魔術の勉強開始
「パペットや」
「なあに?おじいちゃん」
「魔術の修行を開始する。」
「な、なんじゃと!?」
余りの動揺につい爺口調になってしまった。
それよりも、楽しみでしかたがなかった魔術修行がついに始まると聞いて浮き足立つ。
「どこに行く!?時の流れが違う部屋!?それとも魑魅魍魎が蔓延る無人島!?それともそれとも、カエルがいっぱいいる場所!?」
「む、むぅ?もしそんなのがあれば、確かに便利じゃが、最後のはなんじゃ?カエルがたくさんいる場所?残念じゃが、修行で外出はせんよ」
「そ、そうなんだ。じゃあ、気にしないで」
そうするつもりはなかったのに、自分でも驚くほどあからさまに落胆してしまった。
「まあまあ、そう落胆するでない。お前が望むようなところには行くことは出来んが、修行場所はなかなかのもんじゃぞ?」
「お、おお?」
おじいちゃんがたまにやるミステリアスな雰囲気を醸し出して、チ、チ、チと舌を鳴らす。
なんだろうか。
外出はしないってはっきり言っていたし、まるで家の中に秘密の場所があるような言い方だ。
だが、おじいちゃんが魔術師だったって聞いてから、隠し扉はないかと家中の床の傷を探したが、特に不自然なものはなかったはずだ。
「ついてまいれ」
「う、うん」
腰に両手を当てて歩くおじいちゃんの背中が、いつもより高く見えた。
俺は今からいったい、どこに連れていかれるのか、と恐怖と期待の入り交じった感情を覚える。
そうして、おじいちゃんの背中を追いかけて辿り着いたのは、おじいちゃんの人形師としての仕事の作業場だ。
「ここでやるの?」
「そう焦るでない」
そう言うと、作業場にある、片腕ほどの大きさしかない四体の人形が独りでに動き出す。
これは、おじいちゃんがよく近所の子供たちに披露している傀儡師としての技術だ。
四体の人形がそれぞれ、部屋の四隅へと走り出し、片膝を立てて両手を地面につける。
すると、人形たちが手を着いたところが発光し始め、光の線が中心の何も植えてない鉢へと地面をなぞりだした。
やがて、4つの光の線が鉢へ辿り着くと、何も無かったはずの鉢から木が生え始め、部屋の西側の壁へと伸びていく。
伸びた木は西の壁にたどり着くと、壁に円を描くように曲がって伸び続け、完全に縁を描き終わってから成長が止まった。
それはあたかも異界への入口かのように。
「くっくっくっ。ほれぼーっとするでない。」
いつの間にか、手が丸々入ってしまうんじゃないかというくらい口を開けていたようで、閉じてから急いでおじいちゃんに着いて行く。
あまりの感動に鳥肌を通り越して、手が震えてしまっていた。
「おじいちゃん!」
「なんじゃ」
「男のロマンっていうのを分かってるよ!」
「そうじゃろうて、そうじゃろうて」
木の入口をくぐると、階段が続いていて、おじいちゃんの速度に合わせてゆっくり降りていく。
降りきった先には書物がびっしり詰まっている書斎と、何も家具を置いていない部屋に別れていた。
「うおおおおおおおお!!!」
さながらそれは、魔術師の秘密基地。
思わず俺は叫ぶ。
「修行を始めよう!おじいちゃん!」
しかし、横にはだらしなく舌を出しながら、おじいちゃんは両手を膝についていた。
「と、年寄りには、ハア、この階段は、ハア、ちときついわい」
あんた雰囲気台無しだよ、おじいちゃん。
***
「大丈夫?」
「いやいやぁ、すまんのぉ。少し年寄りには階段がキツくてのぉ」
おじいちゃんを落ち着かせるために水を渡す。
「ではまず、概念の話を話すかのぉ」
息が整え終わったのか、おじいちゃんはこの世界の魔術の概念を語り始める。
