16.青天の
その後も何事もなく日々は過ぎていった。
岳は、俺が外部の人間と接触する仕事をさせたくないらしく。気がつけば、ラルフに絡む仕事は無くなっていた。
ただ、同時に写真撮影に関わる仕事も減って行って。何だかんだで、事務所兼自宅で作業することが増えていった。
それだって大事な仕事だ。けれど、当初の目的だった、岳と一緒にいられる時間は減る一方で。
これじゃ、前と一緒だな。
俺の動機が不純だと分かっている。けれど、家に居場所がなくなりかけた今、少しでも傍にいたいと願うのは、いけないことだろうか。
ラルフとの撮影は順調らしい。時折、岳が撮った写真を見る機会があった。
写真に写るラルフは、撮り方もあるのだろうが、相変わらず人離れして見えた。
まるでおとぎ話にでも出てくる妖精の様で。人を陥れる性悪さなんて、そこには微塵も感じない。
さすが、岳だな。
岳の腕で、ラルフの持つ綺麗な部分だけを写し出したのだろう。
白く透き通る様な肌に、薄いグリーンの瞳。
まるで人形のようにも見える。感情の欠片もない。そう見えた。
わざとそう写しているのかもしれないけれど──。
ラルフの画像を見るたび、あの日の記憶が蘇り、身体が硬くなる思いがした。
その度に、なんでもないと心の中で繰り返すことで乗り越える。
どうってこと、ない。
一生、消えない傷を残された、そこまでの事じゃない。あんな奴にされたことなんて、忘れてしまえ。
それよりも、岳の温もりを思い出し、それを打ち消した。
岳の仕事が終われば、今後、関わることなど二度とないのだから。
+++
そんな中、俺の働く山小屋に岳と七生がやって来る事になった。
ハウスキーパーの仕事も終わりが近くなり、七生がどうしても行きたいと言い出したらしいのだ。
ひとりでも何とか行けると言うのを、岳が流石に無理だと引き止め、結果、忙しいスケジュールの合間を縫って、岳が同行することになり。
山頂からの景色を見たかったのもあるが、なんでも俺がどんな仕事をしているのか見てみたかったらしい。
俺なんて、大したことしてねぇけどなぁ。
岳達が来るまでの間、宿泊者を迎える準備をしながら、ふと思う。
なんとなく、七生の目的は別にあるような気がしたのだ。
が、そこは気にしないことにした。
気にしたって仕方ない。誰が誰を好きになろうと自由だ。人を好きになる気持ちは、他人が止められるものではなく。
例え、七生が岳を好きでも、俺は何も言えない。
ただ今回の登山で、今までよりもう少し、互いの仲が深まる事は確かだ。
吊り橋効果ではないが、やはり危険を伴う山をガイドする姿は、かなり頼もしく見える。男ぶりも二倍以上には見えるだろう。
てか、岳なら三倍、四倍以上だな…。
欲目ではなく眩しくて見えなくなるんじゃないかと思うほど、輝いて見えるに違いない。
山小屋の仕事が始まった頃、急な休みが出来たからと登ってきた岳を、登山者らがちらちらと見ては、景色を撮るふりをして、岳を隠し撮っていたのを目撃していた。
中には堂々と写真を一緒に撮って欲しいと言って来るものもいて。
おうおう。それは俺のなんだけど?
なんて。言いたいけれど言えない。
ただ、流石に一般人の自分を撮ってもと、岳はツーショット的なものは丁寧に断っていた。
別にお洒落な格好をしているわけではない。ただ、ひと目を惹くのだ。
着古した登山用のTシャツにパンツを身につけていても、オーラが出ている。
七生の目にだって、普段より増して、岳の評価は上がるだろう。不慣れな登山を助けてもらえば、当然、距離だってグッと近くなる。
岳を信頼していない訳じゃない。
けど、俺と岳との距離は変わらないが、七生と岳の距離は縮まるだろう。現に今だって、俺といるより、七生といる時間の方が長いくらいだ。
なに焼きもち、妬いてんだろうな…。
我ながら子どもっぽい感情だと思う。
今まで人にも物にも、執着する方じゃないと思っていたのに、すっかり岳やその周囲の環境を失くしたくないと思う自分がいて。
それも、仕方ない──か。
俺にとって、岳との関係はやっと見つけた自分だけの大切な居場所なのだ。
けれど、その居場所が脅かされている、そんな気がして。俺のいた場所全てが、七生にとって代わられる気がしていて。
俺って、心の狭い奴だな。
もっとおおらかに、どっしり構えていればいいのだ。けれど、ムクムクと不安は湧き上がる。
俺は七生と自分とを比較してみた。
何処にでもいるモブ顔の俺と違って、七緒は誰が見ても綺麗で可愛い、主人公タイプだ。
性格だって、捻くれ者、素直じゃない俺と違って、可愛いらしさと愛嬌がある。ちょっとドジっ子な所が、いかにも漫画の主人公にいそうなタイプで。
俺は必要に迫られて料理をするようになったのに対し、料理することが好きで得意。
掃除だけは不得手だったが、ここの所の努力で克服しつつある。頑張り屋でへこたれない。これも主人公にありがちな必要要素だ。
いつもニコニコ笑って、人に囲まれ輪の中心にいる。自分が出しゃばっているわけではなく、自然と皆がそういう扱いをするようになるのだ。
