しっくりくるもの
1ヶ月ぶりにイギリスから帰国したママと夕食をとっている時、俺の話を聞いて、ママは終始ニヤニヤしていた。
「そう、西條グループのお嬢さんとね…ママ嬉しいわ」
娘に初めての女友達が出来た話をしているだけなのに、何故そう、ラブロマンス映画の結末を観ている時のような顔をしているのか。
ママは昔からズレている。一つズレれば百崩れる事もある。セーラにも同じようなところがあるが、ママには敵わない。
「で、セドリックはどうなの?」
「は?」
「あら、セーラのお話はたくさん聞いたけれど、あなたのお話は聞いていないわよ?」
「じゃなくて」
セーラが向かいで「我関せず」と言ったように、ほたてのジュレを堪能している。
「緑玖って呼べって、あれだけ言った」
「まあ。呼べ、って言い方は無いんじゃない?言い方がきついって、傷付く人もいるのよ?」
相変わらずママのペースで話が続いている事に、セーラは満足しているようだ。俺のペースを乱す事の出来るママがいて、さぞかしご機嫌のよう。それはそれはなにより。腹立つし悔しいが、目の前のママの事はとても好きだ。
「敬語で頼んでも、どうせ呼ばないだろう」
「あらあら。そんなに嫌かしらね。学校ではセドリックと呼ばれないの?」
「学校?何の関係がある…んだよ」
「何って、お友達の話だけれど」
ジュレの次は、メインのフィレ肉。ブルーベリージャムを使ったソースがかかっている。ナニーの料理にこれまたご機嫌な姉。
「おいセーラ、お前もなんか言え!」
「あらあら、まあまあ」
ママは愉快そうにコロコロ笑う。姉が俺の言葉を無視する。
この束の間の時間を当たり前に感じれるようになったのは、いつからだろう。
そう考えるくらい、昔は今以上に捻くれ者だった。一緒に暮らしていたダディも、俺を引き取ってくれたママも、当時はかなり苦労しただろう。
ダディがいなくなって。日本に来て。年々俺に似てーーいや、とても美しい女性になってゆく姉がいて。
全てを受け入れ、順応していく自分がここにいるのが、まだ信じられない。
「セドリックが話してくれないのなら、新葉くんに聞くしかないわね」
「…だからあいつは関係ないだろ」
「あら、お友達の事をお友達に聞いて、何が悪いの?」
「ママは俺があいつと友達だと本気で思ってるの?」
ママの答えは分かっている。
「もちろんよ」
俺と小鹿のやり取りを知らないわけがないのに、小さい頃から現在まで、ずっと仲の良い友達だと思い込んでいる。
あいつはむかつくが、別に嫌いではない。ただむかつくだけ。
「お母様との夕食が楽しかったみたいだね」
「うるさいな」
憎きお隣さんは、俺の声色がいつもと違うと感じたらしい。勘が鋭い?よく言ったものだ。
入浴時間の長いセーラは、まだまだ寝室に入ってこない。ドライヤーは俺の棚にある(隠した)から、安心して通話出来る。
「しかし。なんで君はいつも、遠回しにしか質問出来ないのかなぁ」
分かっているくせに。小鹿はすこぶる根性が悪い。
「君も西條さんと友達になりたいんだろう」
「友達じゃなくてもいい」
「でも彼女を知りたいんだろう」
「それこそお前のセリフだろう」
セーラの騎士気取りの小鹿という男は、こんな捻くれ者からの電話を、毎晩快く取ってくれる。内容はもちろん、あの困った姉の事以外に無い。
西條藻巳という女友達が出来たという話を、彼女から彼女の「両親」へ、彼女の「両親」からママへ伝わり、今晩の席で知った訳だ。
「何を怒っているんだか」
ふふっと笑う声が聞こえ、苛立ちは募るばかり。
「西條藻巳の事を報告しなかったお前が悪い」
彼女に関しても、彼女の話をママから聞いている時の姉の表情に関しても、小鹿なら分かってくれるはず。
「セーラが女相手に恋しててもいいのかよ」
「ふぅん、お姉さんの事をよく見ているじゃないか」
正確に言えば、姉は錯覚している。小鹿も十分に理解しているようで、ようやくため息をついていた。
「そんなに過保護にしなくても、セーラは大丈夫だ。それにその事は、雑談程度に今晩話そうと思っていたよ」
「雑談じゃ困る相手だから怒ってんだよ」
少しの沈黙。「心配のしすぎだ」
小鹿とママがこの調子だから、俺が過干渉に見えてしまうだけなのではないだろうか。面倒事になりたくない。姉を混乱させたくない。ただでさえ、一人では生きていけないくらい脆いのに。
「青良の友達なんだから、いずれ関わる事になる。その時に本当に心配するべきかどうか、考えたらいいよ」
「余裕ぶりやがって。上唇の噛みすぎで、皮剥がれるぞ」
「程々にしておくよ」
ぽつり呟いて、小鹿は電話を切った。
真っ暗の画面を、しばらく眺めていた。
あの男の肩を持つ訳じゃないが、なんとなく、同情してしまった。本来はならば、俺が「心配するな」と言うべき立場であるはずなのに、どうしても憎まれ口しか叩けない。
