5.事の顛末と彼の守護天使
シャロンに婚約解消を告げられてから、数日後。
あの翌日からも、セドリックは当然近衛騎士として王太子の傍に仕え変わらぬ日々を送っていた。
変わったのは、シャロンがセドリックの屋敷を訪ねて来なくなったことと、偽装の為に二人で出掛けることがなくなったことだけだ。
元々シャロンの信奉者達は、嫋やかな彼女と屈強で武骨な騎士であるセドリックが長続きする筈ないと思っていたらしく、今頃はまた社交界でシャロンを女神のように褒めそやしているのだろう。
それとも、せっかくの偽装を台無しにすることなく、シャロンは大人しく屋敷にいるのか。
彼女と会う機会のないセドリックには、想像もつかない。
「オーウェンの使節団の報告書は、急ぎで頼む」
壁際に立ったセドリックは、オズワルドが文官に指示をしている姿を眺めていた。洒落好きの王太子だが、仕事中は真面目でセドリックといつものように揶揄ってきたりしない。
無事オーウェンの使節団も帰国の挨拶を済ましこの王城を去っていた。近く、自国の手配した船で帰国する算段になっている。
王城は他国の王族が訪問しているという緊張から、ようやく解放されていた。
だが、そのまま静かに控えていると、突然そのオズワルドがフフッ、と笑う。
「殿下?」
セドリックが訝しがると、主は首を横に振った。
「いや、これはベアトリス王女からお許しが出ているから言うんだがな」
「はい……?」
ベアトリス王女。オーウェンから訪れた彼女はシャロンのことを大層気に入り、今度必ず自国に招待する約束までしていたことを思い出す。
「特別必要もないのに、彼女が今回の我が国訪問に参加していたのは、実はお前に求婚しようとしていたからなんだと」
「…………は?」
固まったセドリックを見て、オズワルドは頷く。
「あんなに美しい人が、お前のような堅物を好くとはなぁ、美しく優秀な俺ではなく」
何故こうも自分の周りには、己に自信のある人しかいないのだろう。強気に微笑むシャロンを脳裏に描きながらも、セドリックは混乱する。
「以前俺に帯同してオーウェンに行った際に見初めたらしい。しかしお前には既にシャロン嬢という仲睦まじい婚約者がいたので、綺麗スッパリ諦めて、自国に帰ったら勧められているお見合いを了承すると言っていた」
「は、はぁ……」
「残念だったな、セドリック。ベアトリス王女と結婚したら、オーウェンの王族になれたのに」
無責任なことを言って楽しそうにオズワルドは笑っているが、もしも本当にベアトリス王女にセドリックが求婚されていたら、その後の折衝が大変なことになっていた筈だ。第一、セドリックはベアトリスのことを人として好ましく感じてはいるが、女性として愛してはいない。
他国の王族に求婚されてしまえば、一貴族であるセドリックに拒否権はなかっただろう。彼女が諦めてくれて、本当によかった。
「そんなことになっていたとは……全く気付きませんでした」
「お前は朴念仁だからなぁ。シャロン嬢という婚約者がいて、ベアトリス殿下が潔い方で助かったな、セドリック!」
オズワルドの明るい声が執務室に満ちる。その響きに既視感を受けて、セドリックは瞬きをした。
“別の人と婚約している者をしつこく追いかけるほど、みっともない方ではありませんもの”
あれは、誰のことを指していたのだろう?
やんごとない、御方? あの夜会会場に、シャロンがそう称する程の身分の者はどれだけいた?
「……そのことを、コフィ子爵は知っていたのですか?」
セドリックが訊くと、オズワルドは当然とばかりに頷いた。
「ああ、国交に影響してくるかなら。あの段階では非公式なこととはいえ、外交官の子爵や他にも何人かは知っていた筈だ」
では、その外交官の娘は。シャロンは、知っていたのだろうか?
思わずセドリックがぎゅっと拳を握りしめると、それを見たオズワルドは意味ありげに笑った。
「婚約者に愛されているなぁ、セドリック」
「それは……」
思わず言い淀む。
愛されているかは分からないが、セドリックはいつの間にかシャロンに守られていたことは分かった。
だが彼女の真意はどうであれ、婚約は解消されてしまったので現在セドリックとシャロンは「婚約者」ではない。そのことを正直にオズワルドに話すべきなのか、迷う。
恐らく大体の事情を察している王太子殿下に嘘をつくのは躊躇われ、しかし偽装婚約を認めさらに解消されたことをセドリック自身が口にすることで、何もかもなかったことになるのを恐れたのだ。
そう、まさに、“魔法が解けてしまったみたい”に。
*
翌日は非番だった為、セドリックは“あるもの”を携えて、コフィ子爵邸を訪れていた。
シャロンがいつもそうだったように、家ぐるみで親しい為先触れは出していない。執事によって玄関ホールに通されると、セドリックは非礼を詫びてからシャロンを呼んで欲しいと頼んだ。
すると執事とその隣にいたメイドが、驚いた様子で目を丸くする。
「え……セドリック様、知らなかったんですか?」
メイドの悲鳴のような声に、セドリックは眉を寄せた。
「何をだ」
「お嬢様は、今朝早くに家をお出になりました。本当にご存知なかったのですか……」
「ほら、オーウェンの使節団の船が今日帰国するので、王女様に呼ばれて」
執事の気づかわし気な様子と、メイドの言うオーウェンの王女の招待、という言葉にセドリックは挨拶もそこそこに、その場から飛び出して行った。
あっという間に見えなくなった大きな背を、それでも執事とメイドは見送った姿勢のまま。
「……ねーマイルズさぁん。うちのお嬢様って、ほんと敵に回したくないタイプですよねぇ」
「いえいえ、お可愛らしい方ですよ」
執事のマイルズがにっこりと微笑むと、奥からコフィ子爵が顔を出した。
「マイルズ? お客さんかい?」
「さて旦那様、そろそろお召し替えをいたしましょうか」
「なんで、休日だよ? もう少しだらけさせておくれよ」
マイペースな執事の返答に子爵は苦笑を浮かべ、メイドは恭しく玄関扉を閉ざした。