序章Ⅹ~交易する娘の護衛役~
市場で見かけたきれいな娘
荷馬車の護衛を探してて
父の借金返そうと
初めて旅の商いに
市場で仕入れた品物を
高く売るため遠くの町へ
今度も手助けお調子者の
我らがサムトー、今日も行く
時に神聖帝国歴五九七年五月六日。
やや長身の背には長剣と荷物。短剣とポーチを腰に付けている。茶色のざんばら髪を揺らして、のんびり一人街道を歩いていた。
彼の名はサムトー。旅の剣士である。
広大な神聖帝国の領内で、あてもない旅を続けていた。
そうしてやってきたのが城塞都市ヘルツブルグだった。東西と南北を結ぶ交通の要衝で、人口も十五万とこの時代ではかなり大規模な都市だった。一個連隊一千もの騎士が駐屯する、軍事上の重要拠点でもある。この規模の都市になると、当然闘技場がある。あまり立ち寄りたくないが、ここを経由して北上する必要があった。
一泊だけして、さっさと通り過ぎようと考え、宿を探しに商店街へと向かう。さすがは大都市、とにかく人通りが多い。しかも、剣を下げた連中がちらほらと見られた。商店街に隣接して、大きな卸売市場が見える。そこでは数多くの馬車が出入りし、盛んに荷物を降ろしている。剣士達は、そうした商人を護衛しているようだった。
少し興味が湧き、卸売市場へと足を向ける。荷物を下ろした商人が、受取証を市場の係員にもらっている。別の場所で換金する仕組みのようだ。剣士に金を支払っている商人もいた。まだこの時間でも仕入れの客がいて、荷車に荷物を積み込んでいる様子も見えた。扱っている品物も様々で、大きな木箱に詰められ、名札の貼られた物があちこちで山積みになっていた。
窓口に行くと、掲示板に張り紙がいくつも貼られていた。仕入れに関する情報や、護衛剣士の募集などである。なるほど、この城塞都市と他の町とを行き来して品物を仕入れ、輸送費を含めてこの卸売市場で売ることで、収入を得る仕組みになっているようだった。
そこに、場違いもいいところな、きれいな女性が立っていた。まだ十代後半くらいの、肩までより長い金髪をお下げにした女性だった。手には張り紙を持っている。どうやら護衛剣士募集のようだ。こんな若い娘が荷物の輸送に携わっているのだろうか。気になったサムトーが声を掛ける。
「お嬢さん、突然で失礼だが、護衛剣士の募集かい?」
若い女性が驚いた表情を向けてきた。突然見知らぬ剣士が声を掛けたのだから、当然の反応だろう。
だが、女性はサムトーを上から下まで眺め、剣を帯びているのを見て、護衛経験のある剣士かと目星をつけたらしい。一度話をしてみようという気になったようで、表情を改め、問いかけてきた。
「そうです。興味がおありですか」
「それはあるに決まってる。何を運ぶのか、とか」
「ここで塩、砂糖、布類、鍋や包丁などの金属製品などを仕入れて、四日東に行った所にあるポルデンの町で売ります。ポルデンで名産のワインを仕入れ、この卸売市場に売るんです」
「護衛は何人雇う予定だい?」
「馬車一台分なので、一人だけのつもりですが」
「もしかして、荷主はお嬢さん一人なのか?」
かなり驚きだった。この種の交易は、馬車五台とか十台とかで大量輸送するものと思っていたのである。護衛もその分必要だが、利益を上げるには大量輸送は必要だし、集団が大きい方が野盗の類に対処しやすい。
「そうですが、やはり危険でしょうか」
女性が眉をひそめた。言い方からしても、輸送の経験がない様子が見られる。未経験かつ単独ともなれば、むしろ危険しかないと言いたいのだが、どうやら何か事情がありそうだった。
こんなきれいな娘、放っておくのはお調子者の流儀ではない。ここは事情を聴いて、できることなら力になろうかと、サムトーは思った。
「こんなところで立ち話もどうかと思うんだが、まだ宿を決めてなくてね。どこか、いい宿教えてくれないか。そこで話の続きをするのはどうかな」
「分かりました。実は家が宿屋なのです。山風亭と言います。そちらでよろしいですか」
どうやら話はまとまったようだった。さて、どんな事情だろう。
「名乗るのが遅れたな。俺は旅の剣士サムトー。よろしく」
「山風亭のメイベルです。よろしくお願いします」
サムトーはメイベルの案内で、商店街の宿屋へと向かった。
「ただいま、戻りました」
宿に入ると、やはり一階は居酒屋、泊る部屋が二階より上という、他の町と共通の造りになっていた。メイベルの挨拶に女将が笑顔で応えた。
「お帰りメイベル。剣士さんを連れてるってことは、護衛の人、決まったんだね」
「いえ、それはまだ。これから話をするところなの」
「そうかい。いい男だし、ぜひ引き受けてもらいたいね。私は女将でメイベルの母、レベッカだ。よろしくね剣士さん」
「サムトーだ。よろしく」
「サムトーさん、宿が決まってないそうです。家で一泊してくれるって」
「そりゃありがたい」
荷物を背負ったまま話すのも邪魔なので、宿賃に銀貨一枚を支払い、部屋の鍵をもらって荷物を置きに行く。
テーブルの一つに席を取り、メイベルと向かい合って座る。
「さて、何でまたメイベルさんは荷運びを? 宿屋やってるのに交易なんてしようっていう理由から聞きたいな」
サムトーらしく遠慮のない質問だった。メイベルが眉をひそめ、ため息をつくように言った。
「これは内緒にして下さい。実はうちは借金を抱えてしまって、その返済のために、大きな稼ぎが必要なんです」
「何でまたそんなことに。闘技場の客が泊るだろうから、よほどでなきゃ金に困るようなことはなさそうだけどなあ」
「お恥ずかしながら、父がその闘技場で大損したんです」
「……それはそれは」
サムトーは呆れた。人同士、時には人と猛獣を戦わせ、その残酷な見世物を賭博として楽しむのが闘技場だ。そこには奴隷剣闘士も大勢いて、奴隷主である剣闘士の親方に過酷な生活を強いられている。そんなもののために、小金を失う程度ならまだしも、借金までこさえるとは。だが、旅費の大半を賭博場で稼いでいるサムトーにも、人のことは言えないだろう。
「利息を含めて金貨十二枚。宿の収益からひねり出しても、月に金貨一枚返せるかどうかなのです。返済が遅れるほど利息が増えますから、一気に返す方法はないか考えていたところ、お金を貸してくれた宝石商のバステロさんが、交易をすれば、一度に大きな稼ぎができると教えて下さって。ポルデンのワインはここヘルツブルグで高値で売れると。卸売市場でも、確かにそうなっていました」
何だかきな臭い話になってきた。金貸しが儲け口を紹介した裏には、どこかで荷を奪うことも計算の内なのではなかろうか。護衛の少ない単独の荷馬車を襲って、儲けを横取りというのはいかにもありそうな話だ。
「馬車一台に荷物を満載して、ポルデンの町でも必需品を売れば、宿代などの経費を除いても、計算上では金貨十二枚にはなるはずなんです」
メイベルには、これで借金を返済できるという確信があるようだった。まだ十代の娘なのに大したものだと思う。道中なにもなければ、だ。
「話は分かった。そこで護衛を雇いたいということだな。報酬は?」
「金貨一枚でどうでしょう。宿代などの経費はこちらが持ちます」
「それでいい。なら、俺が護衛しよう。……と言いたいところだが、いくつか問題があるぞ」
「と、いいますと」
「第一に、たまたま卸売市場で話し掛けただけの俺を、こんなに簡単に信用していいかどうかだ。俺が悪い奴だったらどうする?」
「それは、きちんと契約書を作れば……」
「そんな紙切れ、保証人がいなけりゃ効力はないぞ。俺かメイベルか、どちらかが違反した時、代わりに損失を補填する人間だ。その人にも金貨で何枚か払うことになるなら、結局儲けが足りなくなる。足りなくても妥協するくらいなら、初めから交易なんて賭けには出ないだろ。つまるところ、俺のことを信用できるかどうかだ。さあ、どうする?」
これまでの旅で、こうした事務仕事をしている人達と出会い、話を聞くことで、サムトーにも契約についての知識が多少あったのだ。
「……」
メイベルがサムトーをじっと見つめた。人物鑑定には自信はない。この人が信用できるかどうか、交易も含めてほとんど博打である。それでも早く借金を返さないと利息が大変なことになるので、勝負に出ようと思ったのだ。
さすがに、この剣士のことをもう少し知らないと判断できない。そこで、情報をもう少し取ろうと思ったらしく、質問してきた。
「一つだけ聞かせて下さい。一人旅を始めてどのくらいですか」
「半年ちょいだな。その前は旅芸人の一座にいた。さらに前は猟師達に世話になってたな」
メイベルが首を傾げた。旅芸人も猟師も縁のない人々だ。見かけたこともない。知っているのは、少人数で見世物をやっている旅の大道芸人程度だ。ちょっと想像のつかない出自だった。
「先に、他の問題点を聞いてもいいですか?」
「そうだな。二つ目は、父親には、この先一切賭博をやらせるな。一度深みにはまると止めるのは難しいそうだが、そこは何とかして欲しい」
「その点は大丈夫です。母と二人で厳しく言いましたし、余分なお金を持たせないことに決めましたので」
「分かった。ちょっとだけとか言って、一度でもまたやるようなことがあれば、同じことを絶対繰り返すから。一度でも許したらダメだってことは、よく承知しておいてくれ」
サムトーも賭場で稼いでいるので、負けが込んでいる連中が、いつまでも『あと少し』とやり続ける様子を見ている。恐ろしい習慣性だと思った。そういう自分も勝算のない時は、手を出さないよう戒めるべきだろう。とは言え、カードの中期戦なら負ける気がしないのも、正直なところだ。長期戦だと微妙だが。
「分かりました。厳しくします。……まだあるんですよね」
「そうだ。今回の交易、うまくいけば確かに一度で大金が稼げるだろう。だけど、本来一人でやるべきことじゃない。さっきの保証人の件もそうだが、きちんと商売として仕事している人間のすべきことだ。だから、今回うまくいっても、繰り返そうとは思わないで欲しい」
仕入れたはいいが売値が思うようにならなかった場合や、損失が出た場合の補償などをどうするかなど、交易に伴うリスクを考えると、やはりこれは専門家の領域だろう。本来素人が手を出すものではないはずだ。それを承知で勧めてきた金貸しのバステロという人物には、信用しきれないものを感じたのだった。
「もちろんです。今回は借金が大きすぎるので、返済のために止む無くやるんです。私も宿の仕事には誇りをもってますから、そちらの方を大事に考えています」
「了解した。さて、一旦話を切り上げてもいいかな。風呂に行ってくる。お母さん達ともよく相談して、夕食の時にでも、雇うかどうか返事を聞かせてくれ」
話すべきことは話した。サムトーとしては、信用されたらそれにしっかり応える気でいる。だが、口で何を言っても、それは嘘かもしれない。本当か噓かを見抜くことは、案外と難しいものである。人は意外と簡単に騙される生き物だ。金貸しの口車にメイベルが乗ってしまったように。
サムトーは部屋に戻って支度すると、公衆浴場へと出かけて行った。
サムトーは、元奴隷剣闘士である。
十才までは養護施設で育ったが、ある日人買いにさらわれ、奴隷剣闘士を抱える親方に売り飛ばされたのだった。以後八年間、奴隷剣闘士として過酷な環境を生き延びてきた。
昨年、神聖帝国歴五九六年五月、百名ほどの仲間と共に反乱を起こした。半数ほどの仲間が逃亡に成功し、そのうちの一人がサムトーだった。逃亡奴隷は例外を除いて処刑される。生きるためには、とにかく逃げ続ける必要があった。
逃亡直後、山中を逃げている時に猟師達に救われ、三月ほど彼らの村で暮らした。その後、素性を知られる危険を避け、旅芸人の一座に身を寄せる。ここでも三月ほど同行したが、事件をきっかけに素性が明らかとなりそうになったため、一人旅を始めた。
十二月、北にある城塞都市グロスターで、事件に自ら首を突っ込み、その解決のために奔走。結局、新年祭までその街の雑貨屋で世話になった。二月には町中から疎外されていた少女を助け、二週間ほど旅の相棒にしていた。三月の上旬は伯爵令嬢の手助けをした。中旬は親友となった女騎士と楽しく過ごし、下旬には自分に悩む侯爵家の侍女を救った。四月は粗略に扱われていた宿の少女を救った。
風呂に入りながら、逃亡を始めてからそろそろ一年になるなあと、しみじみ思った。素性を疑われるような事もほとんどない。これなら一度、かつて世話になった、猟師達の村スニトに立ち寄っても良いかもしれない。この先の旅では、北東にあるスニトの麓、トルネルの町を目指してみようかと、風呂でくつろぎながら考えていた。
風呂を出た後は、山風亭に戻ってエールを一杯注文した。この半年の宿屋生活で、エールを飲まなかった日は多分ない。それほどこの体に染みる一杯が気に入っていた。
夕方なので、帰りに一杯という客がちらほらと見える。それをのんびり飲みながら眺めていると、メイベルが覚悟を決めた表情で近づいてきた。
「サムトーさん、あなたを雇うことに決めました」
そう言って、契約書を二通差し出してきた。二つとも同じ文面だ。
文面にいわく、メイベルを雇い主とし、サムトーを雇い人とする。契約の期限は、メイベルがヘルツブルグで商品を仕入れ、ポルデンの町で売却、ポルデンで商品を仕入れ、ヘルツブルグで売却、その全てが終わるまでとする。サムトーはメイベルの安全を確保し、決して害の及ばぬようにすること。以下、必要と思われる事柄がしっかりと書いてあった。ただし、保証人は女将である。反故にしようと思えば簡単にできてしまう。それと承知で作成したのだろう。
「分かった。信用された以上、それにはきちんと応えよう」
サムトーがペンを借りて契約書にサインする。これで契約成立だ。
「仕事は明日からかな」