姉に近付く輩(ただの男子生徒だが)は、なるべく排除してきた。理由は単純明快。年頃の男が姉に近付く理由なんて、外見以外に無い。実際、姉を傷付けずに傍に居続ける男は、小鹿しか居ない。
女生徒となると話はややこしくなる。姉に随分懐いており、お互い気が合っている。西條藻巳は、姉を純粋に慕っている。との事。
排除する理由が無い相手を警戒するのも大変だ。
「おはようございます、青良さん!」
自宅のフェンス前にベンツを停め、そこから玄関先の姉に向かって手を振りながら降りるお嬢様。
まだ作戦も練っていないのに。西條藻巳はストーカーなのではないだろうか。
「はじめまして、西條藻巳と申します」
無邪気に手を振ったと思えば、友達の弟に上品に一礼。
なんだろうか、扱いづらい。何故だろうと考えてみた。
そうだ、なんとなくママやセーラに似ている。
「はじめまして」
君を心から歓迎しているとは言えないと、俺のたった一言で、彼女は察したらしい。
「ずっとお会いしたかったですわ」
彼女は危険どころか、虫も殺さないような雰囲気を醸し出していた。あのセーラが、たった一日で心を許したというのも納得出来る気がした。
人は外面だけで判断出来ない。
ママの仕事相手の娘という話だ。刺客かもしれない。または俺や小鹿、どちらかが目当ての可能性もある。多少警戒するくらいいいだろうと、さりげなく探りを入れようと試みた。
「君は」いつものように、何かを口にしようとした時、隣の家から、小鹿が現れた。
「おや、おはよう西條さん。早いね。ああ、車で来たんだね」
「おはようございます、小鹿さん。ええ、青良さんに早く知らせたくて」
「ああ、昨日言っていた本の事か。もう読み終えたのかい?」
「もちろんですわ。青良さんの愛読書ですもの。本当なら、読み終えたと同時にお伝えしたかったのですが、もう夜中だと気付いて」
俺にも伝わるように、2人はわざとらしく会話を進めた。何故かそう思えた。小鹿が先回りしたとは思えないくらい、2人の息はピッタリだった。
西條藻巳は、俺という人間をこんなにも良く理解している。
「緑玖さん、とお呼びしても宜しいですか?」
「あ、ああ」
急の申し出に、不覚にも言葉が詰まりそうになった。
「嬉しいです。あ、そうですわ。緑玖さんも、小公子はお好きですか?」
「は?」
バーネットの小公子なら、好きなわけがない。
アメリカに住む主人公のセドリック・エロルが、父の死をきっかけに、父の父であるドリンコート伯爵の住むイギリスへ移り住み、立派なフォントルロイ卿として成長していく、あの有名な話なら、もちろん大嫌いである。
学生時代にバーネットを通じて親しくなったダディとママは、結婚して間もなく生まれてきた双子に、小公子と小公女から名前を貰って名付けたと知った当時、興味本位で、ダディの本棚にある小公子を読んだ。
結論から言えば、読まなければ良かったと思った。セドリック・エロルという人間像は完璧で、激しく憎悪を覚えた。
自分もこんな人間になれたらなど考える事すら嫌った。
大好きな両親に初めて反感を持った。
「緑玖さん?どうされましたか?」
「嫌いだよ」
「はい?」
「小公子だろう。もちろん嫌いだ」
「あら」
そう言いつつも、西條藻巳は笑顔を絶やさない。
いつの間にか、玄関先には俺と西條藻巳だけになっていて、セーラと小鹿は、既に西條家の車の前にいた。
セーラの手の中には、一冊の本があった。わざわざ鞄の中に入れてないところを見ると、西條藻巳から借りたという本だと思った。
「緑玖さんは、小公子のどこがお嫌いなのでしょうか」
「悪いけど、俺は読書クラブの者じゃない。書評なら、あの二人とやってくれ」
「いいえ。私は本ではなく、緑玖さんのお話を聞きたいのです」
なるほど。ぼんやりしているように見えて、頭は回るらしい。
「主人公も、主人公の母も、伯爵も、誰も好きじゃない。物語とはいえ、結末が完璧すぎて、現実を生きる人間からすれば、ハッピーエンドは好ましくない。という感想じゃ不満かい?」
「いいえ。感じる事なんて、人の数だけありますもの。緑玖さんの感じたものは、緑玖さんだけのものです。ここは議論を唱える場ではないのですから、何かを言う資格はありません」
さすがはお嬢様。すごく丁寧な彼女の行動一つ一つには、まるで嫌味が無い。食えない。揚げ足も取れない。
「ちなみに、私は大好きなんです。小公子」
「そうだろうね」
「お分かりになるんですか?」
皮肉のつもりで言っただけだった。彼女の趣味嗜好など知るわけがない。
「緑玖さんは鋭いのですね。何故そう思ったのです?」
前言撤回。この女は分かって話を進めている。ここまで付き合ってしまった自分に後悔した。
ある意味、小鹿よりも意地が悪い女だ。
「私、絆が好きなんです」
自分は必要以上に、姉を弱い存在だと過小評価している事に気付いた。西條藻巳という存在を通じて。