ってくるわ」

 さっきは入ったばかりで、老人の介抱してすぐに出てしまったので、もう少しのんびり入り直したくなった。

「先ほどはありがとうございました。どうぞごゆっくり」

 浴室係もうなずいて、改めて礼を言ったのだった。


 宿に戻るのが少し遅くなった。もう日没である。宿紫水亭の一階では、夕方一杯ひっかけていく客が、そこそこに入って盛り上がっていた。

 サムトーもエールを頼む。給仕の赤髪の若い女性が運んできてくれた。サムトーと同年代だろう。年が近い気安さで、少し話し掛けてみる。

「今、ちょっと話しても平気かい?」

「あ、はい。少しなら」

「俺は旅の剣士サムトー。この宿で一泊世話になるんだけど、君は?」

「ペニーです。宿の亭主ジェイクと料理長スーザンの娘です」

 おやおや。宿の娘さんにはやたらと縁があるな。サムトーは以前のいくつかの出来事を思い出した。それはさておき、本題に入る。

「薬屋のクロエさんのこと、知ってるかい?」

 ペニーの目が細くなった。嫌な物を見る目つきだった。興味本位で関わって欲しくないのだろう。

「いや、さっき公衆浴場で世話になってね。お礼を言い損ねたもんだから」

「そうでしたか。でも、お礼はいらないと思います。あの娘、そういうの気にしない質ですから」

「ふーん。ペニーさんは、クロエさんと仲が良いのかい?」

「ペニーでいいですよ。クロエは私と同じ十七才ですし、学舎でも一緒でしたから。今でも友達ですよ」

「ごめん、年まで聞いちゃって。俺もサムトーでいい。ちなみに、俺はこれでも十九才だ。小さい子にはよくおじちゃんって呼ばれるけどな」

 ペニーがクスリと笑った。ちょっとウケたし、どうやら悪い人ではないと思ってくれたようだった。

「サムトーはクロエに興味があるの?」

「まあね。湯あたりした爺さんを診てもらったけど、処方も的確であっという間だった。あの若さであの腕前はすごいと思ってさ」

「そうなのよ。いくら両親に教わったとはいえ、自分でもすごく頑張って知識を身に付けてたの。そんな真面目な娘だからね、手出しちゃダメよ」

 そんな風に見えるのだろうか。まあ、見えるだろうな。あれだけきれいな娘に興味あると言ったら、そう思われても当然だ。

「分かった。公衆浴場でも同じようなこと言われた」

 赤毛を揺らしてペニーが笑う。

「町のみんなが敬遠してるのよ。口調や態度が冷たくておっかないって。本当は気の優しいいい娘なんだけどね」

「そんなに冷たいようには見えなかったけどなあ」

「冷静に診察や処方しないといけないからって、冷たくなるみたい。じゃあそろそろ私戻るね」

「ああ、いろいろ話してくれてありがとう。ついでに夕食頼む」

「分かったわ。少し待っててね」

 なるほど。クロエという娘のことが少し分かった。冷たくなると言っていたが、それはそれで話せば面白そうだと思った。そういう雰囲気の人物は、今まで出会った中にはいなかった。いろいろ話してみたいが、接点がまるでない。

「お待たせ。どうぞごゆっくり」

 ペニーが運んでくれた夕食を食べながら、もう一度でいいから、クロエの話を聞いてみたいと考えていたサムトーだった。


 翌朝。明るくなったところで適当に起き出す。日の出より少し早い。

 まずは井戸端へ行き、水を一杯飲む。体を覚醒させるためだ。その後、鞘ごと剣を素振りする。基本の型だけ六種類、左右百本ずつ。一人旅ではいつ何が起こるかわからない。自衛のための鍛錬は毎日欠かしていなかった。素振りを終えると、また水分を補給する。

 サムトーは、元奴隷剣闘士である。

 十才までは養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。

 昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。

 逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。

 十二月、北にある城塞都市グロスターで、事件に自ら首を突っ込み、その解決のために奔走。結局、新年祭までその街の雑貨屋で世話になった。二月には町中から疎外されていた少女を助け、二週間ほど旅の相棒にしていた。三月の上旬は伯爵令嬢の手助けをした。中旬は親友となった女騎士と楽しく過ごし、下旬には自分に悩む侯爵家の侍女を救った。四月は粗略に扱われていた宿の少女を救った。五月は借金完済のために働く宿屋の娘を手伝った。

 当てもない旅をしてきたが、逃亡してから一年以上過ぎ、もう一度猟師達の村スニトに立ち寄っても良いかと考えていた。今はここの北にあるスニトの麓、トルネルの町を目指していた。


 朝食を取っていると、ペニーが話し掛けてきた。年の近い気安さもあるが、事件があったことを他人に話したくて仕方ないという感じだった。

「聞いて、昨日、町外れに熊が出たんですって」

「へえ、そりゃ珍しい」

 一人旅は七か月ほど、旅芸人とも三か月ほど旅をしてきた。熊は人を恐れることが多く、野宿でも町でも、人の多い場所の近辺に現れることは滅多にない。以前、トルネルの町に出現したのを退治したことはあるが、そのくらいだ。

「それで、農家の畑が荒らされたんだって。また来られたら大変だってことで、近所の農家の人達と、自警団に退治を依頼したそうよ。だけど、悪党捕まえるならともかく、熊相手にどうやったもんだか、困ってるんだって。昨日の夜、お客さんがそんな話してたわ」

 それはそうだろうと思う。山の獣を狩るのに慣れている猟師達でさえ、熊相手には、囮が気を引いて、その隙に飛び道具で眉間を打ち抜くなど、きちんと作戦を立てる。罠を使うことも多い。素人の自警団にどうにかできるとは思えなかった。

 久々の狩りか、悪くはないとサムトーは思った。自警団は当てにならないから、一対一で戦うことになるだろう。ここは一つ、手伝いを申し出てみようと考えた。この時代、奴隷剣闘士さえいるので、動物愛護の精神はごく少数を除いては見られない。乱獲による狩猟数の減少を気にする程度だ。

「じゃあ、退治の手伝いしてみようかな。これでも剣士だし」

 軽い口調でペニーに言ってみた。なるほど、名案だとばかり、ペニーがポンと手を叩き、同意した。

「それいいと思う。戦い慣れた人がいれば、自警団も心強いし」

「そうか。それなら早速今日、自警団本部に行ってみるよ」

 そうなると、何泊か追加かな。まあ、急ぐ旅でもなし、町の人の手助けをしようかと思ったのだった。


 朝食を終えると、長剣を背負い、サムトーは自警団本部に向かった。町に着任している騎士は五人ほどしかいないので、その配下となって働く者達は自警団と呼ばれている。城塞都市などで、何十名もの騎士に従って、治安維持に当たる警備隊という組織より、規律や訓練などが緩やかな集団だった。

 そこでは、五人ほどの団員が、ちょうど熊退治に出動するために話し合いをしているところだった。

「突然ですみません。旅の剣士サムトーと申します。何でも、熊が出て退治することになったとか。お邪魔でなければ、お手伝いしようと馳せ参じた次第です。いかがでしょう」

 暫定的に集められた、この熊退治隊のリーダーは、カークという中年男性だった。他の四人も、年齢の差はあるが、いかにも寄せ集めといった感じの団員たちだった。

「いやあ、それは助かる。何せ、この五人共、熊などと戦ったことはないからな。どうしたものかと途方に暮れていたんだ。ぜひとも頼むよ」

 不安だったところにこの申し出はありがたかったらしく、喜色を浮かべて提案を受け入れた。

「分かりました。尽力いたします。では、カークさん、まずは昨日熊が出た場所へ行き、付近の捜索をして、居場所を特定するのがいいかと思います」

「分かった。現場でもサムトー君の助言に従おう。では、総員出動」

 五人は馬車に乗り込み、カークともう一人が御者台に乗った。

 馬車を歩かせ、町外れに近い農家へと進んでいく。

 三十分ほどで、目的地へと到着した。

 サムトーを含めた六人は、まず被害のあった場所を検分した。

 キャベツやニンジンが食い荒らされた跡があり、畑に足跡が残っていた。家禽に被害はなかった。その足跡をたどると、近くの林へと続いていた。初夏に近く、林にも食べ物が豊富だろうに、何かの拍子で畑へと出てしまい、大量の作物という絶好の餌場を見つけてしまったと、そんな感じだった。

「サムトー君、どうかな」

「そうですね、林の中で痕跡を探し、追跡するのは難しいと思います。畑を一部食い荒らしただけで、まだ手つかずの餌があると分かった以上、もう一度この畑の現れる可能性は高いかもしれません。今日のところは、交代で見回りをしながら、出現に備えるということでどうでしょう」

「ありがとう。では、二人一組で、交代で巡回しよう」

 団員達が二人一組になり、周辺を見回り始めた。サムトーはカークと一緒に馬車で待機する。

 休憩も必要なので、何度か見回りを交代した。しかし、熊が出現することはなく、午前中は空振りに終わった。

 団員が用意してくれたパンを昼食に取ると、午後も同じように巡回した。今日は無駄足に終わるかもしれないと、団員達が思い始めた頃、林からのっそりという感じで熊が姿を現した。体長は二メートルにも満たない。中型程度だった。ゆっくりと畑の方へ向かっていく。

 団員達が全員集合し、サムトーの指示を待つ。

「俺が正面から当たります。みなさんは背後に展開して下さい。逃げ出すようなら、無理に戦わず、正面を避けて左右から頭を狙って下さい。逃げ去ってしまっても仕方ないので、とにかくケガのないよう気を付けて」

 その言葉に従って、全員が展開する。

 サムトーはゆっくりと熊の正面から近づいて行った。

 その距離が十メートルほどになった時、熊もサムトーの存在に気付いた。畑の作物を食べるのを止め、サムトーに向き直る。

 サムトーが長剣を抜き放った。静かに間合いを詰めていく。

「悪く思うなよ。これも人里に出てきた、お前の不運だ」

 まるで呼びかけるようにサムトーがつぶやいた。それに反応したかのように、熊の警戒心が強くなった。熊は一度姿勢を低くした。突進するようにも見える。それに構わず、サムトーは間合いを詰める。

 一足飛びで間合いに入ろうとする瞬間、熊の忍耐が限界を超えた。後足で立ち上がり、左前足を振るった。サムトーが軽く飛んでそれをかわす。

 次の瞬間、サムトーは一気に踏み込み、鋭い突きを放った。狙い違わず、熊の眉間に剣先が吸い込まれていく。剣先が鈍い音を立てて、頭蓋を貫通する。熊の巨体が動きを止め、前方に倒れた。

 珍しくサムトーが油断した。剣を引き抜くのと熊の右腕が倒れ込む軌道が重なり、ほんのわずかだが、サムトーの左手の甲に傷をつけたのである。かすり傷だったので、サムトーも傷口を軽く舐めると、後は放置して、血が固まるのを待つことした。

 次に、熊の首筋を切り裂き、血抜きを行った。解体した後、肉質が落ちないようにである。そして剣が錆びないよう、紙で何度か拭き取り、背の鞘に納めた。

「いやあ、さすが剣士。サムトー君、見事な腕前でしたな」

 カークが手放しで称賛した。実際、自警団の団員には不可能な技だった。

「おほめ頂きありがとうございます。剣士として誇らしく思います」

 サムトーも丁寧に礼を受け取った。

「よし、では熊を屠畜場に運ぶぞ。荷車を借りてきてくれ」

 農家の荷車に熊を四人がかりで乗せると、馬車へと運ぶ。馬車に乗せ換えて、屠畜場へと移送していく。

 帰りの馬車で、サムトーはカークに一つ頼み事をした。

「熊を解体する時、熊の胆という物を取って欲しいんです。薬として珍重されるもので、内臓の中にある、握り拳くらいの丸っこい部分です。屠畜に詳しい人なら多分わかると思います。それをクロエさんの薬屋に分けてあげて欲しいんです。昨日、クロエさんには世話になったものですから」