「はい。明日、朝一番に仕入れて、その足でポルデンへ向かいます。これから貸し馬車屋に行って、八日間の契約で借りるつもりです」
思わずサムトーが指折り数えてしまった。仕入れた足で出発して片道四日、ポルデンでも一泊のみなら、確かに七泊八日で往復できる。無駄な時間を使わず、宿代や馬車代などを節約したいのだろう。強行軍である。
サムトーは残っていたエールを一気に飲み干した。
「なら、契約期間外だが、俺も同行しよう。どんな馬車なのか先に見ておきたいしな」
という口実で同行を申し出た。正直なところ、まだ年も若いメイベルが、馬車の目利きができるか心配だったのだ。
「分かりました。……って、そろそろ丁寧語、疲れてきたわ。契約も成立したし、普通に話しましょ」
どうやら相当肩肘を張っていたらしい。軽く笑顔を浮かべると、急に砕けてきた。素の方が話しやすいのはサムトーも同じだ。
「もちろんそれでいい。まあ、俺だけ雑な言葉で悪かった。これでお互い遠慮はなしだな」
「うん。じゃ、行きましょ」
きれいな顔立ちだが、丁寧な口調だった時より、今の活発な感じの方が似合っている感じだ。サムトーを雇う覚悟の決め方といい、思い切りの良い性分の女性なのだろう。
二人は貸し馬車屋へと連れ立って行った。
東門の近くに、貸し馬車屋がいくつかあった。相場は馬と荷馬車一式で一日銀貨五枚。結構な値段である。
そのうちの一軒を訪れる。
「ここの店主の息子が小さい頃からの知り合いなのよ」
折よく、その相手が現れた。二人と同年代の若い男性だった。
「やあ、メイベル。うちに用事なんて珍しいね。それに、そちらの男の人は誰だい?」
「こんにちは、マルク。明日から、七泊八日の契約で荷馬車を一式借りに来たのよ。こちらはサムトー。私が雇った護衛の剣士よ」
「荷馬車に護衛? 君の家、宿屋だろ。何でそんなの必要なんだ」
「交易するの。ポルデンにワインを仕入れに」
「ああ、なるほどね。ポルデンのワインは高値で売れるから。でも、そんなことするくらい、お金に困ってたのかい」
「それはまあ、聞かないで頂戴。とにかく、馬と荷馬車を見せて」
「分かった。じゃあ、幼馴染の頼みだ。なるべくいいのをお勧めするよ」
マルクの案内で、まずは馬房へ。馬が二十頭ほど厩につながれていた。乗用馬に比べて一回り大きな輓馬だった。そのうちの一頭の前で立ち止まる。
「メイベルは馬車使うの初めてだろ。このサントスなんか、頭も良くて、言うことを良く聞いてくれるよ」
サムトーが感心しながら見ていた。どの馬も良く面倒を見られていて、つながれた状態でも機嫌がいい。馬房の清掃も行き届いている。いい仕事をしているなと思った。その彼が勧めるのだから間違いないだろう。
「よろしくな、サントス」
挨拶にその首筋を叩いてやる。確かに賢い。分かったとばかり、サントスが顔をサムトーに近づけ、軽くこすりつけてきた。
メイベルが軽く驚いていた。剣士なのに馬になじむのが早い。当のメイベルは思った以上の巨体に圧倒されて、少し腰が引けていた。
「じゃあ、このサントスにするわ。あと荷馬車ね」
「それはこっちだ。まあ、うちは二種類しかないけどね」
背の高い物か通常の幌付きの二択だった。人手がないので、雨が降った時に雨避けの布を張ったり外したりするのは大変だろう。結果、普通の幌付きになった。マルクが、その中でも、足回りが比較的良さそうなものを選んでくれた。サムトーの目から見ても問題はなかった。親切な幼馴染である。
「よし、これで決まりね。じゃあマルク、明日八時の鐘で取りに来るわ。お金は後払いでお願い」
「毎度あり。じゃあ、八日分の金貨四枚は後払いで、と。でも、保証金に金貨一枚は頂くよ」
金貨一枚は銀貨二十枚に相当する。かなりの出費である。だが、馬車に何かあった場合、損失補填のための保証金は絶対必要なのだ。もちろん、無事に馬車を返却できれば、保証金は戻ってくる。
「分かったわ。じゃあ、契約書、お願い」
契約書にはすでに決まった書式ができていて、あとは必要事項を記入するだけとなっていた。日数と行き先、予定の積み荷、日付を書き込み、サインをして完成である。それを同じように二通作成する。片方は貸し馬車屋の保管、もう一通は借りた者が持つのである。
「これでいいわね。じゃあ、マルク、明日八時よろしくね」
念を押すと、メイベルが保証金を払って立ち去る。サムトーが後に続く。
「卸売市場に話を通しに行きましょう」
すたすたと軽快な足取りで歩いていく。もう夕暮れを過ぎて、市場も閉まっている時間だ。窓口だけは、仕入れや荷下ろしの予約、伝票の支払いのために、まだ開いていた。
窓口では中年男性が読書しながら時間をつぶしていた。
「おや、また来たのかい。お嬢さん」
「メイベルよ。明日、仕入れに来るから予約票をちょうだい」
「あいよ。店の仕入れかい?」
「いいえ、交易するのよ。ポルデンまで」
受け答えをしながら、仕入れ一覧表に塩、砂糖、布類、金物などを書き込んでいく。塩や砂糖は三十キロの袋を二十。布が十巻き。金物は鍋や包丁が二十ずつの他、スプーン、フォーク、おたまなどの小物も百本ずつ。荷馬車が満載になる量だ。一覧表には金額を記載する欄があり、それによると仕入れ値合計が金貨八枚になる。先程までと同様、書面は二通必要なので、もう一枚にも同じように記入していく。終わったらサインも同じだ。この時代、複写紙はまだ実用化されていなかった。
受付の男性が、二通を見比べて同じであることを確認し、サインする。
「朝一番に仕入れに来るのか。気を付けておいで」
親切にそう言われて、メイベルが、ありがとう、と返事を返した。
これで用件も終わりである。二人は宿に戻って、夕食を取ることにした。
「ごめんね、サムトー。すっかり遅くなっちゃったわね」
メイベルも、今日は宿の仕事を免除されているらしい。サムトーと向かい合って、一緒に夕食となった。
パンとシチュー、ゆで野菜、それに早くも初物のソーセージが付いていた。冬の間は飼育コストが高いので、豚などは最低限を残して秋に屠畜するのだ。春になって出産が済んだらまた屠畜が始まる。今は五月上旬なので、この時期が初物になるわけだ。その分、値も張るから、これは料理長であるメイベルの父親のサービスということらしい。親切なことだが、それが闘技場で負けが込んでも、やめられなかった心の弱さにもつながっていた。
その父の気持ちが娘には伝わったらしい。メイベルが苦笑していた。
「まあ、せっかくだし、頂きましょう」
「いただきます」
夜も更け始めた頃合いだった。周りはほとんど飲み客ばかりである。少し遅めの夕食で、とりあえず空腹を満たす。賭博にのめり込む割には、父は料理の腕が良かった。
食べ始めてしばらくして、その父親が姿を見せた。
「料理長のエルトンです。メイベルの父になります。この度は、サムトーさんにお力添え頂きありがとうございます。どうか、娘が無事に戻って来れますよう、よろしくお願い致します」
そう言って深々と頭を下げた。自分の借金が原因で、娘がこんな無茶をするのだと知っていた。それだけに頼み方も誠心誠意だった。契約書もあるから、妙なことは起きないだろうと思いつつ、不安が多少残るのだろう。あとはこの旅の剣士次第だと、頼み込むような目をしていた。
「これはご丁寧に。旅の剣士サムトーです。全力を尽くしますので、どうかご安心を」
期待を裏切っては悪かろうと、サムトーも誠意を見せて答えた。
女将のレベッカまでもが、息子を連れてやってきて、頭を下げる。
「サムトーさん、本当に助かるよ。よろしく頼むね」
「ぼくは弟のアドニです。姉さんのこと、よろしくお願いします」
一家全員から信頼を寄せられ、直接お願いされては、さすがのサムトーも恐縮した。それでも、努めて明るく答える。
「まあ、お任せ下さい。しっかりお守りしますよ」
それでは、と言って、三人はそれぞれの仕事に戻る。息子ももう十二で、厨房で手伝いをしていたのだった。
「お人好しでしょ、うちの家族。だから、私も家族のために何かしてやりたいって思ってね。それに、私の全財産つぎ込むんだし、今回の交易、絶対成功させたいわ」
そう言って、メイベルがソーセージにかぶりついた。もぐもぐやりながらも目が真剣で、相当の覚悟で事に臨んでいるのが分かる。そうなると、気になるのが信用した理由だった。
「なあ、メイベル。何で俺のこと信じる気になったんだ」
ごくんと飲み込んで、メイベルが答えた。
「一つは条件を付けてきたこと。あんな忠告わざわざしてくるなんて、お人好しなんだろうって思ったのよ。それから出自ね。猟師や旅芸人なんて、他人と協力しないとできない仕事でしょ。そんなことしてたのなら、いい人なのかなって思ったの。それに、手助けしてやろうって雰囲気が、すごく感じられたから。きっといい人だろうって、信じようと思ったのよ」
「なるほどなあ。でも、俺が悪人でも恨むなよ」
サムトーの切り返しはメイベルの笑いを誘った。
「やだ。悪人は自分からそんなこと言わないわよ。ところで、年はいくつなの。二十五くらい?」
まあこんな見た目だ。年を多めに見積もられるのも仕方ない。
「これでも一応十九。まあ、見えないかもだけどな」
「うっそ。私とあんま変わんないじゃない。私は十八」
「そっか。じゃあ気兼ねなくていいな」
「そうね。私もサムトーって呼び捨てにさせてもらうわ」
食事をしながら、互いに得意、不得意などを教え合った。サムトーは大体のことができるが、料理や裁縫など、家庭的なことは苦手だった。メイベルは宿の仕事をしている関係で、掃除、洗濯、料理に裁縫、一通りのことはできるが、旅は家族と出かけたことがあるだけで、初めてと言って良かった。
「正直、馬の扱いとか自信ないわ。サムトー、頼りにしてるから」
そんな具合で、一日と経たないうちに、二人は気兼ねなく話ができるようになっていた。どうやら性質的に気が合ったようだった。
最後にエールを酌み交わして、サムトーが旅の経験談から、気を付けた方が良いことなどを話して、その日は終わりになった。
翌朝。明るくなったところで適当に起き出す。日の出より少し早い。
まずは井戸端へ行き、水を一杯飲む。体を覚醒させるためだ。その後、鞘ごと剣を素振りする。基本の型だけ六種類、左右百本ずつ。一人旅ではいつ何が起こるかわからない。自衛のための鍛錬は毎日欠かしていなかった。素振りを終えると、また水分を補給する。
部屋に戻って一休みした後、一階に下りて朝食をもらう。メイベルも旅の服装をして、サムトーを待っていた。
「今、朝食持ってくるわね」
メイベルが二人分の食事を運んできた。
「いただきます」
二人で一緒に食べながら、今日の予定を確認する。
マルクの所で荷馬車を借りて卸売市場へ。そこで予約票の品々を積み込んでもらう。代金を支払ったら、東門を出て、次の宿場であるモニスの町へと向かう。昼食は父が用意してくれたのを持っていく。途中休憩を三回ほど取る。モニスの町に着いたら、馬車の預り所がある宿を取る。
食べ終わる頃には確認も終わり、いよいよ出発である。メイベルの家族三人が見送ってくれた。
「じゃあ、いってきます。留守の間、よろしくね」
「ああ。メイベル、くれぐれも気を付けて。無事に帰っておいで」
心配そうな視線に見送られながら、二人は山風亭を後にした。
しばらく歩いて、昨日のマルクの所に着く。馬車はもう用意してあって、後は乗り込むだけだった。
「ありがとう、マルク」
「メイベル、気を付けて。じゃあ、いってらっしゃい」
意気揚々と手綱を握ったメイベルだったが、そこで凍り付いてしまった。
「ごめん、サムトー。お願いしていい」
馬車を操るのは初めてで、さすがに自信がないようだった。さもありなんと、サムトーが手綱を受け取る。
「あいよ。それじゃあ、卸売市場だな」
出発の合図を出して、馬車を出発させる。馬のサントスは賢く、きちんと言うことを聞いてくれた。通りの流れに乗り、着実に進んでくれた。
「ごめんね。最初から頼りっぱなしで」
「いいってことよ。これも契約のうちさ」
サムトーには旅芸人の所で馬車を動かした経験があった。それがこんな所で役立つとは思いもよらず、サムトーは面白いものだと感じていた。
道を曲がるのも問題なく、卸売市場に到着する。
窓口で積み荷の受け取り口を確認し、馬車をそこへと向かわせる。馬車は後退できないから、入り口の近くでぐるりと方向転換して、荷馬車を建物の方に向ける。積み荷は注文した一覧表の通りに用意がしてあって、後は積み込むだけだった。
積み込み担当の係が予約票を受け取る。手元に持っていた一覧表と照合して確認する。それが済むと、卸売市場の雇い人達に指示して、積み荷を荷馬車へと積み込ませていった。
メイベルが予約票に受領完了のサインをする。それを持って再び窓口へ。そこで代金の金貨八枚を支払い、積み込みと手続きが完了した。
「それではメイベルお嬢様、出発いたしましょう」
お調子者らしく、ちょっと格好つけて言ってみる。それが通じたようで、メイベルも乗ってきた。
「ええ。よろしく頼みましたわ」
二人は声を上げて笑った。
東に向かう街道に出て、あとは真っ直ぐ進ませるだけである。
やがて城門をくぐり、開けた場所に出た。ここまでくれば手綱をメイベルに預けても良いだろう。
「右に軽く引くと右に、左に引くと左に曲がるんだ。止まる時は強めに両方を引っ張る。進ませる時は、軽く振って叩く。せっかくの機会だから、練習してみなよ」
サムトーが説明すると、街中と違い、ひたすら街道をまっすぐ進ませるだけならと、メイベルもうなずいた。すれ違いに気を付けるのと、休憩の時、道を外れる程度の操作なら何とかなりそうだった。
「分かった。やってみる」
