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Take On Me 3  作者: マン太
37/49

37.手段

 なんてざまだ。


 せっかく藤に教わっているのに、何の役にも立てられていない。

 いや。それでも、瞬間、身体に力を入れる事は出来た。普段のトレーニングで殴られる事の方が多いせいだ。

 藤は避け方や、受けた時の体勢を教えてくれる事の方が多い。

 それは、一旦、殴り合いとなれば、どうやっても小柄な俺だと不利になると考えての事だったのだろう。


 役に立ったんだ。


 もろに入ったのは最初の一発だけ。後は何とか持ち堪えた。

 久我もあの言葉から、俺が鍛えられていたことを分かっていたのだろう。普通なら、最初の一発で気を失っている。

 けど。


 っくしょ…。いてぇ。


 痛いものは痛い。

 俺が転がっているのはモフッとしたベージュのラグの上だ。固い床でなかったのは唯一の救い。


「つっ…」


 久我達が去って三十分は経ったか、ようやくのたうつへび花火のごとく、ゆっくりと身体を起こす事が出来た。

 腹の辺りがミシミシ痛む。口の中を切ったし、さっきふっ飛ばされたお陰でぶつけた後頭部も痛んだ。


「少しは…手加減しろっての…っ」


 久し振りに手加減無しでやられた。

 当たり前といえば当たり前だが、藤はここまでやらない。

 それでも、俺がどうしても本気で一発殴って欲しいと頼んだ事があって、渋々一度だけ、本気で殴ってくれた事があった。

 でも。それには条件があって。

 俺は頭から、腕、脚、胴全てに防具を付けさせられ、それでようやくオーケーが出たのだ。

 まるで雪だるまのような俺の腹に一発だけ。

 俺はかろうじてその場に立っていられたが、それさえ、手加減されていたのだ。

 あれだけの巨漢に殴られて、立っていられるはずがない。さっきのように吹っ飛ぶのが落ちだろう。


 けど。こうなると、何としてもここを出ないとな…。


 しかし、逃げ出すのは容易じゃない。

 あの男は強い。

 ひょろっとして軟派に見えるが、ああいった手合いは見た目以上に手強いのだ。現に拳の威力は半端なかった。

 岳や藤を間近で見てきた俺にとって、強い奴が纏う空気を嫌というほど味わって来た。瞬間、敵わないと分かってしまう。


 俺のは結局、素人の域をでないからな。


 ヤンキー同士の殴り合いくらいならお手の物だが、プロ仕様の相手はまだできない。

 古山の件があって藤には鍛えて貰ってはいるが、やはりその道で生きている連中には太刀打ちできないのだ。


 藤を一発で仕留められたら、俺も一人前だろうけど。


 そんな日は永久にこないだろう。

 いつか岳に、お前は色じかけすれば、一発で藤を仕留められると言われたが、意味が分からなかった。

 俺がミニスカートを履いて、胸の谷間が見えそうな服でも着て、ウインクすれば仕留められるとでも言うのか。

 冗談はさておいて。


 あの久我と言う男から、どうやって逃げ出すか。


 俺は思案した。

 ここは七階でベランダから飛び降りるのには適さない。というか、それは天国への扉になる。避けたい方法だ。

 それでも、何か別の方法はあるかと、痛む身体を引きずって、ベランダへ出る。

 手摺から身を乗り出し、どこか足場になるものは──そう思って見回したが、下まで繋がっているのは、雨水の排水管だけ。


 これをつたって──行けるか?


 だが真っ直なそれは、よほどの腕力がない限り、つるつるすべり下まで持ちそうになかった。こちらも天国への扉がもれなく待っている。

 あとはベランダにある防火壁をぶち破って、隣のベランダからベランダへと移り、非常階段まで逃げる手段だが、これも一枚目の段階ですぐに気づかれ、連れ戻されてしまうだろう。

