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Take On Me 3  作者: マン太
38/49

38.ネズミ

 それから二時間ほど経った頃、事が済んで煙草をふかしていた久我が、二本目を咥えた所で、端末に部下から連絡が入った。

 それに応じたあと、久我は紫煙を一つ吐き出し、半分以上残ったそれを灰皿へ押しつける。クシャリと潰れたそれが、何故か自分と重なって見えた気がした。


「…どうしたの?」


 アレクはベッドの上で微睡みながら、久我のよく均整の取れた背に入ったタトゥを見つめる。

 黒地で羽根とドクロと心臓、クルスが描かれている。血みどろの心臓だけが紅く描かれていた。それとは別に、深い切り傷や銃創の痕が見られる。

 この男のくぐって来た世界が垣間見える気がした。

 久我は端末を履いていた革のパンツのポケットに押し込むと。


「ネズミが一匹捕まった。お前はあのガキの様子でも見てこい。そうは言っても、くたばってたら困るからな? 今はまだその時じゃねぇ…」


「いいけど…。ネズミって、そいつ、どうするの?」


 すると久我はサイドボードに置いていた銃をパンツの背中側に差し込み、上から着てきた黒いシャツを羽織った。それから薄く笑って、肩越しに振り返ると。


「聞かない方がいいだろ?」


「……」


 それでラルフは押し黙った。

 久我が去った後、シャワーを軽く浴び、白いシャツとジーンズのラフな服に着替えると、ゲストルームの一室に閉じ込められている大和の様子を見に行った。

 入口には見張りの男が立っている。ラルフは気にせず、ドアを軽くノックをすると、


「大和くん、入るよ」


 返事はない。鍵を開け、ゆっくり押し開くと、間接照明のルームランプに照らし出される大和がいた。

 大和はクッションの一つを抱え込み、ソファの上でじっと考え込んでいる。


「…身体、大丈夫?」


 聞かずとも分かる事だが、それでも尋ねた。


「手加減なしで殴られたんだ。…大丈夫じゃねぇ。けど、ある程度は鍛えてるから平気だ」


 大和はむすっとしたまま答える。


「今更だけど、ごめん…。こんな事になるなんて…。久我が岳さんを恨んでたなんて、知らなかったんだ。僕はただ、弟の仕返しがしたくて…」


「岳が言ったろ? 弟が亡くなったのは、岳の所為じゃない。俺は詳しくは聞いてない。けど、岳は嘘は言わない。…僅かだろうと付き合った相手なら尚更だ」


「……」


 ラルフは唇をかんだ。そこはまだ信じきれずにいる。


「岳は──別れた相手でもちゃんと気にしてる。俺の知っているのは一人だけだけど、その人は夜の街でバーを経営してて、岳はそれを陰から支えてた。別れたからって終わりじゃない。岳はきっと、弟のことも気に留めていたはずだ。…そういう奴なんだ」


「僕は、知らないもの。岳さんがどんな人物かなんて…」


 ラルフは捨て台詞の様にそう口にした後、


「所で、君と久我は面識があったの?」


 話題を変えるように久我の話を持ち出した。これ以上、弟の件は話したくない。


「久我の事は知らなかった。…けど、古山の件であの場にいたなら…俺の事を知っててもおかしくはない」


「どうして…古山を襲ったの?」


 大和は小さく息をついたあと。


「岳を──巻き込もうとしたからだ…。あの時は古山をやるしか逃げ道がないと思った…。久我って奴はそれを覚えてたんだろ。俺が危うい奴だって…」


「だから久我は、前と同じ状況を再現しようとしたのか…。君を混乱させて、岳さんの元から逃げ出すように仕組んで…」


 大和はその言葉に俯く。ラルフは首を傾げつつ。


「なんであんな面倒なことをして見せたのか、気になってたんだ。──まあでも、君は強くて拉致し辛いから、その手に切り替えたのかも知れないけど…」


 ラルフは腕を組み、ため息をもらす。大和は視線を床へ落としたまま、


「久我のやり方は正解だ。俺は一瞬、自分がとうとうやったのかって…思った。でも、やってない筈で…。けど、怖くなった。俺はまた、同じことをするかもしれないって…」


「だから、岳さんと別れる…?」


「そうだ。俺の中で、ずっと引っかかってたんだ…。今回の事でそれがはっきりした。俺みたいに危ない奴は、岳の側にいたらいけないんだ。岳を…不幸にする。──ラルフが俺を騙したせいだけって訳じゃない」