手綱を受け取ると、軽く右に引いてみる。馬のサントスはやはり賢く、御者が変わってもきちんと指示通り動く。右に曲がりすぎると街道を出てしまうので、今度は左に引く。すると一旦街道に沿って真っ直ぐに進み、それから左の方へと逸れ始める。もう一度軽く右に引く。街道に沿って真っ直ぐになったところで左に引いて、進路を真っ直ぐに固定した。
「良かった。これくらいなら、私でも何とかなりそう」
初めてだがうまくできて、メイベルがほっとしていた。
「じゃあ、次の休憩で代わるよ。それまで、道を外れないようにするのと、すれ違いだけ気を付けて」
「分かったわ。でも、馬車から見る景色って、目線も高くて、ちょっといいわね。それに、いつも街の中だから、建物が少ない景色って新鮮」
人がちょっと早歩きする程度の速度で、のんびり馬車を歩かせていく。街道は舗装されているので、揺れも少なく快適である。なのだが、馬車に揺られるだけで、他にすることはなく、結構暇だった。今日は日暮れ頃まで、この時間が続く。
「ねえ、サムトー。一人旅だと、歩いてる時とか、退屈しない?」
「まあね。そこはそれ、考え事したり、逆に景色を眺めてぼーっと何も考えなかったり、適当に時間を過ごすもんだ」
なるほど、とうなずきながら、メイベルが言葉を続けた。
「今回は二人で良かったわ。それに、サムトーが無口な人じゃなかったのも助かるわね。暇になったら、こうやって何か話せるし」
「それは言えてるな。以前、何日か旅のお供がいたことがあって、その時は楽しかったものだよ」
そこへ反対方向から馬車がやってきた。今は道の左側に馬車を寄せているので、このまま真っ直ぐ進めば無事にすれ違えるはずだ。それでも初めてのメイベルは、手綱を握りしめて、いつでも方向転換できるように備えた。
しばらくして、向こうの馬車が迫ってくる。見た感じ、大丈夫そうだ。サムトーが片手を上げて挨拶した。メイベルもそれに倣う。向こうの馬車の御者も、愛想よく手を上げてくれた。そしてすれ違いも無事に終わった。
「大丈夫だと分かっていても、ちょっと緊張したわ。それにしても、このサントスって馬、賢いのね。全然余裕で歩いてたもの」
メイベルが軽く笑顔を浮かべてサムトーを見た。出発の時点で頼ってからは、本当に信頼できる相手だと確信できたらしい。とても気安かった。
そうこうしている間に時間は過ぎ、日もかなり高くなっていた。一度休憩を取ろうとサムトーが提案し、メイベルも同意した。
「俺達より、サントスを休ませてやらないとな。左手奥に小川が見えるだろう。そこに乗り入れるぞ。手綱用意して」
メイベルが手綱を引いて、馬車を左手に行かせる。街道を外れると未舗装だ。草地だが、地面の凹凸が直に伝わり、かなりガタガタした。
「ちょい右」
サムトーの言葉に従い、軽く手綱を引く。
「そのまま、真っ直ぐ。……もうちょい。……よし止めて」
街道から百メートルほど離れた場所で馬車を止めた。川まで十数メートルくらいだった。サムトーは御者台を降りると、馬の首輪についていた皮ひもの金具を外し、馬車から解放してやった。メイベルも降りてきて、サムトーの手際を見ていた。
「ふーん、そうやってつないでたんだ」
メイベルは、馬車の扱いなど初めてなので、感心して見ていた。もし雇った剣士が馬の扱いを知らなかったら、大変な事になっていた。偶然サムトーが声を掛けてくれてよかったと、しみじみ思っていた。
そして手綱を引いて川縁まで連れて行く。馬のサントスも水を飲ませてくれることを良く分かっていて、うまそうに川の水を飲み始めた。
ある程度飲むと満足したようで、今度は手近な草を食べ始めた。それを無理強いせず、噛んでいる間に引いて馬車の方へ向かわせる。ゆっくり食べさせながら馬車まで来ると、サムトーは手綱を金具につなぎ、周辺の草を自由に食べさせてやった。
「こんな具合で、後二回は休憩取った方がいいだろうな」
「分かったわ。ありがとう。すごく助かる」
何とも頼もしい同行者だった。御者や馬の世話が板についている。これで剣を帯びているのが不思議なくらいだ。
「座りっぱなしって、思ったより疲れるわ。ちょっとこの辺りを見に行ってもいい?」
「馬車の見える範囲なら大丈夫だ。俺も少し歩きたいから、一緒に行こう」
二人は川縁に沿って歩いてみた。結構な数の小魚が泳いでいる。川の向こう、奥の方には森が見える。空気も春らしく澄んでいて、気分がいい。
周囲をのんびりと一緒に散歩していると、互いに昨日会ったばかりだというのが信じられないくらい、二人はなじんでいるのを感じていた。サムトーはお調子者だけに陽性の質で、メイベルも給仕などで客あしらいに慣れていて、人怖じしない達だった。相性も良いわけである。
「旅って楽しいね。ヘルツブルグの街を出たことほとんどないから、すごく新鮮だし。……まあ、一人じゃこうはいかないけど。これもサムトーのおかげだね。ありがとう」
気分が解放的になっていたメイベルが、笑顔で言う。
「そいつは良かった。何事も楽しいのが何よりだ。……さて、そろそろ出発するか」
「そうね。サントスも十分食べたことでしょうし」
二人は馬車に戻ると、馬のサントスに一声かけて首筋を叩く。その動きで出発を察知したのだろう。馬車の引綱につなぐ時も大人しくしていた。それから御者台に乗り込む。
「じゃあ、俺が手綱を取るよ」
「よろしく。じゃあ、行きましょう」
合図を出すと、サントスがゆっくり歩き始める。馬車は街道に戻ると、また東へと進んでいった。
馬車は順調に進んでいた。昼食休憩も含めて、二回ほど休憩を取り、予定通りに行程を消化した。日が傾き、空の色が変わり始めた頃、最初の宿場町モニスに到着した。人口は五千人ほどと、規模は小さめの町だ。
サムトーは普段は街道沿いの宿屋は使わない。値段が高いからだ。だが、馬車が一緒なら話は別だ。馬車の預り所を抱えた宿でなければ困るのだ。そして、当然ながら、そういう施設は街道沿いにしかない。
看板に蒼樹亭と書いてある宿の前に馬車を止める。メイベルが馬車を降りて、宿の中に入り手続きをする。積み荷のリストを確認し、宿が控える。盗難や破損などがあった場合、宿がそれを弁償することになる。
しばらくして、宿の雇い人が馬車を誘導しに来た。それに従って、預り所の中へとサムトーが馬車を進ませる。雇い人がリストを元に積み荷を確認し、今度は馬を厩へと案内する。これもサムトーが馬のサントスを引いて、そこへ連れて行った。
馬車の預かり代は人間の二倍、銀貨二枚だ。それに二人一泊で銀貨三枚。合計五枚とかなり割高になるのだった。通常は一人一泊銀貨一枚だ。
そして、ここでサムトーが激しく驚いた。全く予想外の事態だった。
「ちょっと待て。何で同じ部屋なんだ」
メイベルが部屋を頼んだはずだった。年頃の娘が、一体何を考えているのやら。身の危険は感じなかったのだろうか。
「え、何でって当たり前じゃない。サムトーは私の護衛なんだから、寝る時もちゃんと守ってくれないと」
そっちの危険は考えていたようだ。もし宿に賊が入ったら、とか。宿の人が悪人だったら、とか。いや、俺、若い男なんだけど、こっちの危険はどう思っているんだろう。
「いや、俺に襲われるとか、そういうこと考えないわけ?」
「何言ってるの。サムトーがそんなことするわけないじゃない」
ごく軽い口調だった。信頼されているのか無警戒なのか。素でそんなことを答えるメイベルだった。
「いや、それでも着替えとか、見られたら嫌じゃないのか」
「別に。見るだけなら減るもんじゃないし。気にしなくていいわよ」
以前旅を一緒にした少女は十一才と十二才だったが、二人にはちゃんと女性としての配慮をしたんだがなあ……。メイベルという娘は規格外なのだろうか。実にあっさりとしている。
さすがに参った。前に旅芸人の一座と一緒の時、妙齢の女性と一緒に雑魚寝をした経験くらいならある。他の仲間も一緒だったから気にしなかったが、今回は二人きりだ。理性の限界を試されているのかもしれない。
「うーん、困ったなあ」
「困ることじゃないわよ。旅の仲間なんだから、部屋が一緒なのも普通じゃない、普通」
さすがのお調子者サムトーもたじたじである。しかし、せっかくだから貴重な経験を堪能させてもらおうかと、気持ちを切り替えた。
「分かった。手は出さないよう努力する。もしダメだったら、勘弁な」
大真面目に答えると、メイベルが声を出して笑った。
「ははは、おかしいよ。私、心配してないから。サムトーなら、絶対大丈夫だって。変なことしないって信じてるから」
本気でそう思っているようだった。サムトーが両手を上げた。
「降参。メイベルには敵わないな」
二人で一緒の部屋が確定した。
鍵をもらって泊まる部屋に行く。ここも一階は居酒屋兼料理屋で、部屋は二階だった。ベッドは二つ。この時ばかりは、一つじゃなくて良かったと、しみじみ思ったサムトーだった。一緒だったら、さすがに我慢できる自信はない。
「さ、お風呂行きましょ」
荷物を置くと、さっさと着替えを用意したメイベルが声を掛けてきた。この宿にも風呂はない。公衆浴場へ行くのである。
「へいへいっと。行きましょうか、お嬢様」
軽口で答えると、サムトーも支度を済ませ、二人一緒に出かけるのだった。
風呂から宿に戻ると、エールを注文する。エールとはビールの一種で、大麦麦芽を常温で短期間で上面発酵させて醸造されたものである。ホップも使い、複雑な香りと深いコク、フルーティーな味で、飲みやすい。メイベルも、もちろん飲むと答え、二杯頼んだ。ちなみに神聖帝国では飲酒に年齢制限はない。
「初日が無事終わったことを祝して、かんぱーい!」
メイベルが明るく言う。本当にきれいな顔立ちの割に、陽気で豪快で、無邪気で無警戒で、憎めない人柄だと思う。知り合って丸一日くらいだが、すでに一緒にいて楽しいと思えるようになっていた。
「よっしゃ、かんぱーい!」
サムトーが応えて、ジョッキを合わせる。同時に軽くあおると、ぷはーっと息を吐きだす。
「今日を入れて三泊でポルデンね。初日は順調。サムトーありがとね」
メイベルも上機嫌である。それにしても元気の良いことである。旅の相方がこうだと、退屈しないで済む。
「お役に立てて何より。メイベルも馬車に慣れてきたし、この調子なら最後まで順調に行けそうで良かった」
「情報通り、積み荷がちゃんと売れれば、ワインの仕入れもできて、ヘルツブルグに持ち帰るだけ。このまま何もなければ楽勝だわ」
「まあ、売り買いについてはちょっと不安があるよな。売り先やワイナリーのつてがあるわけじゃないんだろ」
「売り先はポルデンの問屋ね。卸売市場はないから。粉問屋、布問屋、金物問屋に売るっていうことは確かめてあるわ。ワイナリーはそこのお店で聞いてみるつもり」
「なるほど、ちゃんと考えてるんだな」
「そりゃね。全財産はたいてるんだし」
二人がまたエールをあおる。のどごしが良く、爽やかな香りが鼻腔に抜ける。後味はコクがあって心地良い。
「うーん、そこなんだよな。金貸しのバステロって人が、今回の交易を勧めてきたんだろ、一度に大きな稼ぎができるって。俺は正直、何か裏があるんじゃないかって思ってる」
「私も単純な親切心じゃないとは思ってるわ。けど、いい方法なのは事実だし、成功しちゃえばこっちのものだし。もし何かあったら、またサムトー頼みになっちゃうんだけど」
メイベルも野盗の類に襲われることを心配していた。だから、サムトーを雇ったのだ。護衛だけじゃなく、馬車のレクチャーまでしてくれる多芸で親切な人で良かったと、偶然の出会いに感謝していた。
「ところでメイベル、武芸の心得は?」
「酔っ払いの尻をほうきで叩いて追い出すくらいね。人と戦うのは残念ながら無理だわ」
「じゃあ、俺一人で叩きのめすってことだな。了解した。まあ、何事かあっても何とかするから、その時考えようぜ」
お調子者らしく、問題の先取りは脇に置いておくことにした。
「そうね。ま、何とかなるでしょ」
メイベルも能天気な質だった。
エールを飲み終わると、夕食を頼む。
二人は雑談を交わしながら、きれいに食べ尽くしたのだった。
部屋に引き上げてからも、雑談は続いた。
話題は次々に代わって、今はサムトーの剣の腕前の話になっていた。
「うーん、それなりには強いつもりでいるけどね。野盗と言っても、油断ならない腕前の相手だと、ちょっと厳しいかもなあ」
サムトーにしては、最大限の謙遜である。以前通り過ぎた侯爵領で、二番目に強かった公子を一方的に破ったことがある。サムトーは、並の騎士などよりはるかに強いのだ。
「じゃあ、例えばどんな相手と戦ったの?」
「そうだなあ、旅芸人の所にいた時、剣を習ってた若者が仲間と一緒に襲い掛かってことがあってね。その時は七人ばかり倒したかな。最後の一人が剣術使いだったけど、腕が未熟だったから楽勝だった」
「何だ、結構強い剣士なんだね。じゃあ、安心だわ」
ついでに、サムトーは猟師の元にいた時、獲物を狩った時の話もした。
森の獣の命を奪うのは罪深いが、それも猟師達が生きていくためである。まだ動いている相手に止めを刺すのには、命を奪う罪悪感が伴う。それでも止めを刺し、命を頂くことに感謝する。
「獲物も殺されないよう必死で、だから、ちょっとの油断で危険がこっちに返ってくる。それでケガした仲間もいたしな。それでも生きるために、俺も何十頭という獲物に止めを刺してきた。そういう暮らしをしてたんだ」
メイベルが目を見張っていた。命のやり取りをする猟師の暮らし、その重さが実感として迫ってきた。
「だから、人間相手でも、それが危害を加えてくるようなら、遠慮なく叩きのめす。だから安心してくれ」
人間相手という言葉を聞いて、メイベルは闘技場を連想した。
「そっかあ。じゃあ、闘技場で剣闘士が命のやり取りをするって、見世物のために殺し合いをするわけでしょ。すごく残酷な見世物だよね」
メイベルがため息をついた。
「そんなものにお父さんはお金を賭けて、借金までこさえて、本当に馬鹿だわ。帰ったら、絶対二度とさせないようにするわ」