 俺は手摺にもたれ、途方に暮れた。

 逃げ出せない以上、残る手段は少ない。

 ここにいては久我に利用されるだけだ。とにかく、どんな手を使っても、ここを、久我のもとから逃げ出さなければならない。


 岳を守るためにも。


 俺は部屋に戻ってソファに座りこんだ。

 殴られた腹は痛むが、今はそれどころではない。

 この部屋には鍵がかかっている。

 運よく出られたとしても、久我の部下が見張っていた。


 唯一の突破口は──。


 記憶の中で、金色の髪がフワリと揺れた。


 ラルフだ。


 もし、ラルフを人質に出来れば、逃げ出す為の隙ができるかもしれない。

 久我はラルフにべた惚れの様に見えた。あれだけ執着しているなら、有効な手段だ。

 それにラルフは喧嘩慣れしていない。いくら小柄な俺でもやられる心配はなかった。

 他に名案はない。もし隙があればその時を狙う。

 俺は心を決めた。

 これが失敗すれば、次はない。今度こそ、久我は俺が逃げ出さないよう、手ひどい危害を加える可能性がある。

 そして、そうなれば、岳に打撃を与えるのは必死だ。それだけは避けなければならない。

 別れた後ならまだいい。けど、俺と岳はまだ繋がっている。


「…よしっ」


 まだ血のにじむ口元をぐいと手の甲で拭うと、その機会を待った。


+++


「大和くんをどうするつもり?」


「どうするも何も、さっき言った通りだ。鷗澤岳を陥れるのに使わせて貰う。お前だって、弟の恨みを晴らしたいんだろ? だったら文句なんてないはずだ」


 久我は部屋に入った途端、ラルフを背後から抱きすくめ、首筋や肩にキスを落としだす。

 服はすでに脱がされかかっていた。露になった上半身が寒い。素肌の上をなれた手つきで滑る久我の手は冷たかった。


「──っ、もう、僕の、復讐は終わったよ。これ以上、彼を拘束する理由はない…、っ…」


「なんだ? 暫く一緒に飯でも食って、情が湧いたか?」


 久我は軽く笑うと少し手を止めた。


「そんなんじゃない…。ただ、これ以上やったら、犯罪だ…。大和くんを無事で帰すつもりはないんだろ?」


「今更だな? 殺傷の件、お前の依頼があっての事なんだぜ? 今更、善人ぶるなよ」


 再び首筋へキスを落としだす。そのまま部屋の中央のベッドへラルフを押し倒した。


「っ…! そんなの頼んでないよ!」


 スプリングの効いたベッドに投げ出され、身体が揺れる。久我は上から圧し掛かると、手首をつかみ押さえつけた。

 覆いかぶさる久我の表情は陰になって見づらい。


「どんなつもりだったか知らねぇが、俺に頼んだ時点でアウトだな。騒がずいい子にしてろ。──でないと、ネズミと一緒に処分するぞ」


 ぐいと顎を掴まれ、無理やり視線を合わせられる。


「…ネズミ?」


「一匹、嗅ぎ回っている奴がいる。──まあ、鷗澤岳の関係者だろうな? 今も外で張ってるはずだ…」


 そう言うと唇にキスを落としてきた。

 やはり唇も冷たい。それを受け入れながら、ラルフはこの先を思った。


 この男は言ったことは必ず実行する。


 ラルフがもし、このまま反抗すれば、必ずなんらかの処分を下すだろう。容赦ないのだ。

 それを思えば、大和の先は暗い。五体満足で岳のもとになど帰れないだろう。


 そこまで、したかったわけじゃない…。


 岳への復讐の為に大和を引き離し、別れへと導く事にも成功した。なのに、いつの間にか気にかけている。

 我ながら矛盾しているとは思うのだが──。

 やはり久我の言う通り、少しとは言え過ごした時間が影響しているのかもしれない。

 それに、弟の服を着せたのもいけなかった。時折、大和と弟が重なって見える時があるのだ。


 復讐の道具として扱ったくせに、今更、情を持つなんて。


「──おい、何を考えている?」


 胸の上から鋭い視線がこちらに投げかけられた。ラルフは顔を背けると。


「…なにも」


「そうか…」


 久我は薄く笑って見せたが、何も口にはしなかった。

 後はただ、久我に与えられる熱に、考える間もなくなるほど、翻弄されるばかりだった。



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