 大和はぐっと拳を作って握り締める。元々燻っていた思いなのだろう。


「そう…」


 大和はラルフを見上げてくる。


「岳は嘘は言わない。ラルフの弟の件、あれは岳の言う通りだと思う。岳は自分をよく見せるために、取り繕ったり、事実を捻じ曲げたりしない」


「……」


 ラルフは何も言わずに、そう口にした大和の顔を見つめた。

 自分のしたことが目の前にある。

 どこか顔色も悪く、痩せたよう。ただ、目だけが炯々と光る。


 まるで追い詰められた獣みたいだ。


 岳のもとにいた頃の大和は、こんな顔をしていなかった。

 いくら大和が違うと言っても、自分のせいでそうなったのは事実。望んだことなのに、なぜか胸が痛みを覚える。

 そうこうしていると、ドアの向こうが騒がしくなった。久我の部下が怒鳴っているのが聞こえる。

 どうやら、久我の部下と捕らえたネズミと言い争っているらしい。大和が何事かと顔を上げた。

 そこで『何か』に気づいたらしい。


「…藤?」


 『何か』を聞き取った大和は、即座に立ち上がり、ラルフの静止を振り切って部屋の外に出ようとする。


「ちょっと! 待って──」


 外に見張りがいたため、鍵はかけていなかった。大和の肩に手をかけたのと、大和がドアを開けたのが同時。

 そこには久我の部下に抵抗している大柄な男がいた。


「藤…」


 大和が驚いた様に名前を口にすると、男が弾かれた様に顔を上げた。


「大和──」


 男の顔に安堵が浮かぶ。

 しかし、次の言葉は久我の部下に邪魔され、続く事はなかった。


「ほら! 歩け!」


「待てよっ! 藤をどうするつもりだ!」


 大和は部下に掴み掛かろうとするが。


「部屋に引っ込んでろ」


 背後から現れた久我が大和の肩をつかんで、ラルフの方へ押しやる。部下達と大柄な男、久我は向かいの部屋へと姿を消した。

 そこはトレーニングルーム用に作られた部屋で、防音設備も整えられている。

 大抵、血なまぐさい行為が行われる場所で。大和は尚も藤の後を追おうとするが、それをラルフは必死に引き止める。


「ダメだってっ!」


「離せ…っ、藤!」


 一層、後戻り出来ない状況にラルフは深いため息をついた。

 

+++


 藤はその日も、久我を追っていた。

 久我は全く動かない日もあれば、あちこち出歩く日もある。その日は出歩く日だった。

 大抵は午後から持ち場の店を回り、何処かの店で朝方まで飲んでいる。

 だが、その日は事務所や関係各所を回った後、夜遅く、とあるマンションまでやって来た。

 車は滑るように地下駐車場へと入って行く。いわゆる高級マンションだ。ここへは初めて来る。


 例の女──いや、男のもとだろうか。


 岳からその人物について聞かされていた。

 久我の情夫。モデルのラルフ・海斗・エナンデル。なんと、岳の受けた仕事のクライアントだったのだ。世間は狭い。

 久我を追って二週間。

 そろそろ尾尻を見せてもいい頃だった。

 何階に向かったかは分からない。住んでいる住人も、姿を見せなければ確認はできなかった。大和がいるかは分からない。


 一瞬でも顔を見せれば、それも分かるが…。


 車を近くに停め、向かいの公園に入り身を潜めると、マンションを見上げた。

 藤はランニング中の体だ。キャップにランニングジャケット、Tシャツ、ロングパンツ姿。何処にでもいるジョガーだ。夜間、走る者も多い。見かけた所で不審がられはしない。

 何か動きはないかと見ていると、しばらくして上階に動く人影をみた。

 手摺に身体を預け、あちこち見回している。夜中にそんな様子を見かけるのは珍しい。ふと、その姿に見覚えがあるように感じた。


 ──大和?