「それがいいよ。恨みもない相手と嫌でも斬り合って、うまく戦えば死なずに済むんだけど、裏を返せば下手すれば死ぬってことだ。本当にそんな無意味な殺し合いで、喜ぶ観客の神経が俺には理解できないな」
メイベルはサムトーの言葉に引っかかりを覚えた。もしかして、サムトーは剣闘士として闘技場で戦ったことがあるのではないだろうか。そう思ったが、言葉に出してはいけないような気がして、あえて話題を変えた。
「ごめんね、こんな話して。とにかく、サムトーが強いのは分かったし、私も安心していいのよね。卸売市場で声を掛けられた時は、何この人って思ったけど、こんなに頼りになる人に出会えて幸運だったわ」
サムトーもメイベルが話題を変えてくれたことに気付いていた。情の細やかな娘だと思った。きれいだし明るいし、サムトーも同じようにメイベルとの出会いは幸運なことだと思っていた。
「にしても、やっぱ、何この人って思ったわけね」
「あ、ごめん。言葉の綾というか、何というか」
「そりゃ思うよな。得体の知れない剣士に声掛けられたら」
「あはは。あんまり気にしないで、頼れる剣士様」
「そこで上手に返してくるのが、メイベルのいいとこだよな。一緒にいると楽しいよ。俺も声掛けて大正解だったなって思ってる」
「それって褒めてるよね? 褒めてるのよね?」
「褒めてる、褒めてる」
「ならいいわ。……あー楽しい。もっと緊張する旅のはずなのに、こんなんでいいのかな」
「無事に目的が達成できれば、途中楽しいのはいいことじゃないか」
「それもそうね。さ、そろそろ寝ましょう」
メイベルが片方のベッドにもぐりこんだ。
サムトーは明かりを消して、もう一方のベッドに入る。
「おやすみなさい、サムトー」
「ああ、おやすみ、メイベル」
メイベルは本当にサムトーを信用しているようで、無防備なまま目を閉じて、やがて穏やかな寝息をたて始めた。サムトー、生殺し状態である。
「いや、相手が年頃の女性だと思うからいかん。前みたいに、旅の相棒だと思うことにしよう」
メイベルの寝姿を見ないように反対の方を向くと、サムトーも目をつぶって、相手は相棒と呪文のように繰り返したのだった。
翌朝、起きたのはほぼ同時だった。
「おはよう、サムトー。本当に何もしなかったのね。さすが信頼できる相棒だわ」
朝一番にこれである。サムトーが苦笑しながら挨拶を返した。
「おはよう、メイベル。でも、その話題は勘弁してくれ。それから、その相棒ってのはいいな。守らなくちゃって気合が入るよ」
そう言ってベッドから起き出し、長い方の剣を鞘ごと手に取る。メイベルが不思議そうに見ていた。
「ああ、剣の素振りをするんだよ。毎朝の習慣でね、必要最低限の鍛錬なんだ。ついでに水も飲むと、体が目覚めて具合がいいんだ」
「そうなんだ。じゃあ、私も行く」
二人は連れ立って井戸端へとやってきた。水を汲んで飲む。確かに、寝ている間に乾いた体に染み渡る感じがする。
そしてサムトーは鞘ごと剣の素振りを始めた。六種類左右の腕で百本ずつである。かなりの速さだが、軌道も姿勢もぶれることがない。
「はあ、強いとは思ってたけど、素振りだけでも、こんなにすごいなんて思わなかったわ。本当に腕が立つのね」
メイベルが感想を口にする。素人目にも難しさが分かった。
「このくらいできなきゃ、一人で旅の剣士なんてできないさ」
素振りをしている間にも、話をする余裕くらいある。
物珍しそうにメイベルが見守る中、しっかり素振りを終わらせた。
サムトーが水をもう一杯飲んでから声を掛けた。
「お待たせ。一旦部屋に戻ろう」
「そうね、まだ朝食には早いし」
二人は部屋に戻ると地図を広げた。今日の行程の確認である。途中、やはり川の近い場所がいくつかあり、そこが休憩場所になるだろう。夕方になる前には、次の町コレットに着くだろう。昼食はパン屋で買い出しておく。水筒にも水を汲み忘れないよう気を付ける。そんなことを話し合って、朝食へと向かう。
さっさと平らげると、身支度を済ませ、宿に鍵を返す。厩へと案内してもらい、馬のサントスを連れ出し、馬車へとつなぐ。宿の雇い人に礼を言うと、モニスの町を出発して次の町へと向かうのだった。
残り二泊は順調に進んだ。
メイベルも馬車の扱いに慣れ、馬のサントスとも仲良くなって、一人で水を飲ませられるくらいに進歩していた。天気にも恵まれ、一度小降りのにわか雨に降られたくらいで済んだ。幌が多少濡れたが、荷物に影響はなく、粉ものも無事であった。
二人旅だと、退屈しのぎに話が弾むものである。食べ物の話、仕事の話、旅暮らしの話など、話す事柄も多岐に渡った。
「さすがメイベル、美しい上にそんなことまでできるとは。罪作りだな」
「なに格好つけてるのよ。滑ってるわよ」
などと、遠慮のない会話が楽しく、二人して良く笑った。
宿で暇つぶしにカードで遊んだのも、親しみが増した要因だった。互いに熱を入れて勝負していて、単純な遊びなのに、知らぬ間に長い時間夢中になっていた。ちなみに勝敗は五分だった。気が付けば、たった三日でお互いに気兼ねなく話せるようになり、一緒にいると楽しいと思っていた。
宿で洗濯した時など、メイベルは下着を干すのにも遠慮がなく、部屋にいると目のやり場に困るくらいだった。だがすぐに、サムトーも一々恥ずかしがる必要のないことが分かり、景色の一部と思うことにした。そもそも、年頃の男女が同じ部屋で泊っているのに、色気とは無縁だった。サムトーも、以前一緒だった年の離れた旅の相棒を思い出し、年は違うが似たような存在だと思うことにしていた。互いに旅の相棒だと思うと、案外妙な気も起きないものだった。
かくして出発して四日目の昼下がり、無事目的地のポルデンに到着したのだった。
到着して、すぐに街道を逸れて商店街へと入る。道が細くなるので、サムトーが御者を代わった。途中、通りすがりの人に場所を聞き、まずは粉問屋をめざす。商店街を少し外れたところに店があった。
サムトーが馬車を店の近くに止める。メイベルはさっと下りると、店の中へと入っていった。しばらく会話した後、初老の店主を連れて馬車へと戻ってきた。二人で積み荷の確認をする。
「塩と砂糖が二十袋だね。確かに間違いないな。金貨六枚だな」
「ありがとう。その値段で売るわ」
交渉は成立したようで、メイベルが金貨を店主から受け取る。その間に、店員が出てきて、商品を店へと運び入れていった。
次は布問屋へ。ここでも無事交渉成立し、金貨六枚入手。
金物問屋で鍋や食器類を売却。金貨三枚入手。
合計で金貨十五枚の収益である。仕入れに金貨八枚、貸し馬車が金貨四枚、宿代等が金貨約二枚に、サムトーへの報酬が金貨一枚と、現時点では利益がない。この手持ちの金貨十五枚を目一杯ワインの仕入れに使い、金貨二十七枚以上で売れれば、無事借金が完済できる。
仕入れるワイナリーの方も、当てがついたようだった。ムーングロウという名の農園が評判が良く、城塞都市ヘルツブルグでも人気の銘柄だという。メイベルがメモを見返すと、確かに卸売市場で高値で取引されている商品に間違いなかった。
「善は急げね。一度、ムーングロウワイナリーを訪ねてみましょ」
空の色が変わり始めていて、そろそろ時間も厳しくなってきた。夕暮れには農園も閉まってしまうだろう。サムトーは馬車を出発させた。メイベルの案内で目的の農園を目指す。
何とか夕暮れギリギリで目的の農園に着けた。
「ごめんください。ワインの仕入れをしたいのですが」
メイベルが呼ばわると、建物から農園主らしい人物が現れた。まだ二十代半ば過ぎくらいの若い男性だった。若いといえば、メイベルの方がはるかに若いのだが。
「こんなお嬢さんがワインの仕入れかい。悪いが、今日はもう荷出しはできないから、また明日出直してくれ」
「ええ、分かってます。私達、城塞都市ヘルツブルグから来たのですが、今日は、そこで売るワインでいいものがあるか、教えて頂きに参りました。こちらの元手は金貨十五枚です」
「そうだなあ、馬車一台だと、あまりたくさんは積めないし、それだけ元手があれば、年代物を仕入れた方が、かさばらないで高値で売れるだろう。赤の十年もので、一瓶銀貨二枚を百五十本。それでどうだ」
メイベルが頭の中で計算してみた。一瓶当たり銀貨三枚と大銅貨三枚で売れれば、ぴったり金貨二十七枚になる。評判の良いワインなら、もう少し高値を期待してもいいだろう。これなら確実に借金が返せる。
「ありがたい申し出です。では、明日の朝、仕入れに参りますので、どうかよろしくお願いいたします。私はメイベルと申します」
「承知した。私は農園主のコルスト。こちらこそよろしく」
二人は握手を交わし、こうして無事に交渉は成立した。後は明日仕入れるだけである。
日没も近いこともあって、そろそろ宿に入らなければならない。サムトーは少しだけ馬車を急がせて、街道筋にある宿を目指したのであった。
「いやあ、本当に良かったわ。後は仕入れて戻るだけね」
二人は宿で夕食を食べながら、のんびり話をしていた。メイベルの良かったも、これで何度目だろうか。やはり売り買いには相当気を遣っていたのだろう。心底ほっとしている感じだった。
「正直、ワインの良し悪しなんて、私には分からなかったからね。いいワイナリーを教えてもらえたし、農園主のコルストさんもいい人だったし。おかげでいい物が手に入りそうだから、本当に良かった。この運の良さも、サムトーのおかげかもね」
旅の間、ずっとご機嫌だったメイベルだが、その中でも一番と言えるほどにうれしそうだった。
「何度お礼を言っても足りないわ。本当にありがとう。サムトーに出会ってから万事順調で。あと四日、無事に乗り切ればいいんだもんね。半分終わったーって感じ。気分いいわ」
「うんうん、あと半分だな。メイベルもよく頑張った」
旅も売り買いも素人だったが、卸売市場での仕入れから始まり、馬車の手配やら御者の練習やら、街道での馬の休憩に宿暮らしと、初めての経験ばかりだったのに、よくやったものだと思う。
食事もあと少しというところで、メイベルが提案してきた。
「ねえねえ、せっかく明日ワイン買うんだしさ、私達も試してみない? 一度も飲んだことないから」
「そうだな。せっかくだから飲もうか。ただ、先に言っておくと、飲みすぎ注意だ。グラス二杯くらいで止めとくのがいいと思うぞ」
「サムトーは飲んだことあるんだね。じゃあ、頼もうか。私も楽しみ」
給仕にムーングロウワイナリーの赤ワインを頼むと、一昨年のものならあると言う。新酒は秋の終わりから冬の時期にしかなく、熟成の都合で去年産の物はまだ出回っていないのだ。さすがに宿屋兼居酒屋では、年代物のような高級酒は置いてない。それでいいと答え、大き目のグラスで二杯頼んだ。
「じゃあ、無事ワインが売れますように。かんぱーい」
メイベルの音頭でグラスを軽く合わせ、少し口に含んでみる。甘さを渋みが引き締め、口に中にブドウの酒ならではの旨味が広がる。飲み込むとコクが残りのどごしも良い。安目の酒でも十分以上にうまい。
「これの十年物って、一瓶銀貨二枚だろ。どれだけうまいんだ」
「ほんとよね。二年の物でもこんなにおいしいのに」
メイベルがおいしそうにワインを飲み込む。相当気に入ったようだ。
「はー、本当においしいわ。いくらでも飲めそう」
「いやいや、いくらでもはちょっと。エールよりもきついから、すごく酔いやすいんだ」
「ふーん、良く知ってるねー」
言ってる端から、すでに酔い始めているようだった。
「でも、おいしいから、もう一杯だけ。お代わりお願いしまーす」
給仕に頼んで、もう一杯もらう。
メイベルは、あっという間にグラスの半分を開けてしまう。
そこで不意打ちが来た。
「ねえねえ、サムトーってさ、女の子にかなりもてたんじゃないの?」
酔いのせいか、やや絡み気味である。
それを言われると、うーん、確かに良い仲になった女の子は、これまでに何人もいたなあ、もてるって言っていいのかなあ、などと思ってしまうサムトーだった。たまたま知り合って、仲良くなって、気がついたらお互い好きになった、という出来事がいろいろとあった。みんな良い娘で、まだ日はあまり経っていないが、思い出すと懐かしく感じる。
「仲良くしてくれた女の子は多かったな。みんな優しくて、素敵な人ばかりだったよ」
サムトーは、自分で言ってみて、これじゃあ女たらしと言われても仕方のないことに気付いた。その人、その時を大切にして、楽しく過ごそうとしてきた結果、自然と関係が深まっていたのだ。
「そういうのをもてるって言うんだよ。でもまあ、サムトー、格好いいし、親切だし、もてるのも当然よねー」
「そ、そりゃどうも」
「私もさー、宿の仕事で酔っ払いばっか相手してて、あんまいい出会いがなかったからねー。そのうちにとは思うんだけどねー」
あれだけ褒めておいて、目の前のサムトーとの出会いは対象外のようだった。遠慮ない物言いからして、まず本音だろう。
「まあ、そんなことはいいわ。今はサムトーとの旅が楽しいから、それで十分よ」
「ありがと。俺も楽しいよ。メイベルって、明るいし元気だし、面白いところもあって、一緒にいると退屈しないなあ」
今も、旅の相棒にしているこのメイベルと、一緒にいることが楽しいのは確かだ。おかげでワインもうまい。
「ありがと。素晴らしき旅の相棒に」
メイベルはそう言うと、グラスを掲げ、残り半分のワインをあおって、大きく息を吐きだす。
「いやー、おいしいんだけど、本当に酔いの回りが早いわね。明日もあるから、この辺で止めておくわ」
「お、さすがメイベル。ここでの我慢は大事だな」
サムトーも、残りのワインをあおると、給仕に水を一杯頼んだ。
「酔い覚ましに、軽く水を飲んでから部屋に戻ろう」
「気が利くねー。さすが相棒」
