3.ハウスキーパー
その後、岳は倖江に詳しく話を聞き、外でその青年と会って面接をした。
俺はその日の夜、山小屋にいて電話で報告を聞く。明日は休暇で家に帰る日だ。
「どうだった?」
皆の邪魔にならないよう、電灯を落とした食堂の片隅、端末越し話しをする。岳はやや間を置いたのち。
『…まあ、いいとは思う』
その間が気になった。何かあるのだろうか?
「はっきりしないな? 変な奴だったのか?」
『違う』
即答だ。これは──気に入ったのだろう。
「まさか──結構タイプだったとか?」
言いづらそうな雰囲気に、わざとからかって見せれば。
『そんなんじゃない。──俺が大和以外に興味を持つと思うか?』
低い声音。冗談なのにマジで返されて慌てる。
「分かってる…。ちょっとふざけただけだって。怒るなよ」
『…怒ってなんかいない。大和には、まだ俺がそんな風に見えてるのかと思うと癪なだけだ』
「んだよ。やっぱ怒ってんじゃん。もう、機嫌直せって。ほんと、そう言う所、子どもっぽいよな?」
そう言う所も好きではあるが。
『明日の夜、覚えとけよ…』
「—…」
凄んだ岳の声は本気だ。俺は思わず自分の軽口を呪う。
『──で、本題にもどるが、倖江さんの紹介の奴、雇うことにした。直ぐに手伝えるって言うから、早速明日、試しに来てもらう』
「お、良かったぁ。これでいない間の心配、しなくてもいいな?」
『山小屋の仕事、断らなくてもいいからな? なんなら、明日だけじゃなく、これからも大和の休みの日も来てもらえば、ゆっくり出来るだろ? いつも帰って直ぐ家事してるからな』
「あ—…。でもとりあえず、俺がいる時は俺がやる。なんか全部任せるのも気が引けるし、俺もやりたいし。そいつも休み欲しいだろ?」
『いや。なんか変わった奴で、仕事している方が気が紛れていいって言ってるんだ。まあ、それは会った時に決めてくれればいい』
「そっか、分かった。じゃあ、そろそろ切るな。明日も仕事だろ?」
時刻は夜の十時過ぎ。大人にしては遅い時間ではないが、朝の早いだろう岳には遅い時間だった。しかし、岳は。
『いいや、休みになったんだ。丁度、そいつに家の中の説明でもしておこうと思ってな。買い出しも説明がてら一緒に片付けてくる。大和を迎えに行くのはその後になるけど、いいか?』
「ん? ああ、了解!」
ふんふん。一緒に、ね。
その言葉に一瞬、その『誰か』と岳が二人きりで行動する様を想像する。
いつも帰り道には、一緒に買い出しも片付けて来るのだ。二人きりになれる時間は、山小屋帰りの楽しみの一つでもあったのだが。
それを新たに雇った家政婦と共に済ませてくると言う。
ま、仕方ねぇよな?
それは単なる仕事の説明なのだから仕方ない。けれど、なにか引っかかる。チクリと小さな棘が胸に刺さる感じ。これはいわゆる──嫉妬と言うものだろうか?
俺、ちっせぇの。
『それじゃあ、また明日。おやすみ。大和、愛してる…』
うおっ! こ、ここで来たかっ! 駄目だ…。照れくさい! うう、でも──。
「お、おう。…お、俺も…。おやすみっ!」
岳はサラリと、こうやって普通なら照れてしまう様な言葉も言ってのけてしまう。
すっげえ、嬉しいけど、さ。
通話を切ってから反省する。
これだけ岳に好かれ、思いを伝えられているって言うのに。
分かってはいる。十分にわかっているのだけれど、他の人間と仲良く買い物をする岳を想像しただけで、こう、チリチリとしてしまう。
俺にとって岳との時間は貴重で。それを見知らぬ誰かに取られてしまうのが悲しいのだ。
俺はこんなに心の狭い奴だったのかと、今更ながら思い知らされる。
岳と付き合う中で、こんな風に自分の中にある、今まで気にも留めてこなかった感情を教えられることが多々あった。
その度に、自分の心の狭さを反省したり、新たな発見に驚いたり。
まあ、家事の心配をしなくて良くなったのはいいことだよな?
