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Take On Me 3  作者: マン太
14/49

14.危機は二度ベルを鳴らす

 そんなある日。

 休暇で山小屋から帰って来ると、玄関先に人影があった。


 お客さんかな?


 こちらの玄関はスタジオ用で。俺達の使う棟の勝手口を、事務所用に利用しているのだ。

 今日も岳の迎えのない日で。

 最近、岳は更に忙しくなった。それには理由がある。どうやら、ラルフの仕事を受けたと言う情報が、外へ漏れたらしいのだ。

 それで、いつもはない依頼内容が増えたのだとか。岳達はてんてこ舞いだ。俺のお迎えなどしている場合ではない。

 今日も急な撮影の打ち合わせが入って、午前中は留守の予定だった。玄関には鍵がかかっているはず。

 ちなみに、七生は珍しく実家へ帰っている日だった。と、言うわけで、平日の昼前、家には俺以外誰もいない。


「あの…スタジオに用ですか?」


 俺は玄関にたたずむ客と思われる人物へ声をかけた。

 キャップを目深に被り、サングラスを掛け、横を向く人物はかなりの高身長。

 細身のジーンズに濃紺のジャケット、インナーは白のTシャツというラフないで立ち。首筋にはシルバーのシンプルなアクセサリーが光っている。

 すらりとした立ち姿にどこか見覚えがある気がしたが──。

 俺の声に振り向くと、その拍子に片側へまとめて垂らしていたらしいプラチナブロンドがこちらへ流れた。


 んん?


