9.提案
それから七生は、元々上げていた料理の腕を、更にメキメキと上げた。
七生は洋食はもとより、和食も中華もプロ並みに上達し、料理人を目指した方がいいのではと思うほど。
本人はそんな気は無いらしく、ただただ、皆の「お代わり」を目指し日々精進している様だった。
家事も掃除も皆の世話も、ほぼ完璧。
せっかく岳はフォローしてくれたのだが、俺は今やすっかり居場所をなくしていた。
それでも、じきに俺の山小屋での仕事が終わる。
そうなれば、七生の仕事も終了となるはずだが、この分だとどうなるか分からない。
それまで一週間のうち、二日間休みを貰っていたのを、一日に減らす日もたびたびだった。
「大和。最近、元気ないな?」
仕事の合間、昼過ぎの休憩時間。
山小屋の裏口あたりの木箱の上に腰かけ、日向ぼっこするおじいちゃんよろしく、ぼーっと山並みを眺めていれば、背後から祐二に声を掛けられた。俺は首を振る。
「んなこと、ねぇって。俺は幸せいっぱいだ──」
と、祐二が右の頬を力一杯、ぎゅっとつまんできた。
「った! いてぇな! んだよっ」
「口がへの字になってる。言葉と表情が一致してないな。…どうせ岳先輩だろ? 原因は」
「ち、ちげーよっ! 岳は──別に、関係ねぇ…」
いや、あるのか?
俺が気落ちしてる原因に絡んではいる。
岳は以前にもまして、スキンシップ過多になった。帰れば時間がある限り、俺に引っ付いている。
冗談かと思うが、隙あらば俺を背後から抱きすくめ、のしかかり、ヘッドロック状態にする。これが、所かまわずだ。
リビングで会話している最中も、部屋で二人きりで話していても。とにかく、暑苦しいくらいだ。
二人きりなら別に平気だ、というか、大歓迎で。でも、皆の目があるところでも──となると。
愛情が足りないとか、そんなんじゃなく。直接岳が原因ではないのだ。
「けど、まったく関係ないわけじゃないんだろ? 話してみろよ。頼もしい先輩に」
「…別に、たいした事じゃないんだ」
何も知らない祐二だから、素直に言えた気がする。俺はここの所の状況をかいつまんで話した。
家事全般をしてもらって。皆笑顔で過ごしてる。何の不都合もないのに、今の七生中心の状況に寂しさを感じている。
俺が皆と同じ様に、受け入れればいいだけなのに、心の狭い俺は、七生に羨ましさを感じてしまうのだ。
それに加え、七生は岳に好意を寄せているようで。──いや、寄せている。間違いない。けれど、この部分は話さなかった。
プライベートなことだ。知ったからと言って、軽々しく口には出来ない。
「フーン…。なら、当分、帰らなくてもいいんじゃないのか?」
「はへ?」
祐二の提案に俺は驚く。
「ま、それすると、岳先輩が怒るか。大和も充電切れるしな…」
「む、無理だって。そんなの──」
あり得ない。
「岳先輩もなに考えてんのかな?」
「…直に七生の手伝いも終わる。それまでの事なんだ。実際、家事もやってもらって助かってるのは事実でさ。俺が…我儘だから──」
「我儘じゃないと思う。大和の今の居場所は自分で築いたものだろ? それを突然、横から奪われたら呆然となるだろ? 今の大和は間違ってない」
「ふ…。祐二は優しいな」
「茶化すなよ」
大きな手がガシガシと頭を撫でていった。
「いっそ、何かやってみたらどうだ? 時間、あるんだろ? そいつがいるうちにさ。何なら休み増やしてもいいぞ」
「何か──?」
「そうだ。気になること、なんでもいい」
なんでも──か。
俺は思いを巡らせた。
今、してみたいこと。
それは──。
+++
「仕事を手伝いたい?」
俺の言葉に岳は、もう一度言った言葉を繰り返す。
寝る前、ベッドでくつろぐ岳に提案したのだ。空いた時間に仕事を手伝いたいと。
俺は岳の足元あたりに腰かけると。
「そう。ここでぼーっとしてるくらいなら、岳の手伝いがしたい。月火だけだけど。でも、休みは融通が効くし、裕二も休み増やしてもいいって。そうしたら、岳の役に立てるし。…ダメか?」
ちょっと下から見上げる感じでお願いする。僅かに岳の頬が赤くなった。照れたのだ。岳は俺のこのお願い攻撃に弱い。
ふふ、俺もすっかりワルだ。
岳はすっと視線を逸らしつつ、
「…それは手伝ってもらえたら助かるけど」
「なら決まりだな? ま、簡単な事しかできないけどさ」
「大和が役に立つのは分かってる…。けどな…」
以前、手伝った事もあるのだが、なぜか今回は渋る。
俺の上目遣い攻撃も効かないとは。
いったい何があるのか。岳はうーんと唸ったあと、髪をくしゃりとかき上げ。
「分かった…。ただ、いま受けている仕事のクライアントが、少し問題ありでな」
「問題?」
「モデルなんだが、うちのスタッフも被害にあった…」
岳は俺をちらと見た後。
「被害って?」
「少し、手癖がわるい。スキンシップが激しいんだ。セクハラまでは行かないけど…。だから今は俺一人で対応してる。極力スタッフは俺がいるときだけで、二人きりにはならないよう注意してるんだ。タイプと思うと見境がない」
「岳は大丈夫なのか?」
するとクスリと笑って。
「俺は対象外とのことだ。…小さくて可愛いのが好みらしい」
「小さくて…かわいい…」
じゃあ、亜貴とか七生とか、危ないんじゃないのか? ことに七生は俺より小柄だし、なにより誰が見ても──かわいい。ふぐ…。
しかし、岳は。
「だからお前を近づけたくない…」
「はぁ? 俺だぞ? どんなに頑張ったって、かわいくなんか見えねぇって。七生とか亜貴とか気をつけた方がいいだろ? 下の事務所にも来るのか?」
「…いや。今の所、会うのは外のスタジオだ。相手の仕事の都合もあってな。撮り終わるのに三週間ほどかかる…」
「じゃ、俺使えよ。俺なら絶対大丈夫」
正直、俺を『かわいい』と思うのは、好意を持ってくれた相手のみで。
一般的には単なるヤンキーでモブな奴だ。どう見繕っても、亜貴や七生のように、一瞬で見惚れるような容姿ではない。自信満々でそう言えば。
「…っまえは、ほんと──」
「んだよ。本当の事だろ? 岳が思うような目にはどうやってもあわない。とりあえず手伝わせろって。一人でやってんの、大変だろ?」
「わかった…。だが、何かあればすぐ言えよ? 遠慮しなくていいからな?」
「やった! 了解」
ふへへと笑んでガッツポーズを決めれば、岳は大仰にため息をつき、顔半分を手で覆った。
「…心配だ」
「ったく。ちょっとは、一般的な目で俺を見ろって」
「惚れた欲目だって?」
「ま、そう言うこと。心配し過ぎだって」
俺は岳の足の上にダイブして寝転がると見上げた。顔を覆った指の間から俺を見下ろした岳は。
「…わかってない」
ぽつりとそう漏らした。