私の巣
「何が楽しいって」
緑玖は、自分の長くて濃い金色のウェーブヘアを指先でくるくるする。
「校則違反にならない事。遺伝子に感謝だよね」
遺伝子と称する髪色を写す鏡を眺めながら、うっとり。父のウェーブヘアーー生前はくせっ毛と言っていたーーと、母のブロンドを濃く受け継いだ事に感謝しているらしい。
年々両親に似ていく私達は、両極端でありながら、鏡だった。自身の変化は弟の変化で、逆も然り。
今はとにかく、夕食前の読書の邪魔をされたくないので、ページを捲る音を大きくさせる。
考えを悟られたのか、緑玖は口をとんがらせて、
「セーラはボーイフレンド作ったほうがいいと思う」
なんて皮肉を口にするがお構い無し。いっそ正直に「暗い」と言えば良いのに。
明日、私達は高等部にあがる。エスカレーター式なので、見知った顔が多い事に安堵する。
数年前までは茶色だった自分の髪は、金に近い色に変化してきた。ナニーは、これは金褐色だと言っていた。
元々瓜二つだったものが、時間をかけてより同じものになっていくのを、なんとなく見たくなかった。
緑玖と私は違う。緑玖は本物で、私は異質。太陽と月。
母のいない食卓にも慣れ、ナニーが作り置きしていってくれたそら豆のポタージュはとても美味しかった。
「おはよう、青良」
朝、隣の家に住む小鹿が、私のファーストネームを、我が家のフェンスの前で呼んでみせた。
私は右手で丸のポーズを見せると、小鹿はホッとしたように笑う。準備は万端と思っていそうだが、そこまで気を回さなくてもいいのにと思った。
そう。小鹿のような、ボーイフレンドよりも親しい間柄の存在がいるのだ。恋愛なんて、ホルモンの生み出す一時の病気の一種だと言えば、捻くれていると緑玖は笑うだろう。
「おはよう、セーラのチャーミング王子」
我が弟の、意地悪で皮肉めいた、設定ゴチャゴチャな挨拶にも、小鹿は笑顔を崩さない。
代わりに緑玖を睨みつけると、まぁまぁと小鹿が仲裁に入る。いつもの光景だ。
「おはよ、セ…緑玖」
言い直す小鹿に向かって緑玖はハッと鼻で笑い、太陽光に当たり神々しく輝くブロンドをわざと靡かせて、
「無理しなくていーよ、慣れない事はするもんじゃない」
ボソッと、また皮肉。そのままスタスタ歩いていってしまう。
「昨日会った時はロミオ王子だったから、今日は死なずに済んで良かったよ」
我ら双子とは反対に明るく眩しい幼なじみは、眉毛をへの字にして笑った。
そんな小鹿に向け、口角を上げて笑ってみせた。
「早速、青良も無理してるね」
さっそくバレた。頑張ろうとしてみせたが、私をよく理解している小鹿にはお見通しのようだった。
「大丈夫だよ。俺たちクラスは同じだし、同じ生徒ばかりだ。何かあっても、近くで守れるから」
俺「たち」の中には、緑玖も入っている。それも含めて大丈夫だと言っているのなら、小鹿はかなり肝が据わっている。
そういう意味では、小鹿はかなりの大物だった。
小鹿と校門に向かうまでの間に、同じ制服を着た生徒たちに何度もじっくりと見られる。
先に緑玖が歩いていたはずなのに。それとも、同じ顔がまた現れたからなのか。デジャブ。同じ学園の人達のはずなのに、緑玖が現れた当時のあの衝撃がそうさせているのか。
学園内に双子が在籍しているのはそう珍しくない。父か母のどちらからか異国の血をひいてる者も少なからずいる。
分かっていても、私は途端に息が出来なくなる。
「おはよう」
小鹿が通学路のあらゆる人々に挨拶をする。去年クラスが一緒だった人達や、同じ色のタイを付けた顔の知らない同級生達、全てに。
「おはよう、またよろしくね」
そうして手を振る姿は、とても頼もしい。昔こそ、その姿を見て自分は無力だと感じていたが、今は違う。
「青良の為になるかわからないけどさ、挨拶するのは悪い事じゃないだろう?」
共に成長した分、私は小鹿のその嘘偽りの無い言葉に頷く事が出来る。
凛とした切れ長の瞳は、間違いなくキラキラしていて、その持ち主はその魅力に気付かない。
気付くのは私だけで十分だ。
ーーー
この日の為に毎晩願かった思いは届かず、小鹿とは席が離れてしまった。おまけに、緑玖が後ろの席になった。
小鹿にSOSを目で訴えたが、当人は自分の周りの席のクラスメイト達に声をかけられ続け、気付かない。
後ろから「モテるねぇ」と嫌味な声が聞こえたが、無視。
「小鹿新葉です。好きなことは読書です。高校では、読書以外にも楽しい事をたくさんやりたいと思っているので、教えてもらえたら嬉しいです」
爽やかの一言に尽きる。小鹿は立派に自己紹介を終え、既にクラスの女子たちから騒がれている。小鹿新葉という幼なじみは所謂イケメンの部類に入るし、この状況は見慣れたものだ。しかし、見た目だけで小鹿に近付く女子がいたら、両手を振り回したくなる。
自己紹介は順調に行われ、次第に私の番まで回ってくる事はわかっていたし、新しい担任の先生も、私の事情を知っているはずだけれど。
慣れたと思っていた。でも、やはりこの乾いた空気は吸えない。雑音がする。ジャミジャミしていたり、ゴーっといていたり。特にパチッという音に、一番震えてしまう。
私の名前は呼ばれたのだろうか。気付くのが遅れたのだろうか。不意に、後ろから肩を叩かれる。
「注目〜」気だるげな声の持ち主は緑玖だった。
「はーい、セドリック・オースティンです。日本名は夏目緑玖。ちなみにこいつの双子の弟でーす」
後ろから顎をガシッと掴まれる。声が出ないのは当たり前だが、なにぶん、掴む力が強すぎて、顔が崩れているのが分かる。
「ついでにこいつの名前はセーラ・オースティン。あ、日本名は夏目青良。俺と違ってファーストネームは同じだから、どちらも呼び方はお好きに」
よろしく。その言葉と同時に、顎から手を放された。
周囲は美しい姉弟愛とでも感じたのか、拍手喝采。もちろん、小鹿も負けじと笑顔で大きく拍手していた。
教室の空気がカラフルになるのを見た。
周りからよろしくね、と笑顔で握手されたり、先生が歓喜の声をあげているのも見えたりしたが、肝心の弟の顔は見なかった。
「お前太った。痩せろよな」
どれだけ捻くれていても、助けてくれるのは小鹿だけではない。それでも後ろで軽口を叩くのは、ぶっきらぼうなセドリックなのだ。