3.自国の高嶺の花と、他国の王女
「セディ! 早くいらして!」
外出用のドレスに帽子を纏ったシャロンは、鍔を指で支えて早く早くとセドリックを急き立てる。
馬に乗った選手達が競う球技の試合会場は多くの紳士淑女で溢れていて、長身のセドリックはまだしも小柄なシャロンは埋もれてしまいそうだ。
「そう急くな。周りを見ないと危ないぞ」
言った先から、向こうから来た男性にぶつかりそうになったシャロンの体を引き寄せる。彼女はどん、とセドリックの厚い胸板に頬をぶつけてしまい、高い位置にある彼の顔を睨んだ。
「アザが出来たら、新しい証文を書いていただきますわよ」
「勘弁してくれ」
これがただの脅しではないことを身を持って知っているセドリックは、恭しくシャロンの腰を抱き寄せてエスコートの姿勢をとった。彼女が所有する証文は、あの一枚だけではないのだ。
「試合を観戦するのは初めてか?」
チケットの示す席に腰かけながらセドリックは意外な気持ちで訊ねる。
「ええ。お忙しいお父様達に連れて行って、とは言いにくくて」
ぴったりとセドリックに寄り添いつつシャロンの頬は紅潮し、試合前にフィールドを駆ける馬と選手達に視線は釘付けだ。
「君の信奉者達に連れて来てもらえばよかったのに」
彼がそう言うと、シャロンはフフッと笑う。
「草原に集う無垢な羊たちの中から一頭を選別するよりは、一頭も選ばない方がまだ慈悲深いと言えるのですわ」
「…………うん」
正直セドリックにはシャロンが何を言っているのか、分からない。
「ねぇ、見て。あれはなぁに?」
「ああ……あれがゴールで、球をあそこに入れると得点になる」
「新聞で読みましたわ。なるほど、あれが……」
興味深そうにシャロンの瞳がキラキラと輝く。社交界の高嶺の花、と呼ばれているが元々彼女は好奇心が大層旺盛で、結果流行にも詳しいのだ。
「落馬して、選手や馬が怪我をしたりしないかしら」
「紳士の競技だからな。その場合は試合を中断するだろう」
「そう? ……ならいいのだけれど」
シャロンの瞳と表情は輝き、どきどきワクワクと興奮しているのがよく分かる。
「連れてきてくださってありがとう、セディ」
急にこちらを振り返った彼女に、至近距離で微笑んで礼を言われてセドリックはどきりとした。シャロンの笑顔はたとえようもなく美しく、そして驚くほどに距離が近かった。
「……これぐらい、いつでもお供しよう」
「あら、証文が必要かしら」
そう言って笑った彼女は、とびきり魅力的で。
もう、悪魔には見えなかった。
*
それからしばらくして、またも王太子オズワルドの主催の舞踏会が開かれ、そこに現在この国を表敬訪問しているオーウェン国の使節団が招かれていた。
白地に銀の糸で刺繍の施されたドレスを着たシャロンはあまりにも美しく、セドリックは彼女に目を奪われる。
「あら、わたくしの美しさを讃えることが出来ないなんて相変わらず朴念仁ですこと」
「うん、綺麗で、言葉もない」
「……わたくしが大目に見ている内に、そちらを献上なさい?」
ヤレヤレと大仰に首を振って溜息をついたシャロンは、セドリックの持つ小箱を指す。
蓋を開けると、中にはセドリックの瞳と同じ色の宝石があしらわれた首飾りがお目見えする。
「ガーゴ家の家宝ではなくて?」
「ああ……あ、貸すだけだぞ」
「ケチは己の品位を下げますわよ」
セドリックが慌てて言うと、シャロンは結われた髪を軽く上げた。
「え」
「付けてくださいな」
「……うん」
箱を脇に置くと、セドリックは首飾りをシャロンの細い首に回す。かちり、と金具を留めると彼女は髪から手を離し、セドリックに正面から向き合った。
「いかがかしら?」
白い肌に白いドレス。黒に近い宝石は今夜のシャロンが身に着けると、とても目を惹いた。まるで、同じ色の瞳を持つセドリックの独占欲を表すかのように。
「……うん、よく似合う」
「当然ですわ、わたくしを誰だと思っておいでで?」
彼の言葉に、シャロンは鷹揚に頷く。それから手袋をした指先で、そっと宝石の表面を撫でた。
「素晴らしい宝石。一時、身を飾っていただくことを光栄に思いますわ」
そう言って晴れやかに微笑んだシャロンに、セドリックは手を差し出す。大きな掌の上に彼女の小さなそれが乗り、二人は夜会へと赴いた。
会場に就くと既に夜会は始まっていて、オーウェンの使節団の者は皆めいめいに楽しんでいる。
だがオーウェンの王女であるベアトリス殿下だけはオズワルドと話していて、セドリックとシャロンの到着を待っていた。
「来たか、セドリック」
オズワルドに手招かれて、二人はそちらに近づくとベアトリス王女に挨拶をする。
王女はまじまじとシャロンを見て、それからセドリックを見遣って微笑んだ。
「ベアトリス殿下、こちらがコフィ子爵の自慢の娘・シャロン嬢。あなたが聞きたいと言っていた、我が国の今の流行にとても詳しい令嬢だ」
「はじめまして、シャロン。コフィ子爵からよく自慢話を聞いているわ、今日は私に付き合ってくれてありがとう」
随分活発なお姫様らしく、ベアトリスは自らシャロンの手を取って握手をすると、快活な笑顔を浮かべてそう言った。
「お会い出来て光栄です、殿下。父は話を誇張してますのよ、お恥ずかしい」
シャロンは上品に謙遜してみせたが、心の中では当然とでも思っているのだろう、とセドリックは想像した。そこでベアトリスの視線が彼のそれをぱちりと合う。
「セドリック! あなたも来てくれたのね」
「お久しぶりです、王女殿下」
彼が騎士の礼を取る前に、ベアトリスは上機嫌でセドリックの手も掴んだ。
「お久しぶりね! また会えて嬉しいわ」
積極的な王女に、セドリックは圧倒されて怯む。思えばオーウェンに王太子の騎士として共に滞在していた時も、彼女はこんな風にきさく過ぎるほどの距離感でセドリックに接してきたものだ。
何度も繰り返すが、自他共に認める朴念仁の彼にはこんな時どうすればいいのか分からない。女性、それも王女であるベアトリスに失礼のないように、手を離してもらう最適な方法が。
視線を泳がせると、すぐ傍にシャロンが立っている。彼女はにっこりと笑い、この時セドリックには彼女が天使に見えた。