いるだけで空気が淡いパステルカラーになる。俺なんて、どうやったって茶色だろう。ざ、日本。醤油やみその香りだ。
なんとなく、そう思う。
食べ物に例えるなら、七生はマカロン、俺は醤油味のおかき。七生が生クリームたっぷりのイチゴの乗った純白ショートケーキなら、俺は茶饅頭。
それぞれが比べるべきものじゃない。まったくの別物なのだ。
でも、多くの人が好むのは前者だろう。
きらきらと早朝の空に光る一番星の様に、アイドルのごとく輝く七生。俺はその他大勢のペンライトが良いところだ。
ふう。なんだか、面白くなってきたぞ。
俺は徹底的に七生と自分とを比較して楽しんだ。卑下している訳じゃない。ただ、事実を上げただけで。こうも違うと、いっそ清々しいくらいだ。
唯一の違いは、岳が俺を好いていてくれると言う事。
きっかけはなんなのか、兎に角、一緒に過ごすうちに好きになられて、なっていて。
七生が岳を好きでも、今は──。
けれど岳と並んだ時、どう見ても七生との方がしっくりくる。もし、二人が付き合っていると知っても、皆納得するだろう。
俺と岳の場合、大抵俺と岳との関係を知ると、皆一様に、え? そうなの? と、意外そうな顔をする。俺が可愛い見た目なら、その反応は違っただろう。
周囲の反応など関係ない。大事なのは二人の思いで。
けれど、岳が俺を好いていてくれるから、成り立っている関係だ。もし、俺の一方的な思いだったら、きっと成就はしなかっただろう。
岳は興味のないものに、余計な労力は使わないタイプだ。その思いが他へ向いたなら、それを引き止めるのは困難だろう。
そんなこと、起こるはずはないのに。
すっかりネガティブ思考になった俺は、来るはずのない未来に、不安を覚えたのだった。
+++
「よう。よく来たな? 七生、途中大丈夫だったか?」
俺は岳達が到着した知らせを受け、受付に顔を出した。
カウンターで手続きする岳の傍らに、重いリュックを下ろす七生が顔を覗かせる。
「あ、大和さん! …はい。岳さんに途中、リュック持ってもらいました。ずるしたんです…」
そう言って、チラと岳を見たあと、恥ずかしげに笑う。それだけで、フワリと辺りが柔らかい空気に包まれるようだ。
例えるなら、綿菓子のよう。ふわふわして、食べると口の中で溶けてなくなる。そんな感じだ。
胸の奥がツキリと痛んだ気がしたが、俺は気にしない事にした。
「はは、岳なら平気で二人分持てるからな。使えるものは使えばいいって」
笑って答える。
すると、受け付けを済ませた岳が、拳で俺の肩を軽く小突いた。
「俺は荷物持ちじゃない。七生はまだここは早かったな? 俺がいたから登れたようなものだ。次はもう少し低い山から行くといい。近場の高原でもいいな」
「はい…。途中、結構きつかったです…。頭痛がして…」
と、俺の背後から声がした。
「それは高山病になりかけてただろ? 危ないな。岳さんの言う通り、次回は低山から始めた方がいい。今日は天気も良かったし、登りやすかっただろうけど。無理はしない方がいい」
ひょっと、後ろから顔を見せたのは祐二だ。
「すみません…」
しゅんとなった七生に、俺はすかさずヤバイとフォローする。
「ともあれ、楽しく登れたなら良かったな? 体力はともかく、意気込みは登山家なみだって。見てみたかったんだろ? 山からの景色。休んだらこの辺、岳と一緒に回ってみるといいよ」
「はい!」
俺の言葉にパッと明るい表情になった。それからおずおずと岳を見上げ、
「その、また…お願いしてもいいですか?」
岳はその変わり様に笑うと。
「もちろん…。大和、荷物、預かってもらっていいか?」
「了解。そこ置いといてくれ。部屋に入れとくから。気をつけてな?」
岳はいつも個室を予約する。個室と言っても、大人ふたりが漸く泊まれる程度の広さの部屋だ。
俺は二人のリュックを受け取ると、軽装になって仲良く出ていく二人を見送った。
七生は何かを岳に告げて、二人で笑いあっている。どうみても、いい感じのカップルだ。
見ていて微笑ましい…。──微笑ましい?
同じく傍らで見送っていた祐二は。
「…なんか、いい感じだよな? あれ、ぜったい、岳さんの事好きだろ? 妬けないのか?」
「へ?!」
見上げた祐二は腕を組み、思案気だ。
「べ、べっつに。何も、普通だろ? そりゃ、七生には家政婦やってもらってるし? お互い仲良くなきゃ雰囲気悪くなるし? 雇用主と従業員だ。うん。何も可笑しくは、ねぇ…」
とか言いながら、俺の頭のなかには笑いあう二人の姿がリフレインされていた。
「…明らかに動揺してるだろ。目が泳いでる。ったく。岳さんも分かってるとは思うけど、足蹴にもできないだろうしな。ライバル登場だな?」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる祐二に、俺は腹パンチを食らわせると。
「ふざけてねぇで、仕事しろ。布団、入れ込む時間だろ?」
「って…。あ。忘れてた。大和、そっちいいから手伝えよ」
「人使い荒いぞ。これ、部屋に持って行ってからな?」
俺は急いで岳ら二人のリュックを部屋へと運び込み、祐二の後に続いた。