 俺の中の何かが反応し、緊急事態を知らせるサイレンが鳴り響く。

 その人物は俺を認めると、口元に薄っすら笑みを浮かべ。


「大和くん…?」


 そう言ってサングラスを外した。

 現れたのは、人離れした中性的な容姿。長い金髪が肩から溢れた。


「っ! ラルフ・海斗・エナンデル…!」


 威嚇する猫の様に、全身の毛という毛が逆立つ──勿論、例えだが。


「ふふ。フルネームで覚えてくれてたんだ。嬉しいな」


「…なにか用か?」


 俺は反射的に後ずさった。


「でなきゃここに来ないよ。今日、岳さんは?」


「仕事で出かけてった。あと…一時間で帰ってくる。他のスタッフも出払ってて…。アポは取らなかったのか?」


 俺は腕時計をチラと見たあと、そう答えた。すると、ラルフは肩をすくめ。


「急に思い出した要件があって。他の用事のついでに立ち寄ったんだ」


 さて、どうするか。


 中で待たせるのもいいが、一時間はかなりある。


 それに、ラルフというのが…。


 あの時の恐怖が蘇って、足がすくむ心地がした。それを知ってか知らずか、ラルフは笑むと。


「大丈夫。前みたいに襲わないよ。中で少し待たせてもらっても?」


「…どうぞ」


 ラルフの言葉を素直に信用出来なかったが、仕事の用向きなら、すげなく追い返すこともできない。

 鍵を開け、中へと案内する。応接用に使っているソファへ座る様に促すと、俺はキッチンへと向かった。お茶を出すためだ。


「紅茶とコーヒー、どっちが?」


「そうだね、紅茶かな。砂糖無しで。ミルクは欲しいな」


「了解」


 ラルフはソファに腰掛けると、優雅な手付きで肩にかかった髪を跳ね上げた。外したサングラスが胸元にある。

 ラルフの事を考えないよう、努めて目の前の紅茶を淹れる事に専念した。

 とにかく、相手は岳のクライアントで。特に上客だ。何かあってはまずい。


 まずいんだ…。


 何度も言い聞かせながら、いつも通り紅茶を淹れると、客であるラルフの元へ運んでいく。

 その様子をただ黙ってラルフは眺めていた。居心地が悪い。なるべく意識しないようにして、ローテーブルにソーサーごと置くと、隣にミルクの入ったピッチャーを添える。


 ふう。これで暫く──。


 席を外していよう、そう思ったが。


「ねぇ、忙しくなければここで少し話さない?」


 い、嫌だ。


「──」


 しかし、岳のクライアントに、失礼な態度は取れない。機嫌を損ねれば、今後の仕事にどう響くか。

 仕方なしラルフの斜め向かい、かなり距離をとってそこへ座った。


 岳のためだ…。


 グッと気持ちを押し殺す。


「もう、本当に緊張──いや、警戒してるんだ。この前の、そんなに怖かった? 僕に迫られると、喜ぶ人が大半だけど…」


「俺は金輪際、ゴ・メ・ンだっ」


 岳以外となんてありえねぇ。ビシッとそう言えば。


「ふーん…」


 何処か面白がるような顔つきになった。

 淹れた紅茶を口にして、あ、美味しいと呟いた後、またひと口飲む。嫌味なくらい、様になって見えた。

 顔だけ見ていれば、まるで聖人の様にも見えるが、こいつは結構、(わる)だ。

 俺はできるだけ近づくのはよそうと、距離をとったソファから動かないでいると。


「ここって、自宅も兼ねてるの?」


「そうだけど…」


「へぇ」


 そう言うと、ラルフは外に目を向ける。そこには小さいながら庭が広がっていた。

 ここの元家主は、庭が好きだったのだろう。そこには様々な木々が植えられている。

 レンギョウ、沈丁花、モクレン、金木製、銀木製、梅、百日紅、シャラ、紅葉。その他にも探せばあるのだと思う。季節になると様々な香りと色を見せてくれた。

 休みの日、時々茂ってきた木々を手入れする。とは言っても素人だ。適当に枝を掃うくらい。

 そこには真琴や岳、亜貴が加わることもある。一時間もやれば大抵終わって。今は金木犀と銀木犀、沈丁花が花を咲かせ、いい薫りを辺りに振りまいている。

 人工の香りは苦手だけれど、自然の香りは好きだった。


「…嬉しそう」


「へ?」


「なんか、今、いい顔している。庭、好きなの?」


 俺はつい得意になって、


「この香り、好きだからさ。胸いっぱいに吸い込むと、生きてるなって──」


「君、変わってるね?」


「そうか? まあ、そうかもな…」


 同年齢の奴等と比べるなら、そうかも知れない。

 もともと、樹木や草花は母親が詳しかった。貧しくて庭など持てなかったけれど、公園や、アパートの敷地内にある樹木や草花に詳しくて、散歩がてら教えてくれたものだ。

 懐かしい思い出。だから、俺も知らぬうちにそれなりに詳しくなっていた。自然に好きにもなっていて。


「あ…、あれは?」


 ラルフが庭先を見て、指をさす。

 俺の所からは良く見えなかった。仕方なく、ラルフの側まで寄って指の指す方に目を向ける。勿論、用心してソファの背もたれを挟んだ。


「どこの事言ってる?」


「ほら、あそこの、薄紫の花。木の陰で良く見えないけど…」


 ラルフはすっかり庭を向いていた。俺はその肩越しに庭へ目を向ける。樹木の間に、薄紫の交じる白い花弁が見えた。


「ああ、あれは──」


 沈丁花──そう答えようとした俺は、強い力に腕を捕まれ、


「おわっ!?」


 気が付けば、ソファに横倒しになっていた。


「ふ、簡単」


 ラルフが薄く笑う。以前の記憶がリフレインした。


+++


 上にラルフが覆いかぶさって来る。

 長いアッシュブロンドが午後の光に透けてキラキラ輝いて見えた。

 まるで宗教画の天使のよう──って、見惚れている場合ではない。俺ははたと我に返り、すぐに起き上がろうとしたが、その肩をラルフが強く押さえつけた。


「なんだよっ! だましたのか?」


「違うよ。あそこの木が知りたかったのはほんと。これは──いたずら心? …君があんまりにも警戒心丸だしだから、ついからかいたくなっちゃった」


「フザケンナッ。離せよ! でないと──」


「ね。今はまだ、僕、岳さんとの仕事の最中なんだ」


「し、知ってる…」


 う、ぐぐぐ。


「撮影終わってないんだ。ってことは、身体のどこに痣一つ付いても、撮影に困る訳で。かすり傷くらいなら──って、思うかも知れないけど、僕らには『くらい』じゃ済まないんだ。身体が資本だからね? …岳さんの為にも大人しくしてるのが賢明だと思わない?」