「くまのい、ね。分かった。屠畜する者とクロエさんの薬屋には、自警団から伝えておくよ。いやあ、サムトー君は物知りだな」

「ありがとうございます」

 馬車は商店街から外れた場所にある屠畜場へと到着した。サムトーの役割もここまでだろう。

「では、俺は宿屋に戻ります。紫水亭に泊ってますので、まだ何かありましたら、お知らせ下さい」

「ああ。実に凄かったよ。今日は本当にありがとう」

 そうしてサムトーは、自警団と別れ、宿屋へと戻るのだった。


 その後はいつものように公衆浴場へ行き、宿に戻ってエールを一杯。

 気分良く飲んでいたつもりだったのだが、体に違和感が生じた。いつもの酔いとは違う、頭がふらつく感じである。

 その異変に気付いたのは、宿の娘ペニーだった。

「どうしたのサムトー、何かすごく顔が赤いよ」

 サムトーが左手の甲を見た。熊の爪がかすった傷がある。すでに傷はふさがってかさぶたになっている。もしかすると、いや間違いなく、その傷から毒でも入ったのだろうと感じた。この時代、医学に詳しい者の一部は、目に見えない菌などが病気などを引き起こすことを知っていたが、普通の人々は毒という言葉で全ての説明をつけていた。

 サムトーは自分のうかつさを呪った。とにかく体がだるい。

「ごめん、どうも傷から毒でも入ったらしい。早いけど、休ませてもらうことにするよ」

「大丈夫なの?」

「まあ、一晩寝れば大丈夫だろう」

 そう言って、サムトーはふらつく体で部屋へと引き上げた。

「こりゃ大変だわ。クロエにお願いしてみよう」

 ペニーは父にサムトーの容体が悪く、クロエを呼びに行くと伝え、即座に薬屋へと向かった。

 薬屋まで走ってやってきたが、さすがに店はもう閉まっている。裏へと回り、クロエに声を掛ける。

「ごめんください。遅い時間にすみません。家の宿で具合の悪い人が出て。今からでも頼めないかと走ってきたの」

 夕食の支度中だったらしい。クロエとその母が厨房で調理中だった。

「分かったわ。お母さん、私が診てきます」

 クロエはペニーに症状を聞いた。

「傷から毒でも入ったんだろうって。体がだるくて熱があるの」

「鎮静と解熱ね。体重は?」

「七十キロは多分ないと思う。ほら、昨日公衆浴場にいた剣士さん、覚えてる? あの人なの」

「分かったわ。ありがとう」

 クロエは粉薬を六種類小箱に詰め、薬箱に入れた。それを持つと、ペニーを促し、紫水亭へと一緒に向かった。

 宿に着くと、二人はすぐに二階のサムトーの部屋へ入った。

 サムトーはだるそうだが苦しげな様子はなく、さすがに目を閉じて休んでいたが、眠ってはいなかった。

「サムトー、クロエが来てくれたわ。もう大丈夫よ」

「これはこれは。わざわざ来てくれてありがとう」

 真剣なクロエの表情を見て、サムトーは安心感を覚えた。冷たい対応が怖いという噂も聞いたが、見た限り、とても頼もしく感じる。

「具合はどうですか。苦しくはありませんか」

 クロエがサムトーに問いかける。症状の確認を兼ねていた。じっと顔色や呼吸の具合などを観察している。

「とにかくだるくて、力が入らない感じ。けど、苦しくはないな」

「分かりました。ペニー、何かすぐ食べられるものと、カップと水を」

 ペニーはうなずくと、部屋を出て下へと降りて行った。

「返事はしなくて結構です。そのまま聞いて下さい。少しでいいから、まずは何か食べて下さい。薬の効果を出すのに必要です。それから、休んでいる間も、のどが乾いたら我慢せずに水を飲んで下さい」

 相変わらず口調は冷たいが、病人への気遣いはきちんと感じられた。いい娘だなと、そんな場合でもないのにサムトーは思っていた。

「パンのスープ持ってきた。これなら食欲なくても食べられるから」

 ペーニーが駆け込んできた。ちぎったパンをスープに浸した料理だった。それに水差しとカップを盆に乗せてきた。

「ありがとう。いただくな」

 サムトーが力なく食事を進める。食欲もほとんどないが、のどの通りが良いのでさほど時間も掛けずに食べ終えることができた。

 その間に、クロエは薬箱を開けると、カップに粉薬を全て入れ、水で溶いて、サムトーに差し出す。サムトーが礼を言って、それを飲み干す。

「効果が出るのに時間がかかるから。そのまま休んでいて下さい」

 クロエの言葉に従って、サムトーがまたベッドで横になる。続いてクロエは、薄い紙の上に同じ粉薬を用意し、折って包み込んだ。それを二つ作る。その紙包みをペニーに見せて説明する。

「今日と同じように、明日の朝と昼、これを飲ませて。効き目が出るように、軽くでいいから、今みたいに何か食べてからにして」

「分かったわ。ありがとう、クロエ」

「明日の昼にでも、また様子を見に来るわ。では、またね、ペニー」

 用件だけ済ませて立ち去るところも、クロエが冷たいと言われてしまう原因なのだろう。だが、きちんと処方してくれたことに変わりはない。

「ありがとうペニー。少し楽になった気がする。これなら眠れそうだ」

 薬を飲んだという実感が、薬の効能より気分に効果を与えるようだった。そういう思い込みは体にも影響を与えるものである。

「どういたしまして。それにしてもさすがクロエ。相変わらず見事な腕前だわ。調子悪くしたのがこの町で良かったわね。おかげですぐに診てもらえたわけだし」

「はは、ペニーの言う通りかもな。そう言えば、またクロエさんにお礼を言い忘れたな。薬の代金支払うときにでも、しっかりお礼を言おう」

「そうね。今はとりあえず休むといいわ。じゃあ、私も仕事に戻るから。お大事に」

 ペニーが部屋から立ち去って行った。

 サムトーは二人に言われた通り、まずは休んで回復させようと、目を閉じた。しばらくして、薬の効果があったのか、眠気に誘われ、そのまま眠りに落ちるのだった。


 翌朝は、さすがに不調で、日の出もかなり過ぎてから目を覚ました。いつもなら水を一杯飲んで素振りをするところだが、さすがにその気にはなれなかった。昨日ペニーが残してくれた水差しとカップでとりあえず水を飲む。頭は少しふらつくが、立ち上がって歩ける程度には回復していた。

 確か何か食べてから薬を飲むんだったか。昨日そんなことを聞いたのを覚えていた。とりあえず朝食を取ろうと一階へ下りる。

「あ、サムトー、まだ無理しちゃだめよ」

 食堂へ出ると、ペニーが一早くサムトーを見つけて、声を掛けてきた。

「ありがとう、ペニー。分かってる。薬を飲むのに、何か食べないとと思って。用意してもらえるかな」

「分かったわ。すぐ用意するね」

 その間にサムトーは席に着いた。まだ体は少しだるい。何とか動ける程度の回復具合だった。

 ペニーが運んでくれた朝食は、麦粥に具が多めのスープ、ハム入りのスクランブルエッグだった。あまり噛まなくても食べられる献立を頼んでくれたらしい。

「弟のリックが作ってくれたの。まだ十五才だけど、いい腕してるのよ」

「そうか。ありがとう。いただきます」

 腹も本調子ではなく、昨日夕食が少なかった割に、空腹を感じなかった。食べた物を飲み込むのにも多少の時間がかかる。ゆっくり、だがしっかりと食べていく。量は程良く、何とか全て平らげることができた。

 カップをもらい、昨日クロエが用意してくれた薬包みの中身を入れる。水を加えて良くかき混ぜ、ゆっくりと飲み干した。昨日は調子が悪くて感じなかったが、何とも言えない不思議な味だった。はっきり言って不味い。まあ良薬は口に苦しと言うらしいから、仕方ないだろう。

「ありがとう、ペニー」

 礼を言うと、カウンターへ行き、泊りが延びた分と手数を掛けたチップと合わせて銀貨三枚を支払った。亭主のジェイクが労わるように言った。

「話は聞いていますよ。見事に熊を退治なさったとか。そのせいで毒を受けたわけですから、同じ町の者としてサムトーさんには感謝しています。うちは長くいて頂いても結構ですので、ゆっくり回復されるまでお休み下さい」

「お心遣い、感謝します。では、部屋で休ませてもらいますね」

 サムトーは好意に感謝すると、また部屋のベッドで一眠りするのだった。


 調子が悪いとは言え、さすがに連続で眠り続けるのも難しいものだ。昼前に目が覚めてしまい、ペニーが用意してくれた水を飲む。さすがに横になっているのにも飽きてきたが、まだ多少頭がふらつく。素振りなどは無理だが、昨日の夜に比べれば、はるかに体が楽になっていた。

 一階の食堂へ下りて、昼食を注文する。これは宿泊代に含まれないので、別払いになる。食欲も戻ってきて、いい加減、歯ごたえのあるものが食べたくなったので、干しトマトベースのパスタを頼んだ。

「ずいぶん顔色も良くなってきたね」

 昼食を運んできたペニーが、安心したように言った。

「ああ、おかげさまで。ずいぶん楽になった」

「良かったわ。昨日は言わなかったけど、サムトーは熊退治の英雄様だもんね。そのせいで呪いにでもかかったのかと思ったわ」

 呪いなどという迷信が、普通に信じられている時代である。確かにそうだったらと思うと、サムトーにも恐ろしく感じられた。身震いを一つして、せっかくのパスタを熱いうちに頂く。

「ああ、ちゃんと味が分かるようになってきた」

 咀嚼して、回復してきたことを実感する。食べ物がうまいのは大事なんだなあとしみじみ思った。

 良くなってきたとは言え、まだ無理はすべきではないだろう。時間をかけてゆっくりと食べていく。麺と具材の味もちゃんと分かってほっとする。

 しばらくして食べ終えると、ペニーに水をもらい、昨日の薬の残りを飲んだ。これでまた一休みである。

 部屋に戻って、ベッドに横たわる。正直、退屈だったが、早く回復しようと思い我慢していた。

 どのくらい時間が経っただろうか。ドアをノックする音が響いた。どうぞ、と返事をすると、入って来たのはクロエだった。ちゃんと様子を見に来るという約束を果たしてくれたのだった。

「具合はどうですか」

 今度も顔色や呼吸などを観察しながら、サムトーに問いかける。

「昨日より、ずいぶん楽になりました。ありがとう、クロエさん」

 ようやく礼を言えた。気分的にも楽になる。

「後は、ちょっと頭が重いかな、と思うくらいです」

「そうですか。あと一日休めば回復しそうですね。普通の人なら、まだ二日くらいかかるところですが。よほど頑丈なんですね」

 そんな言葉を冷たい口調で言われると、褒められてるのか、けなされてるのか、判断しにくい。まあ、治った方がいいとは思っているだろうから、褒め言葉として受け取っておくことにした。

 クロエは薬箱から、また薬を用意し始めた。薄い紙に粉薬を何種類か匙ですくって置くと、折って紙包みを作る。

「今晩と明日の朝の薬を用意しておきます。それでも治りきらないようでしたら、また処方するので、明日の昼にでもうちの店に来て下さい」

「分かった。何から何まで、本当にありがとう。ところで、いい加減、代金を払いたいんだけど、いくらだい?」

 クロエが、忘れてた、といった感じの表情をした。感情を表に出すのは珍しいのだが、そこはサムトーには分からない。ちょっと驚いたような表情がかわいらしいと思った。

「一回の薬が大銅貨二枚。五回分でちょうど銀貨二枚です」

 中々いい値段である。そのくらい、薬屋の処方には希少価値があるということだ。サムトーは財布を取り出すと、銀貨を二枚クロエに手渡した。

「お金と言えば、屠畜場の方から、熊の胆を頂きました。何でも、熊退治の英雄さんのご指名で、うちに渡してくれと頼まれたとか。そちらの方は、代金をいくら支払えば良いですか?」

 サムトーは両手を振った。

「いや、この前世話になったお礼だから。役立つ人に使ってもらおうと思って、クロエさんのことを思い出したんだ。遠慮なくもらってくれ」

「あんな希少な物をタダですか。気前が良すぎますよ」

「でも、食べる部位じゃないから、使う人がいなけりゃ、捨てられるだけだしな。もったいない話だろ。だから、役に立てば十分さ。というか、クロエさん、俺が熊を倒したの知ってたんだ」

「ええ。ペニーが半分うれしそうに、半分心配そうに話してましたよ。熊なんて怖い相手を倒せるなんてすごい、と言ってました。でも、倒したのはいいけど、高熱なんか出して、呪いじゃないかって思ったとか。傷口から雑菌……毒のようなものですね、それが体に入ったせいです。症状がひどいと体の震えが止まらないんですよ。大事に至らなくて良かったです」