二人は水を飲むと、立ち上がった。宿代と酒代は別なので、ワイン代を女将に渡して部屋へと戻る。
すると、メイベルがため息をつきながら述懐した。
「真面目な話、私ね、あんまり男の人と付き合いたいとか、そういうのってないんだ」
酔いが残っているので、まだメイベルは思ったことをそのまま口に出しているようだった。これも普段の悩みなのかもしれない。
「そりゃうちの両親だって、そういうのがあって結婚して、私や弟が生まれたって分かってるし、友達なんかも、お付き合いしてる人がいると、生活に張りがあっていいわよ、なんて言うんだけどさ。それより、仕事頑張ってる方が性に合うみたい」
サムトーもここはお調子者らしく、軽口で答えた。
「いいんじゃない? 自分は自分、人は人。要は、自分のやりたいことやって、毎日楽しくすごせりゃそれでいいんだよ」
「そう? そう思ってくれる?」
「もっちろん。メイベルの好きにしてていいと思うよ」
「良かったー。いやあ、私もさ、こんなんで結構もてるもんだから、何人の男を振ったか、もうわかんないくらい。だからね、その人たちには悪いことしたかなーとか、思ったりもしたのよ。でも、いいのよね、自分の好きに行動してたって」
なるほど、サムトーが旅の相棒認定されていて、かつメイベルが男に興味ないから、ここまで無防備だったのか。思わず納得してしまう。まあ、それで楽しさが損なわれるわけでもないから、構わないのだが。というか、むしろ同性の友人みたいで気兼ねもなく、心地良かった。
「そうそう、色恋はしたい奴がすればいいんだよ。……そういや、旅芸人の仲間にいたなあ。ちょっと年上の男で、色恋の好きな奴が。街を巡る度に、かわいい女の子に声掛けてたっけ。あいつ、元気にしてるかなあ」
「へえ、そんな友達もいたんだね。その人は、変な話、好きになりたくて女の子が好きだったりしたの?」
「そうだなあ。やっぱり自分が女の子好きだから、好きになれる相手が欲しかった、みたいな感じだったかな」
「結局、自分が好きかどうかってことね。無理して好きな相手を探すのって、やっぱり違うわよね。それが分かって良かったわ。ありがとう、サムトー」
きれいな娘と恋愛談義。相棒認定で互いに意識することもなし。サムトーにとっても面白い経験だと思った。
話のついでに、旅芸人の所での話もした。楽器担当で、銅の縦笛を演奏したことを話すと、メイベルも興味をもったようだった。実際に小さめの音で演奏して見せると、楽しそうに見ていたものだった。
「すごく良かったわよ。きれいな音色だったわ」
「ありがと。まあ、他の楽器はできないんだけどな」
ちょっとした特技で喜んでもらえて、良かったと思う。そんなことをしている間に、夜も結構更けてきていた。
「さて、そろそろ休みましょうか。ああ、今日も一日楽しかったー」
そう言って、メイベルがベッドに寝転がる。サムトーも明かりを消して、それに倣った。
「そうだな。明日、朝一で仕入れだもんな。じゃあ、おやすみ、相棒」
「おやすみ、相棒」
そうして程良く酔った二人は、眠りに就いたのだった。
翌朝は、飲み過ぎなかったのが良かったらしく、快適に目覚めることができた。
日課の素振りをこなして、二人で朝食を取る。
旅支度を早々に終えると、八時の鐘が鳴る前には馬車を準備して、昨日のムーングロウワイナリーへと向かった。
到着したのがちょうど八時だった。農園主のコルストが出迎えてくれた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
メイベルがきちんと挨拶をする。ここの仕入れは最重要である。
「おはようございます。こちらこそよろしく。では、ワイン蔵へ」
めっぽう広い蔵だった。瓶詰のワインは木箱の中に入れられていて、表に生産年と赤白の別が書いてある。一箱に二十本。かなりの重さである。奥の方に行けば行くほど年代物になっていた。倉庫の途中で、五八七年産の赤と書いてある箱が山積みになっていた。ざっと五十箱はあるだろうか。
「こいつを七箱半だな。一箱開けるから、少し待ってくれ」
木箱のうち一つを空けて、一回り小さな箱に移し替える。瓶同士がぶつかり合って破損しないように、木くずを一緒に詰め込む。
サムトーが木箱を荷馬車に積み込む。二十キロはある箱を七往復、それと十本入りを一箱。結構重労働だったが、さすがに鍛えているだけあって、問題なく積み込めた。縄でしっかり荷台に固定して完了である。
「ありがとうございました。こちらが代金です」
メイベルが金貨十五枚を支払う。一回の取引にこれだけ高額支払うのは、さすがに緊張したようだった。
「確かに、十五枚、受け取りました。では受領証です」
高額商品なので、受領証は重要である。この荷物の持ち主が自分だということが証明されるので、万一盗難があった場合も、これを証拠に出回った商品を押さえることができる。例によって二通互いのサインを入れて完成である。メイベルは大事にそれをポーチにしまい込んだ。
「それでは、これで出発いたします。お世話になりました。
「こちらこそ、お買い上げありがとうございます。安全な旅を」
サムトーが御者を務め、荷馬車は城塞都市ヘルツブルグへと進路を取ったのだった。
「いやー、緊張する―。すごい値段の商品運んでるんだもんね」
復路では、メイベルは積み荷をとにかく気にしていた。この高額なワインに、借金完済が掛かっているのだ。
馬のサントスを休ませる時、街道を逸れて未舗装の草地を行くのが、一番緊張するようだった。しっかり固定してあるから大丈夫だと言っても、万が一ということがある。荷馬車を止めた時、ワインが漏れ出したりしていないか、逐一確認していた。
宿に泊る時も細心の注意を払った。宿の側も、積み荷が高額商品だと知ると、荷馬車が盗難に遭わないよう、一層の注意を払ってくれた。さすがに弁償するには高額過ぎる。荷馬車置き場には必ず夜通し人を配置しているが、くれぐれも用心するよう釘を刺していたものだ。
「高額商品扱うのがこんなに緊張するなんて、実際やってみるまで分からなかったわ。なかなか寝付けないし、大変なのね」
メイベルもそんな愚痴をこぼしていたものだ。
それでも旅は順調に進み、宿場町モニスまでたどり着いた。明日の夕方前には、城塞都市ヘルツブルグに到着できるはずである。
この日の晩は、サムトーが、念のため荷馬車で寝ると言った。もし、何かあるとすれば、ここからが危ないと踏んでいたのだ。
メイベルは、宿の人も見張っているから大丈夫ではないかと言ったが、念を押すに越したことはないという主張に押され、サムトーに馬車で寝るのを頼むことにした。
サムトーは、荷台の空いた場所に寝転がると、綱の一部を枕代わりに、毛布だけかぶって寝たのだった。
夜も更けて、誰もが寝静まった頃。荷馬車置き場に人影が現れた。物音を立てないよう、用心しながら馬車を物色し始めた。
(おいでなすったな……)
サムトーがその僅かな気配を察知して、目を覚ました。出発前から、何事かあるのは予測できた。それが的中した形である。
短剣を片手に、そっと馬車を下りて様子を窺う。
若そうな男が一人、他の馬車の荷台を調べている。明らかに積み荷を狙っている。この日、ここには三台しか荷馬車はない。大した時間も経たず、メイベルの荷馬車へとやってきた。
男が幌の中を覗き込もうとした瞬間、サムトーがその首筋を鞘に差したままの剣で強打した。男が意識を失い、力なく倒れ込む。
サムトーはその男の両手両足を拘束すると、警備員の詰所に声を掛けた。さすがの警備員も不寝番というわけではない。サムトーに起こされ、眠気もそこそこに倒れた男の所へと向かう。
「いや、面目ない。お客さんに捕まえて頂いてしまって」
詫びを述べながら、サムトーと二人で宿の当直室へと運び込む。そこで改めて、椅子に座らせて縛り直した。頬を叩いて男の意識を戻し、尋問する。
荷馬車置き場への夜中の不法侵入である。荷物を狙った窃盗であることは疑いようもなかった。それでも男は押し黙り、自分の目的も正体も隠し続けた。こうなると、後は自警団に任せ、騎士に裁いてもらうべきだろう。
当直をしていた店員がひとっ走りして、自警団の団員を連れてきた。窃盗未遂の現行犯である。調書もその場ですぐに書き上げて、その男を牢へと連れて行った。
かくして窃盗を防ぐと、朝まではさほど残り時間もないが、サムトーはもう一眠りしたのだった。
翌朝、やや寝不足であったが、サムトーは日課の素振りは怠らなかった。そこへメイベルも起き出してきて、井戸端で一緒になった。
素振りをしながら、サムトーが深夜の顛末を話した。
「え、そんなことがあったんだ。サムトー、すごい」
侵入者がいることを予測したように馬車で寝泊まりし、それを見事に捕まえたと聞けば驚くのも無理はない。
「本当にありがとう。サムトーも無事で良かった」
メイベルの礼に、サムトーはいつも通りの調子で答えた。
「護衛が仕事だからな。ちょっと仕事しただけさ」
「それでもありがとう。こんなことがあるようじゃ、もしかして、最後まで油断できないかもね」
メイベルが少し考え込む。今回は単独犯だったが、もし複数人に襲われるようなことがあったらと思うと心配である。行きはそんなことを気にする必要もなく、万事順調に進んだが、やはり万が一ということもある。
「そうだな。心配は心配だよな。でもまあ、何とかなるでしょ」
相変わらずの軽口である。メイベルも釣られて軽く笑顔を浮かべた。
「そうよね。行きだって何もなかったし、何かあってもサムトーがいるし、大丈夫よね、きっと」
「そうそう。気楽にいこう。まずは朝飯っと」
しばらくして素振りを終えると、サムトーはいつも通り、部屋に戻って剣を置くと、メイベルと二人で朝食を取るのだった。
この日も、しばらくの間は何事もなかった。三度目の休憩を終えて出発した頃には、あと少しで到着できると、メイベルもかなり安心していた。城塞都市ヘルツブルグに入ってしまえば、人通りも多い。そんなところで馬車強盗を行うのは困難である。
草原を貫く街道を、二人の荷馬車がゆっくりと、だが着実に進んでいく。
もうしばらく行けば城壁も見えるだろうという頃。そこへ反対方向から五人の男達がやってきた。御者はメイベルである。すれ違えるよう、馬車を左に寄せたところ、近づいてきた男達が声を掛けてきた。
「よお、姉ちゃん、馬車を止めな」
五人が道を塞ぐように広がる。メイベルが馬車を止めた。
「ちょっと、通行の邪魔よ」
「なに俺達もちょっとその荷物に用があってな」
ニヤニヤと笑いながら、男達が近寄ってきた。二十代から三十代くらいと皆若い。手には棒きれを持っている。剣でないあたり、剣術の心得のないごろつきだろう。表情が下品で見るに耐えない。
ああ、またこの手の輩かと、サムトーは多少うんざりしていた。今回も完全に予測が当たった形だが、うれしくもなんともない。面倒がりながらも、長剣を取ると、さっと御者台を降りて、馬車の前に立ち塞がった。
剣を見せびらかすようにすると、男達に言い放つ。
「まさかこの剣が見えないとかぬかすなよ。で、何の用事だって?」
男達が明らかにおののいていた。城下町はすぐそこだ。馬車ごと荷物を奪い、街で即座に売り捌けばいいと考えていたのだろう。護衛がいるとは聞いたが、まさか剣士とは思っていなかったのだ。どうする、といった目くばせを交わし合う。
しかし、ここで立ち去ったら意味がないと思い直し、虚勢を張った。リーダー格の男が言葉を続けた。
「そっちこそ、この人数が見えないのかよ」
「五人だけど、それがどうかしたか」
「大人しく荷物を渡せば、見逃してやるってことだ」
「強盗風情が大口叩くなよ。止めときな。ケガするぜ」
「うるせえ。こうなったらやっちまえ!」
男達がいきり立って、棒を振りかざして突進してきた。
一撃をかわすと同時に鞘でみぞおちを強打する。急所を強く突かれた男が地に倒れた。
一人があっさりと倒されて、残りの男達が余計に怒り出した。
「この野郎、やりやがったな!」
だが、その男も一人目と同じ目に遭っただけだった。サムトーの突きは毎朝の素振りの甲斐もあり、正確で威力もある。
残り三人が顔を見合わせた。だが、もう後へは引けない。自棄になって棒で殴りかかる。もちろんサムトーの体をかすりもせず、残る三人もあっさりと倒されたのだった。
その顛末を見て、メイベルが驚きに目を丸くしていた。最初は強盗が現れたことで、恐怖を覚えていた。自分の身の安全が脅かされ、荷物が奪われるかもしれないと思うと怖かったのだ。だが、サムトーの強さは想像以上だった。護衛を引き受けるくらいだし、素振りの様子を見てもいたので、強いことは知っていた。だが、これほど短時間で五人を気絶させるほどとは思ってもいなかったのだ。
メイベルが驚いている間にも、サムトーは馬車から紐を持ち出して、男達の両腕、両足を拘束していった。それが終わると、体を引きずって、街道の外へと並べる。
そして御者台に戻ると、平然と言った。
「ヘルツブルグの警備隊にさっさと知らせないとな」
「え、ええ、そうね」
驚いたままメイベルが返事をして、馬車を出発させる。合図を二回出し、馬のサントスには負担だが、少し早足で歩かせる。
無事に城門をくぐった時、まだ日は傾き始めた頃だった。
その後、東門に一番近い警備隊の詰所に一報を入れると、サムトーはその場に残った。メイベルはその間に卸売市場でワインを売るのだ。馬車の返却もあるので、夕暮れまでにはすべて終えたいところだった。
サムトーがしばらく待っていると、警備隊本部から馬車が一台と隊員二名が駆けつけてきた。その二人を気絶させた男達のところへ案内する。確かに五人が拘束されて倒れており、隊員達が一人ずつ馬車へと乗せていった。