「っ!」


「岳さん、この仕事が認められればきっと、有名になれる…。僕を扱った作品はかなり注目されるからね? でも、ここで君が暴れて僕を殴って──そこまで行かなくても、かすり傷一つつけば、それが全て台無しになる──。って思わない?」


 ぐ。そ、その通りだ…。


「──だから、どうするってんだ?」


 ラルフの口の端がにっと吊り上がる。この時ばかりは美しさより恐怖を感じた。


「君に興味、持っちゃった。僕と楽しいこと、しよ?」


 言うと、ラルフの俺の腕を掴んでいない一方の手が、履いていたジーンズのジッパーにかかる。


 こ、これは危機だ。


「っ! ふざけんなっ!」


 俺は必死に身体をよじって逃れようとするが、ラルフがそれを許さない。

 それに、先ほどのラルフが口にした言葉が蘇ってきて、俺の行動を制限した。

 普通なら、ここで殴り飛ばしたり、突き飛ばしたりして逃げだす所だ。


 けれど、もし、その拍子にラルフが怪我を負ったら? 


 岳の仕事はそこで終わりだ。こんな事をするこいつが黙っているはずもなく。

 そうしている間にも、鼻歌交じりにジーンズの前が寛げられ、さらに下部へと白い指先が動いていく。


「っ! やめろ! 手、離せ!」


 殴りたい、投げ飛ばしたい。腕をひねり上げたい。──けれど。


「君はなにもできない。──でしょ?」


 冷たい笑みをそこへラルフは浮かべて見せた。しんと、心が凍りつく。


 俺は──なにもできない…。


 と、そこへ電話が鳴った。

 びくりと身体が揺れる。留守電設定のそれは、声が聞こえる。数回鳴ったあと、留守電の対応音が流れ。


『──大和? そこにいるか? 今日のクライアントが少し遅れてるんだ。用事があるから俺だけ先に帰って来た。あと少しで着く。そっちで一緒に昼、食べるから。大和、聞いてるか? じゃあ、後で──』