 クロエが饒舌に話をするのを初めて見た。口調はいつもの冷静な感じだったが、どこか温かみのある話しぶりだった。ペニーが友達としているだけあって、本来は優しい娘なのだろうと思った。

「では、私はそろそろ失礼しますが、何か質問などはありますか」

 質問ね。一つだけ聞いておこうとサムトーは思った。

「風呂入っても大丈夫かな」

「あまりお勧めはできませんが、熱も下がったし、短い時間なら大丈夫かと思います」

「分かった。あと、代金とは別に、お礼をきちんとしたい。雑用でも何でも手伝わせてくれ。また明日にでもクロエさんの所に寄らせてもらうから、その時何か言いつけてくれれば、大抵の仕事はするよ」

「それこそ不要ですが……。ですが、まあ、両親に相談してみます。それでは、お大事に」

 クロエが軽く一礼する。サムトーも慌てて礼を返した。一仕事終えた安心感をにじませた表情で、クロエは立ち去って行った。そのきれいな姿が格好いいと、サムトーは思った。

 その後サムトーは、言われた通り風呂は短い時間にして、服が汗ばんでいたので洗濯をして部屋に干した。体調も回復してきて、十分に動けるようになり、特に問題なくこなすことができた。夕食後はせっかくの薬をちゃんと飲み、その後はエールも飲まずに大人しく横になった。一日でここまで回復できたのも薬のおかげだと、内心クロエに感謝しつつ、眠ったのだった。


 翌朝、日が登ると、サムトーの目も自然に覚めた。昨日早寝したこともあって、爽やかな目覚めだった。

 完全復活まであと少しという実感があった。井戸端へ行き、剣の素振りをこなす。問題なくこなせる。最後の一本を振り切った後、若干息が上がった程度だった。体が水分を欲していて、水がとにかくうまかった。

 朝食は、ベーコンエッグとスープ、パンとジャムだった。ちゃんとおいしく感じる。食欲も十分だった。

「良かったわね。しっかり治ったみたいで」

 ペニーがそう声を掛けてくれた。うなずいて、サムトーが礼を言う。

「ペニーがクロエさんを呼んでくれたおかげだ。おかげさまで、この通り元気になったよ。遅くなったけど、本当にありがとうな」

「お役に立てて光栄ですわ、熊退治の英雄様」

 ペニーが茶目っ気を出して、そんなことを言った。こういう調子に乗った台詞はサムトーの得意技なのだが、先を越された感じだった。

「これは見事にやられたなあ」

 二人で揃って笑った。

「そうだ。クロエさんに、お礼に何か手伝わせてくれって頼んだんだけど、薬屋はやっぱり開くの九時くらいなのかな」

 サムトーが用件を思い出し、ペニーに尋ねた。

「うん、そう。代金は払ったのに、何で手伝い?」

「世話になった恩は、恩としてきちんと返したいだけさ。だから、これ食べたら、宿の手伝いもさせてくれ」

「ふーん、律儀だねえ。分かったわ。掃除は得意?」

「普通にこなせるよ。前に世話になったとこで、良く手伝ってた」

 そんな会話もあって、食後サムトーは、きちんと最後の薬を飲むと、薬屋の開く時間まで、宿の掃除をして回った。ペニーが感心したことに、宿の雇い人としても十分な働きぶりだった。剣士を辞めてうちで働けば、と半ば本気で言ったほどだった。

 開店の時間も過ぎ、サムトーは薬屋へ向かった。荷物は宿に預けたままである。一日中でも手伝いをする気満々であった。

 薬屋に入ると、中年の男性が店番をしていた。

「お邪魔します。昨日、クロエさんに世話になりました、旅の剣士サムトーと申します。今日は改めてお礼を申し上げに参りました」

「そうですか。丁寧なご挨拶、ありがとうございます。娘のクロエから話は聞いています。私はクロエの父でここの店主、エイモスと申します」

 そう言うと、エイモスは店の奥に声を掛けた。中から三人の女性が出てきた。うち一人はクロエである。

「妻のサブリナです。この度は、ご快癒おめでとうございます」

「妹のマリサです。無事に元気になられて、良かったです」

 二人の自己紹介の後、エイモスが言葉を続けた。

「あともう一人、息子のアレンと言うのがいるのですが、今は帝都の薬学院で学んでおりまして、不在です」

「ご丁寧に、ご紹介ありがとうございます」

 サムトーも礼儀を守った会話くらいはできる。何せ恩人の一家が相手だ。雑な口調はさすがに出せなかった。

「ところで、サムトーさんは熊を退治されたとか。昨日、屠畜場から熊の胆を頂きまして。それがサムトーさんの頼みと聞きました。貴重な素材をどうもありがとうございます」

「いえ、退治したついでですから。お役に立つなら何よりです」

「それから、クロエに聞きましたが、何でも我が家の手伝いをして下さるとか。それで、厚かましいのですが、一つ、薬材の仕入れをお手伝い頂けると助かるのですが」

「仕入れと言われても、俺、薬の知識ないですよ」

「はい。ですから、仕入れはクロエが致します。ただ、場所が、ここから西に三日行ったメネスの町と遠いのです。本来なら、私が仕入れに行くところですが、五泊も店を空けるのは大変なので、つい先延ばしにしていました。護衛の剣士さんがいるのでしたら、娘のクロエでも仕入れに行けるかと思いまして、かなりの時間を取ってしまうので心苦しいのですが、護衛をお願いしたいという次第です」

 話が急に大きくなった。往復五泊六日、確かに女性一人では腕に覚えがなければ危険だろう。だからと言って、大事な娘を、良く知らない旅の剣士に託すというのも、どうなのだろう。一応、その点を質してみる。

「俺なんかを、こんな風に信用していいんですか?」

 つい、素が出てしまった。だが、こんな頼まれ事をする相手に、変な遠慮もいらないだろう。

「自分で言うのもどうかと思うけど、一昨日の夜から面倒見てもらってた恩があるから、その恩返しはしたいと思う。でも、年頃の娘を、どこの馬の骨とも分からない男に預けるなんて、いくら何でも無茶でしょう」

 その言葉は予測の範囲内だったのだろう。ここで話し手がクロエに代わった。かなり真剣な表情である。

「今回の薬材の仕入れは、私がやりたいと父に頼んだのです。家の庭でも作れる植物は育ててますし、町のあちこちに薬に使える草も生えてますから、そういうのを私も採取したり加工したりはしています。ですが、私も薬師の端くれ、仕入れも実際に経験しておきたいと考えていたんです。ただ、一人で片道三日の道中は、さすがに不安が大きいですから、これまでは諦めていたのですが、護衛の人がいるとなれば安心できます。何せ、熊退治の英雄様、腕前の方は十分過ぎます。それに、とても人情の厚い方とお見受けしました。いかがでしょう、お手伝い、お願いできませんか?」

 この前も思ったが、一度話させると実に饒舌だ。理由が本人の希望とも分かったし、信頼してもらえてるのも分かった。だが、それでもだ。前回宿屋の娘を連れて旅した時のことを思い出す。約束は守ったが、忍耐心を相当すり減らしたのも確かだった。

「あの、エイモスさん、サブリナさん、マリサちゃん、クロエさんがこんなこと言ってますけど、みなさん同意されてるんですか」

 家族三人が顔を見合わせた。軽く笑顔を浮かべると、あっさりと言った。

「クロエの見立ては、十五の頃から外したことないですから」

「うちの娘の見る目は確かです。自信があります」

「お姉ちゃんに限って、絶対変なことはないです。間違いないです」

 何だ、この娘に対する過剰な信頼は。

「俺が悪人だったら、取り返しのつかないことになりますよ」

 これにはクロエが言い返してきた。

「私には、サムトーさんが悪人とはとても思えません。ペニーに聞きましたが、わざわざ自分から熊退治の手伝いを名乗り出たとか。あと、浴場で老人が倒れた時も、客なのに薬屋まで足を運んでいるでしょう。それだけでも、良い方だと思えますが」

 ふうとサムトーがため息をついた。過酷な奴隷剣闘士生活から抜け出した後、猟師達の温かな暮らしの中で、人として生まれ変わることができた。その後も、旅芸人の仲間達と絆を深めた。彼らのおかげで、基本的に人を信頼して、なるべく手助けをするようになったのは間違いない。それでも、どうしようもない連中は、遠慮なく叩きのめしてもきたが。

 今回も具合の悪いのを治してくれた恩人が相手だ。余計なことを考えず、手助けしようと決意した。

「良い方、ね。そこまで言われたら、断れないですね。お引き受けいたしましょう。ただし、報酬として旅費だけ負担して頂きます」

 薬屋の四人の表情が明るくなった。やはり親切な人なのだろうと、返事を聞いて思ったようだった。クロエが礼を言う。

「ありがとうございます。でしたら、気が早くてすみませんが、今日これから出発しても大丈夫でしょうか」

 確かに気が早い。だが、別段問題はなかった。

「まあ、俺は身軽だからね。荷物持って来れば、いつでも出られるよ」

「分かりました。私もすぐに旅支度を致します。荷物をお持ち頂いて、この店の前で合流致しましょう」

「分かった。すぐに戻る」

 かくして、突然の護衛任務が始まったのだった。今回は金目の物があるわけでもなし、気楽に同行していれば済むだろう。片道三日と長くはないし、楽しくいければいいな、などと考えていた。


「それでは、いってきます」

 クロエが家族に挨拶をした。栗色の髪のきれいな横顔が、少し緊張したようにも見える。旅の覚悟をしていても、やはり慣れないことゆえ、不安などもあるのだろう。

「気をつけて行っておいで。……サムトーさん、後は頼みましたよ」

「分かってる。ちゃんと無事に帰すよ。その証として、この剣を置いていくから預かってくれ」

 いつも背中に下げている長剣を、店主のエイモスに渡す。

「大丈夫ですか、かなり良い剣のようですが、護身に必要なのでは」

「腰の剣があれば十分だ。帰りは荷物が多いだろうし、身軽にする意味もあるから」

 そう言ってクロエを見やると、背に大きな鞄を背負っている。中身は着替えや日用品などのみで、大きく空間が空いている。そこに仕入れた薬材を詰め込んでくるのである。

「じゃあ、後はお任せあれ」

 軽口を言って、サムトーが歩きだす。クロエがその後に続いた。

 一家三人が頭を下げ、そして手を振る。クロエも元気に手を振り返した。

 道をいくつか曲がって、西への街道へと入る。市街地の間は舗装道だったが、しばらく行くと未舗装に変わった。幅はそれなりに広く、馬車のすれ違いもできる程度だったが、帝国にとって主要な街道ではないため、整備されていないのだった。

 轍の横を二人で前後して歩く。これでは話もしにくい。サムトーが後ろを向いて声を掛けた。

「なあ、クロエさん、せっかくだし、横に並んで話でもしないか」

「そうですね。お願いします」

 クロエはまだ少し緊張した感じだったが、声を掛けられて、とにかく歩くだけだと思い直し、肩の力を抜いた。サムトーの横に出る。

 最初にサムトーが、これまで気にしていたことを言った。

「さん付けで堅苦しく話すのも疲れるから、呼び捨てにしてもいいかな。俺のこともサムトーで」

「そうですか。……えーと、サムトー、今気付いたんだけど、ちょっと困ったかも」

 まだ出発して三十分ほどである。いきなり困ったとは? 宿場への到着は遅れるが、いったん戻るべきだろうか。

「昼食、持ってくるの忘れちゃった」

 何とも間の抜けた話である。

「水筒は持ってるよな。まさか、それもないとか言わないよな」

「あ、それは大丈夫。水が大事なのは分かってるから」

 砕けた言葉遣いをすると、とたんに幼く感じる。普段、冷静な口調なだけに落差が激しい。まあ、十七才という年齢相当だろうか。

「まあ、こんなこともあるかと思って、荷物取りに行くついでに、パン屋で買っておいた。クロエの分もあるから大丈夫」

 突然出発を決めたので、余ったらおやつにすればいいと、念のため買っておいたのだった。それで正解だったようだ。

「ありがとう。助かる。本当、ごめんね」

 クロエが手を合わせた。何かこれまでと印象が全然違う。仕事が絡まない時の素の姿がこれなのだろうか。

「私、ついうっかりしてしまうことが多くて。まさか薬を処方するときそれじゃあ困るから、何度も確認して、頭の中で繰り返し考えて、絶対間違いがないようにしてるの。それで、冷静に、冷静にって気を引き締めて、余計な話をすると混乱しちゃうから、必要な事だけ話すようにしてるんだよ。そしたら、何か冷たい感じの薬屋の娘って評判が立ってね。でも、その方が仕事には都合いいから、ずっとそれに乗っかってたわけ。本当は、ただのうっかり屋なんだけどね」