そのまま警備隊本部へと向かい、五人を牢に入れる。その間、サムトーには、調書作成のために聞き取りが行われた。といっても、行く手を阻まれ、馬車を置いて行けと言われ、殴り掛かられたとしか言いようがなく、こちらはすぐに終わった。サムトーは解放され、卸売市場でメイベルと合流しようと急いだ。警備隊も、その後は男達の取り調べに入るだろう。
しかし、男達の護送に付き合っていたので、時間もかなり過ぎていた。日も傾き、空もかなり赤く染まってきていた。大急ぎで卸売市場に着いたものの、メイベルの姿はどこにもなかった。窓口で聞くと、無事にワインを売ることができて、貸し馬車屋へ返却に行ったという。
今度は貸し馬車部屋と急いだが、ここでも空振りだった。メイベルの知り合いのマルクが、もう家に戻ったと教えてくれた。ついでに、馬車に問題は全くなく、特に馬のサントスの機嫌が良くて、よほど丁寧に乗ってくれたのだろうと礼を言われたのだった。
結局、遠回りをして、サムトーはメイベルの宿、山風亭に戻っていった。
宿の前では、メイベルがずっと立って待っていた。サムトーに事後処理を任せたのが気になったようだった。
サムトーの姿を見つけると、大きく手を振って駆け寄ってきた。
「ありがとう、サムトー。おかげで無事に全て終わったわ。さあ、店の中に入って、入って」
メイベルに笑顔で勧められ、サムトーも終わったという安心感で笑顔を浮かべるのだった。
宿では、荷馬車に積んだままだった荷物を返され、追加報酬として一泊無料で泊めてもらえることになった。サムトーは好意を謝して、部屋に荷物を置きに行った。戻ってみると、母のレベッカと父のエルトン、弟のアドニまでもが深々と頭を下げてきた。
「本当にありがとうございました。無事に元気で戻ってこられたのも、みなサムトーさんのおかげです。取引も無事にできたと聞きましたし、あなたはこの宿の救い主です。私も今後は賭け事などせず、家族のためにしっかり働こうと思います」
エルトンが最初に口を開いた。心からの感謝の言葉だった。
「娘に聞きましたが、旅の間、それは本当に良くして頂いたそうで。楽しい旅だったと聞いて、ほっとしております」
「姉さんがこんなに喜んでいて良かったです。ありがとうございました」
レベッカもアドニも、それぞれ礼を述べた。
「お役に立てて何よりです。こちらこそ楽しく旅をさせて頂きました」
サムトーもきちんと返事を返す。
そして、メイベルの取引について話も聞きたいが、まずは風呂でゆっくりしたいと希望を述べた。メイベル達一家も承知して、メイベルと二人、公衆浴場へと向かった。
湯に浸かって、疲れも一緒に流すと、また一緒に宿へと戻る。
二人は空いたテーブルに向かい合って座ると、エールを飲みながら事の顛末をお互いに話した。
「そっか。後は警備隊の取り調べ待ちってことなんだ。でも無事に牢屋に放り込めたから、そっちはもう大丈夫ね」
サムトーの話を聞いて、メイベルがほっと安堵の息を漏らした。
「本当に、あの時はどうなるかと思ったわ。でも、さすがサムトー、本当に強かったね。あっさり片付けちゃうし、さすが護衛って感心しちゃった」
「な、何とかなったろ。どっちかと言うと、その後、時間が経ち過ぎてなかなか合流できない方が焦った。ワインは無事に売れたんだろ?」
聞かれたメイベルが、鼻が高いといった表情になった。よほど良かったのだろうと、それだけでも分かった。
「それがね、卸売市場で、年代物のワインが不足気味だったのよ。おかげで一瓶当たり、予想より大銅貨一枚分高く売れたの。一瓶銀貨三枚と大銅貨四枚が百五十本で、合計金貨二十八枚と銀貨十枚にもなったのよ」
本来なら、銀貨四枚になるところだが、取引税として大銅貨一枚分が差し引かれているので、この額なのである。出費が仕入れに金貨八枚、貸し馬車が金貨四枚、宿代等が金貨約二枚に、サムトーへの報酬が金貨一枚と、合計金貨十五枚。差し引き金貨十三枚と銀貨十枚の利益が出たことになる。
「というわけで、金貨一枚はサムトーの分ね」
そう言って、一枚をサムトーに差し出してきた。メイベルが立ち上がって契約書を取ってくる。サムトーも自分の契約書を出す。互いに契約完了のサインを入れて、これで無事に全てが終わったことになる。
メイベルが契約書を片付けると、申し訳なさそうに言った。
「とは言っても、あれだけ活躍してもらって、これじゃあ少ないかなあって、実は思ってるの」
「いやいや、十分十分。だって、これで契約通りだろ」
「そうなんだけど、何かね。すごく助かったから」
「俺もすごく楽しい仕事だったから。こんなに楽しかったのに報酬もらってもいいの、って感じだから、気にすんなって」
それはサムトーの本音だった。嘘偽りのないことがメイベルにも伝わり、彼女もまた楽しかった旅の思い出を振り返っていた。
「サムトーより、私の方が楽しかったかも。こんな長旅、生まれて初めてだったし、馬のサントスもいい子だったし。サムトーと、こうやって一緒に飲みながらたくさん話もしたね。本当、思い出すだけで楽しい」
「なら、お互い様だな。良き旅に」
サムトーがジョッキを掲げた。メイベルが自分のジョッキを合わせる。二人で軽くエールをあおって、笑顔を向けあった。
しばらくして、メイベルが珍しく遠慮がちに口を開いた。
「あのね、契約は終わっちゃったけど、お願いしたら聞いてくれるかな」
いつもの明るいメイベルとは違う、このはにかんだ感じも、サムトーには魅力的に見えた。はっきり言ってかわいい。ここは調子に乗って答えたものだろう。
「こんなかわいい娘の頼みじゃ、断るのは無理だな」
メイベルがぷっと吹き出す。
「なにそれ、格好つけちゃって。相変わらずねえ」
旅の途中でも、こんなやり取りを散々したものだった。
「おっと、ごめんなさい。借金返すのに付き合ってくれないかなあってことなんだ。こういう時、やっぱりサムトーって頼りになるし」
「なるほど。そんなのお安い御用だ。明日でいいのかな」
「ありがとう、助かるわ。さすがに一人じゃ不安で」
父の借金なのだが、実際に稼いだ娘が、自分で返済すると主張したのだった。大金を父に持たせることに、まだ不安があったためだ。
「サムトーって、本当に人がいいよね。旅先でも、何かと面倒見てくれたり教えてくれたりしたし。しかも強いし。一緒にいると楽しいし」
「おや、まだ何か頼み事でもあるのかな?」
急に褒められて、今度は何だろうかとサムトーが苦笑する。
「やっぱ分かる? 実はね……」
そこで少し言い淀んだ。少し照れがあるのか、視線が明後日の方を向いている。
しばらくそうしていたが、意を決して向き直ると、照れたまま言った。
「……あのね、旅の途中で、私、男の人に興味もてないって言ったでしょ。でもね、一回くらいは、デートっていうのをしてみたかったのよ。変な相手とじゃ嫌だけど、サムトーならいいかなーって思って」
「それもお安い御用なんだけどさ。何でまた急に」
「うーん、どんなものか経験してみたい、みたいな感じ?」
「そこで疑問になるかー。まあ、要するに試してみたいと。了解した」
それから二人は夕食を取りながらも、会話を続けた。
旅が終わったからこそ、あの時は良かったとか、驚いたとか、思い出として語り合うことができた。話のタネが尽きることはなく、食後もエールを飲みながら話し込んでいた。
メイベルの家族としては、旅の間に二人がこれほど仲良くなっていたとはと、驚くばかりだった。だが、年頃の娘が年頃の男性と仲睦まじい様子は、傍目に見ていて微笑ましい。いっそこの剣士が、この宿に永住してくれればとさえ思ったほどだった。
「じゃあ、そろそろ休むことにするよ。メイベル、また明日な」
「うん。明日はよろしくね」
そんな挨拶を交わして、この長い一日は終わった。
翌朝、日課を終えて朝食の席に着くと、メイベルが給仕をしてくれた。自分の分もある。今日借金を返済するので、宿の仕事は今日まで休みとなっていた。昨日のお誘いも、せっかくの休みを有効に使いたいということだったようだ。
とは言え、貸主であるバステロの店が開くのが九時である。それまで多少の時間があったので、メイベルは食器洗いや掃除を、サムトーは水汲みを手伝っていた。暇つぶしに仕事をしたがるところも似ている二人だった。
九時の鐘で、二人は宿を出た。サムトーも荷物はポーチだけで、剣も含めて他の荷物は宿に預けてある。借金返済に荷物は不要だった。
商店街でも北側の高級住宅街に近い辺りに、バステロという中年男が経営している宝石店があった。金貸しは副業だった。店構えも立派で、通りからでも見られるように見本が展示してあった。
「ごめんください」
メイベルが声を掛け、二人が中に入る。すると店内が剣呑な空気に包まれていた。それもそのはず、騎士が一人、警備隊員が二人、店主のバステロを詰問していたのである。
代わりに店員が一人、メイベル達の対応に来てくれた。
「エルトンの娘メイベルです。バステロさんに借金の返済に来たのですが」
「分かりました。少々お待ち下さい」
その店員は、バステロの所に近づき、騎士に頭を下げて話に割り込むと、客の用件を伝えた。バステロの話を聞くと、書庫の鍵を開けて、中から借用書を取り出し、その中からエルトン名義のものを取り出し、残りを元に戻した。そしてメイベルを受付へと案内した。
メイベルが借用書を取り出し、利息込みで金貨十二枚を支払うと、店員が書面と金貨の枚数を確認する。そしてまた騎士達の所に割り込み、バステロ本人を一時連れ出して、借用書二通に返済証明のサインをした。メイベルも同じように返済証明の確認欄にサインする。これで手続きは終了だ。
「ありがとうございました。確かに返済承りました」
返済証明の入った借用書をしまい込むと、メイベルが店員に尋ねた。
「こちらこそ、お手数をおかけしました。……ところで、この様子は一体何事なんですか」
店員がばつの悪そうな表情で、だが嘘のない範囲で答えた。
「バステロ店主に嫌疑がかかりまして。取り調べのために騎士様が来られたのですよ」
「無理な取り立てとかをしてたとか、ですか」
「いえ、全く別の嫌疑でして。あっ……」
そうこうしている間にも取り調べは終わったようで、結局バステロは騎士団本部へと連行されることになった。バステロは店員に、店は任せたと言い残して、連れていかれたのだった。
サムトーには薄々事情が分かっていた。何せ、馬車を襲ってきたタイミングがあまりに良すぎた。メイベルの父エルトンに交易すれば借金が返せると示唆したのは、ここの店主バステロだ。その帰りの馬車は、金貨二十枚以上の積み荷だ。しかも相手はたった二人。容易に強盗できると、ならず者たちをけしかけたのだろうと思われた。
だが、それを話してどうなるものでもない。真相は騎士団が裁きという形ではっきりさせるだろう。それで良かった。
店を出てからも、メイベルは首を傾げていた。自分達を襲った強盗と関係があるなど思いつくはずもない。だが、それでいいとサムトーは思っていた。
「一度家に帰って、返済証明、ちゃんと保管しておかなきゃ」
メイベルは余計な詮索をあきらめ、二人は一旦宿へと戻った。
「さて、これからどうしようか」
今日のデートを誘ってくれたメイベルだが、当然ノープランである。
「何すればいいのかな」
サムトーにそんなことを聞く始末だ。苦笑しながら答える。
「それは自分のやりたいことでいいんだよ。特になければ、名所観光するも良し、市場を見に行くも良し、商店街をぶらつくも良し、何をしたって構わないさ」
「名所ねえ。生まれてずっとこの街だけど、思いつかないわ。とりあえず、城でも見に行く?」
「そうだな。行ってみようか」
とりあえず思いついた城の観光へと向かうことになった。
商店街から街道に出て西へ。南北の街道の交わるところを北へと向かい、しばらくして城が見えてきた。万が一、都市部が制圧されても、この内城に籠城が可能な作りになっている。城壁に囲まれ、機能美に優れた立派な建築物だ。サムトーもあちこちの城を見てきたが、ここは軍事上、交通上の要衝だけあって、他と比べても、防衛施設としてかなり優れたものだと思った。正門から覗き見る感じ、華美な所はなく、実用重視という感じだ。
平和なこの時代、観光名所となっているので、城の周辺はそれなりの人出で賑わっていた。
「久々に見たけど、思ってたより豪華だったわ。昔の記憶って、結構いい加減なものねえ」
「もっとこじんまりしてると思ってた?」
「うん、そんな感じ。これだけ立派なら、よその町から人が見に来るのも分かる気がするわ」
しばらく眺めた後、今度は城壁に沿って歩いてみる。どこから攻め込んでも落とすのが難しそうな、見事な城壁だった。青空を切り取るかのように、長々とそびえ立っている。
二人並んでそんな景色を眺める。五月半ばの日差しはそこそこ強く、周囲をまぶしく照らしている。軽装でも少し暑く感じるくらいだった。
「ねえ、これでいいのかな」
サムトーがぷっと吹き出した。何を言うかと思えば、まだデートという形式に沿っているのかを気にしていたのだ。かなりきれいな女性の部類に入るメイベルがそんなことを言うのは、とてもおかしかった。
「いいんじゃない?」
「そっか、いいのか。そうだよね。好きなことしていいんだよね」
メイベルがにっこりと笑った。その優しげな笑みはとても魅力的だった。何人の男を振ったか分からないと言っていたが、この笑みに釣られたら、男共が付き合いたくなるのもうなずける。
「次はいかがいたしますか、お嬢様」
こういう時はまた調子に乗るのがサムトーだった。
「苦しゅうない、良きにはからえ。……で、お願いします」
最後が腰砕けになった。思わず二人揃って、声を上げて笑ってしまった。
「露店市でも見に行くかあ。退屈はしないと思うし」
サムトーがそう提案し、二人は南門の方へと向かって行った。