 そうして、通話は切れた。


 あと、少しで着く──。


 俺は岳に心から感謝した。泣きたいくらいだ。と言うか、目の端に涙は溜まっていた。

 ラルフは心底、つまらなそうにため息をつくと。


「…残念。今日こそ楽しみたかったのに。これで帰るよ」


「……」


 身体を起こし、俺から離れる。ホッと息をついて、俺も素早く身体を起こした。

 脚にジーンズが絡まる。いつの間にかジーンズが膝まで引き下ろされていたのだ。

 本気でやろうとしていたのが伺える。心臓がバクバクと音を立てた。岳の電話がなければ、俺は確実にこいつにいいようにされていただろう。

 ラルフは着衣を軽く直したあと、


「またね」


 そう言って、部屋を軽やかな足取りで出て行く。

 結局、仕事の用はなかった、と言う事か。

 残された俺はただ呆然とする。まるで、嵐が去った後の様だった。


+++


 まったく。仕方ないとは言え。


 岳はため息をつく。

 何があったのか分からないが、なかなか先方が姿を見せず。約束の時間から三十分以上遅れ、クライアントが現れた。

 打ち合わせが終わった頃には昼の休憩時刻をとっくに過ぎていて。

 このまま昼食を取っていては、午後にある別件の打ち合わせに間に合わない。

 スタッフとは一旦、そこで別れ、また午後二時過ぎに事務所へ戻ってくるように伝え、岳はひとり、先に大和の待つ自宅へ戻ってきたのだが。


「──大和?」


 いつもなら、玄関先で音がすればすぐに迎えに出てくるのに。

 しんとした室内に訝しく思う。玄関を入ってすぐのリビング──今は、事務所兼応接室となっている部屋に入れば、


「大和?」


 キッチンで洗物をしながら、ボーっとしている大和がいた。水道の水は流しっぱなしで。呼ぶと驚いた様に飛び上がって振り向いた。


「ごっ、ごめん! 洗い物の音で気づかなかった…。ボケてんな、俺。お帰り、岳!」


 満面の笑みだ。

 すぐに洗い物を終わらせ手を拭くと、脱いだばかりのジャケットを受け取りに来る。

 いつもの大和だ。その筈だが──。


「…何か、あったのか?」


 その問いに、微かに大和の笑顔が引き攣った気がした。が、すぐそれはさらなる笑顔にかき消され。


「なんもねぇよ。それより、昼メシまだって、仕事の打ち合わせ、時間かかったんだな?」


「ああ、先方が時間に遅れてな…」


 言いながら、今しがた大和が片付けたのは、来客用のティーカップだと気が付く。

 微かに部屋に残る、ここではあまり嗅いだことのない香水の香り──それもすぐに金木犀とレンギョウの香りにかき消されてしまったが。


「誰か…来たのか?」


「え…」


 その問いに一瞬の間があったが。


「…来てねぇって。カップ、ちょっと茶渋で汚れてたから洗ったんだ。岳の電話以外はなんにも。で、みんなは?」


 来ていないスタッフに気づいたらしい。

 ティーカップは数日前、大和が漂白していた気がする。茶渋がつくのが嫌だと、小まめに洗うのだ。岳の心の内に不信が生まれる。


「…ああ。遅い昼食をとってる。俺たちも昼メシにするか?」


「おう! 午後も打ち合わせ入ってるって言ってたもんな? すぐに用意する。うどんか、ラーメンか、サンドイッチもつくれるけど──」


 いつもの大和だが、どうしても違和感を拭えない。


「俺も手伝う。サンドイッチにして、庭で食べよう」


「了解!」


 岳はシャツの袖をまくると、キッチンに立つ大和の傍らに向かった。

 ふと、そこでも先ほどの香りを感じた気がした。それも、大和の身体から香る。

 大和のいつもの香りからは、程遠い。


 なぜだろう。


 ちらと水きり籠に置かれたカップに目が行く。


「ツナでいいか? 昨日のマグロ丼の残りがあってさ、あれ茹てマヨネーズとあえちゃえば──って、岳?」


「あ…? いや、それでいい。玉ねぎを切ろうか」


「頼んだ」


 言うと、小鍋に湯を沸かしだした。と傍らに立つと、フワリとまた香る。


 やはり、大和から──。


 こんな香りをいまだかつてさせた事はなかった。今朝も勿論していない。ついたのなら、きっとこの午前中で。

 やはり、誰かが来たのだ。こんな香りがつくくらい傍に。

 それを、大和は言わない。

 どこか動揺した様子。

 それは、以前、ラルフに手を出された後と酷似していた。


+++


 サンドイッチ用のパンを取り出しながら、俺は決意を固くした。


 なんとしても、岳には気付かれてはいけない。


 そう思った。

 もし、この事がバレれば、岳はラルフを許さないだろうし、そうなれば今受けている仕事もキャンセルしかねない。

 どんなに最低な奴だとしても、仕事上、問題はないのだ。俺のことで岳の将来をチャラにはできない。


 俺が、我慢すればいい。


 以前のキスマークといい。

 あの日、襲われかけたことを岳には言っていないし、多分気付かれてはいないはず。


 今回のことだって、同じだ。たいした…ことじゃない。


 理由は分からないが、俺や岳を困らせる事が目的なのは確かだ。

 この仕事が終わるまで、あいつの思う様にさせるわけにはいかない。


 たいしたことじゃない──。


 呪文のようにもう一度、繰り返す。

 少しでも気を緩めると、恐怖心が襲ってきて。

 今後の為にも、ラルフの悪事を岳に気付かせるわけにはいかなかった。

 


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