何にせよ、どんな人物が来るのか、明日が楽しみでもある。俺は前向きに考える事にした。
+++
月曜日、下山準備を整えていると、岳から電話が入った。今は買い出しの途中らしい。
『今日、迎えの時間に少し遅れるかも知れないけどいいか? 道が混んでてな…』
「いいよ、俺の方は。急がなくていいからな?」
『ああ、済まない。所で大和、お前昼は──』
と、電話の向こうで、少し高めの可愛らしい声が聞こえてきた。
『岳さん! これ、水漏れしてます!』
『ええっ? まじか。そこのビニール袋に入れておいてくれ──いや、それじゃなくって、こっちの──ああ、いい。俺がやる──すまない。大和、また後で──』
「あ、ああ…」
慌ただしく通話が切れた。
電話の向こうで緊急事態が発生したらしい。
なんだろう。
『昼』のあとは何と続けたかったのか。
いや。この場合、昼メシだろう。
いつも買い出し後、行きつけの食堂で昼メシを食べてから帰るのだ。
食べてきたのかそうでないのか、その確認を取りたかったのかも知れない。
昼。食べてねぇけど。
二人は食べて来るのだろうか。
声。可愛いい声だったな。
コロコロと鈴が鳴るような。優しい声だった。声の主はきっと新しいハウスキーパーだろう。
たったこれだけのやりとりなのに、何か落ち着かないものを感じてしまった。
それから無事に下山し。登山口にある駐車場でソワソワ待つこと三十分。岳はいつものように大型SUVで現れた。
岳の隣り、助手席はいつも俺の定位置で。けれど、今日はその助手席にはすでに先客がいた。
あ…。
思わず息を飲む。
助手席には色白の栗色の髪をした小柄な青年が座っていたのだ。
あれが、新しい、ハウスキーパー…。
岳が口にしていた通り、遠目でも可愛らしい容姿なのが窺える。家政婦、ハウスキーパーと呼ぶには違和感があった。
なんか、ハウスキーパーって言うか…。
傍らの岳と並ぶとかなりいい感じだ。
運転席から顔を見せた岳は済まなそうに謝りながら。
「すまない、待たせた。道が混んでて車がなかなか進まなくてな…」
「すみません! 僕が寄りたい所があるって言ったせいです! それで、渋滞に巻き込まれて…」
そう言って助手席の窓から顔を覗かせた青年は、間近で見ると更に可愛さが倍増して見えた。
線も細く色白で女性と見紛うばかり。色素が薄いのか、髪も目も薄茶色だった。
その目は大きく睫毛もバサバサ、綺麗な二重に彫りも深い。唇なんてピンク色だ。
黙っていれば、外国人で通用するだろう。
「大和さんですね? 僕、森七生と言います。今日からお世話になります!」
見た目とは裏腹に、きちんと日本語でぺこりと頭を下げた。
いい奴っぽい。
俺が後部座席に乗り込むと、助手席から乗り出す様にして振り返った七生が、白くほっそりした右手を差し出してきた。
爪もピンク色だ。俺の、すっかり日に焼け、ゴツくてカサカサ荒れ放題となった手とは大違い。
ううむ。
同じ『人間』だろうか?