 またもや饒舌である。こんなにおしゃべりで、しかもうっかり屋とか、栗毛のきれいな容貌をしているだけに、見た目との落差が激しすぎる。

 まあ、でも中身が面白くて良かった。心根まで冷静沈着だったら、さぞ息苦しいだろうと思う。その思ったままを口にするのがサムトーである。

「そうなんだ。それはそれで、中身が面白くていいと思うよ」

 クロエがほっとした表情になった。いきなり妙なことを言って、困惑させずに済んで良かったと思っていた。

「良かった。そう思ってもらえると、助かるな」

 すると、サムトーにも疑問が湧いた。

「なあ、クロエ、最初薬草摘んでた時は、冷たい口調だったけど、初対面の人相手にはそうなの?」

「え、だって、いきなり剣を持った怖い人が来たら、普通になんて話せないでしょ。逃げ出したかったけど、追っかけられても怖いし、なるべく話さないようにしようと思ってたから」

 クロエが怪訝そうに答えた。当然の反応だったつもりのようだ。そっか、初見だと俺って怖いんだと、サムトーはしみじみ思ったのだった。

「でも、怖い人じゃなくて良かった。……うーん、でも怖い人なのかな。熊なんて倒せるくらい強いんだし。でも、手伝いで熊倒さないよ、普通。しかも、それでケガから雑菌入って熱出すとか、運が悪いよね。まあ、そのおかげでこうして守ってもらって、初めての仕入れに行けるんだから、私は運が良かったのかな」

 これだけのおしゃべりが道中一緒だと退屈しないな。サムトーは思わず口元に笑みを浮かべてしまった。熱を出したのは運が悪かったが、面白いという点では運がいいと言えるだろう。

「あれ、何かおかしかった? 私、また変なこと言ったかな」

「いいえー。熱を出したのは我ながら間抜けだったけど、おかげでクロエに治してもらえたのは運が良かったなあと思ってね」

 そんな具合で、道中和やかに進んでいった。

 途中、昼食の時も、食べながらクロエが思いついたことを話すので、

「話は口の中がなくなってから。よく噛んで食べましょう」

 などと、サムトーらしからぬ説教をしたものである。

 人や馬車とすれ違う時も明るく挨拶し、景色を眺めては感想を言い、話の途切れる時間の方が恐らく短かっただろう。たまに静かに歩いていると、なまじ横顔がきれいなだけに、おしゃべりとの落差の激しさにおかしさを感じてしまうのだった。


 そうして休憩を挟みつつ夕方まで歩いて、隣町ソウエンに到着した。

 思ったより小さな町だった。人口は五千人程度だろうか。宿場もそれほど広くなく、宿も数えるほどしかない。

「隣町だけど、私も小さい頃、お父さんの仕入れで来た時以来かなあ。ずいぶんと久しぶりだから、こんな感じだったっけって思う」

 クロエが住んでいるタルストの町の方が、はるかに人口も多く賑やかなのでそう感じるのだろう。とりあえず、一軒の宿を選んで入る。

「二人一泊お願いします」

 宿の女将に声を掛けると、冗談なのか本気なのか、軽口が返ってきた。

「おや、新婚さんかい? 一緒の部屋でいいんだろ?」

「いえ、雇い主とその護衛です」

 生真面目にサムトーが答える。冗談が空振りに終わり、女将が残念そうな表情を浮かべた。

「おや、そうかい。それで部屋はどうするんだい?」

「一緒でお願いします」

 割り込んだのはクロエだった。

 またか、またなのか。信用されているのだが、無警戒過ぎるとサムトーは思った。しかし、前回のことで諦めがついてしまい、否定せずに流すことにした。

 鍵をもらって部屋に入ってから、どういう意図か問い詰めた。

「年頃の娘が若い男と一緒の部屋なんて、問題ありすぎだろう。何で一緒の部屋にしたのか、理由は何なんだ」

 クロエがきょとんとしている。当たり前のことをなぜ聞くのだろうという感じだった。

「だって、護衛でしょう。夜だって守ってもらわなきゃ」

 うーん、やはりそこは気にするのか。

「何か問題あるのかな。だって、サムトーはとてもいい人だし、話も一杯できるから退屈しないし、隣にいてくれたら安心して眠れるし、いいことばかりだと思うんだけどなあ」

「俺が襲うとかは考えてないのか」

「え、サムトーがそんなことするはずないでしょ。お父さんに剣を預けてるし、そもそも、サムトーは私の嫌がることする人じゃないから」

 サムトーはがっくりと首をうなだれた。信頼は時には残酷だなあ、今回も生殺し確定かと思ったのだった。せめて、一言言い返しておこうと、生真面目な顔で言った。

「クロエは自分の魅力について、もっと真剣に考えるべきだ。きれいな顔立ちだし、ちょっと細身だけどきれいな体つきだし、若い男達なら絶対いいなあって思うくらい、魅力的なんだって自覚しなさい。俺はクロエの家族と守るって約束したから手は出さないけど、それは例外なんだからな」

 真面目に説教されて、クロエが首をすくめた。

「はあい。ごめんなさあい」

 子供か、子供なのか。実際、あのおしゃべり具合といい、うっかりなところといい、精神的に幼さが強く残っているのだろう。まあ、その落差も魅力なのは確かだ。仕方ない。かわいいから許す。

「分かってくれればいい。じゃあ、早いとこ風呂行こうぜ」

「そうだね。たくさん歩いたし、お風呂入ろう」

 二人は荷物を片付けると、風呂の支度をして公衆浴場へと向かった。


 風呂から上がって、クロエと合流して宿へと戻る。

 風呂上がりにエールを一杯というのが定番だが、ここは一応雇い主に聞いてみるべきと思い、クロエに尋ねた。

「エールをもらおうと思うけど、構わないか?」

 クロエが目を見開いた。そういうこともできるのだと、初めて気が付いたような表情だった。

「なら、私も飲んでみる。すみません、エールを二杯」

 クロエが給仕に注文した。なお、ここ神聖帝国には飲酒に年齢制限は存在しない。年齢が一桁でも、体を温める必要のある時、ごく少量飲ませることがあるくらいだ。

「実は飲むの初めてなんだ。ちょっと楽しみ」

 ああ、これは良くなかったかも。だがまあ、誰しもこうやって大人の階段を上るものだろう。さて、どんな反応をするだろう。

「じゃ、初日の無事を祝って。かんぱーい」

 これもやってみたかったらしい。実にうれしそうに酒杯を合わせてきた。かつんと軽く当てると、サムトーは軽くあおった。クロエはおっかなびっくり、こくこくと少量飲んでいる。

「しゅわーとして、独特の香りと味がする。みんなおいしそうに飲んでるけど、そんなにおいしいかなあ。あと、喉と胃が少し熱くなるのね」

 サムトーが苦笑した。初めてだとこんなものだろう。

「無理しなくていいぞ。残っても俺が片付けるし」

「分かった。でも、飲める範囲で飲んでみる」

 ちびちびと少しずつ飲んでいる様子がかわいらしい。ああ、やっぱりこちらが生来の姿か。冷静に処方している時の落ち着いた感じも、後から身に付けた、彼女の本当の姿には違いないが。

「ねえ、この後はどうするの?」

「のんびり一杯飲み終わったら、日暮れ頃になるから、夕食をもらって、食べ終わったら部屋でのんびりだな。で、夜も更けたら適当に寝る、と」

 なるほどと言いながら、クロエがうなずく。

「そっか、宿暮らしだと仕事がないんだね。普段なら、薬を挽いて粉にしたり、干した薬草を片付けたり、食事の支度したり、やること多いの。暇を持て余しちゃうかな」

「家族でのんびり、茶でも飲みながら話したりもするだろ」

「そうだね。寝る前はそんな感じ」

「二人旅だから、暇つぶしに何か話でもしてればいい。カードがあるから、それで遊んでもいいし」

「サムトー、そんな物持ってたんだ。小さい頃は、弟や妹と七並べとかババ抜きとかして遊んだなあ。懐かしい」

 クロエが子供の頃を思い出したようで、軽く笑みを浮かべた。よほど楽しい子供時代を送ったのだろう。その姿もサムトーには微笑ましく映った。

「サムトーの子供の頃はどんなだったの?」

「俺か。俺は養護施設の育ちだから、どこにでもいる、おとなしくて聞き分けのいい普通の子だったよ。院で手伝いとかもよくやってたし」

「そっかあ。ちょっと意外。あんなに強いから、腕白なのかと思った」

「まあ、そこは聞かないでくれ。それより、そろそろ夕食もらおう」

 サムトーのエールもほとんど空になっていた。それを一気に空けると、給仕に夕食を頼んだ。クロエの方はまだ半分以上残っていた。

 シチューにパン、チーズ、サラダとごく普通のメニューだった。サムトーが、いただきますと挨拶をして、早速食べ始める。クロエもそれに倣った。

 さすがに食べている間は、おしゃべりのクロエも静かになる。大人しく咀嚼している姿は、きれいな娘という雰囲気で、先程までの幼さを感じさせない。その変化がまた面白いと思った。

「ペニーの宿屋と似た感じの味で、結構おいしいわ。ここの宿の人も丁寧に作ってくれてるんだね」

 合間にそんなことを言う。ペニーの家で食事をしたことがあるということだから、二人は間違いなく友人なのだと分かった。

「うん、おいしいものがおいしいって、いいことだな。俺、具合が悪かった間、食べ物の味が分からなくなって、ひどい目に遭ったからな」

 しばらくして、二人ともきれいに夕食を平らげた。腹が膨れると、さすがにクロエも、エールはもう飲めないようだった。サムトーが自分の酒杯に移し替え、残りを飲み干した。

「さて、部屋でのんびりするか」

「うん。せっかくだし、カードやろ。久しぶりだし」

 部屋に戻ると、二人はさっそくカードを始めた。七並べという遊び方をクロエに教わったが、さすがに二人でやるには面白味がない。結局単純なババ抜きで盛り上がった。クロエが冷静沈着な薬屋モードになって、思った以上に強敵だった。勝敗はほぼ五分だった。

 時間が過ぎ、明かりを消してベッドにもぐりこんだ後も、クロエの話は止まらなかった。すっかり毒気を抜かれて、思わず苦笑してしまう。

「明日もたくさん歩くから、しっかり休むこと」

 などと、サムトーが柄にもない説教をして、ようやく眠ったのだった。


 翌朝、サムトーの方が先に目を覚ました。日が昇ってしばらくした頃である。クロエはまだぐっすりと眠っている。

 まあ、小さい子でもあるまいし、一人で寝かしておいてもいいかと思い、サムトーは剣を手に取ると井戸端へと向かった。

 例によって水を飲み、剣の素振りを始める。

 しばらくすると、クロエが寝ぼけ眼でやってきた。

「おはよう、サムトー」

「おはよう。悪いな、先に起きちまったんで、日課の素振りしてた」

 クロエが顔を洗い、水を飲みながらサムトーの素振りを眺める。

「そっか。サムトーは、そうやって強くなったんだね」

「まあ、そんなところかな」

 詳しく説明しても仕方ないので、適当な返事をする。

「すごいね。速いし正確だし。さすが熊退治の英雄さんだね」

 クロエも深くは追及せず、感心したように素振りを眺めていた。剣の素振りが珍しいこともあるだろう。

 やがて全てを終えて、サムトーが水を飲む。

「それじゃあ、一度部屋に戻ろうか」

 二人は部屋に戻り、一息入れる。

 しばらく待ってから頃合いを図って、朝食に行く。

 パンにオムレツ、チーズ、サラダと基本的なメニューだった。二人とも食欲は十分で、さほど時間もかからず全て平らげた。後は、部屋に戻って出発の準備である。入れ替わりに、他の泊り客が六人ばかり降りてきた。主要街道からは外れているが、旅人はそれなりにいるようだった。

