13.大丈夫?
次の日。俺は体調を崩すこともなく、山へと戻った。
岳には休んだ方がいいと散々言われたが、俺にしてみればじっとしているより、身体を動かしていた方がずっといい。
そうしていないと、ラルフから受けた仕打ちを思い出してしまうからだ。
「大丈夫か? 本当に…」
早朝、仕事の予定をわざわざずらして俺を車で駅まで送ってくれた岳は、俺が起きてから、車を降りるまで、ずっと心配していた。
「大丈夫だって。ほら、急がねぇと営業時間におくれるぞ」
そう言って、軽く岳の胸もとを拳で叩くと、俺は助手席から降りようとした。
「大和」
「なに──」
不意に呼ばれて振り返れば、ぐいと腕を引かれ、気が付けば岳の腕の中だ。かなりきつく抱きしめられて、息苦しいくらい。
「な、なんだよっ。突然…」
言いながら、岳の腕の中の心地よさに、ずっと浸っていたい気分になった。
本当は、一日中、ずっと抱きしめていて欲しい位。
やっぱり、ラルフの行為にショックを受けているのだ。
「…無理はするな?」
一瞬、岳は俺にあった出来事を知っているのでは? と思ったが、
「…ん」
問い返すつもりはなかった。
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「なんだ。結局、岳先輩の傍にいたかったって事か」
昼食準備の為、厨房に立っていた祐二は呆れ顔だ。出来た時間を何に当てたのか、聞かれて全て話した結果だ。
「だって、ほかにねぇもん。俺は岳の傍にいて、役に立ちたいんだ。もっと一緒にいたいし…」
その傍らで、ジャガイモを切りまくっていた俺は、ふんと胸を張る。祐二は手にした木シャモジを振りながら。
「もっとさ、自分の趣味を探ってみるとかさ。なかったのか?」
「ない! 俺が一番幸せを感じるのは、岳になにかしてる時だ。それで、岳が居心地よくいられるなら、それでいいんだ」
「…ったく。のろけかよ」
「岳は俺の人生を変えてくれた。好き以上に尊敬もしてる。岳のためだったら、俺はなんだってできる!」
すると、祐二は肩をすくめつつ。
「べた惚れだな」
「うっせ」
そう。俺は岳の為だったら、どんな試練だって耐えて見せる。
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岳はその後も、山小屋の仕事の合間、スタジオの仕事を手伝わせてくれた。
けれど、例のモデル、ラルフに関わる仕事に連れていかれることはなく。聞けば他の引退したベテランスタッフに頼んだと言う。
内心ほっとした。
ラルフの目的が何にしろに、とにかく、今回の出来事を岳には言えない。
ラルフの言う通りなのは気に入らないが、起きたことを話せば、岳の仕事に支障をきたすのは目に見えている。せっかく受けた仕事を断ってしまうかも知れない。
それは俺が望むことではなかった。
このラルフから受けた仕事は、特別な部類に入るらしく。
前にこの仕事を受けたばかりの頃、女性スタッフが目を輝かせながら口にした事があった。
「あれが成功すれば、かなり信用もあがるし、玄人にも認められるのよね。もっと、やりがいのある仕事が増えるかも。日本だけじゃなく海外からもね?」
「へぇ…」
上気したスタッフの横顔に、そんなものなのかと思ったが。
ラルフの素行はともかく、今話題の人物らしい。
なかなか気難しく、納得した相手以外、写真や映像も簡単には撮らせないのだとか。相手がどれだけ大物でも、拒否するのだと言う。
その代わり、出た作品はかなり注目され、ラルフを撮った時は無名だった者たちも、その後、皆出世していったのだとか。
ラルフは芸術的な嗅覚が鋭いのだろう。
岳もそうなるのかな?
今回、岳に声がかかったのは、前に撮った写真の幾つがが当人の目にとまったらしく、仕事を任せようと言う話しになったのだという。
紗月の友人というのも、もしかしたら関係していたのかもしれない。
そんな大きなチャンスを潰すわけにはいかない。俺が黙っていれば済むことだ。やられた時はショックを受けたけれど、俺はもう大丈夫だ。
すでに痣の痕は消えている。後は忘れればいいだけで。
あれはあいつの悪ふざけで。あれで気もすんだだろうから、もう、あんなことは起こらない。
そんな言葉を頭の中で何度も繰り返す。
岳も順調だ。このまま何事もなくまたいつもの日々が過ぎていくと、そう思っていた。