多くの城塞都市では、南門の周辺は本来は空き地だった。有事の際に軍が展開するための広場である。しかし、神聖帝国の統治下で平和の続いた今では、露店を構える者が大勢いて、雑多な市場と化していた。どこの都市でもそうだが、道具屋の隣に乾物屋、その隣が工芸品などといった具合に、店の並びも混沌としている。店の種類が豊富で、品物も見て回るだけで飽きることがない。猥雑とも言える賑わいは、そこに混じっているだけでも楽しいものだった。
「市もすごく久しぶり。こんなに人で一杯だったのね」
露店をゆっくりと眺めて回る。食材に興味があるようで、乾物屋で干した野菜やキノコなどを飽きずに見ていた。
「乾物って人間の英知の結晶よね。干すことで保存が利くようになるし、別の風味も生まれてくるし」
「俺も干しトマトとか好きだな。あれを使ったパスタとかうまいよな」
「パスタも干して保存できるようにした麺だもんね。その材料の小麦粉だって、麦の実を干したものでしょ。そういう発明がすごいなって、前から思ってたのよ」
ということらしかった。なるほど、思いもつかない発明か、確かにすごいことだなとサムトーも納得する。
そうかと思うと、今度は柱時計に目を惹かれていた。この時代、精密機器はすべて手作りである。だから、こうした機械の部品も量産できず、手作りで調整した物なのですごい値段になる。町の鐘は時計を見て教会が鳴らすのだが、多額の寄進を帝国よりもらっているので所持できるのだ。
「時計なんて、前に一度教会で見たきりだわ。ほんと、どうやって動いてるのかしらね」
分針が時々カチッと音を立てて動く様子が、見ていて飽きないらしい。メイベルが目を丸くしながら、じっと時計を見ている。
「値段もすごいわね。金貨八枚かあ。それでも露店市だから、相当値引いているはずなんだけど」
正に掘り出し物だ。しかし、こんな露店で買う人がいるのだろうか。
と思ったが、時計に釣られて店を見に来た客が、一緒に売っている工芸品をたまに買っていくのだった。なるほど、これも商売だなと感心する。
メイベルは、茶葉にも関心があるようで、商店街より安く売られているのに驚いていた。
「なるほど、正規品と違って農家の手作り品だったりするのね。茶としての質はちょっと落ちるけど、その分格安になってるわけかあ」
「そうなんだ。ちゃんと値段が安い理由まで分かるのがすごいなあ」
「そうなのよ。でも客に出すんじゃなくて、家族で飲むんなら、味が多少落ちる程度だし、これでも十分でしょうね。淹れ方を気にしてない人なら、なおさらね。私はお父さんからきっちり教わったから、おいしいお茶を淹れる自信あるけど」
闘技場で借金をこさえるような父だが、料理全般には相当の知識と腕前があるようだった。その点は娘のメイベルも尊敬していることも分かった。
気にはなりながらも、さすがに買って荷物を増やすのは避けたいようだった。未練を残しつつ、他の店を巡る。
そうこうしている間にも、時間はちょうど昼飯時となっていた。市でも料理屋の集まる一角へと向かう。
パスタ、ヌードル、焼きそば、和えそば、シチューなどの煮込み料理、サンドイッチ、バーガー、米を使った料理など、店も様々だった。店の客が食べるのに困らないよう、一応テーブルと長椅子はあるが、簡素なものなのでかなり狭い。どれも一膳めしのようなメニューなのは、それを考慮してあるのだろう。
「これは悩むわね。どれもおいしそう」
メイベルがうーんとうなっている。悩ましげな表情が微笑ましい。
「俺は米の料理にしようかな。ベーコンや野菜と炒めた米に、卵焼いたの乗せてるやつ」
「それも捨てがたいわね。でも焼きそばも食べたいし……」
まだ首をひねっている。やがて、いいことを思いついたようだった。
「そうだ、ねえ、私焼きそば買うから、半分ずつ食べない?」
何日も同じ宿の同じ部屋で寝泊まりした仲だ。食べ物を共有するくらいは何ともない。
「そうするか。じゃあ、買いに行こう」
二手に分かれて露店へと向かう。
店の方も、早く客を捌くのが大事なので、料理が出てくるのも早かった。
「それじゃ、いただきまーす」
元気な挨拶と共に、二人で食べ始める。
メイベルの焼きそばは、小麦ではなく米の粉を使った麺だった。ベーコンに鶏肉に生野菜や乾物と、具材も豊富だった。
「もっちりした麺がおいしいわね。具材が麺の味を引き立ててるし」
じつにおいしそうに食べている。なるほど、迷うわけだ。
サムトーの方も、卵の旨味の中から、具材と炒めた米の旨味が出てきて、これもおいしい料理だった。ふんわりとした卵の食感に米粒の食感が合わさり、噛むほどに味わいが出てきた。
しばらくして、互いに半分ほど食べ終えると、皿を交換した。
「サムトーのもおいしいわね。卵と米の組み合わせって、こんなにおいしいとは知らなかったわ。お父さんにも話してみようかな」
うれしそうに食べている姿が、またかわいらしい。思わずサムトーの食べる手が止まってしまったほどだ。
「ん、どしたの?」
「いや、メイベルはかわいいな、と思ってさ」
「まーた、そこで格好つけるんだから。サムトーらしくていいけど」
軽く笑顔を浮かべて、メイベルは食事に戻った。このさっぱりしたところもいいところだよなあと思いつつ、サムトーも自分の食事に戻る。
やがて、二人共きれいに食べつくすと、満足気な表情を浮かべた。
「じゃあ、もうちょっと見て回りましょ」
メイベルの提案にうなずくと、皿を露店に返して、二人はまた人混みの中へと戻っていった。
「ねえねえ、これはこれで楽しいんだけどさ」
ある程度の店を見て回ったところで、メイベルが言った。手にはサムトーが買った焼き菓子を持っている。買い食いも、こうした店を回る楽しみの一つだった。
「何かちょっと違うかなーって思って。普通のデートって、どんなことするんだろ」
まだそこに引っかかってたのかと、サムトーが苦笑した。
「それは気にしなくていいって。好きなことしてりゃいいんだって、さっきも言っただろ」
「うーん、それはそうなんだけどさ。やっぱ気になるっていうか、他の人達はどんなことするのか知りたいっていうか」
こういう風に、興味をもったら追及したくなる性質もメイベルの魅力ではある。それを否定する気はないが、他人がどんなことするか知りたいと言われても、それを肯定するのもどうかと思う。まさか、他のデートしている連中を見に行くのもどうかと思う。思うのだが……。
「どっか、デートしてる人のいそうな場所、行ってみない?」
などと聞かれると、じゃあ行こうか、と答えそうになってしまう。
「いや、そいつはちょっとなあ。人の邪魔しちゃ悪いんじゃないか」
「えー、見るだけで、近づかなきゃ平気だよ」
今日は何のために二人一緒に出かけたのか、本来の目的と明らかに外れている。まあ、その外れっぷりが面白いのだが。ここは乗っかってみるかと、サムトーも思うことにした。いい加減な質である。
「分かった。メイベルの好きにしてよろしい」
真面目に答えるのも変だと思い、つい偉そうな言い方になった。
「そうこなくちゃ。でも、どこなら見られるかな」
苦笑したまま、サムトーも適当に答える。
「それこそ名所のどこかだろ。城とか大広場とか」
「なるほどー。じゃあ、大広場に行ってみましょ」
残った焼き菓子を頬張ると、メイベルはサムトーの手を引いて歩き出した。手を引いている時点で、自分達も十分デートだろと、突っ込みたくなるのは我慢した。
「あ、本当だ。確かにいるねえ」
大広場に着くと、男女のペアが仲良く歩いていたり、座って談笑したりする様子がちらほらと見られた。買ったクレープを仲良く交代で食べている二人組もいた。
「いるけど、やってることは、一緒に歩いたり話したりかあ。あまり私達と変わりがないわねえ」
そうなのである。メイベルはデートに一体何を求めているのだろうか。
「あ、でもべたべたくっついてる人もいるわ。べたべたするのがポイントなのかなあ」
「たはは。そりゃそうしたい人もいるんだろうさ」
「どうしてべたべたしたいって思うんだろ」
「そりゃあ、お互いに好きだからじゃないの」
「そっか。好きって気持ちが先にあるんだね」
多少は疑問も解けたようだった。そうなると、今度は自分の身に置き換えて考えてみたようだった。
「私もサムトーは好きよ。こんなに一緒にいて楽しいって思った人、初めてだし。でも、それでべたべたしたいかっていうと、そうじゃないかなあって思うんだよね」
「俺もメイベルといるの楽しいし、メイベルのこと好きだけど、だからって、無理に何かしなきゃって思わなくてもいいんだよ」
サムトーが辛抱強く、やりたいようにやればいい、無理しなくていいと、繰り返し言ってくれるのがありがたいとメイベルは思った。気になると突っ走る質なのも、もう少し大人しくした方が良いかもしれない。この性格のせいで、借金返済のために交易に手を出し、サムトーの助けがなかったら大変なことになっていたのだ。そんなことを考えていた。
「それもそうよね。ごめんね、何度も同じようなこと言って」
メイベルが本当にすまなそうに謝った。
「私ね、友達のお姉さんが結婚する前のお付き合いの話聞かされて、何か好き同士だといろいろあるものだとか言われてね。そういう風に自分もなれるのかなあって、つい考えちゃったわけなのよ。今度こそ納得いったわ。私は私で、ありのままの自分で生きていけばいいのね」
「そうさ。ありのままで、十分メイベルは魅力的なんだからな」
サムトーがお調子者らしく、目一杯格好をつけて言ってみた。メイベルがぷっと吹き出した。
「その時々格好つけるの、本当に面白い。サムトーって楽しい」
そんなやり取りをしていると、一人の若い男が近づいてきた。目が剣呑である。怒りに満ちた表情だった。
「メイベル、こいつは一体誰だよ!」
急に大声で怒鳴られ、メイベルは一瞬驚いた。しかし、相手が見知った顔だと分かると、落ち着きを取り戻して答えた。
「交易を手伝ってくれた、旅の剣士サムトーよ。それがどうかしたの」
「俺には、男の人と付き合う気がないとか言ったくせに、どうして男なんかと一緒にいるんだ」
「別にいいでしょ、モーリス。世話になったから、デートしてるだけだし」
モーリスと呼ばれた男は、顔を真っ赤にしてさらに怒り出した。
「デートだって、ふざけるなよ。俺の方が、ずっと前からメイベルのこと、好きだったんだ。こんなちょっと手伝っただけの男が、どうしてメイベルと一緒にデートなんかしてるんだよ」
メイベルが大きくため息をついた。こういう相手にははっきり言ってやるのが彼女の性格だった。遠慮なく思いをぶちまけた。
「じゃあはっきり言うわ。私、あなたのこと嫌い。性格悪いし、嫌な事ばかり言うし。今だって意味もなく怒ってるでしょ。そういうところ、全部嫌いだから。他の女の人を見つけて幸せになりなさい」
「うるさい、黙れ!」
怒りに我を忘れた男は、我慢の限界に達した。拳を振り上げ、メイベルに殴り掛かってきた。相手が好きな女性であっても、こういう行動に出てしまうのだから振られるのも当然だ。そのことに本人は気づいていない。
拳が降り下ろされた瞬間、外野だったサムトーが割り込んできた。いとも簡単に拳を打ち払う。モーリスがバランスを崩してよろけた。
「好きな女の子に殴り掛かるとか、人として直さなきゃダメなとこだぞ」
平然とサムトーが突っ込む。一撃をかわされて驚いていたモーリスが、矛先を換えた。
「うるせえな、お前には関係ないだろ」
「関係大ありだ。メイベルは俺の旅の相棒だったんだ」
「どういうことだよ」
「それこそ、お前には関係のないことだ。で、まだやるのか」
「どこの誰かは知らないが、後悔するなよ。やっつけてやる!」
モーリスは左右の腕を繰り出して、次々に殴りかかってきた。速度も威力もなく、サムトーは避けもせず、いとも簡単に拳を叩き落としていく。しばらく続けているうちに、息が上がってきて、より拳が遅くなった。それを受け止めてサムトーが忠告する。
「もうやめときな。そりゃあメイベルはきれいで明るくていい娘だから、お前さんが好きになるのは良く分かるけどよ。その本人が嫌がっているんだから、黙って身を引くのも立派な態度だと思うぜ」
「ち、ちくしょう……」
息の上がったモーリスは、悔し涙をにじませて、サムトーをにらんだ。歯が立たないのは分かった。この男は強い。虚勢を張っても無駄だった。そんな相手をメイベルが選んだのであれば、身を引くよりないと感じていた。
「分かったよ。こんなに強い奴が相手じゃ仕方ない。俺もすっぱりあきらめることにするよ。悪かったな、殴り掛かったりして」
直情的なのだろう。悔しいが認めざるを得ないという思いを、あっさりと認めていた。意外と物分かりが良くて何よりだと思った。サムトーは心底モーリス思いやるように言った。
「気にすんな。そのうちお前さんも、きっといい娘と出会えるさ」
「ああ、ありがとよ。じゃあな。仲良くやれよ」
モーリスが肩を落として立ち去る。悄然とした後ろ姿の中にも、あきらめてすっきりした感じがにじみ出ていた。
「ああ、びっくりした。本当に殴り掛かってくるとは思わなかったわ。それにしても、サムトーは本当に強いわねえ」
メイベルにも、いくら素人相手とは言え、飛んできた拳を全て叩き落すなど、並の強さではないと分かった。馬車を襲ってきた連中を倒した時も、傷一つつけずに倒していて、よほどの力量差がないと難しいだろうと思ったものだ。普段の面白いサムトーと同一人物とは思えない。今さら分かったことだが、本当にこの人は格好いいと思い直した。
「うん。サムトーは格好いい。それが良く分かったわ」
直球で相手に告げるところがメイベルらしいところだった。
サムトーが急に褒められて苦笑する。気分的にも、せっかく惚れていた男を無下に撃退して、何となく後味が悪い。だが、まあ過ぎたことだ。気を取り直して……何をしていたんだっけ?
