青良と緑玖
太陽の光が眩しくて苦手なのは、昔からで。
父から受け継いだ真っ黒の瞳が、光を吸収してるから、なんて言葉を吐いた母の言葉を、今でも信じている。
天井から床まで高さのある大きな窓からは西陽が射し込むので、お昼なんかは特に眩しい。
けれど、リビング全体がパァっと明るくなるのはやはり気持ちが良いと、母は朝起きてから夕方まで、レースカーテン以外を豪快に開けていた。
父の建てた新築一戸建てのとても広い我が家では、1人で過ごす事が多かった。
父は海外でピアニストを、母はウェディングドレスのデザイナー。ナニーにも同じ区内に家庭があるので、夕食を食べ終わり、眠りにつく時に傍にあるのは、人間では無く、分厚い本。
明るい時間と暗い時間は、あまりにも違いすぎる。
父と母の母校である学園で過ごしていても。そこに二人がいないと分かっていても。
寂しいと一言にするのには、私は幼すぎた。
初等部六年の二学期、アメリカで父が心臓の病で亡くなった事をきっかけに、両耳から異音が聞こえるようになった。
飛行機が近くで飛んでいるような音だったり、言語という概念の無い話し声だったり、色々聞こえた。
「髪が茶色なのって、外国人だからなんでしょ?」
普通なのは黒い瞳だけで、それ以外は「おかしい」と言われるようになった。
その度、喉の奥に空気が詰まったような感じがした。
呼吸が上手く出来なくてクラクラすると、目の前がぼんやり緑色に変化する。
変化した直後の世界には、私1人だけが残されたように思えた。同じ制服を身につけた子供達は普通で、明るくて、再度孤独を感じる。
校内を浸水させるくらいの荒波は、溺れるには十分すぎた。
早く耳を塞ぎ、避難しなければいけない。
救命用の船など無い。
逃げる事はいけないと学校で教わったけれど、その校内で溺れそうになっているのは自分一人なのだ。
「こら、やめなよ。青良ちゃんは外国人じゃないよ。お母さんが外国人だから、なんだよね?」
「外国って、どこ?アメリカ?フランス?」
「ねぇ青良ちゃん、どっちなの?」
「髪の色、皆と違って良いなぁ、ねぇ、皆」
どこか威圧的で、好奇心の塊。
純粋無垢な同級生五人に囲まれれば、口を開く隙など与えられない。
誰も私の言葉は聞かない。その場で明るく笑う事も、悲鳴をあげる事も、波を治める力も無い。
助けてほしい。そして、誰も居ない場所でうずくまって静かに黙っていたい。
涙を流す事を忘れた私を見つけたのは、隣の家に住む小鹿という少年だった。
引っ越してきたばかりだという挨拶と、デパートのフルーツゼリーを持ってきた。
家にいるのは子供の私一人だと言うと、小鹿は手を引っ張り、太陽の下に連れ出した。
「僕と一緒にいよう」
小鹿の両親は優しくて明るく、毎日喜んで迎えてくれた。
時には紅茶のマフィンなどのお菓子を作って持たせてくれた。食べる時はいつも小鹿と一緒だった。紅茶は飲む以外にも楽しみ方があるらしい。
小鹿が走ると、私も走った。地球が太陽を追いかけるように。
私は小鹿を太陽のようだと思ったけれど、眩しいと思わなかった。眩しいのが苦手なだけで、太陽は好きだった。どこか神秘的だから。何より母が好きなものだから。
小鹿が私を照らしたおかげで、外の空気は美味しいと気付く事が出来た。
ある日母は、父の骨壷を持った、青い瞳と金色のふわふわした髪の男の子を連れてきた。
生まれてからずっと会っていなかった双子の弟の存在は知っていた。亡くなった父から母へ親権が渡り、一緒に暮らす事になった。
子供ながらに気まずさを覚え、お互いに歩み寄ろうとしなかった。
ブロンドの美しい髪と、ターコイズブルーの瞳を持つ母と弟が歩くと、本物に見えた。弟は、私と全然似ていない。
弟は、私の瞳を見て、怒るように言った。
「ダディの目だ」
そのまま、弟と父が似ていない箇所をつらつらと語り出した。私に向けて言っているのか、天国の父に言っているのか、独り言なのかわからなかった。
混乱こそしたけれど、雑音は聞こえなかった。呼吸も上手に出来た。
「セーラは、僕に似ている」
そう言って、私に鏡を差し出した。宝物だというその鏡はとても古かった。ところどころ錆びているが、その装飾が模様のように美しく、好きだと思えた。
鏡の中を見ろ、と、弟は強く言った。ただ宝物を見せたかったわけでは無かったらしい。
「見ろ!」無理矢理鏡を奪い取られ、鏡は私を顔を写し出した。
窓から差し込む陽の光が反射して、一瞬目を瞑りそうになった。ゆっくりゆっくり目を開けると、弟と鏡の中の自分が横に並んでいた。
自分はこんな顔だっただろうかと思ったところで、ようやく気付いた。鏡を見たのはとても久しぶりで、弟の事もしっかり認識した。
「どうだ。とても美しいだろう」
その言い方は、記憶の中の父そっくりだった。
俯くと同時に大粒の涙は鏡にポタポタと落ち、顔はグラグラと良く見えなくなったが、目の前のギラギラとした青い瞳を見るだけで、体内に残っていた氷が溶け始めた。