 部屋着を旅装に着替えて、身支度を済ませる。

 宿を出て出発したのが、ちょうど八時の鐘が鳴った頃だった。

「じゃあ、今日も元気にがんばろう!」

 クロエが元気よく歩き出す。楽しそうで何よりだと、サムトーは思った。


 道中は特に何事もなく、順調に進んだ。

 退屈しのぎにいろいろ話をしたが、クロエも自分の話ばかりでなく、サムトーの話も聞きたがった。熊退治を簡単にやってのけたことから、狩りとかをしたことがあるのでは、と問われて、以前猟師達の村で世話になったことを話した。罠を張って狩りをすることや、かわいそうであっても、猟師達が生きていくために獲物に止めを刺していくことなど、厳しい山での暮らしを語って聞かせた。

「そうかあ。薬屋もね、命を預かる重さがあるんだよ。処方に失敗したら大変なことになるでしょ。それと通じるものがあるんだね」

 クロエがそんな感想を漏らしたものである。

 日が傾き始めた頃、次の宿場町ポンメルに着いた。クロエは思った以上に健脚で、想定より早い到着となった。この町も人口は五千人ほどと、それほど規模は大きくない。それでも中心には市街地があり、商店街も宿屋街もある。道も舗装されている。

 そこそこ人通りのある街路で、たまたま二人の若い男と通りすがった。

 その二人はクロエを見ると、目の色を変えて、にやけた顔つきになった。

「ちょっと、そこのきれいなお嬢さん、少し俺達と付き合わないか」

 世の中には、暇を持て余したこういう手合いが必ずいるものである。こんな田舎町でも例外ではなかった。

 声を掛けられたクロエは、最初きょとんとしていた。自分に対しての言葉だと分かるのに、少しの時間がかかった。もちろん、こんな誘い文句に乗りたくもない。冷たい口調で言い放った。

「連れもおりますので、遠慮させて頂きます」

 男達には想定の範囲内だったのだろう。しつこく言葉を続けた。

「まあ、そう言うなって。一緒に話すくらいはいいだろ」

「この町じゃ見かけない顔だし、旅人だろ。旅の話、聞かせてくれよ」

 まあ、よくあることだよなとサムトーは思った。そして、まずはクロエに説教をしたのである。

「だから言っただろ。自分の魅力に自覚を持てって。こういう質の悪い連中からすれば、おいしそうな獲物に見えるってことさ。覚えときな」

「……分かりました。気を付けます」

 口調を戻さずにクロエが返事をした。表情が少し落ち込んでいた。

 サムトーは男達に向き直り、遠慮なく脅しをかけた。

「さて、うちの連れに何の用だって? まさか、腰の剣が見えないとか、ぬかすなよ」

 男達がサムトーを凝視する。確かに短めでわずかに反りが入っているが、立派な剣である。装飾もなく、実用重視なのは間違いない。

「はったりだ。そんなもん、ただの飾りだろ」

「剣を見せれば相手がびびると思ってるんだろ。そうはいくかよ」

 男二人が言い返してきた。だが、腰が引けている。サムトーはもう一押しとばかり、腰の剣に手をやりつつ、脅しを強めた。

「さっさと失せれば見逃してやる。どうする?」

 さすがに恐れをなした男達が、捨て台詞を吐いて逃げ出した。

「このくらいにしといてやる。覚えてろよ」

 剣から手を離しながら、ふうと大きく息をつく。実力行使しても簡単に倒せるが、その後自警団だの調書だのと、面倒なのはごめんだった。

「さすがサムトー、見事なお手並みだったね」

 満面の笑みでクロエが褒めた。いや、その顔さっきの男達が見たら、うらやましがるから。かわいいんだけど止めて欲しい。

「口説かれたの初めて。これがナンパというやつなのね。護衛って、こういうのからも守ってくれるんだ。うれしいなあ」

 ニコニコとサムトーに話し掛ける。言ってることは間違いじゃないが、守られたのを喜んでくれるのもいいのだが、あまりの純真さに目が眩む。クロエを相手にしてから、お調子者の本分が出ないサムトーだった。


 適当に宿を見つけ、部屋を取って、洗濯を片付ける。部屋の中で一晩干しておくのだが、やはりクロエは下着が丸見えでも気にしなかった。こういうのはあくまで例外だろうと思いつつ、気にするのを止めて、公衆浴場へ。

 風呂から戻って、いつもの通りエールを頼む。クロエも、酒杯半分は飲めると分かったからか、一緒に飲むのがうれしいのか、同じようにエールをもらっていた。

 昨日と同じように少しずつ飲みながら、クロエがナンパについて問いかけてきた。

「どうしてさっきの男の人達、あんな風にナンパしたの? 私、タルストの町では、あんなこと言われたことなかったの。すごく不思議」

 そんなこと男の俺に聞くかなあ。でも、純粋に疑問なのだろうし、答えてやらないとな。そんなことを考え、完全に保護者目線になっている自分に苦笑してしまうサムトーだった。

「そりゃ、きれいな女の子連れて歩くとうれしいからだろ」

「そうなの? じゃあ、サムトーも、私連れてるとうれしい?」

 こくこくと、エールを少しずつ飲むクロエ。酔いが回っての問いでなく、本気で思ったことを口にしているようだった。

「まあ、うれしいかな。でも、きれいだからというより面白いから、かな」

「何か、納得いかなーい。結局、さっきのナンパって、何がしたいの」

 ふーむ、男心に鈍感過ぎないか。サムトーが逆に問いかける。

「もしかして、クロエって、男の友達いないの?」

「そんなことないよ。あまり会わないけど、学舎の頃の友達とか、町のあちこちにいるよ。たまに会うと話くらいするし」

「その男友達って、お茶飲みに行こうとか、クロエを誘ったりするだろ」

「うん、ある。仕事で忙しいから、一度も行ったことないけど」

「ナンパもそれと同じだよ。下心があるんだ。最後までいけたらいいな、とかそういうの」

「最後までって、そっか、いやらしいことしたいんだ。なるほどー」

 さすがにその辺の知識はあるようだった。そこまで教える必要があったらどうしようかと、サムトーは本気で心配してしまっていた。それにしても、何でこんなこと真面目に説教しているのやら。俺、ただの護衛役のはずだったのになあと、心中でため息をつく。

「まあ、そういうことだ。男連中のそういう欲求って、甘く見ると痛い目見るからな。くれぐれも気をつけろよ」

「分かった。いいこと教わった。さすがサムトー、頼りになるね」

 会話の合間合間で、クロエがエールをちびちびやっている。もしかして、少量だがもう酔っているのかもしれない。

 サムトーも大きくエールをあおり、空にする。

「ふう。分かってもらえて何より。さて、夕食もらおうか」

「そうだね」

 そうして二人は夕食を取ると、また部屋でカードに興じた。この日はポーカーで、クロエが案外強いことが分かった。フロップが開く前に、手の強弱をしっかり見極めて、下りるべき時しっかり下りる。はったりも効かないので、リバーまで賭け合っての運勝負となることが多かった。賭場で稼げるサムトー相手に、三割以上勝つという強さだった。まあ、一対一の勝負だとこんなものだろう。

「いやあ、賭け事って危険ね。ついつい熱が入っちゃう」

「そうだな。クロエは強かったけど、薬屋の本業放っておいて、賭け事に夢中にはならないだろ。遊びでやるだけなら大丈夫だから」

「分かってる。本当にお金賭けたりしたら、いくらあっても足りなくなりそう。賭け事の怖さが良く分かって、良かった」

 そんな感じで、白熱した戦いを楽しんで、その日の夜も過ぎていった。


 翌朝、サムトーが先に起き出して素振りを始め、その途中でクロエが起き出してくるというのは昨日と同じだった。

 朝食を早めにもらい、出発も少し早める。メネスの町に着いたら、すぐに仕入れをするので、到着を早めたかったからだ。

 クロエも調子が良く、昨日と同様の健脚を見せた。途中何度か休憩を挟んで、まだ午後の早い時間にはメネスの町に到着できた。

 クロエが父から預かってきた地図を見る。薬問屋の位置を確認し、街路を進んでいく。街路を右に左にと曲がり、大通りに面した、商店街から少し外れたところに、目的の店を見つけた。

 クロエは地図をしまい込むと、今度は買う物を書いた紙を取り出した。心なしか緊張しているようである。大事な買い物なので、さもありなんとサムトーは思った。

「ごめんください。薬材の仕入れなのですが」

 店員に声を掛けると、すぐに対応してくれた。

「はい、ただいま。ご注文をお伺い致します」

 クロエがメモを元に注文していく。竜骨、大黄、大棗、地黄、枳実、黄柏、茴香、辛夷。サムトーには聞き慣れぬ名前ばかりである。薬の材料にもいろいろあるものだと感心する。

 店員が商品を用意しているところへ、中年男性の店主が現れた。年の頃はクロエの父エイモスと同じくらいだろう。

「こんなお嬢さんが薬材の仕入れとは。どちらからですか」

「タルストの町のエイモスの薬屋です。私はその娘でクロエと申します」

「ああ、エイモスさんのところか。なるほど、今回は娘さんが代わりに仕入れに来られたんですな。申し遅れました、店主のケネスです。遠くまで良く来なさった。して、エイモスさんは元気かね」

「はい。町の皆さんから毎日呼ばれて、元気に働いております。今日は仕入れの方、よろしくお願いします」

「こちらこそ、毎度ごひいきに。ありがたいことです。戻られましたら、エイモスさんにもよろしくお伝え下さい」

 店主が一礼して、薬材の準備に回った。店員と二人、用意した薬剤の重さを量っては袋に詰めていく。

「では、ご確認下さい」

 一つ一つの袋の中身を改めて見せていく。クロエがメモを見て確認する。表情は真剣そのもので、絶対間違えないようにと気を張っているのが分かる。八種類全て確認し終えると、代金金貨一枚と銀貨十枚を支払った。相場通りだが、銀貨二十枚は金貨一枚、宿代一泊二食付きで一人銀貨一枚なので、この薬剤代はかなりの値段である。

 薬材の入った袋を、クロエが背負っていた鞄に詰める。重さは多少あるようだが、それほどでもないらしい。背負い直しても、重さで揺らぐようなことはなかった。

「それでは、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、毎度ありがとうございます。またのお越しをお待ちしています」

 挨拶を交わして、二人は店を離れた。これで用事も落着である。まだ、日は傾き始めた頃だった。

「無事に仕入れが終わって良かった。まだちょっと早いけど、宿を探しましょう」

 クロエが安堵した表情で言った。やはり、高価な品物の買い出しは緊張したようだった。肩の荷が下りて、足取りも軽かった。

 適当に宿を選んで一泊お願いする。鍵をもらって荷物を置くと、とりあえず一休みとなった。

「今日は買い付けご苦労様。かなり緊張してたな」

「うん。これだけ高い値段の物だと、間違えたら大変だもの」

 ニコッとクロエが笑う。清々しい、いい表情だった。

「薬の材料にもいろんな種類があるんだな。とても覚えきれん」

「私も全ての薬と材料を覚えきれてなくて。たまに間違えてないか、本で確認することがあるくらい。薬屋も、覚えること多くて大変なんだ」

「そうだろうなあ。でも、クロエは、ほとんどは覚えてるってことだから、実際大したものだと思うよ」

「えへへ。褒められた。ちょっとうれしい」

 こういう純真なところがかわいらしい。さっき真剣な顔で薬材の確認をしていたのと同一人物とは思えないほどだ。

「ところで、荷物少し預かろうか。ちょっと重いだろ」

「ううん、大丈夫。自分から仕入れに行くって言ったんだし、このくらい自分で運べなきゃ」

 その決意は固いようだった。まあ、薬問屋から宿まで歩いた様子を見る限り、普通に歩けているようだったので、無理強いは不要だろうと思った。

「そんじゃ、ちょっと早いけど風呂入って来ようか」

「そうだね。せっかく時間あるし、のんびり入ってこよ」

 二人は風呂の支度をして、公衆浴場へと向かったのだった。


 その日の晩も、一緒にエールを飲み、夕食を取り、部屋でカードに興じたのは同じだった。これで三泊目、互いにずいぶんとなじんで、余計なことを考えずに眠れるようにもなった。

 翌朝も、サムトーが日課の素振りをしているところに、クロエが起き出すのも同じだった。

 朝食を取り、支度を済ませて出発するところまでは良かったが、歩き始めてから、クロエのペースが若干だが落ちていた。数キロとは言え、荷物が重くなったのだから当然だろう。