しかし、まだこの世界に来て聞いたことがなかった大陸共通語がたくさんあり、質問をしたりと授業自体は円滑に進まなかったので、自分の中で話を整理してみた。
魔法。
それは歪んだ魔力が呼び起こす本来の理である物理現象とは異なる事象。
それをイメージや理論を以て、魔法現象を術式という手段で再現するのが魔術、ということらしい。
術式というものの中で、目に見える形で現れるものは、詠唱や魔術陣などがある。
では、魔力とは何だろうか。
現代魔術理論で解明されていることは、この世にはあらゆるエネルギーや物質が存在しているが、それらの明確な形になる前の姿ということらしい。
そうしてこの宇宙のありとあらゆる物質が、様々な変化や要因でまた魔力になってと繰り返して、循環しているみたいだ。
そこで魔力の粒子ひとつひとつが、物質やエネルギーに変化した時の記憶を持っているという。
つまりその記憶に、術式という手段でアクセスすることで魔術が使えるようになる、とおじいちゃんは話していた。
故に、魔術には魔夢が大事と言われている。
イメージというのは、魔力の粒子ひとつひとつが持っている記憶に、アクセスするきっかけのひとつになるらしいのだ。
「じゃあ、こんな難しい話ばかりしていてもつまらないじゃろうから、実際に使えるようになる訓練をしてみよう。」
そう言うと、おじいちゃんが俺の肩に手を置いた。
「これは魔術師を育てるにはオーソドックスな方法じゃが、結局これが一番効果的じゃ。」
その言葉を合図に俺の身体の中に、何か流れ込んでくるのを感じた。
同時に痛みが走る。
「痛いッ!」
「ふぉふぉふぉ、これは嬉しい誤算じゃのぉ。お主は魔力に敏感なタイプみたいじゃな。暫くは痛いじゃろうが我慢しておれ。」
痛みはどんどん強くなっていく。
━━━━━━━耐えろ。これは必要な事だ。
俺の中に異分子が流れ込んでくるような感覚だ。
まるで俺の身体が、その異分子に対して拒否反応を示しているような。
そして、無理やり身体の中身を作り替えられているような。
「分かってはおったが、かなり凝り固まっておるのぉ。痛みで聞こえてるか分からんが、これは魔法回路と言ってのぉ、人が魔術を使う時に必要な器官なんじゃ。今それをなめらかにしておるからもうしばらくの辛抱じゃぞ。」
当然痛みで頭に入ってこない。
叫ぶほどではないが、奥歯を噛み締めていないと意識が持っていかれそうになる。
「幸い、魔力の感覚には初めから敏感なようじゃから、詠唱をすればすぐに使えるようになるぞ、頑張るのじゃ。」
段々と。
痛みが薄れてきて、すぐに使えるようになる、という所だけが聞き取れて、希望が見えてくる。
「終わりじゃ」
「はあ、はあ、はあ」
しばらく酸素を吸うことを忘れていたようで、息を目一杯吸い込み、思いっきり吐く。
そうして、深呼吸を何度か繰り返してようやく落ち着く。
「魔術、使える?」
「使えるぞ。試してみるか?」
「うん!」
「じゃあ、ほれ。土の団子を生み出す魔夢でこれを読み上げてみよ。」
おじいちゃんから何やら呪文が書かれた紙を渡された。
おじいちゃんの指示通りに、イメージをしながらそれを読み上げてみる。
『出現せよ、土塊』
すると、どうだろう。
おじいちゃんの手から流れ込んできたものと似たような、自分の中の正体不明の力が手に集まってきて、俺のイメージ通りに土の塊が出てきた。
「おおおお!」
「上出来じゃ」
おじいちゃんも俺が魔術を使ったことに満足気に頷く。
「魔術が使えたよ、おじいちゃん!」
「ほぉほぉほぉ、そうじゃな」
はしゃぐ俺を見て、おじいちゃんは優しく微笑む。
自分の手の中で出現した土の塊を眺めて、感動を噛み締める。