以前見かけた、岳の昔の恋人、紗月を思いだした。
彼も非常に綺麗な人間で。俺とは天と地ほど、いや、天と地下の化石層くらいの差があった。
この森七生という青年もそれに近い。
ふわりとした雰囲気は天使みたいだと思った。羽根が生えていても可笑しくない。
動物に例えるなら、俺が茶色いコツメカワウソ、この青年はポメラニアンと言う所か。
コツメカワウソだって可愛さでは負けてはいないが、人懐こさでは負ける。ポメラニアンは、白くてほわほわ、可愛いくて愛嬌がある。
その雰囲気に気おされながら、俺はおずおずと。
「ええっと、宮本大和です。よろしく…」
その手を握り返せば、思わぬ強さで握り返された。
「よろしくお願いしますっ!」
岳はルームミラー越しに、そんな俺をじっと見つめている。
なんだよ?
その視線の意味が分からない。
「大和さん、聞いていたのよりなんか―…」
フフと笑ってあとの言葉は濁してしまう。
気になるじゃないか。聞いたのより? いいのか? 悪いのか?
なんだ、この感じ。岳は困ったように頭を掻くと。
「倖江さんから話を聞いたらしい。俺たちの事情もな? だから色々気にしなくていい」
と、言うことは、俺と岳の関係も知っていると言うことか。
「そっか…。それなら話が早くていいな。よろしく。七生──でいいか?」
「もちろん! おばあちゃんから色々聞いてはいたんですが、皆さんいい人で安心しました。それに、とっても素敵な人たちばかりで…。特に岳さんはカッコいいですね? こんな格好良ければ、誰だって付き合いたいって思いますよね…。羨ましいです…」
羨ましいか。
岳に目をつけるとは。
いや、岳は誰が見ても格好いいしな。こんな格好いい奴と付き合っているとか、信じられないんだろうな。
俺だっていまだに、信じられない時がある。岳が笑ってそこにいて。しかも自分に笑いかけているのだ。
うーん。嘘っぽい。信じられない。
そんな事を考えていれば、七生が声を掛けてきた。
「大和さん、今日は疲れているでしょう? せっかくだから挨拶代わりに僕に夕飯、作らせて貰えませんか?」
「え…っと」
「せっかくだから、そうさせてやれ。大和も疲れているだろ?」
「うん…」
岳に押され返事をしたが。
確かに疲れてはいるが、それはいつもの事で、そこまででもないのだが。
今は疲れていると言うより──。
七生が少し済まなそうにしながら話しだした。
「さっき、遅くなったの、美味しいビザ屋さんがあって、そこに寄ったせいなんです。閉まるギリギリだったから、つい…。なかなか遠出してなくて久々だったものでつい我儘を…。大和さんお昼は?」
つっと岳の視線がこちらに向けられた気がしたが、俺は咄嗟にググッと腹の虫を抑え。
「お、俺は食べてきたから、大丈夫」
痩せ我慢をする。
岳にも七生にも、後ろめたさを感じて欲しくなかった。それに、状況は分かる。俺と約束してるから食べない──なんて、はしゃぐ七生を前に言えるわけがないだろう。
いいんだ。
確かリュックに祐二から貰った補給食の残りがあったはず。ソイバー。カッチカチの奴だけど、結構、腹持ちすんだよな。
あとでそれをこっそりかじればいいのだ。岳はふうっとため息をつくと。
「…そうか? ならいいけど。いつも大和と食べてから帰っているからな…」
「あ! そうだったんですね! だから岳さん、あんまりお食べにならなかったんですね。…すみません。先走ってしまって…」
シュンとなって見せた七生に俺は慌ててフォローを入れた。
「気にしなくていいって。岳、余計なこと言うなって。さ、帰ろうぜ」
俺はめっと、子どもを叱る様に岳を見やった後、後部座席からせかせば、岳はちらとこちらを見た後。
「…わかった」
そう言って、どこか不服そうな顔を見せながらも、車を発進させた。
が、この表情も俺だから分かるくらいのほんのわずかな視線の差で。きっと七生は気付かないだろう。
俺はふうと息をついた後、シートに身体
を沈めた。岳がすぐそこにいるのに、遠い気がして。もどかしさを感じた。