空っぽを満たす
「いい傾向だと思いますわ」
目の前で紅茶を飲む婚約者は、いつもと変わらず微笑んでいた。こいつはいつも、ママと同じ事を言う。俺はいつも、それをすんなりと受け入れてしまう。
「本末転倒だと思う俺は、心が狭いか?」
「いいえ。緑玖さんの気持ちは、緑玖さんにしか分かりませんもの」
藻巳と初めて出会った日を思い出した。俺の気持ちを否定もせず、肯定もしない。そんな彼女と一生を共に出来る俺は、とても幸せなのだろう。
「心が狭いのは、むしろ私のほうなのかもしれません」
「そうなのか?」
「だって、親友の二人が、ようやく結ばれる気がしているんですもの」
藻巳の「心が狭い」は、あくまで、藻巳基準だった。
「お前はいつも正しいから。時々自分の器の小ささを思い知らされる」
「結婚が嫌になりました?」
「…そう意地悪を言うな」
幸せとは、自分の嫌な部分も含めて感じるものだ。
一人では変われない。愛する者がいるから、人は変われる。
艶のある黒髪は、高校時代に比べて腰のところまで長くなり、元々凛としていた顔立ちは、年月をかけてゆっくり美しくなっている。
「ところで、お義母様から、先日お電話がありましたの」
「はぁ。式の話か?それとも、ドレス?」
「いいえ、孫の話です」
「はぁ?」
息子には仕事以外連絡をくれないくせに、藻巳や小鹿にはちょくちょく無駄話をしに電話をよこす母に、思わず嫉妬。
「ああ、もちろん、私達の子供の話です」
「分かってる。だから、そうニヤニヤするな」
「お分かりなら、何故そんな険しい顔をしてらっしゃるの?」
愛する婚約者を目の前にしているのに、後ろに母さんの影がうろつく。いつもだ。俺から切り出そうとするタイミングで、こうして邪魔が入る。大事な話の時はいつもこうだ。母さんがうろちょろするせいで、格好がつかなくなる。
わざわざ藻巳の好きなカフェを選んだのに、台無しじゃないか。
「俺の心が狭いって事にしておいてくれ」
「まあ、うふふ」
紅茶とケーキを食べ、軽く話をし、キスをして、藻巳は仕事に戻った。
久しぶりに小鹿と会う日だった。小鹿は自宅には帰らず、実家に戻っているとの事だった。つまり、自分も久しぶりに実家に寄れるという事だ。