「じゃあ、次は詠唱をなしに再現してみよ」
「さっきの呪文をなしに?」
「ああ、詠唱の時に感じた魔力の流れを再現しながら、土の団子を生み出す魔夢をするのだ。」
「分かった。…………………うぅーん」
これはなかなか難しい課題だな。
順序を追ってみよう。
まずは、さっきの力がどこから出てきたか、だ。
確か…………、心臓?の近くからだったような気がした。
おじいちゃんから流れ込んできたものや、自分の中から引き出したものの流れを頼りに、想像してみる。
お、出てきた。
しかしまだ、俺の身体の中をぐるぐるしている状態だから、それを手の方に集めることを試みる。
そろそろ、集まってきたかな。
ここで、土の塊が出てくる魔夢。
「おおお!?」
驚いたようなおじいちゃんの声が聞こえてきたので、頭の中で魔夢するために閉じていた目を開いてみる。
すると、先程とは一回り大きい土の塊が手の中にあった。
「出来た………………。」
「魔力に対する感覚が敏感じゃったから、もしやとは思っていたが、まさかこんなに早く………………。」
おじいちゃんは、俺の魔術の成果に驚いたようで、手を顎に置き、何やら考えているような仕草を見せる。
出来は良かったようで、大好きなおじいちゃんに褒めてもらい少し誇らしくなった。
「くっくっくっ、ここまで優秀なら、あれを試そうかのぉ」
おじいちゃんが何故か突然気味の悪い笑みを浮かべる。
その台詞と表情から良くないものを感じ取って、顔が引き攣った。
またもや、おじいちゃんの手が俺の肩に置かれる。
「少し気持ち悪くなるじゃろうが、我慢するんじゃぞ?」
その言葉を皮切りに、身体の力が全部なくなった。
突然のその感覚に、思わず吐きそうになる。
「今パペットの体から全ての魔力を抜いたのじゃ。これは魔力欠乏症と言っての。その症状を治すには魔力を回復させなきゃならん。さっきの魔力の感覚を大事にして、周りからかき集めてみるのじゃ。」
「うぅ、おえぇぇ」
「息を吸うように、というのがコツじゃな。」
吐き気でそれどころではない。
しかし、少しでもこの吐き気が治るなら、と藁にも縋る気持ちで必死に呼吸を繰り返す。
もちろん呼吸するだけではダメだ。
そもそも、魔力とは空気中に存在するものなのだろうか。
少しでも周囲から何かを感じ取ろうとして、感覚をより鋭敏にしていく。
そうだ。
この世界に生まれてからずっと、何かが違うと、感じていたではないか。
それは実は、魔力だったんじゃないだろうか。
ではその違和感を、明確な力として吸い込むためにはどうすればいい。
今思えば、おじいちゃんはずっと答えを口にしてくれていた。
━━━━━魔夢、だ。
呪文無しの魔術、無詠唱魔術ではイメージと魔夢の違いを学んだ。
ただ何も感じず、何も考えない、形だけの想像のイメージでは魔力の記憶にアクセスはできない。
物凄い嘔吐感の中で、周りにただよう力に集中する。
そして、呼吸。
今度はただの呼吸ではない。
口から周りの力をかき集め、それを自分の中に取り込み、浸透させる。
自分の想像に付随して、魔力の粒子一つ一つの記憶にアクセスできていることを感じる。
次第に魔力を吸収できるようになっていった。
それと同時に嘔吐感は引いていく。
「はあ、はあ、はあ」
「上出来じゃ、上出来。かなりのペースで色々教えたが、何とかなるもんじゃのう。」
おじいちゃんの呑気な声を聞いて、初めてこのジジイめ、と悪態をつきたくなった。
だが、おじいちゃんに上出来と言われ、安心してしまったのか、突然意識が暗闇に持ってかれた。
「………………、少し無理をさせすぎたようじゃなぁ」