 サムトーはもう一度、荷物を代わろうかと提案してみた。だが、やはり返答は同じで、自力で運ばないと意味がない、だった。

「そう言えば、紫水亭のペニーも言ってたな。クロエはすごく生真面目だって。最後まで自分の力でやり遂げたいんだよな。分かった。後は任せる」

 そう言われて、クロエが軽く笑みを浮かべた。自分のことを認めてもらえる友達の存在と、そして自分の意志を受け止めてくれたサムトーの好意が、うれしかったようだった。

「自分でも、頑固すぎかもと思うけどね。やっぱり、最初から最後まで、自分の力でやり通すのって、大事だと思うんだ」

「うん、そうだな。良いことだよ思うよ」

「ごめんね、少しゆっくりにしてもらえれば、普通に歩けるから」

「分かった。それと休憩も長めに取ろう。少し遅くしても、クロエは歩くの十分速いから、気にしなくていいぞ」

 クロエがほっとした表情になった。護衛が必要だからお願いしたものの、サムトーはそれ以上にいろいろと気遣ってくれる。エールを飲んだりカードをしたりと一緒に楽しんでくれる。普通の護衛だったら、もっと互いに距離を取って、干渉しないものだろう。こんな相手と共に旅ができるのは、何とも幸運に恵まれたことだと、クロエはしみじみ思っていた。

「ありがとう、サムトー。サムトーに護衛頼んで本当に良かった」

 心からの感謝の言葉だった。さすがにそれは伝わってくる。そうなると、つい外したくなるのがお調子者の本分である。

「それは大変結構でございましたな、お嬢様」

 サムトーが、胸に腕を当てて一礼しながら、格好つけて言ってみる。クロエがぷっと吹き出す。今回は見事に外すのに成功した。

「面白いね、サムトーは。一緒にいると楽しいよ」

「ありがと。俺も楽しいよ」

 そんな調子で少しゆっくりと歩いて行ったのだった。


 昼食休憩後、しばらく行ったところで事件が起こった。

 最初は向こうから複数人歩いてきて、普通にすれ違うだけだろうと思っていたのだが、急に相手が立ち止まり、何事か相談を始めた。そして、近づいたところで道を塞いできたのである。相手は男五人だった。武器などを持っている様子はないが、野盗には違いない。

「よお、ここを通るなら、通行料払って行きな」

 またもや定番の台詞である。

 クロエが少し怯えて、後ろに下がった。さすがに男が五人もいては、威圧感も相当である。サムトーを信じて、任せることにした。

 その分、サムトーが前に出る。

 サムトーの目には、彼らは初めから野盗として徒党を組んでいるのではないように見えた。移動の途中で、単に相手が二人しかいないと、甘く見たのだと感じた。でなければ、武器を持っているはずだ。無理に叩きのめさなくても、脅して立ち去ってもらうのが一番いいだろうと思った。

「あのなあ、思い付きで野盗の真似するのはやめな。痛い目見るだけだぞ。まさか、腰の剣が見えないとかぬかすなよ」

 だが、相手は人数のいることに安心していて、執拗だった。

「へ、こっちは五人もいるんだぜ」

「それに、お前、人を斬ったことあるのかよ」

「人斬りは重罪だぜ。そんな度胸がお前にあるのかよ」

 口々に怖くないことを強調してきた。サムトーが大きくため息をつく。

「それなら、しょうがねえ。叩きのめしてやるから、かかって来いよ」

 サムトーが腰の剣を鞘ごと抜いた。さすがに斬り殺す気はない。

「へ、やっぱり剣は抜けないんだな」

「よし、やっちまおうぜ」

 五人が同時に動き出す。拳を振りかぶって殴り掛かってきた。

 一人目の拳をかわし、横腹を強打する。続けて、二人目の逆側の横腹を打つ。三人目の拳をかいくぐり、肩口に一撃。四人目の攻撃を横に避けてその背を突く。五人目も同じように背を突いて終わりである。

「ち、ちくしょう」

「痛えな、この野郎」

 あえて急所を外し、動けるままにしているのは、町から遠く、自警団などを呼ぶのが大変だからである。だからこそ、男達も痛いだけの一撃で引き下がる気はないようだった。痛みをこらえて、再度身構えてきた。

「まだ分からねえみたいだな。こいつはおまけだ」

 サムトーが剣を抜き放ち、一番近くにいた男に斬りつける。相手に動きが見えるよう、わざと技と剣の振りを遅くしていた。それでもきれいに服だけ斬り裂いて見せる。

 さすがの男達も、その剣の切れ味の良さには恐れをなしたようだった。

「抜きやがった。こいつ、やべえよ」

「くそ、しょうがねえ。今度会ったら覚えてろよ」

 男達は来た道を戻るのではなく、前へと進んでいった。サムトー達が来た方角である。やはり、思い付きで犯行に及んだようであった。

「さすがサムトー。熊退治は伊達じゃないね」

 クロエがそんなことを言ってくる。一応褒めているようだ。サムトーも剣を収め、親指を立てて答えるが、視線は男達を追っている。念のため、戻ってこないかを確認していたのだ。姿が小さくなるまで見送って、安全を確認した。

「戻ってくる様子はないな。じゃ、俺たちも行こう」

「うん。ありがと、サムトー」

 二人が再び歩き始める。

 ちょっとしたトラブルで済んだが、これもサムトーが人並外れて強いからだということは、クロエにも分かる。だが、疑問は残った。

「ねえねえ、サムトー、さっきはずいぶん手加減してたけど、どうして倒さなかったの?」

「面倒だったからだよ」

「倒しちゃった方が楽だったんじゃない?」

「戦うだけならね。でも、気絶させたら、誰があいつらを町の自警団に引き渡すんだい?」

「あ、私達には無理だね」

「そ。次のポンメルの町で自警団に話をして、街道を戻って連れてきて、馬車かなんかで運んでもらうことになるんだけど、ちょっと面倒だって思ったんだよ。本当は悪人放置しない方がいいんだけど、あいつらも出来心だったみたいだし、自力で立ち去ってもらえればそれで十分かなと」

「なるほどー。強い人は考えることが違うなあ」

 クロエが、何とも頼りになる護衛だと、しみじみ思っていた。決して楽しいだけの人物ではないことに、改めて感心する。

「サムトーって、格好いいよ」

 今さらだが、思いついたことを口にするクロエだった。

 言われた方は苦笑してしまったが、まんざらでもない気分だった。


 残り二泊は順調に進んだ。

 宿でも道中でも何事もなく、平和そのものだった。二人でのんびりおしゃべりなどをして楽しく歩いていく。クロエにとって旅は非日常だったはずだが、サムトーと旅をしているのがごく自然な日々になっていた。

 だが、それももうすぐ終わる。出発してきたタルストの町まで、あと少しである。

 出発してきたソウエンの町のパン屋で買った昼食を食べながら、クロエがこの日常が終わることを残念がっていた。

「あーあ。もう少し二人で旅してたいなあ」

 ある意味、究極の殺し文句である。本人にその自覚はなく、単に願望を口にしたに過ぎないが。

 サムトーも、クロエの本音がだだ洩れなのを良く分かっていたので、ごく普通に答えを返した。

「そうだなあ。結構、二人旅楽しかったもんな。気持ちは分かるよ」

 クロエがサムトーをじっと見つめた。

「サムトーは人を楽しくさせる達人だよ。で、私が楽しんでると一緒に楽しんでくれるし。こんなに楽しかった旅は生れて初めて。だから、帰ったら改めてお礼がしたいな」

「いや、元々、俺が苦しんでたのを助けてもらった恩返しに、今回護衛することにしたんだし。報酬として旅費も出してもらってるし。それに、お互い楽しかったんだから、お礼はそれで十分だよ」

 サムトーの言葉に理があることは分かるが、それと納得いくかどうかは別問題だ。クロエはパンをかじりながら、うーんと唸っていた。何かいい考えはないかと探っているようだった。

「元々、『代金とは別にお礼をきちんとしたい』って護衛引き受けたのは、サムトーの方だったよね。だから、私が旅のお礼をきちんとしたいって思うのも分かるでしょ」

 なるほど。これだと恩返しの繰り返しになってしまうが、気持ちはとても良く伝わってきた。これはクロエが思う通りにしてやるのが、一番いいだろうとサムトーは思った。

「そこまで言われちゃ断れないな。分かった、礼を受けるよ。でも、無理のない範囲でな」

「うん、ありがと。じゃあ、家に戻るまでに考えてみる」

 クロエが満面の笑みを浮かべた。見ていたサムトーが、改めてきれいで魅力的だと思った。この娘は、見ていて飽きないし、話せばなお楽しく、確かに充実した旅だった。クロエではないが終えるのが惜しい。

 だが、行程もあと少しである。無事に終えられるのを喜ぶべきだろう。

「よし。そろそろ行こう」

 昼食を食べ終えて、サムトーが声を掛けた。クロエが慌てて残りを口に放り込み、危うくむせるところだった。


 昼食後、しばらく歩くと、行く手にしゃがみこんだ人物を見つけた。

 近づいて見ると、中年の男性で、腹が痛いのかうずくまって唸っていた。

「大丈夫ですか。どこか加減の悪いところはありますか」

 クロエが声を掛ける。男が苦しげな声で返答した。

「いや、大丈夫です。ご心配なく」

 そう言われても、目の前で苦しんでいるのを見ると、クロエも放っては置けなかった。

「ですが、とても苦しそうですよ。どこが痛いのですか」

 クロエが男に近づき、しゃがみこんで様子を見ようとした。

「それは、ですね。実は……」

 男がもごもごと、聞き取りにくい声を出した。しっかり聞こうと、クロエが身を乗り出す。

「はい、そこまでね」

 サムトーが、クロエの両脇に手を差し込み、ひょいと持ち上げた。そのまま後ろに運んで、すとんと下ろす。

「え、何、サムトー。どうしたの、急に」

 クロエの驚きをよそに、サムトーは平然と腰の剣を抜いた。大きく振りかぶり、男のすぐそばで、真っ直ぐに振り下ろす。

「ひえっ」

 中年男が怯えて立ち上がった。無意識に後ずさっている。

 サムトーは剣を収めると、冷たく問いかけた。

「で、おっさん。どこが痛いって?」

「は、ははは」

 男が冷や汗をかいて、乾いた笑いを発した。

 サムトーが男の代わりに説明した。

「遠くで普通に歩いてる姿を見かけたからな。近づくのを待って、しゃがみこんだのも見てたし。介抱しようと近づいたところで、刃物を出して、金を出せって脅すんだろ」

 図星だった。刃物こそ隠したままだが、要するに強盗である。

「いや、あの、その……」

「具合が悪いのを何とかしてやろうって、本当に善意なんだぜ。それに付け込んで、騙して金を脅し取ろうって最低だな。腕の一本でも切り落として、二度とそんなことのできない体にしてやろうか」

 サムトーの冷たく言い放つ。男が本当に怯えた。なりふり構わず謝罪してきた。

「す、すみません、もうしませんから勘弁してください」

 両手をこすり、頭を下げ、脂汗をかきながら必死で訴えてきた。

「なあ、おっさん、そんなに金に困ってるのか」

 サムトーが尋ねる。男が首を何度も縦に振った。

「何に使ったかは聞かないが、ろくなことじゃないのは分かった。でもまあ、勘弁してやろう。刃物を出しな」

 男は鞘に納めたナイフを腰に付けていた。それをサムトーに差し出す。

 サムトーはひょいとそれを取り上げると、代わりに銀貨を二枚渡した。

「ナイフ代だ。善意を裏切れば心が痛くなるもんだ。それを忘れるな。もう悪いことして稼ごうなんて考えるなよ」

 男はそれを受け取ると、何度も頭を下げて通り過ぎていった。

 クロエがその様子を呆気にとられた顔で見ていた。男の姿が小さくなってから、ようやく我に返った。

「ねえ、サムトー、本当に見てたの?」

「当然だろ。護衛なんだから。何が何でも守るって約束だしな」

「そうなんだ。本当に具合悪いと思ったから、まさか騙そうとしてたなんて、思いもしなかったよ」

「だよな。苦しんでる人を助けるのが、クロエ達薬屋だもんな。だが、あんな悪いこと考える奴は、そんなに多くはないはずさ。あの男だって、改心していい奴になることを願うよ」