「何か食べよっか」
広場のあちこちに軽食や菓子の露店がある。昼食が軽めだったし、今のやり取りで、小腹も空いてきた。
サムトーが近くにあったドーナツ屋で二個買ってきた。メイベルに一つ渡す。基本形の輪の形をしたものだった。まだ作りたてで温かい。軽くかじると、どっしりとした食感とほんのりした甘みが口の中に広がる。
「デートの観察も、もう十分だろ?」
食べながら思い出したが、デートでどんなことをするのか、実際に見てみたいという話だったはずだ。振られた男の乱入で飛んでしまったが、メイベルも自分の好きでいいことが分かり、納得したはずだった。
「うん。付き合わせてごめんね。もう十分。ありがとうね」
メイベルもすっきりした表情をしていた。自分のドーナツをもぐもぐやりながら、サムトーのことをじっと見ていた。今まで忘れていたが、この人はいつまで一緒にいてくれるんだろう。
「ん、どうかした?」
「ううん、サムトー、明日にはまた旅に出るのかなあって」
「そのつもりだけど」
「そっか。そうかあ」
メイベルが急に寂しげな表情を浮かべた。楽しかった旅の相棒ともお別れになるのだと思い、急に寂しさが湧いてきたのだった。そうなると、もっと一緒にいたいという思いも強く湧き上がってくる。これほど一緒にいて楽しい相手は初めてだった。
しかし、無理強いするのも違うだろう。借金返済のために手伝ってくれて、お互いに楽しい旅をして、それ以上何を求めるのだろうか。
サムトーは黙ってドーナツを食べていたが、やがて意を決したように秘密の一部を打ち明けた。
「悪いな。せっかくの楽しい時間なのに。俺な、実は訳あって一つの所に長くはいられないんだ。素性がバレると大変なことになるんでね」
「どういうこと? どこかの偉い家の出だったりとか?」
「その逆さ。捕まったらマズい素性なんだ。だからって、悪人って訳じゃないと自分では思ってる。メイベルのことも助けただろ。これまでもいろんな人を助けてきたつもりだし。だけどまあ、この神聖帝国の法律じゃあ、どうしようもないことなんだ」
どんな素性かは聞いてはいけないことなのだろうと、メイベルにも分かった。サムトーにはサムトーの事情があるのだ。
「そうなんだ。残念だなあ。もっと一緒にいたかったなあ」
「それは俺も同じだけどさ。まあ、今日の残り時間、せっかくだから楽しくいこう」
残るドーナツを平らげて、サムトーが次を促した。
「さて、次はいかがなさいますか、お嬢様」
こういうところは相変わらずだなあと思いつつ、メイベルが答える。
「どこか景色のいいとこ。そうだ、大聖堂の屋上がいいかな」
教会の持つ建物で、街一番に大きいのが大聖堂だ。鐘を鳴らすところが屋上になっていて、知っている人は少ないが、城下町が一望できる隠れた名所でだった。
この大広場からほど近いところに大聖堂はあった。外階段を登って、五階分登っていく。そう広くはないが、確かに見晴らしの良い場所だった。奥の方には時刻を告げる鐘と、その鐘を鳴らしに来る教会の人が使う、内階段の扉が見えた。
「ここも久しぶり。相変わらずいい眺め」
街の建物でここより高いものは数少ない。城壁の手前まで良く見通せる。遠くの建物が小さな箱のように見えるし、下に見える通りを行く人も小さく見える。城壁の向こうでは、日が傾き、少しずつ赤みが差してきていた。青空がとても広く見える。中々に気分の良い場所だった。
「さっきはもう分かったって思ってたけど、やっぱり未練が残るから。あの時経験しておけばよかったって、絶対後悔するから」
突然、メイベルが謎の言葉を言い始めた。だが、真剣に考えている様子が見られて、サムトーも黙ってそれを見つめていた。
「うーん、いざとなると、ちょっと恥ずかしいかも。そのくすぐったい感じが好きでいてうれしいってことにつながってる感じがするわ。だからね、サムトー、お願い」
そう言うと、目を閉じて顔をやや上に向けた。この動作がどんな理由なのかは、さすがに誰にでも分かることだった。
サムトーも顔を近づける。二人の唇がゆっくり重なった。
しばらくして、そっとそれを離す。
「ありがとう。私、サムトーのこと、ただ好きなんじゃなくて、ずっと一緒にいたい好きだってことが、今のではっきりと分かったみたい。こういうことは経験しないと分からないものなのね。友達の言っていたことが、今ならわかるわ」
「ごめんな、旅の剣士で。一緒にいたい好きっていうのは、俺も同じだ。メイベルは、明るくて、楽しくて、きれいで、話しやすくて、旅の間も退屈しなくて、それでいて頑張り屋でって、いくらでもいいところが出てくるな。知り合えた幸運に感謝してる」
「ありがと。あー何かすっきりした。人を好きになるって、うれしいことだね。サムトー、大好き」
メイベルがサムトーの腕に抱き着いた。そのまま二人は夕日が赤く染まるまで、寄り添って景色を眺めていた。
風呂と夕食を済ませて、サムトーとメイベルは、宿の一階のテーブルに二人で陣取り、別れの宴を開いていた。
一杯目のうちは、旅の出来事を振り返り、一緒の旅の楽しかった思い出を語り合っていた。
それが二杯目になって、急に変わった。
「ふふん、私は嫉妬して怒ったりはしないからね」
少しだがメイベルの目が据わっている。そこそこ酔っているようだった。突進系な物言いが多いだけに、何事かとサムトーも内心で身構えた。
「サムトーはさあ、これまで旅して人を助けたとか言ってたでしょ。それって若い女の子も多かったんじゃないの」
そこに来たかあ。嫉妬という言葉は、この前振りだったのかと納得する。
「まあね。その中で、一番下は十一才だったよ」
嘘をつくのは性分に反するので、嘘のない範囲で答えた。答えてない部分も多いが。
メイベルがエールを軽くあおった。ふうと大きく息を吐きだして、大事なことを指摘するような口調で言った。
「それでも女の子だったでしょ。私には分かるんだから。絶対その女の子もサムトーのことが大好きだったはずよ。きっと別れが辛くて、泣いたりもしたんじゃない?」
さも見てきたようなことを言う。そして見事に当たっているのである。
「何で分かるの?」
「そりゃあね。あれのおかげで、もういろんなことが分かっちゃったわよ。経験は人を賢くするのね。それで、サムトーもその子のこと好きだったんでしょ。分かるわあ」
何か変な悟りを開いたようだった。湿っぽくならないのはいいが、一体なぜにこうなった。
「まあ、かわいい子だったしな。でも、旅の相棒として、ちゃんと大事にしてたぞ。それに、十一才とはいえ女の子だったから、いろいろ気も遣ったしな。まあ、ここにいる誰かさんは、着替え見られても減るもんじゃないしとか、言ってたけどな」
「そりゃそうよ。むしろ見てもらえて良かったというか。私も結構見られたものだったでしょ」
あ、開き直った。これだからこの娘は面白い。こういうところが好きなんだよなと思い、サムトーはつい笑ってしまった。
「あ、ウケた。朱に交われば何とかって言うけど、私もサムトーのおかげで面白味が増したってことね。良かったわ」
「それって良かったのか」
「もちろん。だって旅の相棒だもの」
メイベルがきっぱりと言い切った。
「さっきの子が相棒だったとしても、私だってサムトーの旅の相棒だったんだから。お互い大切な存在になれたのがうれしいのよ」
こんな風に認められると、サムトーもうれしい。そして、それをあえて曲げて出すのもいつものことだった。
「光栄なことでございます、お嬢様。わたくしめも、大切な相棒としてお役に立てたことを、誇りに思っております」
メイベルがにっこりと笑った。サムトーの相変わらずの外れっぷりが楽しく、そして自分が大切だと言われたことに満足したようだった。
「ありがとう。以前どんな相手を好きになっていても、今、私のことを好きでいてくれるサムトーが大好き」
落着点はここだったか。サムトーにはとても納得がいった。
サムトーはエールを軽くあおると、笑顔を返して言った。
「俺もメイベルを好きになって良かった。こうして一緒に飲んでると、本当に楽しいな」
「ほんとだね。そんじゃ、最後まで楽しくやりましょう」
「おう。楽しいと言えば、宿でやったカード、面白かったな。お互いいい勝負でさ」
「そうね。あんな単純なゲームでも、すごく盛り上がったわね」
「メイベルの負けず嫌いも大概だったな」
「サムトーこそ、小技使って引っかけようとか、せこかったわね」
そんな感じで、二杯目が空くまで、楽しく会話が続いたのだった。
翌五月十六日。
朝、日課の素振りをやっていると、メイベルも仕事着を着てやってきた。今日から仕事に復帰するらしい。
「相変わらず、見事な腕前ね。さすがサムトー」
そう言って、メイベルは顔を洗い、水を飲むと、しばらく素振りを見ていた。これで見納めとばかり、目に焼き付けるように真剣だった。
「これだけが取り柄だからね。腕が鈍っちゃ話にならないっと」
サムトーもそんな返事をしながら、素振りを続けた。
やがて、素振りを終え、荷物を整理して、朝食となる。
メイベルが給仕をしてくれた。彼女は先に賄いを済ませたようだった。
「今日は私が作ったの。最後に味わってほしくて」
「お、そりゃいいな。いただきます」
ベーコン入りのスクランブルエッグとスープ、サラダとパン。普通の朝飯だが、メイベルの手作りとあっては、一層おいしく感じた。
「うん、うまい。ありがとな、メイベル」
「どういたしまして。これでも宿屋の娘だからね。それこそ朝飯前よ」
「お、うまいこと言うなあ」
他の客も少なく、メイベルは食べ終わるまで近くで話をしてくれた。
だが、二人でいられる時間も終わりである。
「ありがとう。ごちそうさま」
サムトーは食べ終えると、部屋へと戻り、旅支度を済ませる。
いよいよ出発だ。
メイベル達一家が、全員で見送ってくれた。
「サムトーのおかげで借金も返せたし、これ以上ないくらい楽しい旅ができたわ。私、一生忘れないよ」
「ああ。俺もメイベルのこと忘れない。で、これを受け取ってくれ。二人の旅の記念に」
露店市で見つけた、鳥の形をしたガラス細工だった。
メイベルはそれを受け取ると、大事そうに優しく握りしめた。
「ありがとう。じゃあ、元気で、いってらしゃい」
「いってきます。メイベルも、みなさんもお元気で」
サムトーが歩きだす。一家全員が深々と頭を下げた。
「またのお越しをお待ちしております」
サムトーが大きく手を振った。別れは寂しいが、清々しさもある。
さて、北へ向かおう。
一年ぶりのスニトの村を目指して、サムトーは進んでいくのだった。
──続く。
今回は交易で儲ける話がテーマです。輸送の手間暇の大変さを描いてみました。近世ファンタジー風異世界だけど、生活感をリアルにしているのがこのサムトーの特徴ですね。今回もほっこり描写が多目で、最後はきっちりラブコメでしたね。そういう話の好きな方に、楽しんでいただければ幸いです。評価や感想なども頂けるとありがたいです。