 暗闇とは言え、その見慣れた輪郭を見間違うはずがない。


 ここにいたのか…。


 ようやく見つけたその姿に、安堵と同時に早く助け出さねば、そう思い、岳に連絡を入れようとした矢先。


「おい。お前、上まで来てもらおうか…」


「!」


 背中にゴツリと固いものが当てられる。僅かに振り返ると、見覚えのある顔。久我の手下だ。よく久我と行動を共にしていたため、覚えていたのだ。

 当てられたそれが何なのか、見なくとも分かる。銃口だ。つい、大和に気を取られ背後の気配に気づくのが遅れたのだ。

 今まで敵に背後を取られた事など無かったと言うのに。うかつだった。


「下手に暴れれば、ここでやる」


「──わかった」


 仕方なく、藤は言われるまま、男達の指示に従った。

 向かったのはマンションの一室。大和はやはりそこにいた。

 部屋に入った所で少し暴れて見せると、声に気づいた大和が横の部屋から飛び出してきたのだ。 

 久しぶりに見た大和は、ずいぶん痩せた様に見えた。頬のあたりには擦り傷と、口元に血が滲んでいる。顔は腫れてはいないが、殴られた事は確かだ。


 酷いことを──。


 大和が弱くない事を知っている。

 けれど、幾ら鍛えても体格差はなかなか補えない。だから、避ける方法や、受け身を強化して教えてきた。

 しかし、こんな連中にやられれば、それもたいして効果を示さないだろう。


 すまない。大和。もっと早くに見つけられていれば…。


 そのまま、大和とは離され、別室へと連れ込まれた。

 広くがらんとした部屋。奥にはバーベルやダンベル、その他鍛えるための器具が幾つか見える。

 ただ、それがまともに用いられているのかは分からなかった。それは床に残された黒い染みが物語っている。血の跡だ。

 ここで何が行われて来たか、容易に推測予することが出来た。

 大和に会えた一方、状況は不利でしかなかった。手を拘束され、銃を突きつけられたままでは、大和を救い出す事など出来ない。

 続いて久我が入って来た。黒いシャツを羽織った久我は何処か気怠げにも見える。その様子に、情事の跡が見て取れた。先程まで誰かと事を構えていたのかも知れない。

 古山の元部下。一番注意しなければならない人物だ。


「大和に何をした?」


 壁際に佇む久我に向かって問う。


「人質なら、俺がいればいい。大和は解放しろ」


 尚も言い募れば、


「うるせぇ! 黙ってろ!」


 部下が腹部を蹴りつけてきた。


「お前、鴎澤岳のとこのもんだろ?」


 久我が薄っすら笑みを浮かべて尋ねて来る。


「……」


 藤は答えなかった。答えずとも久我が知らないはずがない。久我はゆっくりとした足取りでこちらに向かってくると、立ち止まって見下ろして来た。


「答えないってことは、そうだってことか…。しかし、これはでかいネズミだな?」


 久我は薄ら笑った。途端に、鋭い蹴りが腹に入る。先程の部下の比ではない。


「っ…」


 久我はしゃがんで、藤の前髪を掴むと顔を無理やり起こさせた。


「お前みたいな手合は、痛めつけたって大して堪えねぇんだよな…。だからこそ、手加減なしで殴れるってもんだ」


 そう言うと、容赦なく殴りつけ、蹴った。何処をどう蹴れば、痛みが増すか知っている。歯を食い縛るしかない。

 どれくらいそうしていたのか、飽きたらしい久我が手を休めた。そうして、背後を振り返ると。


「──お前ら殺すなよ? あとは自由にしろ」


 その後、今度は手下にサンドバッグ同然に殴られ。

 鍛えられていると分かってか、手加減がない。その間、ずっと逃亡の手段を考えていた。


 大和を何としても、岳さんの元へ帰す。


 何処かに隙はないか──。

 先程、廊下に大和と共に女がいた。

 いや、あれが例の男なのだろう。確かに相当の容姿だった。久我が手元から離さないと言うのも頷ける。


 奴を人質に取れば、糸口が掴めるかも知れない。


 ラルフと久我を繋げたのは薬だった。


『例の大和に使った薬、あれで繋がったらしい。出所は久我だ』


 ここへ来る前、岳は藤に連絡を入れ、詳細を告げた。

 楠や他の過去の仲間に尋ねるうち、ラルフが使った薬の売人が、久我の息のかかったものだったと知れたのだ。

 ラルフの存在を知った久我が興味を持ち、引き合わされたらしい。

 ラルフのマネージャーからも、その行動範囲の情報を得ていた。久我が管理する店に頻繁に出入りしていたのだ。


「ラルフの尾行に切り替えますか?」


『いや。どちらも繋がってる。このまま久我の尾行を続けてくれ。そのうち必ず会うはずだ。そこに大和もいる可能性が高い…』


「わかりました」


『大和を見つけたとしても、決して一人で行くなよ? 行動は俺が行ってからだ』


 そう念を押された。


 しかし、結果はこうだ。


 久我の部下は九人。室内に四人。廊下に二人。外に三人。やれない数ではない。

 ただ、この久我が問題だ。藤が全力を出して五分五分というところか。

 銃は持っているだろう。背中に膨らみがある。それは部下も同じだった。それを出されると厄介だ。

 そうして僅かな隙を伺っていると、大和が途中で雪崩こんできた。ラルフとともにだ。

 大和は果敢にも久我に突進し、そして、突破口を作った。大和の機転に助けられる。

 久我から奪った銃を必死に構える姿に、いじましさを覚えた。ナイフならまだしも、一度も射撃など教えたことはないのに。

 しかし、無事に階下まで逃げたはいいが、大和は自分からも逃げた。


 そうして今に至る。

 岳へと連絡を入れたあと、大和の去った方向へ走るが、それらしき姿は見つけられなかった。


 岳は何処にいるのか。


 久我より先に大和をみつけて欲しかった。



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