 やはり悪者ばかりの世の中には耐え難い。互いの善意で成り立つ世の中であって欲しいと、サムトーは思うのだった。

「大丈夫だよ。サムトーが許してやったんだし、改心するよ、きっと」

 クロエがそう言って励ましてくれた。人と人とは、こうした信頼で成り立つ関係なのが一番いいと思う。

「ありがとね。また助けられちゃった」

 クロエが笑顔で言う。サムトーも肩の力を抜いて、笑顔を返した。

「それじゃあ、あと少し、頑張って行くか」

 二人は再び歩き始めた。


 そんな小事件もあったが、以後は順調に進んだ。日が傾き、空の一部に赤みが差してきた頃、二人はタルストの町に到着した。後は薬屋に戻るだけである。

「戻ってきたね。家族のみんな、元気かな」

 町に着いてからの道案内はクロエである。エイモスの薬屋まで、最短距離を行く。サムトーが一歩遅れてその後に続く。

「たった五日離れてただけなのに、何か懐かしい気がする」

 クロエにとって、旅は確かに楽しかったが、やはり生まれ故郷はいいものだった。自然と足取りも軽くなる。

 やがて、自分の店に着く。古びた店構えは相変わらずだった。

「ただいま。無事に戻りました」

 店の中に入り、元気に帰宅を告げる。父エイモスも、母サブリナも、妹マリサも在宅中だった。

「おかえり、クロエ。無事に戻って何よりだよ」

 家族の出迎えを受けて、クロエが笑顔で言った。

「とても楽しい旅だったよ。みんなサムトーのおかげ。それに、ちゃんと仕入れもできたから、安心して。それから、薬問屋のケネスさんがよろしくって言ってた」

「まあ、積もる話は後にしよう。まずは荷物を片付けるといい。仕入れた薬の整理は、私と母さんでやろう」

「分かった」

 クロエが荷物を板の間に下ろす。鞄を開けて、仕入れた薬材の入った布袋を父に渡した。

 エイモスがサムトーに向き直り、改めて礼を言った。

「礼が遅くなって申し訳ない。今回は急な頼みだったのに、本当にありがとう。おかげで娘も、無事に仕入れをして帰ってくることができたよ」

 サブリナも続けて礼を言う。

「本当に楽しい旅だったのでしょうね。クロエのこんなうれしそうな顔は久しぶりに見ます。サムトーさんのおかげです。本当にありがとう」

 マリサは少し不機嫌そうに言った。

「お姉ちゃんが無事なのはうれしいんだけど、何か一人だけいい旅してきたのはずるいなあって、ちょっと思います。楽しかったのは分かったけど、それなら私も行きたかったかも。とにかく、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げた。本音を隠さないのはこの姉妹らしいことだった。

「そうだ。サムトーさんの剣を返さないとな」

 エイモスが剣を奥から持ってきた。サムトーが礼を言って受け取る。

 そこで、クロエが思い出したように言った。

「ねえ、サムトー、今晩、良かったらうちに泊らない? 開いてる部屋もあるし、いいよね、お父さん、お母さん、マリサ」

「それは構わないが……サブリナはどうだ」

「私もいいと思いますよ。旅の話のお聞きしたいし」

「私も賛成。お姉ちゃんと、どんなの旅してたのか教えて欲しい」

 一家全員に勧められては、さすがに承諾するしかない。クロエからも話すだろうが、旅の面白かった話を聞かせてやるのが代金になるだろう。

「分かりました。せっかくなので、ご厚意に甘えます」

 サムトーが一礼した。他人の家に泊まるのは、一月に城塞都市グロスターの雑貨屋に泊めてもらって以来で、かなり久しぶりだ。

「それでは、お邪魔します」

「どうぞ、こっちの部屋を使ってね。」

 クロエが笑顔で家の中へと案内する。二階の端にある部屋に荷物を下ろさせてもらった。

 その間、父母は仕入れてきた薬材を、それぞれ所定の場所に収めていた。妹は店番である。せっかくだから、薬草園でも見せてやるといいと言われ、クロエがサムトーを連れて行った。店の裏に十分な広さの畑がある。自分達で栽培できる薬草は、ここで自作していたのだった。芍薬、葛、薄荷などの草だけでなく、大棗、陳皮などの低木も所狭しと植えられていた。時々収穫して、乾燥させて薬とするのである。

「立派な薬草園でしょ。お母さんの代で五代目になるんだって。その間、こうやってずっと育ててきたんだよ」

 サムトーには、何がどんな薬になるのか皆目見当もつかないが、大事に育てた畑だということは分かった。定期的に、ここでは育てられない薬材を仕入れに行くいうことが良く分かった。クロエを無事に連れて戻ることができ、一家の喜ぶ姿が見られて良かったと思う。

 クロエの温かな表情で畑を眺めている。それを見て、心が温かくなるのを感じた。

「いい畑だな。クロエの家族もいい人達だし。いい薬屋だよ」

 サムトーの言葉に、満面の笑みを返すクロエだった。


 夕食はクロエの一家四人で分担して作ったものだった。肉と野菜の煮込みにゆで野菜、鶏肉の照り焼き、野菜のベーコン巻きなど、心温まる家庭料理の数々だった。

「遠慮なく召し上がれ」

「ありがとうございます。いただきます」

 言葉に甘えて、遠慮なく口にする。味付けも程良く、どうやら薬草をアクセントに使っているようで、独特の香りが味を引き立てていた。

「これはおいしいですね。薬草を使っているんですか?」

「そうですよ。ハーブと言って、普通の料理店でも使うものです。薬としての効果も、もちろんありますよ」

 母サブリナの解説に、なるほどとうなずく。

「で、どうだったの、旅は」

 今度は妹のマリサだ。

「それがね、サムトーってすっごく面白くって。ついついたくさん話し込んじゃって。全然退屈しなかったの。ねえ、サムトー、旅芸人の人達と一緒にいた時の話、もう一回聞かせてくれる?」

 クロエのリクエストに、サムトーが、旅芸人の一座で芸の公演をしていた時の話を始めた。ジャグリングや道化、ナイフ投げ、ダンス、奇術、曲芸などの演目について、ざっくりと紹介した。

「ね、興味深いでしょ。他にも一人旅の途中、いろんな人の手助けをしてきたんだって。それから、宿の中でも、普通暇を持て余すところなんだけど、一緒にカードで遊んで楽しかった。サムトー、ババ抜きで、本気で目線で騙そうとしたりしてきて、すごく面白かった」

 食べながら、サムトーが苦笑を浮かべた。完全に愉快な人物にされて悪い気はしないが、護衛じゃなかったのかと突っ込まれても仕方ない。

「でも、ちゃんと護衛もしてくれたの。ナンパされそうなところを助けてくれたり、街道で出た強盗を追い払ったり、さすがだったんだ」

 お、ちゃんとフォローが入った。サムトーがクロエに感謝する。しかし、しゃべってばかりで、この娘は食事の進みが遅い。いいのかな、などと余計な心配をしてしまった。

「そんな感じで楽しい旅だったんだ。だからね、旅費が報酬だとか言ってたけど、改めてお礼をしたいって思ったの。何かいいお礼ってないかな」

 昼食の時、考えておくね、と言っていたのをサムトーは思い出した。なるほど、思いつかなくて、結局家族の知恵を借りることにしたのか。本当に仲のいい一家だと微笑ましく思う。

 一家三人の方は、サムトーを信用してはいたが、実際にクロエの態度を見て、本当に何事もなかったことが分かり、安心していた。何せ大事な家族なのである。そこへ一転して突然の問いかけである。そうすぐに何かを思いつくものでもない。

「お礼、お礼ねえ……」

 三人がそれぞれ真剣に考え始めた。

「うちの薬を分けてあげるっていうのも、ちょっと違うわよねえ」

「お姉ちゃんとしては、押し付けにならないのがいいんだよね」

「そうなの。マリサ、何か考え付きそう?」

 まだ十代前半の妹頼みなのが何となくおかしい。サムトーが、思わず軽く笑ってしまった。

「うーん、この際だから、一緒に商店街で、いい物ないか探してみたら。サムトーさんも一人旅だし、かさばる物は困るでしょ。一緒に選べば問題解決じゃない」

「なるほど、さすがマリサ」

 納得してうなずく姉に対して、妹はニヤリと笑って続きを話した。

「まあ、サムトーさんには面倒かけるけど、お姉ちゃんのこと、もう一日面倒見てくれると嬉しいです」

「何、その私がお荷物の扱い、そんなに面倒かな、私」

 父と母が苦笑いをした。自分の末娘が、姉にデートして来いと言っているのが面白くもあり、年頃らしく異性との付き合いをすることに複雑な思いもあり、というところだった。しかし、消極的ながら賛成すべきなのも分かっていた。二人共、口々に言う。

「そうだな。サムトーさんも旅の身の上、最後に一緒に買い物するのは良いかもしれないな」

「旅の間お世話になったんだし、タルストの町の案内も兼ねて、二人で行ってらっしゃいな」

 父と母にも賛同をもらい、クロエもすっかりその気になった。

「サムトーが良ければ、明日、一緒に何か買いに行こうよ」

 こういう押しに弱いかもしれない。話が進むと、断れなく感じてしまうサムトーだった。

「そうだな。分かった。明日、一緒に行こう」

「ありがと。いいもの見つかるといいね」

 話も決まり、クロエもうれしそうに食事を平らげ始めた。家族三人も安堵しながら食事を進めた。

 食事の後、エイモスの家にあったカードで、五人でババ抜きをした。短い時間だったが、みな楽しくゲームに興じていた。一番負けが多かったのはやはりマリサで、最年少とはいえ相当悔しかったようだった。


 翌朝。他人の家でも、日課の素振りはした。

 そこへ一家四人も代わる代わる来て、それぞれにサムトーに声を掛けた。クロエは素振りも見納めだと、終わるまでじっと眺めていた。

 朝食の支度はサブリナとクロエがやってくれた。その間、エイモスとマリサで、薬草を摘んで水洗いし、刻んでざるに開けて乾かす作業をしていた。サムトーはどちらにも手が出せず、お客としてそれを見せてもらっていた。

 朝食後、乾燥させた薬草の中で、粉にして用いる物を挽く作業があった。サブリナがそれをしている間に、残り三人で朝食の片付けや店の掃除などをする。サムトーも店の前を掃くのを手伝った。

 そうこうしている間に九時の鐘が鳴り、開店である。商店街でも多くの店がこの時間に開店する。

「それじゃあ、いってきます」

 クロエが家族に挨拶する。昨日決めたように、サムトーと二人で買い物に出るのである。一家三人が笑顔で見送ってくれた。

「サムトーは、何か必要な物とか、欲しい物ある?」

 クロエが真面目な顔で聞いてくる。必要な物は揃っているし、特には思いつかなかった。

「悪いけど、思いつかないな。まあ、店を回ってるうちに、何か必要な物が見つかるかも」

「そうだね。ゆっくり見て行こう」

 まずは手近な雑貨屋に入った。台所用品や清掃用品は使い道がなく、櫛や手鏡といった身だしなみの品は不要だし、小物類も持ち歩く意味がない。強いて言えば、タオルの類はやはり消耗するので、いくらあってもいいだろうというくらいだ。

「なかなか思いつかないもんだなあ」

「そうだね。あ、でもこのポーチ、かわいい」

 頑張って探しつつも、時々脱線するクロエだった。やはり、小物類には興味があるようだった。気に入った品物を手にして、いろいろな角度からじっくり見て感心していた。

「何か、いっそクロエが欲しい物買った方がいい気がしてきた」

「あ、ごめん。ちゃんと探すよ」

「いいって。のんびり見て回るのも、お礼のうちってことさ」

「え? どういうこと?」

 昨日の妹の発言には、平たく言ってついでにデートしておいで、という意味が含まれていたのだが、姉の方は言葉を額面通りに受け取っていたらしい。だが、それを解説するのも野暮というものだ。

「二人でいられるのも、今日が最後だろ。明日には俺もまた旅に出るしな。だから、こうやって一緒にいられるだけでも、楽しい時間が過ごせるから、お礼になってるんだよ。俺にとってはうれしいことだな」

 サムトーの言葉を聞いて、クロエが目を見開いた。うっかりすることがあると自分でも言っていたが、この時がそうだった。あまりにサムトーと親しくなりすぎて、まるで家族のように思っていたのだ。旅の剣士で、明日にはいなくなるなど、頭の中からすっかり抜け落ちていた。

「そっか、そうだったね。旅の剣士だってこと忘れてた」

 目に見えて意気消沈したクロエだった。この先も護衛が続くと錯覚していたのだった。小さくため息をつく。サムトーがぽんとクロエの肩を叩いた。

「ごめんね。気を取り直して、次の店行ってみよう」

 すぐに立ち直って、サムトーを促す。隣の金物屋に入ってみた。

「そう言えば、あのおっさんから買い上げたナイフがあったな」

 サムトーは、買い物ついでにそれを処分してしまおうと思い、ポーチに下げてきていた。店主に問いかける。

「これの下取りってできますか」

 サムトーがナイフを鞘ごと店主に渡す。店主がナイフを抜いて、刃の具合や本体の造りを見て行く。店主がふーむと感心した声を上げた。

「思った以上にしっかりした造りだ。銀貨一枚で引き取ろう」

 今度はサムトーが目を丸くした。そこまで高値がつくとは思わなかったのだ。せいぜい大銅貨数枚というところかと思っていた。あの中年男にはその倍の額を渡したが、それほど大盤振る舞いでもなかったようだ。

 その間、クロエはフライパンを見ていた。焼く、炒める、煮込むと多用途に使えるので、一番気になる品物だったらしい。出来のいいものを見て、その値段に、うーん、さすがに高いなどと、一人でつぶやいていた。

「さすがにいい品が置いてあるけど、サムトーには向かないね」

 下取りの終わったサムトーに、クロエがそんな声を掛ける。金物屋の品揃えからすれば、まあそうなるだろう。

 それから二人で、道具屋や雑貨屋をいくつか見て回ったが、これという品が見つからないまま、昼食の時間になってしまった。

 パスタの店に二人で入る。二人はトマトベースで具の多いパスタを、サラダをつけて頼んだ。

「いい物見つからないね」

「まあ、楽しかったからいいよ」

 サムトーには、クロエが脱線して、いろいろな品を手に取る様子がかわいらしかったのである。いいものが見られたと、内心微笑ましく思っていた。

「うーん、何か納得いかない」

「まあ、細かいことは気にしない、気にしない」

「サムトーは、本当に何かなかったの」

「悪い。さすがに旅の必需品は一通り持ってるからな」

 パスタを食べながらも、話は続く。

「そうだよね。大体の物は持ってるんだろうし、必要なら買い足してるんでしょ。かと言って、旅の邪魔になる物じゃ困るだろうし、難しいなあ」

「そうだなあ。あ、でも前に、旅のお守りもらったことがある。これなんだけど」

 サムトーはポーチから小袋を取り出した。手の平より小さな布袋で、中身は小指の先ほどしかない水晶だった。

「厄除けにって言われて、ありがたくもらったんだ。このくらいの物なら邪魔にもならないし、記念にもなったからちょうど良かったかな」

 サムトーがまた布袋を大事にしまい込む。クロエが複雑な表情でそれを見つめていた。

「それ、女の子にもらった物でしょ。サムトーって、実は旅先で女の子と結構仲良くしてたんじゃないの。何か、ずるいなあ」

 やや渋い表情でクロエが追及する。本人はそれと自覚していないが、好意から出てきた感情で、一種の嫉妬だった。

 それを察したサムトーが、ちょっと驚いた顔になった。確かに一緒に楽しんできた仲だが、クロエは一緒の部屋でも動じないほど、この種の感情とは無縁だと思っていたのだ。まあ、こんなきれいな娘に好意を寄せられて、悪い気がするはずもなかった。

「ずるいって思ってくれるんだ。ありがとな、クロエ」

「もう、ここでお礼とか、ずるいよー。サムトーの女たらしー」

 言うに事欠いて、罵声が飛んできた。面白過ぎだ。相変わらずの容貌との落差の激しさに、つい声を出して笑ってしまった。

「ごめん、おかしくて、つい」

「ま、いいけど。サムトーだから許す」

 ふん、という息が聞こえそうな感じで、クロエが尊大に言った。やはりこの娘は面白いと思う。

「決めた。私もお守りにする。厄除けなんて、いくつあってもいいでしょ」

 そう言って、クロエがパスタを頬張る。一度思い定めると、気分もすっきりしたようで、表情も明るくなった。咀嚼していた物を飲み込むと、いつもの調子で言った。

「サムトーはサムトーだから、人に好かれるのも分かるよ。私だって、そうだもん。すごく頼りになって、楽しくて、いい人だもんね」

 褒め言葉がこそばゆい。格好つけて誤魔化してしまう。

「これは過分なお褒めの言葉を頂戴致しまして、感謝に堪えません」

 案の定、クロエがぷっと吹き出した。口の中が空で無事だったが、食べている途中だったら大変だった。

「危ない、危ない。全く、サムトーだなあ」

 旅の間と同じように、楽しく話しながら食事をしていた二人だった。


 昼食後、まず雑貨屋へ行き、小さな布袋を買った。

 続いて、町に一軒しかない宝石屋へ行き、そこで厄除けになりそうな石を物色した。値段は様々で、高価な物だと金貨単位である。

 クロエは宝石店に足を踏み入れるのは初めてで、小さな物から立派な装飾品まで揃っていて、その品揃えの多さに驚いていた。それが収まると、今度は一つ一つの石の美しさに魅入っていた。初めてじっくりと眺めて、深みのある色合いや輝きに興味が湧いたようだった。

 サムトーも、宝石が欲しいわけではなくても、クロエが夢中で見てしまう気持ちも分かるので、しばらくの間そっとしておいた。

「お客様、どのような品をお探しですか」

 さすがに店員はそうもいかない。客に満足のいく買い物をしてもらうのが仕事だ。声を掛けられて、クロエが我に返る。

「えっと、厄除けになる石が欲しいのですが」

「それでしたら、ラピスラズリなどはいかがでしょう。危険から身を守り、幸運を招くと言われています」

 店員が勧めてくれたのは、深みのある青い石だった。落ち着いた色合いがきれいで、値段もそれほど高くはなかった。

「では、そのラピスラズリで、この石をお願いします」

 クロエは、小指程度の大きさの石を選んだ。昼食の時に見せてもらった水晶と同じくらいの大きさである。値段も銀貨二枚とそう高くなかった。

「毎度ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」

 購入を終えると、店員の挨拶を背に店を出た。

 早速、クロエはその石を布の小袋に入れ、サムトーに手渡した。

「旅の間守ってくれて、本当にありがとう。その感謝と、サムトーがこれから無事に旅ができるよう願いを込めて、これを贈ります」

 その言葉を聞いて、サムトーが表情を引き締めた。真剣な思いには真剣に応えるべきだろう。

「こちらこそ、ありがとう。大事にするよ」

 ちょっとした儀式だった。サムトーが小袋を大事にしまい込む。二人は固く握手を交わした。

「そういや、俺、今晩泊る宿取ってないな」

「それなら、今日も泊っていって。サムトーいるの楽しいし」

 クロエが自然と勧めていた。家族の了承は取ってないが、昨日楽しく過ごしたこともあり、きっと賛成してくれるだろうと思っていた。

「そっか。ありがたく好意に甘えるよ」

「そしたら、夕方まで町の案内をするね。それから一緒に帰ろう」

 それからクロエが思い出の地を案内して回った。十才まで学んだ学舎。友達と落とし物を届けに行って褒められたという自警団本部。三月に一度祭りが開かれるという大広場。小さい頃、泳いだり魚を取ったりして遊んだという川。そして薬になる草も混じっている野原。

 クロエが語る思い出話と一緒に巡っていると、幼い頃の姿がおぼろげに浮かんできた。今と同じように、純真で真っ直ぐな子供だったのだろう。その心根のまま美しく成長したことが、とても素晴らしいことに思えた。

「クロエは青空のように、透き通った心の持ち主だな。そんなクロエに会えたことは、俺にとってすごく幸運なことだったよ。何より、具合が悪いのを治してくれてありがとう。お守り、大切にするよ」

 サムトーがそんな感想を述べた。これ以上ないほどの本心だった。

 クロエとサムトーの視線が絡み合う。クロエが小首を傾げて、しばらく何事か考えていた。やがて、真っ直ぐ向き直ると口を開いた。

「そんな風に思ってくれてうれしいよ。私、これからもサムトーを助けたみたいに、具合の悪い人治せるよう頑張るね。私、本当に運が良かった。サムトーと一緒で本当に楽しい旅だったし、とても助かったんだよ」

 そう言うと、サムトーの胸に飛び込んだ。

「ありがとうを伝えるのは、何も物とは限らないよね」

 そしてサムトーの唇に、自分の唇を重ねた。

「これが精一杯のお礼。サムトー、大好きだよ」

 クロエの言葉に、サムトーもしっかりと答えた。

「俺もだ。クロエが好きだよ」

「うん。ありがとう。サムトーに会えて、本当に良かった」

 クロエが体を離す。そしてサムトーの手を取った。

「さ、帰ろう。夕食、また私も頑張って作るから、楽しみにしててね」

「昨日もおいしかったから、楽しみにしてるよ」

 手をつないで、二人は夕暮れ空の下、帰っていくのだった。


 その日の晩も、手の込んだ夕食だった。一家四人が最大限の歓待をしてくれたのだった。

 食事しながら、クロエが、お守りになる宝石をお礼に渡したと話した。

 家族三人が、旅人には合っている品だな、名案だったなと、邪魔にならないけどいい記念にもなると、口々にクロエを褒めた。

 サムトーも、二泊も世話になるのだからと、形のないお礼をすることにした。旅芸人達の所でもらった銅の縦笛を取り出し、三曲ばかり披露する。久しぶりだったので、途中間違えそうになりながら、それでも一座の元での演奏を思い出し、楽しく吹いたのだった。

 楽器など、精々たまに来る大道芸人が見せる程度なので、一家四人にはとても珍しい物だった。演奏も陽気で明るい曲ばかりで、聞くのをとても楽しんでいた。演奏が終わって、四人は心からの拍手を送ったものである。

 寝る前に、エイモスとサブリナが薬を二種類渡してくれた。熊の胆を融通してもらった恩もあり、やはり一家としても礼がしたかったようだ。一つは疲れた時に飲む薬で、食後に飲むと一晩でもすっきり疲れが取れるというものだった。もう一つは夜眠れない時に飲むと、心が静まって眠りやすくなるという薬だった。粉薬が紙に包んであり、表に疲労、就寝と書いてあった。

 薬屋ならではの心尽くしにサムトーも感謝し、大事にそれを受け取ったものである。

 その晩、ベッドで横になりながら、サムトーはクロエとの旅と、この一家の温かなもてなしを振り返っていた。いい出会いだった。とても楽しく充実した日々だった。自然と感謝の念が湧いた。この先の旅でも、こんな幸運な出会いがあるようにと、願わずにはいられなかった。


 翌六月四日。素振りの日課は欠かさない。

 今度こそ最後になるからと、クロエが飽きもせずにそれを見ていた。

 朝食を頂き、いよいよ出発である。

「二泊もお世話になり、本当にありがとうございました」

 サムトーが深々と頭を下げる。

 エイモス一家が口々に挨拶を告げた。

「こちらこそ。繰り返しになるが、娘を無事に連れて行ってくれて、心から感謝してる。どうか無事な旅を」

「クロエにとって、とても楽しい思い出になったようですね。そんな楽しい旅を、これからも元気に続けられますよう」

「お姉ちゃんがお世話になりました。サムトーさん、良き旅を」

 最後にクロエが手を差し出してきた。固く握手を交わす。

「何度も言うけど、サムトーに会えたのは幸運だったよ。これまでも、そしてきっと、これからの旅先でも、同じように思う人がいるんだろうね。ありがとう、サムトー。ずっと楽しい旅を続けてね」

「ありがとう、クロエ。これからも楽しく旅を続けるよ。みなさんもお元気で。それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 一家の見送りを受けて、サムトーは旅立つ。

 以前世話になった猟師達の村は、もうそれほど遠くはない。

 この薬屋の一家にもらった温かな時間。サムトーがこんな風に人と関われるようになったのは、信頼する心を教えてくれた猟師達だった。

 彼らとの再会を目指して、北の地を目指すサムトーだった。

具合が悪いのを治すのは、サムトーの世界でどんな風になるだろうというのがきっかけで描き始めました。最初は冷たいヒロインですが、生来の純真さが出てサムトーが調子に乗れないという、珍しい展開となりました。描きながら思ったのですが、シリーズ全般、宿に泊まって人助け、悪者はやっつけたり追い払ったりと、時代劇っぽいですね。そんなお約束展開なほっこりした話ですが、お楽しみいただければ幸いです。

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